下記の記事は婦人公論.jpからの借用(コピー)です。
「家には使用済みの注射器が散乱していたーー」。テレビ番組のコメンテーターとしても活躍する、医師のおおたわ史絵さん。自身のクリニックを閉じ、この1年は矯正施設で勤務しているという。なぜ、その道を選んだのだろうか。(構成=丸山あかね 撮影=本社写真部)
断腸の思いで病院をクローズして
2018年6月から非常勤医師として矯正医療(刑務所などの矯正施設の医務部において受刑者の医療措置や健康管理を行うこと)に従事しています。受刑者の多くは過去に不健全な生活をしていたという経緯から、持病を抱えているケースも少なくありません。受刑者の高齢化もまた、社会問題の一つです。
犯罪者と接するのは怖くないのか? と訊かれることも多いのですが、答えはノーです。むしろどんな人が来るかわからない一般病院の密室で患者さんと向き合うことのほうがリスキーかもしれません。矯正医療においては同室に複数の医師が並んで診察を行いますし、屈強な刑務官が何人も立ち会います。受刑者と2人きりになることはありません。今までに怖い思いをしたことは一度もないですよ。
とはいえ、矯正医療に携わろうと考える医師は少ないのが現実。国民の税金で治療を行うため、行える医療に限りがあり、歯がゆいのかもしれません。一般病院に比べて給与が高くないこともあるでしょう。それ以前に何より、この仕事は医師の間でもあまり知られていないのです。そんななか、なぜ、あなたは矯正施設で働くことに決めたのですか? と問われたら、運命に導かれて、と答えます。不思議な流れを感じるのです。
医師だった父が他界したのは03年。以来私は、父が遺した医療法人を継ぐことが自分の使命だと考えて走り続けてきました。ところが3年ほど前、頼りにしていた医師が体調を崩してしまい、そこへさまざまなトラブルが重なり、すっかり疲弊した私は断腸の思いで病院をクローズしようと考えました。
そのための手続きを1年がかりで終えたのが17年の半ば。事務的な忙しさに追われ、その後の自分の身の振り方について具体的に考える余裕はなかったのですが、自分に運や縁や力があれば、必ずまた医師として働けると思っていました。
そこで力試しのつもりで、総合内科専門医の資格を取ろうと半年間、ひたすら勉強し、合格。これからどうしようかと考え始めたところ、友人から「法務省が矯正医療の医師を探している」という情報が飛び込んできたのです。
絶妙なタイミングでした。矯正医療と聞いて「やる!」と答えたきっかけは、犯罪者の医学面の特質を知ったことでした。受刑者の罪状はさまざまですが、多くの場合、犯罪と依存症はセットになっています。
たとえばアルコール依存の人はお酒欲しさに窃盗をする。女性の性犯罪にしても、薬物依存と密接な関係にあります。薬物を買うお金を得るために体を売る女性がどれほど多いことか。
かたや最近では、女子マラソン元日本代表選手が摂食障害からクレプトマニア(窃盗症)に陥ってしまったと告白して話題を集めていましたね。実は摂食障害も依存症の一種なのです。
つまり、受刑者と向き合うことは依存症の人と向き合うことに等しい。このことが決め手となり、私は矯正医療に従事することを決めたのです。
ここで少し、薬物依存だった亡き母の話をさせてください。
死ぬほどやめたいのに死ぬほどやりたい
母は異常なほどの教育ママでした。娘を医者にすることだけが目標のように見えました。私が小学校に入学したあたりから、失敗すると物差しで叩く、椅子から叩き落とす。帰りが遅くなれば手にお灸を据えると脅され、泣きながら許しを乞うたものです。飲み物に下剤を入れられたこともありました。体罰はどんどんエスカレートしていきましたが、母の期待に応えようと私も必死でした。
体調不良から、体の痛みを訴えるようになった母に父が麻薬性の鎮痛剤を注射したことから、母は薬物依存へと陥っていきます。もともと看護師だった母は自宅の階下にある病院から鎮痛剤を勝手に持ち出しては、自分で腕や脚に注射を打つことも容易にできたため、事態はたちまち深刻化したのです。
私が中学生になる頃には母の体は注射痕だらけで、精神科に入退院を繰り返すようになっていました。退院すると母は決まって私に弱気な表情を見せ、「今度こそママは薬をやめるからね」と告げるのですが、翌日には別人のように平然とまた注射を打っている。
何度こうして裏切られたことでしょう。使用済みの注射器や空になったアンプルがそこかしこに散乱している。そんな恐ろしい光景がいつしかわが家の日常になっていました。
当時は、なぜ母は平気で私を裏切るのだろうと打ちひしがれていたのですが、医学を学んだ今ならわかります。死ぬほどやめたいのに、死ぬほどやりたいのが依存症なのだと。
依存を断つことができないのは、意志が弱いためではなく脳の問題。薬物依存に限らず、アルコール依存もギャンブル依存も買い物依存もセックス依存も、あらゆる依存症は恍惚感の刻まれた脳に支配され続ける病です。
先日、依存症の専門医と話をする機会がありました。「依存症の人は自分が依存症だという自覚はあるけれど、脳の指令に逆らえず、結果として罪悪感に蓋をしてしまう」と話していたのが印象的です。だからこそ、母も家族を裏切り続けることができたのでしょう。
また、その方から、「依存症の人は恍惚感を得るためなら手段を選ばない」と言われ腑に落ちました。母の心は薬を手に入れることに完全に支配されていたのです。
考えてみれば私を医者にすることに異常なほどに固執したのも、薬のためなのかもしれません。年老いていく父がいつか死んでしまったら、薬の供給源はなくなる。それを補うためには娘が跡を継ぐのが一番の方法でしょう。
最愛の娘ですら、依存の欲求を満たす道具としか見られなくなった母の脳は、あまりにも醜く、そして悲しい状態でした。
こんな母なら死んでほしい、と本気で思った
私が研修医時代に結婚したのは、優しい夫と巡り合うことができたからですが、一日も早く実家を出て母から逃れたいという気持ちも強かった。
ところが結婚すれば安泰というわけにはいきませんでした。ある日、父から「薬を渡すのを渋ったら、ママが暴力を振るうようになった」とSOSがあり、私は再び地獄へと引きずり戻されてしまうのです。
このとき相談に乗ってくれた薬物依存の専門医から、「依存症は手を貸す人間がいなければ成立しない」とアドバイスを受けてハッとしました。母に対して「薬をやめなさい」と口では言いながら、結局は注射薬を与えている。歪んだ愛の共依存関係にあることを諭されたのです。そこでその共依存を断つため、父と二人、家族のための収容施設へ2週間ほど逃げました。
その後も専門医の指導のもと、父と私の闘いは来る日も来る日も続きました。薬物を断つために可能な限りの方法を取りましたが、そう簡単に解決するものでもなく、依存症の根の深さを身に染みて感じることとなりました。
さらに父が肝不全で他界すると、母はよりいっそう私に依存するようになり、昼夜を問わず電話をしてきて「体が痛い」と訴えるようになります。とりあわないと何度でも救急車を呼んでしまいます。それでいて、親戚や知人には、私が父の遺産を盗んだと作り話を言いふらすなどメチャクチャで……。
寂しさゆえだったのでしょうけど、もう限界、こんな母なら死んでほしい、と本気で思いました。
母と対峙していると、叩いて黙らせたいという衝動に駆られることもありました。ひとたび手をあげたら抑えていた感情が爆発し、もしかしたら本当に殺してしまうかもしれないと思うと怖かった。そこで思い切って母との距離をとりました。ほぼ絶縁状態です。心の苦しい日々でした。
そんなある日、母は自宅のベッドの上で心臓発作を起こし、孤独死してしまった。5年前のことです。第一発見者は私でした。死んでほしいと思っていたはずなのに、咄嗟に心臓マッサージをした自分の行動には驚きました。そして、「ママ、ごめんね」というやりきれない思いだけが残りました。
私にとって矯正医療を通して依存症の人と向き合うことは、医師でありながら救うことができなかった母への贖罪なのかもしれません。
依存脳を変えるのは不可能に近い
日本において特に多い犯罪は窃盗と薬物ですが、どちらも再犯率の高い犯罪です。それは言うまでもなく、依存との関係性が深いから。
覚せい剤依存の人は何年刑務所に服役しても、出所した途端に覚せい剤がほしいのです。長期間の刑期をまっとうしたからといって、根本的な脳は変わっていません。依存体質はなくなりはしないのです。周囲の理解や正しい協力も重要ですが、愛を注ぐことで改善するとは必ずしも言えないという事実も忘れてはなりません。
結論からいえば、出所後、依存症である本人が「今日も我慢することができた」と一日一日を超えていくためには、専門医や施設の力を借り、依存から抜け出す環境を整えることが大切なのです。
でも一筋縄ではいきません。症状が深刻である人に限って専門家のもとへ行かないものです。本人は再び依存状態に陥っていることを隠しますし、家族が強制的に病院や施設に連れて行くのも難しいといった問題もあります。
家族が依存症だと悩んでおられる方に私がお勧めするのは、「(依存症患者の)家族の会」などに参加し、同じ悩みを抱える方と痛みを共有することです。
家族は依存症本人に治ってほしいと考えてしまいがちですが、ひとたび形成された依存脳を変えるのは、まず不可能に近いもの。現実的に家族の苦しみを軽くするには、自分の心の持ちようを変えるほうが効果的なのです。
家族会に参加すれば、現状は変わらなくても、つらいのは自分だけではないとわかり、少しは楽になる。適切な対応の仕方などの情報を得ることで活路を見出すこともできるでしょう。そうやって自分自身を変えていくと心が軽くなるものです。受刑者たちに医師としてできること
周知のように矯正施設は犯罪者が罪を償う場所であり、二度と同じ過ちを犯すまいと改心するよう誘うことが目的です。けれど残念ながら、根底に依存症が潜んでいる限り、処罰や拘束だけで再犯を防ぐことは難しいと言えるでしょう。
真に改善へと促すためには、法と医療が力を合わせて取り組む必要があると、私はかねてテレビなどでも発言してきました。刑務所の中でこそ、罪を犯す脳や依存する脳の再構築に全力を尽くすべきです。
健康な体を取り戻すことは健全な心を取り戻す第一歩となります。医務部は矯正施設の中で唯一といえる談笑できる空間。診察・治療をしながら、人間関係の大切さを伝えることのできる絶好の場だと思っています。私が心がけているのは、受刑者であれ、ほかの一般患者さんと同じように接し、相手の言葉を傾聴すること。
「再犯なんて減らせないよ」
人はそう言います。たしかに感情のない人や、罪悪感に蓋をしたままの人を目の当たりにして暗澹たる気持ちになることもないわけではありません。
でもたとえ100人に伝えてダメでも、101人めには何かが変わるかもしれないじゃないですか。依存症の現実を目の当たりにしてきた自分だからこそできることがここにはあると感じます。
私ね、自分が医者になった意味が、いま初めてわかったような気がしているんですよ。
構成: 丸山あかね
撮影: 本社写真部
出典=『婦人公論』2019年5月14日号
おおたわ史絵
内科医
東京都生まれ。東京女子医科大学卒業後、大学病院勤務、開業医を経て、現在は矯正施設の非常勤医師として勤務するかたわら、『情報ライブ ミヤネ屋』などのコメンテーターとしても活躍している。