ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

奉仕の喜び

2024-03-08 | 人間の愛
「自分自身を見つける最良の方法は、
他人への奉仕に没頭することです。」
マハトマ・ガンジー、1869-1944





アウシュヴィッツの司祭について。

第二次世界大戦中、ポーランド・カトリック教会の司祭マクシミリアン・コルベはユダヤ人やポーランド難民をナチスから匿った罪でドイツのゲシュタポに逮捕された。 アウシュヴィッツ強制収容所から3人の囚人が失踪したとき、副収容所長はさらなる逃亡の試みを阻止するために餓死させる10人を選出する命令を出した。 これら10人のうちの1人、フランチェスコ・ガヨヴニチェクが泣き叫び始めた。「妻よ! 私の子供たち! もう二度と会えないことになってしまった!」 この時点で、コルベは前に進み、帽子を取り、こう言った。「私はカトリックの司祭です。 私に彼の代わりを務めさせてください。 私は年をとりました。 彼には妻と子供がいます。」 驚くべきことに、指揮官はその要求を許可した。

飢餓独房では毎日ミサを捧げ、仲間の囚人たちと賛美歌を歌った。 2週間の脱水症状と飢餓の後、コルベだけが生き残った。 しかし、彼の独房は他の消さなければならない囚人のために必要だったので、コルベには致死性の注射が施された。 居合わせた人々によると、彼は左腕を上げて静かに注射を待ったという。

受刑者たちについて。

2016年6月にテキサス州パーカー郡で脱獄事件があり、そのおかげで今生きている刑務官がいる。 受刑者らが留置場で出廷を待っていたところ、監視していた刑務官が突如床に倒れた。 受刑者たちは助けを求めたが、誰も現れなかった。彼らは彼ら全員の体重を使って独房のドアを破壊した。 彼らは逃げるのではなく、助けを求めながら倒れた刑務官を助けに行ったのだった。 刑務官の無線を試した人もいた。 やがて、騒ぎを聞きつけた看守が入ってきた。受刑者を独房に戻した後、倒れた刑務官に心肺蘇生が施され、その命は救われた。 「看守や刑務官が銃を持っていても、私たちが気絶した監視の警官を助けないということは考えもしなかった」と受刑者のニック・ケルトンはWFAA(テキサス州ダラスのTV局)に語った。 「もし誰かが倒れたら、自分が助けるよ。」



曇りの日、雨の日には、ひまわりはお互いのほうを向いて
エネルギーを分かち合う。 
私たちもお互いの人生のひまわりになりたい。








家族の時間

2024-03-05 | 家族



昨年は夫の発病と葬儀で2回訪米した次男は、今回は慶事で来加した。アリゾナ・メサで妻の親族の結婚披露宴があるためだが、ついでに南アリゾナのツーソンへ足を伸ばして伯父夫婦へ挨拶に伺いたいと言うので、長男と二人で訪う。次男の義理弟がアメリカ人と結婚し、アメリカでの披露宴を開く。スェーデンからは義理両親も出席するのだが、次男の妻は再び大学へ戻り、今度は教師となるため勉強しており、小学校での実習に入り、我が子7歳と4歳を置いていけないとのことである。それで次男が来米となった。披露宴は今週末でそれまで次男は長男と共に我が家で過ごす。

思いがけない小さなヴァケイションになり、ちょうど母親の様子を見に、そして姉妹兄弟、甥たちに会いたいとのこと。私?私は死ぬまで死なないし、大丈夫よ、と言った。

朝の新鮮な搾りたてのオレンジジュースを振る舞おうと、末娘の夫(別名:婿殿)は、土曜日の朝早く、家庭果樹園のネイブルオレンジを沢山収穫してくれた。赤ちゃんの頭ほどの大きさのオレンジがゴロゴロあって、今年もかなりなってくれた。

大きな物は、グレイプフルーツの隣にこの木々はあり、グレイプフルーツの花粉が混入したのか、こんな大きくなったのかもしれない。生食でもジュースでも甘くて美味しい。婿殿によれば、まだまだなっていて、マンダリン(日本みかん、サツマ)も全て取り切っていないと言う。このオレンジの半分以上は婿殿の実家に持って行ってもらった。彼の母親は、レモンは色々な方からいただくが、ネーブルオレンジはなかなかない、と以前ぼやいていたので、お渡しすることにした。夫の丹精してきた果樹がどなたかに喜んでいただけたら、本望である。



私は、カレーライスに餃子にチキンの唐揚げ(我が家ではチビチキンと呼ぶ)に、と極々庶民的な「ご馳走」を、と心づもりしていたが、再会してまず次男は、「おかあさん、コスコに買い物に行ってくるから。」と言う。自分が夕食を作るから、と言う。

下のような父親のエプロンをつけた「あですがた」で次男は手慣れた手つきでエンジェルヘアパスタを茹で、ソースはクリーム仕立てで、アーティチョーク、庭で取れたマイヤーズレモン、少々のガーリックなどで作った。おまけにライムチーズケーキもあっという間に全て手作りし、ついでにメキシカンソルサも。彼のソルサは沢山トマトを玉ねぎと共に湯通しし、それをフードプロセッサーにかけ、セラントロやハラピニョを生のまま入れて撹拌して作る。これは家族には大ヒット。



こんなところ、まるで夫のよう。最後に後片付けも皿洗いも全てこなし、ますます彼の父親のようである。レセピを見ながらでなく、手順はすべて覚えている。長男も三男も次男と同様で、夫はこうしたことを妻や家族にしなさいと、言っていたことは一度もない。せっせと家事をする夫の背を見て、息子たちは学んだに違いない。あの父親の息子たちだなあと思うことしきり。

一方長男は手伝いはいらないからと言う次男に炊事は任せ、1500ピースのジグソーパズルをほとんど一人ここへくる度仕上げていき、とうとう完成させた。最後のシンデレラのドレスの裾の穴の一つは、一人娘にそのピースをはめさせる栄誉を与えて、そんなところはやはり父親にそっくり。完成写真を撮り、すぐほぐして、今度は1000ピースの次男の手土産のコペンハーゲンのパズルである。長女と二人で早速取り掛かり始めた。

 

長女が焼いてくれたサワドゥブレッドをディナーに添えて、みなで食事をしながら、なんでも次男はヘルシンキで売られている一つUS$8のオニギリで梅干しに目覚めたそうで、大好きになり、おかあさん、作って、と言った。OK,これで母の面目がたつ!

それに胡麻のサラダドレッシングも大好きになったと言う。彼の妻はほとんどなんでも日本の物は大好きだが、そのドレッシングだけは好まないと言う。わかった、次男用に明日仕入れてこよう。

思いがけず、次男の成長(?)ぶりを目にできて、親は嬉しかった。そして兄弟姉妹お互いに思いやり、心から家族を大切に思ってくれていることをしっかり感じ、感謝している。これは夫や私がなによりも子供たちに願ってきたことである。

末娘の末息子がちょっとでも機嫌が芳しくなくなると、まずは兄たちが姉妹よりも先に手を伸ばす。そんなところも夫に酷似している。これも父親の背を見てきた子供たちだからだろうか。「私は、だから大丈夫よ、あなたに再会する時まで頑張れます。」と見えない夫にそっと言った。