ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

あなたや愛する人の命を守る

2021-09-21 | 重要なこと

運転中にシートベルトを着用したいという欲求を人々に植え付けようと、制作された英国サセックス・セーファ・ロードのオンライン広告は2010年1月に開始され、現在YouTubeで1,800万回の再生回数を誇っている。

 

 

これは英国の「シートベルト着用」広告で2010年に制作された。

製作者のある一人の男性は特にこの広告制作のために雇われたのではなかった。

しかし、この目的がとても重要であるアイデアを思いついたのだった。 現在、これは美しく意味のあるコマーシャルとして世界中で高く評価されているという。

この注目に値する89秒の広告は非常に人気を博し、人々はこのリンクを世界中に転送している。

このビデオを見て…そしてどうかこのメッセージを共有してください…あなたの友人や愛する人のために「命を救う」という可能性のために。

 

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9.11の聖書

2021-09-11 | 重要なこと

faithit.com

ツインタワーの瓦礫で発見された鋼と融合した9.11聖書

 

 

 

この小さな記事をオンラインのニュースレターで読んだのは、昨年2020年9月11日のことだった。その不思議な、しかし実際に起こったことに感動を抱かされた。またAtrocity(残虐行為)としか形容できない出来事をそれでも揺るぎなく破壊に耐えて発見された事実に非常に驚かされた。

その記事の内容は、以下で、これはケルシー・ストレイター記者によってfaithit.comに投稿された。

 

faithit.com

ジョエル・マイヤーオーウィッツ氏が手に取るのはグラウンドゼロで鋼が融合し、ハート型になって見つかった聖書。

 

 

9/11の攻撃で鋼に溶けた聖書の一節がアメリカに心をつかませるメッセージを送る
2020年9月11日付け:ケルシー・ストレイター寄稿

 

神の言葉は力強く、全能で、永遠であると聞いたことがある。テモテへの第二の手紙第3章16-17節で、使徒パウロは聖書は「神の息吹」であると主張している。つまり、神は聖書に書かれているすべてのことにお関わりになられたということである。しかし、9.11で世界貿易センターに起こったような恐ろしい悲劇が襲ったとき、多くの人はその真実を堅持するのが難しいと感じる。クリスチャンであるとしても、愛する神がそのような邪悪で大規模な混乱をどのように許すのか、しばしば疑問に思う。

この壊れた、あるいは不完全な世界から美しさを引き出す神の方法についての理解が不足しているかもしれない私たちが、9.11の荒廃の中で神が否定できない希望のメッセージを送ってくださったとき、それは多くの人々に非常に畏敬の念を起こさせた。信じられるほどの悲劇の起こるこの世で、聖書が生きた言葉であることを私たちにたびたび思い起こさせる。

ツインタワーへの9.11攻撃の後、1人の消防士がグラウンドゼロの瓦礫をふるいにかけていた。 2002年3月、彼は他の作業班員と一緒にサウスタワーの瓦礫と残骸を選別していた。そのとき、彼は考えられない発見をした。聖書が鋼の塊に融合していたのを発見した。後に9.11聖書と呼ばれる聖書は鋼に融合されていても、ページが残っており、しかも開かれているページは特に興味深いものだった。

この9.11聖書を見つけた消防士はショックを受け、すぐにこの宝物をジョエル・マイヤーウィッツに持って行った。ジョエル・マイヤーオーウィッツは、グラウンドゼロで9か月間働くように割り当てられた写真家だった。彼もちょうどその時サウスタワーの崩壊跡にいて、瓦礫の中を、9.11攻撃の只中での人々と彼らの経験の物語を伝えるかもしれない記録保存するに値する人工遺物を探していた。

ニューヨークタイムズ紙の報道によると、「この細かく砕かれ、瓦礫で覆われていた聖書は、私がグラウンドゼロの記録保持という役目を担っていることを知っていたある消防士の愛情深い手から届けられたのです」と写真家マイヤーオーウィッツは語った。

「余波:世界貿易センター遺物保管」の著者であるマイヤーオーウィッツは、鋼が融合し「ハート型」になって遺された聖書の表面に露出した聖句の一節に目を向けたとき、まったく言葉を失った。

聖書のすべての書、章、節の中で、このページはマタイによる福音書が開かれており、山上の垂訓を明らかにしているのだ。具体的には、「報復」というタイトルのセクションはマタイ書第5節38-39章である。

『目には目を、歯には歯を』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。 しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。

「開かれている聖書のページを見て驚き、聖書のメッセージがいつまでも存続していることに気づいたのです」とジョエルは言った。 「そして、あらゆる時代においても、私たちはその教えを必要に応じて新鮮に解釈できるのだということに。」

9/11の燃え盛った火災と破壊とその瓦礫の中で、この壊れやすそうな繊細な薄葉紙が強力に破壊と火に耐え、我々全てに永続的なメッセージを送ることができ、再び我々を完全に魅了している。

我々の肉体的な性質は、悪には悪を持って報いるように促すが、神は我々に、復讐を神に預け託し、人は許しと愛を押し進めるようにとお求めになられる。

ツインタワーへの9.11攻撃に関して、あるいは私たちが直面する可能性のあるすべての人生の悲劇に関して、この聖句は、我々皆が覚えておくべき驚くべき神の息吹のようなメッセージである。この聖句の乗っているページが鋼に融合されて安全にしかもハート型に保存されているように、この9.11聖書の言葉が願わくば、我々の心に焼き付けられるように。 イエスのように愛情を込めて物事や人々に対応できるように我々もそうあるように。困難に直面したときの行動をこのメッセージを思い出して考えられるように。

ツインタワーの瓦礫に見られる鋼と融合した9.11聖書についてもっと知りたい場合は、YouTubeでこの短い動画をご覧ください。 

 

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生きているうちに

2021-04-10 | 重要なこと

calledtoshare.com

 

 

 

父親と子、特に自我に目覚めてからの息子との間に芽生える確執は、よくある話である。それは息子のさらなる成長と共に、お互いを理解する努力で消えていくこともあれば、どちら側も確執の存在を意識しても、何も言い出せないまま(歩み寄れないまま)放置して、折り合いを付けないまま、予期せぬ時に今生の別れの日を迎え、残された側は理解への糸口を逃したことへの後悔と呵責の念に駆られ苦悶するという流れもある。

幸いに私の父と一人息子だった弟の間には、フロイトの解釈にあるような確執はなく、弟は息を引き取るまで父を尊敬し、愛して止まなかった。親子喧嘩というのも、両者間にはなかったし、むしろ弟は父のようにその生き方を踏襲しかったらしいのは、遺品整理の時にしみじみと感じられた。そして弟は彼なりの生き方をしたものの、その後ろ姿や遺品はまるで父だったのに気がついた。お互いに言い残したいことはもう何もなかったように思えもした。すでに先に行っていた母と父に再会しただろう弟は、愛猫のトラちゃん(と弟は呼んでいた)との再会も喜んだことだろう。その様子がはっきりと目に浮かび、悲しみのうちにも微笑んでしまった。そして気がつけば、私の夫と3人の息子たちも、私の父と弟のように生きてきている。

現実には、教会の中でさえ、父親と息子、兄と弟の間での確執を悩む母親がいる。そんな母親はたくさんいる。そして友人のようなケースもあった。友人の両親が離婚した時、彼の父親は、ビューイック・スカイホークの車内に9歳の誕生日寸前だった彼の息子(友人)を座らせ、ルーパスの闘病中の母親と別れることを告げた。理由は、ある若く痩せた女性と結婚したいからだといった。

その日さり行く父親は息子に、「これからはお前が一家の主だ、しっかりやれ」と常用薬の副作用でふくよかになっていた病身の妻を小さな息子に託したのだった。

友人は50歳近くになってから、あれからパームスプリングスに住む父親が癌でいよいよ危なくなったと、知らせを受けた、と言った。「何故行く必要があるのかわからない。葬儀には行くだろうけれど。」そしてそれからそう時間が経たずに葬儀の連絡が入った。

彼は沈鬱な面持ちで南下し、葬儀の翌日にはもう戻ってきて、開口一番言った。「父は病気の母をたった9歳寸前の子供に託して、逃げて行ったんだよ。癌で苦しんで逝ったって、僕は何も感じなかったし、感じまいとさえしていたよ。でももうこれで終わり。ホッとしたというのが本音だよ。」そんな形で彼は父親との確執にピリオドを打った。

下の歌は題してThe Living Yearsという1988年にリリースされたMichael and the Mechanicsマイケルとメカニックスのバラードで、世界中でヒットした。これは、今は亡い父親との意見の相違から始まった対立を残したままの息子が後悔しているという内容の歌詞である。 実際に作者のマイク・ラザフォード自身の亡き父親との対立を後悔して書かれたものだということである。その内容故に、葬儀に使われる曲でもある。お互いに生きているうちに、誤解を解き、対立を和らげていきたいのは、父と息子の間だけではなく、兄弟や姉妹、家族間、夫婦、友人や隣人についても同じだ。「生きている年月の間に」しこりをほぐしていきたいものである。

6分33秒の歌で、和訳の後に英語歌詞あり。

 

 

世代が変わるたびに
前の世代は責め咎められるもの
若者たちの不満が 心のドアをたたき始める

愛して止まない父親にとって僕は 囚人そのもの
彼の期待と不安の人質だ
生きているうちに
その気持ちを伝えられていたら

くしゃくしゃの紙片を
まとまらない考えで満たし
大袈でわざとらしい会話ばかり
それだけしかなかったと思う

何もはっきりしないと言うなら
それが的確な判断
そんな状態では 同意を得られない
通じない言葉で話す僕たちは
弁解だらけの会話にいそしむ

大声ではっきり言い
そして耳を傾けてよく聴くんだ
目と目を見つめて意見の相違を告げるのは
死んでからでは遅い

過去と現在の間で 軋轢が始まれば
未来は悲痛な思いで犠牲になる

だから時々それが運命だと見える運に屈しないで
別の日にはそれが新しい視点を持っているかもしれない
そしてあきらめず、負けないでいれば
あなたは大丈夫だ

大声ではっきり言い
そして耳を傾けてよく聴くんだ
目と目を見つめて意見の相違を告げるのは
死んでからでは遅い

いつの日か
新たな前途を切り開くかもしれない
あきらめず 負けずにいれば
大丈夫だ

父が死んだ朝
僕はその場にいなかった
言うべきことを
何ひとつ 父に言えなかった

その年の暮れ
僕は父の魂を捕らえたと思う
その年の終わり頃になって
僕は父のエコーを確かに聞いた
我が子の生まれたばかりの涙に
生きているうちに彼に話せていたら

だから大声ではっきり言い
そして耳を傾けてよく聴くんだ

Every generation
Blames the one before
And all of their frustrations
Come beating on your door

I know that I'm a prisoner
To all my Father held so dear
I know that I'm a hostage
To all his hopes and fears
I just wish I could have told him in the living years

Oh, crumpled bits of paper
Filled with imperfect thought
Stilted conversations
I'm afraid that's all we've got

You say you just don't see it
He says it's perfect sense
You just can't get agreement
In this present tense
We all talk a different language
Talking in defense

Say it loud (say it loud), say it clear (oh say it clear)
You can listen as well as you hear
It's too late (it's too late) when we die (oh when we die)
To admit we don't see eye to eye

So we open up a quarrel
Between the present and the past
We only sacrifice the future
It's the bitterness that lasts

So don't yield to the fortunes
You sometimes see as fate
It may have a new perspective
On a different day
And if you don't give up, and don't give in
You may just be okay

So say it loud, say it clear (oh say it clear)
You can listen as well as you hear
Because it's too late, it's too late (it's too late) when we die (oh when we die)
To admit we don't see eye to eye

I wasn't there that morning
When my Father passed away
I didn't get to tell him
All the things I had to say

I think I caught his spirit
Later that same year
I'm sure I heard his echo
In my baby's new born tears
I just wish I could have told him in the living years

Say it loud, say it clear (oh say it clear)
You can listen as well as you hear
It's too late (it's too late) when we die (it's too late when we die)
To admit we don't see eye to eye

So say it, say it, say it loud (say it loud)
Say it clear (come on say it clear)

 

Songwriters: B.A. Robertson / Mike Rutherford (gb)

The Living Years lyrics © BMG Rights Management, Concord Music Publishing LLC

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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21世紀もあと80年と言うのに

2020-12-27 | 重要なこと

クリスマスの朝にふさわしく、一面記事でホビーロビー(手芸・裁縫・クラフツ専門店)の広告。

「ひとりのみどりごがわれわれのためにうまれた、ひとりのおとこがわれわれにあたえられた。まつりごとはそのかたにあり、そのは、『霊妙れいみょうなる大能たいのうかみ、とこしえのちち平和へいわきみ』ととなえられる」  イザヤ書9:6

 

 

 

クリスマスの朝にはスウェーデンの次男一家とフェイスタイムで久しぶりに元気な顔を見ながら話した。1月4日から次男は仕事始めで、長女のプリスクールも始まるため、三週間ぶりにドイツへ帰ると言う。スェーデンもドイツも厳しいロックダウン中だが、息子はアメリカ市民であると同時にスェーデンでヨーロピアンユニオンの市民権も取得しているゆえ、例え妻の実家でも、「自分の家」として自家用車で行き来できる。次男も私同様気管支喘息があるので、十二分に人との接触に気を付け、この三月以来自宅勤務である。

息子はドイツで会計を担当しているが、10人で1チームだそうで、無料のインフルエンザの予防接種を受けるよう上から伝えられても、息子一人だけが受けたと言う。他は皆ドイツ人だが、予防接種に冗談かと思えるほどの恐怖や疑惑を持っており、注射でついでにマイクロチップを植えつけられるなどと本気で信じる者もいるとのこと。え?ちょっと待って。

ルイ・パスツールはフランス人で、ロベルト・コッホはドイツ人で、二人とも近代細菌学の開祖と呼ばれて久しく、パスツールは狂犬病ワクチンを発明した人ではないか。そうした本家本元の人々がワクチン接種を避ける、否定するなどとはいかにして? 

確か1998年に三種混合ワクチンが子供に自閉症を発症させるとセンセイショナルな論文を「ランセット」上で発表した英国医師がいたが、彼自身の不正研究結果が間違っていると判明、重大な利益相反もあったとして、論文の一部を撤回したが、2010年には医師免許を剥奪されている。けれどもその空白の12年間にヨーロッパ、アメリカ、そしてオーストラリア、その他の、つまり世界中で麻疹が蔓延し、ニュースになった。その論文を未だ信じている人がヨーロッパには多い、と息子は言う。

麻疹の大流行はニューヨーク市ブルックリン地区ウィリアムズバーグの正統派ユダヤ宗教徒間でも見られ、今年春にも、再びその地域でのCovid-19の感染拡大が懸念されていたのを覚えている。ユダヤ人全てなのではない。ユダヤ宗教自体はワクチン接種を禁じてはいない。それにもかかわらず、排他的な正統派コミュニテイ内で誤った情報が拡散しているせいだと市当局は見ている。再三の説明や予防接種の呼びかけにも応じていない住民が多数いる。私の隣人はイスラエルからのユダヤ人医師だが、いたずらにワクチン接種を恐れ、真実を見ないことは、信教の自由ではなく、誤解の自由を謳歌しているにすぎないと言いすてる。

Covid-19のワクチン接種が可能になったにも関わらず、頑として感染を待つのは本当に人生の無駄である。私の周りでも医療従事者は、事務方も含めて接種をした人が増えてきている。確かに毎年インフルエンザ接種で、短期間の倦怠感や熱っぽさやらの副作用は、起こるし、母曰く、生後初めての三種混合でアレルギー反応を起こした私であるが、番が回ってくれば、接種を受ける。接種後三十分はその場に留まって重篤なアレルギー反応の有無が観察されることになっている。

その結果が最悪になるとしても、死は生まれるのと同じ自然なことで、怖がる必要を感じない。それは信仰によるのだろうが、数百、数千の風船をローンチェアにくくりつけて空へ舞い上がり、上昇し過ぎて風船が割れることによって急降下して失命するよりもずっと良い。

クリスマスの挨拶もそこそこにそんな話を展開したが、つくづくフェイスタイムやスカイプのように、アイフォンを互いに持っていればできるいわばテレビ電話の便利なこと。ひと昔前までの国際通話料金を気にしながらの電話が笑い話になるくらい便利である。ワクチン接種を無駄に怖がることもそのうちに笑い話になる日が来るようにと祈るばかりである。

 

おまけは三男の三児による生きたネイティヴティ。。。みどりご役は飼い葉桶(籠)の中で緑のワンシーズを着用して演じている。

 

 

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モリー#2

2020-07-19 | 重要なこと

 

これはモリーのアップデイトである。モリーの父親の働く事務所のマネイジャーが、代表して連絡を取っているが、彼女がわかったことを知らせてくれている。下はその訳である。

 

私(父親の所属する事務所のマネイジャー)は今日の午後遅くティムと連絡を取りました。彼とアリソン(ティムの妻、モリーの母親)は、家に残してきている他の娘たちをチェックするのに1時間ほど帰宅する以外は昼となく夜となく、病院に詰めています。モリーは当初手術から目覚め、まずまずの受け答えができているように見えました。その後少し容態が後退し、医療者たちは彼女が受け答えしようと苦労しつつも努力していると言っていますが、彼女に繋がれた沢山のチューブにもがいているようです。今自分の身に起きていることと闘っているようです。彼(ティム)はこれはこれからの闘病生活が長くなることを表していると思っています。そして病理検査やMRIの結果については話しませんでした。

私は彼が今ご家族のことに専念できるよう、仕事のことはきちんと皆でやっているからと言いました。どうかこれからもティムにテキスト、Eメイル、電話を直接しないようにしましょう。仕事が普段と変わらないよう、皆が一生懸命勤務していることを感謝いたします。七月を(私たちが一丸となって)強固な月にしているように、今年を強い年にしていきましょう。

私たちの全力を尽くしたサポートをティムと彼のご家族へ、そして快復への祈り、強さ、知恵を捧げましょう。また連絡があり次第、アップデイトをおしらせします。

祝福があるように、

 

XXXXX(会社名)

マネイジャー

 

モリーが混沌とした状況で、必死にチューブに抗おうとするのを読み、胸が詰まった。予想はしていても、モリーは回復への道は険しそうであり、長そうでもあるようだ。でも、多くの人の祈りと愛が彼女に見える力として支えているとも思う。頑張って、モリー、あなたはまだ8歳。まだまだあなたの人生はずっと長く続いている。

 

こうした困難が実際に幼い少女の身に起こっているのを思うと、そしてそのご両親の心中を思うと、今日もカリフォルニアには青空に太陽が輝いているのに、どうしてこの少女はまるでマリアナトレンチの底のような暗い淵にいなければならないのだろう、と唇を噛む。この世が試練の場なのは知っていても、辛いことだ。

 

それでも今日は来て、明日が来る。私にできることは、少しづつでもモリーの容態が改善され、もっと楽しい日々がやってくることを祈るだけである。そして祈りがもたらす平安がこのご家族の上にあることを。

 

 

 

 

 

 

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