賛美の心

こちらでは賛美、礼拝、心を主の前において静まり、まことの心で神様を賛美することだけです。

聖書の勉強会で受けた良い知らせ(II)

2019-05-28 10:47:38 | 真のキリストと偽キリスト

   この時、チェン姉妹は次の2つのパラグラフの言葉を読んでくれました:「このようなことを考察するのは難しいことではないが、わたしたちそれぞれにこの真理を知ることが要求される。受肉した神は神の本質を有し、受肉した神は神による表現を有する。神は人間の姿になるので、なすべき働きを打ち出し、神は人間の姿になるので、自分が何であるかを表して、人に真理をもたらし、人に命を与え、人に進むべき道を示すことができる。神の本質を含んでいない肉体が受肉した神ではないことは間違いなく、これについて疑う余地はない。」(「神の働きを経験する者のみが真に神を信じる」より)「この時代に、しるしや不思議を起こせる人が現れ、悪魔を追い払い、癒やし、多くの奇跡を起こし、またその人がイエスの再来であると主張したなら、それは悪霊が偽ってイエスのまねをしているのである。これを覚えておきなさい。神は同じ働きを繰り返さない。イエスの段階の働きはすでに完了し、神は二度と再びその段階の働きをしない。…だから、神は、時代ごとにひとつの段階の働きをするのだ。ひとたびその段階の働きが完了すれば、すぐさまそれを悪霊がまねをし、サタンが神のすぐ後ろからついていく。神は方法を変更する。一度神がその段階の働きを完了すると、悪霊がまねをする。こうしたことを理解しておきなさい。」 (「今日の神の働きを知るということ」より)。

 聖書の勉強会,受け,良い知らせ

   チェン姉妹は続けてこのように交流しました:「この2つのパラグラフの言葉から主は真理であり、道であり、いのちであることが分かります。真キリストを偽キリストから見極めるには、主にそのキリストが真理を表すことができるか、そして人類を救う働きができるかどうかを確認することです。律法の時代の末に、主イエス様は来臨されました。主は人間の必要とするものに照らして多くの真理を表され、多くの奇跡を起こされ、十字架に磔にされて人類の罪を贖う働きをされました。主は恵みの時代を始められ、律法の時代を終えられました。神は常に新しく、決して古いことはなく、繰り返しの働きもされません。世の終わりに再臨される主は、しるしと不思議な業を起こしたり、病人を治して悪霊を追い払ったり、十字架に磔にされて人類の罪を贖うといった過去になされた働きは繰り返されません。なぜなら、その段階の働きは既に成就しているからです。主イエス様は世の終わりに偽キリストが大きなしるしと不思議な業を見せて人々を欺くことを預言されました。これ故に、もし主が再臨される時に、またこれらの働きをされるとしたら、主は矛盾されていることになりますよね?聖書は、世の終わりに主が再臨して巻物を開かれ、奥義を明らかにされ、神の家族を起点に裁きの働きをされ、山羊を羊から分け、人々をそれぞれの分類に分け、善良な者に報いを与え、邪悪な者を罰すること等を預言しています。偽キリストはキリストを装う悪霊であり、真理を表したり、新たな時代の到来を告げ、古い時代に幕を閉じることなどできません。彼らはもちろん奥義を明らかにすることも、人類を救う働きをすることもできません。彼らは主イエス様がなされた働きを真似ることしができません。彼らはしるしと不思議な業をいくつか起こして識別力のない混乱した人々を騙すこと以外は何もできないのです。」

   彼女の言ったことを聞いた後、私は心の中で完全に確信し、姉妹にこう言いました:「以前、牧師たちは偽キリストが世の終わりに現われること、そして欺かれるのを避けるために、主が再臨されたということを誰が口にしようとも、私たちはそれに耳を傾けてはならないと言っただけで、真キリストを偽キリストから見極める方法については一度も交流しませんでした。姉妹、私はあなたのお話しを聞いてこれを明確に理解し、真キリストを偽キリストから見極める方法も知ることができました。」

   その後の集会で、姉妹は主の再臨にまつわる7つのしるしに関する真理、神の御名前の意味等について交流してくれました。私はこれを聞けば聞くほど、心が増々啓かれゆき、私はもっともっと聞きたくなりました。同時に、私はチェン姉妹は多くの真理を理解していると思いました。その後、彼女は言いました:「ここ数回の集会で話した真理におけるこれらの側面は、世の終わりの全能神の働きを受け入れた後に、神の御言葉を沢山読んで理解したことです。全能神は主イエス様の再臨です。主は数百万もの真理を明らかにされ、巻物を開かれ、義が支配する性質を表され、神の家族を起点に裁きの働きをされ、神の経営計画における奥義全てを明らかにされました。全能神がこれら全ての奥義を明らかにされていなかったら、私たちは一生かけて聖書を読んでもこれらの真理を理解することはないでしょう。」これを聞いた私はびっくりして、こう思いました:「主イエス様が再臨された?全能神が主イエス様の再臨?私が最近聞いた内容は本当に東方閃電のあり方なの?」そして、私は思わずチェン姉妹にこう尋ねました:「あなたの説教の仕方は東方閃電によるものですか?」彼女は笑顔でこう言いました:「姉妹、私たちは東方閃電のことを耳にしたばかりです。東方閃電とは何なのかご存知ですか?東方閃電はどこから来たのですか?」私はどう答えて良いのか分からず首を振りました。

   チェン姉妹は続けてこう言いました:「私たちは分からないので聖書を調べて、主がこれについてどう仰っておられるか確認しましょう。聖書全体で、‘閃電’ は多くの聖句が言及しています、例えば:『あなたがたは春の雨の時に、雨を主に請い求めよ。』(ゼカリヤ書10:1)。『御座からは、いなずまと、もろもろの声と、雷鳴とが、発していた…』(ヨハネの黙示録4:5)。『ちょうど、いなずまが東から西にひらめき渡るように、人の子も現れるであろう。』(マタイによる福音書24:27)。これらの聖句より、’閃電’ は神がもたらすもので、神の働きおよび神の御言葉を指しており、’東方’ とは神が世の終わりの働きをなさる場所を指していることが分かります。今、全能神の国の福音は中国本土全体に広まっています。様々な分派と宗派から、真理を追い求め、心から神を求める人々が全能神の前に立ち返りました。数百万もの人々が神の御言葉を授かり、神の御言葉に裁かれ、清められ、救われ、そして完全にされ、神の素晴らしい御業の証言をしています。神は中国で克服者の集まりを作られ、神と心を1つにした人々の集まりを得られました。神の働きは神の栄光をもってついに完了し、東から中国、そして西の世界へと素早く移り渡っており、全能神教会は世界中の多くの主要な国々と地域で確立され、これは主イエス様がされた:『ちょうど、いなずまが東から西にひらめき渡るように、人の子も現れるであろう。』(マタイによる福音書24:27)、という預言を完全に成就しています。東方閃電については、神の御言葉の栄唱の動画を見ればもっと理解できるでしょう。」

   そしてチェン姉妹は神の御国の福音が全世界に広まることを預言した「7つの雷が轟く」という神の御言葉の栄唱の動画を再生し、この中には神の御言葉の次の節がありました:「宇宙の隅々までわたしはわたしの働きを行っている。東方では、雷のような轟音が終わることなく発生し、すべての国々や宗派を震わせている。すべての人々を現在に連れて来たのはわたしの声である。わたしはすべての人々がわたしの声により征服され、みなこの流れに落ち、わたしの前に帰服するようにする。わたしはずっと前に全地からわたしの栄光を取り戻し、東方で新たにそれを発したからである。…その時から、わたしは正式に人類へ入る、人々がわたしを礼拝するために。わたしから放たれる栄光とわたしの口にある言葉によって、人々はみなわたしの前へ来るようになり、稲妻が東方から閃くこと、またわたしが東方の「オリーブ山」に降ったことも知るようになる。彼らはわたしがずっと前からすでに地上にいたことを知り、「ユダヤ人の息子」ではなく、東方の稲妻だと知るだろう。なぜならわたしはずっと前に復活し、人々の中から去って、その後栄光と共に再び人々の中に現れたからである。わたしは幾時代も前に崇拝された神であり、幾時代も前にイスラエル人によって見捨てられた「赤児」である。それだけでなく、わたしは今の時代の栄光に満ちた全能神である。すべての者をわたしの玉座の前に来させ、わたしの栄光に満ちた顔を見させ、わたしの声を聞かせ、わたしの業を見上げさせなさい。これがわたしの心の全てである。これがわたしの計画の結末であり、クライマックスであると同時に、わたしの経営の目的でもある。すべての国々にわたしにひれ伏させ、すべての人にその言葉でわたしを認めさせ、すべての人にわたしを信仰させ、またすべての人がわたしに服従するようにしなさい。」私はこの動画を見てショックを受けました。この御言葉の文章全てが力と権威で満ちており、神のみが口にできる御言葉だったのです。神の御言葉は、東方閃電は世の終わりのキリスト、すなわち全能神の働きと御言葉を指していることを明確に語っています。主イエス様は真理を表して人間を救うために、既に受肉して私たちの間に戻っておられ、大勢の人々が主の御声を聞いて神に向かって立ち返りました。以前、牧師たちは東方閃電の道を聞いた大勢の信者たちが彼らに奪われてしまったと言っていました。しかし私は今初めて、神が奥義の全てを明らかにされたので、心から神を信じる人々は神の御言葉を聞いた後に征服され、神の前に立ち返ったのだと理解しました。これで私はやっと全能神が主イエス様の再臨であると認識しました。私は主が本当に戻られていたとは決して思っていませんでした。さらに、私は主の来臨に巡り合う機会をいただき、そのため、本当に恵まれていたのです。私は神が私をお導きくださったこと、そして神の御声を聞いて、主の再臨をお迎えできるようにしてくださったことに感謝しました。そして、私は喜んで神の新たな働きを受け入れました。

   その後、私は時間さえあれば、神の御言葉を読み、讃美歌を聞き、全能神教会の様々な動画を見ました。私は兄弟姉妹たちと集まって交流もしました。しばらくした後、わたしのいのちの成長は明らかで、私はここ3か月で主への5年間の信仰を通じて得た以上の真理を理解しました。私は神の働きをより深く知っただけでなく、本来持っていた信仰と愛を取り戻し、もう一度聖霊の働きと御指導を感知することができました。神に感謝します!今後、私は勤勉に真理を求めて行きます。私はどのような困難に直面しようとも、断固として最後まで神について行きます。


聖書の勉強会で受けた良い知らせ (I)

2019-05-27 12:30:33 | 真のキリストと偽キリスト

   現在、兄弟姉妹の多くは偽キリストに騙されることを懸念して、軽い気持ちで説教を聞かないようにしています。しかし、このように心を閉ざし、自分の殻に閉じこもってしまうと、私たちのいのちの成長が遅れてしまい、主をお迎えする機会を逃し、最終的には主から見捨てられてしまいます。実際、偽キリストを見極めるための原則を理解してさえいれば、自然と彼らに騙されることはありません。聖書の勉強会に参加した後、私は偽キリストを見極めるための原則を理解しただけでなく、良い知らせまで受けました。

   2018年3月、リー姉妹と私は弱気になっていた姉妹を訪ねに行きました。この姉妹の家に着くと、そこにはたまたま彼女の姪もいました。お互いに自己紹介した後、私は彼女の姪であるチェン姉妹も主の信者であることを知り、私たち4人は一緒に交流しました。会話の中で、私はチェン姉妹の交流には見識があり、彼女の言葉には啓蒙が込められているように感じました。その後、チェン姉妹が私たちは一緒に聖書を勉強するべきだと提案しました。残りの私たちも快く賛成しました。そして、私たちは世の終わりのしるしに関する聖句を一緒に読んで交流しました。チェン姉妹の交流を通じ、私はこう理解しました:「現在、主の信者たちは世俗的なものを固持し、彼らの信念と愛は冷めてしまいました。牧師と長老たちは陳腐な決まり文句を説き、お互いを陥れようと画策し合い、お互いを嫉妬し合って、口論するといった始末です。これらは教会の荒んだ状態を示しており、世の終わりのしるしでもあります。また、4つのブラッドムーンに関する預言の成就やありとあらゆる災害の発生等、こういった世の終わりのしるしも現れました。私は今が世の終わりで、主が近々来臨されることになるとは思ってもいませんでした。こう考えていると私は興奮しました。以前教会で牧師たちがこれらの聖句の説明をするのを聞いたことがありましたが、彼らはこの姉妹がしたほど明確には説明しておらず、私はこのような切迫感を感じたことはありませんでした。私はチェン姉妹がこんなに若くしてこのような新鮮で説得力のある交流ができるとは思っていませんでした。私はこれに注意深く耳を傾ける必要がありました。

   次に、チェン姉妹は聖書の預言の内容を取り込んで主が再臨される方法について、主が裁きの働きをするために再臨されることについて、そして神の裁きの重要性等について交流しました。私は楽しみながらこれに聞き入ってこう理解しました:「私たちが絶えず罪を犯す理由は私たちの中に依然として罪深い本質が存在しているからです。だからこそ、主は世の終わりに私たちの堕落した性質を清めて、私たちを罪から救うために裁きの働きをすることを預言されたのです。私は姉妹の交流を聞けば聞くほど、増々それが啓蒙的であると感じました。私は長年に渡って教会で説教を聞いてきましたが、これほど明快な説教を聞いたことはありませんでした。その後、チェン姉妹は沢山の踊りと歌の動画、讃美歌の動画、栄唱の動画、そして写生も見せてくれました。これらは新鮮で、私は今までこのようなプログラムを見たことがありませんでした。讃美歌の動画は私が教会で見たものよりも内容がかなり良く、特に「神への愛着」や「最後までお伴いたします」は歌詞がとても素晴らしく、まるで私の心の中が読まれているようでした。私はこれらを聞いて感動しました。気が付くと、もう夜遅くなっていたので、私たちは次回聖書を学ぶ日を決めました。家に帰る道中、私は胸の中で幸せを感じながら主を讃える讃美歌を口ずさみ、次の勉強会を楽しみにしました。

聖書の勉強会,受け,良い知らせ

   自宅に帰ってから集会で聞いた交流のことを考えていると、私は多くを学び、以前理解していなかった多くの聖句をより深く理解した気がしました。突然、この考えが頭に浮かびました:「チェン姉妹が説いていたのは東方閃電のあり方かしら?」牧師たちは東方閃電はとても高慢な説教をするから耳を傾けてはいけないと何度も私たちに注意していたのです。この時、私はとても心配になり、心の中で激しく葛藤しました:「私の考えていることが正しいとしたら、次の集会には行くべきかしら?でも、チェン姉妹の交流は牧師たちの説教とは違って本当に啓蒙的だわ。しかも、彼女の交流内容は聖書に基づいていて、私の心を喜ばせてくれる。これは実際に感じている気持だわ。これら全てが彼女の交流には聖霊の働きが宿っていることをはっきりと示しているわ。これはいけない。私はやみくもに牧師の言うことを聞くべきではないわ。主イエス様が本当にお戻りになっているのに、主の御言葉を聞かないでいたら、私は主をお迎えする機会を逃してしまうし、そうしたら私は一生後悔することになるわ。」こうして、私は次の集会に参加することにしました。

   集会の場で、私はチェン姉妹に自分の不安を話しました:「今教会で、牧師たちは世の終わりに偽キリストが人々を騙すから、私たちは軽い気持ちで説教に耳を傾けるべきではなく、そうでないと簡単に騙されてしまう。だから、私たちは騙されないように他のどの説教も聞くべきではないと私たちにしょっちゅう言っています。」

   チェン姉妹はこう言いました:「聖書の中で、ヤ―ウェ神はこう仰りました:『心を弱くしてはならない、この地で聞くうわさを恐れてはならない。⋯』(エレミヤ書 51:46)。 聖書にはこの記述もあります:『というのは、神がわたしたちに下さったのは、臆する霊ではなく、力と愛と慎みとの霊なのである。』(テモテヘの第二の手紙 1:7)。この聖句から、神は私たちに力強く勇敢な心を与えてくださったことが分かります。神が一緒にいてくださる時、私たちは何も恐れなくていいのです。なぜなら、神は全能であり、この世界にある全てが神の御手にあるからです。臆病さと恐怖感はサタンからくるものですが、私たちは神を心に抱いていなければ、臆病になり、恐れを感じてしまいます。サウル王に起こったことと同じです。彼は神を心に抱いていた時は全ての戦いに勝利したことがありました。しかし、彼は神に反抗して神から見放され、巨人が相手となった時は心の中でとても小心になり、軍の間に否定的な状況を作り上げてしまいました。ダビデは武器を持たぬただの羊飼いの少年でしたが、彼は心に神を宿らせ、敵軍がどれだけ狂暴であっても神の主権の下に留まりました。これ故に、彼は巨人と対戦した時も恐れませんでした。臆病さと恐怖感はサタンからくるのです。臆病になったり、怖いからといって真の道に耳を傾けることを拒否していたのでは、サタンの策略にはまってしまったことにならないでしょうか?私たちは、『耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。』 (ヨハネの黙示録2:7) 、という言葉がヨハネの黙示録で何度も言及されていることを誰もが知っています。これは聖霊による御啓示であり、また真の道を調査する上で、私たちは神の御要望を理解できるよう、耳を傾け、理解し、そして判断することを促す神からの注意喚起でもあります。また、聖書には次の記録もあります:『したがって、信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉から来るのである。』(ローマ人への手紙10:17)。この聖句から、歩む道に関する神の御言葉を聞いて調査することは真の道を信じるための必須条件であることが分かります。最初に主の福音を聞いていなかったら、私たちは主の前に来れたはずがないのです。他の人たちが説く道を聞き、それを調査した後に初めて、それが真の道であるのかどうかを判断することができます。主の羊は主の御声に耳を傾けるのです。これ故に、私たちはそれを聞いた後に初めて、それが主の御声であるのかどうかを知り、主の再臨をお迎えする機会を得ることができます。神は私たちの拠り所であり、支えなのです。それでも、私たちは何かに恐れる必要などあるでしょうか?」チェン姉妹の交流はとても合理的でした。主は全能なのです。主に支えていただきながら、私は一体何を恐れていたのでしょう?この時、私は心が落ち着き始めました。

   チェン姉妹は続けてこう言いました:「そのとき、だれかがあなたがたに『見よ、ここにキリストがいる』、また、『あそこにいる』と言っても、それを信じるな。にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。見よ、あなたがたに前もって言っておく。」 (マタイによる福音書24:23-25). 主はこう仰った時、私たちが主の再臨を待つ際には注意深く、識別力を持つことを意図されていたのです。そして、主は私たちが騙されてしまう時のために、大きなしるしと不思議な業を見せるという偽キリストの性質について語られました。しかし、主は、世の終わりに偽キリストが現れるからと言って、私たちが耳を傾けず探求もしないといった態度を取ることを意図していたわけではありません。主はすぐに来られると仰っています。偽キリストに騙されることを懸念して主の再臨の福音を説く者全てを避けたり、拒否するということは、自分の扉を閉ざして孤独に待ち続けたり、喉を詰まらせることを恐れて食事を拒むようなものではないでしょうか?そんなことをして、どうして主の再臨をお迎えすることができましょうか?実際、偽キリストから騙されないでいるのはとても簡単なことです。私たちは真キリストと偽キリストを見極める真理を理解してさえいれば、自然と偽キリストに騙されることも、主の来臨をお迎えする機会を逃すこともないのです。ならば、どうすれは偽キリストを見極めることができるのでしょうか?次に、真理のこの側面について交流しましょう。」

   私はチェン姉妹の言った言葉1つ1つに筋が通っていると思いました。確かに、偽キリストに騙されることを恐れ、消極的になって主がお戻りになったと言う者全員を防いでいたら、私たちは主の来臨をお迎えする機会を逃してしまうのではないでしょうか?偽キリストを見極めることができれば、彼らから騙されることなど心配しなくてもいいのです。これ故に、チェン姉妹が真キリストと偽キリストの見極め方の真理について交流すると言った時、私はもっと注意深く耳を傾けました。


真のキリストと偽キリストの見極め方

2019-05-26 02:47:17 | 真のキリストと偽キリスト

   信仰ステーションの兄弟姉妹たちの皆さんへ、

   こんにちは!

   私の名前はリ・リと言います。私は家庭教会を管理している指導者です。私たちはある者が主イエス様は既に再臨されていると説いているのを耳にしました、しかし聖書では主イエス様は、「そのとき、だれかがあなたがたに『見よ、ここにキリストがいる』、また、『あそこにいる』と言っても、それを信じるな。にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。」 (マタイによる福音書24:23-24)、と仰っておられます。これらの御言葉から、主が再臨なさる時にはありとあらゆる偽キリストと偽予言者が信者たちを欺くために現れることが理解できます。それ故に、私たちは偽キリストに騙されるのが怖くて、探求や調査することができません。しかし、私たちは主が、「しかり、わたしはすぐに来る」(ヨハネの黙示録22:20)、と仰ったことを考えると、主がお越しになる時に主をお迎えする機会を逃してしまのではないかと懸念しています。私たちはとても心配しています。兄弟姉妹のみなさん、私たちはどのように実践すればいいのか分からないです。それと、どうか私たちと真のキリストと偽キリストの見極め方について交流してください。

リ・リより

2018年10月2日


   リ・リ姉妹へ、

   こんにちは!あなたは教会の指導者として兄弟姉妹たちのいのちの責任を担っています。あなたが交流を求めているのは真理を切望し、神の御旨を大切にしているということです。今は終わりの日の末期、主イエス様が再臨なさる非常に重要な時です。この時期に必ず多くの偽キリストが現れて人間を騙すでしょう。あなたが彼らに騙されてしまい、主に引き上げていただく機会を逃すことを懸念するのは理解できます。ご質問について、一緒に真理を探求して交流しましょう。

キリスト,偽キリスト,見極め方

   主イエス様が私たちの場所の準備ができたら私たちを受け入れるためにお戻りになると、かつて約束されたことは誰もが知っています。最近、終わりの日が到来しました。偽キリストに騙されることを恐れ、自らを守るばかりで探求し調査することを拒んでいたのでは、主をお迎えすることなどできるはずがありません。主イエス様はかつて私たちにこう仰りました:「夜中に、『さあ、花婿だ、迎えに出なさい』と呼ぶ声がした。」(マタイによる福音書25:6)。「わたしの羊はわたしの声に聞き従う。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしについて来る。」(ヨハネによる福音書10:27)。ヨハネの黙示録では、「耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。」(ヨハネの黙示録2:7)、ということが何度も強調されています。私たちは、これらの御言葉を通じ、主はお戻りになる時もその御声を発せられると理解しています。主の御声を聞いて、それが主であると気が付く者たちのみが主をお迎えすることができ、そのような人間は賢い乙女であり、主の羊であります。主がお戻りになったのを誰かが目撃しても、それを調査することも、主の御声を聞くこともなければ、主をお迎えすることなどできるわけがありません。

   主の再臨の予言を調査する時、多くのクリスチャンは自らを偽キリストや偽予言者たちから守ることを重要視しますが、花婿の来臨をお迎えすることや、花婿の御声を聞くことにもっと注意を払うということはしていません。これは何が問題なのでしょう?これは喉を詰まらせることを恐れて食事をせず、得ることよりも多くを失うことになるという振る舞いではないでしょうか?実際、私たち人間は偽キリストや偽予言者から自らをどれだけ守ろうとしても、主の再臨をお迎えして神の御座の前に引き上げていただくことができなければ、愚かな乙女となり、神に排除され、見捨てられてしまうでしょう。そうしたら、私たちの神への信仰は完全な失敗に帰してしまわないでしょうか?

   主の再臨をお迎えして、偽キリストと偽予言者から騙されることを避けたいのであれば、私たちは偽キリストがどのように人間を騙すのかを明確に理解しておく必要があります。実は、主イエス様は既に私たちに偽キリストと偽予言者の行いについて話してくださっておられます。主イエス様はこう仰りました:「にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。」(マタイによる福音書24:24)。主イエス様の御言葉から、偽キリストと偽予言者は主として大きなしるしと不思議な業を表して神の選ばれし人々を欺き、それは彼らが主として発現させることであることが分かります。この点について、私たちは偽キリストが人間を騙すためにしるしと不思議な業を見せるのは、彼らは何の真理も持っていないからであることを理解しておく必要があります。彼らは本性的かつ本質的に極めて邪悪な霊なのです。そして、彼らは人間を救い清める働きも、私たちに歩むべき道を示すことも、私たちにいのちを備えることも全くできないので、人間を騙すためにはしるしと不思議な業を見せることに頼るしかないのです。彼らは真理を持っていたら、人間を騙すためにしるしと不思議な業を使うことは絶対にないでしょう。従って、偽キリストと偽予言者がしるしと不思議な業を見せるということは、彼らが策に尽きていることを明示しているのです。私たちはこの点を見抜く必要があります。これができないと、私たちはより簡単に騙されてしまいます。

   私はある霊的書籍の中で次の2節の御言葉を目にしました:「この時代に、しるしや不思議を起こせる人が現れ、悪魔を追い払い、癒やし、多くの奇跡を起こし、またその人がイエスの再来であると主張したなら、それは悪霊が偽ってイエスのまねをしているのである。これを覚えておきなさい。神は同じ働きを繰り返さない。イエスの段階の働きはすでに完了し、神は二度と再びその段階の働きをしない。… 人間の観念では、神は常にしるしや不思議を見せ、癒やし、悪霊を追い払い、いつでもイエスのようでなければならないのだが、今の神はまったくの別物である。もし終わりの日に神がしるしや奇跡を示し、まだ悪霊を追い払ったり癒やしたりしていたら──それならば、神はイエスの働きと同じ働きを繰り返していることになり、イエスの働きは無意味で無価値ということになる。だから、神は、時代ごとにひとつの段階の働きをするのだ。ひとたびその段階の働きが完了すれば、すぐさまそれを悪霊がまねをし、サタンが神のすぐ後ろからついていく。神は方法を変更する。一度神がその段階の働きを完了すると、悪霊がまねをする。こうしたことを理解しておきなさい。」「神の働きは人が抱く観念とは決して一致しない。神の働きはいつも新しく、決して古くないからである。神は古い働きを決して繰り返さず、むしろこれまでなされたことのない仕事を行う。」

   姉妹、これらの御言葉から、神の働きは常に新しく、決して古くないことが分かります。神は同じ働きはなさりません。主イエス様が働きに来られた時も、主は恵みの時代を開始され、律法の時代を終了され、贖いの段階の働きをなされました。主は病人を治され、悪霊を追い払われ、多くのしるしと不思議な業をなされ、人間に豊富な恵みをお与えくださりました。最後に主は十字架に磔にされて人間の罪を贖ってくださったのです。主イエス様の人間を贖う働きは既に成就しているので、神はもうその働きはなさりません。偽キリストたちはどうでしょう?彼らは皆、キリストを装う邪悪な霊で、新たな時代を迎え入れ、古い時代を終える働きは全くできません。彼らは混乱して識別力を持たない人間を騙すために単純なしるしと不思議な業を見せて主イエス様の真似をすることしかできず、主イエス様がなされた奇跡をまねて起こすことなどできません、そして例えば、主イエス様のように死者を蘇らせたり、5つのパンと2匹の魚だけで5000人を食べさせたり、風と海を叱るといったことは間違ってもできないのです。こういったことより、私たちは主イエス様がかつて、「にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。」(マタイによる福音書24:24)、と言って私たちに警告なさった理由が分かります。主は私たちが、しるしと不思議な業を見せて主イエス様を装う邪悪な霊から自分たちを守れるようにしてくださっています。彼らは偽キリストであり、私たちが識別して拒むべき者たちです。これこそが、これらの御言葉における主の御旨であります。しかし、私たちは主の御心を理解せず、主の御言葉を誤解し、神の再臨を証言する者たちを誤っていると非難すらしました。これは極めて不合理なことでないでしょうか?私たちは神の善良な御旨に逆らっているのではないでしょうか?私たちにはこのような途方もないことができてしまい、それは私たちが偽キリストを識別できないことだけでなく、真キリストを知る方法を理解してもいないことを示しているのです。

   他にもこの御言葉の節があります:「神は肉となりキリストと呼ばれ、真理を人に与えることのできるキリストは神と呼ばれる。ここには何の誇張もない。なぜなら、彼は神の本質を持っており、神の性質を持っており、その働きには知恵があり、これらはどれも人間の手の届かないものだからだ。自らキリストを称するが、神の働きを行えない者は、詐欺師である。キリストは、単なる地上における神の顕現ではなく、神が人の間で業を行い完成させるため神が宿った特有の肉体である。この肉体は、誰でも代われるものではなく、地上における神の業を適切に引き受け、神の性質を表し、神を十分に象徴し、人にいのちを与えるものである。遅かれ早かれ、キリストを騙る者はみな倒れる。彼らはキリストと自称しながら、キリストの本質は全く持っていないからだ。だから、キリストの真偽は人が定めることのできるものではなく、神自身が答え定めるものだとわたしは言うのだ。」姉妹、キリスト様は肉となられた神であり、神の魂が顕現した肉であり、すなわち、それは神が有するものと神そのもの、神の性質と神の知恵全てが肉に顕現しているということなのです。キリスト様は神性な本質をお持ちで、真理そのものであります。キリスト様は何時、何処でも真理を表して人間に供給し、人間を導くことがおできになります。キリスト様のみが人間を贖い救う働きがおできになり、それは誰も真似ることはできないのです。これは正に誰も否定できない事実なのです。対照的に、偽キリストは誰もが邪悪な霊に取りつかれており、その全員が極めて傲慢で不条理です。彼らは邪悪な霊であり、悪魔であるため、どのようにしてしるしや不思議な業を見せ、聖書の内容を歪曲したり、深遠な知識や教義を口にしても、彼らのやっていることは、人間を欺き、傷つけ、没落させ、人間に何らかの霊的成長を具えることもなく、ただ単に人間が絶えず暗闇に陥り、歩む道を持てずに最終的にはサタンに破滅させられるようにするだけなのです。偽キリストと偽予言者はその全員が神の働きを邪魔して妨害するサタンと邪悪な悪魔の化身であることは明らかです。これ故に、どれだけの人々を騙し、傷つけ、没落させても、彼らは何の真理も持たないのですぐに滅び、消えていくでしょう。姉妹、私たちは真キリストと偽キリストの見分け方に関する真理を本当に理解しているのなら、絶対に、偽キリストに騙されるのが怖いからといって、神の御声を聞くことや、神の顕現をお迎えすることを拒否してはいけないのです。

   リ・リ姉妹、真キリストを偽キリストから見分ける方法ですが、あなたはその知識を少しお持ちかもしれません。キリスト様のみが真理、道、そしていのちであります。新な時代を迎え入れ、古い時代の幕を閉じ、人間を清め救うために真理を表し、人間にいのちを与えることができるのはキリスト様であります。真理を表すことができず、人間を騙すために単純なしるしと不思議な業を見せることしかできない者は間違いなく偽キリスト、欺瞞者なのです。これが真キリストと偽キリストを見極めるための基本原則です。真の道を求め、調査する者は全員がこの原則に従って神の御声を求め、それを確認するべきです。これが間違いであることは絶対にあり得ません。真理のこの側面を理解できれば、私たちは偽キリストと偽予言者に騙されることを心配しないでしょう。


クリスチャンの日記-真キリストと偽キリストの見極め方

2019-05-25 20:11:56 | 真のキリストと偽キリスト

   【編集者メモ】主は終わりの日に偽キリストが現れて人々を騙すと仰いました。ならば、どのようにして真キリストと偽キリストを見極めればよいのでしょうか?このエッセイの著者であるリー・シンは以前そう質問されました。しかし、以下の交流の後、彼女の心の困惑はついに解消されたのです。

   2017年6月8日、木曜日、曇り

   今日の集会の最中、牧師はこう言いました。「終わりの日が到来しました。主の再臨の預言は基本的に成就しています。4つのブラッドムーンもその姿を現しました。大災害もすぐそこまで迫ってきています。私たちは主が来られるのを注意深く待つ必要があります。主イエスはこう仰いました。『そのとき、だれかがあなたがたに「見よ、ここにキリストがいる」、また、「あそこにいる」と言っても、それを信じるな。にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。』(マタイによる福音書24章23-24節)終わりの日には、偽キリストと偽預言者が間違いなく私たちを惑わしにやってきます。なので、主イエスが再臨なされたと誰かが宣教する場合、偽キリストに惑わされて、主に捨てられても、不注意に調査してはなりません」。

クリスチャンの日記-真キリストと偽キリストの見極め方

   ここ数年の間、牧師たちはいつも私たちにこう言っています。「偽キリストが人々を惑わすために現われます、なので、主イエスの再臨を証言する人がいれば、それを聞いても、信じてもなりません。」 そして、私はその言葉に従ってきました。しかし、集会が終わった時、ある年配の姉妹が私にこう言ったのです。「牧師は主の再臨の知らせを広める人がいたら、それを調査しても、信じてもならないっていつも私たちに言うけど、主イエスはっきりとこう仰っているわ。『夜中に、「さあ、花婿だ、迎えに出なさい」と呼ぶ声がした。』(マタイによる福音書25章6節) 主の再臨を宣教する人がいてもそれを調査しないということにこだわっていて、万が一主が本当にお戻りになることがあったら、私たちは主に会う機会を逃して、主に見捨てられてしまうのでないかしら?」

   私は彼女の言葉に考えさせられました。「そうだわ、私は今までずっと偽キリストが現れて人々を惑わすと信じていたわ。でもその結果、偽キリストを警戒することにしか注目していなかったのよ。積極的に神の顕現を求める方法については一度も考えたことがなかったわ。誰かが、『さあ、花婿だ』、と言っても、神の働きを求めないで調査もしなかったら、私は主に会う機会を逃してしまうわ。そうしたら、後悔しても手遅れになるわ。真キリストを知ろうとせず、偽キリストを警戒してばかりいたら、主には会えないし、まして神の御前に携挙されることなんて多分あり得ないわ。そんなの嫌よ、このままただじっと座って死ぬのを待っていたらいけないわ。自分から探求する必要があるけど、先ず最初は真キリストと偽キリストを見極めることに関する真理を理解する必要があるわ。こうしてのみ、偽キリストから自分を守って、真キリストに会うことができるのよ。主はかつて、『求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。』(マタイによる福音書7章7節)、といって私たちに約束してくださったわ。だから、心から探求してさえいたら、主は必ず私を導いて理解できるようにしてくださるはずだわ」。

   2017年6月13日、火曜日、曇り

   最近、私は一日中困惑しています。時に、主が夢の中に現われてそれを解決してくださると期待することすらありました。いいえ、私はただ待っているわけにはいきませんでした。牧師の意見を聞きに行く必要があったのです。外はどんよりと曇った状態で、雨が降りそうでしたが、それを気にしている場合ではありませんでした。私は急いで朝食を済ませた後、レインコートを掴み、電動スクーターに乗って牧師の家に向かいました。

   私はリー牧師の家に行き、それからワン牧師の家に行きました。彼らは私の困惑について「主イエスが受肉して再臨されたと宣教する者がいても、それは間違いなく虚偽です。惑わされないように、それを信じることは拒否しなければなりません」とだけ言いました。しかし、彼らは偽キリストの特徴と見た目に関しては、何もはっきりとした説明ができませんでした。私は彼らの返答にとてもがっかりし、困惑が解消されないままそこを後にしました。電源が切れた電動スクーターを雨の中で押しながら、私はまるでずぶ濡れになった猫のようでした。私は体と心の両方で寒気がしました。私は意気消沈してしまいました。

   夜になると、空に星はなく、月は分厚い雲の後ろに姿を隠し、空気中にはまだ蒸し暑さがありました。私は聖書を手に取り、主の御前で跪いて祈りを捧げました。「主よ!私は常にあなたの再臨を心待ちにしてきました。しかし、牧師と長老たちは見知らぬ人の言うことを聞いてはならないと私たち言います。それは惑わされるのを避けるためだと、彼らは言うのです。私には見極める力がありません、なのであなたの再臨を証言する福音には耳を傾けず、信じないようにしています。しかし、今あなたが再臨されるという預言はほぼ完全に成就しています。私はあなたの再臨をさらにお迎えしたくなりました。主よ、偽キリストに惑わされないためには、どうやって真キリストと偽キリストを見極めればよいのでしょうか?主よ、どうか私をお導きください。アーメン!」

   2017年8月16日、水曜日、晴れ

   外は太陽が出て晴れ渡り、鳥たちはまるで良い知らせを広めているかのように、鳴きながらお互いをお追いかけ合っていました。さらに、主の信者であるリー姉妹が私に会いたがっていたので、私は気分が上々でした。彼女は、長年に渡って主のために働き宣教をしてきた姉妹が今日偶然彼女を尋ねてきているので、その姉妹とこの困惑について相談すればよいと言ってくれたのです。その姉妹と会った後、私は彼女の優しさを感じ、軽く挨拶をした後、単刀直入に自分の困惑を彼女に伝えました。

   私の話しを聞き終えたチェン姉妹は笑顔でこう言いました。「実は、主イエスは真キリストと偽キリストの見極め方についてかなり前から語っておられます。主はこう仰いました。『そのとき、だれかがあなたがたに「見よ、ここにキリストがいる」、また、「あそこにいる」と言っても、それを信じるな。にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。』(マタイによる福音書24章23-24節) この御言葉から、偽キリストの持つ最も顕著な特徴は、人々を惑わすためにしるしと奇跡を行うということであることが分かります。彼らは神ではないし、真理を持ってもいないため、新たな時代を始め完結させるという働きはできません。彼らは神の働きの後ろに付き、神が以前行われた働きを真似て人々を騙すことしかできません。例えば、中国本土で言えばジー・サンバオとフア・シュエハ、韓国で言えばアン・シャンドンがそうです。彼らは全員しるしと奇跡を行うことができ、自分たちが神だと言い張ります。しかし、彼らは新しい働きをもたらすことができなかった上に、彼らが行ったしるしも神が既に以前の働きの中で行われているものでした。彼らは偽キリストです。しかし、神は決して同じ働きを繰り返されませんし、神は常に新しく、決して古くありません。律法の時代に人々を導くためにモーセを使って律法を発布された時も、恵みの時代に人間の罪を贖うために人の子となられ、十字架に磔にされた時も、神の各段階の働きは神の経営計画および人間が必要とするものに合わせてなされました。なので、終わりの日には、奇跡的なしるしと業を行うことできる人々を警戒しなくてはなりません。奇跡を起こして自らをキリストと名乗る者たちは偽キリスト以外の何者でもありません」。

   私は興奮してこう言いました。「主に感謝します。主はかなり前から偽キリストの特徴について語っておられたのです。どうして私はこんなに混乱していたのでしょう?これで私は 『偽キリストとは神が以前なされた働きを真似て、終わりの日に人々を惑わすために奇跡を起こす者たちのことである』 ということが分かりました。」 同時に私は突然こう考えました。「もし私の前に現われる人が自らをキリストだと宣言しても、不思議な業を起こさないとしたら、その人が真キリストだってことなの?偽キリストがその才能を見せなかったり、奇跡を行わないとしたら、どうやって彼らを見極めればいいのかしら?」こう考えると、私は思わず心配になって彼女にこう聞きました。「チェン姉妹、偽キリストはしるしと奇跡を行って、自らをキリストと名乗るとあなたは言われました。なので、彼らを見極めることが容易なのは分かりました。でも、自らをキリストと名乗るけれども、奇跡的な業を見せない人がいたとしたら、その人が真キリストということなんでしょうか?」

   チェン姉妹は笑顔で言いました。「姉妹、それはとても重要な質問ですね。なぜなら、偽キリストが奇跡を見せないとしたら、私たちが肉眼で彼らを認識するのは不可能だからです。しかし、この点については、主の御言葉が既に私たちに正しい道を示してくださっています。主イエスはこう仰いました。 『わたしは道であり、真理であり、命である。』(ヨハネによる福音書14章6節) キリストは神の御霊の権化であられます。キリストは神の顕現でもあられます。キリストのみが、私たちに真理、道、そしていのちを与えることがおできになります。キリストのみが、神が有するものと神そのものを表すことがおできになります。キリストは神の御知恵を持っておられ、神の性質を表すことがおできになります。キリストの御言葉には権威と力があり、キリストが仰ることは私たちに神のことをもっと知らせてくださいます。例えば、主イエスは外見上はごく一般的で普通の肉であられますが、その本質はキリストなのです。主の御言葉には権威と力があり、一旦仰せられると、それは達成されるのです。主イエスはこう仰いました。 「ラザロよ、出てきなさい」(ヨハネによる福音書11章43節)そして、ラザロは死から蘇り、墓から出て行ったのです。主イエスが風と海をお叱りになった時、海はいつものように穏やかになりました。さらに、受肉された主イエスは新しい時代を始めて、贖いの段階の働きをされました。主の御言葉は私たちに新たな実践の道をもたらしてくださいます。主の御言葉で生き、主の教えに従っている限り、私たちの心は安定し、穏やかになり、喜びを感じるでしょう。

   対照的に、偽キリストたちは悪霊に取り付かれており、彼らの本質は悪霊なのです。彼らは真理を持っておらず、彼らの言葉は嘘、でたらめ、虚偽で満ちており、善悪がごちゃ混ぜになっています。偽キリストは聖書の文脈を無視してそれを誤解する、または人々に祝福と約束の言葉を与えて、主イエスをかたって人々を惑わすことしかできないのです。いのちに入ることにおいて、彼らが人々のためになることは決してありません。彼らは新しい道をもたらすことはできませんし、新しい時代を開くことはなおさらできません。偽キリストたちによる聖書の解釈と神の時がいつ到来するかに関するおかしな考えは全て嘘とでたらめであり、成就したものは何1つもありません。これに加え、彼らの宣べ伝えるメッセージは人々が実際に神を知り、神に従えるようにすることができなければ、人々の霊的いのちを成長させるという実際的な結果を生むこともできませんし、まして私たちに新たな実践の道を示すことなどはもちろんできません。むしろ、彼らは人々を混乱に陥れることしかできないのです」。

クリスチャンの日記-真キリストと偽キリストの見極め方

   チェン姉妹の言葉を聞いた私は突然の啓示を受けました。私は喜びながらこう言いました。「偽キリストの語る言葉は実に人々を惑わすことしかできないのです。彼らは人々に新たな道をもたらすことはできません。それはなぜなら偽キリストは創造物であり、真理を持っていないからです。キリストは神の御霊の権化であり、神そのものであるため、神の御言葉のみが真理であり、権威を持ち、人々に道を指し示すことができるのです。これは、主イエスが来られた時に律法の働きを完結させ、全人類の罪を贖うという新たな働きをお持ちになったと同じようです。主は私たちに真理、道、そしていのち、ならびに将来の新たな方向性をお与えくださいました。これこそが、真キリストと偽キリストを見極める方法なのです。」私がこう言い終えた後、リー姉妹は嬉しそうにうなずいて賛成の意を示してくれました。

   夜も更けてきたので、私たちは翌日に続けて交流する約束をしました。

   2017年8月17日、木曜日、晴れ

   昨日の会話のおかげで、私は突然光が見えました。最近続いていた心のもつれも解けました。そして、私はやっと真キリストと偽キリストの見分け方を知ったのです。しかし、チェン姉妹と合流した後、彼女はこう言ったのです。「真キリストと偽キリストを見極めるためには、神の性質に従って彼らを識別するという他の方法もあります。」 これは私の期待を超えるもので、とても新鮮でした。私は期待に胸を膨らませながら彼女の交流に聞き入りました。
   

   チェン姉妹はこう話しました。「偽キリストは本質的には悪霊であり、極めて傲慢かつ不合理です。偽キリストたちは自らをキリストとして、そして神として讃えます。それに、彼らは神からつかわされて来た、神の子である、さらに自分たちの内には神の御霊が宿っているとまで言います。彼らは自己顕示して自らを称賛するために、新たな働きをすると豪語します。しかしながら、彼らは神の御言葉を真似ることしかできません。彼らは神の本質を持ってはいません。なので、彼らは自らをキリストと呼びますが、神の働きをすることはできないのです。彼らは人から尊敬されることだけを目的に働き、私たちに新たな実践の道を指し示すことはできないのです。

   キリストは受肉された神です。これは神御自身の御言葉ではありませんが、聖霊によって証言されていることです。それは聖書にこう書かれています、『イエスはバプテスマを受けるとすぐ、水から上がられた。すると、見よ、天が開け、神の御霊がはとのように自分の上に下ってくるのを、ごらんになった。また天から声があって言った、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」。』(マタイによる福音書3章16-17節) 聖霊は自ら主イエスの証言をされ、それによって聖霊に証言されるキリストのみが真キリストであることが分かります。さらに、神は本質的に謙虚で、隠れた神であり、決して自己顕示されません。これは主イエスと同じです。主は神御自身でありますが、普通の人間の格好で私たちに備えるために謙そんして人間の中に隠れ、真理を語っておられます。主は世界中の全ての苦しみを体験され、そして様々な人間からの中傷、侮辱、隔離に耐えられました。しかし、主はそれでも何の文句も言わずに人間を寛容し、我慢してくださいます。主イエスキリストの来臨は旧約聖書、すなわち、律法の時代を完結され、恵みの時代を開かれました。主は私たちに将来の方向性を与えてくださいましたが、決して自らを誇ったり、頑固であったり、まして威張るようなことはされませんでした。これは神の尊く聖なる本質、そして主は愛の権化であることを明らかにしています。最終的に、主は自らの聖なる肉を十字架に捧げ、全人類の罪を贖う働きを全うされたのです」。

   私は喜びを込めてこう言いました。「その通りです。本質的に、偽キリストは悪霊であり、彼らの本性は傲慢です。彼らは自己顕示し、自らを称賛し、横柄な態度を取ります。彼らは自らを神、そしてキリストとして讃えます。しかし、彼らは真理を持っていませんし、救いの働きもできません。真キリストは神御自身の御霊を象徴しておられ、権威と力をお持ちです。真キリストは新たな時代を開き、古い時代を完結させ、新たな働きをもたらすことがおできになります。真キリストは謙遜し、隠れながら、そして静かに働きをされます。真キリストは決して自己顕示したり、自らを称賛されません。真キリストは聖なる、尊い御方です」。

   チェン姉妹は頷きながら続けてこう言いました。「主イエスは働きをしに来られた時、パリサイ人とローマ政府の同盟勢力から抵抗と迫害を受けましたが、主の福音はそれでも地上の隅々まで広まりました。偽キリストは創造物にすぎません。これ故に、彼らが自らをどのように見せて、どのように奇跡を行っても、しばらくの間は人々を惑わすことができても、その偽り行為は長続きましません。彼らはすぐに拒絶され、完全に消え去り、死に絶えていきます。これは議論の余地がない事実なのです」。

   これ以外にも、チェン姉妹はこう言いました。「実は、主イエスが偽キリストに対する注意を私たちに促してくださるのは、私たちが惑わされないようにするために、用心して神の御言葉を覚えておくようにと、私たちに伝えるためなのです。主は、誰かが主イエスの再臨を説くのを私たちが耳にする時、私たちがむやみにただ死ぬのを待つということを意図されているわけではありません。探求も調査もしないというのは、私たちの愚かさ露わにしているのではないでしょうか?主イエスはこう仰いました。『たとい、わたしの言うことを聞いてそれを守らない人があっても、わたしはその人をさばかない。わたしがきたのは、この世をさばくためではなく、この世を救うためである。わたしを捨てて、わたしの言葉を受けいれない人には、その人をさばくものがある。わたしの語ったその言葉が、終りの日にその人をさばくであろう。』(ヨハネによる福音書12章47-48節) 『耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。』(ヨハネの黙示録2章7節) 『わたしの羊はわたしの声に聞き従う。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしについて来る。』(ヨハネによる福音書10章27節) 主の御言葉は、神が終わりの日にもう一度来臨され、その御言葉を仰せられ、真理を表してくださることを私たちに明白に語っておられます。探求も調査もせず、ただむやみに待っているだけでは、主の御声を聞いたり、主の再臨をお迎えできるはずはありません」。

   彼女の言葉を聞いて、私は 「そうだわ、私は今まで意地を張って主の再臨の証立てをする知らせに耳を傾けることを拒否してきたわ。私は本当に間違っているみたいだわ。聖霊が諸教会に語りかけられているのに、それを無視していたら、私は主の再臨をお迎えする機会を逃してしまうのではないかしら。神の羊たちは神の御声を聞くのよ。私はこれ以上ここで何もしないで待っているわけにはいかないわ。私は心を開いて、聖霊が諸教会に語る御言葉を誰が証言しているのかに注目しないといけないわ。そして私自らが神の御声を聞くことに注意しないといけないのよ」と反省せずにはいられなくなりました。