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介護、ワンオペ育児、子宮摘出…"壁に穴だらけ"の家で3児育てる40代女性が耐えた「罵詈雑言の夜」

2021-11-01 15:30:00 | 日記

下記の記事はプレジデントオンラインからの借用(コピー)です

近畿地方に住む40代の女性は20代で結婚・出産して以降、苦労の連続だった。精神的に弱い夫は壁に穴を開け、妻に罵詈雑言を浴びせる。一時同居した義父は目が不自由で介護が必要だ。両親も肺炎や認知症を罹患した。ワンオペで3児を育てる女性はパニック障害になり、その後、子宮摘出することに――
この連載では、「ダブルケア」の事例を紹介していく。「ダブルケア」とは、子育てと介護が同時期に発生する状態をいう。子育てはその両親、介護はその親族が行うのが一般的だが、両方の負担がたった1人に集中していることが少なくない。そのたった1人の生活は、肉体的にも精神的にも過酷だ。しかもそれは、誰にでも起こり得ることである。取材事例を通じて、ダブルケアに備える方法や、乗り越えるヒントを探っていきたい。
「こんな人生があるのか」20代で結婚以降、苦難続き壮絶
近畿地方在住の松野貴美さん(40代・既婚)は、中学・高校と陸上部に所属した。高3の頃、市の大会に出場した際、応援に来ていた2歳先輩の夫と知り合い、1995年に20代で結婚。翌年には長男、1998年には長女を出産した。
メーカーに勤める夫は、若い頃から精神的に弱いところがあった。松野さんは結婚前からそのことを知っていたが、「まさかここまでとは思わなかった」と苦笑する。
夫は数年に一度くらいの頻度で気が大きくなったり、手がつけられないほど落ち込んだりする。気が大きくなるときは、高額な買い物をしたり、突然「仕事を辞めて大学に通う!」と言い出して資料を取り寄せたり、マシンガンのように喋り続けたりし、ひどく落ち込むときは、仕事ができなくなるだけでなく、食事を摂らなくなったり、入浴しなくなったり、松野さんはじめ、身近にいる人を2〜3時間誹謗ひぼう中傷し続けたりした。
義父は網膜色素変性症のため、幼い頃から目が見えづらかったが、2000年(当時55歳)以降、年を重ねるにつれて悪化。介助してきた2歳下の義母も50代のため、「2人暮らしでは不安だから」と、義両親から同居することを懇願される。
松野さん夫婦は同居することを承諾したが、当時は長男が4歳。長女が2歳。手がかかる時期に夫は子育てに全く協力しないばかりか、調子が悪くなると松野さんを精神的に振り回し、義両親には気を使う生活に、松野さんの限界が来た。
義両親との同居から3年で別居を切り出した松野さんを、義両親と夫は聞き入れ、松野さん夫婦は、実家と義両親の家の中間ほどのところに新居を購入し、移り住んだ。
「今振り返ると、私の若気の至りとしか言いようがありません。私が一方的に義両親に対して拒絶反応が出てしまうようになっていて、いつも家の中が険悪な空気になっていました……」
松野さんは自嘲気味にこう話すが、まだおむつが取れるか取れないかの幼い子どもを2人も抱え、目の見えない義父をサポートしながら、精神的に危うい夫や高齢の義母に気を使いながらの生活は、想像を絶する苦労があったはずだ。
「お前はダメだ!」罵詈雑言を3時間浴びせる夫が抱えていたもの
2002年に3人目の子供となる次男が生まれたが、夫は精神が安定しているときでも、一切子育てに協力しない。調子が悪くなると、幼い子どもたちを一人で世話する松野さんに対して見下した態度を取り、「お前はダメだ!」「頭がおかしい!」などと、罵詈ばり雑言を2〜3時間浴びせ続けた。
この頃すでに夫は精神科へ通院していたが、時には薬を大量に飲んで大暴れして救急車で運ばれたり、物を投げたり壁に穴を開けたりするため、新居は数年で傷や穴だらけになった。
「子どもに被害が及ぶこともあるので、小さいうちは子どもたちを守るのに必死でした。誹謗中傷に対して言い返したり、やり返したりすると数十倍になって返ってくるので、黙って嵐が過ぎ去るのを待つしかありませんでした」
夫は躁うつ症状が出ると休職で無給、自分は“ワンオペ”でパニック障害
結婚前は看護師をしていた松野さんは、産後は資格を活かし、ヘルパーの仕事を始めた。育児と家事、仕事に追われ、夫の症状が出ると動悸や不眠の症状が出るようになったため、心療内科を受診すると、パニック障害と診断。精神安定剤や睡眠薬を服用し始める。
夫の不調時の対応に悩んだ松野さんは、心療内科医に相談すると、「旦那さんはおそらく双極性障害でしょう」と言われた。
「夫に躁うつの症状が出るのときは、おそらく仕事上のストレスが原因だと思います。長年勤めていますし、理解がある会社で、症状が悪化するとちょこちょこ休職させてもらっています。しかし休職中は無給なので収入はなくなりますし、夫がずっと家にいるので気がめいります。次男が小学校に上がるまでは本当にしんどかったです」
子どもの頃から走るのが好きだった松野さんは、中学の頃から市の陸上部に所属していたが、結婚や出産を機に活動を休止。次男が小学校に上がってから再開したところ、市役所に勤める陸上部仲間から、「介護認定調査員が不足しているんだけど、挑戦してみない?」と声をかけられ、試験を受けることに。無事合格した松野さんは、ヘルパーを辞め、2008年から認定調査員として働き始めた。
夫と義父のケアに仕事…多忙な中、次男と自分にがんの疑い
2014年。中学生になった次男が熱を出した。風邪だと思って様子を見ていたが、微熱が1週間以上続き、鼻の奥がみるみる腫れてきた。
心配した松野さんが病院へ連れて行くと、「がんの可能性があるので、念のため入院してください」と言われる。入院中は毎日のようにさまざまな検査を受けたが、次第に熱が下がり、鼻の奥の腫れも治まってきたため、10日ほどで退院。その後に検査結果が出たが、がんではなくウイルスによる「単核球症」と診断される。
単核球症とは、発熱やリンパ節の腫れなどの症状を起こす急性感染症だ。数週間で症状が治まっても、肝臓や脾臓が肥大化している場合があり、腹部に衝撃や圧力がかかると破裂することがある。脾臓が破裂すると、出血性ショックで重篤化する危険性が高いため、肥大した状態が治まる2カ月ほどは、転倒や打撲、外傷に気をつけ、力仕事や人と接触するスポーツは避けたほうがいい。
松野さんと同じように陸上部で活動していた次男は、「2カ月くらい、激しい運動は避けてください」と医師から告げられ、残念そうな顔でうなずいた。
その翌年、市の健康診断を受けた松野さんは、子宮で再検査となり、婦人科を受診。超音波検査などの結果、「高度異形成」と診断される。
高度異形成とは、子宮頸がんの一歩手前の状態だ。すぐに細胞診を行い、異常が認められれば、組織診を行い、確定診断となる。
松野さんは入院し、病変部分だけを取り除くか、子宮全部を摘出する手術を受けるか選択を迫られる。松野さんは「子どもは3人産んで、もう産むことはないだろうから、子宮を摘出してもいいかな」と判断し、子宮の全摘出手術を受け、1週間ほどで退院。その間子どもたちは実家の両親に世話になり、夫は義実家へ行っていた。
おまけに近隣に住む両親にも異変が「父は肺炎、母は認知症」
松野さんは、結婚後も週に1〜2回は実家へ顔を出していたが、2016年に入ると、当時62歳の母親におかしな言動が見られ始める。松野さんが来ると、必ず母親は、何も言わなくても松野さんが好きな、砂糖と牛乳を入れたカフェオレを作ってくれたが、ある日突然、「砂糖何杯入れる?」「牛乳どれくらいだった?」と訊ねるように。
また、きれい好きで、部屋はいつも整理整頓し、食卓の上には何も置かない主義だった母親だが、次第に実家が散らかり始めた。洗面所には洗濯洗剤が何十個と積み上げられ、キッチンの戸棚には封を切られた醤油が何本も並び、食卓の上にはモノが溢れ、食事ができないほどになってきていた。
「ヘルパーをしていましたし、介護認定調査員という仕事柄、『もしかして認知症かも……』とは思っていましたが、しっかり者だった母が認知症になった現実を受け入れられず、私は気づかないフリをして、だんだん実家から足が遠のいていきました」
ところがその年の8月。当時15歳の次男が、夏休みなので、松野さんの実家へ遊びに行って戻ってくると、「じいちゃん、ものすごく調子が悪そうだったよ」と言う。それを聞いた松野さんは、すぐに実家へ父親の様子を見に行った。すると父親は、足がむくんでパンパンに腫れ、熱もあり、「夏バテ気味で息が苦しい」と言ってフラフラな状態。松野さんが急いで病院へ連れて行くと、医師は父親の肺が真っ白に写ったレントゲン写真を見せながら、「肺炎」と診断。すぐに入院することに。
当時64歳だった父親は、42歳の頃に胃がんを経験している。胃を全摘出して以来食が細くなり、がんの再発こそなかったが、ずっと体力が戻りきらずにいた。
一方母親は、父親が肺炎で入院したと聞くとひどく動揺し、松野さんが父親の病院に面会につれていくと、トイレに行ったきり迷子になることが頻繁にあった。
母親は徐々に認知症が進み、ご飯は炊くことができたが、炊きすぎて悪くしてしまったり、できていた料理もやり方が分からなくなったりしていた。父親が入院し、松野さんは実家に1人きりになる母親が心配だったが、この頃、高3の長女は通っていた看護学校の実習先で患者の死に直面し、看護師になることを躊躇。アトピー体質だった長女は、全身にアレルギー症状が出てしまうほど悩み、結局、看護学校を退学。さらに、夫が数年に一度の不調で休職して家におり、松野さんは母親をサポートしたくてもできない状況に陥っていた。
幸い、当時80代の島暮らしの父方の祖父母が、入院した息子(松野さんの父親)を見舞うため、実家に滞在して母親をサポートしてくれることになり、松野さんはほっと胸をなでおろした。

「目の前で失禁・大便」人間崩壊する母の介護をする娘が心の平穏を辛うじて保てた"ある活動"

ゴミ屋敷の実家の片付け「捨てる予定のモノが必ず戻された」ワケ
前編から続く。
20代で結婚・出産して以降、近畿地方に住む松野貴美さん(仮名・40代・既婚)には信じられないほど多くの試練がやってきた。
夫は精神に不調をきたすと壁に穴を開け罵詈ばり雑言を吐く、義父は目が不自由で介助が必要だ、実父はかつて胃がんを患い最近は肺炎で入院した、実母は認知症になった、そして自分自身は介護認定調査員の仕事をしながら、3人の子どもを育て、親たちのケアもしてきた。心身のストレスからパニック障害になり、子宮頸がんの一歩手前の症状を抱えた。
実父が肺炎で入院したため、実家には認知症の実母がひとりで暮らしている。仕事と育児の合間に松野さんはモノが溢れ、足の踏み場もなく、ゴミ屋敷と化した実家の片付けを始めた。父親は退院後、介護が必要になると思い、先んじて介護環境を整えておこうと考えたためだ。
しかし、実家の片付けは難航することになる。両親が夫婦で理容室を営んでいた実家の片隅の、もう使われていない店舗部分に不要な家具や荷物を集めて、後日運び出そうと考えるが、店舗部分に置いたはずのモノがいつのまにか戻されていて、なかなか片付けがはかどらない。母親の仕業だった。
「母が認知症になる前は、私は母と喧嘩なんて一度もしたことはありませんでした。でも実家の片付けをしていた頃は、何でもかんでも『これはまだ使うんじゃ!』『何でも捨てやがって!』と怒られて、何度喧嘩になったかわかりません」
実家を片付けていると、タンスの裏などから何枚もの福沢諭吉が出てきた。以前、松野さんが時々実家に顔を出していた頃に、母親が「お金がなくなった。泥棒に盗られたかもしれん」と言っていたことがあり、松野さんは、「そうかもしれんけど仕方ないわ」と言って聞き流していた。松野さんは、自分でどこへ置いたか忘れてしまう認知症特有の症状だと気づきながらも、見て見ぬ振りをしてきた自分を責めた。
それでも約1カ月後には、2トントラック4台分の不要物を処分し、父親を介護できる環境を整えることができた。
肺炎だった父は無事退院したが飲み薬の副作用が…64歳で急死
そして2016年9月末、父親は退院し、実家へ戻って来た。ところが父親は、四六時中倦怠感を訴え、起き上がるとフラつき、ほとんど寝たきり状態となってしまう。
実家へ戻ってきて2日後、あまりに父親の様子がおかしいため、病院へ連れて行くと、飲み薬の副作用で肝機能が悪化しており、そのまま入院することに。
そして10月半ば、肝炎を起こした父親は、肝不全のため急死した。64歳だった。
松野さんは、葬儀の手配、親戚や父親の友人への連絡、今後の母親の介護のことなど、やらなくてはならないことや考えなくてはならないことが多すぎて、悲しんでいる暇がなかった。
「葬儀中、母が友人たちの前で泣き崩れている姿を何度も目にしましたが、私には母をいたわる余裕も、自分自身が涙を流す余裕もありませんでした。正直、私は一人で両親を介護するのは難しいと思っていました。父の再入院後、父も私も父の死が近いことが分かっていたため、今後の母の介護やお金のことなどを父に相談することができたのは、良かったと思います」
松野さんは再入院した父親の面会の帰り道、ふいに前が見えなくなり、車を端に停めた。
愛する父はもうじき死ぬ。母も、もう昔の母ではなくなった。仕事や育児は待ったなし。精神科に通いながら働く夫にはSOSを出せない……。孤立無援の私は、この後、どう生きていけばいいのか。不安が全身を覆いつくし、自然と目から溢れ出るものがあった。
若年性アルツハイマーの母親はスマホを使えなくなった
父親が亡くなり、母親を一人にしておけないと考えた松野さんは、母親を自分の家に呼び寄せ、同居することにした。
ちょうどこの頃から夫は他県へ単身赴任が決まり、社会人になった長男は家を出ていた。長女は看護学校を辞めてから美容系の仕事に就き、忙しくしていたし、次男は学校と陸上部の活動でほとんど家にいなかった。それでも子どもたちは、家にいるときに祖母が危ないことをしそうなときは「ばあちゃん、危ないよ」と声をかけたり、サポートが必要なときは手を貸したりしてくれた。
母親を病院に連れて行くと、「若年性アルツハイマー」との診断がついた。介護認定調査の結果は、要介護1。松野さんはすぐにデイサービスの利用を申し込んだ。
母親は、この頃はまだ自分のことは自分ででき、簡単な家事なら手伝うこともできたが、短期記憶が弱くなってきており、すぐにモノを失くし、何度教えてもテレビのリモコンや携帯電話の使い方が分からなくなる。また、雑巾がけをしても掃除機をかけても、同じところばかり繰り返しかけていた。
「床屋をしていた両親は、人に好かれる朗らかな性格でした。特に母は、よく動き、よく気がつく、笑顔の多い癒やし系。私には3歳下に妹がいますが、私も妹も母のことが大好きでした」
起床は5時、子どもたちの弁当を作った後、出勤するが…
松野さんは平日、朝5時ごろに起きて子どもたちと自分の弁当を作り、電車通学をしている高校生の次男を起こし、車で駅まで送っていく。
次に母親を起こして、自分も食事をしながら母親の食事介助をし、終わったら着替えさせる。長女を7時ごろ起こしたあと、8時ごろ母親をデイサービスに送り、仕事に出る。
認知症の症状が進んできた母親は、出発ギリギリに大便や失禁をしてしまい、その処理に時間をとられ、仕事に遅刻してしまうこともあった。
ワンオペ育児・家事・介護「母はついに娘の名前がわからなくなった」
2018年ごろになると、母親は言語能力が急速に低下し、松野さんの名前がわからなくなるだけでなく、うまく言葉が出なくなった。それでも母親は、時々トイレを失敗して松野さんに下着やズボンを取り替えてもらうときには、「ごめんね」「ありがとう」と口にした。
16時半に仕事が終わると、17時には帰宅し、デイサービスから帰ってきた母親を迎え、食事の支度などの家事に追われる。母親のお風呂はいつも2人で一緒に入り、入浴介助した。
松野さんの唯一の趣味である市の陸上クラブの活動は、週に1回、21時までだ。陸上する日は、母親がデイサービスから帰ってきて松野さんが帰宅するまでの間、結婚して近くに家族と暮らしている妹に来てもらい、母親の世話はヘルパーに頼んでいる。
松野さんの3歳下の妹は、子どもの頃からメンタルが弱かった。10代の頃には、恋愛関係の悩みからうつ病を発症し、しばらく部屋に引きこもり、自殺未遂までしたこともあった。その後、妹は20代で結婚したが、産後うつになり、子育ても家事もできなくなってしまう。そのため、見かねた母親が助け舟を出し、妹家族は妹の症状が落ち着くまで、4年ほど実家に身を寄せていた。
「正直に言えば、妹に対しては、母親の介護をすべて私に任せきりでずるいなと思う気持ちはあります。でも、精神的に脆い妹に母の介護は耐えられないでしょう。だから、私が看るしかありません。妹もそれをわかっているのか、姉がプロだから任せとけばいいという感じなのか、手を出さないけれど口も出さないので、それだけは助かっています」
単身赴任中の夫がコロナ感染、母親は目の前で失禁・大便
2020年に入ってしばらくすると、単身赴任中の夫が「調子が悪い」と言う。夫は月に2回ほど家に帰ってきていたが、世の中はコロナ禍。体調を崩している夫は、帰宅を控え、単身赴任先でひとり自宅療養していた。
2、3日様子を見ていたが、夫の病状は悪化する一方。電話で聞く症状から、松野さんはコロナを疑い、夫が単身赴任している市の保健所や大きな病院などに問い合わせ、PCR検査をしてもらえるよう相談。すると、夫が自宅療養を始めて10日ほど経った頃、ようやくPCR検査をしてくれることになった。
案の定、検査の結果は陽性。幸い病床に空きがあったため即入院することができ、レントゲンを撮ると肺は真っ白。医師は「もう少し遅かったら、命が危なかった」と言った。
「実は、私たち夫婦の仲は、完全に冷え切っていました。夫は精神的に調子が悪くないときでもモラハラ的な発言が増え、私のことを見下した態度で接するようになっていたのです。だから6年前に夫が単身赴任することになり、私は内心喜んでいました。でも、私が保健所に問い合わせるなど尽力したおかげで、自分の命が助かったと思ったのか、コロナから回復してからは、夫の私への接し方が変わったように感じます」
7月になると、母親はますます足腰が弱くなり、介護はたちまち重労働になった。トイレに連れて行ってもズボンの上げ下ろしさえ自分でできず、失禁や大便を漏らしてしまうことも一度や二度ではなかった。食事も食べさせなければ全くできず、すべてにおいて介助が必要になり、介護度は要介護4に。デイサービスの送迎車に乗り降りすることも難しくなってきていた。
しかし、母親がデイサービスに行ってくれないと、松野さんは仕事に行けない。困った松野さんは、母親が認知症で通院している病院の主治医に相談。すると、「ちょうど今、病室に空きが出たのですが、入院されますか?」と提案があった。そこは介護度の高い認知症患者を預かる認知症の専門病院で、特養が決まるまで置いてくれた。
現役の介護認定調査員「母が要介護になって肌で感じたこと」
松野さんは、母親が要介護4になったことを機に、昨秋に特養を申し込んでいた。
2021年3月。特養に空きが出たとの連絡が入り、同月21日から入れることになった。
「私は介護認定調査員という仕事柄、たくさんの認知症の人を見てきましたから、『現状、精神的な症状が出ているから、次は身体的な症状が出るかな』とか、『被害妄想が出たからそろそろ中期に入ったかな』といった感じに先がある程度わかるので、そこまで介護がつらいとか苦しいとかは感じませんでした。母親が同じことを何回もするときもイライラせず、『今日は何回やるかな?』と楽しむように努めましたし、おむつ交換も、『今回はこれだけ時間がかかった。次はもっと短時間でやろう!』みたいに毎回チャレンジしていました。介護っていつまで続くかわからないものなので、そうやって気持ちを前向きに保っていないと、続けられないと思います」
そんな松野さんでも、大好きな陸上の時間を奪われるのはつらかった。今でこそ週1回の活動に参加できているが、当時は月1回になってしまうことも少なくなかった。
「自分に使える時間がないのはつらかったですが、自分の母親を介護することで、介護する人の気持ちがわかるようになったのはよかったと思います。認定調査員の仕事で介護中の家庭を訪問しますが、『今、この人はここに困ってるんだろうな』ということがわかるようになって、『この部分はつらくないですか?』などと声をかけやすくなりましたし、『私も介護をしています。一緒に頑張りましょうね』と言うと、相手の方も安心されるようで、『介護のことがよくわかる方でよかった』と喜ばれるようになりました」
認定調査員の仕事は、多い日で1日5〜6家庭を訪問する。松野さんが管轄するエリアには島も含まれているため、船で市内の島へ渡る日もある。島へ渡ると、ついでにそこに住む父方の祖父母も見舞った。
「自分なんかよりもっと苦労されている方がいることを知ると、『私ももっと頑張ろう』と思うことができました。認定調査員の仕事では、日々利用者さんからの学びや気付きがあります」
介護が一番大変な時期も大好きな「走ること」を諦めなかった
松野さんは、子育てと仕事の両立と夫への対応に悩み、一時は心療内科に通ったが、結局3年ほどで断薬に成功。現在は通院も服薬もしていない。今も不調なときの夫に手がかかることは変わりないが、「夫の誹謗中傷を聞き流すすべを身に付けました」と笑う。
そして、認知症になった親族の介護をしている人々へこうアドバイスするのだ。
「認知症の症状の経過を知っていれば、ある程度手立てがわかります。だから病気に関して学び、情報収集しておくと振り回されずに済み、少しは介護が楽になるのではないかと思います。そして、けっして1人で抱え込まないでください。私は無理を続けて自分が介護うつになってしまった人をたくさん知っています。完璧を求めるあまり、自分を責める人、暴力に出てしまう人もいます。ダブルケアの人はなおさら、絶対に1人でやろうとしないで。介護サービスをしっかり使って、できるだけ楽に、横着して介護をしてほしいと思います。そうでないと、介護は続けられません」
特養に移った母親とは、コロナ禍のため、一度も会えていない。入院中もほとんど面会できず、母親はもう、言われたことも理解できない様子だ。特養への入所の際、胃ろうや経鼻経管栄養など、延命治療などについての確認があったが、松野さんはすべて断った。
「母は、全介助必要な状態になってまで、長生きを望んでいないと思います。ベッドで硬直したまま動かない人や浮腫んだ人、いろいろな方を見てきましたが、食べられなくなったら無理やり食べさせる必要はなく、母親の場合、自然に枯れるように亡くなるのが本人の望みでもあるのではないかと考えています」
島で暮らしていた父方の祖父母は、現地に住む父親の弟が在宅介護をしていたが、祖母は2017年、自宅で誤嚥性肺炎を起こして、85歳で亡くなった。その後、祖父は徐々に衰えていき、次第に食べられなくなり、ある日おむつを替えてもらった後、「ありがとう」と一言つぶやき、2020年12月に93歳で眠るように亡くなった。
「私も心情的には母を自宅で看取ってあげたいと思っています。でも、やっぱり現実的には難しいですね……」
松野さんは現在、週に1〜2回、1回あたり5〜6キロをジョギングし、体力維持に努めつつ、市の陸上クラブの小学生や中学生のコーチとして、子どもたちとともに大会に出場している。
ダブルケアでもシングル介護でも、介護のキーパーソンは、被介護者の介護度が重くなるにつれて、いや応なしに介護が自分の人生の中心を占めることになる。
しかし松野さんは、介護が一番大変な時期も、大好きな「走ること」を諦めなかった。
介護者と被介護者の距離が近すぎると共依存関係に陥りやすいが、時間の長短にかかわらず、介護のことを忘れて、自分で自分のために使う時間を守ることができる人は、その危険性が低いように思う。難しいことかもしれないが、誰もが自分の人生を生きられる社会の実現を望んでやまない。
旦木 瑞穂ライター・グラフィックデザイナー


「なぜ喫煙者はコロナに感染しづらいのか」広島大学が発見した意外なメカニズム

2021-11-01 13:30:00 | 日記

下記の記事はプレジデントオンラインからの借用(コピー)です。

新型コロナをめぐっては、喫煙者は重症化リスクが高くなることが知られている。その一方で、喫煙者はコロナそのものには感染しづらいというデータもある。広島大学原爆放射線医科学研究所の谷本圭司准教授は「たばこは、感染後の重症化リスクを高めるが、感染するリスクを低下させる効果があるのではないか、という仮説を立てたところ、治療薬につながる意外なメカニズムがわかった」という――。
欧米で「新型コロナ感染者に喫煙者が少ない」報告
新型コロナウイルスが世界的に流行して1年以上になります。日本におけるワクチン接種率は全人口の6割を超え(2021年10月現在)、近いうちに国民の希望者全員が完了する見込みですが、治療薬についてはいまだ開発中です。
私は現在、広島大学で「低酸素応答機構」を研究しています。高山など、酸素濃度の低い環境に長期間身を置いていると身体がその環境に順応していきますが、このとき体内で起こる防御反応を遺伝子や分子のレベルで解き明かし、それをがんなどの疾患治療や創薬につなげようという研究が私のテーマです。
新型コロナウイルスによるパンデミックが世界中に拡大する中、私も研究者の一人として何か貢献できないか……。そんな思いから、ウイルス学にあかるい広島大学・坂口剛正教授、坊農秀雅特任教授、関西医科大学・廣田喜一教授の協力のもと、研究を始めました。
これまで、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の病態に、喫煙が悪影響を与えていることが多くの疫学調査から示唆されています。しかしその一方で、「新型コロナ感染者に喫煙者が少ない」「喫煙者の新型コロナウイルス陽性者が少ない」という報告が英、米、仏などの研究グループから複数報告されていることがわかりました。
非喫煙者は約21%に対して、喫煙者は約10%の陽性率
例えば、イギリスのオックスフォードロイヤルカレッジの研究で、『lancet infectious diseases』という権威ある医学誌に掲載された論文では、PCR検査を受けた3802人のうち、非喫煙者では17.5%、前喫煙者(以前は喫煙していたが現在は喫煙していない)では17.3%、現喫煙者では11.4%が陽性という結果が出ています。
また、アメリカ退役軍人医療システムの電子健康記録データでも、非喫煙者に占める陽性者の割合が20.7%、前喫煙者が20.3%なのに対して、現喫煙者が9.9%と、喫煙者の新型コロナウイルス陽性者が少ないという結果でした。
喫煙と新型コロナウイルス感染の関係について書かれた論文は数多く発表されていますが、中には、研究の組み立てとして質の悪いものも含まれています。そこで、549件の論文の中から質のいい87件だけを選び出しているものを見つけましたので、くわしく調べてみることにしました。すると、ほとんどの論文で、「現喫煙者は、非喫煙者と比べて新型コロナウイルス感染のリスクが低かった」という報告がなされているのです。
そこで私は、「たばこは、感染後の重症化リスクを高めるが、感染するリスクを低下させる効果があるのではないか」という仮説を立て、研究を始めました。
ウイルスが細胞に感染するための「ドア」
ここで、新型コロナウイルスが人体に感染するメカニズムを確認しておきましょう。
新型コロナウイルスがヒトの体内に入ると、表面にある突起状のトゲトゲ(スパイクたんぱく質)を、細胞膜の表面にある「ACE2受容体」にぴったりとくっつきます。これは、われわれの体内にウイルスが侵入するための“ドア”のようなものです。
そして、細胞膜にあるたんぱく質の分解酵素「TMPRSS2」が、ウイルスのスパイクたんぱく質を適切な位置で切断し、やがてウイルスと細胞が融合。私たちは“ウイルスに感染”した状態になります。その後ウイルスは細胞内に侵入し、自らの遺伝物質(RNA)を注入することで、私たちの細胞を「工場」としてウイルスを大量に自己複製するという仕組みです。
今回、研究の対象としたのは、この“感染のドア”となる「ACE2受容体」です。
※イラストはイメージです(一部イラスト=iStock.com/bgblue)
たばこの煙成分が「ドア」を減らす
最初に、ACE2やTMPRSS2が、特にたばこの煙の成分によってどのように変化するのかを調べてみました。たばこの煙成分を抽出し、生理食塩水に溶かし込んだ液体をヒトの細胞にかけてみると、ACE2遺伝子の発現量がぐっと減ったのです。さらに煙成分の濃度を上げて観察してみると、濃度が高いほどACE2遺伝子の発現量が減っていくというデータが確認できました。この実験によって、たばこの煙に含まれる物質によりACE2、つまり「ドア」の発現を抑制することがわかりました。
次に、なぜ「ドア」の数を抑制できるのか、その仕組みを解明する実験を行いました。細胞内の約4万の遺伝子それぞれの増減を観察する「RNA-Seq(RNAシーケンス)」という方法を用いて遺伝子発現量の変化を確認したところ、たばこの煙成分が「AHR(芳香族炭化水素受容体)」を活性化させることによってACE2の発現を抑制していることがわかりました。
しかし、たばこの煙成分そのものを治療に応用することはできません。そこで、「AHRを活性化させる安全な化合物」がないかを探索したところ、ある2つのモノを発見したのです。
胃潰瘍の薬とブロッコリーなどに含まれる成分が効果を発揮
最初に思い浮かんだのは、胃潰瘍の治療薬として使われている「オメプラゾール」です。これは個人的なエピソードですが、私が1997年にスウェーデンに留学した初日に、担当教授が「最近、こんな論文を発表したんだ」と見せてくれたのが、「オメプラゾールという胃潰瘍の薬で、AHRが活性化する」という論文でした。
今回の研究でAHRという名称を見た瞬間に当時の記憶がよみがえり、「これは使えるんじゃないか」と考え、実験を実施。結果、「AHRという受容体を介して『ドア(ACE2)』の量を減らす」というところまでは確認できました。
他にもAHRを活性化させるものはないか、論文を調べたり実験を重ねたりしたところ、もうひとつの化合物を発見しました。それが、ブロッコリーなどに含まれる「トリプトファンの代謝物」です。
本当に、新型コロナ感染を抑制するのか
トリプトファンとは、必須アミノ酸(タンパク質を構成するアミノ酸のうち、体内で十分な量を合成できず栄養分として摂取しなければならないアミノ酸)の一種で、ブロッコリーをはじめ、豆や鶏卵などの食品にも含まれています。このトリプトファンが、体内で酵素や腸内細菌によって分解された結果として生じた化合物が「トリプトファン代謝物」で、これがAHRを活性化することが報告されています。
ここまでさまざまな研究を重ねてきましたが、「本当に新型コロナウイルスに感染しにくくなるのか?」という点を明らかにしなくてはなりません。そこで、オメプラゾールとトリプトファン代謝物を用いて、新型コロナウイルスが細胞に感染する(細胞に侵入する)量が抑制できるかどうかの実験を行いました。
実験では、ヒト細胞の培養液にAHRを活性化する化合物(オメプラゾールまたはトリプトファン代謝物)を加えた状態で、新型コロナウイルスを感染させた後、細胞内に入り込んだ(感染した)ウイルス量を比較しました。その結果、化合物の濃度が高くなればなるほど感染ウイルス量が低下することが確認できました。
「オメプラゾールやトリプトファン代謝物によってAHRが活性化することで、ウイルス受容体であるACE2発現量を抑制し、その結果としてウイルス感染量を減らすことができる」ことが証明されたのです。
これらの結果から、新型コロナウイルス治療薬としての可能性が示されました。今後は、今回の研究結果をさらに深化・発展させ、治療薬の開発に応用したいと考えています。ウイルス変異株でも影響しない
現在、新型コロナウイルスに感染した患者の治療には、他の病気の薬で新型コロナへの効果が確認されたものなどが使われていますが、まだ特効薬はありません。また、国内外の製薬会社をはじめ、多くの新型コロナウイルス感染阻害薬の開発が行われていますが、いずれも治験段階です。
現在、開発が進められている治療薬は、「感染しにくくするための薬」と「感染後に重症化するのを防ぐ薬」の2つのタイプに分類できますが、私たちが目指す治療薬は前者のタイプで、「感染予防または感染初期の軽症患者に投与することで重症化を防ぐ薬」です。
最大の特徴は、新型コロナウイルスの感染受容体という「ドア」の数を減らすメカニズムを利用している点にあります。中和抗体など抗体を利用した薬の場合、特定のウイルスに対して効果を発揮するため、変異株などウイルス自体が変化してしまった場合、効果が低下する可能性があります。一方、この治療薬は、「ドア」自体を減らすため、たとえウイルスが変異しても対応することができるのです。
抗ウイルス薬との併用を想定
実際の使用にあたっては抗ウイルス薬との併用療法をイメージしています。「ドア」の数を減らすことでウイルス感染量は減らせても、感染してしまったウイルスの増幅は阻害できないからです。入ってくるウイルス量を減らせれば、抗ウイルス薬の投与量も減らせるため、副作用リスクの軽減が期待できます。
現在は、広島大学が主導する大規模な疫学研究プロジェクトにおいて、実際のコロナ患者で、胃潰瘍治療薬を使っている患者さんを対象に、感染率や重症化率の傾向、その他の有害事象などについて観察を行っています。今後は動物実験モデルなどを用いた評価を経て、臨床研究での効果評価へと進めたいと考えています。
(構成=梅澤 聡)
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 * 谷本 圭司(たにもと・けいじ)
広島大学 原爆放射線医科学研究所 准教授
1970年広島県広島市生まれ。1994年広島大学歯学部卒業、1998年同大学大学院歯学研究科にて博士(歯学)取得。埼玉県立がんセンターに研究生として勤務後、スウェーデン王立カロリンスカ研究所ノーベル医学研究所へ留学し、日本学術振興会特別研究員を経て、現在の研究の基盤を作る。2020年より現職。


眞子さんに捨てられたこの国…3年前の夏には日本を離れる決心、悲しい現実は誰のせいなのか 

2021-11-01 11:00:00 | 日記

    下記の記事は日刊ゲンダイデジタルからの借用(コピー)です。


 10月26日、秋篠宮家の長女・眞子さんが、小室圭さんとの婚姻届を出して皇籍を離脱した。慶賀だというのに、2人の結婚がYahoo!ニュースにアップされると、批判や中傷などが殺到してコメント欄が閉鎖されたという。なんとしてでも2人の結婚を認めたくないという連中が書き込んだようだ。たとえば、眞子さんが記者会見での質疑応答を断ったことに関しても、批判、誹謗中傷が飛び交った。皇室は税金で維持されているのだから、メディアの質問に答えるのは当然という思い込みがあるのだろう。

 仮にそうだとしても、すでにこの時点で眞子さんは一般人である。嫌な質問には答えたくない選択肢があるのは当然で、そのことすら気づかなかったようだ。

 昨年、ある宮内庁関係者が「ご自分について書かれた記事を眞子さまがネットで見るようになって落ち込んでいるようです」と語っていた。小室家の「金銭トラブル」など記事の内容も衝撃的すぎたのだろうが、それ以上にヘイトも同然のコメントが加わって眞子さんの「複雑性PTSD」につながった可能性もある。

新聞社のアンケートによると、毎日新聞が9月18日に行ったアンケートでは、2人の結婚を「祝福したい」が38%で「祝福できない」は35%だった。ところが翌10月5日の読売新聞では、結婚をよかったと「思う」が53%、「思わない」が33%だった。結婚直前のANN(テレビ朝日系)の世論調査では、結婚を「お祝いしたいと思う」が61%で、「思わない」の24%を大きく上回っている。

 ネットのコメント欄だけを見ていると、国民のほとんどが2人の結婚に反対しているように思えてくるが、実際は祝福している人たちも結構いて、どんどん増えていることがわかる。

 ネット住民たちが激しい言葉で誹謗中傷を繰り返すと、何も知らない人にはそれがあたかも世間一般の評価だと錯覚することがある。それと同じで、週刊誌の記事をエサにした小室家の「金銭トラブル」のことも、「みんながおかしいと叩いているから、自分も思わなければ」と思い込んだのかもしれない。小室家の「金銭トラブル」が毎週のように週刊誌に書かれていた頃、もしアンケートをとっていたら、ほぼ全員が結婚に反対しただろう。

しかし次第に、多くの人が、繰り返される小室家批判はおかしいと気づき始めたのかもしれない。

 かつて上皇ご夫妻が結婚した時、皇太子だった上皇さまは「憲法に保障された両性の合意による結婚」と宣言したと報じられたが、当時は理解できない人も少なくなかった。日本国憲法第24条が、結婚は2人の同意のみで成り立つと定めたことを、皇太子もそれに従ったという意味だが、当時はまだ結婚は家と家の結びつきという意識が強かったからだ。

■守旧派やネトウヨに振り回された

 いまでは私たちの常識になったが、まだ皇室だけは別という認識がどこかにあったのかもしれない。眞子内親王は「金銭トラブル」があるような家の男となぜ結婚するのか! というわけで、批判に同調したのだ。そのうち国民も冷静になり、皇族の結婚も私たちの結婚も同じだと気づき始め、書き込まれるコメントに違和感を覚え、素直に結婚を祝福する人たちが増えていったと考えられる。国民も眞子さんも、守旧派やネトウヨのような連中に振り回されてきたのだ。

2人の結婚は祝福すべきだが、会見を聞いていると悲しくなってくる。眞子さんは「圭さんの留学については、圭さんが将来計画していた留学を前倒しして、海外に拠点をつくって欲しいと私がお願いしました」と述べた。そう決めたのは、少なくとも小室さんが留学する2018年の夏以前だ。そんなに早い時点で、すでに眞子さんは日本を離れる決心をしていたのだ。というより、一人一人の生き方を大切にしないこの国は、眞子さんに捨てられたのだともいえる。この悲しい現実を、まともな国民は真剣に考える必要がある。
 


小室圭さん まさかの不合格…眞子さんとのNYセレブ生活が大ピンチ

2021-11-01 10:30:00 | 日記
下記の記事は女性自身オンライン東からの借用(コピー)です。

10月26日、秋篠宮家の長女・眞子さんと結婚した小室圭さん。翌27日には眞子さんと運転免許試験場を訪れるなど、ニューヨークでの新婚生活に向けて準備を進めていた。

ところが、新婚間もない小室夫妻に暗雲が立ち込める出来事が。なんと圭さんが、ニューヨーク州の司法試験で不合格となってしまったのだ。

「試験を主催するニューヨーク州の司法試験委員会は、28日に合格者数を5,791人と発表しました。ですが29日にホームページで公表された合格者の名簿には、圭さんの名前がなかったのです。一方、名前が発表された合格者数は5,785人で、残った6人の名前は未公表でした。そのことから圭さんに、『名簿に掲載されていないだけで、合格している可能性もあるのではないか』といった憶測も飛び交っていました」(皇室担当記者)

NHKによると圭さんの合否の結果を明らかにしたのは、圭さんが日本でパラリーガルとして勤務していた奥野総合法律事務所の奧野善彦弁護士。奥野氏は30日午前に、圭さんから電話で報告を受けたとのこと。

圭さんは「今回の試験の結果は不合格でした。大変申し訳ございません」と謝罪し、「来年2月の試験に再びチャレンジします。努力を積み重ねていきます」と話したという。

奥野氏は眞子さんとも話したといい、眞子さんは「小室さんの話をそのとおりに受け止めています」と夫の勉強を支える意思を示していたという。

「圭さんは、今年5月にフォーダム大学のロースクールを卒業。その後、7月に司法試験を終えてからわずか1カ月あまりで、眞子さんと年内に結婚する方向で調整が進められていると報じられました。すでに圭さんはニューヨークの弁護士事務所『ローウェンスタイン・サンドラー』に就職し、法務助手として働いています。つまり、合格を見越した上で結婚を進めてきたのです」(前出・皇室担当記者)

しかし圭さんが不合格となれば、描いていた眞子さんとのニューヨークでの新婚生活に支障をきたす恐れも出てくる。

「すでに新居として、ドアマンが常駐する家賃80万円ほどのアパートメントを契約しているそうです。広さは約100平方メートルの2DKで、場所はマンハッタン島の西側にある高級住宅街のアッパーウエストサイド。治安がよい場所で知られており、公園や世界的にも有名な文化施設が多数あります。そのため育児に適している地域として、セレブも大勢住んでいます」(NY在住のジャーナリスト)

弁護士の道から遠ざかってしまった圭さんに、果たしてそのような“セレブ生活”が維持できるのだろうか。

「ニューヨークで余裕のある暮らしが成り立つのは、圭さんの収入があってこそでしょう。圭さんが弁護士資格を取得すれば、2,000万円前後の年収を得ることができると言われていました。しかし現在の法務助手のままだと、年収は600万程度だといいます。

眞子さんもメトロポリタン美術館で働く可能性が浮上しており、そうなれば学芸員の年収は1,500万円だといいます。ですが夫婦の世帯年収が当初予定していた3,500万円から2,100万にまで下がってしまうとなれば、年間家賃1,000万円のアパートメントで暮らすのは厳しいのではないでしょうか」(前出・ジャーナリスト)

圭さんが次回、司法試験を受けるのは来年2月。新婚早々にもかかわらず困難に見舞われた夫妻は、どのように乗り越えていくのだろうか。

            


眞子さんと小室圭さんのNY新生活を支援する有力者たち その目的とは

2021-11-01 10:00:00 | 日記

下記の記事はNEWSポストセブンオンラインからの借用(コピー)です。


 ニューヨーク州の司法試験に不合格──。10月26日に結婚した小室圭さんと眞子さんにとっては厳しい船出となった。さらに、2人には新しい人間関係、新しいコミュニティーなど、対処すべき問題が待っている。2人はどう対処するのか。
「事実に基づかない情報に惑わされず、私と圭さんを変わらずに応援してくださった方々に、感謝しております」
 しばらくすると、夫婦ふたりでの米ニューヨーク生活が始まる。だがその“応援”に本当に他意はないのか。多種多様な人が暮らす米ニューヨークには、それぞれの人のルーツによって集まった「コミュニティー」が存在する。在ニューヨークの日本人もまた多数の邦人グループを形成。その中でももっとも歴史が古く、規模が大きい「日本人コミュニティー」には、医師や弁護士、金融マンに大使館職員まで名を連ねる。
 そのメンバーの1人、現地でも名の知れた日本人経営者が、小室圭さん・眞子さん夫妻の渡米をサポートし、いまかいまかと待っている。
 すでに渡米後の住まいは、ニューヨークのマンハッタン島にある、セレブの住む高級住宅街・アッパーウエストサイドのワンルームの賃貸住宅に決まったという。縁もゆかりもない不慣れな土地で“元プリンセス”が住むのに適した物件を見つけるのは、簡単なことではなかったはずだ。
 あまりにも豪華な舞台装置が簡単に整うのには驚かされるばかりだが、ふたりの新生活の準備がこうまでスムーズに進んだのは、その裏で、さまざまな思惑が渦巻く“お膳立て”があったからだろう。
ロイヤルはお金になる
「新居探しに尽力したのは、ニューヨークで不動産業を営む経営者だったそうです。ボストンやシカゴ、ロサンゼルス、ハワイなどに拠点をもつ同氏の会社は、賃貸住宅の斡旋からオフィスのリース、不動産投資まで、手広く担っている。もちろん、日本人コミュニティーの中でも“大物”と言っていい人物です」(在米ジャーナリスト)
『女性セブン』はその経営者の関係者にコンタクトをとったが、「とても騒がしいことになっていますね。取材ご苦労さまです」とにべもなかった。会見のため帰国した小室さんの航空券手配などは、“別の有力者”である旅行会社の女性会長の支援によるものだったという。
「叩き上げからトップにのぼりつめた人で、仕事に厳しく、辞めていった人もたくさん。ただ、失敗してもへこたれずについてくる人への面倒見はよく、一線を退いても相談事が舞い込むような“重鎮”です」(前出・在米ジャーナリスト)
差し伸べられた手は拒まない。その姿勢は留学中から見えた。ニューヨークで法律を学ぶ学生にとって、インターンは欠かせない。小室さんの場合、現地の邦人ネットワークの中心人物である弁護士がその場を提供したとされている。
「インターンには通常給与が支払われますが、小室さんは無給だった。とにかく、“履歴書に書けるインターン経験がもらえればそれでいい”という小室さんの希望に沿った形だったのでしょう」(別の在米ジャーナリスト)
 なぜ、彼らはこれほどまでに小室さんと眞子さんに親切なのだろうか。
「“このふたりには支援する価値がある”と判断しているからでしょう。その背景には、アメリカならではの『ロイヤル観』があると言えます。ヘンリー王子とメーガン妃の扱いを見ていればわかるように、“ロイヤルはお金になる”と考えるのがアメリカのビジネス界です。暴露本に22億円、動画配信サイトとの契約では160億円ものお金が動いたとされています。
 日本人が皇室に“畏れ多い”という感覚をもつ一方で、むしろ各国の王室よりも、皇室の方がより格式が高く、その分利用価値があると考える人もいるのでしょう。
 そうした人たちには、機会があれば元皇族とお近づきになりたい、その縁を自分のビジネスに生かしたいと思う人も少なくありません。いま、小室さんに対して過剰に親切な在米日本人は、そうしたアメリカ人の心境をよく理解していて、いずれ小室さんや眞子さんを直接紹介することで、アメリカの社交界での自分の価値を上げたいと考えているのではないでしょうか」(前出・在米ジャーナリスト)
 私は事実に基づかない情報に惑わされずふたりを応援し、元皇族から感謝されている存在です──そう言えるだけの実績作りが、いま、ニューヨークで進められている。
 眞子さんは愛する人との住まいを遠く離れた異国に構えることで、元皇族としてのしがらみから脱出し、自由の国で生きていく。そう思い描いていたのかもしれない。しかし実際には、自らの意思では抜けがたい、別のしがらみの中に飛び込んでいくことになる。