ジョン・マッコウネルによってデザインされた非公式の地球環境保護の日の旗
今週金曜日4月22日は、知る人ぞ知る「地球の日」(Earth Day)で今年は創立以来52年経つ。 この日は実に「知る人ぞ知る」で、たとえば私の職場の大学キャンパスでも、ほとんどは知らず、その日ではなく20日に細々と2時間あまりの催しがあるだけだ。 以下そのチラシから。:
対面(ズームではありません!)で、キャンパス書店の前に於いて。 情報を共有するいくつかの異なる地域の気候と持続可能性に関連するコミュニティ組織が参加します。
あなたも不要になったアイテムを寄付したり、寄付されたアイテムを受け取ったりできる無料のリサイクリング・テーブルがあります。 地域レストランのフードトラックから持続可能性を利用したビーガンメキシコ料理を購入もできます。
今月の地球月間【最近は地球の日等は、ただ1日のことではなく、〜月間である】、ぜひご参加ください。 毎日の習慣を変えるのは難しいですが、ほんの少しの調整でも気候に大きな影響を与える可能性があります。 環境保全に情熱を持っている人のために、違いを生むのに役立つことができるいくつかのことをご紹介します。
それにしては、この比較的民主党支持寄りの加州公立大学キャンパス、リサイクルや分別ゴミのゴミ箱はいつのまにか混ぜこぜの一つのなんでもゴミ箱にしている。 その理由は、分別する人員不足、で、分別する費用もない、である。 すでに分別やリサイクルを停止してから10余年である。 これを恥と呼ばずになんと呼べるのだろう。
地球の日は、ウィスコンシン州選出の民主党上院議員ゲイロード・ネルソンが、1970年全米の大学生に地球環境保護について討論することを勧め、それには復活祭も過ぎ、春休み中である学生たちに都合のよい4月22日を提案した。 その統括役として、スタンフォード大学学院生のデニス・ヘイズを起用した。 ヘイズはウィスコンシン州生まれで、上院議員ネルソンに覚えがあり、環境保護擁護者で、太陽光発電の擁護者でもある。
1970年ヘイズはネルソン上院議員に統括任命されたことで一躍有名になった。 彼はハーバード大学ケネディ公共政策大学院にも在籍した「正統派」的エリート民主党支持者である。 地球の日ネットワークを設立し、180カ国以上に拡大し、カーター政権の間、太陽エネルギー研究所(現在は国立再生可能エネルギー研究所)の所長だったが、レーガン政権がこのプログラムへの資金を削減すると、あくまでも公費に頼りたいかの政党支持者らしく、この地位を去った。 いくつかの著著があり、現在でもスタンフォード大学で教えたり、環境保護の旗手として活動を続けている。
先年脚光を浴びていた、かの「北欧の少女」も18歳とほぼ成人に近づき、多くの人々は彼女の話題が上がると、「またか」と多少苛ついた気持ちさえ抱く。 そしてこの3年間目に見えない敵との戦いに誰もが疲弊してきていることもあって、鬱々とする人々は「それで?」と思い、矛盾を感じるのである。
道を歩けば、グローサリーストアの駐車場、病院の駐車場、医師のオフィスの駐車場、普通の路上にも、踏まれて平たくなっているマスクがあちらこちらに捨てられている。 それを目にしては、「地球の日(月)だから環境保護に目を、心を向けよう」などと、広大な目標よりも、噛んだガムや汚れたマスクをつまりゴミを、ゴミ箱へ入れてから、論じてほしい、と誰でも思うのだ。
環境保護も大事だが、やはり今月29日のナショナル・アーバーデイ(植樹祭)の方を私個人は好む。 これは16世紀にスペインで始められたことだが、合衆国でも1872年4月ネブラスカ州の政治家ジュリアス・スターリング・モートンが100万本の植樹を行い始まった。モートンは古典的リベラリズムと保守主義の合わさった政党バーボン(ブルボン)民主党に属し、クリーブランド政権下、農務長官に任命された。
ほとんどが荒地だったネブラスカを緑化し、農地・耕作に適した土地とするための植樹活動は、後年1907年4月に共和党セオドア・ルーズベルト大統領が、「合衆国の学生・生徒に対する植樹宣言」を発表するほどに広がった。 ちなみにモートンの息子ポール・モートンは二つの鉄道経営陣の重鎮を占め、実業界での活躍があり、父親の政党に相反する共和党員となり、セオドア・ルーズベルト政権下、海軍長官を任命された。
モートンのもう一人の息子ジョイ・モートンは、小さなシカゴ近辺の塩会社を買い取り、モートンソルト会社と名前を新たにし、黄色いドレスを着て傘をさす少女のイラストと共に”When it rains, it pours”(意味は通常「悪いことは重なる」だが、この塩の場合、文字通り「雨降りでも[湿気らずに]サラサラ」という意味合い)というキャッチウフレイズで現在も塩業界の代表である。 そして彼は合衆国イリノイ州ライルにモートン樹木園を作った。 現在これは公共の庭園であり、図書館、植物標本館、および樹木科学センターを含む樹木研究プログラムを備えた屋外博物館である。
photo: Karla Sullivan
1989年には、ジョン・デンバーが、”Plant A Tree"(木を植えよう)というテーマソングと共に植樹祭日の宣伝がよくラジオやテレビで流れた。 今では、その歌の存在さえも知らぬ人が多い。 夫と私は、25年前現在の地に越してきてから、即時7本のレッドウッドを庭に植えた。 それは今や90フィートから100フィートの高さになった。 この常緑の木々の下は、森の中のようで、ハスキーのBoo (ブー)は毎日そこで遊び、夏はそこで昼寝をする。 私たちはそこを「Booの森」と呼ぶ。
庭にはその他に柑橘類からストーンフルーツ(桃、ネクタリン、桜桃、杏等)、いちじく、柿、梨も植えられており、最近は、せいぜい花や野菜やイチゴなどを植えることに専念している。 前庭には無果実の梨、チャイナベリー、それにアメリカスズカケノキ(プラタナス)が植えてあり、夏の西陽から家を守ってくれている。
毎週月曜日早朝が収集日には、分別したゴミ箱3、4個を自宅のカーブサイドに出す。 それが私たちの記念日でもない毎週の、つまり毎日する環境保護状況である。 地球上どこにいてもゴミはゴミ箱に、をまず心がけること、などと口にするのもおこがましいのだが。
そうすると、日本はやはり良い国である。 政治政党に関係なく、国民は「わかっている」のだから。 野球に関してはひどく無知なわたしでも、大谷翔平選手の、球場でよく見かけるゴミ拾い姿は、声高に、あるいはメガフォンで叫ばずとも、地球環境保護を行動でひっそりと世界に示しているのを知っている。
廃油ろうそく、ちゃんと灯せますね? 廃油を集めて車の燃料にしたりしますが、天ぷらなどの良い香りもするようで、楽しいですね。