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森にようこそ・・・シャングリラの森

森に入って、森林浴間をしながら、下草刈りをしていると、自然と一体感が沸いてきます。うぐいすなど小鳥たちと会話が楽しいです

清き心の未知なるものの為に㉖・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

2025-04-25 09:44:17 | 森の施設

 

   清き心の未知なるものの為に㉖・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

 

 ささやかな願い。-------食べ物を消化しようというばあいに晩さん会の礼服に付与しうる

異議に比して、それよりはいくらかでもましな意義を、人生において、われわれの行為やふ

るまいに持たせたいものである。それでいて、われわれが自分たちの成し遂げた業と称して

いるものは、その大部分が、儀式張ったばあいにわれわれの裸身を隠そうとして着込む衣服

以外のなにものでもない。

 

 成熟に伴う利益を早くから手に入れるにいたった人たちのことを、おまえは許しがたく思

う。ほかにも見方があるのはしばらく措くとして、おまえはなぜ、遅くまで続く青年時代と

いう長い春に伴う楽しみの方と秤にかけて、これもまたよしとは思わないのか。

 

 自己の精神的燃焼から生じた排気ガスで充満した空気を呼吸したあとで、人びとはこうい

うことを思い出す。-----硫黄精製工場のそばでは、疎らに残っている草木が生きていけるの

は、工場から出て来るガスがあたらなぬ場所に限られる。と。------人びとはこう自問する。

「こんなことが、いつから起ったのだろうか。これからどれだけの世代を重ねるまで、この

影響の痕跡が消え残っているだろうか。」

 

 ともあれ、おまえはほかの人たちを軽蔑していながら、自尊心を後生大事に守りつつ、あ

いかわらず彼らの敬意をもとめようとするのである。

 

 歳月が過ぎ去るにつれ、名声はあがり、そして能力は衰える。

 

 同情をそそぎ、また同情を受けるとき、彼の親切さは心からのものである。ただしその親

切さは、自分の生活の内容を他人の生活内容で充たされそうとする彼の生来の傾向のあらわ

れである。

 

 大いなる友情は、いつかは報いられるものなのであろうか。この友愛は、われわれになに

ものも(与え)ない。しかし、それが住む孤独の世界のなかに入るとき、それはわれわれを広大

な眺望-----内面の光景-----の展けた山頂へ引き上げてくれる

 

 彼が、自分には友達が大勢いるうえ、新しい友達をたやすく作ることができるし、その連

中といっしょに(至極楽しくやっている)と、だしぬけに私にうちあげたとき、それは狙いをよ

く定めた一撃のようにひどく私にこたえた。問い返す余地はなかった。

 これはずっとのちになってからわかったことであるが、こうしたことばが私を痛めつけた

のは、私の友愛はまだ長い道筋を辿らなければ、成就して私心を去った友愛になりきること

ができなかったからにほかならない。そのときになって察しがついたことであるが、彼は私

の行くべき道と彼の行くべき道とを感じとって、自己防衛のために本能的に正当な反撃にで

たのであった。

 

 

 

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清き心の未知なるものの為に㉕・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

2025-04-24 10:47:43 | 森の施設

 

   清き心と未知なるものの為に㉕・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

 

 まるで防雷具よろしく、誠意のない愛嬌をつねにわが身に鎧っているならば、航海技術に

欠けるところがあろうとも機雷の危険を免れることができるものと、彼は思い込んでいたの

である。

 

 その愛犬は子羊のように装っていたが、そのくせ狼どもといっしょに狩りをしようとした

のである。

 

 投げやり、無知、大向こう(それがおまえの心の鏡に映ったおまえ自身の姿にすぎぬもので

あろうとも)への顧慮。そのような理由からおまえが危険を冒し、責任を引き受けるのを、私

は見た。

 

 からの卵はふわふわと浮き、風のままに自在に動く。------生長してひよことなるための萌

芽も養分も捨てさってただの殻だけとなってからそんな仕業をやってのけられるほど身軽にな

ったのである。(人づきあいのいい男)

 遠慮もなく、へだてを無視し、人の気に入れられたくてうずうずしている。------折り目のな

いことばを話し、目方のかからぬおしゃべりしか口にせぬ。殻以外のなにものでない。

 

 ------荒野を枕とし、星を兄と読んだ人たちのひとり。ひとりきり。しかし、孤独も交わりで

ありうる。

 

 血は樹液や河のながれとリズムをひとつにして脈打ち、身体はその動きのうちに大地のリズム

を宿している。というのか。------いな。それに代わって現れたのが、敏活な五官がもたらす酸素

の供給を断たれ、(計画と策謀と)を追及するうちに擦り切れた------四壁に囲まれたなかで幅を利

かせるばかりの------精神なのである。家畜なのである。------そのなかで、種族の力が、なんの

あてどもなく、ただ涸れ尽きてゆく。

 

 倍音は消え失せてゆき、残ったのは会話であるが、それとて貧寒なあまり、心のふれあいの欠如

を隠し切れないのである。われわれはおたがいに忍び足で別れてゆく。しかし、なぜであろう、な

ぜであろう-----。

 われわれは他人のほうへからだを乗り出す。だが、詮ないことである。------なぜならば、われわ

れにはいまだかつて捨身する勇気がなかったからである。

 

 正しい姿勢は健康のしるしである。------それは、至誠を正す力がなくて、よろけがちな身を守る

ために堅い甲羅らもぐりこむのとはまるきり類を異にしている。

 

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清き心の未知なるものの為に㉔・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

2025-04-22 10:49:36 | 森の施設

 

   清き心の未知なるものの為に㉔・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

 

      夜は近きにあり

 

------「わが居るところに汝らもおらん」という約束に較べれば、この世の楽しみなどに

ものであろうか。

 

 絶滅の渦巻く炎のうちにあり、

 仮借な自己減却による

 冷徹な犠牲的行為のうちにあるときなら、

 おまえは死をよろこび迎えもしよう。

 しかし、日一日と、それが

 おまえのなかでおもむろに成長するとき、

 おまえは不安にさいなまれる。-----おまえの生命の頭上に懸かることばなき判決の重さの

 もとにあるがゆえに。

  そのあいだにも、愚者の楽園では木の葉が散って行く。

 選ぶとき、自分が運ぶ対象と心かなうのを覚える。者の味わう幸福、

 磁場の磁力線のままに向く鉄片の静穏、

 自我をすべて脱ぎ去って、

 諧和(やわらぐ)のうちに憩う魂の安心------

 この幸福は、ここにいま

 宇宙的な永遠のいまの瞬間にある。

 おまえのうちにある幸福------しかし、おまえの幸福ではなく。

 

 孤独の不安にあるとき、死の不安という嵐の中心から吹きおこる風がおまえめがけて

押し寄せる。いまは他人のものであるものだけが、まことに存在するものとなる。なん

となれば、おまえが他人に与えたものだけが------ありがたく受け入れて、感謝を与えた

だけであろうと------さもなくばおまえの人生が化かしてしまうかもしれぬ虚無のなかか

ら浮かび上ってくるであろうから。 

 

 

   

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清き心の未知なるものの為に㉓・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

2025-04-21 09:27:09 | 森の施設

 

   清き心の未知なるものの為に㉓・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

 

 彼は自分自身の安樂をだいじにする。

 そして、つかのまの満足を得て報いられたと思うものの、そのあと恥ずかしいさを空しさ

とが長いあいだ続いていて、心が疲れつきてしまう。

 彼は自分の地位を失うまいと闘う------

 自分の務めをりっぱにやりとげるには前提条件があれこれやと必要だ、などと言ったりす

るものの、これは自己険悪から身を守るには障害としてもろすぎるのである。

 彼は自分の任務に献身する-------

 しかし、その重要性を疑わしく思うものだから、たえずそれが重要だと人に認めてもらい

たがる。避難の矢を浴びせられないことをありがたく思うと言った心境には少しずつ近づい

ていようが、避難を受け入れるところまではまだ遠い、まだじつに遠い。

 おまえは重荷を運ばせてほしいと頼んだ-------そのくせ、主にを肩に押し付けられたとき

には嘆き声を立てるのであった。おまえが予想していたのは、それとは違う主にであったの

か。おまえは本気で犠牲の匿名性を信じていたのか。真の犠牲とは、世間の目に犠牲の反対

のように映ずることを受け入れるところの犠牲である。

 ビリポ・カイザリヤの地方よ。論難をば、傾注した努力の結実として、また努力を傾注す

べき業を識別し、また選択するまさにそのときに受け入れること。

 

 

 

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清き心と未知なるものの為に㉑・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

2025-04-20 09:43:23 | 森の施設

 

  清き心と未知なるものの為に㉑・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

 

 安らかに-------凝滞(ぎょうたい)していた苦渋が溶けて、涙となって流れるときのように。

雪が融けてあらわれでた大地。やわらかな光を受けてしっとりと光かがやく、ひろびろした

水面。

 私のまわりには、雪どけの霞がふわふわした壁をなし、低く垂れこめた、葵色の空が冬の

夕陽に照らしだされている。

 水鏡の世界のなかでは、白鉛の地色に淡いオリ-ブ色をなして、はんの木の裸の枝がゆっ

たりとゆれている。-------あるかないかの波につれて、そよ風に吹かれているようにゆった

りゆれている。

 そしてそれから------

 やんわりした暗闇のなかに、ただひとつ燃えたつ炎がふくよかな光に包まれている。鏡の

なかは仄暗く深い泉をなし、そのうえにかかる白い片雲とも見粉うヒヤシンスが、ささやき

かわす森林のように並び立つ書物のあいだにちらりと見える。

 

 いまもわれわれのものではなく、おそらくいっかなわれわれのものとはならぬ、安らぎ。

 われわれが逃れてきた、だが、われわれが逃れきることのないであろう話あいの、あの声

の音色が、静寂のかなたからいつまでもひびきわたっている。静けさのなかで、思い出が遠

い昔のなかから小声で語りかけ、重荷をいっしょに担うそのときには安らぎが生まれるのだ

と約束してくれる。

 すべての人の安息ではない安息はなく、すべてが成就せられぬうちは安らぎはない。

 

 

 

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