時々清掃・・・水雲問答⑦
雲 法というものは、どんな法でも必ず弊害があるものです。賞罰もって鼓舞しても
善者は少なく、悪者は多いものです。たとえば落葉を掃くように、掃いても掃いて
も落ちるので、飽きはててしまいます。だからその場その場を清掃するしかありま
せん。余り吟味ばかりしているとどうにもなりません。とにかく食物の上のハエを
追うやうに賞罰をやっていかなければなりません。悪く考えて無理に善悪をはっき
りさせますと、却って弊害が多いのではないでしようか。
水 なるほど善者は少なく、悪者(法を破る人)は多いということも考えられますが、
この説はみだりに人に適用してはいけません。ただ目先の問題だけに捉われて、永
遠の計を忘れる弊害があります。強いて善悪をわけるのも形式にすぎて、実を失う
ということがありますが、これも簡単に断定はできません。天下のことはまことに
複雑な内容と矛盾が含まれていますので、こういうことを本当に心得た人でなけれ
ば相手にはできません。ただ今おっしゃることは少々立ち入りすぎて、まだ本当に
世間を知らない者には難しいでしよう。だから成人の語は賢者が聞いても愚者が聞
いてもそれ相応に悟れるきわめて平実正大なものであります。これはあなたの御意
見に反するのではありません、言葉の使い方に王道と覇道のあることを申すのです。
あなたはどうも覇道なことを申しておられるようです。
才は徳に及ばず
雲 世の中を観察いたしますと、公平温厚な人は、才覚も実行力もないのに高位におり、
国民が服し、天下が平和になることがあるように思います。公平の徳が大きいからう
まく運ぶのでしようか。公平の二文字は大臣の欠くことのできない条件であります。
公平温厚の二条からはずれて高位においても、終りを全うするものはないと思われま
す。こういう風に考えますと、才は徳に及ばない。大切なのもは徳であります。
水 どうも上に立つと、寛容でない方偉く見えるので、びしびしとやりたくなるものです。
また本当の寛厚ではなく、才智が足りぬために薄ぼんやりしておって、寛厚に見える人
おります。まして才智が備わってその上寛厚の徳があれば、申し分ありません。今の才
人はどうも寛厚の量がなく苛酷であります。寛厚に見えるのは馬鹿なのであります。こ
点をわきまえ、才智全備し、さらに寛厚であるというよな人がでれば、これはもう天下
無敵でありましよう。
雲