飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」「万里一空」「雲外蒼天」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

自己肯定感をどう捉えるのか

2023年04月29日 23時07分46秒 | 人生論
敎育の世界ではよく「自己肯定感」を育てることが大事だと言われる・
授業においても、学級経営においてもこの自己肯定感の育成がすべての基本となっている。
しかし、この自己肯定感とは一体なんだろうと考えると、うまく表現できない。
どうしたら人間は自己肯定感をもつことができるのだろうか。

ある青年の言葉の中にその答えがあるように感じた。
引用する。

「真の自信はできる自分になったときでなく、何もできない自分を認めたとき生まれる。」
僕は自信を持つために、世間や人に認められるための努力をしました。
世間から認められる資格を取ろうとしたり、高価なブランドを持ったり、仕事で成功しようとしたり、またあるときは、良い人に見られたくて人の目を過度に気にして変な気遣いをしました。
他にも、自信持つために様々な努力を続けました。
しかし、その様な努力で得た自信は、一つの事で認められても、違う事で失敗したり、自分より上の人が現れるとすぐにぐらつきました。
それでもさらなる努力を続けたものの、どれだけうまくいっているときでも、平穏になると心がざわつき、さらに刺激を求め、もっともっという気持ちに駆り立てられました。
他にも問題は何もないのにどこか不安だったり、すぐに焦ったり、空しさが消えませんでした。

そんな際限なく続く空回りから僕が抜け出すきっかけになったのは、それまでの努力と真反対の方法でした。
それは、「ダメな自分を出しそれを人に認めてもらったこと」自分の中にそれまでなかった強い自信が生まれたのは、驚くことに「できる自分を人に認められた」ときではなく、「ダメだと思う自分を人に見せ、それらをすべて受け入れられた」ときでした。

自分の情けない姿や本音を出したら相手に嫌われると思っていましたが、そんな自分でも見捨てられず受け止められたとき、僕は自分の「存在そのものに自信」を持てる様になりました。

「人は今の自分のままでいいと、一旦今の自分を受容できたとき、始めて自分の存在を根底から肯定できるようになる。」

それまでの僕はできる自分でなければダメ、努力をやめたら自分はダメになると思い込んでいたために、ありのままの自分の存在を肯定できなくなっていました。

やればできると思える行動レベルの自信を「自己効力感」といいます。
自分の存在そのものを認められる自信を「自己肯定感」といいます。
「行動や結果への自信(自己効力感)をつける前に、存在そのものの自信(自己肯定感)をつける。」
この順番が肝であり、とても大切。

一旦、存在への自信(自己肯定感)を持った人は、困難に強く、人と比べないで自主的にコツコツ努力できるようになる。
結果をだすだけでは存在への自信(自己肯定感)は必ずしも育たない。

僕は自信をつけるための順番を間違えたばかりに空回りしていました。
これは子育てや部下の育成でも同じ。
行動や結果への自信(自己効力感)をつけさせようと焦る前に、存在そのもののを受け入れ、自信(自己肯定感)を育てられる人になる事で、相手は見違える様に変わる。

ただし、自分を認めている人でないと未熟な相手は認められない。
何かができる自分ではなく、何もできない自分を認められるか?
誰にも愛されたことがない人は、他人を愛することできない。

僕は幸運にも愛情と確かな知識のある人たちに出会え、ありのままの自分を認めてもらえたことで、世界中が敵になっても、自分は自分の味方だと思え、うまくいかないときの自分も、汚い自分も、どんな自分でも、いつも肯定できる様になっていきました。

そして、自分だけでなく人の中に眠る力も信じられる様になりました。

引用終わり。

あるがままを認め愛する。
何かができるから、すごい結果を出したから偉いのではない。
苦しい、不安の中、努力したその行為や自分そのものが意味があるのだ。
そう教えられた気がした。

saitani
コメント
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