父と娘の関係
一人暮らしの父親が自分の最後の時のことを考え同じ市に住んでいる長女に電話を掛けた。
「お父さんのこれからのことを相談したいし、是非伝えておきたいことがあるので、近々中に
昼食を取り乍ら会いたい」と長女は「2月は何だか時間が取れそうになく3月でもいいですか」と
それを当然了承して娘からの連絡を待っていた。ちなみに娘はマンションの一室を美容室にして
自分で営んでおり、月曜日が休日というこである。
父親は、日ごろは食事制限もあって弁当をもって自らの小さな事務所に行っている。そして3
月の月曜日だけ弁当を作らず、娘からの連絡を待っていた。しかし、4月の半ば過ぎても未だ連
絡が来ない。父親は自分からもう一度電話をしようかと思う反面、娘がなぜ連絡を寄越さないの
か、いろいろと考えそのままにしている。
父親の考えはこうである、娘は私が大分老いてきたので、最低限でもいいから世話をしてもら
えないかと思っているのではないだろうかと。世間ではよくあるケ-スで特別なことではない。
さて、父親の気持ちはどうなんだろうか、一人暮らしが困難になってきたら、世話をしてもら
いたいとの思いは当然気持の底にはあるのだけれども、娘に会って話したいことは、そのような
ことではなく、独身で生活している娘に少しでも自分の財産を生前贈与の形にしたい、そして葬
儀も密葬でよいし、正式な墓地ではなく、父親が所有している山林に散骨をしてもらいたいこと
を伝えたい思っている。ただ、元気な内はいいがもっと弱って一人暮らしが困難になる直前に老
人ホ-ムに入りたい、そのため一度失くしたの資金を得るために73歳になっても自営を止めよう
としていない。根が仕事人間であるから、仕方なくやっているのではなく何か悠々と過ごしてい
る感じである。
これからどのくらいの時間で娘から父親と会う連絡がくるものか、それとも忘れたふりをして
父親から督促をしなければならないのか。興味半分愁い半分の思いをしているのである。
もっと素直に父親から電話をかければいいよなものなのだが、父親のつまらない意地というもの
が邪魔をしているようである。この意地が父親が長生きできる要素としてプラスに働くか、それ
ともマイナスになるか。いずれにしても、父親と娘との関係には難しく、一面寂しさを感じる面
もあるようだ。
あれから3年が経過した、未だに娘とは会えないままである。父親がまだ元気で仕事をしてい
るから、そう慌てている様子もない。こうなってくれば、娘が父親の僅かな財産などまるで当て
にしていないのなら、別の方法を考えるかと思っているようだ。老人会の仲間の人とかあるには
誰か適当な人を探すかということがいよいよ逼っているのに、まだ呑気風な生活態度だ。さて、
この父親はこれから何年生き、どのような道筋で最後を迎えるのだろうか。