A Child's Garden of Verses by Robert L. Stevenson
『子供の詩の園』は、英国スコットランド出身の作家ロバート・ルイス・スティーヴンソンが1885年に出版した子供向け詩集。
せんだってのER訪問以来、ごく少量のいわゆるBeta Blocker (βアドレナリン受容体遮断薬、血圧を安定させて動悸を抑える)をしばらくの間処方されて服用しているが、その粒を半分にして摂取しても、宇宙遊泳感はあり、週末は特になにもせずゆっくりしている。週末は家事の総大会で、週一回の掃除・洗濯、買い物の土曜日だが、夫が、掃除も買い物も食事作りもすべてやるので、私はせいぜい洗濯専門。洗濯と言っても川で洗濯物を叩きながらするわけではなく、全自動洗濯機のお次は乾燥機に入れて、終われば畳む、それだけである。職場には週日詰める元気はあるが、夫は私がまだ土曜日の朝寝ているうちに、床の拭き掃除まで完了し、朝ご飯を用意している。夫が買い物に出かけている間、私は本棚から一冊のちいさな詩集を取り出し、懐かしさで一頁一頁めくって読んだ。
それは高校生の時、英語教師が、紹介してくれた、ロバート・ルイス・スティーヴンソンの A Child's Garden of Verses 『子供の詩の園』である。どの詩編も素晴らしく、子供の心情を細かく掬って書かれていて、高校生でも原書と言えども難なく読め通せた。すべての詩に心は寄せられたが、その中で特に好きなのは、Windy Night(嵐の夜、風の強く吹く晩)であろうか。
幼い頃母は風の音が大嫌いで、特に夜風が強い時は、窓を開けて、「かぜ、あっちへ行って!」となんども叫んだそうだ。するとある日隣家の婦人がやってきて、祖母に「うちのカズエがなにかご迷惑おかけ致しましたでしょうか?」と聞いた。心当たりのない祖母は、「いいえ、決してそのようなことは。」と言いかけて、ふと娘(私の母)が、窓を開けては風に、あっちへ行けと言うのを思い出し、思わず笑ってしまったと言うのだ。風がカズエに聞こえてしまったのだろう。誤解は解け、婦人は笑顔でお帰りになったそうだ。この詩を読むと、そんな幼かった日の母を思う。そしてそんな母の血を引く娘も、風の強い晩も昼も好きではないが、さすがに窓を開けて叫びはしない。
Windy Nights 風の強く吹く晩
Whenever the moon and stars are set, 月や星が姿を隠してしまい
Whenever the wind is high, 風が激しく吹く晩はいつでも
All night long in the dark and wet, 暗く湿った中を
A man goes riding by. 一人の男が馬に乗り
Late in the night when the fires are out, 一晩中駆け抜けてゆく
Why does he gallop and gallop about? 暖炉の火も消え夜も更けているのに
どうして彼は駆けに駆けていくのだろう?
Whenever the trees are crying aloud,
And ships are tossed at sea, 木々が泣き叫び
By, on the highway, low and loud, 船が荒波にもまれるときはいつでも
By at the gallop goes he. 低く、大きな音で街道をあの男は駆け抜けていく
By at the gallop he goes, and then そして引き返してきてまた駆けぬけていく。
By he comes back at the gallop again.
そしてマウンテインウェストの州の大学へ行ったとき、彼の”Bed In Summer"の詩の意味を体感したものだ。それは、冬は暗くてまだ夜なのに蝋燭の明かりの元で寝間着を着替え、夏にはまだ「昼間」なのに眠らなければならず、陽のまだ高い窓の外のさえずる小鳥や道を行く人々の足音さえ聞こえる「昼間」なのに、眠らなければならないなんて、というような内容の詩である。北米西部では夏は午後10時近くにやっと日が沈み、反面冬の朝7時はまだまっくらな闇の中である。真冬の朝7時のクラスへ遅れまいとシャワーをして洗髪したばかりなのに、きちんとドライヤーをあてず、トーストを片手に急いで家を出たりした若かった私。そんな時、この詩が口をついたものだ。
In winter I get up at night
And dress by yellow candle-light.
In summer quite the other way,
I have to go to bed by day.
I have to go to bed and see
The birds still hopping on the tree,
Or hear the grown-up people’s feet
Still going past me in the street.
And does it not seem hard to you,
When all the sky is clear and blue,
And I should like so much to play,
To have to go to bed by day?
子供たちが幼かった頃、幼稚園からして、すでに詩の暗唱は課題にあり、どの子供も楽しんで暗唱していた。それならば、と、この詩集を教えると、スルスルと音がするように覚えていった。暗唱することで韻を踏むことを習っていった。そういえば、三年前の12月長女の長男、つまり孫#1は、当時三歳で、スーパームーンを見たいと言い出し、私はこの子を毛布にくるんで抱いて夜空を見上げた。その時、突然さらりとFive Little Pumpkins(五つのパンプキン)という詩をこの子供は暗唱したのだ。一言も間違わずに。
その夜私は娘に二冊あったスティーヴンソンの詩集の一冊をあげた。「きっと孫#1も読むのを喜ぶと思うわ。」と。その孫#1も今はTK(4歳児から始める幼稚園;合衆国では通常5歳から)へ通い、学校を楽しんでいる。帰宅すれば、5か月になる弟(孫#8)とよく遊んでいる。
ドイツの孫#3も三歳になり、八か月の弟(孫#6)にいろいろな歌を英語やスエーデン語で教えている。その合間にママを手伝ってパンやクッキーを作っている。この二人が暗唱するだろう詩は何語だろうか。
そして同じ三歳の孫娘(孫#4)も、今月からモンテソリーのプリスクールへ。学校の名前と担任の先生などの描かれた黒板を持たされて登校初日の孫は本当に嬉しそうで、一人っ子の彼女はとにかくプリスクールで、あるいは日曜学校の託児で、一緒に遊べる子供たちに会えるのを楽しみにしている。とても未熟児として誕生したとは思えない健康を恵まれ、すくすくと育っているのは実にありがたいことである。そのうちにきっと両親を前に、覚えた詩を暗唱すること間違いなし。五つのパンプキンどころか、七つのスイセンでも詠むのではないだろうか。
そして七か月になる孫#7は、ママが子供の歌を歌うと、熱心にその口元を見つめ、一緒に歌いたがる。この写真は土曜日にラ・ホヤ海岸へ「ママ友」仲よし数人の親子で遊びに行ったとき。パパ譲りでサンフランシスコ・ジャイアンツファン候補である。いつかSF ジャイアンツのファイト・ソングでも歌うのだろう。
【後記】
今回は孫#2と孫#5兄妹は、風邪療養中である。その兄は、洗濯する時、必ず着ていたシャツやズボンのポケットをあらためないと、バッタや蜘蛛や小さなカエルが生息している模様なので、この子は将来ファーブルになるのかもしれない。その妹は、ディズニーのお姫様コスチュームで泥遊びをするツワモノで、おそらくこのお姫様も野球ならばKCローヤルズのファイト・ソングを高らかに歌うことだろう。そして自分がWindy Nightの馬で駆け抜ける人になるだろう。
幸せ家族が目にみえるようです。
日本では働き方改革といいながら政策は、仕方なく、だらだらと長引かせ一向に進展していません。
半数にもなると思われる日本女性の考え方にも一因しているようにも考えられます。経済力のある伴侶を支えなくてはならない世の中です。
年収200万での生活には。無理が有ります。 K
私は子供が5人生まれましたからその後約15年ほど在宅で自分で育てました。勿論夫も育児は参加するのが当たり前と思っていましたので、助かりました。夫の家事や育児参加は彼の両親の教えでもありました。二人の娘たち、また息子の妻たちも自分たちの子供は自分たちで育てる、という考えを持ち、しっかり家庭を築いています。こうしたことは、やはり家庭で教えられることだと思うのですが、夫だから、妻だから、と役割を分けず、出来る者が出来ることをする、という考えをもつことです。夫と私はよく話し合ってきまして、それを見て子供たちも育ちましたから、そのようにしています。
そしてはっきり申しますと、経済力のあるなしではなく、どういう家庭を築くか、十分に両親である夫妻が話し合っていくことだと思います。私だったらば、年収200万円というのは、年収ゼロや199万円よりは、いいことがある、と思いますし、「経済力のある伴侶」がいても妻が働く、というのは、そう悪いことのようには見えませんし、思えません。
幸せかそうでないかは、政府の政策に頼らずとも、意外に自分たちで方向づけられることです。また大金のあるなしにも実はそう関係はありません。幸せというのは、自分がそれをどう見るかによって変わります。大量にキャッシュをポケットに入れることが幸せだと感じる方もいるし、少ないお金を家族で分け合ってお互いの為を思いながら生きていくことも決して不幸なことではありません。そしてたとえ伴侶が大きな経済力を持っていたとしても、私ならば、それはそれで結構、でも私も働いていたい、と思います。