森にようこそ・・・シャングリラの森

森に入って、森林浴間をしながら、下草刈りをしていると、自然と一体感が沸いてきます。うぐいすなど小鳥たちと会話が楽しいです

運の良い人とは

2022-07-31 11:27:52 | 森の施設

 

        運が良いとは

 運の良い人、悪い人がいるようです。いや、自分は良い方だとか、悪い方だとか、それ

ぞれ感情的に判断されているのでしよう。

 現在、老若男女を問わず生を全うしている人は、総て運のいい人だと思う。なぜなら

先ず、生まれてきたことが極めて運の良いことです。もしご先祖さんが若くして亡くなっ

てしまっていたら今の自分は生まれなかった。時代劇を見ていれば、多くの若者が命を

落としています。その為に生まれる事が無かった人は計り知れないのです。

 兄弟の中においてもいえることですが、どうして自分は末っ子に生まれたのか、男に

生まれたのか等を考えて見れば極めて、現在の自分は奇跡の積み重ねのたまものと言えます。

 だから、総ての人は運がいいのです。それを部分的にとらえて、悪いとか良いとかという

のは、考え直さなければならない問題ではないでしようか。

 まず、自分は運がいい人間何だと強く自覚することが大切です。そうすると、日々の出来

事に運の良さが多く発生してくるものです。つまり、自分の運命は自分で制限していること

から解放すべきことだと、強調したいのです。

 

 

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滝の風景

2022-07-29 08:07:57 | 森の施設

 

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赤カブもうまいが、

2022-07-24 14:20:15 | 森の施設

 

   赤蕪もうまいが、茗荷(みようが)もうまい

 

  昨日のBS放送で「三屋清左衛門残日録」が放映とれた。何度みても隠居の心構えを

教えられる。

 肴は鱒の焼き魚にははたはたの湯上げ、茸はしめじで、風呂吹き大根との取り合わ

せが絶妙だった。それに小皿に無造作に盛った茗荷の梅酢漬け。 

 「赤カブもうまいが、この茗荷もうまいな」

 と町奉行の佐伯が言った。佐伯の鬢の毛が、いつのまにかかなり白くなっている。町

奉行という職は心労が多いのだろう。

 白髪がふえ、酔いに顏を染めている佐伯熊太を見ているうちに、清左衛門は酒がうま

いわけがもうひとつあったことに気づく。気のおけない古い友人と飲む酒ほど、うまい

ものはない。

 「今夜の酒はうまい」

 清左衛門の隠居の姿わ見て、町奉行の佐伯が言った。おれも早く隠居の身なりたいも

のだ。それに対して、清左衛門は、隠居の身が気楽でよいように見えるが、朝起きて何

もすることがないということがどれほど味気ないか、淋しいことか現役には解るまいて。

役割があり今日もいろいろと苦労な仕事がある方がねどれほど幸せか、隠居はいつでも

できる、可能な限り現役でいることだよ。というと、佐伯はそうかもしれんなとしんみ

りと考え込んだ。

 

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本当の再生

2022-07-23 12:01:06 | 森の施設

 

   本当の再生

 書物、それ自体は死物かもしれないが、その思想を今に生かす者があることで生命を

得る。これが本当の再生というものと言えるだろう。

 これまでの人生を振りかえってみて、つくづく思うのは、自分という者は読書によって

形作られたことを痛感する。これまで、子供の時も親・兄弟から躾られたことは誠に少な

い。そして成人になって社会人になってからもほとんど直接に指導をうけた経験が皆無と

いっていいほど、他人との接点が少なかったと思う。

 私は、高校三年生になるまで、教科書以外の本や新聞には全く触れる機会、意思がなか

った。高校三年生になって初めて親しい人から勧められた、ヘルマン・ヘッセの「車輪の

下」「聖母の泉」「バア-ミアン」の三冊を読んだ。その衝撃は強いものがあったのです。

初めて読む小説がドイツの作家であったことも奇跡的な出会いであった。

 でも、それから直ぐ読書の習慣がついたわけではなく、二十歳代になって職場(出版関係)

への出向があってからである。時には一年間に百冊読んだ年もあった。その経験が今日まで

一応読書家の仲間入りをしたと言っていいかも知れない。対して本格的な難しいものは読ん

でいないが、手当たり次第に随想物を読んでいた。

 具体的には誰の書物で何を得て感じたかは、明確にいうことはできないけれども、少しづ

つ精神の形成に沁み込んでいったものであろう。あの高校三年生の友人から本を紹介されて

いなければ、今日までの自分はなかったであろうと思っている。

 現在まで良い事そうでないことも出合ったけれど、ほぼ満足の行くこれまでの日々であっ

たと、その友人に感謝している。直接感謝を伝えてお礼を申し上げたいけれど、それも叶わ

ぬなら、せめてこの機会に文字としておきたいと思ったのである。あなたのお蔭て今日があ

ります。ありがとうございました。

 

 

 

 

 

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倫理や道徳が失われている

2022-07-22 11:41:46 | 森の施設

 

      倫理や道徳が失われていく

私たちの倫理観や道徳観が、変化しているように思える。子供のころから自然に躾けられ

てきた、我慢、辛抱、自制、忍耐、倹約などという徳目は、今大きく変化しているように

思える。これらの徳目は、日本の人間社会の精神風土として定着していたのだが、世の中

が豊かになった現代、貧しさを知らない人たちが大半を占めるようになってきたのが、主

な原因といえるのだろうか。

 日本人としての徳目が変化してきているなら、家庭や教育現場において、具体的に指導

していく必要性があるのだが、為政者は徳目の教育に二の足を踏んでいる。よく言われる

のが戦前に戻るのかと。この言い回しに全く幼稚な考えである。それは、戦前という言い

方は昭和16.7年ごろから20年8月15日に集結した戦争の事だけを言っているつもりなの

だろう。

 我が国は、一度の敗戦の経験で過去に築いた数千年の歴史をまったく考えにいれない考

え方だから、幼稚というのだ。我が国の徳目をたった一回の敗戦で失うことなど、笑止千

万である。そしてバブルがはじけたこの30年の間、人心も経済も停滞の一途を辿り着い

ている。大いなる徳目をもって奮起したいものである。

 

 

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