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フロリダの三男が家族4人でカリフォルニアに帰郷した。と言っても、息子はある試験勉強のため、ほとんどとんぼ返りで日曜日の午後にはひとり帰宅したのだが、日曜日の朝教会には、私達夫婦と一緒に行った。息子は、聖餐会で、5分間先日のフロリダの高校の銃乱射事件について語った。その高校は、息子宅のすぐ近所である。
息子一家の通う教会に、最近改宗した盲人男性がいて、その息子はその高校へ通う。あの日乱射が始まってすぐ携帯電話で息子は父親に電話をしてきた。「おとうさん、銃乱射が始まったんだよ、今。僕は。。。」そこで電話は切れ、父親が何度かけても答えはなかった。どれほどの苦しみがその父親を襲ったことだろうか。なにをしていいのかわからず、本当の暗闇にいるような気持ちから、彼はひざまずいて祈り始めた。どうか息子がバリケードの中で無事でいますように。。。
その息子は、電話を掛けた後、すぐに机や棚や椅子などで鍵をかけた戸口にバリケードを築き、明かりを消し、教室の隅の窓のない所に隠れた。結果その息子は難を逃れたが、頬や額に奇妙な火傷を負った。それは壁を突き破って飛び交う銃弾が、あまりの熱さで、顔すれすれに飛んだ時できた火傷だった。それでも彼は助かったのだ。一つの弾にも当たらなかった。そして彼の友人の何人かは犠牲者となった。
三男が、話の最後に暗唱した聖句は、心に残った。息子はこの聖句が、祈っていた父親に届いていた、と語った。Peace I leave with you, my peace I give unto you: not as the world giveth, give I unto you. Let not your heart be troubled, neither let it be afraid「わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません」(ヨハネ14章27節)
私の住む市は、小さいのに、5校もかなり大きな高校がある。3月1日その二つ(一つは私の子供達が卒業した高校)に、銃乱射の脅迫があり、襲うという翌2日は、学校を閉鎖することに教育委員会は決めた。ところが、2日の早朝午前2時過ぎ、調べのついた完全武装の警官隊が、脅迫犯人と思われる者の自宅を急襲し、そこに住む15歳を逮捕連行した。閉校はただちに解除されたが、その二校には、念のため早朝から多くの警官が警護のために待機していた。そのひとつの高校に通う双子の娘を持つ同僚が、オフィス始業後、私のところへ来て、話した。「今朝妻と共に二人(の娘)を高校へ送って行った時、多くの警官を見て、妻が言ったんだよ、”なにが起ころうとも、私はあなたたちみんなを深く愛しているのを忘れないでね。”と。娘達は泣き出したが、脅しの犯人は逮捕され、何事もなくて本当によかったよ。」その同僚の妻も、別の学校ではあるが、教師である。
そんな世の中に私達は生きている。私がオフィスで受けた銃乱射に対する訓練は、各学校の生徒・学生も同様に、受けている。銀行や役所や、とにかく見知らぬ人がやって来る公的・私的機関はおそらく皆、そうである。先週末カリフォルニア州ナパの退役軍人の療養ホームでも銃乱射は起こった。そして皆、警察や助けは、何秒で来ることはなく、素早く駆け付けるとしても数分であることを知っている。フロリダの高校では、銃を所持している高校のキャンパスポリスの数人は、乱射が始まっても、中へ入ろうとせず、外で躊躇していたのは、すでにニュースになった。もし武装した人々が中に入って、乱射する者を先に撃てていたら、二桁の死者はもっと少なかっただろう。だから、絶望的に自分の身は自分で守らなければならない、ということが誰もの心の根底にある。そういう世の中に生きているのだ。
銃規制は、これほど多数の銃乱射事件が起こる以前の20年前よりも、はるかに厳しくなっている。誰もがこれは新な銃規制法案を作るだけでは、予防できないことだと知っている。その銃規制をより強めても、しっかり守られていないのに、よりよい結果が出るとは誰も思っていない。何故ならこうした事件の背景には、銃規制では守れ切れない大きな穴が、銃自体とは関係なく存在するからだ。世の多くの人々の間では、尊敬、尊厳という言葉は、ほとんど死語化しているのだ。1960~1970年代のヒッピーに代表される退廃的文化から発祥したpermissive society(寛容社会)が、普通となり、それまで黒とされていたことは白となり、白とされてきたことは黒となった。そんな世の中なのである。
先日は全米で3千校の高校生などが、Walkout(歩いて外へ出る=でモンストレイションの一種)を行った。盛んに銃規制について語っていたが、それを見て、本当にこうした若い人々が話し合わなければならないのは、より厳しい銃規制よりも先に、お互いを尊敬し、親切であるべきではないのか、と私は思った。苛めをなくすことが先決ではないのだろうか?
フロリダの高校の犠牲者で、大怪我を負った少女は、病院ではっきりと言った。「銃規制ではないんです。家族です。多くの人が愛する家族を持たないのです。家族が昔からしてきた子供を躾け、愛して世話をする、というのが希少な事になったからなのです。」 彼女に一票!
初めて旅行で渡米したのはロス暴動の頃、ニューヨークでは高校生が今回のようにデモをしていた日でした
躾って本当に大切です、経済的豊かさとは別の精神的な支えとなり、人間としての本質を作ってくれると思います