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マララ2

2021-11-20 06:49:32 | 日記

 

(👧マララさんの関連書籍をもう1冊❤️)

 

📖『対訳 マララ・ユスフザイ 

国連演説&インタビュー集 』

CNN English Express編集部(編)

 

 

レビュー

 

1.

“ One chiid, one teacher, one book and one pen can change the world. Education is the only solution. Education first. ”ー 本文54ページより

 

(ひとりの子ども、

ひとりの教師、

1冊の本、

1本のペンが

世界を変えうるのです。

教育こそが唯一の解決策。

教育第一です。)

 

私はこの言葉が、

本書のなかでは、

一番好きで、

そして印象に残りました。

そしてこれは

マララさんが訴えたい、

一番重要なメッセージでもあると思います。

 

そして、

マララさんのお父さんの言葉にも

感動しました。

勇気と覚悟にあふれています。

 

“ I can never compromise on freedom.

My approach is, I think that [it's] better to live for

one day to speak for right and...than to live for

100 years in such a slavery.

I will never put my ...

my neck into the yoke of slavery.”

~本文76ページより

 

(自由に関して

妥協することは絶対にありえません。

権利を主張して1日生きる方が

奴隷状態で100年生きるよりもましだと

考えるのが、私の姿勢です。

奴隷のくびきに自分の首を差し出すようなまねは

絶対にしません。)

 

マララさんの言葉にはどれもとても力があり、

読むとたくさんの勇気をもらう事ができます。

 

 

 

2.

ノーベル平和賞を受賞したパキスタンの少女

マララ・ユスフザイさんの言葉を集めたものだ。

様々出版されているが、

文字だけでなくCD でナマの声が聴けるのでこれにした。

ただ残念なことに

ノーベル賞受賞前の声までである。

 

(マララさんは)

2008年(11歳)に教育を受ける権利をタリバンが奪っていると訴え始め、

その後ネットでタリバン支配下の抑圧された生活を訴える。

たくさんのメディアの取材に堂々と応じ、

女性の権利を主張し始める。

 

しかし2012年(15歳)スクールバスで下校中、

タリバン兵に銃撃され頭部に銃弾を受ける。

英国に移送され、奇跡的に回復する。

その後マララ基金の創設など活動を再開し、

各方面から注目を集め各種表彰を受ける。

 

インタビューは銃撃事件前の14歳のとき

CNN が行ったもの。

事件後の国連演説。

そしてその後16歳になって

父親と共にニューヨークでのインタビューである。

 

一貫して彼女は教育の重要性を説き、

女性が教育を受ける権利を主張する。

タリバンに銃撃されてもなお活動を続ける勇気は

どこから来るのか、

マララを育てた父親にもインタビューの焦点は当たる。

ノーベル平和賞にふさわしいマララの勇気と発言であると思えた。

 

(👨レビューは以上です。

どんな国の首相も、

世界共通の教育があることがわかっているのに

自国の国民、特に女性に

教育を受ける権利を与えない自分の国というのは、

自国が発展する方法を自ら閉ざしていることと同様。

それは非常にもったいないことだし、

時間の浪費だし、

また世界各国と足並み(精神的・科学的進化)を揃えられない。

せっかく国際会議などが開かれ招待されても

アメリカと中ごくのように

同じレベルで話し合いが出来ないから

会議が暗礁に乗り上げてしまうのです。

(たとえば、

ウイグル・ジェノサイド問題について話し合う

ブリンケン国務長官とおうき外相のように。)

これはゆゆしいことで

自国民に教育を行き渡らせないことは

世界の発展を遅らせ、

世界に恥ずべきことだと思います。

困ったことには

肝心の首相自体が世界共通の教育を受けていない、

理解していない場合があります。C国。I国。

 

👩世界共通の教育の第一番に

教え教わらなければならない尊い決まりが人権。

あらゆる人間は生まれながらに

基本的人権を持って生まれる。

世界共通の教育とはつまり

世界共通の憲法。

誰もが守るべきものだ。)

 

 

 

以下は、BBC NEWS JAPANより。

女性の教育を禁じるのは「イスラム教に反する」 パキスタン首相インタビュー

2021年9月22日

 

画像説明,

パキスタンのイムラン・カーン首相(左)は、

タリバンの初期の声明は「希望を抱かせる」ものだったと述べた。

 

パキスタンのイムラン・カーン首相が

BBCのインタビューに応じ、

アフガニスタンで女性に教育を受けさせない動きがあることについて、

イスラム教に反するとの考えを示した。

 

 

(👨パキスタンの国民である女性のなかから

マララさんというノーベル平和賞が出ているから

パキスタンの首相がそう言うのは当然だ。

マララさんの願い・主張は、

「すべての人に教育を

女性に教育を

教育こそが世界を変えることができる」

だから。

マララさんの主張を世界が賛同しているからだ。)

 

 

カーン首相はインタビューの中で、

アフガニスタンのタリバン新政権を

パキスタンが正式承認するために必要な条件も挙げた。

 

その1つとして、

多様な人を受け入れ、

人権を尊重する指導層を求めた。

 

カーン氏はまた、

パキスタンの治安を脅かすようなテロリストの居場所として、

アフガニスタンが利用されてはならないと述べた。

 

女子生徒の教育をめぐって

タリバンは先週、

中等教育の学校には男子生徒と男性教員だけが戻れるとし、

女子生徒は除外した。

 

これについてカーン氏は、

女子生徒も近く学校に行けるようになるはずだと、

BBCのジョン・シンプソン記者に語った。

 

「タリバンが権力を握って以降の声明は、

かなり希望を抱かせるものだ」

 

「タリバンは女子生徒についても、

学校に行くのを認めるだろう」

 

「女性は教育を受けるべきではないという考えは、

イスラム教にはない。宗教とは無関係だ」

 

判断には時間が必要

タリバンが8月にアフガニスタンで権力を掌握して以来、

1990年代のタリバン政権時代に戻るのではないかとの不安が高まっている。

当時はイスラム教の強硬派が、

女性の権利を厳しく制限した。

 

タリバンは今回、

女性の権利は「イスラム法の枠組みの中で」尊重されると説明している。

 

女子生徒は学校に戻れないとした先週の決定は、

国際的な非難を浴びた。

タリバンの広報担当はその後、

女子生徒も「できるだけ早期に」教室に戻ると述べた。

 

ただ、その時期や、

戻った場合にどのような形式で教育を受けられるのかは、

まだはっきりしない。

 

カーン氏は、

タリバンが

正式承認のための条件をクリアすると思うかとの質問に、

国際社会がタリバンに時間を与えることが必要だ

と繰り返し主張した。

 

カーン氏は、

「何かを判断するにはまだ早すぎる」とし、

アフガニスタンの女性は

ゆくゆくは「権利を主張」できるようになるだろう

と述べた。

 

(👧ゆくゆくって、何年後❔明日ではないのですね。)


プロパガンダに教育

2021-11-18 14:48:22 | 日記

 

(👨マララさんの国パキスタン

2005年10月8日

マグニチュード7.6の

歴史的な大地震があった。)

宗教指導者たちは

地震は神からの警告だと

呼びかけた。

(👨ラジオ放送で国民を震え上がらせる。

だんだんと地球は

壊れてきてはいるだろうが

ラジオでそんなことを聞いて

私たち日本人がやすやすと

簡単に信じるだろうか❔

👩信じない。

でも、別の「恐怖・不安」へ

誘導されたら

信じてしまうかもしれない。)

 

(👧マララさんの著書

📖『マララ 

教育のために立ち上がり、

世界を変えた少女』より)

(宗教指導者たちは)

われわれが生き方を改めて

もっと教えを守らなければ

さらに大きな

罰がくだるだろうと(言った)。

地震のあと長い間

国全体が

ショックを受けていた。

人びとはおびえて

傷つきやすかった。

そして、

悪事をたくらむ者たちに

やすやすとつけこむすきを

あたえてしまった。

 

(👨「悪事をたくらむ者たちに

やすやすとつけこむすきを

あたえてしまった

って❔

👧宗教指導者たちは

どんな悪事を

たくらんでいるの❔

学校や町を破壊することと

イスラムの教えと

どこに共通点があるの❔

タリバンは

イスラムの教えを曲解している。

国民を決まりで縛り付け

女性に教育を施さないと

どんな悪事が達成されるの❔)

 

👩強い指導者の言葉や

迷信などに惑わされないためには❔

👧世界共通の教育が必要。

👨だか、このような人たちに、

いったいどうやって

教育の重大さを伝えれば良いのか❔

今のところその答えはない。

 

「世界ではそれぞれ

国(指導者)と国民の

進化の度合いが異なる」

と松下幸之助さんはいう。

 

武器を売る軍需産業も

進化がそこでとまっているが、

いちばんいけないのは

科学的には進化してるくせに

何でも即戦争(暴力)で

解決しようとするアメリカ。

👩アメリカが

ひとこえ声を掛ければ

戦争は終わるの❔

👨いや、わからない。

アメリカは、核兵器は持っているけれど、

核兵器を使用したら

もう世界は終わりだとわかっている。

けれど、

中ごくやその他の

進化過程がまだ途中の国々は、

やけっぱちになると、

何をするかわからない。

欧米諸国にとって、

特に中ごくは驚異なのだ。

中ごくのハイテク軍拡は

予想以上

中ごくはお金を使って

隣国を取り込む

だから中ごくの持つお金を

極力小さくしたい。

地球はきっと

戦々恐々なのだ。

日本人は「ならば戦争に反対しよう」とは

考えない国民だと

高畑勲監督が言っている。

日本人に

戦争は悲惨を生むだけだと

どんなに力説しても

「ならば攻められてもいいように

軍備を補強しなければ」

と日本人は考えてしまう、

と言っている。

高畑勲監督は、

戦争をとめるためには

二度と戦争を起こさないためには

いくら戦争の悲惨さをあげつらってもダメだ、

効果はないと言っている。

戦争を二度としないためには、

「なぜ戦争になって、

戦争に足を突っ込んでしまったのかを

ひとつひとつ詳しく振り返って、

戦争に足を踏み込んでいってしまう(しまった)過程(戦争への道すじ)を

はっきり可視化、アウトプットするべきだ」

というような金言を述べている。

 

台湾有事だって、

分かりやすく言えば

台湾戦争だ。

戦争という恐ろしい言葉を

マイルドに言っているだけだ。

有事って戦争の別名。

今、台湾戦争を勃発させたら

いつ戦争が

日本列島に飛び火してくるか

わからない状態。

戦争プロパガンダに

惑わされず

ぜったいに戦争に加担せず

平和を保ちたいと思う気持ちで

いっぱいです。)


マララ1

2021-11-18 14:42:39 | 日記

 

(👨サイバー攻撃も
テロリストが自分の腹に巻いた爆弾も
1つの武器だとすると、
 
戦争は
武器がないとできないから、
 
戦争をしそうな国と人々に
 
武器が
「これを使いなさいよ」とささやく。)

 

マララ・ユスフザイ(著者),

道傳愛子(訳者)

(児童書)岩崎書店

📖『マララ 教育のために立ち上がり、

世界を変えた少女』

感想・レビュー

1.
アメリカでオバマ大統領に会ったとき
“大統領への敬意は忘れなかったと思うけれど、パキスタンでの無人爆撃機を使った軍事作戦には反対だと伝えた。悪い人をひとり殺すために、罪のない人が何人もまきぞえになり、かえってテロリズムを広げてしまうから。もし、アメリカが兵器や戦争に使うお金を減らして、教育にもっとお金をつぎこめば、世界はもっとよくなる、とも話した。

2.

イスラムの教えを曲解しているタリバン。

神様が悲しむと思う。
学校や町を破壊することがなんで教えを守ることになるのだろう。
それを信念を持ってやるなんて考えられない。

3.

マララさんは教育が必要だと訴えます。

なぜなら、

日本では考えられないような思想がはびこっているから。

映画をみてはいけない、

ダンスもいけない、

女の子は家にいないといけない、

でなれけば神が

我々を懲(こ)らしめるために

また地震を起こすだろう・・。

そんなバカな、ということが現実に起きている。

そのためにも教育が必要だと。

女の子であるというだけで勉強の機会を失われるなんておかしい、と声をあげたのです。


はっとさせられるのは、

マララさんは

「ネットが普及し外国の情勢を知った上で比較し、判断しているのではない」

ということ。

自分のまわりで起こっていることに対して

自分で判断していたということ。

実際、タリバンに襲撃されて治療のため渡ったイギリスで

初めて、外の世界からみた自分を認識しているのです・・

私たちはその随分前から彼女の行動を知っていたはずだけれど。


どうしたらこんな信念の強い子どもが育つのかしらん・・

と思っていたけど、

やはりご両親あってのことだと納得。


❇️人類共通の世界憲法をつくる

2021-11-14 08:38:16 | 日記

 

 

そもそも、

繁栄、平和、幸福でありたいと願う心は、

この地上に人間が生まれて以来、

昔も今も変わらず、

だれもが胸に抱き、

だれもがその実現を

望んでいたことと思うのであります。

すなわち、

それがたとえ原始未開の時代の人間であろうと、

繁栄したい、平和でありたい、

幸福になりたいと願う願いは

だれもがその心に

もっていたことと思うのであります。

 

そこで、

この願いを実現する第一歩として

私たち人類の祖先は、

まず第一に家族という共同生活をつくりあげました。

つまり、

一人一人で生活するよりも、

男と女が、それぞれに

仕事を分担して暮らすほうが

生活が便利であります。

男は主として外に狩猟に出て食糧を集め、

女は内にあって子どもの保育や、

炊事をする。

このほうが一人で暮らすよりも

よほど便利なのであります。

そのうちに子どもが一人増え、二人増えして、

その家族はしだいに大きくなり、

父の協力者や母の協力者ができてまいりまして、

家族という共同生活は、しだいに充実してきたと思うのであります。

ところが、このように家族生活が大きくなり、

あちらこちらに同じような家族、団体ができてまいりますと、

今度は、ある地域の数家族を集めて、

そこに一つのさらに大きな集団生活を

つくりあげました。

これがいわゆる村落というものであります。

なぜこのようにしたかといいますと、

一家族だけでは、

外敵や野獣の襲撃を防ぐのに、

どうしても力が弱いし、

また

狩猟や農耕を行うのに

不便であったからであります。

 

このようにして、

家族を一単位とする一つの集団生活

すなわち村落をつくり、

お互いに協力して

繁栄の生活を

つくり出そうと

考えたのであります。

 

しかし

家族を一単位とする

その集団生活においては、

共通の利益を保護し

全体を統制するために、

どうしてもそこに

🌕️秩序というものが必要となり、

その秩序を保持する統括者としての

🌕️首長というものが必要となってきたのであります。

 

すなわちここに、

人類の生活において

🌕️家族以外における

集団生活の秩序と、

その秩序の統括者

というものが

生まれてきた

と思うのであります。

 

だいたい以上のようにして、

🌕️人類の集団生活というものが

生まれてきたわけでありますが、

時とともに

この集団生活は

しだいに大きくなってまいりました。

つまり、

🌕️人知が進歩するに従って、

お互いの繁栄と平和と幸福を、

よりいっそう充実させるために、

その集団生活をさらに

大きくする。

すなわち、

村落から

郷や町へと

発展していったのであります。

さてこれとともに、

🌕️さらに新しい秩序が必要となり、

🌕️さらに新しい統括者が

必要となってくるわけで、

🌕️人間の共同生活はしだいに複雑になり、

しだいに整ってまいったのであります。

このようにしてだんだん大きくなりだんだん整ってきて、

ついに一民族なり数民族を

🌕️一つの集団としてできあがったものが、

今日私たちが見る国家であると

思うのであります。

 

さて、このような国家の

歴史的発展の跡を考えてみますと、

🌕️国家という集団生活は、

結局、

🌕️人間の繁栄、平和、幸福のために

生まれてきたものであり、

🌕️国家の目的は、

国民の繁栄、

平和、

幸福を

実現するところにあるといえるのであります。

すなわち国家は、

🌕️国民の繁栄のための手段であって、

この国民の繁栄を達成せしめるところに

🌕️国家の使命があるといえるのであります。

 

しかも、以上の国家の成立の歴史は、

人間に限りない繁栄、平和、幸福が

与えられているという大原則にも

そのままあてはまると思うのであります。

これを言いかえますと、

人間の本質には

限りない繁栄、平和、幸福が

与えられているのでありますが、

国家成立の歴史は、

この人間の本質を

しだいに発揮してきた歴史でもある

といえるわけです。

したがって、

歴史にもとづいて考えてみても

国家はあくまでも人間の繁栄のための手段であって、

その民族なり国民の、

繁栄、平和、幸福を

達成せしめるところに、

その使命がある

ということになるのであります。

 

都市から国家、

国家から世界へ

ところで、

さきにも申しあげましたように、

集団生活が成立した以上は、

全体に共通の利益というものを

考えなければなりませんし、

またこれを保護する必要が起こってまいります。

そういうところから、

🌕️集団には秩序が必要となり、

🌕️国家には国家秩序というものが

必要となってくるのであります。

ところが、

秩序には

これを維持する中心というものが

なければなりません。

国家についていえば、

国家秩序を保持する主導体

とでもいうべきものが

必要となってくるのであります。

 

🌕️そこで、

それぞれの国の

それぞれの特殊な歴史の発展過程にもとづいて、

自然に君主制なり

民主制なりの

政治の制度が生まれ、

君主や大統領が

🌕️その国の秩序の中心と

なってきたと思うのであります。

 

いうまでもなく、

君主制にしても

民主制にしても、

その国の歴史(と🌕️民度)に応じて

制度の違いはありますが、

いずれにしても、結局は、

その民族なり国民の

繁栄を生むための制度として

その(国家秩序の)意義があるわけで、

したがって

その(国家秩序の)制度にもとづいて、

その国の秩序の中心となった

君主や大統領は、

前述の国家の目的に従って、

国民一人一人の願いであるところの

繁栄、平和、幸福を実現するために、

国家秩序を忠実に保持し、

この秩序を正しく統括しなければならない

のであります。

❇️ここに国家秩序の中心である者の

任務(使命)があり、

❇️またその尊(とうと)さ(大切さ)がある

と思うのであります。

 

さて、以上のようにして

国家というものができあがり、

また国家の目的と

国家秩序の中心とが

生まれてきたのでありますが、

 

🌕️ここで目を転じて、

全世界といいますか

世界全体に目を向けたとき、

❇️国家は要するに

❇️世界の一部であり、

❇️一単位であるということに

❇️気づくのであります。

すなわち、

❇️家族が国家の一単位を

かたちづくるように、

❇️国家は世界の一単位を

かたちづくることに

なってくるのであります。

❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️

 

いうまでもなく、

今では、

❇️国家がいちばん大きな集団生活であって、

❇️それが世界集団の一単位であるということは

考える必要もなかったのでありますが、

 

💀文化が進むに従って

💀国家相互間の利害関係が密接となり、

今日においては、

🌕️国家をその一単位とするさらに大きい集団生活、

すなわち

🌕️世界集団というものを考え、

この世界集団の中における

🌕️国家のありかたというものを

考える必要が

生じてきたのです。

 

つまり

今日の国家は、

🌕️世界全体と密接な関係をもち、

🌕️この関係を無視しては、

🌕️国家の正しい姿はつかめない

という段階に立ち入ったのです。

 

そこで、

世界が、

国家を一単位とする

一つの集団と

なってまいりますと、

🌕️そこに当然、

❇️世界秩序というものが

つくられてこなければならない

のであります。

すなわち、

国家に国家秩序が必要であったように、

🌕️世界には

世界秩序が

かたちづくられてこなければならない

のであります。

 

このように、

集団生活が

しだいに大きくなり、

発展してくるのは、

宇宙の生成発展の原理から見れば

当然のことであって、

家族から村へ、

村から都市へ、

都市から国家へと

発展してきた集団生活が、

生成の原理に従って、

やがて

国家から世界へと

拡張する傾向に、

今日おかれていると思うのであります。

 

このように

人間の集団生活が

世界全体にまで広がってまいりますと、

さきにも申しましたように、

❇️この世界全体の

❇️共通の利益を

❇️保護するために、

どうしても

世界秩序というものを

つくる必要が生じてくる

のであります。

 

そして、

🌕️それぞれの国家は、

🌕️この世界秩序の一単位として

🌕️これに従い、

❌もはや一国家単独の

勝手な行動は、

許されないことに

なってくるのであります。

 

もしも

ある国家が、

この世界秩序を無視して、

勝手な行動をとる

というようなことがあれば、

人類全体の繁栄を

阻害することになり、

自然の理にそむくことになってくる

のであります。

 

すなわち、自然の理を通じて、

人間に与えられている繁栄、

平和、幸福を

実現するためには、

集団生活は

しだいに

大きくなる必要があり、

これが大きくなるとともに、

その中の一単位は、

この秩序に

服さねばならないのであって、

このような発展過程をたどることは

生成発展の原理であり、

また

人間の本質でもある

と思うのです。

 

したがって、

今日、世界秩序を乱す国家が

あるとしたならば、

それはまさしく

自然の理にそむく国家であり、

また

人間の

本質を生かさない国家である、

ということになってくるのであります。

 

そこで

お互いに繁栄を望み、

平和、幸福を

願うならば、

どうしても

世界秩序を

正しく認識し、

この秩序にすすんで従い、

❇️お互いに

❇️協力しあわねばならない

ということになるのであります。

 

今日(こんにち)、

❇️世界憲法をつくる運動が

一部の人々によって行われている

ようでありますが、

まだこれを起草し

実践するところまでいかず、

現在ではまだ各国が

個々別々に

その国の歴史と

(その国の)🌕️民度に応じて

🌕️憲法を制定しております。

 

もちろん

各国それぞれには、

特殊な歴史があり、

特殊な国体をもっていますから、

憲法も、

個々の具体的な条文にまでいけば

それぞれ異なってまいりますが、

しかしその根本精神は、

自然の秩序に淵源をもつかぎり、

人類共通のものであり、

永遠不変のものであると

思うのであります。

 

したがって、

国家秩序を支える

世界憲法がつくられることは

決して

不可能なことではなく、

❇️人類の努力は、

遠からず(❇️近いうちに)

立派な

❇️世界憲法を

❇️つくりあげるにいたるであろうと

思われます。

(👴👨👩👧👶

👏👏👏👏👏

👏👏👏👏👏)

 

📖『松下幸之助の哲学

松下幸之助 著

PHP研究所

 

(👨ちなみに、

ここでの「世界秩序」は、

イルミナティの提唱する・

目指す世界秩序・

ワン・ワールドとは

まったく別物です。

👩間違われやすい。)

 

 

 

本書は、

松下幸之助が

その生涯をかけて

思案を重ね、

生み出してきた考え方をまとめ、

整理したものである。

その内容は、

宇宙の根源から人間、

社会、

人生全般にわたっており、

壮大な哲学として

読み取ることができよう。

今日の

混迷する人心、

社会を考えるとき、

松下幸之助の遺(のこ)した

この哲学は、

21世紀の

新たな時代を

生きる私たちに、

問題の根本的解決や

新たな生きがい創造への

多大のヒントを

与えてくれると

考えられる。

一人でも多くの方々に

お読みいただくことを

願ってやまない。

(PHP研究所)

 

 

 

 

 

 

 

 

新しい世界観

--ということは、

いずれ国家という概念も

変わっていくでしょうし、

(👨だから、ジョン・レノンが

🎵『イマジン』で

地球に「国境なんかないんだ」と

言っている。

彼が暗殺されてしまったことは

実に残念だった。

暗殺を計画した本部は、

優しく有能な人の中に

世界のためになる

どれだけの考え、

哲学、思想が散りばめられ、

堆積していることを

十二分に知っていて

確信犯的に

暗殺している。

その考えが世界に伝播したら

自分たちが非常に困るから。

だから、ジョン・レノンは、

「世界は狂人が回している」

と言ったのだ。)

 

いずれ国家という概念も

変わっていくでしょうし、

政治、経済、防衛も

変質していかざるを得ない

ということですね。

 

カーツワイル「もうすでに

国境というものの概念が

変質してきていますね

経済的にはすでに

世界はつながっています。」

(👩愛でも早くつながってください。)

 

カーツワイル「ギリシャの経済が

世界経済に影響を与える。

製品は航空便で

インターネットを通じて配送され、

音楽、ビデオ、本も

世界中に配信されます。

今日の子供たちは、

ますます『世界文化』というものの中で

育つようになってきています。

翻訳機能は

日増しに向上していて、

国境や言語を超えて文化に親しみ、

世界中で共通の

興味や趣味を持った人たちがつながって

コミュニティーというものを

形成していく。」

(中略)

カーツワイル「ナショナリズムはまだ残っていますが、

特に若い人たちと話をすると、

彼らのアイデンティティーが

「世界市民」というものに

なりつつあることを

ひしひしと感じます。」

(👨👩そうか❤️)

📖『人類の未来』

Al、経済、民主主義

ノーム・チョムスキー

レイ・カーツワイル

ビャルケ・インゲルス

フリーマン・ダイソン

(👨映画『地球交響曲』に出演した

フリーマン・ダイソン‼️)

吉成真由美[インタビュー・編]

えぬえいちけー出版新書 513

より。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


知識階層による

2021-11-12 18:45:27 | 日記

 

(知識階層による)

観客民主主義

 

公益を理解して実現できるのは、

それだけの知性をもった「責任感」のある「特別な人たち」だけと考えていたからである。

この理論からすると、

万人のためになる公益は

少数のエリート、

ちょうどデューイ派が言っていたような知識層だけにしか理解できず、

「一般市民にはわからない」

ということになる。

こうした考え方は

何百年も前からあった。

 

たとえば、これは典型的なレーニン主義の見かたでもあった。

改革をめざす知識人が

大衆の参加する革命を利用して国家権力を握り、

しかるのちに愚かな大衆を、

知性も力もない未来へ、

連れていくのだとするレーニン主義者の考えと、

これはそっくりではないか。

自由民主主義とマルクス・レーニン主義は、

そのイデオロギーの前提だけをとってみると

非常に近いのだ。

私の思うに、

それが一つの理由で人びとは

自由民主主義からレーニン主義、

あるいはその逆へと、

自分では転向したという意識もなしに

あっさりと

立場を変えてしまえるのだろう。

単に、

権力がどこにあるのかの

ちがいだけだからだ。

 

今後も大衆革命は起こるかもしれない。

そうなれば

知識人が国家権力を握れるだろう。

 

あるいは革命など

起こらないかもしれない。

その場合は、

💀真の権力者である財界のために働けばよい。

だが、いずれにしても同じことだ。

愚かな大衆は

自分で状況を理解する頭がないと見なされて、

指導者の意のままに

未来へと誘導されるのである。

 

(ウォルター・)リップマン(1889-1974)は

これを非常に精繊(せいせん、精密で細かい)な

進歩的民主主義によって補強した。

正しく機能している民主主義社会には

複数の市民階級が存在する、

と彼は主張したのである。

 

第一の市民階級は、

相対的な問題の処理に

積極的な役割を担わなければならない。

これは専門知識をもつ特別階級である。

政治、経済、イデオロギーのシステムにおける諸問題の分析、

実行、意思決定、管理をするこれらの人々は、

人口のごく一部でしかない。

 

当然ながら、

この少数グループのなかからしか提案はでてこず、

そのなかで

「それ以外の人びと」をどうするかが検討される。

(👨みな等しく大学院まで高等教育を受けることができる権利をプラスして、

就職するときも貧富の差で差別せず合格させればいい。

👩そして、

社会人は、

特に政治家や

企業の社長・重役になる人には、

倫理・道徳の試験に合格しなければなることができなくする。

サイコパス的な悪い種から生まれた人物は

倫理・道徳を「丸暗記」して試験に受かろうとするだろう。

しかし、実地試験もあるから

そんな努力も無駄だ。

👧うふふ。そんな時代になったらいいな。

いつまでもやられっぱなしではくやしい。

武器でなく、

叡知と、

倫理・道徳の試験で残念な人びとを負かす。

👨彼らは

燦々と

明るい太陽の光があたる場所が

眩しくて大嫌いだ。

明るい陽射し(叡知)が

彼らの闇を真っ黒に映し出すから。)

 

 

 

グループから漏(も)れた人びと、

すなわち人口の大部分を、

リップマンは「どまどえる群れ」と称した。

彼らも民主主義社会の一機能を担っている。

(👨僕たちから見ると

どまどえるグループは

あなた方だが。)

 

民主主義における彼ら(どまどえる群れ)の役割は、

リップマンの言葉を借りれば

「観客」になることであって、

行動に参加することではない。

しかし、彼らの役割は

それだけにかぎるわけにもいかない。

何しろ、ここは民主主義社会なのだ(から)。

(👩よく言うよ‼️

あなた(リップマン氏)の着ているスーツもシャツもネクタイも靴もカバンも

あなたの食べている食事の材料も食器もテーブルもイスも、

住んでいる家も掛けているレースのカーテンも、

みんな人口の大部分を占める人びとが作ってくれたんだよ‼️

あんたがたはそれを使って

心でなく頭で考えるだけ‼️)

 

そこでどきどき、彼ら(人口の大部分を占める人びと)は、

特別階級の誰かに支持を表明することをゆるされる。

「私たちはこの人をリーダーにしたい」、

「あの人をリーダーにしたい」

というような発言をする機会も与えられるのだ。

何しろここは(見た目・表面上は)民主主義社会で、

全体主義国家ではないからだ。

これを選挙という。

(👧選挙で国が良く変わるまで、

私たち「どまどえる群れ、または観客」は、

いったいどれくらい長い間、待てば変わるの❔

変わらないんだね。)

 

だが、いったん特別階級の誰かに支持を表明したら、

あとはまた観客に戻って彼らの行動を傍観する。

(私たち)「どまどえる群れ」は(特別階級の行動への)参加者とは見なされていない。

(👧私たちのことをバカにして‼️)

これこそ

正しく機能している民主主義社会の姿なのである。

(👩なんか、心底がっかりしちゃった……。

偽りの民主主義。)

いったん

特別階級の誰かに支持を表明したら、

あとはまた

(私たち「どまどえる群れ」は)

観客に戻って彼ら(特別階級)の行動を傍観する。

私たちは(政治の)参加者とは見なされていない。

これこそ正しく機能している民主主義社会の姿なのである。

(👩国会を見ているのが空しくなる。)

 

この背景には一つの論理がある。

至上の道徳原則さえある。

至上の道徳原則とは、

一般市民の大部分は愚(おろ)かで

何も理解できないということである。

 

(👩私たちは、バカにされたものだね。)

 

 

彼ら(一般市民の大部分)が

自分たちの問題の解決に

参加しようとすれば

面倒(めんどう)を引き起こすだけだ。

したがって、彼ら(一般市民の大部分)に

そんなこと(自分たちの問題を自分たちで解決すること)を許すのは不適切であり、

道徳原則に反する。

 

(👩特別階級が、

一般市民の大部分に

自分たちの問題を自分たちで解決することを許さない。

それはまったく間違っている。

道徳原則って、いったい何⁉️)

 

われわれ(特別階級)は、

「どまどえる群れ」(一般市民の大部分)を

飼い慣らさなければならない。

どまどえる群れの激昂(げきこう、激しい怒り)や横暴(👨君らにはこれが愚かで横暴に見えるのか⁉️これは権利だ‼️)、

横暴を許して、

(われわれ特別階級に)不都合なことを

起こさせてはならない。

(👧主語をきちんと付けると、

特別階級が悪いことが明確にわかって

とても嬉しい。)

 

これは

三歳の幼児に

一人で道路を渡らせないのとまったく同じ論理である。

誰だって三歳の幼児に

そんな自由は与えないだろう。

三歳の幼児は

その自由を

適切に扱うすべ(方法)を知らないのだ。

それと同じように、

どまどえる群れ(一般市民の大部分)も

行動に参加させるべきでない。

問題を起こすに決まっているのだから。

 

そこで、どまどえる群れ(一般市民の大部分)を

飼い慣らすための何かが必要になる。

それが民主主義の

新しい革命的な技法、

つまり「合意のでっちあげ」

である。

メディアと

教育機関と

大衆文化は

切り離しておかねばならない。

 

政治を動かす階級と

意思決定者は、

そうしたでっちあげにある程度の現実性を

もたせなければならず、

それと同時に

彼ら(一般市民の大部分)が

それをほどほどに信じ込むようにすることも必要だ。

ただし、

ここには暗黙の前提がある。

 

この暗黙の前提。

これについては

責任ある人びとさえも

自分を騙(だま)さねばならないのだが、

どうしたら

意思決定の権限をもつ立場に

つけるのか❔

(という問題に関係している。

この暗黙の前提は。)

 

その方法は、

「真の」権力者に仕(つか)えることだ。

社会をわがものとしている真の権力者は、

ごくかぎられた一部の人間である。

(👨出典を書いておきます。

📖『メディア・コントロール』

ノーム・チョムスキー 著

正義なき民主主義と国際社会

鈴木主税 訳

集英社新書0190-A)

 

(👩そうじゃないかと思っていたが、

きちんと文字にされると

読んだショックはキツい。

ああ、やっぱり。

貧困や戦争がなくならないはずだ。

誰かが勝手にコントロールしているからなんだ。)

 

(意思決定の権限をもつ立場に就いている一部の人間、

社会をわがものとしている真の権力者)

特別階級の一人がそこへ行って

「(私は)あなたのために便宜をはかれます」

と言えれば、

彼は支配階級の一員になれる。

でも、そんなことを公言してはならない。

それを公言するのは、

一部の私的権力の利益にかなう信念と

教義を大衆に植えつけてきました、

と言うのに等しいからだ。

この技能を習得できないかぎり、

特別階級の一員にはなりえない(なれない)。

 

そこで、一部の者を

責任ある特別階級へといざなう(👩ゆらゆらと❔そっと❔目立たずに❔)

教育のシステムが必要になってくる。

国家と企業の癒着関係(ゆちゃくかんけい)に

代表されるような私的権力が

私的権力が

どんな価値観をもち、

何を利益としているかを

徹底的に教え込まなければならない。

それができたなら

特別階級の一員になれる。

(👩中を見てくることは

できるわけだね❔

👨出来ないよ。

入ったら二度と出られない監獄なんだ。

👩なんか、

🎵『ホテル・カリフォルニア』の歌詞みたいだなあ。)

 

残りの

どまどえる群れについては、

つねに彼らの注意を

(👧楽しいスマホなどで)

そらしておくことが必要である。

彼ら(一般市民の大部分)の感心を

まったく別のところに

向けさせろ。

面倒を起こさせるな。

何があっても

(一般市民の大部分には)

行動を傍観しているけにさせるのだ。

 

例外は、真の権力者の誰かにたいする

支持を表明させるときだけだ。

そこでなら

どまどえる群れに選択をさせてもよいだろう。

 

このような(以上のような)

見解を提唱してきた者は、これ、

(ウォルター・リップマンの)ほかにもたくさんいる。

そのほうがむしろ主流だと

言ってもよいだろう。

著名な神学者で外交評論家の

ラインホールド・二ーバーも

その一人だった。

 

 

 

 

 

 

 

ホテルカリフォルニア(歌詞和訳と意味)イーグルス:Eagles – Hotel California

 

The Eagles – Hotel California 1977

 

Eagles – Live in Concert (1977)

 

イーグルスの「ホテルカリフォルニア」(Hotel California)です。「ホテル・カリフォルニア」(作詞/作曲:ドン・ヘンリー/グレン・フライ/ドン・フェルダー1976年)は、哀愁漂うメロディとドン・ヘンリーのボーカルで大ヒットした曲です。しかし、歌詞の意味することが分かりずらい曲でもあります。これはアメリカ人にとっても、日本人にとっても同じです。作詞作曲をしたグループのメンバーも何も語ってはいません。

そこで、勝手な解釈をしているのがこの記事です。

歌詞を通して感じられるのは、まるでトワイライト・ゾーン(The Twilight Zone) のエピソードのような、出口のない異次元の世界へ踏み込んでしまったようなストーリーです。トワイライト・ゾーンは1959年から1964年まで放映された有名なSFのテレビドラマシリーズですから、歌のストーリーを作るうえで、少なからず影響があるかもしれません。

各節の内容です。

コリタス(colitas) は、砂漠の花であるとともに、マリワナを意味します。言葉のダブルイメージです。この歌にはダブルイメージがこの後も出てきます。それが、歌の解釈を多様にもし、分りづらくもしています。つまりここでは、「夜の砂漠のハイウェイを走っていると、砂漠の花の香りが立ち込めている。」という一種の開放感と、「マリワナを吸いながら走っている。」という麻薬による高揚感の二重の意味となります。そして、主人公は頭が重くなり、目もかすんできたので、遠くに見つけた灯りに誘われて、夜を過すためにホテルへ入ります。

礼拝の鐘(mission bell) は、カトリック教会で鳴らすもので、ホテルで鳴らすことはまずありません。ですから、この鐘の音を聞くと、カトリックの信者は天国や地獄という教義を連想し、同時に自分が入ったホテルが普通とは違うことに気付きます。

ようこそホテルカリフォルニアへ(Welcome to the Hotel California)の部分は、少しチープな広告のような言葉を使って、第一節の歌詞とのギャップを作っています。しかしここでも、「豊富な部屋があり、あなたは(何かを)見つけることができる。」という暗示めいた言葉を含んでいます。

彼女の心はティファニーのねじれ、彼女はメルセデスの曲線を持っている(Her mind is Tiffany-twisted, She got the Mercedes Bends,)の部分は、「ニューヨーク5番街の有名な宝飾店ティファニーの洗練されたデザイン、高級車メルセデスベンツの美しいライン」に象徴される内面的な気品と「女性の持つ腰のくびれやボディラインが高級品のようにゴージャス」というイメージがあります。(the Mercedes Bendsはthe Mercedes Benzのもじり・洒落)そしてもう一つ、ジャニス・ジョプリン(Janis Joplin、1943-1970)が最初に歌ったサンフランシスコのサイケデリックバンド、ビッグブラザー&ホールディングカンパニー(Big Brother and the Holding Company)に影響を与えたティファニーシェード(Tiffany Shade)とジャニス・ジョプリンの曲「メルセデスベンツ」を連想させて、ジャニス・ジョプリンへのオマージュともとれます。そしてこのホテルが、そんな女性を中心とした、かわいい少年たちが踊り、「思い出す」「忘れる」という過去に囚われている一種のコロニーであることが分ります。(女王に支配された蜂や蟻の巣のようなイメージです。)

次に、主人公は理性を保つため、あるいは現実に戻るために、ボーイ長(給仕長)にワインを頼みますが、「私たちは1969年以来のスピリット(魂)をここには置いていないんです」 (We haven’t had that spirit here Since nineteen sixty-nine”)と言われます。1969年はウッドストックで大規模な野外コンサートがあった年。また、アメリカがベトナムから最初に撤退を始めた年でもあります。サイケデリック・ムーブメントによる自由な共同体という意識が、当時の若者の間でピークに達した年ですが、衰退の始まった年とも言えます。ジャニス・ジョプリンは1970年に亡くなっています。とにかく音楽の世界も、社会の動きや人々の考え方も変っていった時代です。ですから、このホテルがそれ以降の新しいスピリットがない場所ということになります。スピリットは蒸留酒のアルコール分(ワインは蒸留酒ではありませんが)と魂の二重の意味を含んでいます。そして、過去に捉われているこのホテルの住人たちが、「彼らはホテルカリフォルニアで生きてくのさ、なんて素晴らしい驚き、なんて素晴らしい驚き」「あなたのアリバイを持ってきて」と呼びかけます。「アリバイ(不在証明)を持ってきて」(Bring your alibis)は一般社会からの離脱を意味しています。

そして次が祝宴のとき、女性がここにいるみんなが囚人で、自分たちが作り上げたものだと告白します。そして野獣を殺せない。…自分たちが過去の意識に囚われている。それは自分たちが望んだ世界ではあるが、憎悪や競争がある現実的な世界に戻るための勇気を失っているという寓意でしょか?野獣は心の中の潜在的な魔と解せます。(ゴージャスな女王のような女性=美女と野獣の対比?)

最期の節で主人公は、現実へ戻るために出口を探しますが、夜警の男たちに、チェックアウトは何時でもできるが、二度と離れることは出来ないと言われます。(programmed to receive)ですから、戻れない仕組みになっているということです。ここではチェックアウトはホテルを離れる意思を示すことはできる、しかしこのホテルカリフォルニアが実際に立ち去ることは出来ない迷宮だと言っているようです。

 

 

歌の細部については以上のとおりです。それではこれをまとめてみます。先ず、この歌を単にドラッグによる幻想の歌と思うのは間違いです。コリタス(colitas)の言葉にこだわると、それ以降の歌詞の解釈ができません。「1969年」にこだわって、昔は自由で良かったという過去への郷愁の歌というのも感じられますが、少し違います。

私がキーワードと思うのは、(Bring your alibis)、(they just can’t kill the beast)、(programmed to receive)です。つまり、過去や思い出、失望や後悔などの後ろ向きな感情が心に宿って、社会や自分の属するコミュニティから一度離れた心はもう二度と戻せないという寓意だと思います。人間は記憶を頼りに、過去に縛られる動物なので、そうした負の感情を拭い去ることはできない。その負のイメージを象徴したものがホテルカリフォルニアで、誰もが客になる可能性があるということだと思います。

 

以上は自分勝手な解釈なので、他にもいろいろ考えられます。各節の言葉の意味合いを書いておきましたので、聴く人それぞれが自分なりの解釈ができます。ただし、大きな象を部分的に形容したからといって、象の全体が見えるものでもありません。とはいえ、それを考えるのもこの歌の楽しみ方のひとつです。でも、その前に音楽として楽しみたい名曲です。

…Welcome to the Hotel California

 

 

ホテルカリフォルニア(Hotel California歌詞)

 

On a dark desert highway,

Cool wind in my hair,

Warm smell of “colitas”

Rising up through the air,

Up ahead in the distance

I saw a shimmering light,

My head grew heavy and my sight grew dim,

I had to stop for the night.

There she stood in the doorway,

I heard the mission bell

And I was thinkin’ to myself :

“This could be heaven and this could be hell”

Then she lit up a candle,

And she showed me the way,

There were voices down the corridor,

I thought I heard them say

 

Welcome to the Hotel California,

Such a lovely place,

(Such a lovely place)

Such a lovely face

Plenty of room at the Hotel California,

Any time of year,

(Any time of year)

You can find it here

 

(以上、マジックトレインより。)

 

 

大衆の考えを操作する人びとは、

自分の心を操作する悪の華から

泥の中の美しい蓮の花に乗り移ることは

もう出来ないほど狂ってしまったのだろうか。

 

 

一般市民の大部分を何も考える力がない、

だから何も出来ないと誤解した、

一般市民の大部分の考えを操作する人びとに贈る。

 

[Chorus: Don Henley]
“Welcome to the 
「ホテルカリフォルニアへよく来たな
Such a lovely place (Such a lovely place)
この素敵な場所に
Such a lovely face
あんたのような人が来るとは
They living it up at the 
誰もがホテルカリフォルニアで人生を謳歌してるんだぜ
What a nice surprise (What a nice surprise)
こいつは驚きだ
Bring your alibis”
どうしてお前はここに?」

[Verse 3: Don Henley]
Mirrors on the ceiling
鏡張りの天井に
The pink champagne on ice
氷で冷やされたピンクシャンパン
And she said: “ are all just prisoners here
Of our own device”
彼女が言った「私たちは自分の意思で捕らわれた ただの囚人」
And in the master’s chambers
They gathered for the feast
ご馳走にありつこうと 皆が支配人の部屋に集まり
They stab it with their steely knives
鋼鉄のナイフでご馳走を突き刺すが
But they just can’t kill the beast
あいつらに獣を殺せはしない
Last thing I remember, I was
最後に覚えてるのは
Running for the door
ドアへ走って逃げたこと
I had to find the passage back
To the place I was before
元いた場所へ戻ろうと 私は通路を探した
“Relax,” said the night man
「落ち着け」と警備が言った
 are programmed to receive
「誰だって歓迎することになってる
You can check out any time you like
チェックアウトは好きに出来るが
But you can never leave!”
決して離れられないのさ!」

曲名
(ホテル・カリフォルニア)
アーティスト名
(イーグルス)
収録アルバム
リリース日  (シングル)
1976年 (アルバム)