森にようこそ・・・シャングリラの森

森に入って、森林浴間をしながら、下草刈りをしていると、自然と一体感が沸いてきます。うぐいすなど小鳥たちと会話が楽しいです

三寒四温・・・北国にも春の足音

2024-03-21 13:13:32 | 森の施設

    三寒四温・・・北国にも春の足音

 

 瑞々しい植物が雪を掻き分け出るように顔を出して来た。今年も結構な積雪であったが、

間もなくすべての雪が消えて行くことだろう。やがて花の話題が人々の口に登るよっになっ

てきている。

 三月も末になってくると、三寒四温と言われ暖かくなって来たかと思えば又、昼間でもマ

イナス気温になる日がある。一度の暖かい日射しを感じると.気温がそれほど下がっていなく

とも寒く感じるのである。我々人の体は環境に対応するためには、暖かく着飾るか、部屋の

温度を高めなければならない。動物などは自らの体で調節できるので、人間より優れている

なと感じてしまう。どうも人間自体は弱い存在かもしれないと感ずる。

 気温ならば、必ず季節の廻って厳寒の日々であっても、いつしか暖かい光りがさしてくる。

ところが精神的な苦痛や辛さ悩みなどは、ある程度時間とともに薄らいでくれるけれども、

自らの精神の有り様を環境に合わせてコントロ-ルしなければならない。これが出来なけれ

ばさいごには身の破滅に進んで行くのである。

 たとえば、大きなお金を持ったとすると、これは喜ばしいことではあるが、ただ喜んでい

るわけにはいかない。お金がお金を求めるようになり、結果大きな間違いをおこしてしまい

かねない。世間に公表されているお金持ちはよほど気をつけなければ、どこからともなく誘

惑の手がし偲んでくるのである。

 だから日常生活ができる程度に在ればそれで満足すべきなのでしよう。それがなかなか難

しいのが人の世というものかも知れない。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

花ぐもり

2024-03-12 11:44:28 | 森の施設

 

     花ぐもり

 花ぐもりというのだろう。薄い雲の上にぼんやりと日が透けて見えながら、空は一面に

くもっていた。ただ空気は暖かい。もうこの間ように、つめたい北風が吹くことはないだ

ろう。

 墓参りをすませて寺の門を出たとき、左手に見える野道を歩いて帰ろうかと思った。細

い野道は、曲がりくねって丘の下を通り、その先の丘の陰に消えている。初めての道だが、

歩いて行けばいずれ町はずれに出るだろう。

 丘の斜面から一カ所。道に覆いかぶさるように花がしだれているのが見える。薄い紅い

ろをふくんだ花は、ひょっとしたら桜かと思われたが、桜が咲くにはまだ北国では早い気

もした。

 薄日のあたたかさと、遠くに見える花に誘われるように、丘沿いにのびる道に降りて行

った。雑木の斜面と、丘のすぐ下まで耕してある水田にはさまれて、ところどころ途切れ

るほどに補足なったり、また道らしくひろがったりしながらつづいている。 

 丘が内側に切れ込んで、浅井い間のようになっている場所に出た。谷間の奥には、まだ

汚れた雪がへばりついていて、そこからにじみ出た水が道を横切って田に落ちこんでいた。

ぬかるみを渡りそこねて、足を少し汚した。

 だが、人陰もなく静かな道だった。枝の先が紅くふくらんでいる雑木の奥から、小鳥の

声が漏れて来る。その声はウグイスだろうか。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

権は早く握って早く脱す・・・水雲問答➀

2024-03-10 12:49:59 | 森の施設

 

   権は早く握って早く脱す・・・水雲問答➀

 権力といとなんでもかんでも悪いという者がおります。権力論というものはいつの時代でも、

社会学・政治学の上の重要な問題の一つです。さて、権の一字を考えると、大臣というもの、否

大臣ばかりではなく、およそ人を支配する、人を左右する人間にはそれぞれ権力というものが無

ければならないし、認められております。ところが権というものは、くせ者であって、とかく災

いの生じやすいものです。「老子」には「何事によらず客となって主とならず」すべてを客観視

するという処世の妙を吐露しておりますが、これがなかなか難しい課題でよっぽど人間が出来て

おらなければなりません。

 権というものは早く握って、早く抜けた方がよい。どうも権を握るとその権を私すねから災が

生じます。せっかく権を握って良い仕事をしても、長々とその権の保持に眼の色を変えて維持し

ようとする者が極めて大いには誠に残念であります。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

学校と警察・・・公務員の仕事の評価

2024-03-01 10:00:33 | 森の施設

 

  学校と警察・・・公務員の仕事の評価

 学校関係で言えば、子供たちの「いじめ」であろう。低学年の学校には、必ず少なからず

「いじめ」が発生する。ところが生徒が「いじめ」の為に自殺しても、当校には「いじめ」

は存在しませんというケ-スが多いように報道されています。これは学校を統括している教

育庁なり教育委員会が「いじめ」の件数を極力少なくしたいために起る結果だと思う。

 学校においては「いじめ」の件数が少ない方が成績が良いとされているから、どうしても

「いじめ」を認めたくないという構図です。これは文部省や地域の教育庁の公務員としての

在り方に責任回避の姿勢があるためでしよう。

 このことと同じようなことが警察関係にもあります。私は青色パトロ-ルを6年ほど実施

しています。3年於きに地元の交通課の警察によるパトロ-ル隊の講習会があり、2月に私

とすれば2回目を参加しました。そこで各地域の交通事故件数や不審者の出現件数などの発

表がありました。そこで件数の取り方をお聞きすると、不審者による軽い被害があった場合

被害者が警察に連絡しても、正式に届け出(書類等で)した件数のみの数値ですと言っていま

す。つまり警察に連絡しても正式な届け出をしなければ件数にいれないということでした。

つまり、警察に軽い被害の連絡があっても、正式な届け出を行わない様に誘導しているので

使用。不審者を捜査することが難しいからでしょうか。いずれにして地域で児童の下校時が

安心して家に帰れるように、またこの地域では防犯パトロ-ル隊がこまめに巡回していると

現すことで犯罪の抑止力になるためです。やはり被害の連絡があったものは正式な届け出が

あった件数と二段構えで把握し各地域に周知すべきだと思います。

 以上の教育関係、警察関係も公務員としての在り方が問われる問題だと思うのです。現在

の国会議員の問題も責任逃れに終始しているのでありましようか。人口減少とともにこの国

はますます弱体化していることを痛切に感じます。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする