PSW研究室

専門職大学院の教員をしてる精神保健福祉士のブログ

鬼っ子PSW、世に憚る

2010年04月16日 11時31分26秒 | PSWのお仕事

大学の教員は、年度ごとに「教育・研究業績リスト」というのを出さなきゃいけません。
昨年度、自分が書いたものを整理していたら、こんなのが出てきました。

学内の小冊子に書いたものですが、ここに再録しておきます。
たぶん、版元著作権とか、問題はまったく無いはずなので。

日本社会事業大学のPSW課程10周年に寄せて、書いた駄文ですが。
PSWを志す、若き学徒に伝えておきたいことではあるので…。

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆

「鬼っ子PSW、世に憚る」

PSWは鬼っ子的存在です。
鬼っ子とは、両親に似ない子ども、歯が生えて生まれた子、荒々しい子、というような意味です。
可愛げ無く、親族からも眉をひそめて疎んじられ、なかなか認知してもらえない、異端児と言えます。
残念ながら、PSWの国家資格は、多くの社会福祉関係者に祝福されないまま、誕生を迎えました。
さながら、鬼っ子のように…。

精神保健領域のPSWが独自資格を求めることについて、社会福祉関係者から厳しい批判がありました。
先行している社会福祉士を、保健医療領域についても基礎資格とするべきで、むしろ対象者に患者を含まないという限定を解除すべきという意見が、当時のMSW協会の主流の意見でした。
会員数百人の弱小PSW協会も、当初はSW共通の統一資格を求め、MSW協会を窓口としての国家資格化を考えていました。

当時のSWたちが、ジェネリックなSW資格に統一すべきというベクトルは、理念としては正論であったと思います。
社会福祉学の名だたる大学の先生からも、PSW単独資格化について諭され、皮肉を言れ、不快感あらわに哄笑もされました。
でも、現場のPSWからすると、そういった上から目線の意見は、どうしても現実から遊離した高見の評論と感じられました。
PSWたちは、社会福祉の専門職としての価値を追究しながらも、目の前の当事者を支え、寄り添う現実路線を優先させたとも言えます。

この国の100年に及ぶ精神障害者の隔離収容政策は、ようやく脱施設化に向けての転換期に入りつつありました。
しかし、一方で、劣悪な環境の精神病院の中で年々高齢化が進行し、棺桶に入って退院する人(ガンバコ退院)の数がどんどん増えようとしていました。
他障害に比べて社会資源も乏しい中で、PSWたちは薄給の中で自ら出資し合いながら、それぞれの地域で支援する新たな資源開拓を進めて行きました。
厳しいY問題への対応を踏まえて、「精神障害者の社会的復権」を自らの専門職アイデティティに掲げたPSWからすれば、国家資格化による現場へのPSW配置こそが突破口であるという方針は、当然の結論であり唯一の戦略だったと思います。

当時東京PSW協会の代表として、単独立法化路線を決議する日本PSW協会の臨時総会の議長を担いましたが、それはPSW自身にとっても、苦渋の選択でした。
大野和男理事長(当時)が進軍ラッパを吹く中、国家資格化の国会請願行動を進めましが、突如国会が解散になったり、他職種団体との力関係の中で、政治的に翻弄された時もありました。
同僚や他病院のMSWからも、罵倒されたり恫喝されたり、はたまた「PSW国家資格化を推進する、あなたの担当する患者は受け入れられない」と理不尽なことを言われたり…。
SWらしからぬ、激しいネガティブな感情表出が横行する中で、とてもスリリングで得難い人生体験を、個人的にはさせてもらいました(笑)。

そんな経緯の中で精神保健福祉士法が制定され、この大学に、この国最初のPSW課程が設けられました。
今から11年前のことです。
PSW国家資格化に諸手を挙げて賛成という雰囲気が無い大学の中で、課程開設に携わった寺谷隆子初代主任教授のご苦労は、並大抵のことではなかったと思います。
あくまでも現場PSWの出身ですし、大学という不慣れな環境の中、針のむしろのような状況の中で、学生たちとPSW養成教育の素地を築き上げて頂きました。

そんな鬼っ子PSWの養成校も、今や全国で150校を超えます。
毎年7千名の国試合格者を輩出し、計4万人が資格登録をしています。
多くの現場にいたPSWらが、教員に転身し、後進の育成に取り組んでいます。
鬼っ子的存在のPSWの職務領域は、今やどんどん拡大しています。
もはや、狭い精神医療領域や地域の福祉施設に止まらず、行政や司法の領域にもPSWが配置され、学校・職場・家庭等のメンタルヘルス領域等に、PSWは活動の場を拡げています。
新しい領域でも、多くのPSWらが四苦八苦試行錯誤しながら実践し、周囲の評価を獲得してきています。
病む個人の変容を求めるだけでなく、苦しみ悩むひとを状況の中で支え、環境を調整し変えてゆくSWの視点と行動が求められています。

鬼っ子は異端ですが、既存のシステムや時代の矛盾を察知し、変えていく力を秘めていす。
時代状況と格闘し、時代を変え、時代を切りひらいていく異端児は、とても大事な存在です。
社大のPSW課程は、そういった福祉の世界での鬼っ子たちを全国に先駆けて輩出してた歴史を、誇って良いと思います。

まだまだ、精神医療の現場には、人権意識の乏しい驚くような出来事がたくさんあります。
PSWの活動領域が広がると言うことは、残念ながら、それだけこの国が病んでいることの証でもあります。
誰もが行き詰まりを感じ、希望に欠け、閉塞感の漂うこの国で、PSWの果たす役割はより大きなものになっています。

若いPSWの諸君が、多くのユーザーと手を携えながら、積年の負債を払拭して、新しい希望に満ちたコミュニティでの実践を展開されることを祈ります。
そして、実践で得られた体験を言語化する努力を怠らず、経験として他者に伝え、広く共有していくことを期待します。
社大という場で学んだことを、誇りを持って次の世代に語り継いで欲しいと、切に願っています。

(「日本社会事業大学精神保健福祉士課程10周年記念誌」36~37ページ、2009年12発行、再録にあたり一部語句を修正)

PSW求人情報(2)

2010年04月12日 19時13分37秒 | PSWのお仕事
「特定非営利活動法人ミュー」で、PSW(精神保健福祉士)の急募です。
常勤職員と非常勤職員、各1名ずつの募集です。

ミューは、東京都武蔵野市にある法人です。
1991年に誕生した、精神障害者作業所「ワークショップMEW」が母体です。
1997年に「就労支援センターMEW」を開設しました。
さらに、地域生活支援センターの「ライフサポートMEW」も運営しています。

「就労支援センターMEW」はクラブハウスモデルの作業所です。
したがって、工賃の出る作業は無く、過渡的雇用による支援プログラムを行っています。
福祉的就労よりも、一般就労をめざしてのデイプログラムが組まれています。
作業能力の向上でなく、就労を視野に入れたリカバリーを主眼に置いているところです。

当初、井之頭病院のPSWだった廣江仁さんが所長をしていました。
僕が東京PSW協会の会長をしていた時に、事務局長として会の運営を仕切ってくれていまた。
彼が一昨年、故郷の鳥取に帰ることになり、所長は島津屋賢子さんに引き継がれています。
そして現在、東京PSW協会の事務局は、この「就労支援センターMEW」に置かれています。

東京のPSWたちの交差点にもなっている、この場所で、働いてみる気のある方はいませんか?
島津屋さんがバーンアウトしないように、ご支援ご協力をお願いします。
お問い合わせ、応募は、直接下記にお願いします。


★就労支援センターMEW 精神保健福祉士急募!!
採用予定日 平成22年5月15日(応相談)
就業場所  精神障害者共同作業所 就労支援センターMEW(東京都武蔵野市)
業務内容  精神障がいのある人の就労支援
雇用形態   正規職員
雇用期間   常雇(試用期間3ヶ月)
就業時間   9:00~17:00
時間外業務   有
賃金形態  給与月額 163,400円~(4年生大卒未経験基準) 
 経験年数に応じて初任給経験加算があります。
 手当(調整・住宅・資格・扶養・通勤)
 昇給:年1回 賞与:年3回(4.25ヵ月分)
休日  土・日・祭日・夏季・年末年始休暇
保険  健康・労災・厚生年金・雇用保険・介護保険、退職金制度:有
応募資格  精神保健福祉士資格所持者。弊所の過渡的雇用プログラムには清掃作業
 があります。体力と熱意のある方を希望します。
募集人数  1名
応募方法  履歴書、自己紹介書800字程度(書式問わず)を下記へお送り下さい。
         4月30日必着。書類選考後面接のご連絡をいたします。
問合せ先  特定非営利活動法人ミュー 就労支援センターMEW (担当:島津屋)
 〒180-0013 東京都武蔵野市西久保1-6-25西川ビル301
         TEL:0422-36-3577

★就労支援センターMEW 事務的非常勤職員急募!!
採用予定日  平成22年5月10日(応相談)
就業場所   精神障害者共同作業所 就労支援センターMEW(東京都武蔵野市)
業務内容   精神障がいのある人の就労支援  
雇用形態  非常勤職員
雇用期間  一年契約(更新あり) 就業時間 10:00~17:00(応相談)
時間外業務  原則なし
賃金形態  時間給 1000円~ 
 法人規定により経験年数に応じて時間給を決定いたします。
休日  土・日・祭日・年末年始
保険  労災・雇用保険
応募資格  週2~3日勤務が可能な方。
 精神保健福祉士資格所持者、給付請求事務及び施設会計事務経験者優遇
募集人数  1名
応募方法  履歴書、職務経歴書、自己紹介書800字程度(書式問わず)を下記へお
 送り下さい。4月30日必着。書類選考後面接のご連絡をいたします。
問合せ先  特定非営利活動法人ミュー 就労支援センターMEW (担当:島津屋)
 〒180-0013 東京都武蔵野市西久保1-6-25西川ビル301
 TEL:0422-36-3577


※画像は、大学の自動販売機。記事とは全く関係ありません。


鍵を返す

2010年04月02日 11時34分33秒 | PSWのお仕事

昨日、病院を退職すると同時に、鍵を返しました。
27年前、PSWとして仕事をし始めた時にもらった、病院の鍵。
精神科の、閉鎖病棟の開け閉めに使われる鍵です。

当時の婦長さんから「命の次に大事なもの」と教えられました。
もし、鍵を紛失したら…。
それを拾った人が、病棟の鍵を開けたら…。
患者さんが病棟から出て、外で事故にあったら…。
仮に、それで、患者さんが亡くなるようなことがあったら…。

実際に、そういった出来事があったと聞きました。
鍵を紛失したナースは、責任を感じて、鬱状態になり、自殺を図ったと…。

人の命を預かる者が、自分の命を粗末にしてはいけない。
精神科では、鍵一本が、人の命を左右することを忘れてはいけない。
そういった教えであったと思います。
精神科のリスクマネジメントの、基本に位置づけられる事柄です。

鉄格子と鍵に代表される、昔ながらの精神科の閉鎖病棟。
鉄格子は、内と外を隔て、鍵は、出入りを阻みます。

今や重い鉄扉は少なくなり、軽やかなオートロックの扉に変わりました
カードキーやナンバーキー、キー付きエレベーター構造の病院も増えています。
鉄格子も過去のものとなりつつあり、開かない、割れない窓がとって代わっています。
見えにくく、柔らかな管理の構造に移りつつありますが、閉鎖病棟であることには変わりません。

管理する者と、管理される者を分け隔てる、権力の象徴としての鍵。
それは、アナクロで幼稚なステレオタイプな捉え方かも知れませんが、変わらぬ事実です。

実習生たちが、初めて鍵を開けて、閉鎖病棟に入る時の緊張感。
患者さんたちと病棟で過ごし、出るときに鍵を閉める行為の、やるせなさ…。
将来PSWになる学生たちには、その感覚と初心を忘れないで欲しいと思います。

重い鉄扉をガシャンと閉め、カチャッと鍵を閉める、日々繰り返される一連の行為…。
その行為の意味と重さを、精神科に従事する者は忘れてはならないと思います。

隔離収容政策の現場の代理実行者として、患者さんの自由を拘束する側に立つということ。
意図していなくても、役割構図的には、そのような立ち位置になります。
例え「患者の側に立つ」ことを徹底していったとしても、矛盾は払拭し切れません。

「出たい」患者さんを出さず、「出たくない」患者さんを出す仕事…。
病院のPSWが、そんな自己矛盾を背負うことの象徴が、この鍵です。

精神科病院を退職し、鍵を返しました。
鍵を返すことで、何が解決した訳でもありません。

この病院も、半年後には開放中心の全室個室の病棟に生まれ変わります。
でも、それでこの国の精神科医療の全体構造が変わる訳ではありません。

鍵を返すことで、僕は病院の外の人間になりました。
ようやく、長期在院から脱出し、社会復帰したということでしょうか?
新しい立ち位置で、自分の為すべき事を、続けていきたいと思います。

そそのかしの連鎖

2010年03月29日 13時01分06秒 | PSWのお仕事

先日の土曜日、久しぶりに「むさしの会」に参加して来ました。
「むさしの会」というのは、国立精神・神経センター病院の精神科の家族会です。
在職中は、僕がずっと病院側の窓口として関与してきました。
病院関係者をそそのかし(?)、理解を得ながら、今から12年前に始まりました。

以来、役員の方々の努力により、毎月開催されてきています。
定例会は、毎月第4土曜日、午後1:00~4:30に行われています。
前半は、医師・PSW等によるレクチャー。
後半は、参加者が小グループに分かれての懇談会です。

毎回、30~50名くらいの参加者が集まります。
一番多いときには、80名もの人が集まりました。
長期入院をしている方から初診間もない方の家族まで、ご家族と言っても様々です。
今回は、40名くらいの参加者でした。

この会の特徴は、誰でも参加がオープンなことです。
いわゆる病院家族会ですが、この病院以外の人も参加は自由です。
家族と一緒に当事者の方も来てますし、専門職の人も参加しています。
会員登録している人に、毎月開催案内とニュースを、80部くらい発送しています。

今回は、ちょっと趣を変えてのシンポジウムでした。
「むさしの会」に賛助会員として参加してきた、5人の専門職たちがシンポジストです。

司会兼シンポジストの西田さんは、会の歴史とともに歩んできたPSWです。
退職後、専門学校でPSWを学び、実習でこの病院に来て、僕と出会いました。
僕がこの会への参加をそそのかし(?)、以来ボランティアとして会をバックアップしてくれています。
近隣市でオープンスペースを開設運営し、精神保健ボランティア講座も企画運営しています。

シンポジストの吉田さんは、そのボランティア講座出身の介護福祉士です。
同じく、澤田さんも、そのボランティア講座出身の社会福祉士です。
西田さんにそそのかされて(?)、この会に関与してくれています。
そそのかしの連鎖が、新しいボランティアを生んでいます(笑)。

シンポジストの小松さんは、僕の大学院のゼミ生のPSWです。
千葉の作業所で仕事をしてきて、家族支援をテーマに専門職大学院に来ました。
それなら…と早速そそのかして(?)、この家族会に参加させ(?)ました。
この春から病院への就職が決まりましたが、今後もちょっと手伝ってもらうつもりです。

シンポジストの梅原さんは、僕の元同僚で、とても有能な病棟の看護師です。
もう一回学びなおしたいと、退職して国立看護大学校の大学院に進学しました。
家族への心理教育支援をテーマとして考えたいと、ある日電話で相談がありました。
調査研究以前にまず家族の生の声に耳を傾けてみたら…と、そそのかして(?)この会に参加することになりました。

今回、それぞれの参加に至る経緯や、今の想いが話されました。
また、参加している家族から、今後の家族会運営への想いも語られました。
「リカバリー」という言葉について、突然僕に解説が振られたりもして、少々面くらいましたが(汗…)。
家族自身のリカバリーのための家族会という、会の目的が共有されたように思います。

専門職と言っても、ボランティアは、あくまでもボランティアです。
専門職主導の心理教育グループではないので、側面からの後方支援が役割です。
それでも、この家族会を大事にしていきたいという想いは一緒です。
そそのかし、そそのかされながら、お互いに学び合い、支えられていると実感できる場です。


※「そそのかす」…良くない行動をするように、おだてたり誘ったりする。
その気になるように勧める、促す。(大辞林より)
 ん~~。あまり良くない言葉だな~(汗)
 でも、そそのかしました~(笑)

人をどこで切るのか?

2010年03月06日 08時03分38秒 | PSWのお仕事

昨日は午前中、地元で自立支援協議会の会議に出て、
午後は、社会福祉士の実習教育セミナーに参加していました。

僕はこれでも、社会福祉士を受験する院生たちの指導にもあたっています。
自分自身は、精神保健福祉士しか持っていないんですけどね。

ご存じのように昨年から養成カリキュラムが変わり、実習に重点が置かれるようになりました。
精神保健福祉士についても、今後同様の方向が目指されています。

再来年度?くらいには、精神保健福祉士も新しいカリキュラムに移行するでしょうし。
先行している社会福祉士の実習指導について、少しでも動向や方法を押さえておきたかったので。


参加者は100名弱でしたが、全国から来ていました。
北は北海道・北星学園大学から、南は九州・鹿児島国際大学まで。

新しいカリキュラムのもと、どのように実習教育を進めていくのか。
議論は時にヒートアップし、大学の先生たちの間でも模索が続いていることを痛感しました。

一番議論が集中したのは、「専門職としての力」ということです。
新しいカリキュラムの根幹にかかわるテーマと言えます。

今までの大学教育は、社会福祉学の専門教育だったという反省。
社会福祉専門職としての教育がなされていなかった、という問題。
今までの社会福祉士養成教育は、ことごとく失敗だったという提起。

端的に表されるのが、求められる「専門職としての4つの力」です。
1)マネジメントできる力
2)プログラムを作れる力
3)スーパーバイジーになれる力
4)イメージできる力


たしかに、現場で実習指導していると「ど~よ?」と思う学生はいますよね。
事前学習やコミュニケーションスキルの不足だけでなく、それ以前の問題で…。

でも、この4つの力の獲得を、目指していれば良いというのではなくて、
獲得できているかどうかが、単位認定の基準になるとしたら…。

既に、専門職としての準備的確性があるかのトリアージを試みている大学もあります。
一部医療専門職で取り入れられている、なんらかのスケールを当てはめて点数化して。

期待される到達点に達していなければ、単位を与えないだけでなく、
その仕事、その資格を目指すことを、あきらめてもらうということになります。


でも、どこのラインで学生を切るのでしょう?
伸びしろといわれる変化可能性を大事にする、福祉や教育の視点に合致するのでしょうか?

教員の指導力不足や、実習現場や実習指導者側の力量不足や問題は不問に付されるのでしょうか?
メンタルヘルス上の既往のある人は、もうリカバリーする機会がないのでしょうか?


今日は、あれこれいろんなことを考えさせられました。
先々の精神保健福祉士実習を考えると、今から頭が痛いです。


※参考までに、セミナーのプログラムを下に貼り付けておきます。

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆

【社会事業大学 社会福祉士実習教育セミナー】
2010年3月5日(金)午後1~7時半

◆内容
○開会の挨拶
 社会福祉士実習教育セミナーの開催の意義について
  大橋謙策(日本社会事業大学学長、日本福祉教育学校連盟会長)

○シンポジウム  「今後の社会福祉士実習のあり方について―新カリキュラムを踏まえて―」
 シンポジスト   柿本誠(日本福祉大学社会福祉実習教育センター長)
            米本秀仁(北星学園大学教授)
            渋谷行成(新宿区立かしわヴィレッジ施設長)
            黒川京子(日本社会事業大学実習教育センター実習講師)
コーディネーター 藤岡孝志(日本社会事業大学実習教育センター長)

○テーマ別分科会
A : 地域型実習
  「社大版・地域型(地域福祉)実習教育~これまでの取り組みとこれから~」
      〔報告者〕添田正揮(日本社会事業大学実習教育センター実習講師)
            粕谷勝(清瀬市健康福祉部地域福祉課)
            小畑万里(日本社会事業大学非常勤講師)

B : リスクマネジメント
   「社大における共同研究の成果を踏まえた今後の実習教育個別指導のあり方の検討」
      〔報告者〕岸野靖子(日本社会事業大学実習教育センター実習講師)
            添田雅宏(日本社会事業大学通信教育科教員)

C : 新カリキュラムにおける演習・実習
   「実習施設・機関における実習プログラムを含む大学等養成機関と現場の実習・演習
    プログラムの工夫と協同のあり方の検討」
      〔報告者〕黒川京子(日本社会事業大学実習教育センター実習講師)
            我謝美左子(日本社会事業大学通信教育科教員)
            野嶋成美(やなか地域包括支援センター相談員)

○まとめ 各分科会の報告・総括討論等
○意見交換懇談会

◆対象
福祉系大学並びに福祉系専門学校実習担当教員、社会福祉施設・機関の実習指導者
◆参加費
2,000円(意見交換懇談会に参加する場合は、別途2,000円)
◆主催
日本社会事業大学実習教育センター(4月以降、実習教育研究・研修センターに改組)




※画像は、元旦参拝客が日本一多い明治神宮。
 記事内容には、関係ありませんが、今日は今年度最後の入試です。


いよいよ国家試験

2010年01月28日 17時00分09秒 | PSWのお仕事

いよいよ、試験の季節、真っ盛りです。
僕は入試管理委員長を仰せつかっているので、やたら仕事が回ってきます。
正月明けから、ずっと土日の休みが無く、働きずくめです。
寝不足もあり、さすがに少々、疲れが溜まってきています。

でも、受験生の皆さんは、そんなこと言ってられませんよね。

先々週は、大学入試センター試験がありました。
先週は、僕の勤める専門職大学院の入試でした。
今週は、学部生たち、ようやく試験期間が終わりました。
来週は、学部の入試があります。
そして、何よりも今週末、いよいよ社会福祉士と精神保健福祉士の国家試験があります。

資格取得を目指す学生や院生の皆さんは、不安を抱えながら、最後の追い込みですね。
ここまで来ると、あとは短期記銘力の勝負ですね。
これまでにやった過去問題集やワークブックの反復学習が、効果的ではないでしょうか?

めざすは、粗点で6割ライン。
もちろん、1科目でも0点があるとアウトですが。
得意科目で少しでも点を稼いで、全体の得点を上げないとね。
合否ライン上の1点の差は、とにかく大きいですから。

○社会福祉士は、150点満点ですから、90点目標。
(一部科目免除者は、74点満点ですから、45点目標)
実際には、昨年は85点(免除者46点)が合格ライン、合格率29.1%。

○精神保健福祉士は、156点満点ですから、94点目標。
(一部科目免除者は、80点満点ですから、48点目標)
実際には、昨年は80点(免除者42点)が合格ライン、合格率61.7%。

あくまでも合格の基本は、全ての科目で得点があり、総得点の60%程度とされています。
でも、去年も、不適切問題だったと後から判断されて、全員に加点された問題がありました。
複数の選択肢を正答として認めて、該当者に加点された問題もありました。
また、その年の問題の難易度によって、補正して合格ラインを決めますから、随分変わってくるんですね。

当日、試験会場を出ると、協会や資格学校の解答速報が配布されています。
ただ、これも微妙に回答が異なっていたり、あとで修正版が配られたりするんですよね。
退出可能時間になってから持ち出された試験問題を、誰かがわ~っと短時間で回答する訳です。
ミスや勘違い、不適切問題への無理な回答も、どうしても生じます。
目安にはなるのでしょうが、あまり一喜一憂しない方が良いのですけど…。

ともあれ、30日(土)~31日(日)、福祉士国家試験です。
受験生の皆さんが、笑顔で発表日を迎えられるよう、祈ります。
どうか、これまでの努力が実りますように…。
(^_^)v


※画像は、ご存じ興福寺の阿修羅像。
 ふと、試練に立ち向かう、受験生の表情のような気がしてきました。

寺谷隆子さんの受賞を祝う会

2010年01月26日 15時51分30秒 | PSWのお仕事

あわただしい毎日が続いています。
でも、忙しい中、とても楽しい時間を過ごさせて頂きました。
1月23日(土)の「寺谷隆子さんの『糸賀一雄記念賞』受賞を祝う会」です。
大学での入試説明会を終えて、夕方、会場に駆けつけました。

糸賀一雄記念賞については、今さら宜しいですよね?
糸賀一雄さんは、戦後の混乱期に知的障害児施設「近江学園」を創設し、『福祉の思想』等を著しています。
「この子らを世の光に」という言葉が有名ですね。
記念賞の日本人受賞者は、寺谷さんで13人目になります。

寺谷さんのプロフィールについても、今さら良いですよね?
詳しくは、寺谷さんの博士論文をもとにした著書をご覧下さい。
(寺谷隆子『精神障害者の相互支援システムの展開』中央法規、2008年)
精神病院のPSWとして出発し、その後JHC板橋を立ち上げ、実践を展開してこられました。
僕にとっては、PSW1年生の頃から薫陶を得た、今も身近な大先輩であります。



寺谷さんのお人柄と交友範囲の広さ、ネットワークを反映して、会場はびっしりの人、人、人。
あとで主催者側の人に尋ねたら、240人の参加者だったとか。
全国からお祝いに駆けつけた、この業界のお歴々たちや、地元の関係者やユーザー、教え子たち。
多士済々のPSWらが顔を揃えた、なかなか滅多にない同窓会のような機会でもありました。
開会の言葉から、発起人挨拶、祝辞5人、乾杯までで、実に56分…。
(^_^;)

20年ぶり?にお会いした早田さんは、相変わらずお綺麗でした。
昔、独身時代によく一緒に飲んでいた旦那さんの近況も聞けました。
(*^_^*)

柿原さんらにお会いしたのも、かれこれ20年ぶりでしょうか。
僕にとっては、昔の方が板橋区と色々とご縁があったのかも…。
(^o^)

窪田さんに最後にお会いしたのも、もうかれこれ20年前かも。
僕が27年前、最初にPSW協会の研修合宿に参加した時の、スーパーバイザーでした。
(^_^)

遠藤さんや田村さん、関原さんや宗像さん、高橋さん、納冨さん、上野さん、阿比留さん…。
ほとんど、昔の東京PSW研究会の頃のお顔が一堂に会しているような感じで…。
(^-^)

はたまた、柏木さんや谷中さん、大野さんや門屋さん、松永さん、竹中さん、木太さん、大塚さん…。
なんか、日本PSW協会の全国大会の懇親会に出席しているような錯覚すら…。
(^_^;)

(この記事を読んでる皆さんは、上のお名前の方々、ぴんっ!と来ますかね?)

着物姿の寺谷さんは、まるで披露宴のように、皆さんと順番にカメラに収まっていました。
出口でようやく、寺谷さんと一緒に写真を撮りました。
ガヤガヤとした人混みの中、お土産の袋を受け取らないで会場を出てしまったのが、ちと心残り…。
(>_<)



柏木さん、吉田さん、栄さんと4人で京風居酒屋に行き、二次会。
そのあと更に、コーヒー飲みに駅前のガストで、三次会。
…結局、終電車で帰りました。
翌日は、朝早くから入試だというのに…。
(*_*)

ちなみに、グラスを手に徘徊しながら、デジカメを撮りまくっている僕を見て、澤さん曰く。
「それ、ブログに載せるんですか~?」
う…、鋭い、読まれている…。
(^_^;)

でも、他人様の写真を了解も得ず、やたらネットにアップするのもね…。
ちょうど100枚も撮った画像を、どうするか…。
ピカサで、個々の方に配信しますかね?

福祉のエビデンス

2009年12月08日 09時21分54秒 | PSWのお仕事

先週「EBSCプログラム評価法研究会」に参加しました。
文部科学省の研究費による研究班の、年1回の研究成果報告会です。

ごくごく少人数の集まりだと思っていたのですが、あにはからんや。
寒い冬の平日の夜にも関わらず、60人くらい集まりました。
この領域での取り組みについて、関心が高まっているようです。
18時スタートの会議は、討論佳境の中、21時半に終わりました。

EBSCというのは、Evidence-Based Social Care の略です。
「(科学的)根拠に基づくソーシャルケア(サービス)」と、訳せば良いでしょうか。

EBM(evidence-based medicine, 根拠に基づいた医療)とか、
EBP(evidence-based practice, 根拠に基づいた実践)とか、最近やたら耳にしません?

世はまさに、「EB」流行り。
どの領域でも、結果(アウトカム)と根拠(エビデンス)が求められています。

当然と言えば、当然です。
当たり前と言えば、当たり前です。
誰しも、結果の伴わない治療なんて受けたくないし。
根拠のない治療なんて、危なっかしい民間療法と区別がつきません。

でも、数値で結果を求められても、難しい分野があるのは事実です。
医療分野で言えば、精神科の領域が、目に見える数値化がやはり難しいです。
福祉分野で言えば、ソーシャルワークの結果と根拠を示すのも難しいです。
このふたつが交わる、精神保健福祉に関わるPSWの仕事は、なおさら難しいです。

従来は、臨床実践経験に基づく知と技の集積が、根拠とされてきました。
今でも、やはり先輩の体験に基づく言語化された経験知の伝授が、主な教育方法です。
体験に基づく1対1のスーパーヴィジョン(SV)が、後進育成の主な方法になっています。

もちろん、対人援助サービスを生業とする以上、自身を訓練するのは当たり前です。
専門職とて、ひとりの人間ですから、生きてきた過程により、固有の価値観や心理的反応があります。
他者のケアに当たる前に、少しでも自己覚知を深めることが、どうしても必要です。
自分にはどんなもろさ、弱さがあり、他者にどんな反応をしがちなのか、何を注意しなければいけないのか…。
専門職としての、個人の学習・内省と訓練は、絶対に必要です。

これまでも、ソーシャルワーカーは専門職としての不断の自己検証は重ねてきています。
クライエントが課題を解決し、力をつけ、満足することは、専門職として励みにもなります。
でも、残念ながら、全く赤の他人の他者や社会には、それだけでは伝わりません。

象徴的なのが、政権交代した新しい政府による、行政刷新会議の事業仕分けでした。
多くの方がテレビで、あの仕分けの現場を目にしたはずです。
小泉内閣時代の新自由主義とはまた異なる位相での、結果と根拠が求められています。
若者自立塾が「廃止」という結論に至った時、僕はちょっと愕然としてしまいました。
もっぱら費用対効果の観点から、結果と根拠を示せと言われても…。
「地域移行支援特別対策事業」の退院実績数を、思わず考えてしまいました。

結果が求められています。
根拠が求められています。
PSWは、どのように根拠と結果を示せるのでしょう?

自らの仕事の結果と根拠を、数値で示すことには、多くのPSWが違和感を感じるはずです。
ソーシャルワーク実践の中核にある、社会福祉の理念や価値が、ないがしろにされる危惧が生じます。
クライエントの生き方や人生の意味が、数字にされてしまう不安を感じて、当然だと思います。

一人ひとりの人生に向き合う現場の実践と、エビデンスを追求する研究の視点には、まだまだ著しい乖離があります。
でも、お互いがそっぽを向いているだけでは、旧態依然たる社会福祉の枠に止まるだけです。

実践家は、より客観的に研究者の目を意識して、
研究者は、より現場の事情や背景を理解して、
相互に情報を提供し、成果を流通させ、切磋琢磨しながら、結果と根拠を導き出すことはできないでしょうか。

EBSCが、ソーシャルワークの現場実践と社会福祉の研究に、架橋する取り組みになればと願っています。
研究班の最終年度に向けて、来年は忙しくなりそうです。
(^_^;)


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「文科省EBSCプログラム評価法研究班研究会 2009年研究成果報告会」

2009年12月4日(金)18:00~21:30

○開会挨拶
  大橋謙策(日本社会事業大学学長)
○研究班報告会
座長:佐藤 久夫(日本社会事業大学)、福井 里江(東京学芸大学)

① EBSCプログラム評価研究の意義と目的:今年度までの到達点と今後の研究活動について
  大島 巌
② 障害者支援分野:障害者就労移行支援プログラム
  小佐々典靖、佐藤久夫
③ 精神保健福祉分野:精神障害者退院促進支援プログラム
  道明章乃、古屋龍太
④ 若者自立支援分野:ひきこもり・ニートへの就労支援プログラム
  山下英三郎、原田郁大
⑤ 高齢者支援分野:認知症高齢者環境作りプログラム
  児玉桂子
⑥ 児童福祉分野:被虐待児回復・援助者支援プログラム
  藤岡孝志
⑦ 学校における啓発教育分野:メンタルヘルスリテラシープログラム
  篁宗一、李載徳
⑧ 福祉分野における横断的なアウトカム指標研究
  吉田光爾
⑨ 総括討論
  指定発言:贄川信幸

○主催:文部科学省EBSCプログラム評価法研究班
 共催:日本社会事業大学社会事業研究所社会福祉政策・プログラム評価部門
 共催:文科省大学院GP・福祉サービスのプログラム評価研究者育成プロジェクト



※画像は、一橋大学の国立西キャンパス。
 記事内容とは、全く関係ありません。

病院PSWのお仕事~業務件数

2009年09月03日 02時37分31秒 | PSWのお仕事


今、大学は夏休みで、学生は各地の医療機関や福祉施設で、実習に入っています。
でも、なかなか数週間の実習では、PSWの業務の全体像は見えにくいようです。

今回は、病院でPSWが担っている業務を、紹介しておきます。
あくまでも、僕自身の仕事の統計ですけどね。

業務分類による件数に沿っての、ランキングです。
以下、大雑把にわかるように、細かい数値よりも、全体に占めるパーセントで示します。
頭の中で、円グラフを描いて頂くと、イメージしやすいかも。

病院には、大きく分けて、外来のセクションと入院病棟があります。
また、病院PSWの業務には、大きく分けてケースワークとグループワークがあります。
実際にPSWが1年間に関わった支援人数ごとに見ると、
外来個別ケースが27%、
入院個別ケースが24%、
外来集団(主にデイケア)が43%
入院集団が6%となります。

グループワークは、どうしても集団単位なので、人数でカウントすると大きくなります。
でも、その活動グループを相談支援件数でカウントすると、全体の業務の3%に過ぎません。



入院患者に関わる相談で最も多いのが、「出口」に関わる援助です。
退院・転院に関わる事ですね。
外来患者の「社会復帰」に関する相談も、たくさんあります。
いわゆる社会参加に関わる事です。
この「退院・社会参加」の相談支援が、全相談件数の第1位(34%)を占めます。

入院中に退院先となる住居を失う患者や、入院の長期化により家族が世代交代して帰来先を失う患者さんもいます。
退院に向けては、個々の家族と連絡調整をしながら、不動産店でアパート物件をあたり、住まいの確保を図っていく必要のある患者さんもいます。
生活能力が低く単身での生活再建が困難な患者については、施設の利用も考えねばなりません。
旧・社会復帰施設(援護寮・福祉ホーム・グループホーム等)や福祉施設(救護施設・更正施設)等を確保する必要があります。
また、高齢化や合併症の進行により、精神科療養病棟や介護療養病棟を有する病院への転院を図らざるを得ないケースもあります。
退院後のことや、これからの社会参加のことは、やはりPSWが担わざるを得ません。
施設の利用だけでなく、精神障害者保健福祉手帳の申請などの制度利用にかかわる相談支援も、ここに入ります。



二番目に多い相談が、「お金」にかかわる相談です。
入院費や生活費等の、いわゆる「経済問題調整」にかかわる支援です。
全相談件数の24%を占めます。

他の診療科に比べると、精神科の医療費は格段に安いです。
それでも入院患者さんの場合、入院費は最低でも1ヶ月30数万円にはなります。
健康保険を使って3割自己負担でも、1ヶ月12~3万円は、ふつうの家庭にとって大変な負担です。
一定程度の所得のある世帯であれば、高額療養費制度等を用いて問題を解決できます。
でも、入院当初から生活保護の申請を検討しなければならないケースも結構あります。
住所不定のホームレスの方や、着の身着のままの身元不明の方が措置入院により搬送されてくる場合もあります。
即時対応が求められるケースが多く、かなりバタバタと調整を図らねばならないこともあります。
各福祉事務所との連携が欠かせない仕事です。
障害年金の請求にかんする相談支援も、ここに入ります。
かなりの数の障害年金請求を行ってきたと思います。



3番目に多いのが「受診・受療支援」です。
全相談件数の17%を占めます。

入院患者さんの他科受診調整なども含みますが、多くは外来での相談です。
どうしても精神科の特徴として、いわゆる未治療の「病識」の無い方がたくさんいます。
家族がまず病院を訪れて「うちの息子が…」「夫が最近…」という相談からスタートします。
PSWは家庭での様子などをお聞きしながら、ご家族とどうすれば良いか、一緒に考えていくことになります。
外来での相談は、通院中の患者さんだけでなく、他院治療中の方についても行います。
精神科医療のレベルを反映して、セカンドオピニオンを求める方はたくさんいます。
僕の勤務していた病院が、専門病棟や専門外来で特殊な治療も行っていたので、他の病院からの問い合わせもたくさんありました。
病気や障害に伴う生活上の問題に止まらず、病気の原因や治療に関する最新の情報や、治験や画像診断、薬の効果と副作用についてなど多岐にわたる電話相談がありました。
退院後の訪問看護や、受診中断者への家庭訪問なども、ここに入ります。



同率で第3位が、「心理社会的支援」です。
全相談件数の17%を占めます。

患者さんの様々な不安や、生活のさまざまな側面に関する相談ですね。
社会参加、経済的問題、受診受療に分類できない相談も含みます。
例えば、入院患者さんの権利擁護にかかわる相談・調整なども入ります。
精神疾患に関する知識の乏しいご家族への、心理教育的なアプローチもあります。
僕は、アルコール薬物病棟なども担当していたので、家族間の葛藤が著しい例も、たくさんありました。
世間一般でイメージされる「カウンセリング」と称される面接です。
クライエントの課題を整理し、本人や環境の力を引き出すことに焦点が当てられます。



第5位が、地域活動支援業務です。
全体の件数の4%に過ぎませんが、とても大事な仕事です。

患者さんたちの生活と社会参加を保障する、地域づくりにかかわる仕事です。
病院外の地域の関係機関や関係者と、連携協働して行う業務です。
ともすると病院は自己完結しがちな職場ですが、精神科病院が地域の一部である以上、常に意識して取り組まなければならない仕事です。
具体的には、地域の業務連絡会や医療連携ネットワーク、行政の精神保健福祉連絡協議会、自立支援協議会、自治体の事業や審査会への関与などです。
グループホームや地域支援センター・授産施設等の運営委員会への関与もあります。
フォーマル、インフォーマル問わず、地域の人とどれだけつながっていられるかは、病院PSWの財産にもなります。



第6位が、冒頭で触れたデイケアで3%。
第7位が、その他(1%)となります。


さて、少しは病院PSWの仕事内容がイメージして頂けたでしょうか?
あくまでも、僕が勤務していた病院での統計ですけどね。

病院によって、PSWの業務は違っていて、相当な幅があります。
逆に言うと、業務統計を見ると、その病院の性格やPSWに役割期待されているものが見えてきたりします。

各所属機関により、PSWの業務は本当に千差万別なので、ご承知置き下さい。
また、業務の分類方法や基準も色々なので、ご了解下さい。




※画像は、実習巡回指導で訪問した浴風会の本館。
 さすが、歴史と風格を感じさせます。
 本文の記事内容とは、まったく関係ありません。

病院PSWの一日の仕事

2009年08月08日 03時10分23秒 | PSWのお仕事
精神科病院での精神保健福祉士(PSW)の仕事について、記しておこうと思います。

相談面接等を行うソーシャルワーカーというと、色々イメージを持たれます。
福祉を学ぶ学生でも、いわゆる心理面接カウンセリングと区別がついていないことがあります。
1日に何人かのクライエントの相談にのる仕事、というようなイメージを持っている学生が多いようです。

もちろん、面接を行うことは、PSWの主要な業務の方法には違いありません。
クライエント本人の解決能力が高い人は、面接だけで済むこともあります。
でも、面接は、ワーカーが様々な調整を行う業務の一角に過ぎません。
1回の面接の背景には、他職種・他機関との様々な調整プロセスがあります。

以下は、何年か前の某月某日、僕自身の、病院での一日の業務日報です。
一時期、PSWの増員を病院側に求めるための資料として、日報を細かく付けていました。
業務統計の数字だけでは、どうしても現場の姿が伝わりにくいので。
少しは、病院の中でのひとりのPSWの動きが、イメージしていただけるでしょうか?



•Aさん (外来、統合失調症)     患者面接:就労についての相談
•Bさん (入院、統合失調症)     電話:グループホームに利用打診
•Cさん (入院、アルコール依存症) 患者面接後、福祉事務所に電話:生活保護の申請
•Dさん (入院、アルコール依存症) 弁護士に郵便:自己破産申立て手続き
•Eさん (入院、アルコール依存症) 主治医と協議後、福祉事務所に電話:退院後入居予定のアパート契約
•Fさん (入院、統合失調症)     患者・家族・主治医と合同面接:退院日の決定
•Gさん (入院、統合失調症)     主治医と協議:退院の可能性の検討
•Hさん (入院、統合失調症)     主治医と協議:転院方針をめぐり検討
•Iさん (外来、統合失調症)     主治医と協議:授産施設利用の希望
•Jさん (入院、アルコール依存症) 患者面接:両親死去後の遺産相続問題  
•Kさん (入院、アルコール依存症) 患者・福祉事務所ケースワーカー面接:経済問題の整理
•Lさん (外来、統合失調症)    委任状作成:後見人問題
•Mさん (入院、統合失調症)    主治医と協議:退院日の検討
•Nさん (外来、てんかん)     消費者相談センターと電話協議:ペイオフの活用
•Oさん (未受診、統合失調症)   電話:自助グループの運営相談
•Pさん (デイケア、統合失調症)  患者面接:授産施設の利用検討
•Qさん (未受診、アルコール依存症)電話:他精神科病院より転院受入依頼の相談
•Rさん (入院、統合失調症)    主治医と協議後、患者面接、福祉事務所ケースワーカーと電話:医療費問題
•Sさん (入院、統合失調症)    主治医と協議:援護寮利用の可能性検討
•Tさん (入院、統合失調症)    患者面接:退院後の生活について
•Uさん (入院、アルコール性認知症)他精神科病院PSWより電話、主治医・担当看護と協議:転院方針
•Vさん (入院、人格障害)     患者面接:退院要求への対応
•Wさん (入院、統合失調症)    患者面接:退院後のグループホーム利用
•Xさん (外来、統合失調症)    家族面接:家族会の会計運営
•Yさん (外来、統合失調症)    電話相談:患者会参加の悩み
•Zさん (未受診、うつ病)      電話:一般科病院MSWより転院の依頼
•aさん  (入院、統合失調症)    電話相談:家族より障害年金請求について
•bさん  (未受診、統合失調症)   電話相談:他病院外来通院中、当院へ入院希望
•cさん  (関係者)          電話:他病院PSWより緊急時対応の方法について相談
•dさん  (関係者)          電話:大学教授より実習生受入依頼



この日、僕はAさんからdさんまで、1日で29人のケースに関わったことになります。
電話の応対も多く、1日だいたい20~40件、平均30件くらいでしょうか。
毎日が、時間との戦いです。
常に限られた時間の中で、てきぱきと仕事をこなさないと、どんどん滞ってきてしまいます。

ちなみに、この日は他にデイケアのグループワーク担当が2件(午前と午後)ありました。
この日の、メンバーの出席者数は41名です。
入院病棟の申し送りやカンファレンスなども、毎日あります。
そこで情報交換した患者さんの事などは、上の日報・数字には入っていません。
この日の勤務時間は、8:30~20:00。
昼食は食べられませんでした。

なお、病院により、PSWの業務や忙しさは、随分異なります。
上記が、けっして一般的な姿というわけではありません。
あくまでも、ある日の、ある病院の、あるPSWの、一日の仕事の例とお考え下さい。

新保祐元氏、逝く…

2009年07月31日 20時12分40秒 | PSWのお仕事
新保 祐元さんが、2009年7月27日、亡くなりました。
享年、まだ62才。
癌でした。

東京成徳大学の教授というのが、最後の現職ということになります。
でも、僕からすると、「大学の新保先生」というイメージは、あまり馴染みがありません。
50歳で大学院に進学し、修士号をとり、その後教員になったのですから「大学の先生」には違いないのですが…。
どちらかと言うと、研究者というよりは実践家、社会改良運動家というイメージです。

天台宗正光寺の住職であった新保さんは、社会福祉法人創志会をつくば市に立ち上げました。
つくばライフサポートセンターの設立は、茨城県内での精神障害者リハビリテーションに一石を投じたと思います。
県の研修会に呼ばれて、お話しをしに行ったことがあります(1999年)が、その仕掛け人は、どうやら彼だったようで。
会場で、精神保健福祉センター長と待っていてくれたのは、新保さんでした。
「茨城は、まだまだね…、遅れていてね…」と、ぼやいておられました。

僕の記憶に強く残っているのは、やはり「全精社協の新保さん」です。
全国精神障害者社会復帰施設協会を、谷中輝雄さんや寺田一郎さんらと立ち上げたのは1990年でした。
その後、1994年には協会は社会福祉法人になり、この国の精神障害者の社会復帰施策を牽引してきました。
精神保健福祉士法ができてからは、現任者講習会でもたくさんお世話になりました。

「全精社協の新保さん」とは、精神保健従事者団体懇談会の会合で、よくお会いしていました。
クリクリッとした目で「これから、また厚労省に行くんだよ~」と言ってました。
精神保健福祉法の改正(1994年)前だったと思います。
精神障害者地域生活支援センターが、どのように法内施設として描けるかどうかの瀬戸際だったのだと思います。
将来の相談支援機関としての役割も視野に入れながら、彼は行政にプランを提示していました。
その後の地域活動支援センターに至る原型を、新保さんは作ろうとしていました。
作業等を「する」場所(to do)ではなくて、誰もが「いる」(to be)場所を、地域に作ろうとしていました。
地域生活支援センターは、彼の不眠不休の努力なしには、できませんでした。
僕としては、これはとても大きな彼の仕事だったと思っています。

「全精社協の新保さん」が、大きな債務を背負い込んだのは、2007年4月のことです。
1996年に全家連がオープンさせ、その後破綻した「ハートピアきつれ川」が、全精社協に委譲されました。
厚労省の天下り先としてできた「きつれ川」は、やはり鬼門と言わざるを得ません。
委譲を受ける際にも、新保さんは苦渋の選択を迫られていました。
僕があっさり「やめた方がいいんじゃ…?」と言うと、顔を曇らせていました。
「危なっかしいけど、でもね、誰かが引き受けないとね…。
 このままじゃ、あそこで働く当事者たちが、救われない…」
でも、2年後、1億円の負債を抱えて「きつれ川」は閉鎖。
全精社協存続のピンチに至る経緯と機を一にして、新保さんの身体の中で病魔が進行していました。

僕が知る限り、新保さんが、最初に身体の不調を訴えられたのは、昨年の7月頃でした。
喫煙コーナーで、一緒に煙草を吸いながら、腹をさすっていました。
「なんかね、おかしいんだなぁ」
「下痢が続いていて、止まらないんだよね~」
でも、地元の病院では、検査をしても特に異変が見つからなかったとのことでした。

9月には、日本社会事業大学のPSW課程10周年記念式典でお会いしました。
少し痩せたように見えました。
来賓なのに、会場の一番後ろの出口側に座っていました。
前の方の席にご案内しようとすると、
「いや、トイレに近い方がいいんで…。
 申し訳ないけど…。どうぞ気にしないで下さい」と丁寧に断られました。
体調が悪くても、人との約束は守り、役割意識と責任感の強い方でした。

膵臓癌が見つかったのは、慶応大学病院を受診してからのようです。
12月17日にお見舞いに行くと、ベッドの上であぐらをかいておられました。
「癌だっていうから、さすがに最初はビックリして、めげたけどね。
 放射線ですっかり癌も小さくなって、元気なんだよ、すっかり。
 お見舞いに来て貰って、申し訳ないけどね、こんなに元気じゃ。
 薬のんでいるだけで、退屈だし、もう退院しようと思ってね。
 検査だけちゃんと来るからって約束で、先生に退院を認めてもらったよ」
と、笑顔で話していました。
奥さんと息子さんは
「言い出したら、聞かなくて…。一人で決めちゃうんですよ」
と苦笑していました。
「せっかくの機会だから、ゆっくりお休みになれば…?」と僕が言っても、
「いやぁ、病院じゃ、気持ちも休まらない。仕事していた方が良いよ」と新保さん。
「新保さんは、エネルギッシュに動き回ってないと失速しちゃうんじゃないですか?」と軽口を叩くと
「そうそう、そうみたいだよ。僕は動き回っていないとダメみたいだ」とアハハと笑っておられました。

それから半年、最後にお会いしたのは、6月3日の精神保健福祉士試験委員会総会。
大層やつれておられ、歩くのも辛そうでした。
お声をかけると「あぁ…、ご苦労様」と会釈をして下さいました。
「大丈夫ですか?無理しないで下さいね」と話すと
「まぁ、これだけはね…、なんとか、やらないと…」と使命感をにじませておられました。
この時には、既に余命宣告がなされていたらしいことを、後でお聞きしました。
ご自分の「最期の仕事」という意識で、副委員長席に着いていたのでしょうか…。

いつも、やさしく穏やかでありながら、時に鋭い眼光を放った、新保さんでした。
いつも、誰に対しても、丁寧な言葉で、礼節を保っていた、新保さんでした。
いつも、エネルギッシュに困難に立ち向かい、多くの改革を成し遂げた、新保さんでした。

ある講演で、新保さんは、こんな風に語っています。
「仏教の根幹は明日への希望を失ってはならないという教えです。
 人それぞれが、その人なりに夢を抱ける社会であってほしいという願いは、全ての人にとって共通のものです」
また、「学びを深めるということは、自分の生き方を求めることから始まります」とも述べています。
大学のホームページの、学生に向けてのひとことメッセージです。
新保さんの目まぐるしい活動の軌跡もまた、彼自身の生きる道を求めての軌跡だったのかも知れません。

ちなみに、新保さんの「人生の楽しみ」は、「あたりまえの風景に感動する」ことだったそうです。
今、どんな風景に感動しておられるのか…。
未だに、新しい風景を求めて、動き廻っておられるような気がしてきますが。
せめて、重荷を背負うのではなく、心軽やかな旅立ちであって欲しいと願います。

合掌


☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

新保 祐元 (しんぽ ゆうげん)氏

◆略歴

1946年 群馬県生まれ
1969年 日本福祉大学社会福祉学部社会事業学科卒業
1999年 大正大学大学院文学研究科修士課程修了(社会福祉学修士)
現職  東京成徳大学 人文学部福祉心理学科 教授
    社会福祉法人創志会 理事長
    天台宗正光寺住職

◆専門

精神保健福祉論(精神障害者福祉、障害者施策、自立支援活動、社会福祉実践など)

◆社会貢献(関係団体・学会における役職歴等)

全国精神障害者社会復帰施設協会(顧問・理事長・専務理事・事務局長を歴任)
精神保健福祉士国家試験委員会(副委員長)
日本精神保健福祉士養成校協会(理事)
日本精神保健福祉士協会(理事)
日本精神障害者リハビリテーション学会(常任理事)
日本病院・地域精神医学会(評議員)
日本福祉心理学会(理事)
日本社会福祉学会
日本学術会議精神医学研究連絡委員会(協力委員)
厚生労働省中央障害者施策推進協議会(委員)
厚生労働省社会保障審議会障害者部会(委員)
精神障害者社会復帰施設の拡充を求める中央実行委員会(委員長)
精神保健従事者団体懇談会(委員)
茨城県社会福祉審議会(委員)
茨城県精神保健福祉審議会(委員)
京都医療福祉専門学校(非常勤講師)
など

◆著書・論文等(共著・分担執筆を含む)

精神障害者福祉としての障害規定試論(1992:「病院地域精神医学」誌)
社会復帰施設の現状と課題(1995:メヂカルフレンド社「医療95」)
精神障害者生活支援センターの実際(1996:中央法規)
精神障害者社会復帰施設ー援助の枠組みと施設運営のガイドブック(1998:やどかり出版)
精神保健福祉士の基礎知識(1998, 改訂版2000:中央法規)
福祉心理学(2002:ブレーン出版)
精神障害者生活支援の体系と方法(2002:中央法規)
精神科リハビリテーション学(2002:中央法規)
精神障害リハビリテーション学(2000:金剛出版)
精神保健福祉援助技術総論(2003:中央法規)
精神保健福祉論(2003:中央法規)
医業経営用語事典(2003:日本出版)
精神障害者の自立支援活動 ― 生活支援の原点と自立支援法の実践課題(2006:中央法規)
スタートライン臨床福祉学(2006:弘文堂)
精神障害者生活支援サービスの実態と自立支援法への移行プログラムに関する研究(2005-2006:共同研究)




※新保さんの画像は、社会福祉法人創志会ホームページからお借り致しました。

※ご遺族の方々、略歴等が間違っていたら、ごめんなさい。
 また、この記事がお気に障るようなことがあったとしたら、お許し下さい。
 故人の生きる姿勢から、多くを学ばせて頂きました。
 故人のご冥福を、心よりお祈り致します。

静岡でのPSW大会

2009年07月02日 02時50分31秒 | PSWのお仕事
はや7月。

東京は、どんよりとした曇天模様です。



とうとう6月は、ブログの記事更新はできませんでした。

一ヶ月も記事更新のないブログって、ど~よ?と自分でも思いますが。

とにかく余裕の全くない日々でした。

日々の宿題をこなすために、深夜2~3時までの夜鍋仕事が当たり前になってしまいました。



そんな中でも、6月には、静岡で行われたPSW全国大会に行って来ました。

大学院で担当するゼミの、院生全員(9名)連れて。

皆さんオトナなので、銘々で現地集合、宿泊先もバラバラですが。

一応、単位認定にかかわる授業なので、現地の受付周辺で出席は確認して。

あとは、もっぱら各自の興味関心領域に合わせて、分科会もバラバラに参加。

それでも、夜は一緒に独自に懇親会をやって、盛り上がりました。



静岡駅南口の「駅南市場」というところで、一次会。

静岡B級グルメ、堪能させて頂きました。

静岡名物「黒おでん」や「桜海老」とも、生まれて初めてご対面。

焼酎の「しぞ~か割り」も、何杯も頂きました。

そういえば、店内のメニューはみんな「しぞ~か」と表記されてました。



二次会は、駅北口の繁華街まで歩きました。

今回の懇親会は、すべて地元でPSWとして仕事していた院生に設定してもらったもの。

彼の馴染みの(?)スナックに連れて行ってもらいました。

ほとんど貸し切り状態の中で、飲めや唄えやの大騒ぎ。

深夜まで、久しぶりに腹のよじれるほど、みんなで笑い転げていました。

ちなみに僕は、中島みゆきの「命の別名」と、美空ひばりの「川の流れのように」を唄いました。




日本精神保健福祉士協会の全国大会に出たのは、久しぶりです。

前が「2000年PSW東京大会」ですから、実に9年ぶり。

9年前は主催者側でしたから、大会運営の細部にも自然に目が行きます。

静岡の方々は、駅や路上でのお迎え、会場内での誘導をはじめ、実に気持ち良く大会参加者を迎えてくれました。

1000人を超える参加者を、タイムテーブル通りにさばくというのは大変なことです。

入念な細部の打合せと準備がないと、なかなか、あのようには運営できません。

ボランティアで運営に当たっていた学生さんたちも、てきぱきと仕事をこなしていました。



来年の沖縄大会も、楽しみですね。

「唄って踊れる」沖縄のPSWたちの、来年に向けてのアピールはなかなかのものでした。

来年に向けて、大会を組織していく過程が、DVDでよくわかりました。

数名の有志の話し合いから、どんどん実行委員が増えていく様子が頼もしかったです。

38名(?)のツアーを組んで、羽田からバスをチャーターして来たそうです。

なんとか都合をつけて、参加してみたいと思います。




…ということで、大会の内容や、分科会の報告には、全然触れずじまいですが。

さすがに眠いので、また改めて(?)。

明日も、朝から仕事なので…。





※画像は、静岡大会の会場だった「グランシップ静岡」です。

 とても不思議な構造の会場でした。