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104章解説

2010年07月08日 | ジュズ・アンマ解説

بسم الله الرحمن الرحيم
104章解説
1.災いなるかな、凡ての悪口を言って中傷する者。
2.財を集めて計算する(のに余念のない)者。
3.本当にその財が、彼を永久に生かすと考えている。
4.断じてそうではない。彼は必ず業火の中に、投げ込まれる。
5.業火が、何であるかをあなたに理解させるものは何か。
6.(それは)ぼうぼうと燃えているアッラーの火、
7.心臓を焼き尽し、
8.彼らの頭上に完全に覆い被さり、
9.(逃れることの出来ない)列柱の中に。

 アッラーはこの章の中で、人々の尊厳を低める輩を脅迫し給うています。彼らが所有している膨大な財産が彼らをこのような行為に急きたて、またこの財産は自分たちが他人よりもより上位にあり、自分たちだけが恩恵と地位を得ていると彼らに思わせています。

 「災いなるかな、凡ての悪口を言って中傷する者」との御言葉でアッラーはこの章を始め給いました。ويلٌワイルとは:災いあれ、と悪さをするゆえに苦しむに相応しい人に向けられる祈願の言葉です。また:ワイルは地獄にある渓谷とも言われます。همزة لمزةフマザティは他人の悪口を言う人、ルマザは他人の尊厳を攻撃する人を指します。または:フマザとルマザは噂話をし歩いては仲を裂く人を指します。

 「財を集めて計算する(のに余念のない)者」つまり、ケチな人たちが行うように何回も安心するためにお金を数える人のことです。こういった人は一人きりになって部屋の戸を閉め、自分のお金を数え、アッラーの道のためにそれを浪費せず、ザカーなどのアッラーに対する義務を全うすることがありません。

 続けてアッラーは、この種の人たちに与える財の影響を解明し給います:「本当にその財が、彼を永久に生かすと考えている」この節は多くの人々の状態を正しく描写しています。彼らは財が現世において永遠を齎し、災難から守ってくれると思い込んでいます。しかし人間は人生が短く、現世の享楽が少なく、この現世の生活の裏に自分の行為について質問され、また清算される次の生活があることを知らないのでしょうか。

 「断じてそうではない。彼は必ず業火の中に、投げ込まれる」:كلاّカッラー:妨げと叱責の言葉です。つまり、そのような者はこの行為とこの考え方を止めるべきだ、という意味になります。لينبذنّ ラユンバザンナ:放り投げ、投げ捨てる意味があるため、この単語は蔑視と屈辱感を連想させます。章の始まりの意味に以上が応答として述べられるのが自然です。なぜなら彼ら罪人は人々を軽蔑していたためです。応答は彼らが行ったことと同類のものであるということです。ではどこに投げ込まれるのでしょうか?彼らは「حطمة フタマ 業火」に投げ込まれます。それは、フタマと名付けられた地獄の火です。フタマには破壊という意味があるように、この火に投げ込まれるものはすべて壊されます。「業火が、何であるかをあなたに理解させるものは何か」この文章はこの地獄の火の偉大さと重要さを感じさせるものです。「ぼうぼうと燃えているアッラーの火」つまりアッラーの被造物の何者もそれを消すことが出来ないということです。「心臓を焼き尽し」この火は罪人たちの体を食い尽し、心臓に届いてそれも焼いてしまいます。ここで特に心臓が述べられたのは、そこに間違った信条が存在し、悪行が生まれる場所だからです。「彼らの頭上に完全に覆い被さり」この火は彼らの上に覆いかぶさります。「列柱の中に」柱は木や金属で出来ているものですが、彼らは金属の柱で苦しめられるか、この柱に縛り付けられ逃げられないか、火が柱によって閉じられてそこから逃げられないことを指しています。

(参考文献:①ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ アンマ/アフィーフ・アブドゥ=ル=ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーン(P171~173)

②アッ=タフスィール・アル=ワスィート/ワフバ・アッ=ズハイリー薯/ダール アル=フィクル(第3巻P2931~2933)