森にようこそ・・・シャングリラの森

森に入って、森林浴間をしながら、下草刈りをしていると、自然と一体感が沸いてきます。うぐいすなど小鳥たちと会話が楽しいです

やまとこころ

2022-07-05 07:59:05 | 日本の心



  

  

  


              日本の心

       やまとこころ

   日本では、家系というものを社会の中で有用なものとして尊重している。社会の継続性と

いう観点からは、一つの理想形を実現しているといってもいいのです。それは、いたずらに

「あらそわない社会」です。それぞれの個人や家、会社の役割を尊重しているということな

のです。

 権力争いや、武力での交替をできるかぎり排除して、調和のとれた社会、安定感のある社

会をつくろうとする。国民の精神性といってもいいでしよう。このことを「やまとこころ」

という言葉で言い表すこともできるでしよう。

 

 

 

 

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願わくば 花の下にて 春死なん・・・

2022-07-04 07:53:54 | 日本の心



     

     

     



                  日本の心

          願わくば 花の下にて 春死なん その望月の 如月の頃
                                       西行

 西行は、23歳で出家わした世捨て人(隠者)で、仏門に帰依しながら歌人として、全国を

放浪しました。
 彼は、自然を対象とした歌を読み続けることで、自然信仰の体現者となっていたといえる

でしよう。

「願わくば 花の下にて 春死なん」というのも、自然の中で死んでいきたいという歌です。

そして、それに続く「その望月の如月の頃」というのは、釈迦が入滅した日のことをいって

いる。

   「世を捨つる 人はまことに 捨つるかは 捨てぬ人をぞ 捨つるとはいふ」

世俗を捨てて出家した人が、本当にうき世を捨てた人なのではない。捨てずに世俗に残って

いる人の方が形式的に出家した人よりも世を捨てているのであるというような歌です。そこ

には、彼自身が妻子を捨ててきたことに対する深い反省があったにちがいありません。
             
            

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いま、日本の思想が注目されている

2022-07-03 08:16:17 | 日本の心


       

       

       



       日本の心

 いま、日本の思想が注目されている。
日本の自然信仰というもの、あるいは神道というものが、キリスト教にとってかわるものでは

ないかという新しい展望が一部の欧米の識者から聞こえてきます。

 ということは、日本は、いちばん理想型の思想をもっている。世界の中心的思想になり得る

思想をもってるということなのです。それは、先般の震災を通して、人々の行動を見て、初め

て西欧が気付いたことなのです。

 自然に対して、喚いたり、叫んだりしないということは、自然を受け入れる事、自然を信仰

すること、信じること、信頼を置くことでもあるわけで、それ以外ないということが西欧人に

もわかりはじめているということです。これまで自然を支配すること、自然を統御することし

か考えてなかった多くの欧米人に、東日本大震災における日本人の行動がそれを示したのです。



       

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社会道徳が実践されていた日本

2022-07-02 09:58:12 | 日本の心


          

          

          

          

          


          北海道札幌市清田区平岡の梅林公園です。全体的に7部から8分咲きです。

                                      昨日の水芭蕉もこの公園にあります

                        
    日本の心

 社会道徳が古代より実践されていた日本自然条件・歴史条件がおりなして独自の日本文化が形成

されました。ヨーロッパ文化は、争いの文化であるのに対して、日本は、人間性にあふれた幸福な

文化であると言えます。これは他の民族にはない日本民族の在り方が、せかいの人間史の中で最も

理想的なものであると思うのです。
                      
 それは、西欧の良心的な部分が、ちょうど日本人の常識というものと言っていいでしよう。西欧

のキリストやインドの釈迦、中国の孔子・孟子等の偉大な宗教家が生まれていますが、日本では、

社会道徳が日常的に規範として保たれておりましたので、大衆を救済する必要性がなかったものと

思われます。勿論仏教や神道で多くの人の心を癒し、救済された歴史はあります。

 だから、キリストや釈迦、孔子のような神・仏を創らなくても自然信仰ですから、万物すべてに

神を見出す知恵というか信仰心が芽生えました。  

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自然環境と日本人

2022-06-30 08:41:59 | 日本の心


        

        

        

          



                 日本の心

   ①自然環境と日本人

    ヨ-ロッパ文化は武器を持つことが基本であり、その武器を利用して世界を侵略することがで

きた。それに反して日本は、たとえば、縄文時代の集落が、青森県の三内丸山遺跡で発見されまし

たが、そこには500人ぐらいの人が共同で暮していた住居群が確認されています。
 
 そこには水田耕作をしたり、畑を耕したり、牧場をつくったりしたような跡は見つかっていませ

ん。しかし、それだけ多くの人たちが、そこに定住して暮らすことができたのです。なぜなら、集

落の周りには、栗林が広がっていました。盛り土となっていた当時のごみ捨て場からは、多くの動

物や魚の骨、木の実が見つかっています。縄文時代の人々は、栗林から採れる実を主食として、海

の幸、山の幸をバランスよく食べていたことがうかがえます。

  これは、当時の自然条件が、食料となる動植物を豊かに育んでいたために、彼らが、狩猟、採

集、漁労だけで、共同生活を営み続けることができたということを物語っています。



        ②大きな争いの形跡が見られない

 当時の人々は、争って人と殺し合うというようなことをできるだけ避けようとしていたと思われ

ます。もちろん、中には、お互いに対立し、争い合う集団もあったことでしよう。事実、後に豪族

とよばれる人たちが、ある種の血のつながりによって、対立し争い合うということはあったでしょ

う。しかし、縄文時代は、遺跡からは出てきません。当時に造られていたと思える城壁は一つも見

つかっていません。

                
        ③自然条件のもとで形づくられた「争わない」という生き方

 自然条件として、比較的温暖で、食料となる動植物が豊富にあり、島国として大陸とほどよい距

離に隔てられたという、幸福な条件に日本が恵まれていたこと、それが日本の心の根本にあるとい

あうことを、私たち日本人自身がすごいことだと思わなければなりません。世界中に、日本のほか、

そうした国は存在しないのですから。

 日本人に与えられた自然条件、それはたいへん恵まれた、幸福な条件であったわけですが、そう

した条件のもとで形づくられた「争わない」という人間の生き方は、人間本来のあるべき理想的な

生き方であるということなのです。

 日本だけが島国ではないという方もいるでしよう。イギリスのような国もあるじゃないかと。も

ちろん、イギリスとフランスを隔てているドーバ-海峡は、意外に簡単にわたることができるので

す。日本と大陸を隔てている日本海、対馬海峡のように、潮の流れが速い海流が流れてしません。

 ですから、実際、イギリスは北からもフランス側からもたびたび攻められているわけです。日本

とは同じ島国といってもそこが違うのです。

  日本列島の東には、広大な太平洋が広がるばかりです。こうした自然条件によって、日本は異

民からの侵略をうけることなく、自立・独立し、繁栄し続けてくることができたのです。 

                       

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