「ホワイト・デイって聞いたことありますか?」と末娘の夫がまるで法廷審議さながらに口を開いた。「それは日本国においてのみ通じる言葉です。もっとも私が日本で若者をやっていた頃には今ほど浸透していなかったと思います。(あるいは私が鈍感だっただけ、という説もある。)」と答える私。「ご説明願います。」とムコ殿。「それはヴァレンタインズデイのひと月後に男性が女性にヴァレンタインズデイのチョコレートのお返しをする、という日です。つまりチョコレート会社がもうひと月儲けを出したい、と設けた完全な商業的目論見です。」
「日本では、女性が積極的に男性に対して求愛する、ということでしょうか。」
「そう思われても仕方ないかもしれません。」
「あなたは、そういう経験がおありですか?」
「。。。」
「もう一度お聞きします。あなたにはその経験がありますか?」
「私から口が避けても求愛など殿方に致したことはありません。」
「それは何故ですか?」
「友をえらばば 書をよみて六分の侠気 四分の熱、を座右の銘にしたいと常々思っていたからです。」
「異議あり!それを言うなら、妻をめとらば才たけて見目うるわしく なさけあり、を先に述べるべきです!」
なぁんて展開は一切なかったが、ムコ殿は、自分がインターネットで仕入れた「日本」について質問がたくさんあるのだ。ふむふむ。日本学101ね。まずはホワイトデイからね。
ところが、本当に私は日本であるいはアメリカで殿方にチョコレートをばら撒いたことはないし、ばら撒きどころか一枚のチョコレートさえ渡したこともない。
モロゾフという製菓会社が1950年代には提唱し始めた、と聞いたことがある。1976年にはすでに留学先の大学にいたし、やはり2000年代に「友チョコレート」なるものが流行り出したそうで、そうしたトレンドについてはあまり知らない。
女性から男性に求愛することも、少女漫画文化の多大な影響があるのかもしれない。つまり女性が好いた男性に「コクハク」するということだ。この現象を「女性から求愛しても構わない」という風潮に仕立て上げるのは、「え?それは、日本のことなの?本当に?」と日本学101クラスを取るようなアメリカ人の興味の対象にはなるようだ。
以前まだ高校生だった我子たちに聞いたことがある。「プロム(高校生の高校が主催する正式ダンス)には女の子から誘ってもいいじゃないの。」と言うと、「それは大抵セイディ・ホーキンス・ダンスだね。それは女子から男子を誘うのが定例だよ。」と息子たち。「セイディでも私は、自分から誘わないわよ。」と娘たち。「シニア(高校最後の)プロムには、やはり僕から誘いたい。ウィンタープロムなど他はどちらでもいいけれどね。」と息子たち。
女性権利の錦の旗の立つ国の生まれなのに、そういう考えが現代の高校生間にあると知り、意外だったが、でも息子たちも友人たちも実際、自分の高校のシニアプロムには気に入った女子に申し込んで、意気軒昂に出かけたものだ。「自分から女子に申し込むのはかっこいいけれど、女子から申し込まれると、その女の子に恥をかかせてはいけないから、行かざるをえないことが、好ましくない」と、封建時代の、例えば武士や騎士の面持ちさえしていた息子たち。事実他校の女子から申し込まれて、3つほどプロムを掛け持った息子もいる。
それはさておき、ヴァレンタインズ・デイは、男性がガールフレンド、婚約者、妻、母親、娘や姉妹に、つまり愛する女性に綺麗なカードと共に箱詰めチョコレートを贈るのが、アメリカではメインである。チョコレートだけでなく、花束や余裕のある人は宝石だのアクセサリーもある。多くの恋人たちは婚約者となる日でもある。(今日、トランスジェンダーの件もあり、ここに書くことは独自の持論にすぎないことはお断り致しておく。)
学生時代、あるヴァレンタインズ・デイに大学から帰宅すると、街のベイカリーからのハート型の可愛らしいBe Mine!とアイシングで書かれたケーキが私宛に送られていた。送り主はただハートのマークしか記していない。送り主のわからない物は怪しく、捨てようとしたら、3人のルームメイトたちが、「まあ、もったいないわ、あなたがいらないなら私たちがいただくわ」とその場でパーティになったことがある。「どなたからのかわからないから、おすすめしないけれど、自己責任で召し上がって。」私は言った。幸い誰も具合が悪くならずによかった。そのケーキの写真だけは撮っておいたのは、「事件」があれば、証拠写真になると思ったからである。1977年のことである。
このケーキパンで作ったら、もっと見栄えもよかろうが、実際は、ベイカーがフリーハンドでデコレイションしたらしい1977年のケーキであった。カンバセイション・ハーツのキャンディが二つ乗せてあるのが、愛嬌。私の元へ届いている間にかなり揺れていた様子のケーキ
クラスで夫と知り合ったばかりで、それでもヴァレンタインズ・デイを特別に扱う仲でもないと思っていた私は、長いこと一体どなたが贈ってくださったのだろうと不思議だった。結婚して数年経って、その話をすると、それはなんと夫だった。あはは、それでは食べておけばよかった。一応美味しいと評判のベイカリーだったのに残念だった。
その年以降ヴァレンタインズ・デイには、夫はバラの花束とカードと箱詰めチョコレートを贈ってくれた。See'sの混み合う店内に並んでも夫は毎年用意していた。
今年は初めての一人のヴァレンタインズ・デイ。墓前に花束をお供えしてこよう。そしてありがとうと言ってこよう。
ちなみに日本学101クラスのムコ殿は、夕食時に、「で、がちゃがちゃについてですが。」と訊いてきた。お、そう来ましたか、それは少々アドヴァンストですから、その講義はまた明日。