昨日は、専門職大学院の学修総括報告会でした。
1年間、この専門職大学院で学んできた院生たちが、一人ひとり発表しました。
平均年齢40歳の、歴とした社会人とはいえ、みんな緊張の一瞬です。
3会場に分かれて、ひとり持ち時間20分の発表会です。
朝10時から、夕方5時40分まで、みっちり。
教員としても、集中して聴き、コメントし、いささか疲れました。
ゼミ員たちに言わせると、僕は一番前で「すっげ~怖い顔」で聞いていたそうです。
自分では、どんな顔だったのか、まるでわかりませんが(笑)。
僕なりに、みんなの語る言葉を、一生懸命追っていました。
語られた言葉は、どれも大事な、大切な言葉です。
ソーシャルワーカーが、現場で直面し、答えを探し続ける言葉。
利用者と日々向かい合う中で、自分自身に投げかけられた、課題となっている言葉。
発表の数々は、かなりレベルが高かったと思います。
中には、プレゼンの時間配分を誤り、準備不足の感のある発表もありましたが。
でも、一人ひとりの想いの詰まった、言葉たちであったと思います。
1年間の学修の成果を伝える場ですから、単なる感想では許されません。
実習で何を行い、何を調査し、どのような結果に基づき、何を考察したのか。
曖昧なプロセスは、当然に、教員の厳しい突っ込みがあります。
実践の場で、エビデンスを示すって、大変なことです。
現場のソーシャルワーカーが、あるテーマで、きちんとまとめるって、大変なことです。
それを、人前で発表し、レポートとして文字化するって、大変なことです。
でも、みんな、この専門職大学院に来た、想いと動機があります。
へたをすると、しばしば空回りしがちな想いを、形にしていく作業が課されます。
みんな、中間報告会より、一歩も二歩も、前に進めていると思いました。
このあと、1週間で、総括レポートの提出期限になります。
いわば、専門職大学院の卒論です。
中途半端にせず、今の自分のすべてを出し切って、書ききって欲しいと思います。
限られた文字数の中で、書かれた言葉は、ともすれば無味乾燥なものになりがちです。
もしかすると、先行研究で、既にあちこちで言われてきたことになるかも知れません。
あるいは、結局、教科書的な言葉に、帰結するのかも知れません。
それでも、専門職大学院の強みは、あくまでも実践を背景としていることです。
書き手の言葉は、実践を体現した、オリジナルな輝きをもっているはずです。
借りてきた言葉ではない、自身の暗黙の経験知を、言葉にして残して欲しいと思います。
同じ言葉でも、ちゃんと実践を背景にしている言葉は、違います。
ちゃんとした読み手が読めば、いい加減な手抜きや、未消化な曖昧さはわかります。
同じ言葉でも、どれだけそこに意味が詰まっているか、重さ軽さがわかります。
ソシュールの言語論ではありませんが、言葉には意味が詰まっています。
言葉を、どれだけ大事にしているか、どれだけそこに意味が込められているか。
ある程度の実践をしてきたソーシャルワーカーなら、自明なはずです。
言葉の、シニフィアンとシニフィエの間には、一本のバーが引かれています。
それは、言語の持つ限界、コミュニケーションの不可能性も示しています。
でも、そこに言葉の持つ豊かさもあるし、他者との共有というテーマもあります。
院生の皆さん、あと一週間の、書く時間、言葉と向き合う時間を、大事にして下さい。
書かれた言葉の、一つひとつを、何回も、何回も推敲して下さい。
その言葉たちは、今のあなた自身の姿を、表しているのですから…。
書くって、そういうことです。
書き記した言葉が、活字になって残るって、そういうことです。
精一杯のあなたの今を、この時代に刻印して下さい。
※画像は、専門職大学院の総括報告会、最終講評の風景。
今井幸充さんの講評中、ベルを鳴らして「覚えてろよ~」と言われちゃいました(笑)
たくさん画像も撮ったけど、よく考えたら、自分の画像が一枚も残っていない…(泣)
なので、今回は凛々しい専門職大学院生たちの、真剣なまなざしを掲載です(^_^)v