日曜日の朝、愛犬「ポッキー」が他界した。
享年12歳2ヶ月
2日くらい元気が無かったが、今年の暑さのせいかと思っていた。
毎年、夏には食欲が落ちるし・・・
病気も抱え、付しろ足が不自由になってもいた。
もっと、してあげられる事があったと思うが、後悔先に立たず。
ゴメンな
安らかに眠りたまえ
先月はお隣の奥さんが、先日はバイク仲間の訃報に触れ、今回は愛犬。
こうして書くのも辛いな~
享年12歳2ヶ月
2日くらい元気が無かったが、今年の暑さのせいかと思っていた。
毎年、夏には食欲が落ちるし・・・
病気も抱え、付しろ足が不自由になってもいた。
もっと、してあげられる事があったと思うが、後悔先に立たず。
ゴメンな
安らかに眠りたまえ
先月はお隣の奥さんが、先日はバイク仲間の訃報に触れ、今回は愛犬。
こうして書くのも辛いな~
先月末は悲しいことがあって、結構辛かった。
今日から9月という事で気持ちを切り換えて行こうと思う。
それには、趣味のことを考えるのが良いだろう。
すこし考えながら書くと良いだろう。
私は、アナログな機械式カメラがかなり好きだ。
客観的に見て、どちらかというと、写真が好きというより、カメラが好きなようだ。
なんだろう・・・
あの、金属の質感や、手に持ったときの手応え、フィルムを巻き上げ、露出を決めシャッターを切るまでのプロセス。
その辺が好きなのである。
以前は、フィルムを自動で巻き上げる一眼レフも所有していたが、イマイチ愛着が湧かず、全て手放してしまった。
あれは、デジカメと操作感に差が無い。
矛盾しているようだが、だったらフィルムの入れ替えがあるだけ面倒だとさえ思った。
機械式アナログカメラに愛着を感じるのは、写真を撮る事ではなく、道具を儀式的に操作する部分である。
その儀式的に操作する部分の延長線上に、写真があるという、変なこだわりみたいなモノなのだ。
かといって、写真も撮りたいのだが・・・
この、面倒な儀式的な操作をして時間をかけて撮る写真は悪くない。
一枚一枚、手動で巻き上げて、悩んだり迷ったりで構図を決め、露出を出してシャッターを切る。
このプロセスを踏んでも直ぐには自分の撮った写真を拝むことは出来ない。
フィルムを手動でパトレーネに巻き上げてカメラから外して、写真屋のカウンターに置いた瞬間から出来上がるまでの時間を待つという楽しみもあるのだ。
出来上がった写真と写した愛機を手に、一喜一憂することでエピローグを迎える。
フィルム選びというプロローグから、ここまでのプロセスにじっくり向き合うからこそなんだと思う。
この感覚は、もう一つの趣味の単車にも似たモノがあるなぁ。
単車のこだわりは別の機会に書こうと思う。
好きな趣味の道具は機械と会話するようなやりとりが無ければ味気が足りない。
今日から9月という事で気持ちを切り換えて行こうと思う。
それには、趣味のことを考えるのが良いだろう。
すこし考えながら書くと良いだろう。
私は、アナログな機械式カメラがかなり好きだ。
客観的に見て、どちらかというと、写真が好きというより、カメラが好きなようだ。
なんだろう・・・
あの、金属の質感や、手に持ったときの手応え、フィルムを巻き上げ、露出を決めシャッターを切るまでのプロセス。
その辺が好きなのである。
以前は、フィルムを自動で巻き上げる一眼レフも所有していたが、イマイチ愛着が湧かず、全て手放してしまった。
あれは、デジカメと操作感に差が無い。
矛盾しているようだが、だったらフィルムの入れ替えがあるだけ面倒だとさえ思った。
機械式アナログカメラに愛着を感じるのは、写真を撮る事ではなく、道具を儀式的に操作する部分である。
その儀式的に操作する部分の延長線上に、写真があるという、変なこだわりみたいなモノなのだ。
かといって、写真も撮りたいのだが・・・
この、面倒な儀式的な操作をして時間をかけて撮る写真は悪くない。
一枚一枚、手動で巻き上げて、悩んだり迷ったりで構図を決め、露出を出してシャッターを切る。
このプロセスを踏んでも直ぐには自分の撮った写真を拝むことは出来ない。
フィルムを手動でパトレーネに巻き上げてカメラから外して、写真屋のカウンターに置いた瞬間から出来上がるまでの時間を待つという楽しみもあるのだ。
出来上がった写真と写した愛機を手に、一喜一憂することでエピローグを迎える。
フィルム選びというプロローグから、ここまでのプロセスにじっくり向き合うからこそなんだと思う。
この感覚は、もう一つの趣味の単車にも似たモノがあるなぁ。
単車のこだわりは別の機会に書こうと思う。
好きな趣味の道具は機械と会話するようなやりとりが無ければ味気が足りない。