商いの日々-----スタ-ト時点
商いを札幌市で始めたのは、29歳と10カ月ですが、30歳からとしておこう。
退職することが決まってから、勤務の休日に自動車教習所に通った。退職する時には、
まだ、運転免許は途中でとれていなく、大阪の教習所から札幌の教習所に転校しても
らうことができ、札幌での教習所で3か月かかって、免許証が得られた。その間、免
許がとれるまで、自転車で営業活動をするこにして、つまり午前中は教習所に通い、
午後から営業活動である。
どんな商いかというと、レンタル業(D業)で一般家庭と、事務所、商店に対する
商品のお勧めで、札幌は4月はまだ寒さが身に染みて言葉もはっきりと言いにくい感
じがしておりました。私は、小学生のころより、少し緊張するとどもるところがあっ
て、ますます軒並み訪問に困難を要した。
D業では何屋さんなのか分からないと思うので、具体的にいいますと、清掃用具
(貸しぞうきん屋)のレンタルであります。商品の説明はそう難しいことはなく、
「こんにちは、私、貸し雑巾屋です。一度お試しいただけませんか」という言い方
に徹して、所謂バカの一つ覚えで、あまりいろいろと説明はしません。もちろん、こ
んな言い方ですから、「結構です」と断られます。断られるのが当たり前で、私はテ
クニック的なことは考えなく、しつこくせずに件数を回ることだと。
しかし、ただ件数を回るのも、なかなか難しいもので、たとえば、犬に吠えられ
るとか、こんな立派な御殿のような家ではダメではないかと、また逆に古く手入れの
しておられない雰囲気の家では、ダメだろうと言うような気持が出て来るものでした。
それでも、勇気を振り絞ってというと大げさですが、決して、一軒の家も飛ばさずに
まわることに心掛けたと思う。
おかしなもので、何日かすると一人二人と商品を試してみようかという方が得ら
れてきた。これならこの調子で行けば、時間・日数は掛かるが、お客様が増えて行く
ことができるような気持ちにだんだんなってきた。その結果というか、回り乍ら危惧
していた、豪華な家とか、古い家の人達もそのなかにいたように思い、やはり、回る
前から、間違った先入観を持ってはいけないと強く感じ乍ら、自らを叱咤しつつ日々
の活動に勤しんでいた。
そして、6月に入って、やっと自動車の運転免許が取れたので、これからは遠く
にも活動範囲を広げられると、早速中古車を購入した。たしか当時の金額で20万円
だったと思う。
ところが、張り切って車に乗っていると、軒並み訪問をしなくなってしまった。
運転しながら、どこがいいだろうかと、運転しながら街並みを眺めつつ車をはしらせ
ていたら、結局、歩いて訪問していた時よりも5分に1に回る件数が激減するように
なってしまったのです。もちろん悪いことばかりではなく、事務所の玄関マットやモ
ップを車に積めることになったので、商店や会社事務所への営業活動にも重きをおく
ようになってきた。事務所用の商品は価格も高く、それだけ売上金額も上がって来て
はいたのです。
でも、私自身は自らの判断で商いについたのですが、どうも営業活動が苦手とい
うか積極的に商品をお勧めできない性格が徐々に浮き彫りになってきてしまった。
過日、商いをしながら、他の頼まれごともやっていたと述べたが、実は、私がM社と
P所に所属していたことが、幸いして、人との縁が出来るようになってきたのです。
たとえば、アパ-トを借りてその自宅の一室を事務所にしていたのですが、私が
いる時に他社の若い営業マンが訪問にこられることがあります。その時には、玄関先
で断らずに、まあ、お上がりくださいと言って、事務所で一応来られた方からお話し
(営業)を聞きます。その会話のなかで、私が、過去にM社とP所にいたというと大変興
味を持たれて、その自分の話を聞きたいというので、30分も私から過去の所属して
いたところの話しをするこという機会があったのです。
ある日、その営業に来ていた人が再度来られて、また、営業の話だろうと思って
対応仕掛けたら、
「実は今日は御願いがあってお伺いしました」
「なんでしようか?」
「私の会社の社長にあなた様のことを話したら、社長が是非お会いしたいという
のですが、会ってもらえないでしようか? いかがでしようか」
「私は何ほどのものではありませんが、私でよければ、営業の合間に貴方の会社に
お伺いしますよ」
ということで或日、その会社の社長様にお会いしたのです。すると、社長が、
「内の会社は札幌に5店舗の店があります。そこには店長がそれぞれいるのですが、
貴方ににその店長5人に教育をしてほしいのです」というではありませんか。
「とんでもないことです、私は若輩で何の実績も残しておらないし、他人様を教育
するなど、とてもできることではありまぜん」と申し上げた。それに対して社長は、
「教育というと堅苦しいと思われるけれども、あなたが、勤めていた会社の創業者
は我が国では大変有名な名経営者のとしての名高い方であり、そこに述べ11年も在席
していたのだから、あなたが学んだこと、創業者の言葉などを話して頂ければそれでい
いのです。だから是非お願いします。」と、こいう事を言われる社長も世の中におられる
のだと感心しつつ、それほど言われるのであれば、御引き受けしましよう。ということ
で月に一度2時間程度夜に話をすることになったのです。そして帰り際に。
「それは有難い、ついては講師料をお支払いいたしますが、幾らならいいでしようか?」
と社長が言われる。
「とんでもないことです、私の様な者が話をすること自体が僭越すぎるのに、お金を
いただくことはできませんし、私の勉強の思いでさせて頂きます」
「そうですか、それではその件は私が決めることにします」
実を言えば、一回目が終ったあとで、謝礼ですと渡されたお金が何と10万円あり
ました。10万といえば、当時親子4人が生活できる金額でありました。まだ、商いを
初めて2年程度しか営業をしていなかったので、まだ、生活費を稼げるまでには、いっ
ていなく、ほんとうのところ大変助かったというのが、正直なことでした。
その話をして6回が終ったところで、私から社長に、
「もう6回もやらせて頂き、毎月大枚のお金まで頂きました。しかし、これ以上続け
ると前に話した内容を繰り返す部分が多くなってきますので、これで終わりして頂けな
いでか」と申し上げたら、
「なるほど、あなたがそうおっしゃるのであれば一応これにて終わりにします。つい
ては、お聞きしますが、あなたは何の商売をされているのですか?」と聞かれた。
「はい、私は、2年半前より、D業のレンタルをしています。」
「それなら、うちの店が5店舗ありますので、総ての店長に指示しておきますから、あ
なたの商品を収めて下さい」
商いを始めて10年経ったころには、店長に話をさせていただいた、その社長の会社
が発展して、私の商いの半分にもなる程のお客様となっていたのです。
このことは、私が勤めていた会社の創業者がいかに有名で全国に創業者のフアンがお
られたかということと、P所でに7年間勤務していたことが、大きく影響していることを
つくづく感じるとともに、人のご縁の不思議さに感激するばかりです。 0