国語力を養う
国語力は、家庭と学校で養われる。そしてあとは読書と交友がある。これはある本で
司馬遼太郎が述べた言葉だ。
古代ギリシャ以来の伝統として、対話と討論を好む。学校ではさかんにこれを教える。
アメリカやヨーロッパでも同じようだ。家庭でも、母親たちは、子供に、次の二つを基軸
とした言語教育をする。簡単にいえば、「議論に負けるな」ということである。
「自己の主張、希望、否定と肯定などを、精密に言語化せよ。言うについては、明晰で
あれ。矛盾のあることを平然と言うべからず。感情をまじえるべからず。言語。すべては
言語」
などと教えるらしい。そのことが、個人の独立と尊厳をつちかうことに役立つと信じら
れているのである(個人の独立がなければ欧米社会では生きてゆけない)
その結果、欧米人の討論は、多くの場合、行き過ぎて、相手の議論の小さな欠点をみつ
けると、それわ拡大して、ついに相手を全否定したりもする。いわば、日本人の感覚での、
「空論になりやすい。
日本語は世界に同類のない極めて特殊な言語を使っている。集会において感情論で強い
意見を述べる人がいるけれども、論理整然と意見を述べる人は極めて少ない。これは国民
性であろう。このため、外国との交渉に誤解を招くかあるいは議論に負けてイエスと言っ
てしまいがちになる。
この内向きの姿勢と独特の日本語のお蔭で、今日まで独立国家として維持できていると
いうことも言えると思う。
私自身の育った環境は、家庭と学校においても言語教育が極めて足りなかったと考えて
います。つまり社会性の発達が大変遅かったのです。世間話は苦手だけれども集会におい
ては意見があれば発言することが出来ていると思う。だから周りの人たちは日ごろ私に抱
いているイメージと違った感覚を持たれてしまうのである。
幼い子供をおられるご家庭において、この言語力を養ってあげることがその子供の将来
に大きな社会で生き抜く力となろう。