今日も暑かった。すこしずつ湿度の多い不快指数の高い暑さになってきた。。
地球に優しく、ここまでエアコンをつかわないようにしてきているが、もう時間の問題かもしれませぬ。。
『世間さまが許さない!』 岡本薫 ちくま新書 2009
多様性と価値の相対性をベースとする「自由と民主主義」。
日本は民主主義の国である。確かにそのはずだ。
が、しかしわが国は、「同質性」と「共通モラルの絶対性」をベースとしている「日本的モラリズム」の国だという。
「自由と民主主義」は民主的な手続きによるルールのもとで多様性が認められる。考え方も行動もその範囲内であれば自由だ。
でも、日本はそのルールの範囲内であるにもかかわらず、いいのか悪いのかは「世間」が決めるそんな文化の国。なるほど、確かにそうかもしれないな、と思った。
どうも我々日本人は真の民主主義がわかっていないようだ。
いじめも同調圧力がかかり、異質なものを排除しようとすることから始まる。ルールの中での自由、多様性が認められず、「その場のノリ」「空気読めの空気」がすべての基準・正義となってしまう。「平等」が「同質であること」というゆがめられた形でとらえられてしまっている。
教室で、みんないっしょ仲良しこよしであることを盲目的によしとするのではなく、違いを認め、お互いを尊敬し合うことの大切さを教えなければならないと思う。
また、情報化、グローバル化する社会の中で、これまで同質であった「世間さま」のモラル感覚がバラバラになり、それぞれが自分のモラル感覚を「世間さま」のモラル感覚だと思いこんで行動し主張して混乱を生み出しているようである。
学校では、ルール内での多様性を認める、違いを尊ぶ教育実践と共に、共有されたモラル感覚を重視する日本人らしさを生かせるよう、生き方の中心に据える普遍の原則について教え、習慣化できるようにしていけたらよいのではないかと思った。
「7つの習慣」でいう「原則」は普遍的であり、不変的で、自明的であると学んだ。原則中心の生き方をベースにした、真のとはいえなくても、日本のよさを生かした民主主義社会をつくっていけないだろうか。
地球に優しく、ここまでエアコンをつかわないようにしてきているが、もう時間の問題かもしれませぬ。。
『世間さまが許さない!』 岡本薫 ちくま新書 2009
多様性と価値の相対性をベースとする「自由と民主主義」。
日本は民主主義の国である。確かにそのはずだ。
が、しかしわが国は、「同質性」と「共通モラルの絶対性」をベースとしている「日本的モラリズム」の国だという。
「自由と民主主義」は民主的な手続きによるルールのもとで多様性が認められる。考え方も行動もその範囲内であれば自由だ。
でも、日本はそのルールの範囲内であるにもかかわらず、いいのか悪いのかは「世間」が決めるそんな文化の国。なるほど、確かにそうかもしれないな、と思った。
どうも我々日本人は真の民主主義がわかっていないようだ。
いじめも同調圧力がかかり、異質なものを排除しようとすることから始まる。ルールの中での自由、多様性が認められず、「その場のノリ」「空気読めの空気」がすべての基準・正義となってしまう。「平等」が「同質であること」というゆがめられた形でとらえられてしまっている。
教室で、みんないっしょ仲良しこよしであることを盲目的によしとするのではなく、違いを認め、お互いを尊敬し合うことの大切さを教えなければならないと思う。
また、情報化、グローバル化する社会の中で、これまで同質であった「世間さま」のモラル感覚がバラバラになり、それぞれが自分のモラル感覚を「世間さま」のモラル感覚だと思いこんで行動し主張して混乱を生み出しているようである。
学校では、ルール内での多様性を認める、違いを尊ぶ教育実践と共に、共有されたモラル感覚を重視する日本人らしさを生かせるよう、生き方の中心に据える普遍の原則について教え、習慣化できるようにしていけたらよいのではないかと思った。
「7つの習慣」でいう「原則」は普遍的であり、不変的で、自明的であると学んだ。原則中心の生き方をベースにした、真のとはいえなくても、日本のよさを生かした民主主義社会をつくっていけないだろうか。