賛美の心

こちらでは賛美、礼拝、心を主の前において静まり、まことの心で神様を賛美することだけです。

偽キリストを見分けることを学んでこそ、主を迎えることができる

2020-07-13 23:30:01 | 真のキリストと偽キリスト

   【編集者メモ】聖書には終わりの日には偽キリストが現れるという預言があります。では、主の再来を迎えつつ、偽キリストに警戒するにはどうすればよいでしょうか。用心して物事を避けるべきでしょうか。それとも神の声に注意深く耳を傾けるべきでしょうか。真偽を見分けるのが難しい時代に、主が来ると知らせる説教を聞いたときは、賢い乙女になり積極的に追求して調べるべきです。それが主の再来の迎え方です。

寄稿家:同心(マレーシア)

 今までに偽札を受け取ったことはありますか。多くの人が「ある」と答えるでしょう。私たちは偽札がはびこる時代に直面しているわけですが、偽札を受け取るのが怖いからといってお金を拒みますか。もちろん、拒まないでしょう。本物のお札と偽札とを見分けることができれば、むやみに警戒しなくてよいからです。では、主の再来を深く切望しているクリスチャンはどうでしょうか。偽キリストの出現問題をどのように扱うべきでしょうか。用心して物事を避けるべきでしょうか。それとも神の声に注意深く耳を傾けるべきでしょうか。このことは私たちが主を迎え入れられるか否かに関わっています。私はかつて偽キリストにだまされるのを警戒し、あやうく主を迎え入れる機会を逃すところでした。

   2017年12月のある日、叔母が教えに光があるからと言って、オンライン集会に誘ってくれました。叔母はその集会で、それまで聖書の中には答えが見つからなかった真理を幾つか理解し、神様の働きについてもある程度分かるようになったのでした。叔母はまた、私の従姉妹もこのオンライン集会に二年前から参加していると言いました。オンライン集会について聞き、興味がわいたので、私は迷わず誘いを受けました。初めて参加したときは時間がなく、簡単な会話だけで私は退出しました。後で叔母はこの教会は違うといつも繰り返し、嬉しそうに言いました。

   「主が戻って来られたのよ」

   「主が戻って来られたって?」

   この突然の知らせに私は驚いて目を見張り、叔母に尋ねました。

   「本当に?主はどこにいらっしゃるの?教えて」

   でも叔母は参加し始めてまだ二か月だったので、はっきりと説明できませんでした。姉妹の一人に聞くのに、次の集会を待たなくてはなりませんでした。

 

 

   その次のオンライン集会で、姉妹は主の再来に関係する預言をいくつか結びつけ、主イエスが既に再来しておられ、人類を裁き清めるため言葉を表す働きをするために受肉して来られていることを私に証ししてくれました。姉妹はさらに、神様の経営計画の目的、神様はいかにして人を救ってくださるのか、サタンはいかにして人類を堕落させたのか、人類はどうすれば罪を逃れて救いを得られるのか、人類の終着点といった真理の側面について私に話してくれました。神様の御言葉には権威と力があり、そのすべては真理であり神様の御声なのだと思いました。私の心はこの説教には聖霊の働きがあることを立証していました。なぜなら、これほど光を照らす説教ができる教派はないからです。それ以来、集会があるたびに仕事を終わらせるとまっすぐ叔母の家に行って姉妹の説教を聞きました。

   ある日の集会で、姉妹が讃美歌のビデオ「神は始まりであり、終わりである」を見せてくれました。ビデオの中の風景は荘厳で、出演している兄弟姉妹は生き生きとした声で歌っていました。歌詞も神様が所有するものと神様そのものを見事に解釈していました。私にとってそれは全く新しい体験でしたが、その画像はまるでどこかで見たことがあるかのように妙に懐かしく感じるのでした。それから姉妹は神様の名前について説教してくれました。神様は全能神という名を使って、終わりの日の人類の裁きと清めの働きをなさると言うのです。全能神の名前を聞いたとき、親しみの感覚はさらに強まりました。集会後、帰宅してWhatsAppを開きメッセージをチェックすると、所属教会の陳姉妹から「東方閃電の説教を聞いてはいけない」という注意書きと共に全能神教会のビデオが送られてきていました。私は「陳姉妹は何年も主を信じ、とても敬虔な信者に見えるのに、なぜ全能神教会の説教を聞かせたくないのだろう」と考えました。戸惑った私は、他に姉妹が送ってきたものを見てみました。それはすべて全能神教会を非難し、中傷する否定的なプロパガンダで、「5月28日の山東省招遠市の事件」の情報もありました。それを読んだ後、少し不安になりました。聖書に終わりの日には偽キリストが現れると書いてあったのを思い出し、私にはそれを見分けられないだろうからです。陳姉妹は長く主を信じていましたから、理由もなくこのようなものを送ってくるはずがありません。叔母はまだ主を信じて短い上、全能神教会と関わり始めてまだ二か月です。私は叔母が真理を理解していないために間違ったものを信じているのだと大変心配になりました。その夜、ベッドで横になりながら、何度も寝返りを打ちました。大きな葛藤を覚えたのです。私を導き、見分ける力を与えてください、と主に祈り求めました。

   翌日、5月28日の山東省招遠市の事件のビデオを叔母に送り、懸念を伝えました。

   「主イエスはおっしゃいました。『そのとき、だれかがあなたがたに「見よ、ここにキリストがいる」、また、「あそこにいる」と言っても、それを信じるな。にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。』(マタイによる福音書24:23-24) 終わりの日には偽キリストと偽預言者が大勢現れて人をだますから、引きずり込まれないように気をつけなくては」

   叔母は私の注意に取り合いませんでした。その夜、仕事の後、叔母が私の店に立ち寄って調べ続けるようにと説得してきましたが、私はだまされるのではないかと恐れて断りました。でも叔母はもっと話を聞くべきだと言い張り、電話で私と交わるようにと従姉妹に連絡したのです。従姉妹は言いました。

   「全能神が表された御言葉を読むと、それは力強い真理の施しであると、どんな人もこのような言葉を表すことはできないと感じるの。私たちの心は全能神教会には真理と聖霊の働きがあると立証している。それならば、なぜ調べるのをやめなきゃいけないの?疑念があるなら、追求して調べればいい。でも調べるのを止めるわけにはいかないのよ」

   私は、「従姉妹は全能神を二年前から信じているけれど、何も変なことは起きていない。それなら、私ももっと話を聞いてみよう」と考えました。

   オンライン集会に出ると、姉妹が言いました。

   「神様の働きを調べるときは、中国共産党の嘘と噂をもとに調べるのではなく、第一に全能神の働きが神様の現れと働きであるかどうか、そして全能神が表される御言葉が真理で神様の声であるのかどうかを調べなければなりません。中国共産党が何年も嘘をでっち上げて人々をだましてきたこと、その名は中国でも海外でも嫌悪されていることを、私たちはみんな知っています。中国共産党の本質を見通せる人の数は世界で日々増えていますし、もはや誰も党を信頼していません。中国共産党は無神論の党でもあり、何よりも邪悪で神に抵抗しています。また一党制を敷いていて、大小問わず、あらゆる組織、機関を支配していて、それぞれが中国共産党の専制を守るためにものを言い、活動しなければならないのです。中国共産党の法廷に司法の独立という概念はありません。中国共産党の判事に自主性はなく、中国共産党の指示に従って行動しなければなりません。『5月28日の山東省招遠市の事件』の審議をしたのは中国共産党の法廷です。公平で正当だったなんてことがあり得ますか。『5月28日の山東省招遠市の事件』の裁判のあいだ、容疑者は全員、『全能神教会に関わったことはなく、何のつながりもありません』、『国が厳しく取り締まっているのは趙維山の全能神であって、私たちの「全能神」ではありません』と法廷で明言しました。容疑者の誰一人として全能神教会の会員であるとは認めていません。ではなぜ中国共産党の判事は容疑者たちが教会員であると主張したのでしょうか。中国共産党が宗教的信仰を攻撃するために全能神教会を中傷していることは誰が見ても明らかでしょう」。

   姉妹はさらに「五二八山東招遠事件」と題されたビデオを送ってくれました。

   帰宅してからビデオを開いて見たとき、 私は不意に悟りました。容疑者の誰一人として全能神教会の会員だとは言っていません。そして殺人現場には疑わしい点があったのに、中国共産党の法廷は問題を取り調べて明らかにしませんでした。代わりに、全能神教会に犯罪のぬれ衣を着せました。この事件は中国共産党が全能神教会を攻撃し、抑圧するためにでっち上げたのは明らかです。思考力と理性のある人なら誰でも、これもまた中国共産党の仕掛けだということが分かります。それでも私は噂を聞いたので、終わりの日の神様の働きを調べるのを止めたかったのです。叔母が全能神を信じるのを止めさせたいとさえ思いました。私はまったくの無知でした。私を見捨てず、姉妹の真理についての説教を使って私に判断力を授けてくださった神様に心から感謝しました。それがなければ、主の再来を迎える機会を失っていたはずからです。

   翌日、オンライン集会に行くと待ちきれずに姉妹に聞きました。

   「聖書には終わりの日に偽キリストが現れて人々をだます、と書いてあります。どうすれば真のキリストと偽者とを見分けられるのですか」。

   姉妹はこのような説教で答えました。

   「私たちはみんな、終わりの日に偽キリストが現れるのを恐れています。そのため偽キリストに警戒することに集中してしまい、いかに賢い乙女でいるかに注力したり神様の声を聞いたり、主が終わりの日にお働きになるために再来なさるときにお迎えしたりするのを忘れてしまうのです。代わりに自分の観念と想像に固執し、主の再来を証言する人は誰でも偽者であると信じるのです。そのような人たちが主イエスが戻ってこられると信じていると本当に思いますか?そんな人たちは主イエスがお話になっていた愚かな乙女ではないでしょうか?主が偽キリストが現れると仰るのは、私たちに否定的になって警戒してほしいからではなく、偽キリストの見分け方を学んでほしいからだ、というのが真理です。終わりの日に神様がお表しになる真理がそうする道を与えてくれます。最初に全能神の御言葉から一節を読みましょう。

   『このようなことを考察するのは難しいことではないが、わたしたちそれぞれにこの真理を知ることが要求される。受肉した神は神の本質を有し、受肉した神は神による表現を有する。神は人間の姿になるので、なすべき働きを打ち出し、神は人間の姿になるので、自分が何であるかを表して、人に真理をもたらし、人にいのちを与え、人に進むべき道を示すことができる。神の本質を含んでいない肉体が受肉した神ではないことは間違いなく、これについて疑う余地はない。受肉した神かどうか調べるためには、その人が表す性質や話す言葉からそれを決めなければならない。つまり、人間の姿になった神かどうか、それが真の道かどうかは、その人の本質から判断しなければならない。そこで、人間の姿になった神かどうかを決定するとき[a]、鍵となるのは、外見よりもむしろその人の本質(働き、言葉、性質、その他いろいろ)に注意を払うことである。』

   神様の御言葉は明確に、神様の受肉された肉体が神様ご自身の働きを行なうことができると言っています。それは真理を表し、人に実践の道を与えることができます。たとえば主イエスは、人類を贖うべく、ユダヤ人の中で生活して天国の福音を説き、悔い改めの道を示し、弟子たちを自ら教え、牧するために肉となって来られました。その働きを見れば、主イエスは真理であり、道であり、いのちであることが分かります。同様に、終わりの日の全能神は何百万語もの真理の御言葉をお表しになっていて、それにより神様の六千年の経営(救いの)計画の奥義や、三段階の働きの真の本質、受肉の奥義といった真理の側面が人に明らかにされています。そして、神の家から始まる人類を裁く働きの新段階を始められたのです。これは人類が完全に罪の束縛から逃れ、救いを得て、天国に入れるようにするためです。偽キリストの本質は悪霊の本質です。それらには一切真理がなく、ましてや真理を表すことなどできません。できるのは正誤をかき乱す嘘と人を騙す愚かな理論を口にすることだけです。そしていくら自分がキリストであると主張しても、キリストの本質を持っていないのです。誰かが受肉した神であるかどうかは、神様の働き、言葉、神様が表される性質から判断できます。なぜならキリストだけが真理であり、道であり、いのちだからです」

   姉妹の説教を聞いた後、私はずっと明るい気持ちになり、興奮して言いました。

   「以前はキリストの本質を知らなかったので、偽キリストを見分けられませんでした。でも今やっと、キリストが真理であり、道であり、いのちであるということ、そして受肉なさった神様であるキリストには神様の御言葉を表し、神様ご自身の働きを行うことができるということを理解しました。キリストの本質は神様だからです。でも偽キリストには真理がなく、愚かな理論を話して人をだますことしかできません。偽者には一切真理を表すことはできないんです」

   そして姉妹に言いました。

   「真理のこの側面についてもっと話していただけませんか」

   姉妹は微笑んで言いました。

   「あなたには真理を切望し、探し求める心がありますね。だから、きっと神様の導きを受け取れますよ。神様の御言葉から別の箇所を読みましょう。

   『この時代に、しるしや不思議を起こせる人が現れ、悪霊を追い払い、癒やし、多くの奇跡を起こし、またその人がイエスの再来であると主張したなら、それは悪霊が偽ってイエスのまねをしているのである。これを覚えておきなさい。神は同じ働きを繰り返さない。イエスの段階の働きはすでに完了し、神は二度と再びその段階の働きをしない。神の働きは人間の観念とは相容れない。たとえば、旧約はメシアの到来を予言した。それでイエスが来たのだ。だから、別のメシアがまた来るというのは、間違っている。…もし終わりの日に神がしるしや奇跡を示し、まだ悪霊を追い払ったり癒やしたりしていたら──それならば、神はイエスの働きと同じ働きを繰り返していることになり、イエスの働きは無意味で無価値ということになる。だから、神は、時代ごとにひとつの段階の働きをするのだ。ひとたびその段階の働きが完了すれば、すぐさまそれを悪霊がまねをし、サタンが神のすぐ後ろからついていく。神は方法を変更する。一度神がその段階の働きを完了すると、悪霊がまねをする。こうしたことを理解しておきなさい。』

   神様の御言葉から、神様はいつも新しく、決して古びないこと、そして神様は働きを繰り返されないことが理解できます。サタンには神様が過去になさった働きを真似ることしかできませんが、神様はさらに新しく、高度な働きをなさいます。たとえば、主イエスが働きのために来られたとき、恵みの時代を始め律法の時代を終わらせられました。主イエスは病を癒し、悪霊を追い出すといったたくさんの神様のしるしと不思議を人々にお示しになり、人に豊かな祝福と恵みをお与えになり、最後には、人類の罪を贖う捧げものとして十字架にかけられ、それによって全人類の贖いの働きが完了なさったのです。私たちは主イエスの贖いの働きを受け入れ、罪は赦されましたが、罪の束縛から自由ではありません。もしまた主が来られて、病を癒したり、悪霊を追い出したり、神のしるしと不思議を示るといったことを再びなさったならば、私たちはどうして罪の束縛から逃れることができるでしょうか。主イエスによる贖いの働きの基盤の上に、全能神は次の段階の働きをなさっているのです。それは人類を清めるための裁きの働きであり、人のいのちの性質を変える道を指し示し、サタンの影響から完全に人類を救い、私たちが罪の束縛から逃れ、神の救いを得られるようにするのです。また、偽キリストには新時代を始めたり、旧時代を終わらせたりする働きはできません。主イエスが復活なさり、天に昇られてから、偽キリストが真理を表し罪から逃れる道を示すのを私たちは見たことがありません。なぜなら、偽キリストには神の本質、権威、力がないからです。偽キリストは主イエスが行われた簡単な働きの真似をし、しるしと奇跡を現して人をだますことはできますが、死からよみがえったり、五つのパンと二匹の魚で五千人を食べさせたりといった主イエスがなさった神の権威と力を持つ聖なる奇跡は、偽キリストには決して真似できないのです」

   私は同意してうなずきました。

   「そうですね。神様はご自身の働きを繰り返されません。神様の働きの各段階は前段階の働きの基盤の上に打ち立てられて、一段一段、進められます。律法の時代には人は律法により断罪されて死ぬ危機にあったので、人類を死から救うため、主イエスが自ら受肉して来られ、贖いの働きをなされ豊かな恵みを人々に与えられたのです。人類が主イエスの救いの恵みを受け入れたとき、神様の祝福を受け取ったけれど、罪深い本性からは逃れられていません。終わりの日に、神様は神の家から始めて裁きの働きを行ない、私たちの堕落した性質を清めて罪の束縛から逃れられるようにする裁きの言葉を表するために受肉して来られたのですね。偽キリストには真理がないので、時代を始めたり締めくくったりする働きはできませんし、私たちをサタンの暗闇の影響から救うことも、神様の救いをもたらすこともできません。神様が過去に行なわれた奇跡の真似ができるだけです」

   その後、姉妹は真理のたくさんの側面について説教してくれました。話を聞いて私はすっかり興奮し、全能神は主イエスの再来だと確信したので、神様の終わりの日の働きを受け入れました。私は陳姉妹のことを思いました。彼女は主を何年も信じ主の再来を待ちわびているのに、中国共産党の噂と嘘のために全能神の終わりの日の働きを調べていません。私はとにかく彼女にこの良い知らせを伝えたくてたまらなくなりました。

   家に帰るとすぐに陳姉妹にメッセージを送り、オンラインで見た噂は、全能神教会を中傷し、攻撃するために中国共産党がでっち上げたものであること、中国共産党の嘘と噂をむやみに信じるべきでないこと、終わりの日の神の働きも調べるべきであることを伝えました。ところが驚いたことに、彼女は調べることを拒んだだけでなく、引き続き否定的なビデオを送ってきては、全能神教会を裁いてとがめ、こう言ったのです。

   「世界にはたくさんの偽キリストがいるのだから、不注意に信用するべきじゃない。あなたは主を信じてまだ日が浅いから、見分けられないのよ。私は長い間、主を信じてきた。本当に私が間違っていると思うの?」

   私は姉妹を説得しようと、こう言いました。

   「偽キリストに気を付けるのは正しいことだけれど、否定的になって警戒ばかりして、主の現れと働きを調べるのを拒んでいたら、神様の救いを失う危険を冒すことになるんじゃない?主はまた来る、と言われた。これはつまり、終わりの日に再来するということ。全能神は本当に再来した主イエスよ。全能神の御言葉を読めば読むほど、神の声が聞こえてくるはずよ」

   私が何と言っても姉妹は聞こうとせず、むしろ頑固に自分の観念にしがみつくのでした。私はとても落胆しました。

   ある日、私はこの神様の御言葉を読みました。

   「イエスの再臨は、真理を受け入れることのできる者には大いなる救いであるが、真理を受け入れることのできない者にとっては、罪に定められるしるしである。あなたがたは自分自身の道を選ぶべきで、聖霊を冒涜したり真理を拒んだりすべきではない。あなたがたは無知で傲慢な者でなく、聖霊の導きに従い真理を慕い求める者にならなければならない。そうすることでのみ、あなたがたの益となる。わたしはあなたがたに、注意深く信仰の道を歩むよう助言する。結論を急いではならない。さらに、あなたがたはうわべだけ神を信じたり、気楽に信じたりしてはならない。少なくとも、神を信じる者は謙虚で畏敬の念に満ちているべきだということを知らなければならない。真理を聞いたことがありながら鼻であしらうものは愚かで無知である。真理を聞いたことがありながら不注意に結論を急いだり非難したりする者は、おごりで包まれている」

   そうです、神様は注意して信仰の道を踏みしめるよう助言していらっしゃいます。私たちは神を畏れる心を持ってその働きを考え、真理を追求することを学ばなければなりません。そして自分の傲慢な性質ゆえに不注意に神様の働きを裁いたり、非難したりしてはいけません。陳姉妹のふるまいがどれほど神様の言葉に反しているかを考えました。その態度には終わりの日の神様の働きに対する謙遜さも、追求したいという熱意もありませんでした。主が再来したと聞いたとき、姉妹には真理を求めたいという願いが全くありませんでした。代わりに自分自身の傲慢な性質に耳を傾け、神様の働きを裁いてとがめるほど頑固に自分の観念と想像に固執しています。これはまさに神様の御言葉で明らかにされている傲慢さではないでしょうか。

   私が神様の御前にたどり着くまでの経緯を思うと、自分が実に幸運だったことが分かりました。神様は私を哀れに思い、姉妹が神様の新しい御言葉について忍耐強く私に説教してくれるようにしてくださったのです。私が神様の働きを理解し、神様の足跡を追いかけるようにするためです。同時に、謙遜に真理を追求し切望する者だけが神様の声を聞けるのだと気づきました。


真の教会と偽の教会を識別する二つの道は、あなたが真の教会を見つけるように導く

2020-05-11 11:15:45 | 真のキリストと偽キリスト

   【編集者メモ】今、災害が至るところに起こり、聖書の中にフィラデルフィアの教会だけが災いの前に携挙されると預言されています。携挙される教会こそ真の教会です。では、私たちは真の教会と偽の教会をどのように区別するのか。どのように真の教会を見つけるのか。この文章はあなたを連れて一緒に探究しましょう。

 

   主イエスはかつてご自身が戻られる時のしるし、「民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちに、ききんが起り、また地震があるであろう。しかし、すべてこれらは産みの苦しみの初めである。」(マタイによる福音書24:7~8)を預言されました。今、災害がますます大きくなり、飢饉、地震が既に起こり、疫病、火災、洪水も続々降りかかっています。例えば、2019年12月に、中国武漢で発生した新型コロナウイルス肺炎は、人を驚かすほど迅速に広がり、僅かな2ヶ月間全世界に蔓延しました。オーストラリアでの森林火災は半年近く燃え続け、数億匹の動物が焼死、その後70万匹のコウモリがオーストラリアの各都市に侵入しました。東アフリカで25年ぶりの最も深刻な蝗害に遭遇し、数千万人が糧食の危機に直面しました。今年1月7日に、プエルトリコで102年以来最も強い地震に襲われ、全国三分の二の地域が停電の状態になりました。1月28日に、北アメリカのカリブ諸島で7.7震度の地震が起こりましたなど。これらは皆、主の再来の預言が既に実現されたことを示しています。多くのクリスチャンは皆、主が既に戻られたはずだと思っています。

 

 

   私たちは知っている通り、主が再来される時、聖書の中にフィラデルフィアの教会だけが災いの前に携挙され、ラオデキヤ教会が主に捨てられる教会だと預言されています。言い換えれば、私たちは災いの前で携挙されたいなら、神様の心に適う教会を見つけるべきです。多くの人は牧師の説教は光がなく、信者の信仰心が冷え、飲食と快楽を論じ合い、世界の流れに従うことを見て、教会堂が偽の教会であるなら、主が再来される時に捨てられるのを心配しています。しかし、ある人は教会堂が人気かつ盛んであり、聖書の知識の競争活動、聖餐、パンをさく会を開き、いろいろな祝日の祝いで雰囲気がとても活気があり、偽の教会であるはずがないと思っています。それでは、私たちは真の教会と偽の教会をどのように区別するのか。どのようにして真の教会を見つけるのか。次はこれらの話題について交わります。

 

真の教会と偽の教会への区別一:教会には聖霊の働きがあるかどうか、信者は真理を追い求めるかどうか

   聖書にはこう言われています。「今わたしはわたしの名をながくここにとどめるために、この宮を選び、かつ聖別した。わたしの目とわたしの心は常にここにある。」(歴代志下7:16)また主イエスは言われました。「また、よく言っておく。もしあなたがたのうちのふたりが、どんな願い事についても地上で心を合わせるなら、天にいますわたしの父はそれをかなえて下さるであろう。ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである。」(マタイによる福音書18:19~20)ここから分かるのは、真の教会は聖霊の働きがある教会であり、真心で神様を信じ、真理を追い求める人によって構成され、ある程度は真理を慕い求める人です。彼らはあらゆることに置いて神様の意図を尋ね求めることを重視し、神様の言葉を実践して経験し、神様の心を満足させることを追い求め、そのため、必ず常に聖霊の働きを得られるリーダーであり、集会や交わりは聖霊の啓示と照らしがあり、いのちが絶えず成長し、そして誤った時、神様の叱責と鍛錬が伴い、神様への敬う心を持っています。当時の神殿のように、ヤーウェ神の栄光に満ちているから、人々は敢えて勝手気ままに悪事を働かず、ヤーウェ神に対して敬う心を持ち、神殿の中で規律正しく神様を礼拝し、誰もが敢えて律法に背くことができませんでした。このような教会の中で集会をすれば、人々の信仰心といのちが成長を続けるのです。偽教会では必ず聖霊の働きがなく、牧師の説教は昔のことを蒸し返して、新しい光がなく、信者は真の注ぎと供給を得られないので、皆弱くなって消極的になり、信仰心が冷え、集まってもどのように神様の言葉を実践するかを交わらず、皆が真理と関係ないことを論じ合い、名目だけの信仰であり、このような教会は神様の承認を全く得られないのです。

   今多くの教会堂に、牧師や長老たちが説教するものは皆が聖書の知識、霊的理論で、信者の実際の困難を全く解決できません。集会をする人がますます少なくなり、信者はお金を稼ぐことに忙しく、官能的快楽を渇望するが、重大な危険や事故に臨む時に教会堂へ行き始め、実は真心で真理を尋ね求めるのではなく、多くの人は皆恵みや平安を得るためです。また多くの信者は集会をして真理を交わる時に元気がなく、教会で様々な会食や活動を開催すると元気になり、彼らほとんどの人は、ただにぎやかにするだけであり、或いは人脈を広げ、人間関係を築き、商品を売りさばくためなどです。皆さんは一緒にいて食べるものや着るものを比べ、霊的いのちのことを交わらず、少しも神様を敬う心がなく、このような教会はいくら人が多くても、外見は賑やかであっても、停滞して変化のない場所であり、神様の祝福と導きがなく、偽の教会なのです。律法の時代の末期の神殿のように、牛や羊、鳩などを商売する場所になり、もはや神様を礼拝する場所ではなく、神様に嫌われ捨てられる強盗の巣になり、主イエスが彼らを叱られた通りです。「『わたしの家は、すべての国民の祈の家ととなえらるべきである』と書いてあるではないか。それだのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしてしまった。」(マルコによる福音書11:17)そのため、真の教会と偽の教会を見分けるには、この教会は聖書の働きがあるかどうか、教会は真理を愛する人と真理を追い求める人によって構成されたかどうか、皆さんは神様を礼拝することや神様の心を満足させることを追い求めるかどうかを見極めるべきです。真心で神様を信じ、神様の言葉を実践する人によって構成される教会こそ真の教会であり、神様に承認されるのです。もし、一群の真理に興味のない人が集まったら、いくら人数が多くても、外見の勢いが強くても、偽の教会に属し、早かれ遅かれ神様に見捨てられるのです。神様がヨハネを啓示されラオデキヤの教会への手紙「わたしはあなたのわざを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。このように、熱くもなく、冷たくもなく、なまぬるいので、あなたを口から吐き出そう。」(ヨハネの黙示録3:15~16)のようです。

 

真の教会と偽の教会への区別二:教会は真理が支配するものなのか、それとも偽牧者が支配するものなのか

   真の教会と偽の教会への区別にはとても肝心なことであり、それは教会は真理が支配するものなのか、それとも偽牧者が支配するものなのかということです。教会は神様の働きによって生まれ、もちろん神様が支配するものであり、真理が支配するものです。もし、教会のリーダーが真理を追い求める人であるなら、彼は神様の心に配慮し、あらゆることにおいて神様を高く掲げ、神様を証しし、神様の言葉を実践、経験するように信者を導き、人々を神様の前へ導き、そして、信者が心の中で神様を最も大いなるものとして崇め、あらゆることにおいて神様の意図を尋ね求め、神様の言葉によって実践し、絶対に盲目でリーダーを崇めることがないなら、このような教会は神様の言葉が支配するものであり、真理が支配するものです。かえって、もしこの教会のリーダーは真心で神様に仕える人でないなら、彼らは自分の地位、職業を奉仕しているのです。名誉と富を奪い合い、嫉妬し合い、教会の中で常に他人を見上げるように自分を高め、自分の威望を打ち立て、誰かが捧げた金額が多いなら、誰かにへつらい、重用し、かえって、それらの本当に真理を交わって光があり、正直にリーダーに意見を出す人は抑制され、排斥され、正常に教会で自分の役割を果たすことができず、多くの信者は識別力に欠け、盲目にリーダーを崇め見上げ、外見から見て神様を信じ、神様に従い、実質的には牧師や長老を信じています。このような教会は偽牧者に制御されるのであり、偽の教会です。まさに次の言葉の通りです。「会内で真理を実践する者は見捨てられ、その者は潜在能力を発揮できない一方、教会を妨害し、死を広める者は、教会内で放縦に行動する。さらに、殆どの人々がこうした者に従う。こうした教会は、明らかにサタンの支配下にあり、そこでは悪魔が教会の王である。教会の人々が立ち上がってこうした悪魔の頭を追放しなかった場合、教会の人々もまた、遅かれ早かれ破滅するであろう。今後は、こうした教会への対策を実施する必要がある。多少の真理を実践できる者が追求していない場合、その教会は追放されるであろう。」(『真理を実践しない者に対する警告』より)

   今多くの牧師や長老たちは、人々が主の御言葉を実践、経験するように導かず、信者のいのちへ入ることにおける問題を解決できず、聖霊の働きがある人を教会に導かせず、かえって地位を維持するため、一部の聖書の知識、霊的理論を話して自分を顕示し、人々に彼を崇めさせ、あるいは一部の世界の重大ニュースや健康知識を話して、信者を引きつけ、あるいは聖書の中の人の言葉を解説することを重視し、人々を導いて宗教的儀式を守ります。ある牧師や長老は外見で敬虔に見えるが、裏で捧げものを盗み、淫乱をします。またある牧師や長老は信者を取り入り、教会の勢いを拡大するため、会食や活動を開催し、マーケティングを行い、工場を設立するなど、信者を世俗の道へ導き、教会堂は混乱し悪に満ちているようになります。このような教会堂は不信者の世界との違いがなく、聖書の中に言われたバビロンと同じであり、もはや神様の性質に侵害して聖霊に見捨てられ、その後も神様に呪われ、まさに聖書に書かれた通りです。「彼は力強い声で叫んで言った、『倒れた、大いなるバビロンは倒れた。そして、それは悪魔の住む所、あらゆる汚れた霊の巣くつ、また、あらゆる汚れた憎むべき鳥の巣くつとなった。すべての国民は、彼女の姦淫に対する激しい怒りのぶどう酒を飲み、地の王たちは彼女と姦淫を行い、地上の商人たちは、彼女の極度のぜいたくによって富を得たからである』。」(ヨハネの黙示録18:2~3)ここから分かるのは、一つの教会のリーダーが正しい人であるかどうかはとても重要です。もし一つの教会は偽牧者に制御されるなら、聖霊はそこで働かれるはずがなく、彼らが信者を導くのは、盲人が盲人を手引きするであり、最終的に穴に落ち込むのです。


真キリストと偽キリストを見極める方法の真理を理解した後、むやみに警戒することを止めた (II)

2019-12-29 08:16:46 | 真のキリストと偽キリスト

   ヂャン兄弟は続けて交流しました、「神は真理、道、そしていのちです。なので、真キリストと偽キリストを見極めるには、神の働きの原則を知ることに加えて、その見極めを彼らの本質に基づける必要もあります。」そして、ヂャン兄弟は神の御言葉のこの節を掲示しました。「神は肉となりキリストと呼ばれ、真理を人に与えることのできるキリストは神と呼ばれる。ここには何の誇張もない。なぜなら、彼は神の本質を持っており、神の性質を持っており、その働きには知恵があり、これらはどれも人間の手の届かないものだからだ。自らキリストを称するが、神の働きを行えない者は、詐欺師である。キリストは、単なる地上における神の顕現ではなく、神が人の間で業を行い完成させるため神が宿った特有の肉体である。この肉体は、誰でも代われるものではなく、地上における神の業を適切に引き受け、神の性質を表し、神を十分に象徴し、人にいのちを与えるものである。遅かれ早かれ、キリストを騙る者はみな倒れる。彼らはキリストと自称しながら、キリストの本質は全く持っていないからだ。だから、キリストの真偽は人が定めることのできるものではなく、神自身が答え定めるものだとわたしは言うのだ。」(終わりの日のキリストだけが人に永遠のいのちの道を与えられる』より)。

 

 

   ヂャン兄弟は言いました。「神の御言葉から、キリストは神の御霊が受肉された御姿であること、キリストは神性の性質を持っておられること、キリストがなさる働きは神の働きであること、キリストがお見せになる性質は神の性質であること、そしてキリストはいつどこに居ても真理を表して、人間を備え、導くことがおできになるということが分かります。人類を救う働きができるのは、キリストだけです。例えば、主イエス様はキリストであります。主の来臨と働きは律法の時代を終え、恵みの時代を始められました。主は御言葉を仰せられ、人類に悔い改めの道をお与えになり、人類が神の御心と要求を明確に知り、苦難の中でも実践する道を持てるようにしてくださりました。人々は主の御言葉を通じて、主に祈りを捧げる方法、他人と触れ合う方法、他人を許す方法等を理解しました。さらに、主は神の恵みと慈しみの性質を見せてくださりました。主は病人を癒し、悪霊を追い出し、人々に無限の恵みを与えてくださりました。最後に、主は人類の罪を贖うために十字架に釘付けにされ、全人類の罪の贖いを全うされました。その結果、人類は律法の制約と束縛から救い出され、律法違反により有罪とされて死刑に処される危険を免れたのです。この働きは、他のいずれの者でも行うことはできません。なので、主の御言葉から、主イエス様は真理、道、そしていのちであるということが分かります。同様に、神は終わりの日に、もう一度受肉されて、恵みの時代を完結され、神の国の時代を始められました。神は何百万にも及ぶ御言葉を仰せられ、裁きと清めの段階の働きを実行され、神の義なる、威厳と怒りに満ちた、害することのできない性質をお見せになりました。全能神の御言葉は神の経営計画全体の奥義、人類の最後および将来の終着点を明らかにされました。さらに、人間の欠乏に焦点を当てたこれらの御言葉は、人間が清められ、救われるために必要な真理の全てを人間に対して明快に与えておられます。例として、それは、「サタンがどのように人類を堕落させるか、人間がサタンから受けた堕落の本質と真理、神がどのように人間の堕落した性質を裁き、清められるか、神を信仰する方法、神に従う方法、神はどのような人を好まれ、どのような人を嫌われ、排除されるのか、そして神に完全にしていただくことを追求する方法」等が含まれます。私たちは神の御言葉による裁きと刑罰を受けて、私たちがサタンから受けた堕落の本質と根源を理解し、神の義なる、聖なる、そして害することができない性質を認識しました。私たちは神の御前にひれ伏して、純粋な自責の念を感じずにはいられなくなります。そして、私たちは神に対してより畏敬、かつ従順になり、そして神の救いを得ようと自分の堕落した性質を少しずつ払拭し、罪の束縛を一掃し始めるのです。全能神の御言葉と働きは人間に真理、道、そしていのちをもたらした。全能神は神御自身であり、肉となられたキリストなのです。しかし、偽キリストは神の本質を持っていないため、真理を表すことはできませんし、まして人類を救う働きなどはもちろんできません。彼らは人々を惑わし、傷つけるために虚しい言葉を発することしかできないのです。人々は彼らの言葉を聞いても、いのちの糧が全く得られないし、進む道も全く見い出せません。また、彼らの魂は増々暗くなり、落胆していきます。最終的に、彼らはサタンにのみ尽くされてしまうのです。従い、受肉された神の御言葉、働き、そして性質から、真理、道、そしていのちを持つ御方のみがキリストであるということが分かります。」

   全能神の御言葉とヂャン兄弟の交流を読んだ後、私は真キリストと偽キリストの見極め方に関する真理を完全に理解しました。私はこう思いました。「その通りだわ。キリストのみが真理で、道で、いのちなのよ。真理を表して神御自身の働きをする御方のみがキリストなんだわ。キリストを名乗りながら真理を表せないし、人類を救う働きができない人は偽キリストなのよ。今日、私は正しい道を見い出したわ。これでもう、偽キリストに惑わされることを怖がってむやにみ警戒する必要はなくなったわ。神に感謝します。」

   それからしばらくの間、ヂャン兄弟は受肉の奥義、神の働きと人間の働きの違い、聖書の知られざる奥義など、真理のその他の側面について私と交流してくれました。私は彼の交流を聞けば聞くほど、増々その内容に納得していきました。私は全能神教会の兄弟姉妹と集まることが毎日楽しみになり、毎回集会の後には自分が学んだ光を母に話しました。私は次第に、終わりの日の神の働きが少しは分かるようになりました。しばらく探求して、調査した後、私は全能神が主イエス様の再臨であることを確信しました。その後、私は、主が再臨されていることを神の来臨を切望する人たちにどんどん伝えていくために、福音を宣教し始めました。

私は悪い僕の本性を目撃しました

   2018年5月のある金曜日、母と私は元々通っていた教会に行きました。しかし、礼拝式の最後になると、何人かの人が全能神教会を罪に陥れる様子を映した動画を牧師が再生し始めたのです。彼らが口にした噂と中傷を聞いて、私はとても憤慨しました。私は思いました。「全能神教会は全く彼らが説明するようなものではないわ。彼らはこの教会と連絡を取ってもいないし、終わりの日の神の働きを調査してもいない。なのに、彼らは一体何を根拠に神の働きを好き勝手に非難しているっていうの?」

   動画が終わった後、牧師と2人の助祭、そして理事が母と私に残るように言ってきました。そして、牧師は私たちに言いました、「あなた方2人は全能神への信仰を始めたのですか?」私たちは「はい」、と答えました。

   意外にも、私たちがこう言ったとたんに、助祭が勢いよく立上り、私の母を指さしながら激しく口調でこう言いました、「まさか本当に全能神を信じているとは。ならば、明日からはもう日曜学校を教えるのは止めてもらいます。明日の午後、お宅まで教会資金を取りに行きますからね。」

   私の母は言いました、「いつ取りに来て頂いても構いませんよ。」

   そして、牧師は不機嫌そうに言いました、「宗教界全体が全能神教会に抵抗して、それを非難しているというのに。どうして彼らと関わりを持つ必要があるんですか?」

   私の母は言い返しました、「牧師、宗教界には真理がありますか?宗教界の言う通りにしていれば主の再臨をお迎えできると、主イエス様が仰せられたことはありますか?イエスが働きをしに来られた時のことを振り返ってみてください。ユダヤ教の指導者たちはイエスの働きの探求と調査をしなかっただけでなく、ユダヤ人がそれを受け入れる邪魔もしました。彼らは噂を捏造して、狂信的にイエスに抵抗し、イエスを裁いて冒涜すらしました。最終的に、彼らは神を怒らせて、神の呪いと罰を被りました。あなたの言い分だと、宗教界が抵抗して非難しているのは真の道ではないということですが、それはあなたがイエスの働きを否定しているということではありませんか?宗教界が全能神教会に抵抗し、それを非難しているからと言って、あなたは終わりの日の神の働きを探求することも、調査することも拒否しています。これは真理に適っているのでしょうか?牧師や助祭であるあなた方が、どうして終わりの日の全能神の働きを調査せずに、それを恣意的に非難し、裁いているのですか?私たちは全能神の御言葉をたくさん読み、それらが全て真理であり、神の御声であることを知りました。だからこそ、私たちは全能神が再臨された主イエス様であると確信しているのです。」しかし、意外にも、彼らは私の母の言い分を聞いた後ですら、それを軽視して、全く受け入れてくれませんでした。

   そして、私の母は全能神教会のモバイルアプリを開いて、彼らに全能神の御言葉を読みました。それを聞いた後、理事が傲慢な態度で神を冒涜する発言をしました。そして、私の母はこれに憤慨して言いました、「あなたが高慢すぎます!この御言葉は真理です。あなたはそれが分からないのですか?あなたは神の御声が分からないのですか?あなたはそれでも本当に神の羊なんですか?」

   彼らは傲慢に蔑視する態度で悪意に満ちた笑みを浮かべました。牧師は言いました、「私たちが待つ主イエス様はユダヤ人の御姿で、御手に釘の跡がついたまま来られます。私たちは、その主イエス様以外は誰も受け入れません、全能神の言葉が真理であったとしてもです。」彼らのとても頑固な様子を見た母と私は、もう何も言いたくなくなってしまいました。私は、彼らの振る舞いは、主イエス様に抵抗したパリサイ人のと全く同じであったことを目の当たりにしたのです。彼らは神を信仰していながらも、真理を求めず、神の御声を聞くことに注意してもいませんでした。代わりに、彼らは傲慢な態度で自分たちの観念と想像を固持し、恣意に神の働きを非難し、それに抵抗し続けたのです。彼らは神に仕えながら、神に抵抗していたのです。

   その後、牧師は母と私を脅してきました、「1か月、考える時間をあげましょう。それでも全能神を信仰すると言うなら、あなた方を教会から追放します。」

   私は頭にきて言いました、「考える時間なんて要りません。今すぐ追放していただいて構いませんよ。私たちは最近終わりの日の神の働きを求め、検索した結果、全能神が再臨された主イエス様であると既に確信していますから。私たちはやっと神の御声を聞くができたのです。追放されなくても、この教会に戻って集会に参加することはもう二度とありません。」

   牧師は小声で悪賢そうに言いました、「いえいえ、今あなた方を追放したら、私たちは兄弟姉妹にどう思われてしまうことか。インターネットの集会に参加していただけであなた方を追放したと言われてしまう。そうしたら、無情な人たちだと思われてしまうでしょう?私たちは最善を尽くしてあなた方にここに残るよう説得しようとした上に、じっくり考える時間も設けてあげたのに、それでもあなた方は全能神を信仰すると言い張ってこの教会を去る決意をしたから、私たちはあなた方を追放したと、1か月後に彼らに伝えます。」

   私は彼の言葉を聞いて、とても不愉快になり、彼らにはもう何も言いたくなくなりました。こうして、私は母を掴んでそこを去ろうとしました。私たちがそこを出る前、牧師は私たちにこう釘を刺してきました、「全能神を信仰するのはあなた方の勝手です。しかし、私たちの教会の兄弟姉妹と連絡を取ることは許しませんからね。」

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   私たちが教会を出た時、時間は既に夜中の1時を回っていました。私は、今起こったことを振り返り、私たちが高潔な人格の持ち主だと思い、心の中で深く尊敬していた牧師と宣教師たちが、実際はこんな人たちであったとは思ってもいませんでした。その時、神のこの御言葉が頭に浮かびました。「 荘厳な教会で聖書を読む者たちは毎日聖書を暗唱するが、一人として神の働きの目的を理解しない。一人として神を知ることができない。さらに、一人として神の心と一致していない。彼らは皆価値のない、卑劣な人々だが、それぞれ神を教えるために高い地位に就いている。彼らは神の名をこれ見よがしに振りかざすが、故意に神に反抗している。彼らは自分たちを神を信じる者と呼びはするが、人の肉を食し、その血を飲んでいる者たちである。そのような人々は皆人の魂を貪り食う悪魔、正しい道に一歩踏み出そうとする人々を故意に混乱させる悪霊のかしら、神を探し求める人々の道を妨げる躓きの石である。彼らは「健全な肉体」の者たちであるが、彼らの信者たちはどうしたら彼らが人を神に敵対する方向へ導く反キリストであると知ることができるだろうか。どうしたら彼らが魂を好んで求めては貪り食う悪魔の権化であることを知ることができるだろうか。」(『神を知らない者はすべて神に反対する人々である』より)。

   以前、私は、牧師と長老たちは主に仕える人たちで、彼らは聖書を最も深く理解し、神の御心に最も適っているべきであり、主が再臨される時は間違いなく主をお迎えになると常に思っていました。しかし、驚いたことに、牧師と宣教師は主の再臨の知らせを聞いた時、それを探求しなければ、調査もしなかったどころか、彼らはとても傲慢で、独善的で、自分たちの観念と想像に固執し、神と終わりの日の神の働きを裁き、非難し、神を恐れる心を持ってすらいなかったのです。更に酷いことに、彼らは自分たちの地位と生活を維持するため、「信者を守る」という名の下で信者たちが終わりの日の神の働きを調査することを妨げ、制限していたのです。そして、彼らは終わりの日の神の働きを受け入れた信者たちに圧力をかけるために彼らを脅迫し、彼らが全能神への信仰を諦め、真の道に背き、最終的には救われる機会を逃すよう仕向けていたのです。使用可能な手段を全て使ってもこの信者たちを妨害できない場合、彼らは他の兄弟姉妹たちがこの信者たちを拒絶するようにこの信者たちを教会から追放する手段を使いました。それは、この信者たちが他の兄弟姉妹たちに福音を伝導するのを防ぐことが目的だったのです。牧師と宣教師たちは本当に陰険で、悪意に満ちていたのです。パリサイ人は当時、自分たちの地位と生活を守るために狂信的に主イエス様に抵抗し、非難を向け、そして主を十字架に磔にしました。彼らを現代の牧師と長老に照らし合わせてみると、私は現代の牧師と長老の本質は当時のパリサイ人のと同じであり、彼らは終わりの日の神の働きが暴露した反キリストであり、霊をのみ尽くす悪魔であることに気が付きました。私はその時まで、信者は神もしくは神の働きを知らないと、表面的にはどれだけ働き、どれだけ苦難に耐えていようとも、自分の傲慢でうぬぼれたサタンの性質に頼って神に抵抗し、神を怒らせてしまうということを完全には認識していませんでした。

   それと同時に、私は神を讃え、神に感謝せずにはいられませんでした。私は自分が牧師と長老の偽善的な装いに惑わされていたこと、いつも彼らを崇拝し、彼らの言うことを聞いていたこと、そして、主の再臨をお迎えすることについて、彼らに従いながら神に抵抗すらしていたことを思い起こしました。神の啓示は、私が彼らの罠から抜け出して主の再臨をお迎えできるよう、私が真理と神を嫌う牧師と長老の邪悪な性質を見抜けるようにしてくださったのです。私は神の救いに心から感謝しました。私は、将来の信仰生活において、一生懸命に真理を追い求めて神の愛に報いたいと思います。


真キリストと偽キリストを見極める方法の真理を理解した後、むやみに警戒することを止めた (I)

2019-12-10 21:34:31 | 真のキリストと偽キリスト

   【編集者メモ】主が再臨される重大な時がやって来ました。しかし、牧師と長老の言うことを聞いて、偽キリストに惑わされることを恐れて消極的な守りの姿勢に入っている信者たちがいます。彼らは誰かが主の再臨を証言しているのを耳にしても、それを探求しようとしません。そうすることで、偽キリストに惑わされることは避けられますが、真キリストに対して扉を閉ざしやすくもなってしまいます。では、実際にどうすれば偽キリストを警戒しながら主の再臨をお迎えすることができるのでしょうか?シャンワン姉妹はその答えを発見しました。では、彼女が何を体験したのか読んでみましょう。

終わりの日には偽キリストが現れるという理由で、私たちは他人の宣教を聞くことを牧師から禁止されていました

   私は幼い時から、(教会の助祭で子供向けの日曜学校で教師をしていた)母親に習って主を信仰し、頻繁に一緒に集会に参加して聖書を読んでいました。私は少し大きくなった後、子供のフェローシップからユースのフェローシップに移行しました。

   私たちのユースのフェローシップで宣教の担当をしていた牧師は神学者でした。彼はよくこう言いました、「牧師でいるのは容易なことではありませんよ。聖霊による感動がなかったら、牧師の仕事を続けるのはとても大変なんです。」従って、私たちは、彼が聖霊に触れられて、主に最も好かれている人であると思い、彼を大いに敬いました。彼は宣教する時、頻繁にこの節を読み上げていました、「そのとき、だれかがあなたがたに『見よ、ここにキリストがいる』、『見よ、あそこにいる』と言っても、それを信じるな。にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、しるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。」(マルコによる福音書13章21-22節)そして、彼は私たちにこう言いました、「終わりの日には偽キリストがたくさん現れます。全てにおいて注意を払い、むやみに説教を聞き回ってはなりません。特に、まだ聖書の基礎知識が固まっていなくて、霊的背丈も極めて低い人たちは、惑わされてしまうといけないので、他の宗派の説教を聞いたり、読んだり、それを調査してはなりません。」



   さらに、この牧師は私たちが特に関わりを持つことを禁止されていた東方閃電を含む特定の教会の名前を頻繁に幾つか挙げていました。彼はまた東方閃電に関する非難宣伝についても幾つか口にしていました。私の兄弟姉妹は全員がそれを聞いてその教会とは絶対に関わりを持たないと言っていました。これ以外にも、私たちは聖書をもっと読んで、普段から集会に参加して聖書を学習することを続け、毎日主に罪を告白して、それを悔い改め、全ての瞬間において注意しながら主を待っていれば、主が再臨される時に天国に携挙されると彼はよく私たちに言いました。当時、私は彼の言ったことを信じていました。なので、私は警戒を緩めて他の教会の説教を聞こうとはせず、彼に言われたことは何でもしていました。私はこれによって、自分は安全な場所で主の来臨を待っていると思わされていたのです。

   2017年のある日、教会からフー兄弟が私を探しに学校までやって来ました。彼は真剣な口調で言いました、「大事な話があります。あなたのお母さんと姉さんが東方閃電の信者になってしまったかもしれないんです。」私はこの知らせに唖然としました。私は思いました。「牧師によく東方閃電とは一切関わってはいけないって言われているのに。どうしてお母さんは東方閃電を信じているの?」それから彼は私に東方閃電に関する非難宣伝の内容を幾つか話してくれました。私はこれを聞けば聞くほど、どんどん怖くなっていきました。私はパニックになって、「どうしよう?どうしよう?」、と思い続けました。その時、彼はこう言いました、「家に帰って、本当に東方閃電を信じているのかどうかをお母さんに聞いてください。でも、聞く時は東方閃電のことは何も知らないふりをしてください。先ずはお母さんの返答を聞いて、会話を録音して私に送ってください。」これを聞いて、私は自分の母が誤った道を歩んでいないかと不安になり、彼に同意しました。

母親と口論になりました

   事態はフー兄弟が言った通りになりました。私が家に帰ったとたん、母は、主イエス様は終わりの日に全能神として再臨されており、人間を清めて変えるために、そして人間を罪の束縛から完全に解放するために、たくさんの御言葉を仰せられ、神の家を起点に裁きの働きをなさっておられると言ったのです。母はこうとも言いました。「これは神が人類を救う最終段階の働きよ。これを逃したら、もう救われる機会はないわ。だから、あなたも素早く終わりの日の神の働きを調査して、全能神教会の集会に参加するようにしてね。」母の言葉を聞いて、私はすぐさまフー兄弟が話していた非難宣伝の内容を思い出しました。私は心の中で葛藤しました。でも、私は会話を録音するために、自分の感情を抑えて母の言うことを聞き続け、こっそりと彼女の言葉を録音しました。

   その翌日、母は全能神教会の人たちと一緒にインターネットの集会に参加することを私に勧めてきました。私はすかさず拒否してこう言いました、「お母さん、私は彼らの集会に参加するつもりはないし、お母さんにも彼らと集まるのは止めて欲しいの。お母さんは増々彼らの側に付こうとしているわ。」母は穏やかに言いました、「この集会で全能神教会の兄弟姉妹と交流して、聖書に書かれた神の御言葉の新しい理解と知識を得ることができたのよ。だからこそ、私は彼らの交流は光で満ちていて、聖霊の啓示から来ているものだと確信できたの。それに、全能神の御言葉は私の困惑をたくさん解消してくださったのよ。だから、全能神教会には聖霊の働きが本当に宿っていて、全能神の仰せられる御言葉が真理であるっていうことを私は確信したの。」当時、私の頭の中は東方閃電に対する観念でいっぱいになっていたので、私は母の言うことを完全に無視していました。その後、私はフー兄弟が話していた東方閃電に関する非難宣伝をインターネットで検索し始めました。そして、私はそれを母に見せて言いました、「お母さん、見てよ!インターネットにちゃんと書いてあるわ。東方閃電は調査したら駄目だって牧師がよく言っているじゃない。彼らと連絡を取るのはもう止めてよ!」

   しかし、母はこの非難宣伝には目もくれず、寛容な口調でこう言いました。「中国共産党は無神論を信じる政党で、神の顕現と働き、信仰を持つ全ての人を嫌うの。中国では、政府がキリスト教とカトリック教をカルトとして、聖書を狂信者の書籍として非難して、無数の聖書が燃やされ、破壊されているわ。政府は聖書の販売すら禁止したのよ。それに、数多くのキリスト教徒とカトリック教徒が捕まり、迫害され、刑務所に入れられて、体に障害を負わされたり、殺された人たちまでいるのよ。その活動は世界や西洋諸国の人権保護団体から何度も強い非難を受けているわ。神に抵抗する中国共産党政府のようなサタンの政権が真実を話すと思う?それに神の顕現と働きについて発言したり、それを誹る権利があるかしら?牧師と長老に関してだけど、どうして彼らは私たちが終わりの日の神の働きを調査することを許可しないのかしら?そんな行動を取ることが主の教えに適っているのかしら?主は私たちにこう仰ったのよ。『こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。』(マタイによる福音書5章3節) 主の御言葉から、私たちが謙そんして探求することを主が望んでおられることは明らかだわ。誰かが主の顕現と働きについて証言しているのを耳にすることがあれば、私たちは前向きにそれを調べるべきなのよ。私たちはそうしてのみ、主の再臨をお迎えすることができるの。あなたは主を信仰しているのよ。ならば、どうして主の代わりに人間の言うことを聞いているの?あなたはまだ、牧師の言葉を聞いて消極的な姿勢をとって、サタン政権の非難宣伝を信じることが主の御心に適っていると思っているの?それは主の御言葉に反していると思わないの?過去のユダヤ人のしたことを考えてみなさい。彼らは主の福音を求めも調べもせず、むやみにパリサイ人の言うことを聞いて、不純な動機を持っていた人たちが捏造した噂を信じたわ。彼らは、それが理由で主イエス様に抵抗して、非難を向けて、最後は主を十字架に釘付けにして、神の罰を被ったんじゃなかったかしら?私たちは神にある信者として、主をお迎えする機会を逃してしまわないように、彼らの過ちから学ばなければいけないのよ。ヨハネの黙示録には、次の預言が出てくる箇所がたくさんあります。『耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。』(ヨハネの黙示録2章、3章) これより、主は再臨なさる時に御言葉を仰せられるということが分かるわ。だから、主の再臨をお迎えしたいのなら、私たちは神の御声を聞くことを学ぶ必要があるの。全能神の仰せられる御言葉が本当に神の御声かどうかはそれを読んで調べないと分からないのよ。」母はこう言った後、『終わりの日のキリストの語られる言葉』 という書籍を手に取って私に渡そうとしてきました。

   私は母の持っていた本に目を向けましたが、それを受け取りはしませんでした。なぜなら、私はまだ終わりの日の全能神の働きを受け入れることができなかったからです。なので、私は「そんなの読みたくないわ」、と言った後、背を向けて自分の寝室に向いました。

私は主の御旨を求め始めました

   私は部屋に戻った後、自分の机に向かって座って自分を落ち着かせました。そして、私は母が話していたことを思い出してこう考えました。「確かに、お母さんは正しいわ。東方閃電は主が再臨されたと証言しているけど、私は全能神の言葉を読みもしないで、むやみに牧師の言葉を聞いて、中国共産党の東方閃電に対する非難宣伝を信じてしまっているわ。これは確かに少し思慮に欠けているわ。全能神がもし本当に主の顕現であっても、それを受け入れることを拒否していたら、私は主の再臨をお迎えする機会を逃してしまうわ。でも、終わりの日には偽キリストが現れるって牧師がよく言っているわ。正しい道から逸れてしまったら、主への信仰が無駄になってしまわないかしら?」こう考えていると、私は心の中が動揺しました。私は誰の言うことを聞けば良いのか分からなくなってしまいました。こうして、私は主に呼び掛けました、「ああ、主よ!私は今までずっとあなたの再臨を待ち望んできました。しかし、私は終わりの日の偽キリストに惑わされてしまわないかと不安です。主よ、東方閃電の信者たちはあなたの再臨を証言しています。あなたが本当に全能神として再臨されておられるのなら、あなたの御声に気付くことができるよう、どうか私を啓き、導いてください!」

   その後、私の母は依然として全能神教会の兄弟姉妹たちと一緒にインターネットで集会に参加することを私に勧めてきました。私はしばらく躊躇した後、インターネットにアクセスして集会の内容を聞いてみることにしました。

   集会の最初、私は心を静めず、彼らの交流にも耳を傾けませんでした。しかし、その後、ヂャン兄弟が人類を救う神の経営計画、神の三段階の働きの奥義、終わりの日の神の裁きの働き、およびその他の真理の諸側面に関して交流したのを時、私は興味を引かれました。私は聞けば聞くほど、増々彼の交流が新鮮であると感じました。以前参加した聖書の勉強会では、宣教師がただ単に神の不思議な働きがどのような形で神の起こした奇跡に基づいていたかを語ったり、遠い昔から聖徒たちがどのようにして神に従い、神から受けた任務を達成したかについて話すだけで、人類を救う神の経営計画について触れたことは一度もありませんでした。ヂャン兄弟の交流によって私は神がどのようにして人類を管理されているのかを少し理解できました。私は長年に渡って聖書を読んできましたが、このような理解を得たことはありませんでした。この集会の後、私は気が変わり、終わりの日の全能神の働きを調べることにして、録音した母の言葉を削除しました。

私は神の御声を聞く賢い乙女になる決意をしました

 


   その2日後の集会で、私たちは賢い乙女と愚かな乙女の違いについて話し合いました。ヂャン兄弟は言いました、「賢い乙女の賢明さは、神の顕現を切望すること、そして神の御声に気が付くということにあります。賢い乙女は知力と素質を有し、真理を愛し、真理を求めます。だからこそ、賢い乙女は主の再臨の知らせを聞くと、それを前向きに探究して、調べることができるのです。このような人々が偽キリストに惑わされることはありません。対照的に、愚かな乙女は真理を嫌い、神の御声を聞くことに注意を払わず、神の御声に気が付きません。愚かな乙女は困惑していると同時に、識別力を持っていません。なので、主の再臨の話になると、ただ単に自分たちの観念と幻想に固執して、神の働きに抵抗して、非難を向けるのです。例えば、兄弟姉妹の中には、主を信仰していながらも、主の御言葉を聞くことをないがしろにしている人たちがいます。代わりに、彼らは牧師と長老の言うことを聞き、それが何であっても信じます。彼らは、名目上は主を信仰していますが、実際は牧師と長老に従っているのです。他にも、偽キリストをむやみに警戒しているだけの兄弟姉妹もいます。彼らは再臨された主イエス様の御声を聞いても、それを探求することがなければ、調べることもありません。彼らは惑わされることを恐れて心を閉ざしてしまっているのではないでしょうか?そのような人々が主の再臨をお迎えすることができるのでしょうか?」

   ヂャン兄弟の言葉は突然私を目覚めさせてくれました。「そうだ!私は長い間、牧師の言うことを聞いてきたけど、終わりの日の神の働きを調査したことは一度もなかったわ。全能神がもし本当に主イエス様の顕現であるとしたら、私は愚かな乙女として暴露されてしまうわ!主イエス様はかつてこう仰せられたわ。「求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。」(マタイによる福音書7章7節)私は常に主の再臨をお迎えすることを願ってきました。神が既に再臨されたと全能神教会が証言している今、私は賢い乙女になって、終わりの日の全能神の働きを前向きに探究して、調査するべきなのです。神はそれを望んでおられるのです!」私はこうして終わりの日の全能神の働きを調査し続ける決意をしました。

私は真キリストと偽キリストを見極める方法を理解しました

   次の集会で、私はこう尋ねました、「兄弟、昨日あなたは賢い乙女になるために大切なことは神の御声を聞くことに集中することだと言われました。私は終わりの日の神の働きをどうやって調査すればよいのか分かるような気がします。しかし、牧師はよく終わりの日に偽キリストが人々を惑わすことについて話しています。ならば、真キリストと偽キリストはどのようにして見極めればよいのでしょうか?私は真理のこの部分がどうも理解できません。これについて私と交流していただけないでしょうか?」

   ヂャン兄弟は言いました、「あなたは大切なポイントを提起されましたね。それは私たちが主の再臨をお迎えできるかどうかに直接関連しています。真キリストと偽キリストを見極める方法に関する真理をちゃんと理解できている限り、偽キリストがどのようにしてキリストになりすましても、私たちが彼らに惑わされることはありません。真キリストと偽キリストの違いを見分ける方法について、主はこう仰っておられます。『そのとき、だれかがあなたがたに「見よ、ここにキリストがいる」、また、「あそこにいる」と言っても、それを信じるな。にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。 』(マタイによる福音書24章23-24節)主の御言葉は、偽キリストが終わりの日に、主として、しるしと奇跡を行って人々を惑わそうとすると明確に語っておられます。偽キリストは全く真理を知らず、悪霊と悪魔の本質を持っているため、人々を欺くためには神が過去になされた働きを真似て、単純なしるしと奇跡を幾つか行う、または聖書を誤解して、意味深い理論を語ることしかできないのです。キリストのみが真理、道、そしていのちであり、キリストのみが真理を表し、私たちに道を指し示し、いのちを与えることがおできになります。キリストを名乗りながらこういったことが出来ない人は、そのいずれも間違いなく偽キリストです。彼らは偽物なのです。この原則に従えば、私たちは基本的に真キリストと偽キリストを見極めることができます。」

   私はヂャン兄弟の交流を聞いた後にこの節をさらに詳しく考えてみると、突然こう気が付きました。「確かに、この御言葉には偽キリストが人々を惑わすために大きなしるしと奇跡を行うと述べているわ。でも、どうして聖書に精通している牧師たちが偽キリストを見分けるこの原則に気付けなかったのかしら?」

   その後、ヂャン兄弟は全能神の御言葉のこの節を掲示しました。「この時代に、しるしや不思議を起こせる人が現れ、悪霊を追い払い、癒やし、多くの奇跡を起こし、またその人がイエスの再来であると主張したなら、それは悪霊が偽ってイエスのまねをしているのである。これを覚えておきなさい。神は同じ働きを繰り返さない。イエスの段階の働きはすでに完了し、神は二度と再びその段階の働きをしない。…もし終わりの日に神がしるしや奇跡を示し、まだ悪霊を追い払ったり癒やしたりしていたら──それならば、神はイエスの働きと同じ働きを繰り返していることになり、イエスの働きは無意味で無価値ということになる。だから、神は、時代ごとにひとつの段階の働きをするのだ。ひとたびその段階の働きが完了すれば、すぐさまそれを悪霊がまねをし、サタンが神のすぐ後ろからついていく。神は方法を変更する。一度神がその段階の働きを完了すると、悪霊がまねをする。こうしたことを理解しておきなさい。」(『今日の神の働きを知るということ』より)。

   そして、ヂャン兄弟はこう言って交流しました、「全能神の御言葉から、神は常に新しく、決して古くなく、決して同じ働きを繰り返されないということが分かります。神は新たな段階の働きをされる度に、新たな御言葉を仰せられ、人々に新たな実践の道をもたしてくださります。例えば、主イエス様は来臨された時、律法と戒めを発布する働きは繰り返されませんでした。代わりに、主はその働きを土台にして、人類の罪を贖う段階の働きをなされました。主は当時の人々に実践の新たな道をお与えになったのです。例えば、主は人々に罪を告白して悔い改めること、敵を愛すること、許す心を学ぶこと、そしてお互いを愛し合うことを教えられました。終わりの日には、全能神が来臨されました。全能神は悔い改めの道は繰り返されませんでした。代わりに、全能神は贖いの働きを土台にして、人々を裁いて清める御言葉を宣べ伝える段階の働きをなさりました。この段階の働きでは、全能神はしるしと奇跡は行われません。むしろ、実際に御言葉を仰せられ、私たちの堕落した性質を暴露され、私たちの不義を裁かれます。同時に、全能神は、私たちが救いを得るために必要な真理を全て私たちにお伝えくださり、それは私たちが自分の性質を変えるために歩む必要がある道について明確に理解できるようにしてくださります。そうすることで、私たちはサタンのような堕落した性質を脱却し、ゆくゆくは神に天国に連れて行っていただけるようになるのです。しかし、偽キリストのほとんどは悪霊に取り付かれています。彼らは極めて傲慢で、不合理です。彼らは新たな時代を開くことも、古い時代を閉じることもできず、まして真理を表して人々に性質を変える道を示すことなどもちろんできません。彼らは主イエス様が既になされた働きを真似ることしかできません。彼らは人々を惑わすために単純なしるしと奇跡を行うことしかできません。彼らは死人を蘇らせたり、5つのパンと2匹の魚で5000人を食べさせるといった、主イエス様がなされた大きなしるしと奇跡を行うことはできません。なぜなら、これらは彼らの能力を確実に超えるもので、このような権威と力は神のみがお持ちであるからです。」

   ヂャン兄弟の交流を聞いて、私は初めて「神の働きは常に新しく、決して古くない。一方で、偽キリストは神が過去になさった働きを真似て、単純なしるしと奇跡を幾つか行うことしかできず、神の働きを行うことはできない。なので、神の働きの原則を理解している限り、私は惑わされることはない」、と理解しました。以前、私は惑わされることを恐れて、東方閃電の宣教を聞こうとはせず、終わりの日の全能神の働きはなおさら探求しようとも、調査しようとしていませんでした。私は普段自分が説教を聞いて主を讃えている教会にしがみついていることが一番安全なことであり、そうしていれば主に会うことができると考えていたのです。これを今振り返ってみると、私は、主の再臨を宣教するいずれの人に対しても消極的な守りの姿勢をとり、終わりの日の主の御言葉を積極的に探求できていなかったことで、自分が主をお迎えする機会を実に逃しやすくなっていたことが分かりました。


つづき

あなたはどのように真のキリストと偽キリストを見分けるかを知っているのか

2019-05-29 03:08:13 | 真のキリストと偽キリスト

     皆さんが知っているように、今はもう世の終わりの末期であり、月が四回血に変わるということも完全に実現し、さまざまな災難は日一日と全人類に迫ってきます。今はちょうど主の再来の日です。では、わたしたちがインターネットでイエスが再来されたという福音を見る時、或いは身の周りの親戚や友人がわたしたちに主イエスが再来されたという福音を伝える時、わたしたちはどうすべきですか。主イエスはこう言われたことがあります。「そのとき、『見よ、ここにメシアがいる』『いや、ここだ』と言う者がいても、信じてはならない。偽メシアや偽預言者が現れて、大きなしるしや不思議な業を行い、できれば、選ばれた人たちをも惑わそうとするからである」(マタ24:23-24)。多くの兄弟姉妹は主イエスのこの言葉の真意が分からないため、毎回主の再来に関する知らせを聞く時、偽キリストに惑わされはしまいかと心配し、主が再来されたという福音を聞く勇気がなく、福音を宣べ伝える人を受け入れる勇気もありません。彼らはどうしたらよいか迷っていて、「偽キリストを警戒するがゆえに、真のキリストを拒んでしまうとしたら、自分が神を見捨てる人になったのではないか、自分の長年の追求も徒労に終わるのではないか」と思っています。だから、真の神の到来を迎えたいなら、わたしたちは受動的に避け、警戒し、拒んではならず、真のキリストと偽キリストを見分ける原則を把握すべきです。真のキリストと偽キリストを見分けることに関する真理を理解したら、偽キリストに惑わされることはなくなり、真の神の現れを見る機会を取り逃すこともなくなります。では、真のキリストと偽キリストを見分ける原則は何ですか。

   第一に、偽キリストがしるしや不思議な業を行うことを通して見分けるべきです。聖書のこの箇所で、主イエスはわたしたちに「偽メシアや偽預言者が現れて、大きなしるしや不思議な業を行い……」とはっきり教えられました。この言葉から、わたしたちはこういうことが分かりました。偽キリスト、偽預言者の人を惑わす手段は、しるしや不思議な業を行うことです。つまり、世の終わりに、偽キリストはおもに主イエスの働きをまねて、しるしや不思議な業を行うという方式によって人を惑わします。それは、人が彼の行うしるしや不思議な業を見て、彼は再来された主イエスだと誤って考えるためです。偽キリストはそうすることによって神の選民を惑わします。これは偽キリストの人を惑わすおもな手段です。例えば、今や一部の宗教のリーダたちは主イエスのなさった仕事をまねて、病気をいやしたり悪霊を追い出たりというような小さな奇跡を行って人を惑わします。それは聖書の二テサ第2章9節に、「不法の者は、サタンの働きによって現れ、あらゆる偽りの奇跡としるしと不思議な業とを行い」と書かれているとおりです。偽キリスト、偽預言者は全然真理を持たず、彼らの本性の本質から言えば、彼らは神を装う邪悪な霊です。だから、彼らは神が以前なさった仕事をまねて、取るに足りない奇跡を行うことしかできません。しかし、五千人を五つのパンと二匹の魚で満腹させたり、死人を復活させたり、風と海を静めたりといった、主イエスのしるしと不思議な業は、偽キリストが全然行うことができません。これで分かりますが、世の終わりに、しるしと不思議な業を行うことができ、悪霊を追い出し、病気をいやし、多くの奇跡を行うこともできる、イエスと自称する人が現れれば、彼はきっと偽キリストであり、神を装う邪悪な霊です。これは、主イエスが聖書のこの箇所の言葉を通してわたしたちに与えられる啓示であり、また偽キリストを見分ける原則の一つです。

   第二に、キリストの本質を通して見分けるべきです。わたしたちが知っているように、主イエスは恵みの時代を開き、律法の時代を終わらせ、しかも十字架刑を受けるという仕事を成し遂げ、また人の罪を赦し、人に恵みと祝福を得させました。これらすべての仕事は神自身だけがすることができます。主イエスは聖霊として受肉した神です。彼はへりくだって人の間で働いている間に、全然自分を表現せず、むしろこの世のすべての苦しみを体験していました。人類をサタンの権威の下から贖い出すためには、彼は何の不平も言わずに、進んで十字架に行かれました。イエス・キリストは全然自分をひけらかさず、しかも高い地位に立たず、独りよがりではありませんでした。彼は慈しみ、憐れみという性質を発表し、また寛容、忍耐というような、彼の持っているもの、彼であるものを発表されました。これらは、すべての腐敗した人類が持っていないものです。だから、キリストであれば、神自身の性質を発表でき、また神自身の仕事をすることができます。受肉した神の肉体は見た目は普通で正常ですが、しかしこの普通の肉体は神自身の仕事をすることができます。だが、偽キリストの働きはキリストの働きとは全く逆です。偽キリストは人を救う仕事をすることができません。彼はしるしを少し行って人を惑わすことしかできず、しかも極力大きなことを言い、自分をひけらかします。彼の言動から流露されるものは、傲慢さ、邪悪さ、狡猾さといったサタン的性質であって、人々に嫌われます。

   第三に、真理を発表できるかどうかによって見分けるべきです。主イエスは「わたしは道であり、真理であり、命である。……」(ヨハ14:6)と言われました。神だけが真理、道、命です。神を除いて、どの被造物や非被造物も真理、道、命を持っていません。だから、真のキリストと偽キリストを見分けるには、彼が真理を持っているかどうか、彼が神の言葉、真理、神の性質、神の持っているもの、神であるものを発表できるかどうかを見るだけでいいです。神が働く時に発表される真理の言葉は、人に実行の方向を指し示し、人に歩むべき道を得させることができます。わたしたちが知っているように、ヤーウェ神は働かれた時に律法、戒めを発布して人に守らせ、人にどのように地上で生活すべきか、どのように人とつき合うべきか、罪とは何か、どのように神を礼拝すれば神に良しとされることができるかを分からせました。生まれたばかりの人類が神の戒め、おきてを守ったため、彼らの生活は秩序正しくなり、彼らの以前の乱れた生活も変わりました。主イエスは来て働かれた時、真理を発表して人に新しい実行をもたらし、人に隣人を自分のように愛しなさいとか、寛容で忍耐すべきだとか、人を赦すべきだなどと教え、人がますます人性を持つようにされました。このことから分かるように、神の仕事は重複せず、神の仕事の中にいつも新しい実行の道があります。当時主イエスにつき従ったペテロ、ヨハネたちは主の言葉を聞いて、主イエスの発表されたものがみな真理であるのを見たため、それは神の声だと分かり、またキリストの現れを見ました。しかし偽キリスト、邪悪な霊はキリストと自称するが、全然キリストの本質を持っていません。彼らはただ自分をひけらかし、証しすることができるだけで、全然真理を発表できず、ただ主イエスの働きの基礎の上でまね、追随し、いくらかの奇跡を行って人を惑わすことができるだけで、人に少しの実行の道も指し示すことができません。最後に、だれにも知られないうちにだめになります。中には神に呪われて死んだ者もあります。彼らの追随者たちはなんらの真理、命も得ていません。ある人は邪悪な霊にとりつかわれ、同様に懲罰されました。このようなことはキリスト教の多くの宗派の中で存在しています。だから、真のキリストと偽キリストを見分けるには、キリストだけが真理、道、命であり、偽キリストが絶対に真理を持たないことをはっきり認識するだけでいいです。これも真のキリストと偽キリストを見分ける原則の一つです。

   以上述べられた、真のキリストと偽キリストを見分けることに関する真理、原則によって、わたしはこういうことが分かりました。主イエスのこの預言は、世の終わりに彼が再来される時、偽キリスト、偽預言者が現れて、大きなしるしや不思議な業によって神の選民を惑わすこと、すなわち、偽キリスト、偽預言者が世界各地で現れて人を惑わす時は、真のキリストが現れて働く時であり、わたしたちがすでに現れた神を求め、神の足跡に従うべき時でもあることを、わたしたちに教えています。わたしたちが真のキリストと偽キリストを見分けることに関する真理を装備すれば、キリストの本質、および偽キリストの人を惑わす手段を認識し、弁別することができます。そうなってこそ、主イエスの再来――世の終わりのキリストの出現を迎えることができます! 真のキリストと偽キリストを見分ける原則を理解したら、わたしたちは主イエスが再来されたという福音を受動的に警戒し、避け、或いは盲目的に逆らい、拒絶することがなくなり、神を畏れる心をもって探究し、調べ、弁別し、真理、原則によって主イエスが戻られたかどうかを判断するはずです。世の終わりに、主イエスは再来される時、声を発し、言葉を言い、真理を発表されます。主イエスは彼の再来についてこのように預言されました。「しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる」(ヨハ16:13)。「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう」(黙3:20)。「耳ある者は、“霊”が諸教会に告げることを聞くがよい」(黙2:11)。もしわたしたちがいろいろなルートを通じて、再来される主イエスの声、言葉を聞いた時、渇仰し、探求する心をもって真理を求めるなら、神はきっとわたしたちに啓き、わたしたちを導き、わたしたちに優れた洞察力を与えて、どのように弁別するか分からせます。こうして、わたしたちは世の終わりに現れるキリストを迎えることができ、世の終わりに再来される主イエスがわたしたちを救うという機会を取り逃すこともなくなります!