明治維新後に消えた〝幻の城〟を再建する計画が兵庫県尼崎市で進んでいる。江戸時代、大阪の西側を守る重要拠点だった尼崎城だ。家電量販店の旧ミドリ電化(現・エディオン)の創業者、安保詮(あぼ・あきら)氏(82)=同県西宮市=が、創業の地に恩返しがしたいと昨年11月、天守閣を再建して尼崎市に寄贈すると発表した。今年10月に市制100周年を迎える尼崎市は、城を起爆剤として「歴史の街」をアピールしたい考え。「公害の街」「治安が悪い」といった負のイメージがつきまとう〝アマ〟のイメージは払拭できるか。(益田暢子)
「立派すぎ」だった尼崎城
「尼崎に城なんてあったん?」「聞いたことあるけど、よう知らんな」
市民ですら、その存在を知らない人が多い尼崎城。それもそのはず、現在は阪神尼崎駅の南側に尼崎城址公園があるだけで、当時の面影を残す遺構は尼崎市が復元した石垣以外はほとんど残っていない。
「江戸時代につくられた城で、これほど何も残っていないケースは珍しい」と市教委の歴博・文化財担当の室谷公一主任学芸員は話す。
尼崎城は元和4(1618)年、尼崎藩主の戸田氏鉄が江戸幕府に命じられ、築城を開始。江戸幕府の徳川方と豊臣方が激突した慶長19~20(1614~15)年の「大坂の陣」の後、大阪の守備を案じた幕府が、近江・膳所藩主だった氏鉄を尼崎に送り込んだとされる。
当時の図面によると、尼崎城の敷地は約13万4千平方メートルで、甲子園球場の3・4倍にあたる。5万石の尼崎藩にしては立派すぎる城だったという。「大阪の西側を守る尼崎は、それだけ重要だったということだろう」と室谷氏は分析する。
本丸には、ふすまや障子、壁の全面に金箔(きんぱく)が張られた「金之間」と呼ばれる豪華な部屋があり、身分の高い客をもてなすため、専用の茶室や湯殿も備わっていたようだ。
尼崎城は明治6(1873)年の廃城令で取り壊されるまで、250年以上にわたって藩庁の役割を果たした。平安時代から港町として栄えた尼崎は、城下町としてにぎわい、大阪に向かう船からは石垣の上にそびえ立つ城がシンボル的存在だったという。
廃城後、堀は埋め立てられて農地になり、石垣は尼崎港の土台として使われたため、城の痕跡は跡形もなくなってしまった。
天守閣復元に10億円
天守閣復元の計画を立てた安保氏は兵庫県朝来市出身。昭和34年、尼崎市で旧ミドリ電化の前進となる「みどり電気」を創業した。そして昨年11月、「尼崎のみなさんにお世話になったので、尼崎のシンボルとして尼崎城を再建したい」と市に申し出た。
「城に特別興味があるわけではない」という。しかし、天守閣の復元整備にあたり、尼崎城と似た規模の清洲城(愛知県清須市)や、大垣城(岐阜県大垣市)などを視察。尼崎市に残る城の図面や資料を参考に、建築や都市計画の専門家らと設計を進めている。
安保氏の計画では、城があった実際の場所から北西約300メートルにある尼崎城址公園内に鉄筋コンクリート造りの高さ約25メートル、4層の〝新天守閣〟を建てる。各地の城を見学した際に急な階段の上り下りに苦労した経験から、城内にエレベーターを設置する予定で、費用は総額約10億円かかると見込まれている。
市によると、市民や企業からの寄付による城の復元は各地で行われているが、個人が城を建てて寄贈するケースは「尼崎が初めてではないか」(担当者)。
天守閣は阪神尼崎駅のすぐ南に位置することになり、築城400年を迎える平成30年に完成予定。
天守閣ができれば、同駅のプラットホームからもその姿を望め、多くの誘客が期待される。
安保氏は「尼崎は本来、歴史がある街。たくさんの人に来ていただき、末長く親しまれるお城になってほしい」と語り、こう期待を込めた。
「公害などといった悪いイメージを取り払うことができれば」
負のイメージ変えるチャンス
尼崎は戦後、阪神工業地帯の中核都市として日本経済を支えたが、大気汚染や水質汚濁が社会問題となり、「公害のまち」という負のイメージが広がった。近年は平成24年に発覚した連続変死・行方不明事件が連日のように「尼崎事件」として報道され、悪い印象がさらに強まった。
24年2~3月に市民2千人を対象に市が実施したアンケートでは、7・9%が「市外に移りたい」と回答。その理由は「治安が悪いから」が最も多かった。
市は25年に「尼崎版シティプロモーション推進指針」をまとめ、「さまざまなイメージアップの取り組みを行ってきたが、一度築かれたマイナスイメージを払拭するのは困難」とした。そして、市民に尼崎への愛着や誇りをもってもらおうと、イメージアップ活動に取り組み続けている。
そんな折に飛び込んできた天守閣復元の申し出。市は天守閣とともに、28年度から5年間で、かつて尼崎城があった城内地区を「歴史文化ゾーン」として整備する計画を発表。城址公園の拡張や市立文化財収蔵庫の整備を進め、歴史の街をPRしていきたい考えだ。
市幹部は「マイナスイメージからどう脱却するかが、ずっと課題だった。今回はイメージを変えるチャンス」と話している。
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