意訳です。
英知ある人との単純な会話や短いやり取りが一月分の勉強に相当することを知りました。
بسم الله الرحمن الرحيم
105節解説
1. あなたの主が、象の仲間に、どう対処なされたか、知らなかったのか。
2. かれは、彼らの計略を壊滅させられたではないか。
3. 彼らの上に群れなす数多の鳥を遣わされ、
4. 焼き土の礫を投げ付けさせて、
5. 食い荒らされた藁屑のようになされた。
マッカで啓示されたこの章はアラブの間で有名な「象の事件」を指しています。この出来事は西暦571年にマッカで起き、アラブ諸国すべてに強い印象を残しました。そのとき、アッラーがカアバに掛け給うているケアのしるしが現われ、カアバに悪を望んだ者たちの計略を一掃し給いました。
この事件の詳細を見ていきましょう。エチオピア王国がイエメンを征服すると、アブラハ・アル=アシュラムという統治者をそこに置きました。彼はエチオピア王国が信奉するキリスト教を自らの宗教としていました。彼はイエメンの首都であるサヌアーに装飾された巨大な「クッライス」と名付けた教会を建てましたが、それはアラブ人たちがこの教会に信仰心を持って顔を向け、カアバの代わりにこの教会に巡礼に来るようにするためでした。しかし彼の平和的努力は報われなかったため、この目的は達成されませんでした。代わって彼は、暴力を使ってこの目的を実現させようとしました。彼はサヌアーの教会に関心が移るよう、カアバを崩壊することを決意し、軍隊を作り、アラブ人たちが今までに見たことのないような破壊用の武器を準備しました。そしてアブラハはクライシュ族を怖がらせるための象の軍団を連れてマッカに向かいました。マッカ近くのターイフに向かう道にある「ムガンマス」に着くまで彼らは何の攻撃に遭いませんでした。アブラハはマグマスでキャンプを建ててそこからマッカへクライシュ族の長に人を遣いました。派遣された者が持っていた手紙には次のことが書かれていました:「私はあなたがたと戦うためではなく、聖なる館を壊すためにやって来た。あなたがたがそれに関して戦いで反抗しないのであれば、私にあなたがたの流血は無用だ。」そしてアブラハは遣いに送った男に、「もしクライシュの長が私との戦いを望まぬというなら、私のところに彼を連れてこい」と言っておきました。
当時のクライシュの長は、アッラーの使徒(平安と祝福あれ)の祖父であるアブドゥルムッタリブで、彼は威厳ある男でした。アブラハに立ち向かえないと悟った彼は、アブラハと面会し、交渉することにしました。アブドゥルムッタリブは彼に「ティハーマ(紅海に面する南アラビアの地方名)」の3分の1の財産などを与える代わりにマッカから去り、カアバを壊さないことを提案しましたが、アブラハは断りました。
アブドゥルムッタリブは自分の民の許に戻り、アブラハの軍隊から逃れるため人々に山に登るよう促しました。そして彼と共にクライシュ族の数人がアッラーに祈り、アブラハに勝利できるよう願うためにカアバに移動しました。アブドゥルムッタリブはカアバの門の環に手をかけて祈りました。
そしてアブドゥルムッタリブ達は、アブラハがマッカとカアバにしようとしていることを待つ山に登った人々を追いました。
アブラハは軍と象たちをカアバに向けさせましたが、先頭にいた象たちは座り込んでしまいます。兵士たちはカアバを襲うよう象たちを動かそうとしましたがうまくいきません。そしてアッラーが望み給うた軍とその指揮官の滅亡が実行されました。
至高なるアッラーは次のように仰せになりました:
「あなたの主が、象の仲間に、どう対処なされたか、知らなかったのか。」
節の冒頭は、ألم تر とありますが、直訳すると、あなたは見なかったのか、となります。これは「あなたは知らなかったのか」、「あなたは知らされなかったのか」という意味です。質問の文体ですが、意味は報告です。続けてアッラーは、「何をされたか」ではなく「どう対処なされたか」と仰せになっていますが、その理由は、アッラーの御力と知の完全さ示している数ある意味を思い出させるためです。象の仲間とは、象を連れてカアバを壊しにきたアブラハの軍を指しています。
「かれは、彼らの計略を壊滅させられたではないか。」つまり、アッラーは彼らを滅ぼし、彼らの努力と策略を無かったことにし、無駄なものとし給うたではないか。
「彼らの上に群れなす(أبابيل)数多の鳥を遣わされ」أبابيل アバービール:とてつもなく多くの鳥や順々に後を追う集団という意味があります。また海から出てきた緑色の鳥であるとか、大コウモリに似た赤色や黒色の生き物で、その爪や口ばしで石を運んでいたとも言われています。
「焼き土の礫を投げ付けさせて」つまり、アブラハたちにレンズ豆よりも大きく、ひよこ豆よりも小さな石を投げつけていた。
「食い荒らされた藁屑のようになされた」つまり、アッラーは彼らを動物が草や麦わらを食べて排泄したもののようにされたということです。彼らがばらばらにされたことが軽蔑の気持ちをもって表現されています。
至高なるアッラーはこの章の中でアラブ人たちと彼らの後に現われる共同体に、かれの存在とかれの御力、そしてかれの奇跡を目立った根拠で示し給いました。アッラーが象の仲間にあのような目に遭わせ給うたのは、彼らがアッラーの家を壊そうとしたためです。かの家は、イブラーヒーム(平安あれ)がアッラーを崇めるためにアッラーの命令に基づいて建てられ、そしてアッラーはムハンマド(平安と祝福あれ)にイブラーヒームにも与えられた、アッラー御一人を崇拝し、偶像と多神を退けるという使命と、共同体の発展に適合する聖法を与え地上に送り給いました。
アッラーの使徒と彼に応じた人々に対するクライシュの害がマッカで激しくなることで、アッラーの使徒は大きな悲しみを負ったわけですが、アッラーはアッラーの使徒の心を強くし、アッラーが真実を実現し、弱者に勝利を与え、不正を制し、強力な罪人を負かし給う証拠としてこの章にある象事件を彼に思い出させ給いました。
そのため象事件はアラブ人たちの生活における新しい時代の始まりであったと捉えることが出来ます。彼らはこの出来事で日付けるまでになり、例えばアッラーの使徒(平安と祝福あれ)は「象の年」にお生まれになり、彼の誕生から40年後にクルアーンが少しずつ彼に啓示され始めました。彼らはこの事件を目の当たりにし、アッラーの奇跡がカアバ崩壊を望んだ者たちが滅ぼされる中にあるのを目の当たりにしたためです。もしこの奇跡に少しでも疑いがあったならば、預言者(平安と祝福あれ)の敵たちが必ずや、この事件はクルアーンが怪しい証拠であると主張したことでしょう。しかしこのようなことは決して起きていません。
(参考文献:①ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ アンマ/アフィーフ・アブドゥ=ル=ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーン(P174~177)
②アッ=タフスィール・アル=ワスィート/ワフバ・アッ=ズハイリー薯/ダール アル=フィクル(第3巻P2934~2936)