ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

休暇があけて

2024-12-02 | わたしの思い
秋雨の後の虹


10月末に日本へ飛び、昨年来の心身の疲労を癒したく、温泉に束の間浸かり、その海辺の温泉町をそぞろ歩いてきた。すぐに横浜に戻り、57階のホテルの窓いっぱいに広がるみなとみらいを感慨深く眺めては、学生だった頃のことを懐かしく思い出したりしていた。

10人の孫の半分の5人は、「ポケモン」カードを所望していて、横浜駅西口の某カメラ店にある、と小耳にはさんだので、朝早くに、みなとみらい駅から横浜駅まで行った。このカメラ店は、よく聞いていたが実際に足を運んだことはなく、確かにコンピューター関係、家具、家電、玩具まであらゆる物を取り扱っている。そしてここにはポケモンカードがかなり多種揃えてあった。5歳児曰く、exシリーズ(?)が欲しい、とのことで、そこにあった25種のパケットを5人分購入してきた。祖母というのは。。。

6年振りの日本訪問は、私に活力をくれ、日本に対して、あるいは横浜在住の姉夫婦に深い感謝を抱くばかりだった。くだらないが、鮮魚の苦手な私は、懐石料理の場にご招待を受けて困ったが、姉二人の助けで、「生き延びた」。たくさん歩き、帰国して体重を測った時、なんと6パウンズ減っていたのには驚いた。日本人の生活は健康的なわけだ。

日本では姉の一人と共に高校生だった私はバプテスマを受けた教会へ日曜ごと足を運び礼拝に参加したが、心が洗われるような経験を再び味わえて嬉しかった。長い間お会いしていなかった懐かしい方々にもお逢いできたのも嬉しいことだった。昨年の試練を苦しい、辛いと思わずにいた私は、その強さの原点となった信仰がこの教会から始まったのを実感した。

しばらく家を離れ、子供たちや孫たちから遠ざかっていると、だんだん一番若い18ヶ月の孫息子のあどけなさが目に浮かび始め、帰宅便の中ではほぼホームシック並みの感情。通常9時間は掛かる太平洋横断は、8時間だけで、あっという間にこちら側に到着した。ただいま。

その翌日セントラルヴァレーに秋の降雨が始まってそれが止むと洗われたような青空。そこかしこに浮かぶ雲の端に虹までかかっている。こんな時、ここに住むことの美しさを感じる。


帰宅した朝、長女が入院したと連絡が入り、いつ孫#11が誕生してもおかしくないと言われる。早速旅装を自宅で早々に解き、病院へ向かうと、生まれていたのが、この子。 ケイラム・サイラス・XXXXXX(ここは姓)は、7パウンズ11オンス、21インチの元気な男の子で、今のところひたすら寝ている。1日半で退院した。この娘家族へ食事を用意して、孫たちには日本の俊足シューズやポケモンカードを用意して届けると、テキストで友人の夫君が逝去との知らせ。早速白いバラの束をカードと共に届けた。かたや末娘がこの週新居に移ったので、やはり食事と二人の孫息子たちへのお土産を持って行った。帰宅早々でも、グランマは忙しい。ここの長男孫もポケモンカードを心待ちにしていた。
  

孫#11のサイ君

末娘家族も来年早々出産予定で、こちらは7年振りの孫娘ちゃん。娘夫婦が夢の、という家を我が家近くに見つけ、初めて家を購入することになった。ということは、私はこの家で愛犬のブーと余生を過ごすわけである。寂しいように聞こえるかもしれないが、一人と一匹の生活も悪くはない。帰国即日で、生と死という二つの自然なことを同時に迎え、忙しいが、忙しいことは生きているということだから、厭う理由はひとつもない。

感謝祭を一人で過ごすという北の姉が心配で、私は北へ飛び、あと3日ほどで帰宅する予定。帰宅すれば、その2日後に友人の夫君の葬儀が行われ、大晦日まで多くの医師との検診と眼科と歯科の予約が埋まっており、再び忙しい日々になる。来年2月には一月ほど犬のブーを連れて、ワシントン州の姉宅を再訪問する予定までもうすでに立てられている。それでは、1日ずつ余生を生きていこう。


コメント
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