森にようこそ・・・シャングリラの森

森に入って、森林浴間をしながら、下草刈りをしていると、自然と一体感が沸いてきます。うぐいすなど小鳥たちと会話が楽しいです

祖母の力・・・年寄りの役割

2023-05-27 13:44:56 | 森の施設

 

  祖母の力・・・年寄りの役割

 

 老人という言い方より、年寄りといった方がまだ世の中の役に立つという要素が含まれて

いるように感じます。

 年寄りというものはある種特別な存在だと思うのです。その特別さは、何かを行うからと

いう理由であるとは限らない。

 幼児は時にボッ-として何かに取り付かれたように一点を見つめる時がある。大人と出か

けると必ずといっていいほど「さっさと歩きなさい」と叱られている姿を見ることがありま

す。何かにボッ-となって立ち度まってそれを眺めているのです。母親から急かせられ、時

には叱られる幼児もいます。ところが祖母は、そうなっても叱りません。

 暫くすると祖母も立止って、一緒に待っていてくれます。暫くして「もういいかい」と言

って手を繋いで歩きだします。また、幼児が何かを見つけて「見ていてもいい」と言えば、

祖母は好きなだけ見てもいいよと言ってくれます。ただこんな風景でも心が和みます。そし

て幼児は「自分で何かを発見する」このことは実に大切なことで幼児の自主性の基礎になる

のではないかと思うのです。

 「愛情というのは、介入しないことかも・・・」です。介入せずに保護しているだけで、

幼児は時と共に子供になりそして、自主性のある大人に成長するのではないだろうか。ここ

に年寄りの役割があると思う。80歳直前になって町の風景のほんの一部の人の在り方から、

反省心と大切さを感じました。

 

 

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老いるということ

2023-05-22 09:46:23 | 森の施設

これの水車はもう8年前になろうか、全く水気のない雑木林につくりました。雨水をためて

から流すと水車が廻ります。時代劇テレビをみて、江戸風の雰囲気をだしたいと思い手作り

で一人で製作しました

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       老いるということ---春日武彦著「老いへの不安」より

 

 私はここ十年來本はる本しか購入しません。歴史物ならば全く違和感も読んだ内容も

まったく新刊とかわりがありません。また、面白いのは、10年前に書かれたこれから

社会がどのように変化していくかについての著作を10年後に読むと、どれだけ正確に

予測があたっているのかが、よくわかります。

 そこで12年前に書かれた本の一部を引用しながら、考えたと思います。

【老いるということ」

「今の世の中は、若者ないしは子供を中心に据えられて作られているようにしか見え

ない。街の景観にせよ、テレビやラジオやさまざな文化的現象にせよ、その安っぽさを

含めてすべて若さに烏合している。つまり現代そのものが老人に馴染まない。」

 

 このような社会環境は現代でも変わっていないのではないでしようか。マスコミは

常に視聴率の高さを気にして製作するので、どうしても購買層の最大多数の年齢に向け

てその中身を製作するでしよう。しかし、現代において老人向けの番組が多くなってき

ていると感じています。もっと子供向けの番組を増やすべきではないかと思うほどです。

 

「老いるということにはさまざまな意味が含まれ、死に近づくこと、認知症の危険が高

まることめ計THE的ないし身体的弱者となることが、まずは大きな不安要素になるだろ

う。あるいは孤独になるということ。言い換えれば、世間との接点が失われるというこ

とだろう。だがそのようなことわ踏まえて私的したいことは、昨今では老いるというこ

とに「損をした」といった感情が伴いがちではないかということである。」

 

  この項のところでは「老いた者たちが損をした」と言わしめていることですが、現代

では損を強いられているのは20代、30代、40代の一番働き盛りの年齢層が年金の問

題等で私たちは損をしていると思っているのではないだろうか。自分たちが老いた時に果

たして生活が可能な年金が貰えるのか、今でも年金の支払で家系に大きな負担になってい

るのにと。どんな問題においても問題が顕著化してしまってからで、遅いのでする。10

年程度から策を講じておかなければならないことなのではないでしようか。現代の問題ば

かりに集中しすぎる、一の時代の人々も大きな困難を余儀なくさせられることになると思

うのですが。文章が長くなりますので、続ききまた後日にいたします。

 

 

 

 

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車の免許更新---79歳

2023-05-19 10:06:21 | 森の施設

 

   車の免許更新---79歳

 

   昨日(5月18日)に免許更新を済ませました。一月前に講習会も終えていましたので、

短時間で済みました。

 79歳とそろそろ免許を更新せずに車生活からサヨナラする歳です。でも私はまだ仕事

で車に乗らなければならない環境なので、最後と思われる免許を更新しました。

 一番大事なことは、年齢よりも自分の躰と精神が運転に危険性がないかどうかを、他人

から言われる前に判断することではないでしようか。よく聞くことは家族から絶対更新を

しないでほしいと強く言われる方が、ほとんどらしくそれで仕事から離れている人はやむ

を得ず車生活からおさらばされる方が多いようです。

 テレビの報道によると、免許を手放す1年前ごろから、極力車を利用しない生活に徐々

に移行していくのが、いいのだと言っていました。

 私は79歳で更新したのですから、次の更新時には82歳になります。さてその時の躰

の状態にもよりますが、さて、どうなりますか。

 

 

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行き詰った時

2023-05-16 15:59:11 | 森の施設

 

    行き詰った時

 

 万策尽きて行き詰ったと感じた時、どうするか。「気持ちを切り替える」というだろう。理屈

は解っていてもその時には、気分は落ち込みただもがくだけ。私の経験では、3日の間何もせず

に時間の経過を待つだけです。3日あれば少し冷静さを取り戻し判断ができる気分になって来る

のです。決して慌てて解決策を打たないことにしています。3日目位から諦めなければならない

事と、何か手を打たなければならない気分になってくると、何をすべきかを考えてそれを少しづ

つ実行するのです。

 万策が尽きたように思えてもまだ存在している大切なものがあります。それは悩んでいる自分

の存在です。つまり生きている自分があると思えば、最悪の状態ではないということに気が付き

ます。犯罪や自殺などは、もがいている状態でことを進めようとしているのではないかと思いま

す。誰にも相談することができない、相談できる人を知らない。と自分をどんどん追い詰めて行

ってしまう。極端に言えば3日の間、何も食べず、睡眠もとれない状態でも人間は死を招くこと

はないでしよう。地震などの災害に会ったときでも、3日耐え凌げば、必ず誰か助けに来てくれ

るはずです。我が国はそういう国だと思います。

 行き詰った時には、絶対に焦って判断をしない、行動を起こさないことだと思っています。

 

 

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天職を見つける

2023-05-13 14:15:45 | 森の施設

 

     天職を見つける

 

 天職を見つけられた人は幸せである。どんな人にも起こり得る最高の運命、最高にすばらしい幸

運は、情熱的にやりたいと思うことをして報酬がもらえることだと、ある識者は言っている。

 ただ、どういった仕事がこの「最高にすばらしい幸運」をもたらすのかを見出すのは、至難のこ

とです。人は仕事(報酬を伴う活動)を、「労働」「キャリア」「天職」の3つに区分できます。

まず「労働」は基本的に報酬を得んがために充実感よりも金銭的な報酬を求めて仕事をすることを

指します。それに対して「キャリア」と捉えている人は、お金や昇進といった外的要因や、権力や

特権を獲得するために働く動機となています。

 働くことを「天職」と感じている人々にとっては、働くことが好きでそれ自体が目的となってい

ます。これらの人たちは働きたいから働いているのであって、働かざるを得ないから働いているの

でないのです。まるで働くことを楽しんでいるのです。

 「天職」というと、どんな業種が向いているかを見つけることがなかなか難しいと思われるでし

よう。学校を卒業してどこの会社に就職するかということになりますが、我が国ではほとんど職種

を選ぶことが出来ません。国家試験をパスして所謂特殊な業務(弁護士、会計士、警察官、自衛隊)

等のような仕事に就けば、ほぼ自ら決めた業務をすることが出来ます。しかし、これらの人はほん

の一部の人であり、ほとんどの人は会社任せに成ります。

 このような社会の在り方において「我が天職」を見つけることはいかに難しいかを多くの人々が

感じて居られるます。

 そこで、一つの考え方として、職種の種類ではなく、働くことにたいすること、つまり、人と話

をする、モノを書いたり読んだりすること、ものを作ること等を考えながらやることになります。

これはどの職種においてもほとんど同じだと考えれば、職種による「天職」ではなくなれば、可能

性が広がります。多くの人々が今の仕事が自分の天職であると思うならば、社会全体の幸せ感が増

してくるものと思います。

 

 

 

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