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君は松ぼっくりの「ぼっくり」の意味を知っているか

2016年06月12日 | ニュース

秋。それは幼少のころ、友人たちと松ぼっくりを競って拾った思い出の季節。
松ぼっくり、かわいいですよね。私は好きです。
クリスマスリースにも欠かせない、寒い季節のマスコット的存在です。

あれ、でもひとつ疑問が。松はわかるけど、「ぼっくり」って何なんでしょう。
ぼっくりの「くり」は、何となく「栗」な気がする。でも「ぼっ」って?
全体的に開いているから、「ぼっ」と開いた「栗」という意味かしら。
考えていても結論は出ないので、『日本の漢字 1600年の歴史』(ベレ出版)などの著書で知られる日本語の専門家、立教大学文学部文学科の沖森卓也教授に聞いてみた。

するといきなり沖森教授の口からは、思わず眉をひそめる意外な言葉が。
「松ぼっくりの“ぼっくり”は、“ふぐり”が転じた語です。つまり陰嚢ですね」

え? 耳を疑った。衝撃だった。
陰嚢というと、あの、男性の股間からぶら下がっている、精巣を包み込んで保護している、あれですか……?
「まったくその通りです」

ショックだった。幼い日々の思い出もみるみる色褪せる。
私は嬉々として松の陰嚢を拾い集めていたということなのか。
競って、誰よりも多く陰嚢を集めようと躍起になっていたというのか。
では、クリスマスリースにぶら下がっているあれも、陰嚢だというのか。
「まったくその通りです」
今のは沖森教授ではない。自分がようやくその事実を受け入れた、心の声だ。

沖森教授の説明によれば、“松ふぐり”が“松ほぐり・松ぼくり”に転じ、それがさらに転じて現在の“松ぼっくり”という言葉になったらしい。

『日本国語大辞典』によると、“松ふぐり”は15世紀末には用例が見え、書言字考節用集にも確認できるというから、江戸時代にはすでに一般的な語であったようだ。

“松ふぐり”は大槻文彦氏による日本初の近代的国語辞典『言海』にも載っており、この辞書には“松ふぐり”と同時に“松ぼくり”の語も確認できるという。
これによると“松ぼくり”はおもに関東地方の方言としてよく用いられた語形のようで、『日本国語大辞典』の“松ぼくり”の項目で方言分布を探ると、埼玉・東京および茨城・栃木などでとくに“松ぼっくり”と呼ばれていたことが判明した。

つまり……、まとめて言うとどういうことでしょうか。沖森教授。
「“松ぼっくり”は江戸・東京のことばが次第に共通語(標準語)化するにしたがって、18世紀末から19世紀初めにかけて定着していった言葉、ということになります」

なるほど、一気にためになる話になりました。ありがとうございましたっ!
ちなみに松ぼっくりは、俳句でも晩秋の季語として使われる季節の風物なのだそうだ。
調べてみると、明治期に活躍した俳句の大家・正岡子規も松ぼっくりの句を詠んでいた。

涼しさや ほたりほたりと 松ふぐり

涼しくて、過ごしやすい秋。庭に植えた松を軒先から眺めているのだろうか。
秋のやわらかな日ざしのなか、何をするでもなく庭を眺めていたら、音もなく松ぼっくりが落ちたのだろう。
そんな日常の風景にある「風流」を、見事に五七五のなかに閉じ込めた正岡子規の句。

実に味わい深いではないか。

「……でも陰嚢」
自分の心に住み着いた悪魔が囁く。
だめだ。陰嚢のイメージに囚われてはだめだ!

う~ん。そんなわけで今回は、知らないほうがいいことっていっぱいあるんだなあと、ちょっぴりビターな気持ちになったのであった。
自分でここまで書いておいてアレですが、今日のコネタ、そっと忘れてくれてもいいですよ。
お食事中の皆さま、申し訳ございませんでした。
(新井イアラ)

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なぜ戦前の横文字は右から左に書くのか?

2016年06月12日 | ニュース

ふと何気なく目にした昔の文字に、素朴な疑問を抱いたことはないだろうか。例えば、「ルメラヤキクルミ」を読んでみよう。これ、そのまま読むと「ルメラ焼きクルミ」のようだが、右から左へ読んで「ミルクキャラメル」が正解だ。他にも例をあげると、下記の通り。

例)
具房文 (文房具)
鹸石クルシ (シルク石鹸)
ルービ (ビール)

読みにくい。非常に読みにくいし、書きにくそうだ(実際、書きにくい)。しかし、横文字を右から左へ書いていた時代が、確かに日本にはあった。第二次世界大戦直後まで、そのような表記がいたるところで見かけられたのだ。一体どうして横文字は右から左だったのか? そして、なぜ現在のような左から右へと移っていったのか?
戦前の印刷物を見ると、横文字は右から左に書いてあるものが多い。どうして横書きは右から左だったのだろうか。戦前の日本語を、「歴史的仮名遣い」として研究されている押井徳馬さんに話を伺った。

「戦前の横文字が右から左だったのは、縦書きの影響です。日本語の縦書きは、行は右から左に進みますから、額やのれん等の横長のスペースに書く時も、一行一文字の縦書きをする様に、かつては右から左へと書くのが一般的でした。ただし右横書き(右から左に書く横書き)とは、文字をあくまでも横長のスペースに収める都合上のもので、出版物の本文は大抵縦書きであり、まるごと右横書きで書かれることはありませんでした」(押井さん)

なるほど、縦書きが右から左に書くものだから、それと同じ要領というわけらしい。

意外と単純な理由であった。
しかし戦後になると、横文字は現在のように、左から右へと変化する。こうした背景には何があったのだろう。押井さんはこのように説明する。

「欧米の言語の影響です。実は戦前は左横書き(左から右に書く横書き)が無かったわけではなく、左横書きと右横書きの両方が使用されました。英語の辞書や教科書など、英文と和訳を並べて書くには左横書きの方が都合良いですし、他にも算術や音楽の教科書、数式や外来語の多い技術書などで左横書きが見られました」

確かにそうだ。右から横書きにしてしまうと、英語と和訳を並べて書くときに並びが逆だし、見づらいではないか。

例)
This is a pen.
。すでンペはれこ

分かりにくいことこの上ないし。だから左横書き普及運動が生まれた、なるほど、納得だ。

「左横書きが本格的に普及して右横書きが廃れていったのは昭和20年代以降で、昭和21年に読売新聞、昭和22年に朝日新聞が新聞に左横書きを採用し、昭和20年代以降、省庁の文書が縦書きから左横書きに徐々に変更されていったのがきっかけでした」(押井さん)

段々と、戦後の日本にふさわしい文字文化の革新が、新聞から浸透していったというのが始まりらしい。左横書きに変化していなかったら、私たちの文字文化は今とは違う非常に奇妙なものであったに違いない。
右から左に文章を書ける記事なんて、きっと今回だけだろうから、書いておこう。

「!たっか良、てっなに右らか左」
(河野友見 Kono Yumi)

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スチームパンクな巨大イカの生々しい動きが癖になる!(バーニングマン)

2016年06月12日 | ニュース



 アメリカ、ネバダ州ブラックサンド砂漠で年に一度、約一週間に渡って開催される「バーニングマン」は、毎年5万人もの参加者全員が派手な仮装とパフォーマンスを繰り広げる大規模イベントである。

 その会場に登場したのが、巨大イカである。錆びた鉄色の風合いでメカメカしいのに触手の動きがやけに生々しいのだ。

 この巨大イカマシーンは、ネバダ州エルコの彫刻家バリー・クロフォードが手掛けたものだ。その製作費はネット上のクラウドファンディングにより賄われており資金が無事調達できて完成したのだという。

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 こういうの間近で是非見てみたいよね。

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Watch the mesmerizing undulations of a giant mechanical squid


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