賛美の心

こちらでは賛美、礼拝、心を主の前において静まり、まことの心で神様を賛美することだけです。

「スーパームーン三連発」は異常なことが起こることを示しています

2019-05-31 22:10:48 | 聖書預言

   専門家の予測によると、2019年2月19日と3月21日に、続けてスーパームーンが現れるとのことで、1月21日に現われた「スーパーブラッド・ウルフ・フムーン」に続く宇宙の珍しい現象が発生するとなるとのことです。

   関連する情報によると、「スーパームーン」とは、満月が地球に最も近づく「近地点」のことを指しており、月の直径が通常より14%大きく見え、その光度も30%増します。それは肉眼で見ることのできる最も大きく、最も円形に近い月となります。今年はスーパームーンが3回現れるはずですが、これは非常に珍しい天文学的現象です。実際、ブラッドムーンやスーパームーンといった不思議な現象が近年引き続いて起きています。2011年と2013年のブラッドムーン、2014年から2015年にかけて4回連続して現われたブラッドムーン、152年前にも現われ、2018年に再び起きたスーパーブルー・ブラッドムーン、そしてスーパームーン、ブラッドムーン、ウルフ・ムーンという3つの天文学的現象を完璧に融合し、最も輝かしい天文学的現象と言われた2019年1月21日のスーパーブラッド・ウルフ・ムーンなどがその実例です。

スーパームーン三連発,天文学的な不思議な現像

   多くの預言者達が、ブラッドムーンの出現は何か並外れた、大きな事が起こる予兆だと預言しています。聖書の専門家の中にも、ブラッドムーンの出現はヨエル書2章29~31節に記されている預言の成就だと堅く信じている人がたくさんいます。「その日わたしはまたわが霊をしもべ、はしために注ぐ。わたしはまた、天と地とにしるしを示す。すなわち血と、火と、煙の柱とがあるであろう。主の大いなる恐るべき日が来る前に、日は暗く、月は血に変る。」 また、黙示録6章12節にはこうあります。「小羊が第六の封印を解いた時、わたしが見ていると、大地震が起って、太陽は毛織の荒布のように黒くなり、月は全面、血のようになり」ヨエル書の預言の中の「大いなる恐るべき日」とは大災害を意味しています。私たちはみな近年災害が深刻化していることを見ています。地震、飢餓、疫病、洪水などといった頻発する災害は私たちを恐怖に陥れます。世界情勢は混乱し常に変動しています。頻繁に戦争が勃発し、暴力事件やテロ行為はエスカレートし、地球は温暖化し、極端な気象や様々な種類の不思議な天体現象が絶えず起こっています。クリスチャンとして、これらの災害をどう捉えるべきでしょうか。これらの災害を通して、神様は何を啓示しようとされているのでしょうか。大災害が訪れる前には神様はどのような働きをされるでしょうか。ヨエル書2章29~31節にはこう書かれています。「その日わたしはまたわが霊をしもべ、はしために注ぐ。」この預言によると、大災害が発生する前には神の霊が言葉を語り、ご自身のしもべとはしために水を注がれます。黙示録の2章と3章では、「耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい」と繰り返し預言されています。そして黙示録の7章14節には、「彼らは大きな患難をとおってきた人たちであって、その衣を小羊の血で洗い、それを白くしたのである」とあります。また黙示録の14章4節には、「小羊の行く所へは、どこへでもついて行く。彼らは、神と小羊とにささげられる初穂として、人間の中からあがなわれた者である。」とあります。そして2章の7節には、「勝利を得る者には、神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べることをゆるそう」と書いてあります。これらの預言から、終わりの日には神様が新たな段階の働きをされることが分かります。つまり、神様は御言葉を表され、災害が起こる前に勝利者の一団を作られます。これらの人々は初穂であり、神に仕える人々であり、最終的に神がご自身の御国へ導かれる人々です。

   神様の御言葉はこの奥義を明らかにし、災害の前にご自身がなされる働きとは何であるか私たちに告げました。神様が表された代表的な御言葉の幾つかを一緒に読んでみましょう。

   あなたの目を開いて見回してみなさい。そうすれば、わたしの偉大な力をどこにでも見ることができるだろう。あなたはどこにいてもわたしのことを確信できるだろう。宇宙と広大な大空がわたしの大いなる力を拡大している。わたしが語った言葉は、天候の温暖化において、気候変動において、人々の異常と社会的原動力の無秩序、そして人々の心の欺瞞において、すべて現実となった。太陽は白くなり、月は赤くなり、すべてが混乱している。あなた方にはまだこれらのことが見えないのか。キリストの初めの言葉」の「第三十九章」より

   すべての国や世界のいたる所で、地震、飢饉、疫病、あらゆる種類の災害が頻繁に発生する。わたしがすべての国や世界のいたる所でわたしの大いなる働きを為す時、これらの災害は、世界創造以来のどの時期よりもすさまじいものとなって起こるだろう。これがすべての民へのわたしの裁きの始まりである。「キリストの初めの言葉」の「第九十二章」より

   知らないうちに、世界各国の状況は緊張を増しており、日々崩壊し、毎日混乱に陥っている。各国の首脳はみな最終的に権力を得ることを願っている。彼らは予期していないが、わたしの刑罰はすでに彼らの上に来ている。「キリストの初めの言葉」の「第八十二章」より

   今日、世界の国々で、わたしは自分が着手した働きを行っており、それを完成させる。わたしは人類の真っただ中で動き回り、わたしが計画した働きをすべて行っており、全人類はわたしの意志に従って世界の様々な国々を解体している。地上の人々は注意を自分自身の終着点にしっかり向けている。その日は近づきつつあり、天使たちはラッパを吹き鳴らしているからである。もはや遅れはなく、創造されたものはすべて、すぐに歓喜して踊り始めるだろう。わたしの日を、自分勝手に遅らせ得る者がいるだろうか。地球に住む人間だろうか。それとも空の星だろうか。それとも天使だろうか。わたしがイスラエルのために民の救いを始めようと声を発する時、わたしの日は全人類の上にのしかかる。すべての人はイスラエルが戻るのを恐れる。イスラエルが戻る時はわたしの栄光の日であり、すべてが変化し、新しくされる日でもある。正しい審判が全宇宙に差し迫って近づいてくるにつれて、すべての人は臆病になり怯える。人間世界では義については聞いたことがないからである。義の太陽が現れると、東方に光が当たり、次に光は世界中に当たり、すべての人に届く。人が本当にわたしの義を実行することができれば、恐れるものなどあるだろうか。わたしの民は皆わたしの日の到来を待っている。皆その日を心待ちにしている。彼らは、わたしが義の太陽としての役割に従って、すべての人類に天罰をもたらし、人類の終着点を決めるのを待っている。わたしの国は全宇宙の上に形を取り始め、わたしの玉座は何億もの人々の心の中を統治する。天使たちの助けを借りて、わたしの偉業はまもなく実現されるだろう。わたしの子供たちとわたしの民は皆わたしが戻るのを息を殺して待ち、彼らが二度とばらばらにならないように再び結びつけることを強く望んでいる。わたしの国の多くの民衆が、わたしが彼らと共にいるのを喜んで、互いに駆け寄らずにはいられないだろう。これは対価を支払う必要のない再会なのだろうか。わたしはすべての人の目に尊敬に値する者として映り、すべての人の言葉によって宣言される。わたしが戻る時、わたしはすべての敵の力をさらに征服する。時は来た。わたしは自分の働きを始動させるだろう。わたしは人々の王として支配するだろう。わたしは今まさに戻る。そしてわたしは今や出発する。これはすべての人が望んでいること、彼らが希望することである。わたしは全人類にわたしの日の到来を見させよう。そして彼らにわたしの日の到来を喜びをもって歓迎させよう。「全宇宙への神の言葉」の「第二十七章」より

   宇宙の隅々までわたしはわたしの働きを行っている。東方では、雷のような轟音が終わることなく発生し、すべての国々や宗派を震わせている。すべての人々を現在に連れて来たのはわたしの声である。わたしはすべての人々がわたしの声により征服され、みなこの流れに落ち、わたしの前に帰服するようにする。わたしはずっと前に全地からわたしの栄光を取り戻し、東方で新たにそれを発したからである。わたしの栄光を見ることを願わない者がいるだろうか。わたしの再臨を心待ちにしない者がいるだろうか。わたしが再び現れることを渇望しない者がいるだろうか。わたしの愛らしさを思慕しない者がいるだろうか。光の元へ来ようとしない者がいるだろうか。カナンの地の豊かさを見上げようとしない者がいるだろうか。「贖い主」が再び来るのを待ち望まない者がいるだろうか。偉大なる全能者を敬慕しない者がいるだろうか。わたしの声は全地の隅々まで広められるであろう。わたしはわたしに選ばれた者に向かって、彼らにもっと話しかけたいと願う。山々や川を震わせる強大な雷のように、わたしは全宇宙と人類にむかってわたしの言葉を話しかける。そしてわたしの口にある言葉は人の宝になり、すべての人々はわたしの言葉を大切にする。稲妻が東から西へひらめき渡る。わたしの言葉は、人が決して手放したくないもの、そして測り難いものであるが、それ以上に彼らにさらなる喜びをもたらすものである。生まれたての赤児のように、すべての人々は喜びに満ち、わたしの到来を祝う。わたしはすべての人々を、わたしの声によってわたしの前へ連れて来る。その時から、わたしは正式に人類へ入る、人々がわたしを礼拝するために。わたしから放たれる栄光とわたしの口にある言葉によって、人々はみなわたしの前へ来るようになり、稲妻が東方から閃くこと、またわたしが東方の「オリーブ山」に降ったことも知るようになる。彼らはわたしがずっと前からすでに地上にいたことを知り、「ユダヤ人の息子」ではなく、東方の稲妻だと知るだろう。なぜならわたしはずっと前に復活し、人々の中から去って、その後栄光と共に再び人々の中に現れたからである。わたしは幾時代も前に崇拝された神であり、幾時代も前にイスラエル人によって見捨てられた「赤児」である。それだけでなく、わたしは今の時代の栄光に満ちた全能神である。すべての者をわたしの玉座の前に来させ、わたしの栄光に満ちた顔を見させ、わたしの声を聞かせ、わたしの業を見上げさせなさい。これがわたしの心の全てである。これがわたしの計画の結末であり、クライマックスであると同時に、わたしの経営の目的でもある。すべての国々にわたしにひれ伏させ、すべての人にその言葉でわたしを認めさせ、すべての人にわたしを信頼させ、またすべての人がわたしに服従するようにしなさい。「七つの雷が轟く——神の国の福音が宇宙の隅々まで広まることを預言」より


教会音楽「あなたの生活を神の言葉で満たしなさい」いのちのパンを享受する

2019-05-30 03:29:22 | 讃美歌

あなたの生活を神の言葉で満たしなさい

今日からあなたが話す時は 神の言葉について話しなさい
あなた達が集まる時には
真理による交わりを持ちなさい
神の言葉について知っていること
実行していること
そして聖霊の働きについて話しなさい
自由に過ごす時でも神の言葉について語りなさい
無駄話はせず
あなたの生活を神の言葉で満たしなさい
その時こそ あなたは真の信者なのです!

II
神の言葉の交わりを持つ時聖霊が啓示を与えるだろう
神の言葉の世界を作るため
人は協力しなければならない
これに入らなければ神は自分の業が出来ないし
あなたが語らないなら
神はあなたを照らすことができない
自由に過ごす時でも神の言葉について語りなさい
無駄話はせず
あなたの生活を神の言葉で満たしなさい
その時こそ あなたは真の信者なのです!


交わりが浅くても心配はない
「浅さ」がなければ「深さ」もないのだから
あなたには辿らねばならない過程がある
実践で聖霊の導きを理解し
神の言葉を食べ飲みする方法を知り
言葉の現実の中へと入るのだ
協力する意志があれば
あなたは聖霊の働きを受けるだろう
自由に過ごす時でも神の言葉について語りなさい
無駄話はせず
あなたの生活を神の言葉で満たしなさい
その時こそ あなたは真の信者なのです!

更に多くの内容を読むには、聖書の部屋のウェブサイトへどうぞ


あなたはどのように真のキリストと偽キリストを見分けるかを知っているのか

2019-05-29 03:08:13 | 真のキリストと偽キリスト

     皆さんが知っているように、今はもう世の終わりの末期であり、月が四回血に変わるということも完全に実現し、さまざまな災難は日一日と全人類に迫ってきます。今はちょうど主の再来の日です。では、わたしたちがインターネットでイエスが再来されたという福音を見る時、或いは身の周りの親戚や友人がわたしたちに主イエスが再来されたという福音を伝える時、わたしたちはどうすべきですか。主イエスはこう言われたことがあります。「そのとき、『見よ、ここにメシアがいる』『いや、ここだ』と言う者がいても、信じてはならない。偽メシアや偽預言者が現れて、大きなしるしや不思議な業を行い、できれば、選ばれた人たちをも惑わそうとするからである」(マタ24:23-24)。多くの兄弟姉妹は主イエスのこの言葉の真意が分からないため、毎回主の再来に関する知らせを聞く時、偽キリストに惑わされはしまいかと心配し、主が再来されたという福音を聞く勇気がなく、福音を宣べ伝える人を受け入れる勇気もありません。彼らはどうしたらよいか迷っていて、「偽キリストを警戒するがゆえに、真のキリストを拒んでしまうとしたら、自分が神を見捨てる人になったのではないか、自分の長年の追求も徒労に終わるのではないか」と思っています。だから、真の神の到来を迎えたいなら、わたしたちは受動的に避け、警戒し、拒んではならず、真のキリストと偽キリストを見分ける原則を把握すべきです。真のキリストと偽キリストを見分けることに関する真理を理解したら、偽キリストに惑わされることはなくなり、真の神の現れを見る機会を取り逃すこともなくなります。では、真のキリストと偽キリストを見分ける原則は何ですか。

   第一に、偽キリストがしるしや不思議な業を行うことを通して見分けるべきです。聖書のこの箇所で、主イエスはわたしたちに「偽メシアや偽預言者が現れて、大きなしるしや不思議な業を行い……」とはっきり教えられました。この言葉から、わたしたちはこういうことが分かりました。偽キリスト、偽預言者の人を惑わす手段は、しるしや不思議な業を行うことです。つまり、世の終わりに、偽キリストはおもに主イエスの働きをまねて、しるしや不思議な業を行うという方式によって人を惑わします。それは、人が彼の行うしるしや不思議な業を見て、彼は再来された主イエスだと誤って考えるためです。偽キリストはそうすることによって神の選民を惑わします。これは偽キリストの人を惑わすおもな手段です。例えば、今や一部の宗教のリーダたちは主イエスのなさった仕事をまねて、病気をいやしたり悪霊を追い出たりというような小さな奇跡を行って人を惑わします。それは聖書の二テサ第2章9節に、「不法の者は、サタンの働きによって現れ、あらゆる偽りの奇跡としるしと不思議な業とを行い」と書かれているとおりです。偽キリスト、偽預言者は全然真理を持たず、彼らの本性の本質から言えば、彼らは神を装う邪悪な霊です。だから、彼らは神が以前なさった仕事をまねて、取るに足りない奇跡を行うことしかできません。しかし、五千人を五つのパンと二匹の魚で満腹させたり、死人を復活させたり、風と海を静めたりといった、主イエスのしるしと不思議な業は、偽キリストが全然行うことができません。これで分かりますが、世の終わりに、しるしと不思議な業を行うことができ、悪霊を追い出し、病気をいやし、多くの奇跡を行うこともできる、イエスと自称する人が現れれば、彼はきっと偽キリストであり、神を装う邪悪な霊です。これは、主イエスが聖書のこの箇所の言葉を通してわたしたちに与えられる啓示であり、また偽キリストを見分ける原則の一つです。

   第二に、キリストの本質を通して見分けるべきです。わたしたちが知っているように、主イエスは恵みの時代を開き、律法の時代を終わらせ、しかも十字架刑を受けるという仕事を成し遂げ、また人の罪を赦し、人に恵みと祝福を得させました。これらすべての仕事は神自身だけがすることができます。主イエスは聖霊として受肉した神です。彼はへりくだって人の間で働いている間に、全然自分を表現せず、むしろこの世のすべての苦しみを体験していました。人類をサタンの権威の下から贖い出すためには、彼は何の不平も言わずに、進んで十字架に行かれました。イエス・キリストは全然自分をひけらかさず、しかも高い地位に立たず、独りよがりではありませんでした。彼は慈しみ、憐れみという性質を発表し、また寛容、忍耐というような、彼の持っているもの、彼であるものを発表されました。これらは、すべての腐敗した人類が持っていないものです。だから、キリストであれば、神自身の性質を発表でき、また神自身の仕事をすることができます。受肉した神の肉体は見た目は普通で正常ですが、しかしこの普通の肉体は神自身の仕事をすることができます。だが、偽キリストの働きはキリストの働きとは全く逆です。偽キリストは人を救う仕事をすることができません。彼はしるしを少し行って人を惑わすことしかできず、しかも極力大きなことを言い、自分をひけらかします。彼の言動から流露されるものは、傲慢さ、邪悪さ、狡猾さといったサタン的性質であって、人々に嫌われます。

   第三に、真理を発表できるかどうかによって見分けるべきです。主イエスは「わたしは道であり、真理であり、命である。……」(ヨハ14:6)と言われました。神だけが真理、道、命です。神を除いて、どの被造物や非被造物も真理、道、命を持っていません。だから、真のキリストと偽キリストを見分けるには、彼が真理を持っているかどうか、彼が神の言葉、真理、神の性質、神の持っているもの、神であるものを発表できるかどうかを見るだけでいいです。神が働く時に発表される真理の言葉は、人に実行の方向を指し示し、人に歩むべき道を得させることができます。わたしたちが知っているように、ヤーウェ神は働かれた時に律法、戒めを発布して人に守らせ、人にどのように地上で生活すべきか、どのように人とつき合うべきか、罪とは何か、どのように神を礼拝すれば神に良しとされることができるかを分からせました。生まれたばかりの人類が神の戒め、おきてを守ったため、彼らの生活は秩序正しくなり、彼らの以前の乱れた生活も変わりました。主イエスは来て働かれた時、真理を発表して人に新しい実行をもたらし、人に隣人を自分のように愛しなさいとか、寛容で忍耐すべきだとか、人を赦すべきだなどと教え、人がますます人性を持つようにされました。このことから分かるように、神の仕事は重複せず、神の仕事の中にいつも新しい実行の道があります。当時主イエスにつき従ったペテロ、ヨハネたちは主の言葉を聞いて、主イエスの発表されたものがみな真理であるのを見たため、それは神の声だと分かり、またキリストの現れを見ました。しかし偽キリスト、邪悪な霊はキリストと自称するが、全然キリストの本質を持っていません。彼らはただ自分をひけらかし、証しすることができるだけで、全然真理を発表できず、ただ主イエスの働きの基礎の上でまね、追随し、いくらかの奇跡を行って人を惑わすことができるだけで、人に少しの実行の道も指し示すことができません。最後に、だれにも知られないうちにだめになります。中には神に呪われて死んだ者もあります。彼らの追随者たちはなんらの真理、命も得ていません。ある人は邪悪な霊にとりつかわれ、同様に懲罰されました。このようなことはキリスト教の多くの宗派の中で存在しています。だから、真のキリストと偽キリストを見分けるには、キリストだけが真理、道、命であり、偽キリストが絶対に真理を持たないことをはっきり認識するだけでいいです。これも真のキリストと偽キリストを見分ける原則の一つです。

   以上述べられた、真のキリストと偽キリストを見分けることに関する真理、原則によって、わたしはこういうことが分かりました。主イエスのこの預言は、世の終わりに彼が再来される時、偽キリスト、偽預言者が現れて、大きなしるしや不思議な業によって神の選民を惑わすこと、すなわち、偽キリスト、偽預言者が世界各地で現れて人を惑わす時は、真のキリストが現れて働く時であり、わたしたちがすでに現れた神を求め、神の足跡に従うべき時でもあることを、わたしたちに教えています。わたしたちが真のキリストと偽キリストを見分けることに関する真理を装備すれば、キリストの本質、および偽キリストの人を惑わす手段を認識し、弁別することができます。そうなってこそ、主イエスの再来――世の終わりのキリストの出現を迎えることができます! 真のキリストと偽キリストを見分ける原則を理解したら、わたしたちは主イエスが再来されたという福音を受動的に警戒し、避け、或いは盲目的に逆らい、拒絶することがなくなり、神を畏れる心をもって探究し、調べ、弁別し、真理、原則によって主イエスが戻られたかどうかを判断するはずです。世の終わりに、主イエスは再来される時、声を発し、言葉を言い、真理を発表されます。主イエスは彼の再来についてこのように預言されました。「しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる」(ヨハ16:13)。「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう」(黙3:20)。「耳ある者は、“霊”が諸教会に告げることを聞くがよい」(黙2:11)。もしわたしたちがいろいろなルートを通じて、再来される主イエスの声、言葉を聞いた時、渇仰し、探求する心をもって真理を求めるなら、神はきっとわたしたちに啓き、わたしたちを導き、わたしたちに優れた洞察力を与えて、どのように弁別するか分からせます。こうして、わたしたちは世の終わりに現れるキリストを迎えることができ、世の終わりに再来される主イエスがわたしたちを救うという機会を取り逃すこともなくなります!


聖書の勉強会で受けた良い知らせ(II)

2019-05-28 10:47:38 | 真のキリストと偽キリスト

   この時、チェン姉妹は次の2つのパラグラフの言葉を読んでくれました:「このようなことを考察するのは難しいことではないが、わたしたちそれぞれにこの真理を知ることが要求される。受肉した神は神の本質を有し、受肉した神は神による表現を有する。神は人間の姿になるので、なすべき働きを打ち出し、神は人間の姿になるので、自分が何であるかを表して、人に真理をもたらし、人に命を与え、人に進むべき道を示すことができる。神の本質を含んでいない肉体が受肉した神ではないことは間違いなく、これについて疑う余地はない。」(「神の働きを経験する者のみが真に神を信じる」より)「この時代に、しるしや不思議を起こせる人が現れ、悪魔を追い払い、癒やし、多くの奇跡を起こし、またその人がイエスの再来であると主張したなら、それは悪霊が偽ってイエスのまねをしているのである。これを覚えておきなさい。神は同じ働きを繰り返さない。イエスの段階の働きはすでに完了し、神は二度と再びその段階の働きをしない。…だから、神は、時代ごとにひとつの段階の働きをするのだ。ひとたびその段階の働きが完了すれば、すぐさまそれを悪霊がまねをし、サタンが神のすぐ後ろからついていく。神は方法を変更する。一度神がその段階の働きを完了すると、悪霊がまねをする。こうしたことを理解しておきなさい。」 (「今日の神の働きを知るということ」より)。

 聖書の勉強会,受け,良い知らせ

   チェン姉妹は続けてこのように交流しました:「この2つのパラグラフの言葉から主は真理であり、道であり、いのちであることが分かります。真キリストを偽キリストから見極めるには、主にそのキリストが真理を表すことができるか、そして人類を救う働きができるかどうかを確認することです。律法の時代の末に、主イエス様は来臨されました。主は人間の必要とするものに照らして多くの真理を表され、多くの奇跡を起こされ、十字架に磔にされて人類の罪を贖う働きをされました。主は恵みの時代を始められ、律法の時代を終えられました。神は常に新しく、決して古いことはなく、繰り返しの働きもされません。世の終わりに再臨される主は、しるしと不思議な業を起こしたり、病人を治して悪霊を追い払ったり、十字架に磔にされて人類の罪を贖うといった過去になされた働きは繰り返されません。なぜなら、その段階の働きは既に成就しているからです。主イエス様は世の終わりに偽キリストが大きなしるしと不思議な業を見せて人々を欺くことを預言されました。これ故に、もし主が再臨される時に、またこれらの働きをされるとしたら、主は矛盾されていることになりますよね?聖書は、世の終わりに主が再臨して巻物を開かれ、奥義を明らかにされ、神の家族を起点に裁きの働きをされ、山羊を羊から分け、人々をそれぞれの分類に分け、善良な者に報いを与え、邪悪な者を罰すること等を預言しています。偽キリストはキリストを装う悪霊であり、真理を表したり、新たな時代の到来を告げ、古い時代に幕を閉じることなどできません。彼らはもちろん奥義を明らかにすることも、人類を救う働きをすることもできません。彼らは主イエス様がなされた働きを真似ることしができません。彼らはしるしと不思議な業をいくつか起こして識別力のない混乱した人々を騙すこと以外は何もできないのです。」

   彼女の言ったことを聞いた後、私は心の中で完全に確信し、姉妹にこう言いました:「以前、牧師たちは偽キリストが世の終わりに現われること、そして欺かれるのを避けるために、主が再臨されたということを誰が口にしようとも、私たちはそれに耳を傾けてはならないと言っただけで、真キリストを偽キリストから見極める方法については一度も交流しませんでした。姉妹、私はあなたのお話しを聞いてこれを明確に理解し、真キリストを偽キリストから見極める方法も知ることができました。」

   その後の集会で、姉妹は主の再臨にまつわる7つのしるしに関する真理、神の御名前の意味等について交流してくれました。私はこれを聞けば聞くほど、心が増々啓かれゆき、私はもっともっと聞きたくなりました。同時に、私はチェン姉妹は多くの真理を理解していると思いました。その後、彼女は言いました:「ここ数回の集会で話した真理におけるこれらの側面は、世の終わりの全能神の働きを受け入れた後に、神の御言葉を沢山読んで理解したことです。全能神は主イエス様の再臨です。主は数百万もの真理を明らかにされ、巻物を開かれ、義が支配する性質を表され、神の家族を起点に裁きの働きをされ、神の経営計画における奥義全てを明らかにされました。全能神がこれら全ての奥義を明らかにされていなかったら、私たちは一生かけて聖書を読んでもこれらの真理を理解することはないでしょう。」これを聞いた私はびっくりして、こう思いました:「主イエス様が再臨された?全能神が主イエス様の再臨?私が最近聞いた内容は本当に東方閃電のあり方なの?」そして、私は思わずチェン姉妹にこう尋ねました:「あなたの説教の仕方は東方閃電によるものですか?」彼女は笑顔でこう言いました:「姉妹、私たちは東方閃電のことを耳にしたばかりです。東方閃電とは何なのかご存知ですか?東方閃電はどこから来たのですか?」私はどう答えて良いのか分からず首を振りました。

   チェン姉妹は続けてこう言いました:「私たちは分からないので聖書を調べて、主がこれについてどう仰っておられるか確認しましょう。聖書全体で、‘閃電’ は多くの聖句が言及しています、例えば:『あなたがたは春の雨の時に、雨を主に請い求めよ。』(ゼカリヤ書10:1)。『御座からは、いなずまと、もろもろの声と、雷鳴とが、発していた…』(ヨハネの黙示録4:5)。『ちょうど、いなずまが東から西にひらめき渡るように、人の子も現れるであろう。』(マタイによる福音書24:27)。これらの聖句より、’閃電’ は神がもたらすもので、神の働きおよび神の御言葉を指しており、’東方’ とは神が世の終わりの働きをなさる場所を指していることが分かります。今、全能神の国の福音は中国本土全体に広まっています。様々な分派と宗派から、真理を追い求め、心から神を求める人々が全能神の前に立ち返りました。数百万もの人々が神の御言葉を授かり、神の御言葉に裁かれ、清められ、救われ、そして完全にされ、神の素晴らしい御業の証言をしています。神は中国で克服者の集まりを作られ、神と心を1つにした人々の集まりを得られました。神の働きは神の栄光をもってついに完了し、東から中国、そして西の世界へと素早く移り渡っており、全能神教会は世界中の多くの主要な国々と地域で確立され、これは主イエス様がされた:『ちょうど、いなずまが東から西にひらめき渡るように、人の子も現れるであろう。』(マタイによる福音書24:27)、という預言を完全に成就しています。東方閃電については、神の御言葉の栄唱の動画を見ればもっと理解できるでしょう。」

   そしてチェン姉妹は神の御国の福音が全世界に広まることを預言した「7つの雷が轟く」という神の御言葉の栄唱の動画を再生し、この中には神の御言葉の次の節がありました:「宇宙の隅々までわたしはわたしの働きを行っている。東方では、雷のような轟音が終わることなく発生し、すべての国々や宗派を震わせている。すべての人々を現在に連れて来たのはわたしの声である。わたしはすべての人々がわたしの声により征服され、みなこの流れに落ち、わたしの前に帰服するようにする。わたしはずっと前に全地からわたしの栄光を取り戻し、東方で新たにそれを発したからである。…その時から、わたしは正式に人類へ入る、人々がわたしを礼拝するために。わたしから放たれる栄光とわたしの口にある言葉によって、人々はみなわたしの前へ来るようになり、稲妻が東方から閃くこと、またわたしが東方の「オリーブ山」に降ったことも知るようになる。彼らはわたしがずっと前からすでに地上にいたことを知り、「ユダヤ人の息子」ではなく、東方の稲妻だと知るだろう。なぜならわたしはずっと前に復活し、人々の中から去って、その後栄光と共に再び人々の中に現れたからである。わたしは幾時代も前に崇拝された神であり、幾時代も前にイスラエル人によって見捨てられた「赤児」である。それだけでなく、わたしは今の時代の栄光に満ちた全能神である。すべての者をわたしの玉座の前に来させ、わたしの栄光に満ちた顔を見させ、わたしの声を聞かせ、わたしの業を見上げさせなさい。これがわたしの心の全てである。これがわたしの計画の結末であり、クライマックスであると同時に、わたしの経営の目的でもある。すべての国々にわたしにひれ伏させ、すべての人にその言葉でわたしを認めさせ、すべての人にわたしを信仰させ、またすべての人がわたしに服従するようにしなさい。」私はこの動画を見てショックを受けました。この御言葉の文章全てが力と権威で満ちており、神のみが口にできる御言葉だったのです。神の御言葉は、東方閃電は世の終わりのキリスト、すなわち全能神の働きと御言葉を指していることを明確に語っています。主イエス様は真理を表して人間を救うために、既に受肉して私たちの間に戻っておられ、大勢の人々が主の御声を聞いて神に向かって立ち返りました。以前、牧師たちは東方閃電の道を聞いた大勢の信者たちが彼らに奪われてしまったと言っていました。しかし私は今初めて、神が奥義の全てを明らかにされたので、心から神を信じる人々は神の御言葉を聞いた後に征服され、神の前に立ち返ったのだと理解しました。これで私はやっと全能神が主イエス様の再臨であると認識しました。私は主が本当に戻られていたとは決して思っていませんでした。さらに、私は主の来臨に巡り合う機会をいただき、そのため、本当に恵まれていたのです。私は神が私をお導きくださったこと、そして神の御声を聞いて、主の再臨をお迎えできるようにしてくださったことに感謝しました。そして、私は喜んで神の新たな働きを受け入れました。

   その後、私は時間さえあれば、神の御言葉を読み、讃美歌を聞き、全能神教会の様々な動画を見ました。私は兄弟姉妹たちと集まって交流もしました。しばらくした後、わたしのいのちの成長は明らかで、私はここ3か月で主への5年間の信仰を通じて得た以上の真理を理解しました。私は神の働きをより深く知っただけでなく、本来持っていた信仰と愛を取り戻し、もう一度聖霊の働きと御指導を感知することができました。神に感謝します!今後、私は勤勉に真理を求めて行きます。私はどのような困難に直面しようとも、断固として最後まで神について行きます。


聖書の勉強会で受けた良い知らせ (I)

2019-05-27 12:30:33 | 真のキリストと偽キリスト

   現在、兄弟姉妹の多くは偽キリストに騙されることを懸念して、軽い気持ちで説教を聞かないようにしています。しかし、このように心を閉ざし、自分の殻に閉じこもってしまうと、私たちのいのちの成長が遅れてしまい、主をお迎えする機会を逃し、最終的には主から見捨てられてしまいます。実際、偽キリストを見極めるための原則を理解してさえいれば、自然と彼らに騙されることはありません。聖書の勉強会に参加した後、私は偽キリストを見極めるための原則を理解しただけでなく、良い知らせまで受けました。

   2018年3月、リー姉妹と私は弱気になっていた姉妹を訪ねに行きました。この姉妹の家に着くと、そこにはたまたま彼女の姪もいました。お互いに自己紹介した後、私は彼女の姪であるチェン姉妹も主の信者であることを知り、私たち4人は一緒に交流しました。会話の中で、私はチェン姉妹の交流には見識があり、彼女の言葉には啓蒙が込められているように感じました。その後、チェン姉妹が私たちは一緒に聖書を勉強するべきだと提案しました。残りの私たちも快く賛成しました。そして、私たちは世の終わりのしるしに関する聖句を一緒に読んで交流しました。チェン姉妹の交流を通じ、私はこう理解しました:「現在、主の信者たちは世俗的なものを固持し、彼らの信念と愛は冷めてしまいました。牧師と長老たちは陳腐な決まり文句を説き、お互いを陥れようと画策し合い、お互いを嫉妬し合って、口論するといった始末です。これらは教会の荒んだ状態を示しており、世の終わりのしるしでもあります。また、4つのブラッドムーンに関する預言の成就やありとあらゆる災害の発生等、こういった世の終わりのしるしも現れました。私は今が世の終わりで、主が近々来臨されることになるとは思ってもいませんでした。こう考えていると私は興奮しました。以前教会で牧師たちがこれらの聖句の説明をするのを聞いたことがありましたが、彼らはこの姉妹がしたほど明確には説明しておらず、私はこのような切迫感を感じたことはありませんでした。私はチェン姉妹がこんなに若くしてこのような新鮮で説得力のある交流ができるとは思っていませんでした。私はこれに注意深く耳を傾ける必要がありました。

   次に、チェン姉妹は聖書の預言の内容を取り込んで主が再臨される方法について、主が裁きの働きをするために再臨されることについて、そして神の裁きの重要性等について交流しました。私は楽しみながらこれに聞き入ってこう理解しました:「私たちが絶えず罪を犯す理由は私たちの中に依然として罪深い本質が存在しているからです。だからこそ、主は世の終わりに私たちの堕落した性質を清めて、私たちを罪から救うために裁きの働きをすることを預言されたのです。私は姉妹の交流を聞けば聞くほど、増々それが啓蒙的であると感じました。私は長年に渡って教会で説教を聞いてきましたが、これほど明快な説教を聞いたことはありませんでした。その後、チェン姉妹は沢山の踊りと歌の動画、讃美歌の動画、栄唱の動画、そして写生も見せてくれました。これらは新鮮で、私は今までこのようなプログラムを見たことがありませんでした。讃美歌の動画は私が教会で見たものよりも内容がかなり良く、特に「神への愛着」や「最後までお伴いたします」は歌詞がとても素晴らしく、まるで私の心の中が読まれているようでした。私はこれらを聞いて感動しました。気が付くと、もう夜遅くなっていたので、私たちは次回聖書を学ぶ日を決めました。家に帰る道中、私は胸の中で幸せを感じながら主を讃える讃美歌を口ずさみ、次の勉強会を楽しみにしました。

聖書の勉強会,受け,良い知らせ

   自宅に帰ってから集会で聞いた交流のことを考えていると、私は多くを学び、以前理解していなかった多くの聖句をより深く理解した気がしました。突然、この考えが頭に浮かびました:「チェン姉妹が説いていたのは東方閃電のあり方かしら?」牧師たちは東方閃電はとても高慢な説教をするから耳を傾けてはいけないと何度も私たちに注意していたのです。この時、私はとても心配になり、心の中で激しく葛藤しました:「私の考えていることが正しいとしたら、次の集会には行くべきかしら?でも、チェン姉妹の交流は牧師たちの説教とは違って本当に啓蒙的だわ。しかも、彼女の交流内容は聖書に基づいていて、私の心を喜ばせてくれる。これは実際に感じている気持だわ。これら全てが彼女の交流には聖霊の働きが宿っていることをはっきりと示しているわ。これはいけない。私はやみくもに牧師の言うことを聞くべきではないわ。主イエス様が本当にお戻りになっているのに、主の御言葉を聞かないでいたら、私は主をお迎えする機会を逃してしまうし、そうしたら私は一生後悔することになるわ。」こうして、私は次の集会に参加することにしました。

   集会の場で、私はチェン姉妹に自分の不安を話しました:「今教会で、牧師たちは世の終わりに偽キリストが人々を騙すから、私たちは軽い気持ちで説教に耳を傾けるべきではなく、そうでないと簡単に騙されてしまう。だから、私たちは騙されないように他のどの説教も聞くべきではないと私たちにしょっちゅう言っています。」

   チェン姉妹はこう言いました:「聖書の中で、ヤ―ウェ神はこう仰りました:『心を弱くしてはならない、この地で聞くうわさを恐れてはならない。⋯』(エレミヤ書 51:46)。 聖書にはこの記述もあります:『というのは、神がわたしたちに下さったのは、臆する霊ではなく、力と愛と慎みとの霊なのである。』(テモテヘの第二の手紙 1:7)。この聖句から、神は私たちに力強く勇敢な心を与えてくださったことが分かります。神が一緒にいてくださる時、私たちは何も恐れなくていいのです。なぜなら、神は全能であり、この世界にある全てが神の御手にあるからです。臆病さと恐怖感はサタンからくるものですが、私たちは神を心に抱いていなければ、臆病になり、恐れを感じてしまいます。サウル王に起こったことと同じです。彼は神を心に抱いていた時は全ての戦いに勝利したことがありました。しかし、彼は神に反抗して神から見放され、巨人が相手となった時は心の中でとても小心になり、軍の間に否定的な状況を作り上げてしまいました。ダビデは武器を持たぬただの羊飼いの少年でしたが、彼は心に神を宿らせ、敵軍がどれだけ狂暴であっても神の主権の下に留まりました。これ故に、彼は巨人と対戦した時も恐れませんでした。臆病さと恐怖感はサタンからくるのです。臆病になったり、怖いからといって真の道に耳を傾けることを拒否していたのでは、サタンの策略にはまってしまったことにならないでしょうか?私たちは、『耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。』 (ヨハネの黙示録2:7) 、という言葉がヨハネの黙示録で何度も言及されていることを誰もが知っています。これは聖霊による御啓示であり、また真の道を調査する上で、私たちは神の御要望を理解できるよう、耳を傾け、理解し、そして判断することを促す神からの注意喚起でもあります。また、聖書には次の記録もあります:『したがって、信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉から来るのである。』(ローマ人への手紙10:17)。この聖句から、歩む道に関する神の御言葉を聞いて調査することは真の道を信じるための必須条件であることが分かります。最初に主の福音を聞いていなかったら、私たちは主の前に来れたはずがないのです。他の人たちが説く道を聞き、それを調査した後に初めて、それが真の道であるのかどうかを判断することができます。主の羊は主の御声に耳を傾けるのです。これ故に、私たちはそれを聞いた後に初めて、それが主の御声であるのかどうかを知り、主の再臨をお迎えする機会を得ることができます。神は私たちの拠り所であり、支えなのです。それでも、私たちは何かに恐れる必要などあるでしょうか?」チェン姉妹の交流はとても合理的でした。主は全能なのです。主に支えていただきながら、私は一体何を恐れていたのでしょう?この時、私は心が落ち着き始めました。

   チェン姉妹は続けてこう言いました:「そのとき、だれかがあなたがたに『見よ、ここにキリストがいる』、また、『あそこにいる』と言っても、それを信じるな。にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。見よ、あなたがたに前もって言っておく。」 (マタイによる福音書24:23-25). 主はこう仰った時、私たちが主の再臨を待つ際には注意深く、識別力を持つことを意図されていたのです。そして、主は私たちが騙されてしまう時のために、大きなしるしと不思議な業を見せるという偽キリストの性質について語られました。しかし、主は、世の終わりに偽キリストが現れるからと言って、私たちが耳を傾けず探求もしないといった態度を取ることを意図していたわけではありません。主はすぐに来られると仰っています。偽キリストに騙されることを懸念して主の再臨の福音を説く者全てを避けたり、拒否するということは、自分の扉を閉ざして孤独に待ち続けたり、喉を詰まらせることを恐れて食事を拒むようなものではないでしょうか?そんなことをして、どうして主の再臨をお迎えすることができましょうか?実際、偽キリストから騙されないでいるのはとても簡単なことです。私たちは真キリストと偽キリストを見極める真理を理解してさえいれば、自然と偽キリストに騙されることも、主の来臨をお迎えする機会を逃すこともないのです。ならば、どうすれは偽キリストを見極めることができるのでしょうか?次に、真理のこの側面について交流しましょう。」

   私はチェン姉妹の言った言葉1つ1つに筋が通っていると思いました。確かに、偽キリストに騙されることを恐れ、消極的になって主がお戻りになったと言う者全員を防いでいたら、私たちは主の来臨をお迎えする機会を逃してしまうのではないでしょうか?偽キリストを見極めることができれば、彼らから騙されることなど心配しなくてもいいのです。これ故に、チェン姉妹が真キリストと偽キリストの見極め方の真理について交流すると言った時、私はもっと注意深く耳を傾けました。