【編集者メモ】主イエスの再来をうまく迎えることには、主の再来の二つの方法を知ることがとても重要です。では、あなたはこの二つの方法を知っているのでしょうか。
終わりの日に主はいったいどのように来られるかと言えば、多くの人は聖書に書かれている「ガリラヤの人たちよ、なぜ天を仰いで立っているのか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになるであろう。」(使徒行伝1:11)に基づき、主イエスが復活後に白い雲に乗って昇天されたので、再来される時にも雲に乗って降臨されると思っています。
長年において、私たちはずっとこのように雲を眺め、主が戻られるのを待ち望み、主が白い雲に乗って降りてきて、私たちを天国に迎えるのを想像しています。結局長年が経ち、私たちが待っていた結果は神の国に入る喜びではなく、荒廃した教会の泣き声です。実は、思いもよらないことですが、現在、様々な災害が続々と降りかかり、四つの血の月が既に現れ、ハルマゲドンの戦いは間もなく開始し、主の再来の預言は全て実現されているのですが、私たちは盲目で主を迎えていません。これはなぜでしょうか。
ある書籍にはこう書かれています。「あなたはイエスに会いたいと思うか。イエスと共に生きたいと思うか。イエスの語る言葉を聞きたいか。もしそうであれば、イエスの再臨をどのように歓迎するのか。あなたは完全に備えができているか。どのようにしてイエスの再臨を歓迎するのか。……イエスが再び来る時、あなたにイエスが本当に分かるのか。あなたがたはイエスの語る全てを本当に理解するだろうか。イエスの働きの全てを本当に、無条件に受け入れるだろうか。……何が想像で、何が現実かを知っているか。」
この一連の問題は私たちの心の奥まで直撃し、私たちを再検討させずにいられなくします。主は本当に私たちが想像するような白い雲に乗って私たちを迎えに来られるのか。もうそうだとすると、なぜいまだに主が白い雲に乗って来られるのをまだ見ていないのか。主の再来はまだ他の方法があるのか。もし主が別の方法で来られるなら、私たちは主を認識できるのか。自ら進んで主の再来を迎えることができるのか。
私たちはみな答えを知りたく、主を迎えたいです。では、一緒に主は終わりの日にいったいどのように来られるかを見てみましょう。
実は主の再来の方法は二つある
1、雲に乗って公然と降臨される
「力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。」(マタイによる福音書24:30)
「見よ、彼は、雲に乗ってこられる。すべての人の目、ことに、彼を刺しとおした者たちは、彼を仰ぎ見るであろう。また地上の諸族はみな、彼のゆえに胸を打って嘆くであろう。しかり、アァメン。」(ヨハネの黙示録1:7)
これは私たち多数の人が堅く守っている主の再来の方法です。
2、密かに降臨される
「見よ、わたしは盗人のように来る。」(ヨハネの黙示録16:15)
「もし目をさましていないなら、わたしは盗人のように来るであろう。」(ヨハネの黙示録3:3)
「その日、その時は、だれも知らない。天にいる御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。」(マルコによる福音書13:32)
「見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。」(ヨハネの黙示録3:20)
これは私たち多数の人が見落としている主の再来の方法です。
これらの聖句に主は「盗人のように」来ると言及し、これは主がこっそりと来られ、密かに降臨され、誰も知らなく、私たちが見ても分からないだと示しています。もし主の再来は雲に乗って降臨されるなら、すべての人が見えて、「盗人」のようにとたえられることはなく、人の間に降臨されて戸の外に立って、叩くこともありません。そして、聖書の多くの箇所には、主の再来は「人の子が来る」「人の子が現れる」と預言されています。例えば次の通りです。「あなたがたも用意していなさい。思いがけない時に人の子が来るからである」。」(ルカによる福音書12:40)「いなずまが天の端からひかり出て天の端へとひらめき渡るように、人の子もその日には同じようであるだろう。しかし、彼はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない。」(ルカによる福音書17:24、25)「人の子」と言えば、人間として生まれた普通の人です。主イエスはマリアから生まれ、外見は普通かつ正常でしたが、主イエスは受肉された神様であり、地上で働かれる神様ご自身でした。もし、主が雲に乗って降臨され、霊体で人々の間に現れるのなら、「人の子」と呼ぶことができません。ヤーウェ神は霊であり、天使も霊であり、霊でありながら、いかなる人間の姿を持っていますが、霊のからだに属するものはみな「人の子」と言えません。そして、もし霊体が公然と現れるなら、人々はみな怖がって恐怖に震え、あえて抵抗しないので、神様が苦しみを受け人々に見捨てられることもありません。受肉された神様だけが「人の子」と言えます。人間は神様の本当の身分を認識できず、ひいては神様を普通の人として扱い、様々な観念に基づいて、神様に抵抗し、罪に定めます。当時のパリサイ人が観念に基づいて主イエスがメシアではないと罪に定めたこと同じです。これは聖書の預言「しかし、彼はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない。」を実現されているのです。
二つの方法はどのように実現されるのか
ある人はこう言うでしょう。聖書に主の再来は雲に乗って降臨され、すべての人の目が見ると預言されています。また主の再来は受肉されて密かに降臨されると預言されています。この二つの方法は見たところ矛盾しています。
実際のところ、神様の言葉には矛盾がなく、神様が預言された事のすべては成就され、現実となります。
主の再来はまず受肉されて密かに降臨され、その後雲に乗って公然と現れるのです。なぜ神様はまず受肉されて密かに降臨されるのか。実は、これは神様の終わりの日の出現と働きに関わっています。
聖書にはこう預言されています。「わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない。けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう。」(ヨハネによる福音書16:12、13)
「わたしを捨てて、わたしの言葉を受けいれない人には、その人をさばくものがある。わたしの語ったその言葉が、終りの日にその人をさばくであろう。」(ヨハネによる福音書12:48)
「さばきが神の家から始められる時がきた。」(ペテロの第一の手紙4:17)
これらの預言から分かるのは、終わりの日に主が再来される時に、また多くの真理を語られ、私たちをすべての真理に導きます。言い換えれば、神様は終わりの日に神様の家から始まる一段階の裁きの働きをなさいます。言葉を語られ、人を裁き、清め、最終的に人を清められ、一群の勝利者を作れられて天国に導き入れるのです。私たちが知っている通り、私たちは主イエスを信じて罪が赦された。しかし、サタンの堕落した性質はまだ神様に赦されておらず、罪深い本性はまた私たちのうちに存在しています。私たちは人と付き合うときに、寛容や忍耐を実践できず、自分の意の通りにならない事に臨む時に怒り出したりします。口には神様に忠誠し、服従すると言いますが、神様を敬う心がありません。常にこの世の欲にふけって神様から離れたり、家が天災や人災に臨む時に神様に不平を言ったりするのです。これは私たちが罪の束縛と制御から抜け出しておらず、まだ昼間罪を犯し、夜になると告白する状態の中で生きていることを示しています。なぜなら、主イエスがなさった働きは人類を贖う働きであり、人間はもはや律法に断罪されず、束縛されなくなりました。人間を罪から贖い出したのは、終わりの日に罪を取り除く働きの道を整える働きでした。罪の束縛から抜け出したいなら、更なる神様の救いを受け入れる必要があります。そのため、主イエスは「わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない。けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう。」(ヨハネによる福音書16:12、13)と預言されたのです。つまり、神様は人の子となって終わりの日の裁きの働きをなさり、人々は神様の言葉による裁きと刑罰を経験することを通して徹底的に清められるのです。
ある人は、この裁きの働きは、神様が霊として働かれることでは、できないのだろうかと質問するかもしれません。
実は、もし神様が受肉されて言葉を語られるのではなく、神様の霊が直接言葉を語って働かれたら、人を清め救う効果を達成することができないのです。なぜなら、私たちは神様の霊を見ることも触れることもできません。しかも霊が私たちに語られても私たちはまったく分からず、雷の音のように聞こえて怖がるのです。旧約に記載されているヤーウェ神がシナイ山に現れたとき、イスラエルの人々は皆、かみなりと、いなずまとを見て、彼らは恐れおののきました。ヤーウェ神の雲を見て神様に撃ち殺されるのを恐れて、神様の言葉を聞くことがまったくできませんでした。(出エジプト記20:18、19を参照する)しかし、受肉された神様が働いて来られて、地上で人々に接され、人の言語で実際的に言葉を語られ、人々を潤し、養われ、人々に悔い改めの道を与えられます。人々はそれを聞いてから、どのように神様に祈り、悔い改めるのか、どのようにして正直な人になるかなどを知るようになります。そのため、終わりの日に神様は人々を罪から徹底的に救い出すため、もう一度受肉されて働かれ、実際的に様々な真理を語られ、私たちのサタン的性質を暴き、裁く必要があります。それによって、私たちは自分のサタン的本性と堕落の真相に対して本当に認識し、どのように実践すれば堕落した性質から解放されるかを理解し、言葉によって変化され、清められる効果に達します。このような働きの効果は、受肉された神様の実際的な働きだけが達成することができます。
もし、神様が霊を通して働かれるなら、人々は皆恐れ、皆神様の前にひれ伏して神様を礼拝するので、人々の観念や人の抵抗と反抗を露わにすることができません。こうして真理を憎み、神様に抵抗する邪悪な人々をも露わにすることができません。それぞれはその種類に応じて分類されることもできず、ヨハネの黙示録に預言された麦と毒麦、良いしもべと悪いしもべを分ける働きも成就できません。しかし、神様が受肉されて働きを行われることによって、神様を敬う心がない人は受肉された神様の外観が普通かつ正常であるのを見て、あえて思うままに裁いたり、拒絶したりします。このような人こそ露わにされたパリサイ人、悪いしもべであり、神様を十字架に釘付けにした人です。神様を敬う心を持ち、神様の出現を切望する人は、キリストの外見を見ずに、キリストの言葉と働きを考察し、その中から神様の声が分かって主の元に帰るのです。このような人こそ賢い乙女であり、良いしもべなのです。このようにして善悪が分けられるのです。
ここから分かるのは、神様の働きの必要に応じて、堕落した人類の必要にも応じて、終わりの日に神様はまず受肉されて密かに降臨されて人を裁き、清め、一群の勝利者を完全にされるのです。この一群の勝利者を作られた後、神様によって大きな災害が降りかかり、善人をねぎらい、悪人を懲らしめ始めるのです。その時、神様は白い雲に乗って公然とすべての国とすべての民族に現れ、終わりの日のキリストを受け入れず、かえって抵抗する人は皆、災害の中に陥り、歯ぎしりして泣くのです。これはヨハネの黙示録の「見よ、彼は、雲に乗ってこられる。すべての人の目、ことに、彼を刺しとおした者たちは、彼を仰ぎ見るであろう。」(ヨハネの黙示録1:7)という預言を成就することになります。
どのように主の現れと働きを迎えるのか
それでは、私たちはどのようにして主の現れと働きを迎えることができるのか。ヨハネの黙示録3章20節にこう書かれています。「見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。」
また七箇所に「耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。」と言及しています。
ここから私たちが分かるのは、終わりの日に神様は語られた言葉を用いて私たちに戸を叩くのです。すべての諸教会に向けた聖霊の言葉を聞く人は、神様の声がわかり、神様の終わりの日の働きを受け入れる人は、主の迎えている人です。そのため、今、私たちはいちずに主が雲にの来られるのを切望して待ってはいけません。神様の声を聞くことを重視することが肝心です。主の再臨の証しを聞いてから、真理の現れと神様の声であるかどうかを謙虚に尋ね求め考察すれば、神様の足跡にたどることができます。
今、多くの人は皆知っています。「東方閃電」は主が受肉されて密かに降臨され、数百万字の真理を語られ、神様の家から始まる一段階の働きをなさっていると証しをしています。そして、ここ数年「東方閃電」の福音が迅速に広がり、中国大陸および香港、台湾だけでなく、米国、ドイツ、イタリア、フランス、イギリスなどの地域にも全能神教会があり、少なからぬ宗教家、信仰の無い人々は全能神の言葉を読んで、皆これらの言葉には権威と力を持ち、普通の人が話すことができず、聖霊からの語たられた言葉だと感じています。また彼らの教会は神様を証しする映画、MV讃美歌、ミュージカル、漫才などを制作しています。これによって、多くの神様の出現を渇望し尋ね求め、真理を愛する人が褒めたたえ、続々とこのキリスト教会を尋ね求め考察し始めるのです。
「東方閃電」はこんなに繁栄しているのは、聖霊の働きに極めて関連性が深く、主イエスの再来である可能性は非常に大きいことを言わなくてはならなりません。まさに主イエスが言われた通りです。「ちょうど、いなずまが東から西にひらめき渡るように、人の子も現れるであろう。」(マタイによる福音書24:27)では、私たちは神様の声であるかどうかを聞き、謙虚に尋ね求め考察すべきではないでしょうか。これは私たちすべての真心で主の再来を待ち望んでいる兄弟姉妹が深く考えるに値します。