下記の記事はプレジデントオンラインからの借用(コピー)です。
日本で起こる殺人の半数は家族間で起きている。犯罪加害者家族の支援を行ってきたNPO法人World Open Heart理事長の阿部恭子さんは「家族間で起きる殺人のなかには、第三者がきっかけとなって殺人事件が起きるケースがある。私が取材した村山家は長女の交際相手が一家を洗脳し、次男が殺され長女は加害者になってしまった」という――。
※本稿は、阿部恭子『家族間殺人』(幻冬舎新書)の一部を再編集したものです。
息子は長女とその交際相手に殺された
家族間で起きる殺人は、家族同士が憎み合った末に起きるとは限らない。家庭の隙間に入り込んだ第三者によって、加害者と被害者に引き裂かれてしまうケースもある。
「まもなく息子の命日が来ます……、この時期はいつも、心が苦しくて、尋常ではいられなくなります」
村山敏子さん(仮名・60代)の次男は、長女の交際相手に殺害されていた。長女も共犯者として逮捕され、傷害致死の罪で服役した。敏子さんは息子を失った遺族であると同時に、加害者家族でもあり、出所した娘を支え続けてきた。
「泣いてばかりいられません。娘のことも考えてあげないと……」
たとえ加害者になってしまったとしても、娘であることに変わりはない。しかし、この感情は周囲にはなかなか理解してもらえなかった。
ある朝、自宅の前に倒れている村山翼君(仮名・16歳)を、同居している兄が発見。翼君は病院に搬送されたが、まもなく死亡した。翼君は、数カ月前にも自宅前で重傷を負って倒れており、近所の住民が発見し、病院に搬送されていた。翼君の体には、暴力を受けたとみらる傷があり、警察署は要保護児童通告を出していた。
「翼君は大人しくて、とてもいい子でした。お姉さんは感じの悪い子でね、翼君を虐めていたみたいですけど、本当に酷い話ですよ。なんであんな惨いことができるのか……」
周囲は皆、一様に被害者に同情し、加害者を罵る。しかし敏子さんにとって、娘は「加害者であっても愛する我が子に変わりはない」。いつも、そう叫びたい気持ちになった。
姉と交際相手から日常的に暴力を受けていた弟
児童相談所(児相)は翼君と面談をしていたが、本人は暴行を否定し、怪我の理由については「自転車で転んだ」と説明していた。児相は一時保護を提案したが、翼君に断られ、保護には繫がらなかった。
警察は、翼君の姉(20歳)と、姉の交際相手の男(30歳)を逮捕した。
姉と交際相手は同居しており、ふたりとも無職。翼君は使い走りをさせられており、朝から晩までアルバイトをさせられ、月10万円ほどの給料は、姉の口座に振り込まれていた。翼君の仕事先の従業員は、翼君の顔の半分が青く腫れあがっている姿を見ていた。
会うたびに痩せていき、頭を坊主にし、顔の痣を帽子で隠していたこともあった。心配して様子を尋ねると「自転車で転んだ」「ゲームセンターで喧嘩した」などと言い、心配するようなことはないと笑っていたという。
警察は、姉と交際相手は日常的に翼君に暴行を加えており、亡くなる前日、暴力がエスカレートした結果、死亡させたと判断した。
裁判で姉は無罪を主張。交際相手は姉が暴行したと訴え、両被告の主張は対立した。両被告はともに、供述調書は警察による強引な取り調べによって作成されており、証拠としての信用性がない旨を主張したが、裁判所は両被告の主張を退け、姉に懲役15年、姉の交際相手に懲役16年の判決を言い渡した。
判決では、暴行はふたりが共謀して行ったものと認定しており、傷害と傷害致死については両者に等しい刑が科されていた。
会社役員を名乗る長女の交際相手
村山家は、事件が起きるまでごく平凡な家庭だった。
田舎の大きな一軒家で敏子さんの夫の両親と二世帯で暮らしていた。子どもは長男と、長女の真奈美(仮名)、そして次男の翼で、兄弟仲のよい家族だった。兄は学校では人気者だった。気が弱くていじめられっ子の翼を、気の強い真奈美がいつも守ってあげていた。
思春期に差し掛かると、真奈美は学校生活がうまくいかず、不登校になった。真奈美は勉強もスポーツもよくできる兄に劣等感を抱くようになった。常に比較されているように感じ、親との仲も悪くなり、高校を中退し都市部に出てアルバイト生活をするようになった。
ある日、真奈美は彼氏を連れて帰省してきた。その男性が今回の事件の主犯格である工藤健一(仮名)であり、真奈美より10歳年上だった。健一の父親は会社を経営しており、健一は会社役員という肩書きだった。
真奈美が勤務していた飲食店の常連客で、著名人にも知り合いが多いとよく話していた。真奈美は、自分の知らない世界にいる健一に魅力を感じ、結婚を前提とした交際を始めたということだった。
敏子は、健一が仕事をしている様子がないことがひっかかったが、真奈美から信頼している相手だと言われ、ふたりの交際に異を唱えることができなかった。真奈美の父親は、健一を歓迎した。
交際相手の本当の目的は村山家の支配
父親は、真奈美が都会で夜の仕事をしていることが嫌だった。仕事を辞めて家庭に入るという健一の提案に、胸をなで下ろしていた。翼も「二人目の兄ができた」と健一に懐いており、喜んでいた。健一はすぐに、村山家に入り浸るようになった。
「いいな、こんな広い屋敷を自由にできたら」
健一は、真奈美にいつもそう言っていた。健一の目的は、村山家の支配だった。「社長の息子」は噓であり、定職に就いた経験はなく、正体は女性に寄生して生きていた男だったのだ。
村山家を取り仕切っているのは敏子だった。夫の両親の世話をし、3人の子どもを育ててきた。家計もすべて敏子が管理しており、敏子がいなければ、村山家は回らないのだ。父親も子どもたちも健一を信じたが、敏子だけは思い通りにできなかった。
「やっぱり、お母さんは男の子が3人欲しかったんだって。真奈美のことだけは、どうしてもかわいいと思えないって悩んでたよ」
健一は、そう真奈美に噓を吹き込んだ。真奈美は酷く傷ついた。母親とうまくいかなくなったのは、そういう理由だったのだと思い込んだ。
「あたし、やっぱり望まれない子だったんだね……」
涙ぐむ真奈美を健一は抱きしめた。
「お前は俺が一生、大切にするから。あんな奴、母親と思うな」
「真奈美も翼も、お父さんの子どもじゃないんだ」
健一は、兄と父とよく晩酌をしていた。ある日、健一は大事な話があると言って、真奈美と翼を呼び出した。
「昨晩もお父さんとお兄さんと飲んでてね、お父さんが言ってたことがどうしてもひっかかって……」
いつになく神妙な面持ちの健一を、真奈美は急かした。
「何だって?」
「でも、知らないほうが……」
「話して、隠し事はなしって約束でしょ」
「ショック受けると思うけど、大丈夫?」
真奈美は頷いた。
「翼は?」
「翼も知りたいよね?」
真奈美がそう言うと、翼も頷いた。
「お父さんには絶対言うなって口止めされたんだけど、真奈美も翼も、お父さんの子どもじゃないんだ」
あまりのショックに、真奈美と翼はその場にへたり込んだ。もちろん、真っ赤な噓である。
「私たちは誰の子どもなの?」
「若い頃のお母さんは浮気癖があって、相手は行きずりの男だったみたいだよ」
「私と翼の父親も違うの?」
「そう」
「そんな……」
「お母さんに言うなよ。お父さんに口止めされてるんだから」
真奈美は怒りが込み上げていた。
家族同士の疑いは深まっていく
「翼、行こう」
真奈美は翼の手を引いて、台所にいる母親のもとへ向かった。
「ふざけんな! クソババア出ていけ!」
真奈美は敏子に向かって暴言を吐きながら、食器を投げつけた。翼も真奈美と同じように敏子を攻撃した。
「絶対許せない!」
真奈美と翼は、毎日のように敏子に暴力を振るい、暴言を吐くようになった。健一は、父と兄にも真奈美と翼は父の子ではないかもしれないという疑惑を植えつけた。
真奈美と翼がなぜ急にそんな態度を取るのか、身に覚えのない敏子は戸惑った。健一が何か吹き込んでいるに違いなかったが、家族は誰も健一を疑わず、敏子は家の中で徐々に孤立を深めていった。
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健一は父親に、自分と出会う前の真奈美は風俗店で働き、アダルトビデオにも出演したと噓をついた。そして、「自分が話をつければ動画が流出しないよう200万で買い取ることができる」などと言っては、父親から大金を騙し取っていた。世間知らずの父親は健一の話を信じ、真奈美のような娘と結婚してくれるのは健一だけだと健一を頼るようになっていた。
次第に村山家の家計は逼迫し、父親ひとりの給料で生活していくのは難しくなっていた。敏子が何度訴えても夫は聞く耳を持たず、長女と次男からの暴力と、夫や長男からの無視に耐えられなくなった敏子は、家を出ていくしかなかった。
「あいつの父親はヤクザだからちゃんと教育してやらないと」
邪魔者を追い出した健一は、さらに一家の支配を進めていく。村山家に寝泊まりするようになり、遊ぶ金欲しさに翼を働かせるようになった。
冬が近づいてきた頃、翼が台所で洗い物をしようとすると、
「お湯は使うな! お前が使っていいのは水だけだ、いいな!」
真奈美は、健一が翼を怒鳴りつけているのを見てしまった。
「あのな、悪いことしたんだから謝れよ」
「ごめんなさい」
翼が謝ると、
「なんだそれ? そんな謝り方あるかよ、お前何様だよ」
翼は、床に座り土下座をした。
「ごめんなさい……」
「は? 申し訳ございませんだろ?」
「申し訳、ございません」
「聞こえねえよ!」
健一は、土下座をしている翼の胸を思い切り蹴った。苦しそうにしている翼に、健一は台所にあった洗剤を飲むように言い、嫌がる翼は、顔を殴られ続けていた。そして、一気に洗剤を飲み干すと、口から泡を吹いて、その場に倒れた。
健一は、口から泡を吹いている翼を見て笑い転げていた。凍り付いた表情で見ていた真奈美を、健一は寝室に連れて行った。
「これからは、俺がちゃんと翼を教育するから。あいつの父親はヤクザなんだ。ちゃんと教育してやんないと、いつかあいつもヤクザになって家族を攻撃するからな」
真奈美は衝撃を受けた。裏社会に詳しい健一の話なら間違いないはずだ。翼の父親はヤクザ……。真奈美はそれ以来、翼が健一から暴力を受けているところを見ても、どこかで仕方がないと思い込むようになっていった。
広い屋敷の中で奴隷扱いされていた弟
翼は、どれほど寒い日であってもお湯を使うことは許されず、風呂でも水を使わされていた。健一の虐待に父親や兄は全く気がついていなかった。
よく健一は、「翼と訓練をしてる」と言って、翼が傷だらけで帰って来ることがあった。健一は怒り出すと止まらないところがあり、真奈美は恐怖を覚えることもあったが、家族は信用できず、頼れる人は唯一、健一だけだった。
広い屋敷の中で、翼は完全に奴隷だった。昼間は外で働かされ、夜は健一と真奈美の世話をさせられるのだ。疲れて帰ってきているにもかかわらず、ふたりの食事が済むまでは食事を摂ることが許されなかった。食事はいつも残飯で、見る見るうちにやせ細っていった。
ある時、翼が洗面所にいると、
「おまえもたもたすんなよ。髪なんかとかして生意気だ」
と言って、健一はバリカンで翼の髪の毛を刈ってしまった。こうした行為を目の当たりにすることによって、真奈美は暴力が自分に向くことを怖れ、健一への服従をさらに強めていった。
これまで真奈美が翼に暴力を振るったことはなく、仲が悪かったわけではない。健一が加える暴行に、「やめて」と言ったことはあったが、助けを呼んだり体を張って止める勇気はなかった。
「翼は被害者の道、あたしは加害者の道を行くよ」
幼い頃、仕草が女の子のような翼は、学校で友達にからかわれ、いじめられることもあった。
「やられたらやり返さなくちゃダメでしょ」
気の強い真奈美は、いつもそう諭していた。
「僕、それができないんだよね」
「もし、殺されそうになったらどうするの?」
「殺されても、殺すのは絶対無理だね」
「えー、何もしないで殺されてもいいの?」
「よくはないけど、殺すよりはマシかな」
「翼は被害者の道、あたしは加害者の道を行くよ」
翼は笑っていた。その言葉が現実になってしまった。健一はその日、やけに機嫌が悪く、翼は蹴られたり叩かれたりしていた。健一は、敷地の奥に住んでいる祖父母の存在が邪魔になっているようだった。
健一は翼に、家族全員の財布からお金を盗ってくるよう命じたり、通帳の残高を調べさせたりしていた。祖父母は健一に優しかったが、父や兄と比べると自宅にいる時間が長いので、翼の変化にも気がつき始めているようだった。
「いい加減にしろおまえ、何でできないんだよ!」
健一は激高して翼を殴り続けた。
「もういいじゃない。あんまり騒ぐと、お父さん起きちゃうよ」
「うるさい! あっち行ってろよ」
健一は、そう言って真奈美を追い出した。
「それだけは勘弁してください」
翼は謝り続けていた。そして翌朝、自宅の前で倒れている翼を兄が発見したときには、すでに手遅れだった。
おそらく健一は、祖父母の殺害を翼に要求していたのではないかと思われる。翼に、そんなことができるはずもなかった。我慢し続けてきた暴力からようやく逃げようとしたところで、力尽きてしまったのだ。
家族全員が容疑者
自宅で人が亡くなった場合、疑われるのはまず同居人であり、全員が容疑者として取り調べを受けた。家族全員の携帯電話が没収され、互いに連絡を取り合うことができなくなった。
最も疑われていたのは真奈美で、第一発見者の兄も連日厳しい聴取を受けていた。すべて正直に答えているが、「やっていない」「知らない」と言うと、警察官に「噓つくな!」と大声で怒鳴られ、机を叩かれた。
このとき真奈美は、他の家族も翼の死に関係しているのではないかと考えていた。父親は、翼と血が繫がっていないのだから、亡くなったとしても何も感じないのではないか。兄も心のどこかで翼の存在を疎ましく思っていたのかもしれない。
裁判が結審するまで家族との面会は禁止されており、家族全員で自分を陥れたのかもしれないと思うようになっていた。
裁判で健一は、真奈美が積極的に翼を虐待していたと主張していたが、それも健一の策略なのではないかと考えた。健一が早く解放されれば、必ず助けに来てくれると信じていたのだ。
刑務所に収監された真奈美は、この先、家族と会うつもりはなかった。
どこの刑務所に収監されたのか、家族であっても知る権利はなく、手紙を出さなければわからない。ところが、敏子さんと父親は真奈美を捜し、面会に行った。そして徐々に真奈美は、健一に騙されていた事実に気がついていった
「弟を助けられなかったことは、とても後悔しています。あのとき翼が犠牲にならなければ、他の家族も殺され、私も無期懲役や死刑になっていたかもしれません。そう考えれば、刑務所生活も仕方のないことだったと思うようになりました」
出所した真奈美は、母親の敏子さんと一緒に介護の仕事をするようになった。
洗脳に気が付かないまま裁判を終えているケースも
洗脳を利用した殺人事件は、2002年に発覚した北九州監禁連続殺人事件、同じく2002年の「黒い看護婦」と呼ばれた福岡四人組保険金連続殺人事件、2012年の尼崎事件など、世間の耳目を集めた事件以外にも実は日本中で起きているのです。
本件のように、本人が洗脳されていることに気がついていないまま裁判を終えているケースも多々あるのではないかと推測されます。事件の背景に「洗脳」があることは、出所した真奈美さんの話から判明したことで、裁判でも言及されることはなく、報道でも鬼畜の男女による少年の虐待死として処理されていたのです。
翼君は顔に痣ができるなど相当な暴行を受けながらも、被害状況を誰にも打ち明けることができませんでした。真奈美さんも身体的暴行からは逃れたものの、精神的には酷く傷つけられていました。
健一は父や兄も取り込んでいることから、真奈美さんが下手な行動を取れば、弟だけでなく他の家族にまで危害が加えられる恐れを抱いていたはずです。
社会的に孤立している人ほど注意が必要
洗脳されやすいのは、若くて未熟だったり、社会から孤立している人です。真奈美さんと翼君は、家庭にも学校にも居場所がありませんでした。この世の中で、真奈美さんは健一だけが、翼君は真奈美さんだけが頼りだったのです。
阿部恭子『家族間殺人』(幻冬舎新書)
学校や家庭に居場所を失い、さまよう子どもたちを、社会がすぐ保護できればよいのですが、本件のように、少女に近づき、保護者の弱みにつけ込んで金銭を搾取する犯罪者もいることに注意が必要です。
我が子の悩みは、親にとって最大の急所であり、解決できるのならば何でもすると考える人もいます。子どもが犯罪者になれば、親は世間から社会的責任を問われることから、他人に知られることなく解決したいと考える人は多いはずです。
実際、子どもの問題をきっかけに、新興宗教や占い師に騙された経験を持つ加害者家族は数多くいます。洗脳を可能にするのは、相手の弱みを握ることです。弱みとなるような悩みを自分ひとりで抱えず、相談窓口などに行って気軽に話せる社会になることが、同様の犯罪を防ぎ家庭の安全を守ることにつながるのです。
阿部 恭子(あべ・きょうこ)
NPO法人World Open Heart理事長
東北大学大学院法学研究科博士課程前期修了(法学修士)。2008年大学院在籍中に、社会的差別と自殺の調査・研究を目的とした任意団体World Open Heartを設立。宮城県仙台市を拠点として、全国で初めて犯罪加害者家族を対象とした各種相談業務や同行支援などの直接的支援と啓発活動を開始、全国の加害者家族からの相談に対応している。
下記の記事はヨミドクターからの借用(コピー)です。
50代にもなると、しゃがみこみや階段の上り下りなど、以前は何ともなかった動作で、ひざの違和感や痛みを覚える方が増えてきます。こういった違和感や痛みは多くの場合、関節を構成している組織が年齢とともに変化したために生じます。
年齢とともに肌のツヤや弾力がなくなるのは誰もが経験することですが、同じような変化は、程度の差はあっても全身のどの組織にも起こります。関節も例外ではなく、骨の表面を覆う軟骨や、骨をつないでいる靭帯じんたいに年齢による変化が起こる結果、違和感や痛みを感じるようになるわけです。
しかし、多少の違和感や痛みであれば時間とともに治ることがほとんどですし、気になって近くの整形外科を受診してレントゲンを撮ってみても、大抵の場合、特別な異常が見られません。これには、通常のレントゲンでは基本的には骨の形しかわからないため、関節の細かな変化がとらえられないことも関係しています。
MRIは、磁石の力を使って体の内部を画像として調べることができる検査ですが、この検査を行うと、関節の変化が普通のレントゲンよりずっと詳しく知ることができます。
50歳以上でひざ関節に変化なしは11%のみ
アメリカのある地区に住んでいる50歳以上の方700名以上について、MRIによってひざの関節を調べた結果が2012年に報告されました。
この調査では、ひざの症状の有無にかかわらず、無作為に対象者を選んでMRIを行ったのですが、その結果、ひざ関節に年齢による変化が全くみられなかった人は全体の11%しかいなかったそうです(Guermazi Aほか, BMJ 345:e5339, 2012)。つまり中年以降になると、ほとんどの方がひざに年齢に伴う変化が起きていると考えられます。ひざの違和感は、こういった変化に関係して生じるわけです。
いきなり不安になるようなことを書いてしまいましたが、幸いなことに中年以降に起こるひざの違和感のほとんどは病気の範囲には入りませんし、いくつか気をつけるべきことはあっても、薬を使っての治療は普通は必要ありません。
ただ、人によっては痛みや違和感の程度が強く、普段の生活や仕事に差し支えるようになることもあります。そうなると病気の範囲に入り、医師による治療が必要になります。このように、年齢による変化によって、関節に痛みなどの症状が生じた状態が変形性関節症です。変形性関節症が最も問題となるのはひざ関節
高齢化が進み、日本は今や世界一の高齢化社会となっています。このため、変形性関節症で困る患者さんの数も増加しています。変形性関節症は全身のどの関節にも生じる病気ですが、最も起こりやすいのは、実は手の指の関節と言われています。実際、年配の方には手の指の関節が変形しているのを見かけることが少なくありません。
しかし、日常生活への影響が大きいのは、ひざ関節の変形性関節症(変形性ひざ関節症)です。ひざ関節は、立ったり歩いたりするときに必ず使う関節ですので、この関節の調子が悪くなると普段の生活に大きな支障が生じてしまいます。
変形性ひざ関節症 潜在的患者も含めると推定3000万人
では、どれくらいの方が変形性ひざ関節症にかかっているのでしょうか。少し前の調査結果になりますが、日本国内で治療が必要な変形性ひざ関節症の患者さんの数はおよそ1000万人、潜在的な患者さんも含めるとおよそ3000万人と推定されています。(https://www.mhlw.go.jp/shingi/2008/07/dl/s0701-5a.pdf )。
やはり、かなりの数の方がひざの痛みで苦しんでいることがわかると思います。あれ、でもこの結果、少し不思議に思いませんか? この結果は「潜在的な患者さん」が「治療が必要な患者さん」の2倍もいることを示しています。そもそも「潜在的な患者さん」と「治療が必要な患者さん」の違いとは? じつは、この一見、矛盾したようにも見える記述のウラには変形性関節症という病気の複雑さが潜んでいるのです。変形性ひざ関節症という病気とその複雑さについて、次回以降お話ししていきたいと思います。
(福井尚志 東京大学大学院教授)
福井 尚志(ふくい・なおし)
東京大学大学院総合文化研究科教授。
1960年生まれ。東京大学医学部卒。整形外科専門医。医学博士。独立行政法人国立病院機構相模原臨床研究センター客員研究員。日本整形外科学会、国際変形性関節症学会会員。ひざ関節の疾患を専門とし、特に変形性ひざ関節症については20年以上にわたって研究を続けている。
追記:私も膝・腰痛で悩んでいます。何年も前に膝にヒアルロン酸注射をしてもらいましたが効果なく現在はロキソニンテープ(処方)とドラックストアで購入したピップエレキバン200ミリテスラを交互に貼っています。ロキソニンテープ毎日続けて貼ると(毎日張り替える)かぶれが出ますし、ピップエレキバンも長く貼ると皮膚を傷めます。ピップエレキバンは永久磁石ですのでそれを止めるテープを変えれば消費しません。そのテープは100ショップで売っていますがダイソーが一番良いようです。それでも長く歩けませんのである日、散歩中にももをうんと上げて踵から着地したらひざに痛みを感じません。初めのころは心臓が苦しくてすぐに休憩しましたが、今は500メートルくらいは休憩なしで歩けます(大型スーパーの間の距離、休憩用のいすを利用するため)。腰の横に手を当てると股関節が動いてるのを感じます。腰の痛みもなくなります。整形外科の先生に話をするとそれは面白い続けください言われて歩くのが楽しくなりました。入浴の際はロキソニンは取りますが、ピップエレキバンは膝サポータをすれば剝がれませんので3,4日はそのままで行きます。
下記の記事はFRIDAY DIGITAからの借用(コピー)です。
東京・半蔵門にある、『ホテル グランドアーク半蔵門』。10月26日の夕方5時半過ぎ、そこから一台の黒塗りのミニバンが出てきた。後部座席には笑みを浮かべた小室圭さん(30)と、じっと前を見据(す)えたままの秋篠宮家の長女・眞子さん(30)の姿があった。
「この日、二人は結婚会見の会場となったホテルを後にして、渋谷区内にある短期滞在型のマンションに向かいました。このマンションはプロ野球の外国人選手などが利用することもある施設で、立地やセキュリティ面を考慮して選ばれたようです。警備は警視庁が24時間体制で行い、眞子さんの身の回りのお世話は皇室ゆかりの方が担当することになっています。これは’05年の黒田清子(さやこ)さんのご結婚のときと同様で、皇室の慣例に沿ったものです」(全国紙宮内庁担当記者)
この日、圭さんと眞子さんの婚姻届が受理された。同日午後2時から開かれた結婚会見は、事前に提出された質問に「誤った情報が事実であるかのような印象を与えかねない」ものが含まれているという理由で質疑応答がなくなり、文書回答に変更になった。結果、会見時間はわずか「11分間」だけとなったのだ。
「二人の結婚会見が開かれていた時間は仕事中でしたので、当日の夜に映像を見ました。久しぶりに圭君が喋(しゃべ)っている姿を見て、ずいぶん顔つきや話し方が大人っぽくなったなと思いました。一国民として、お二人の結婚にご祝福申し上げたいと思います。ただ、会見を見て違和感を抱いた点があったのも事実です」
そう語るのは、圭さんの母・佳代さんの元婚約者・A氏だ。圭さんは会見で、最も注目されていた「400万円金銭トラブル」について、次のように答えた。
<私の母と元婚約者の方との金銭トラブルと言われている事柄について、詳しい経緯は本年4月に公表したとおりです。元婚約者の方には、公表した文書でも書いたように、これまでも折に触れて私と私の母からお礼を申し上げており、今も感謝しております>
A氏はこの会見をどう見たのか。会見当日の夜、A氏に話を聞いた。
「まず『詳しい経緯は文書のとおり』という説明については、ある程度予想していました。気になったのは『(A氏に)折に触れて私と私の母からお礼を申し上げて』いたという点です。この10年ほど、佳代さんと圭君から何かお礼のようなことを言われたことはないのです」
A氏は’12年に佳代さんとの婚約が解消になった後も、彼らと同じマンションの別の部屋に住み続けていた。そこで二人とは時々顔をあわせていたが、挨拶程度のやりとりしかなかったという。’17年に圭さんと眞子さんの婚約が発表された際も、直接婚約について報告を受けることなどもなかった。A氏が話す。
「私はいまはそのマンションから引っ越してしまいましたが、携帯電話も固定電話もずっと番号は変えていません。それは、いつか圭君や佳代さんから何か連絡があるのではと思っていたからです。しかし、二人からはお金を渡したことについてのお礼どころか、なんの連絡もありませんでした。にもかかわらず、『折に触れてお礼を申し上げた』と言うのは、おかしいのではないでしょうか」
圭さんは会見で、小室家サイドが提案している「圭さんとA氏の直接交渉」について、こう語った。
「(直接交渉について)元婚約者の方からは、元婚約者の方の窓口となっている週刊誌の記者の方を通じて、前向きなお返事を頂いています。解決に向けて、私が出来る限り対応したいと思います。解決金を受け取って頂きたいという気持ちは変わっていません」
ここにもA氏は引っかかりを感じたという。A氏が続ける。
「私はあくまで金銭交渉の相手は佳代さんだと考えていましたが、先方から『直接交渉』の申し出があったので、それを受け入れようと思ったのです。それで、先方に10月26日の会見までに圭君と会うことを提案しました。それは二人を気持ちよく送り出したいという思いがあったからです。しかし、先方の代理人からは、圭君のスケジュールや警備の問題などを理由に色よい返事はありませんでした。
最終的にこちらからは『会見前に会場のホテルの別室などで会う形でもいい』という提案までしました。会場のホテルであれば、警備の問題もクリアされるのではと思ったからです。それでも先方からははっきりとした返答がなく、現時点で交渉の予定などは決まっていません。なぜ先方が会見前に私と会おうとしなかったのか、理由はわかりません。それなのに、会見では『前向きな返事をもらっている』と言うのは、強く疑問を感じました」
静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次氏はこう語る。
「眞子さんは体調のことがありますので、質問に文書で回答されるという形式は仕方がなかったと思います。しかし、小室さんだけ会場に残り、質疑応答に対応すべきだったのではないでしょうか。今回の会見で国民の理解が得られたとは思えません」
眞子さんのパスポートは11月中旬頃に発行される予定だという。二人はしばらく、渋谷区内のマンションに滞在し、渡米の準備を整えるとみられる。A氏が語る。
「私はかねてからお伝えしているように、金銭トラブルと二人の結婚は別問題と考えています。ただ、会見で事実ではないことを話したり、説明を尽くそうとしないのはおかしいのではと思いました」
「勝負の場」だったはずの機会をみすみす逃してしまった圭さんは、今後どうするのか。
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結婚会見から3日後の10月29日、東京都内の病院を訪れたのは小室圭さん(30)と眞子さん(30)夫妻だった。
この病院には眞子さんの祖父・川嶋辰彦さん(81)が入院中。眞子さんは夫となった小室さんを祖父に紹介したのだろう。
宮内庁関係者はこう語る。
「小室夫妻が病院に到着したのは18時過ぎ、少し遅れて佳子さまもいらっしゃいました。3人で川嶋さんをお見舞いしたのでしょう。19時ごろに病院を出るときには、どこか心配そうな表情を浮かべた眞子さんを小室さんが励ましていたそうです」
小室さんは鮮やかなブルーのシャツの裾をボトムスに入れないカジュアルなスタイル。会見のときは髪をきっちりとセットしていたが、この日は前髪をおろし、終始、顔に笑みを浮かべていた。
おそらくこのときには、小室さんは自身の司法試験の結果を知っていたことだろう。しかし落ち込んだ様子は見せず、逆に眞子さんを力づけていたというのだ。
日本中に衝撃が走ったのは、この3時間後だった。宮内庁関係者が続ける。
「22時ごろ、ニューヨーク州司法委員会が公式ホームページで司法試験合格者のリストを発表したのですが、小室圭さんは不合格だったのです。
実はもともと小室さんは、結婚会見翌日10月27日に再渡米する予定だったそうです。しかし眞子さんはパスポートなどの準備に1カ月ほどかかります。そこで眞子さんが小室さんに日本滞在期間を延ばしてもらうようお願いしたと聞いています。
ただ振り返ってみると、小室さんは司法試験に手ごたえを得ることができず、合格発表前に日本を離れようとしたのではないかという、邪推までできてしまうのですが……」
仮住まいは「ホテルでいえばスイートルーム」
現在、眞子さんと小室さんは渋谷区内にあるサービスアパートを仮住まいとして新婚生活を送っている。この地域の宿泊施設に詳しい旅行代理店関係者は次のように語る。
「おしゃれなブティックやカフェが立ち並ぶ青山通りにほど近い、高級住宅です。中長期滞在者向けですが1泊から利用することもできます。
小室夫妻が滞在しているのは、ある棟の最上階です。その位置から推測すると、おそらく2つのベッドルームに、リビングやダイニングもついているタイプの部屋です。一般のホテルでいうところのスイートルームをイメージしてください。バスタブも大きく、天井も高いので、閉塞感は覚えないと思います」
このサービスアパートの家賃は小室夫妻が支払っているという。
「外国人にも人気のアパートで、施設の利用法や電気器具の使用法についても英語で表記されていることが多いですね。オーブンや大型食洗器も組み込まれたシステムキッチンに、大型冷蔵庫や電子レンジ、トースター、コーヒーメーカーも備えられています」(前出・旅行代理店関係者)
キッチンはかなり充実しているいっぽうで、レストランはなく自炊をする必要がある。皇室担当記者はこう言う。
「買い物は、宮内庁職員が代行すると報じられています。おそらく正規の職員ではなく、秋篠宮家が私的に雇用した職員と思われます。黒田清子さんの新婚時代も、仮住まいのマンションに天皇家が私的に雇用した職員が通い、お買い物のサポートなどをしていましたからね。眞子さんは結婚で皇室とは縁を切ったつもりでいるのかもしれませんが、“援助”は続いているのです」
10人の警察官が3交代制で警護を
甘い雰囲気が漂っているであろう小室夫妻の仮住まい生活だが、一歩外に出ると、ピリピリとした緊張感に満ちあふれている。サービスアパートの小室夫妻の部屋の周囲では、SPたちが24時間体制で警護を続けているのだ。
「警護は、警視庁警備部が指揮を執っており、ほかにも所轄署から人員を派遣してもらっています。建物の外に5~6人、建物の中に4~5人。あわせて10人ほどが3交代制で詰めていますので、1日にのべ30人ほどが身辺警護のために稼働していることになりますね」(警察庁関係者)
眞子さんの渡米は11月中旬以降になる予定だという。
「この体制を1カ月続けるとすると、警護費用は1千800万円ほどになるでしょうか」(前出・警察庁関係者)
眞子さんと小室さんが外出する際には、さらに多くの警察官が出動することになる。
「10月28日に小室夫妻は、東京都内の運転免許試験場を訪れています。眞子さんの国際運転免許証の取得や、小室さんの運転免許の更新などの手続きのためと思われます。
アパートからは黒塗りのワンボックスのハイヤーで移動しましたが、助手席には女性SPが同乗していました。またその後ろには、セダンタイプの警察車両が続き、4人のSPが乗っていたのです。さらに運転免許試験場には5~6人の警察官が配置されていました」(前出・皇室担当記者)
■司法試験不合格で今後さらなる援助が
冒頭の病院のお見舞いも、ほぼ同じ警護レベルだった。外出時の増員を含めると、警護費用は2千万円にもなるだろう。
民間人になったのだから、税金で警護をするのはおかしいのでは……。そんな批判の声もある。だが10月26日付の毎日新聞の報道によれば、眞子さんの警護について、ある警察幹部はこう語ったという。
《皇籍を離脱されても、国内にいる限り、お守りするのが我々の仕事だ》
眞子さんが望むと望まざるとにかかわらず、警察は小室夫妻を守り続けるのだ。実は、元皇族という立場である限り行われる“援助”は、日本での宮内庁職員による買い物代行や警護ばかりではないという。
ニューヨーク在住の日本人ジャーナリストはこう語る。
「眞子さんの渡米を前に、すでに何カ月も前から在ニューヨーク日本国総領事館のスタッフが動きだしています。警護体制から買い物をどこですべきかまで、綿密なリサーチを進めてきたのです」
総領事館の動きについて、前出の宮内庁関係者はこう解説する。
「外務省の指示があったということで、おそらく宮内庁から協力要請があったのだと思われます。宮内庁にも“元皇族のお世話”も仕事の一環という認識があるのです。通常では外務省への依頼は宮内庁の式部職が窓口になっています」
本誌の取材によれば、小室夫妻の新居はマンハッタン島のアッパーウエストサイドにある高級アパートメントの予定だという。日本でいうところの2LDKで、家賃は約80万円。
「小室さんが弁護士になれば年収2千万円ほど。眞子さんと共働きであれば、年間1千万円近くの家賃も支払いは可能でしょう。小室さんは司法試験に再挑戦するそうです。しかし、ずっと合格できずに法務助手の立場のままであれば、生活設計の見直しも必要となるでしょう」(前出・皇室担当記者)
秋篠宮家の長女・眞子さんと結婚した小室圭さんが、ニューヨーク州の司法試験で不合格となったことが明らかになった。
小室さんは、今年7月にアメリカ・ニューヨーク州の司法試験を受験。現地時間の10月29日にニューヨーク州司法試験委員会の公式サイトで合格者が発表されたが、そこに小室さんの名前はなかった。
合格者全員の名前が公表されていたわけではなかったため、当初は“合否不明”と報じられていた。しかし、小室さんのニューヨーク留学を支援していた奧野善彦弁護士が、NHKの取材に対し、小室さん本人から不合格だったと報告を受けたと明かしたため、小室さんの不合格が確定となった。
現在、ニューヨークの大手法律事務所に「法務助手」として所属している小室さんは、弁護士となって眞子さんとニューヨークでの結婚生活を送る予定だった。ところが、残念ながらその計画は頓挫した形だ。
「いちばんの問題は、ニューヨークでの生活費です。小室さんの法律事務所であれば、法務助手の年収は600万円程度で、弁護士であれば2000万円程度と言われています。眞子さまと小室さんが住む予定のニューヨークの新居は、家賃80万円とも言われており、法務助手の年収だけでそこに住むのはほぼ不可能。とはいえ、皇室関係者である2人はセキュリティーがしっかりしたところに住む必要があり、家賃の安い物件を選択するのは難しい。ニューヨークでの新婚生活にいきなり黄色信号が灯っている状態です」(皇室ジャーナリスト・以下同)
秋篠宮さまは、結婚の条件の1つとして、小室さんに対し、“就職して経済的に安定すること”を挙げたとされている。
「ニューヨークで生活するならば、法務助手の小室さんは“経済的に安定している”とは言い難い。つまり、小室さんはいきなり結婚の条件をクリアできない状況に陥ってしまったわけです。秋篠宮さまとの約束を破ったような形になっている以上、経済的な安定を求めて、物価の高いニューヨークでの生活を諦め、日本で生活をするという選択肢も視野に入ってくるかもしれません」
そもそも眞子さんの「海外に生活拠点を設けたい」という願いを受けて、小室さんはニューヨークへの留学を前倒しにした。小室さんが司法試験に合格し、充分な年収を確保してこそ、眞子さんの願いを実現できる。
しかし、皇籍を離脱する際の一時金を辞退していることもあり、決して金銭的な余裕があるとは言えない。小室さんの年収が足りないのであれば、眞子さんが働いて、生活費を確保する形になる可能性も高い。
眞子さんについては、ニューヨーク・タイムスが「アートに関する仕事につくかもしれない」などと報じており、メトロポリタン美術館などが勤務先候補として浮上している。
「メトロポリタン美術館の学芸員であれば、年収1500万円程度と言われています。もしも眞子さんがフルタイムで勤務し、それだけの収入を得れば、どうにかニューヨークでの生活もできるかと思います」
金銭トラブルの解決も先送りか
小室さんは来年2月の司法試験を再度受験する意向であると言われている。
「これまで小室さんは、司法試験に向けてロースクールでの勉強に専念していましたが、今後は法務助手として働きながら試験勉強をすることとなります。次の試験で合格すればいいのですが、そもそもニューヨーク州の司法試験における外国人の合格率は3割程度と言われており、小室さんにとっては決して簡単な試験ではないんですよ」
小室さんを待っているのは過酷な試験勉強だ。
「小室さんにとっては、これから2月までの期間はもっとも重要な時間となりますね。いくつもの障壁を超えてやっと結婚することができたのに、ここで司法試験に落ちれば、すべてが水の泡。これから3か月は、必死に勉強して、何が何でも司法試験に合格するしかない。
裏を返せば、仕事と試験勉強以外には何も動けないということになると思います。たとえば、母・佳代さんの金銭トラブルへの対応なども、小室さんが司法試験に合格するまでは、新たな動きもないと予想することもできます。そういう意味では、小室家に関するさまざまなトラブルや疑惑の解決が先延ばしになったとも言えるでしょう」
カリフォルニア州の司法試験で1度不合格となっているカマラ・ハリス米副大統領や、イリノイ州の司法試験で1回落ちているミシェル・オバマ元大統領夫人がなど、名だたる著名人も苦戦を強いられているアメリカの司法試験。果たして小室さんは、その難関を突破することができるのだろうか。