森にようこそ・・・シャングリラの森

森に入って、森林浴間をしながら、下草刈りをしていると、自然と一体感が沸いてきます。うぐいすなど小鳥たちと会話が楽しいです

テレビドラマに思う

2024-01-29 14:42:51 | 森の施設

 

     テレビドラマに思う

 

 国会が始まりました。派閥解消やら裏金やらきな臭い問題が議論されています。いつも

議論を見て思うことは、議論が全く進まないでお互いに言いたいことをさも真面な議論と

して勧められていることである。

 日ごろテレビドラマを見ていていつも感じることは、そのドラマに登場する政治家は必

ずといっていいほど、悪役である。これは限られたドラマだけでなく、政治家が出ている

ドラマは全て悪役としての筋書きです。これでは子供達が将来政治家に成ろうとは思わな

いでしょう。たまには模範的な政治家としてドラマに登場しても良かろうにと思うのです

が全く変わらないようです。

  金亡者の政治家たちが、いくら形だけ真剣に政治改革を唱えようと、お金の問題は無

くならないでしよう。人格のある人たちが選挙に出て、国民がそういう人格者の間違いの

ない人に投票することです。決して政治家だけが悪いのではなく、その政治家に投票の一

票を投じた国民も大いに反省が必要で、そうでなければいつまでたっても正辞と金の問題

は解決しないでしよう。

 その為の人とつの案として、立候補者には、もっとテレビやマスコミが報道すればいい

のです。ハガキを10万人も二十万人にも出せばお金がかかれます。民放も含めて候補者

の負担なしにテレビやラジォ、そして現在ではSNSなどに候補者の主張を報道すればいい

のではないでしようか。そうすれば候補者それぞれが公平に国民にどんな人なのかが理解

がすすむのではないてかと思うのです。そして、国民はそれらを見てどの候補者に投票す

るかと決めればいいのです。お金を多く集められる人が当選することの無い様な選挙シス

テムを構築すべきだと考えます。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「天国までの百まいるや」朝田次郎著の読書お勧め

2024-01-06 14:48:19 | 森の施設

  昨年末から新年にかけて、雪が殊の外少ない年を迎えました。

 

 「天国までの百マイル」朝田次郎著の読書のお勧め

   この小説の主人公の名前が私と同じであること。そして狭心症という病名が、読むのを

途中で止めることなく最後まで辿り着きました。それはともかく、この書物の解説文の一部を

紹介して読書のお勧めをしたい。以下、解説文の一説です。

 

 この「天国までの百マイル」はきわめてシンプルな、いい話である。

 カイシャモ金も失い、妻子にも別れたろくでなしの中年男の安男が、心臓を病む年老いた母

の命を救うため、奇蹟を信じて千葉の病院までオンボロ車で百マイルをひたすら駆け抜けるのだ。

 話は単純だが、そこには不況、倒産、自己破産、離婚、親の病気、介護といった現代社会の問

題と家族崩壊の病果をじっとみつめる眼がある。

 そして底抜けの無償の愛情、友情、庶民たちの善意、医師の良心などに支えられながら、主人

公は奇跡をみる。

 朝田次郎さんを「平成の泣かせ男」という人がいる。情緒過剰の浪花節ではないか、と陰口を

叩く人もいる。しかし私は、人情か紙より薄くなっている現代だからこそ、情緒OK感情過多い

にではないか、むしろかつての日本人の特徴であった浪花節調やセンチメンタリズムを見直すべ

きではないか、とさえ思っている。

 この「天国までの百マイル」のなかの人物像は、それぞれに個性の光を放っているが、なかで

も魅力的なのは、自己犠牲にとみ、相手のことを自分の命わかけて信じ「無償の愛」を貫こうと

する人たちである。

 太ったマリ。母親。そして金儲けより義務と権利として仕事にたちむかう医師たちの姿には胸

が熱くなる。安易な子捨てや年老いた親の病院への遺棄、人名をあずかる職業人の使命感不足、

金融政策の弱いものいじめなどほ向けた、フツ-のおやじ感覚での庶民的抗議ゆ憤懣か、この作

品の底流にこめられているように思う。

 かつての日本の母親は、貧しさから脱出するために、主人公の母「きぬ」がそうであねように

子供たちが自分を見捨てても責めようとしなかった。むしろ子供達が上昇する踏み台になること

を期待していた。「無償の愛」を捧げて悔いはないという生き方であった。

 「いかに不公平な世の中でも、神の手によって人は勇気と力を与えられている」と浅田さんは言う。

                           解説 大山勝美

 

 私は4歳の時に父が亡くなり、その後、母が鋳物工場でパ-トとし文字通り真っ黒になって三人

の供を育ててくれました。私は末っ子で成長の遅い存在感の少ない子供だったようです。私の母も

「無償の愛」を子供たちに注いでくれました。何一つ親孝行が出来ずに母は74歳で亡くなっりまし

た。亡くなって初めての母の人生がどんなにつらかっただろうかと、母の生きた年齢を越えた今、

痛切に思うようになりました。「親孝行.したい時には親はなし」とはよく言ったものですね。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新について

2024-01-04 11:14:55 | 森の施設

 

     新について

 

  この漢字はの語源は、木ヲ斥ル(木を切る)というところから出た書物にはある。木の切り口

のなまなましさを現すという。切ったばかりの木の切り口は、樹液にぬれて、吸い込んでみると、

命が蘇るような香気を放っている。

 古代に発達した都市(中国、エジプト、メソポタミヤ等)では都市の発達とともに森林を伐採、破

壊していった。その結果古代の大都市はなぜか衰退することになっている。新と言う文字はめでた

い文字であるが、度が過ぎて気を斬り過ぎると年は衰退するようである。

 生体の細胞はつねに新しく生まれ替わっている。私どもの生命は、時々刻々にに新陳代謝してい

る。しかもふしぎなことに、総体としては、恒常性を保っている。Aさんは、Aさんのままである。

 ただし、Aさんのいのちを日に新たにしている代謝がとまれば、Aさんは死ぬ。Aさんであるがま

まに、この世を去る。だから生命は尊いのである。

  日に新たなり

  日々新たなり

  又日に新たなり

 という言葉が古代の中国の王がこれを推奨した。

 新しく作り変えるということはいいことだけれども、その実現には相当の決断と見識が必要にな

る。今日の世界はすべてにおいて新しく変わりつつある時代に遭遇している、新しく替えることに

躊躇してはならない、それは為政者のみにあらず、国民も受け入れなければならない定めである。

 この令和6年という年が良い方に変る事を祈ってやまない。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする