ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

感謝祭に

2019-11-28 | アメリカ事情

 A depiction of Thanksgiving in 1858, by Winslow Homer. Image courtesy of the Boston Public Library.

 

 

 

感謝祭が設立される前は、アメリカ原住民の収穫祭が何世紀にもわたって祝われ、植民地の人々とのそれは16世紀後半にさかのぼる。 1600年代初頭、マサチューセッツ州とバージニア州の両方の入植者が集まって、それまでの生存、豊穣な畑、そして彼らの信仰に感謝した。 最も広く知られている初期の感謝祭は、マサチューセッツ州プリモスの清教徒のもので、1621年に原住民ワンパノアグの人々と3日間饗宴をした。


感謝祭が国民の祝日となったのには、わずかに異なる理由があった。新しい国の、アメリカ合衆国憲法の創設に敬意を表してであった。 1789年、ジョージ・ワシントン大統領は、その年の11月26日を「公の感謝祭の日」と指定して、アメリカ合衆国と新しい連邦憲法の創設における摂理的な役割として認める宣言を発行した。 当時ワシントンは大統領としての最初の任期にあり、若い国が革命を成功裏に負えたばかりだった。 ワシントンは、「彼らの安全と幸福のための政府の形態を平和的に確立する機会」を与えてくれた神を合衆国民が認め頑張ってように求めた。こうして新しい国の新しい憲法の下での最初の感謝祭が祝われた。しかしながら、感謝祭は連邦政府の祝日ではなかった。 


トーマス・ジェファーソンとその後の多くの大統領は、宗教(教会)と国家の分離に一部基づき、政府の祝日には、公的な宗教的デモンストレーションとなることは適切ではないと感じていたからである。


1863年、リンカーン大統領は、1863年11月26日木曜日に感謝祭とする宣言を行い、それはワシントンの宣言の引き継ぎであった。南北戦争という血なまぐさい軍事的対立の中、ゲティスバーグの激しい戦いに成功したユニオン(北軍)の軍隊を神に感謝したのだった。 彼はアメリカ国民の受けてきた祝福を列挙し、同胞たちに「感謝と神への賛美の日として、11月の最終木曜日を感謝祭とするように求めた。


1939年、フランクリン・D・ルーズベルト大統領が、感謝祭を11月最終木曜日から第3木曜日に変更したのは、それが大恐慌時代の最後であり、彼の目論見としてはクリスマス前の買い物日を増やし、経済を後押しすることだった。 しかし、多くは11月の第4木曜日に感謝祭を祝い続けた。1941年、その混乱を終わらせるために、大統領と議会は、今日まで続く11月最終木曜日を最終的に米国連邦の祝日として感謝祭を設立した。


勿論本当の感謝祭の意義は政治的なことではなく、いまでも昔と変わらず、植民地時代のアメリカ原住民の助けや豊作や受けてきた祝福を感謝し、祝うことに変わりはない。今年の感謝祭は11月28日である。


その三日前の11月25日の朝刊に、私のお気に入りのビジネス欄コラムニストのハーヴィ・マッケイ氏の記事があった。以下はその記事である。

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感謝祭のこの季節、私はビジネスのアドバイスから寄り道をし、代わりに感謝に焦点を当てる。その人生の教訓が万人への良き例えとなる、注目に値する、ある女性を知る機会を得たことに、私は非常に感謝している。

  

最近私はミネアポリスのテンプル・イスラエル(シナゴーグのひとつ=ユダヤ教会堂)での礼拝に出席した。そこで友人がある年配の女性を指摘し、彼女に私は会うべきだと言った。彼女が109歳であるのを知って私は驚いた。

 

私はしばしば高齢者を見つけると、彼らに人生の秘密と彼らがどのように忍耐してきたかを尋ねる。だから私はルース・クネルマンを彼女のアパートへ訪問し、そして彼女が一人暮らしで、自炊していることを知って驚いた。

 

ルースには人生から得た教訓が満々と満ちている。彼女はテンプル・イスラエルで読み語りをしてきたすべての子供たちから愛情を込めてグランマ・ルース(ルースおばあちゃん)と呼ばれている。過去少なくとも30年間、毎週金曜日に、彼女は生後18ヶ月から幼稚園入園前の年齢の子供たちの7クラスで読み語りをしてきた。

  

彼女は読書に強い信念がある。読むことは、脳を使い、自尊心を高め、創造性を向上させ、語彙を増やし、ひとりひとりを賢くすると信じ、彼女は自身の息子や孫息子達に読んで聞かせてきた。彼女は新聞のミネアポリス・スター・トリビューン紙を、スポーツ欄を含めて、隅から隅まで読む。

 

グランマ・ルースは、ジェファーソン・コミュニティ・スクールや他の多くの組織でその生涯にわたって30年以上ボランティア活動をしている。何故それほどにボランティアをするのだろうか? 彼女はいつもなにか良いことをしたいのだと言った。「地域にとってなにか良いことをしなければならないのですよ。」

 

 他の人をボランティアで助ける人は、より健康的な人生観を持っていると言われる。そういう人々は敏腕家になる傾向があり、常に幸せであることが報告がされている。ルースはまさにその幸せな人の典型である。

  

 ボランティア活動を通じて多くの素晴らしい友人にルースは会ったことで、彼女はネットワークと友情の重要性を理解している。彼女はそうしたすべての友人にとても感謝し、決してその人々を利用しようとはしない。

 

「友人同士はお互いに寛容で忍耐強くなければなりません」と彼女は言った。 「あなたの親友はあなたの感情を傷つけることができます。あなたはこれを決して忘れませんが、あなたは許します。あなたが攻撃をするなら、あなたは友人を持っているとは言えません。誰も完璧ではないのです。」

 

ルースは次のように付け加えた。「人生はすべてが良いわけではありません。人には浮き沈みが必要です。人は常に沈みよりも浮きがもっとあります。」

  

彼女は、人々にとって現代の大きな問題はストレスだと考えている。人々が運転するのを見れば、毎日それを見られる。彼女は長年病院で奉仕活動をし、ある男性が自分の仕事と上司が嫌いだったために神経衰弱を起こしたのを覚えている。もしあなたが幸せに思えない時、彼女のアドバイスは何か他のものを見つけることだと言う。人生は短すぎるのだ。

  

私はルースに、彼女が大学の卒業生に何を言うか尋ねた:「人々を好きになり、優しくして、そして忍耐強くなければなりません。」彼女はまた、良い人望を持つことの重要性と、たった一つの軽率な行動が一生の良い仕事を破壊できることも知っている。

  

ルースは頻繁にアドバイスを求められると、こう返事する:「知らないということを恐れないでください。すべてを知ることはできませんから。」

 

ルースには素晴らしい記憶力がある。彼女は、いつも人々に会うと、二回名前を繰り返し言ってもらうのは、その名前をよりよく覚えるためだからである。

  

彼女は毎週ブリッジ(トランプ遊びの一種)をすることで頭の働きを鋭敏にしている。彼女は15歳から94年間、そのカードゲームをしている。ジン・ラミー(トランプ遊びの一種)もする。少々お金も使う(つまり賭ける)らしい。

 

 彼女がこれほど長く生きる秘訣について尋ねることに抵抗できなかった私は訊ねた。彼女は言った、「私はすべてを間違えたんですよ。」彼女は遅くまで夜更かしし、朝は早く起きる。彼女は日中遅くに食事をする。真夜中に目が覚めると、コーヒーを飲みながらテレビを観る。彼女は水を飲まず、クラブ・ソーダ(炭酸水、ただし甘味料はなし)を好む。彼女は1錠だけ薬を服用する。 

 

そして彼女は運動の大ファンでもない。彼女によれば、定期的に運動する人はやがて腰と膝の関節を痛め、人工関節置換をする必要があるからと言う。彼女の運動は歩くことである。

 

ルースはどのように人々に覚えられたいか?  彼女は彼女に親切だったすべての人々にとても感謝している。「あなたは人々を好きでなければなりません。あなたは退屈にしていられません。私はいつも何かすることがあります。」

 

私がルースを訪ねていた時、彼女の電話は少なくとも5回は鳴り、まるでグランド・セントラル駅のようだった。そして私が暇を告げると、訪問してきた彼女の別の友人に挨拶された。私の去り際に、ルースはひとつ頼み事をした。「ハグをしてもいいですか? これがいつ最後の抱擁になるかわからないのですもの。」

  

マッケイの教訓:年数を数えるのではなく、 一年一年を大切にすることだ。






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2 コメント

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Unknown (aromadeyui)
2019-11-28 15:09:35
"ままちゃん"さん
今日も素敵なストーリーありがとうございます
先住民がくれたトウモロコシに思いを馳せながらタコスチップスを食べています
そして、100歳を超える方々は激動の時代をその目で見ていた生き字引!
友人の祖母も関東大震災を体験し、第二次大戦空襲を体験、馬車から汽車に、そして電子レンジで夜食を温めるまでお元気だった女性、ファミコンで脳トレもしていて、亡くなるまで年金の受取日を忘れていなかったそうです
そんな先人の話を伺うとワクワクします。きっと封印した悲しい過去もあるでしょう。それでも生きていく、生き抜いてきた、その姿が美しいですね。
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コメントをありがとうございました。 (ままちゃん)
2019-12-03 01:09:54
aromadeyui様、

長い年月の間に、様々な過去の出来事は浄化されてしまうのかもしれません。そして本当に悲惨で辛かったことは、自分がそのまま持っていこうというお気持ちもあるのだと思えます。ちょうど戦争体験のある方が、一言もその辛い思い出を語らずに行ってしまうように。ここに書いたルースさんとてその出自故に不当な扱いなどがあったかと思われますが、人間のすごいなと思う所は、だからと言って、そのまま固い殻を被って他の人に攻撃的になることなく、まったく正反対に人に接することができるところでしょうか。
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