よい運、悪い運
長い人生には、良い偶然、悪い偶然に遭遇します。努力だけでは、良い偶然に出会う
確率はそう高くないと思っています。良い偶然を良い運、悪い偶然を悪い運と言い換える
こともできます。それでは、どういう思考をすれば良い運に恵まれるのでしようか。それ
は思考の問題ではなく、仕方のないことなのでしようか。
私はこれまでの78年間の日々の生活、仕事において数知れない、良い運に恵まれて今日
を迎えられています。そこで私なりの良い運の掴み方について述べたいと思います。
1、先ずは、今自分が生きていることは、大変良い運の積み重ねの賜物です。どんな方でも
親しい人を無くしたり、自分より若い人が亡くなっていることを新聞とかテレビ等の報道で
目にしたり耳にしたりされています。ただ他人事と思って遠くの縁の方ならばねさほど気に
もとめないかも知れません。でも、自分は今確かに生きているのです。それは大変運のよい
証しです。だから、戦争や災害、疾病などで、若くして多くの人が亡くなっているのに自分
は今生きていることを良い運の巡り会わせであり、自分は運の良い人間なんだと思うべきです。
2、自分という人格を持った自分が生まれたこと、これは奇跡と言っていいほどの良い運の蓄
積があったればこそです。何百年、何千年、人類は発生して満万年もの間において、自分の
ご先祖となってくれた多くの人達が、戦争や災害や疾病を乗り越えて生を繋いでくれたお蔭
であること間違いのない事実です。自分という人格が生まれる確率は極めて低いのです。そ
れにも関わらず生まれてきたということは、良い運の何ものでもありません。多くの人々は
この理屈は理解できていても、心の芯から魂からそう思っておられる人はそう多くはないで
しょう。
私は生まれたのも奇跡、今生きているのも奇跡なんですね。つまり生きているすべての人は
良い運を兼ね備えておられる人達なのです。
3、もし、悪い事態が発生した時には、どのような考えかたがひつようでしようか。これは私が
5年前に経験した事実をお話ししましょう。
ある日曜日に冬の大雪で一部壊れた山小屋の修理をしていた時のことす。大方の修理も終わり
かけ最後の板を取り付けるために、梯子を建てて2mの高さまで登りドライバ-でとりつけようと
した時に梯子ぐっ!らと傾いてねこれは倒れるとおもった瞬間に気を失ってしまいました。
気がついた時は、倒れた梯子の横にぽか-んと立っていました。その時に友だちといたのですが、
何かどっさという音がしたので来てみたら、何をぼさっと立っているのかと言われました。ああ、
私は梯子がたおれて梯子とともに地面に倒れたのだと、思い自分の躰をみつめましたが、どこも
血なども出ていなく、特に強く痛むところも無いようでした。
それから自宅に帰り夜になって風呂に入って躰を点検したところ横腹に手の平よりも大きな内
出血がありました。しかし、痛みはなく、骨のどこも打っていないようでした。これなどもし、
あの時、梯子が倒れた時に意識があったならば、落ちてゆく恐怖と手をついたり、頭か方を強打
したに違いなかろう。と思った時、なんて自分は運がいいのだろうとつくづく思いました。これ
までも、仕事や人との出逢いで奇跡的に良い運に恵まれたことは数え切れないほどあります。
私はつくづく良い運に生まれてきたのだとそのたびごとに強く感じています。
理屈で解っていても、ちっと悪い事態になると、運の悪さを感じるものですが、その時には、
もっと最悪の場合と比較してみれば、このくらいで済んだのは運が良かったのだと思えるものでは
ないでしようか。
間違いなく、この世に生まれ、現在生きている人達はすべて運のいい人だなのですから。
あなたもね。