作者不詳の下の話は、一人の人だけの話ではなく、誰にでも通ずることだと思う。
********
私は神に私の癖を取り除くように頼んだ。
神は仰った、いいえ。私が取り除くのではなく、あなたがそれをあきらめることである。
私は神に私の障害のある子供を完全にしてください、と頼んだ。
神は仰った、いいえ。彼の精神は完全であり、彼の体は一時的なものにすぎないからである。
私は私に忍耐をくださるように頼んだ。
神は仰った、いいえ。忍耐は苦難の副産物である。
それは与えられるのではなく、学ぶことで得られる。
神に私に幸せをお与え下さるように頼んだ。
神は仰った、いいえ。
私はあなたに祝福を与えよう。 幸せはあなた次第である。
私は神に私が痛みを免れるように頼んだ。
神は仰った、いいえ。苦しみはあなたを世俗的な懸念から引き離し、
あなたをわたしに近づける。
私は神に私の霊を成長させるように頼んだ。
神は仰った、いいえ。あなたは自分で成長しなければならない、しかし私はあなたを実り豊かなものとするために剪定しよう。
私は人生を楽しむことができるすべてのものを神に求めた。
神は仰った、いいえ。あなたがすべてのものを楽しむことができるように、私はあなたに命を与えたのである。
神が私を愛しておられるのと同じくらい、私が他の人を愛するのを助けてくれるよう神にお願いした。
神は仰った…ああ、ついにあなたはその考えを持つようになった。
「わたしは、新しい戒めをあなたがたに与える、互いに愛し合いなさい。 私があなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」
ヨハネによる福音書第13章34節
それを実践する5歳の孫息子#2とマヤ。