森にようこそ・・・シャングリラの森

森に入って、森林浴間をしながら、下草刈りをしていると、自然と一体感が沸いてきます。うぐいすなど小鳥たちと会話が楽しいです

私意を去る法・・・・水雲問答④

2024-04-29 09:59:06 | 森の施設

 

      私意を去る法・・・水雲問答④

 

 雲   およそ国家が破れるということは為政者の私意により起るものであります。国家の

    魂のためにという精神がありますと、少しの私欲があっても国家は亡びません。自分

    の志が私欲でありながら、国家の魂のことを思っているという看板でごまかしをする

    と国家は敗れます。多くの為政者が前半はなかなか善政を行なったが、後半生は振る

    わなかった。要するに私意を去ることが根本ですが、私意を去る方法はどうすればよ

    いものでしようか、お教え下さい。

 

水    私意を去る手段・方法は勉学の以外ありません。

 

 

 

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国家の禍は、私欲、私意、朋党(派閥)より起る------水雲問答④

2024-04-23 11:22:01 | 森の施設

 

     国家の禍は、私欲、私意、朋党(派閥)より起る

 

雲   およそ国家の政をするには、公儀というものをたてなければなりません。公儀とは

   私に対する公、部分に対する全体の立場です。国家の禍は、とかく指導者の私欲より

   起り。あるいは大臣の私意より起り、下の者が党を組むから起るものであります。昔

   も今も人の世の中変わりはありません。

 

雲   公儀の論いちいちご尤もでございます。しかし公のないものはありませぬが、人物

   が小さいとか、問題が大きくなりますと、いつの間にか公が私になるものであります。

   人間のことでありますから、機械のように規定はできません。融通変化自在であって、

   公だと思っているうちにいちか私になってしまいます。とくに政局などに当って重大

   問題に直面すると、下手に発言したり、下手に手をうつと、却ってどうなるかわから

   ない。だからしばらく形勢を観望して徐に成り行きを見て善処する、と言いながら結

   局何もできないというのは、公が私になってしまっているのであります。つまり失敗

   したら大変だ、我が国に大きな累を及ぼす、内閣の致命傷になる、わが党の敗北にな

   る、というように公が私になってしまうのは、結局その局に当る人物がずらりと並ん

   で我が国はどうならなければならぬかを究明し腹にすえれば、千年に渡る太平の時代

   をも貫き通すことができると思います。

    ところが、たいていの人間はどこまでが公で、どこまでが私であるかゆかりません。

   とんでもない人間が私をはかりながら、看板に公を振り廻しているのは許せません。

   公私の別がなくて天下国家を叫んでも、世の人心のためなどというてみても、とても

   そういうことは行われません。しかしこの連中に限って、自分のすることはみな公儀

   であると考えているのである。

 

 

 

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水雲問答➂ 大治大乱、小治小乱

2024-04-15 10:05:11 | 森の施設

 

     水雲問答➂ 大治大乱、小治小乱

雲  夏日のような日、雲一つなく晴れ渡っているかと思うと、僅かに風が出て雷が鳴り、

  あっというまに雨が降るという変化がある。自然現象のこの変化によってことを考えま

  すと、俗に「好事・魔多し」といわれるように、甚だよいということは、また半面、い

  つ甚だよくないことになるかもしれないのであります。陰陽消息のことわり、治乱興亡

  の理法はみなそうであります。

   数とは「かず」のことですが、こういう場合には造化のはたらきのなかに含まれてお

  る複雑微妙な因果関係のことてあります。この理法がきわめて常識的でないことを数奇

  と申します。故に大いに治まれば大いに乱れ、少なく治まれば少なく乱れる。ところが、

  政治や経営というものは本当に難しいもので、余り厳格にしますとみんなが緊張してし

  まって下情が見えない。半面に、寛大にしておいても、引き締まってよく治まることが

  ある。それは徒に人々を威服。おどして服従させようとしても、逆に悔りを受けて失敗

  する結果になるからであります。大小の事、それぞれに事情があって、なかなか杓子定

  規には行かぬものであります。

 

水 大変面白く承りました。

 

 

  

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水雲問答➁活物

2024-04-02 15:36:38 | 森の施設

 

   水雲問答➁活物

雲   天地は活物、人事も活物であります。ところが昔から学者とか思想家とかいう人は

   生命を抜いてしまって、機械的に考えがちであります。よくいう人間不在もその一つ

   であります。そのために活きた人生、社会現象に往々にしてあてはまらない。たとえ

   ば経済学をやっても概念的・理論的、いわば機械的でありますから、変化の限り無い

   生きた経済現象にぴったりとこないのであります。しかし活き物として捉えることは

   きわめて大事な問題でありまして、それだけに大変難しいことであります。そのため

   には多くの体験と、深い思案が必要であります。ちよっと字引を引いて調べたとか、

   書物を参考にして理解したというようなことでは問題になりません。体験と叡智がな

   ければなりません。これが活物たる所以であります。

    世人はとかくそのせっかくの活き物を殺してしてしまって、すなわち機械的・物質

   的に観察するものですからうまく成功しません。活き物の世界というものは絶えず変

   化してやまないものですから、いかに変化するか、またこれにどう対処していくかと

   いう手段がなくてはなりません。

 

水   ご尤もでございます。飲食しない者はありませぬが、しかし本当に飲食の味を知っ

   ている者は少ないと言われますが、これはやはり人生の体験を積み、学問をすると初

   めてわかるものであります。いくらわかったつもりでありましても、無学あるいは無

   神経の時の理解というものはまことに浅薄であります。

    これらのことは物事のよくわかった人と議論するとよろしいが、相手を選ばずにた

   だ誰ともでもしてよいというものではありません。余り軽々しく使いますと、こうい

   う興味津々たる言葉も次第にその本当の意味がわからなくなってしまいます。したが

   って大変よい御意見ではありますが、めったな者に通用しません、また通用させられ

   ません。

 

 

 

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