飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」「万里一空」「雲外蒼天」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

一文は無文の師、他流勝つべきに非ず。昨日の我に、今日は勝つべし

2023年04月24日 08時02分16秒 | 教育論
柳生石舟斎の言葉で「一文(いちもん)は無文(むもん)の師、他流勝つべきに非ず。昨日の我に、今日は勝つべし」というものがある。

意味は次のように訳されている。
「自分がまだ知らない有益な一つの思想があったら、知っている人に謙虚に学びなさい。
 兵法をやっているからと言って自慢気に技を披露して相手を打ち負かすようなことをやってはならない。
 ただ、自分の成長のみを目的として、日々人格や品性を高めていきなさい。」

常に周りにいる人達から謙虚に学び、自分のしっていることをひけらかすようなことはしてはいけない。
このことは教師である我々も心しておかなければいけないことだ。
比較すべきはこれまでの自分自身であり、本当の敵とは自分の弱い心であることを言っている。
日々新たな気持で自分自身を更新していくことの大切を感じさせてくれる。

教育界には多くの教育技術が存在し、効果があるものもないものも混在する。
「正しい基本」が定められているわけではなく、その人が正しいとおもっていることが存在しているだけだ。
もし、唯一その根拠を示すなら、自分自身の経験則に基づく実感と子供の事実だけが拠り所となる。
どんな立派なスローガンを掲げても、授業で子どもたちが熱心に取り組まなかったり、一部の子だけが活躍し、全員が目標をめあてを達成できないのであればそれは優れた方法とは言わない。
最近の教育は、方法論が先にあり、子供の実態が置き去りにされている。
もっと、教育はシンプルに、子どもたちの向上的変容だけを求めるべきだと考える。

saitani
コメント
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