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おおたわ史絵「薬物依存に陥り、孤独死した母を見つめて」

2021-11-26 15:30:00 | 日記

下記の記事は婦人公論.jpからの借用(コピー)です。

「家には使用済みの注射器が散乱していたーー」。テレビ番組のコメンテーターとしても活躍する、医師のおおたわ史絵さん。自身のクリニックを閉じ、この1年は矯正施設で勤務しているという。なぜ、その道を選んだのだろうか。(構成=丸山あかね 撮影=本社写真部)
断腸の思いで病院をクローズして
2018年6月から非常勤医師として矯正医療(刑務所などの矯正施設の医務部において受刑者の医療措置や健康管理を行うこと)に従事しています。受刑者の多くは過去に不健全な生活をしていたという経緯から、持病を抱えているケースも少なくありません。受刑者の高齢化もまた、社会問題の一つです。
犯罪者と接するのは怖くないのか? と訊かれることも多いのですが、答えはノーです。むしろどんな人が来るかわからない一般病院の密室で患者さんと向き合うことのほうがリスキーかもしれません。矯正医療においては同室に複数の医師が並んで診察を行いますし、屈強な刑務官が何人も立ち会います。受刑者と2人きりになることはありません。今までに怖い思いをしたことは一度もないですよ。
とはいえ、矯正医療に携わろうと考える医師は少ないのが現実。国民の税金で治療を行うため、行える医療に限りがあり、歯がゆいのかもしれません。一般病院に比べて給与が高くないこともあるでしょう。それ以前に何より、この仕事は医師の間でもあまり知られていないのです。そんななか、なぜ、あなたは矯正施設で働くことに決めたのですか? と問われたら、運命に導かれて、と答えます。不思議な流れを感じるのです。
医師だった父が他界したのは03年。以来私は、父が遺した医療法人を継ぐことが自分の使命だと考えて走り続けてきました。ところが3年ほど前、頼りにしていた医師が体調を崩してしまい、そこへさまざまなトラブルが重なり、すっかり疲弊した私は断腸の思いで病院をクローズしようと考えました。
そのための手続きを1年がかりで終えたのが17年の半ば。事務的な忙しさに追われ、その後の自分の身の振り方について具体的に考える余裕はなかったのですが、自分に運や縁や力があれば、必ずまた医師として働けると思っていました。
そこで力試しのつもりで、総合内科専門医の資格を取ろうと半年間、ひたすら勉強し、合格。これからどうしようかと考え始めたところ、友人から「法務省が矯正医療の医師を探している」という情報が飛び込んできたのです。
絶妙なタイミングでした。矯正医療と聞いて「やる!」と答えたきっかけは、犯罪者の医学面の特質を知ったことでした。受刑者の罪状はさまざまですが、多くの場合、犯罪と依存症はセットになっています。
たとえばアルコール依存の人はお酒欲しさに窃盗をする。女性の性犯罪にしても、薬物依存と密接な関係にあります。薬物を買うお金を得るために体を売る女性がどれほど多いことか。
かたや最近では、女子マラソン元日本代表選手が摂食障害からクレプトマニア(窃盗症)に陥ってしまったと告白して話題を集めていましたね。実は摂食障害も依存症の一種なのです。
つまり、受刑者と向き合うことは依存症の人と向き合うことに等しい。このことが決め手となり、私は矯正医療に従事することを決めたのです。
ここで少し、薬物依存だった亡き母の話をさせてください。

死ぬほどやめたいのに死ぬほどやりたい
母は異常なほどの教育ママでした。娘を医者にすることだけが目標のように見えました。私が小学校に入学したあたりから、失敗すると物差しで叩く、椅子から叩き落とす。帰りが遅くなれば手にお灸を据えると脅され、泣きながら許しを乞うたものです。飲み物に下剤を入れられたこともありました。体罰はどんどんエスカレートしていきましたが、母の期待に応えようと私も必死でした。
体調不良から、体の痛みを訴えるようになった母に父が麻薬性の鎮痛剤を注射したことから、母は薬物依存へと陥っていきます。もともと看護師だった母は自宅の階下にある病院から鎮痛剤を勝手に持ち出しては、自分で腕や脚に注射を打つことも容易にできたため、事態はたちまち深刻化したのです。
私が中学生になる頃には母の体は注射痕だらけで、精神科に入退院を繰り返すようになっていました。退院すると母は決まって私に弱気な表情を見せ、「今度こそママは薬をやめるからね」と告げるのですが、翌日には別人のように平然とまた注射を打っている。
何度こうして裏切られたことでしょう。使用済みの注射器や空になったアンプルがそこかしこに散乱している。そんな恐ろしい光景がいつしかわが家の日常になっていました。
当時は、なぜ母は平気で私を裏切るのだろうと打ちひしがれていたのですが、医学を学んだ今ならわかります。死ぬほどやめたいのに、死ぬほどやりたいのが依存症なのだと。
依存を断つことができないのは、意志が弱いためではなく脳の問題。薬物依存に限らず、アルコール依存もギャンブル依存も買い物依存もセックス依存も、あらゆる依存症は恍惚感の刻まれた脳に支配され続ける病です。
先日、依存症の専門医と話をする機会がありました。「依存症の人は自分が依存症だという自覚はあるけれど、脳の指令に逆らえず、結果として罪悪感に蓋をしてしまう」と話していたのが印象的です。だからこそ、母も家族を裏切り続けることができたのでしょう。
また、その方から、「依存症の人は恍惚感を得るためなら手段を選ばない」と言われ腑に落ちました。母の心は薬を手に入れることに完全に支配されていたのです。
考えてみれば私を医者にすることに異常なほどに固執したのも、薬のためなのかもしれません。年老いていく父がいつか死んでしまったら、薬の供給源はなくなる。それを補うためには娘が跡を継ぐのが一番の方法でしょう。
最愛の娘ですら、依存の欲求を満たす道具としか見られなくなった母の脳は、あまりにも醜く、そして悲しい状態でした。

こんな母なら死んでほしい、と本気で思った
私が研修医時代に結婚したのは、優しい夫と巡り合うことができたからですが、一日も早く実家を出て母から逃れたいという気持ちも強かった。
ところが結婚すれば安泰というわけにはいきませんでした。ある日、父から「薬を渡すのを渋ったら、ママが暴力を振るうようになった」とSOSがあり、私は再び地獄へと引きずり戻されてしまうのです。
このとき相談に乗ってくれた薬物依存の専門医から、「依存症は手を貸す人間がいなければ成立しない」とアドバイスを受けてハッとしました。母に対して「薬をやめなさい」と口では言いながら、結局は注射薬を与えている。歪んだ愛の共依存関係にあることを諭されたのです。そこでその共依存を断つため、父と二人、家族のための収容施設へ2週間ほど逃げました。
その後も専門医の指導のもと、父と私の闘いは来る日も来る日も続きました。薬物を断つために可能な限りの方法を取りましたが、そう簡単に解決するものでもなく、依存症の根の深さを身に染みて感じることとなりました。
さらに父が肝不全で他界すると、母はよりいっそう私に依存するようになり、昼夜を問わず電話をしてきて「体が痛い」と訴えるようになります。とりあわないと何度でも救急車を呼んでしまいます。それでいて、親戚や知人には、私が父の遺産を盗んだと作り話を言いふらすなどメチャクチャで……。
寂しさゆえだったのでしょうけど、もう限界、こんな母なら死んでほしい、と本気で思いました。
母と対峙していると、叩いて黙らせたいという衝動に駆られることもありました。ひとたび手をあげたら抑えていた感情が爆発し、もしかしたら本当に殺してしまうかもしれないと思うと怖かった。そこで思い切って母との距離をとりました。ほぼ絶縁状態です。心の苦しい日々でした。
そんなある日、母は自宅のベッドの上で心臓発作を起こし、孤独死してしまった。5年前のことです。第一発見者は私でした。死んでほしいと思っていたはずなのに、咄嗟に心臓マッサージをした自分の行動には驚きました。そして、「ママ、ごめんね」というやりきれない思いだけが残りました。
私にとって矯正医療を通して依存症の人と向き合うことは、医師でありながら救うことができなかった母への贖罪なのかもしれません。

依存脳を変えるのは不可能に近い
日本において特に多い犯罪は窃盗と薬物ですが、どちらも再犯率の高い犯罪です。それは言うまでもなく、依存との関係性が深いから。
覚せい剤依存の人は何年刑務所に服役しても、出所した途端に覚せい剤がほしいのです。長期間の刑期をまっとうしたからといって、根本的な脳は変わっていません。依存体質はなくなりはしないのです。周囲の理解や正しい協力も重要ですが、愛を注ぐことで改善するとは必ずしも言えないという事実も忘れてはなりません。
結論からいえば、出所後、依存症である本人が「今日も我慢することができた」と一日一日を超えていくためには、専門医や施設の力を借り、依存から抜け出す環境を整えることが大切なのです。
でも一筋縄ではいきません。症状が深刻である人に限って専門家のもとへ行かないものです。本人は再び依存状態に陥っていることを隠しますし、家族が強制的に病院や施設に連れて行くのも難しいといった問題もあります。
家族が依存症だと悩んでおられる方に私がお勧めするのは、「(依存症患者の)家族の会」などに参加し、同じ悩みを抱える方と痛みを共有することです。
家族は依存症本人に治ってほしいと考えてしまいがちですが、ひとたび形成された依存脳を変えるのは、まず不可能に近いもの。現実的に家族の苦しみを軽くするには、自分の心の持ちようを変えるほうが効果的なのです。
家族会に参加すれば、現状は変わらなくても、つらいのは自分だけではないとわかり、少しは楽になる。適切な対応の仕方などの情報を得ることで活路を見出すこともできるでしょう。そうやって自分自身を変えていくと心が軽くなるものです。受刑者たちに医師としてできること
周知のように矯正施設は犯罪者が罪を償う場所であり、二度と同じ過ちを犯すまいと改心するよう誘うことが目的です。けれど残念ながら、根底に依存症が潜んでいる限り、処罰や拘束だけで再犯を防ぐことは難しいと言えるでしょう。
真に改善へと促すためには、法と医療が力を合わせて取り組む必要があると、私はかねてテレビなどでも発言してきました。刑務所の中でこそ、罪を犯す脳や依存する脳の再構築に全力を尽くすべきです。
健康な体を取り戻すことは健全な心を取り戻す第一歩となります。医務部は矯正施設の中で唯一といえる談笑できる空間。診察・治療をしながら、人間関係の大切さを伝えることのできる絶好の場だと思っています。私が心がけているのは、受刑者であれ、ほかの一般患者さんと同じように接し、相手の言葉を傾聴すること。
「再犯なんて減らせないよ」
人はそう言います。たしかに感情のない人や、罪悪感に蓋をしたままの人を目の当たりにして暗澹たる気持ちになることもないわけではありません。
でもたとえ100人に伝えてダメでも、101人めには何かが変わるかもしれないじゃないですか。依存症の現実を目の当たりにしてきた自分だからこそできることがここにはあると感じます。
私ね、自分が医者になった意味が、いま初めてわかったような気がしているんですよ。
構成: 丸山あかね
撮影: 本社写真部
出典=『婦人公論』2019年5月14日号
おおたわ史絵
内科医
東京都生まれ。東京女子医科大学卒業後、大学病院勤務、開業医を経て、現在は矯正施設の非常勤医師として勤務するかたわら、『情報ライブ ミヤネ屋』などのコメンテーターとしても活躍している。   


草笛光子さんの若々しさの秘訣は運動と…新聞!?

2021-11-26 13:30:00 | 日記

ハルメクWeb様のホームページより下記の記事をお借りして紹介します。(コピー)です。

 

87歳の今も俳優として第一線で活躍する・草笛光子(くさぶえ・みつこ)さん。草笛さんのハツラツとした姿と言葉から、きれいにを生きるヒントを学ぶ特集です。第3回は、若々しさの秘訣をお届けします。体づくりと知的好奇心を保つ方法が参考になります。

「自然体ですねって、最近よく言われるけれど、私は普通に生きているだけ」とさらりと話すきっぷのよさも草笛光子さんの魅力です

目次

  1. 若さの秘訣はよく食べて良く体を動かすこと
  2. 夜ふかしが大好き。新聞をじっくり読み想像力をUP
  3. 犬とのつながりは、人間以上
  4. 舞台の芝居は体力勝負!だからこそ一日一日を大切にする
  5. 草笛光子さんのプロフィール
  6. 2021年10月公開映画「老後の資金がありません!」に出演

若さの秘訣はよく食べて良く体を動かすこと

ロングカーディガン、ストール、パンツ、帽子/すべてYUKI TORII アクセサリー/アビステ インナー、靴/ともに私物

誰もが思わず見とれる美しいグレイヘアに、気品と茶目っ気が融け合ったような柔らかな表情。すっと背中を伸ばしてカメラの前に立つと、草笛さんはポーズも表情もクルクルと変えていきます。その様子は、まるで一人舞台のよう。

撮影を終えると、「私、よく食べるんです。こんなふうにね」と、カツサンドをパクリ。よく食べて、よく体を動かす、それが若さの秘訣なのかもしれません。

70歳を過ぎて自分の体と向き合ったとき、このままじゃダメだと思ったんです。以来、週に一度、パーソナルトレーナーの方についていただいて、2時間じっくり体を動かしています。もう12年(※)くらい続けていて、だからこの年でも体がもっているんでしょうね。※2019年6月インタビュー時

「その12年の付き合いのトレーナーから、『草笛さんは、いつも自分の体と対話している。だから病気になってもへこたれない』と言われました。自分でもそう思いますね。

私が朝晩しているマッサージは、本を読んだり、誰かに教わったりしたわけでなく、自分なりに体と向き合って“こうすればいいだろう”と考えた方法です。他にも自己流で、舌が乾燥しないようにお風呂の中でベロを出す習慣を何年も前から続けています。

そのことを信頼しているお医者様に話したら、『舌を出して血の巡りをよくすると、耳にも脳にもいい。よく考えましたね』って言われました。いばるわけじゃないけど、ちょっといばらしてもらうと(笑)、自分で考えて続けてきた健康法が、後から新聞や本に出て、やっぱりよかったんだ、と知ることが多いんです。

夜ふかしが大好き。新聞をじっくり読み想像力をUP

黄色麻ブラウス、ネイビーパンツ/ともにリツコ シラハマ、アクセサリー/アビステ 靴/私物

 

とはいえ、規則正しく健康的な生活をしている、というわけでもないと草笛さん。

「自分でも恥ずかしいくらい、“規則正しくない生活”をしています。夜ふかしが大好きで、睡眠時間は長くて5~6時間。3~4時間の日もあります。7時間睡眠が一番長生きするらしいですから、私は短命かもしれない……なんて、この年になって言っちゃおかしいわね(笑)」

そんなに夜更けまで、何をしているのでしょうか。

「よく新聞を読んでいます。新聞は2紙購読していて、読むことで世界と自分がつながっているのを感じるんです。よくわからなくても政治面でも経済面でも何でも読むし、小さな事件の記事もじっくり読み込みます。

いいニュースがあれば、うれしくて涙が出ることもあるし、子どもや動物の虐待事件があったりすると、悔しくて悔しくて“このやろう”と思って、その犯人を殺しに行きたいとも思います。恐ろしい女かしら? そこまで私は思うんだ、と自分を知ることにもなりますね。

どんな記事でも、私自身がどう感じたか、何を考えたか――これがとっても大事で、いつも新聞を読みながら自分に質問しています」

実は新聞をじっくり読むようになったのは30代の頃のことだそうです。

「今はもう亡くなってしまった女友達から『新聞には、すごいドラマがあるのよ。一つ一つ読み解いていったら、女優としてもいい勉強になるんじゃない?』と言われたのがきっかけでした。

彼女が言った通り、新聞を読むと、短い記事からいろんなことを想像したり、発見したり、喜怒哀楽さまざまな気持ちになります。それは女優として表現の土台になることも多いですね。アドバイスをくれた彼女には深く感謝しています」

犬とのつながりは、人間以上

“伴侶”のような存在だった愛犬のマロと(「Precious」2018年6月号より 撮影=浅井佳代子)

このインタビューの1年ほど前(2018年)に、草笛さんは悲しい別れを経験しました。長年のパートナーだった愛犬、マロが14歳で亡くなったのです。

「人間は言葉で言わないと伝わらなかったりしますけど、犬っていうのは不思議で、言葉をしゃべらなくたって、表情と気配で気持ちのやりとりができる。マロが死んだとき、ああ、この子は私を守るために私の元へ来たんだな、と思いました。そのくらい私はマロに支えられていましたね。

だから今、恋しいんですよ。夕方、一人で散歩に出ると、いつもこの時間はマロと散歩をしていたなと思い出して、涙が出そうでたまらなくなって、急いで家に帰っちゃうこともあります。マロがおしっこをしていた電信柱のそばに行くと、鼻をくっつけてニオイを嗅ぎたくなる。もちろん我慢しますけど(笑)、そのくらい犬とのつながりは深い。人間以上ですね」

朝起きると、カーテンをパーッと開けて、空に向かって「マロ、元気? 今日もママのそばについていて」と、語り掛けるという草笛さん。

「すると、そっと空を、あの黒いラブラドールが飛んでいるように思うの。それで『よろしくね』と言って、また横になって二度寝をしちゃったり……。何だか今も、マロが見守ってくれているような気がするんです」

舞台の芝居は体力勝負!だからこそ一日一日を大切にする

ジャケット、パンツ/ともにYUKI TORII アクセサリー/アビステ 靴/私物

2019年6月から、草笛さんは新たな舞台「ドライビング ミス デイジー」に出演。一人のユダヤ人女性の70代から90代までを演じます。

「私くらいの年齢になると、日本ではメインで演じさせていただく作品が少なくなるんです。やっぱり日本は若者が中心ですからね。この『ドライビング ミス デイジー』は、前に舞台を見ていて、“おばあさんにこそできる役だ!”と思って、いつかやりたいリストに入れていたんです」

だから草笛さんは、長いお付き合いの市村正親(いちむら・まさちか)さんから、一緒にやろうと電話をもらったときは、二つ返事で引き受けたそうです。

「舞台のお芝居は体力勝負で、やはり苦しいものです。しかもこの舞台は新たに挑戦する作品で2時間以上、出っ放し、しゃべりっ放し。セリフも多いんです。

私は今85歳。自分の“老い”をもちろん感じています。でも舞台に出て行ったら、病気だろうが、苦しかろうが、そんなことは見せられない。それを見るのは、私自身だけで十分です。

普段は体と対話しながら自分をいたわっていますが、舞台では一切いたわりなし。だからこそ、元気が必要なんです。

元気というのは、体力だけでなく、何より気力が第一だし、目や声の力も大事です。だから自分とちゃんと向き合って、一日一日を大切に生きる――それが元気につながると、私は信じているんです」

草笛光子さんのプロフィール

くさぶえ・みつこ 1933(昭和8)年、神奈川県生まれ。50年松竹歌劇団に入団。53年に映画デビュー。日本ミュージカル界の草分け的存在で「ラ・マンチャの男」「シカゴ」などの日本初演に参加。その演技が認められ、芸術祭賞、紀伊國屋演劇賞個人賞、毎日芸術賞など受賞多数。99年に紫綬褒章、2005年に旭日小綬章を受章。


「脳死になったら僕のをあげてね」小6息子の希望かなえて…

2021-11-26 12:00:00 | 日記

ヨミドクター様のホームページより下記の記事をお借りして紹介します。(コピー)です。

 

脳死の人からの臓器提供を認めた臓器移植法が施行されて、16日で20年。必要とする患者と提供数には、いまなお大きな隔たりがある。初めて取材に応じた子どものドナー(臓器提供者)の遺族ら関係者を通じて、その課題を追った。

病室のベッドで眠るように安らかな表情の息子を、母(39)は必死で抱きしめた。息子は脳死となり、日本では数少ない子どものドナーになった。臓器は各地の患者のもとへ旅立った。

「体が冷たくなってる!!」

思わずそう叫んでなきがらを抱え、温めた。小学6年生。急にたくましくなった体は、臓器が取り出されても、やはり重かった。

「愛情のバケツが空にならないように、ぎゅうっとするよ」

抱き合うときの家族の合言葉を、母は心のなかでつぶやいた。横で父(47)は息子の頭をなでて、「頑張ったな」と話しかけた。

別れは突然だった。入浴したはずが、静か過ぎるのが気になり母は声をかけた。反応がないので見に行くと、湯船に沈んでいた。駆けつけた救急隊員らの処置で心臓は鼓動を再開したが、意識は戻らない。柔道に打ち込んでいた息子は、それまで健康そのもの。原因はわからなかった。

入院から約1週間、主治医に脳波のデータを見せられた。明らかに平らな線。

「脳死の状態ですか」

恐る恐る尋ねると、主治医はうなずいた。回復を願っていた両親に、つらい現実が突きつけられた。

クラスの盛り上げ役で、いつも人を笑顔にした。友達の悩みにも、自分のことのように考え込む。母が体調を崩すと、言われなくても小さな妹の面倒を見た。柔道は強くなかったけれど、練習は皆勤だった。

「人の役に立ちたい」というのが夢。テレビのドキュメンタリー番組が大好きで、臓器移植で元気になった子どもの映像を見て涙し、家族に話していた。

「もし僕が脳死になって、助かる人がいたら、僕のをあげてね」

両親は思いきって、臓器提供を申し出た。

脳死ドナーは2017年9月までに計475人。15歳未満の子どもがドナーになれるようになったのは法改正後の10年からだが、7年でわずか15人。海外渡航して移植を受ける子どもも後を絶たない。ドナーが少ない要因の一つには、病院に臓器提供の意思を生かす体制が必ずしも整っていないことも指摘されている。

特に子どもは、虐待がないことの確認などが求められ、慣れない病院も多い。主治医はマニュアルを見ながら手続きを進めた。脳死判定の後、家族と親友2人に見送られて手術室に運ばれ、臓器が摘出された。

母はいまも、わが子の死を受け入れられない。けれどせめて、本人の希望をかなえたかった。

「いまもまだ、何をしていても悲しい。ただ、移植した人が元気に暮らしていることが、私たちの希望」


「今回警察庁が動くことはありません」警察関係者が語る米国警備の限界

2021-11-26 11:00:00 | 日記

プレジデントオンライン様のホームページより下記の記事をお借りして紹介します。(コピー)です。

「小室眞子さんが11月14日午前、夫の圭さんとともに米ニューヨークに向けて出国。一人で買い物などもほとんどしたことのなかった眞子さんが、遠い異国の地でどんな新婚生活を送るのか、心配する向きも宮内庁内には多いという印象です」

宮内庁関係者はこう語る。
小室眞子さんは会見で、「圭さんのすることが、独断で行われていると批判され、私の気持ちを考えていないといった一方的な憶測が流れる度に、誤った情報がなぜか間違いのない事実であるかのように取り上げられ、謂れのない物語となって広がっていくことに恐怖心を覚えるとともに、辛く、悲しい思いをいたしました」と発言 
「拳銃の携行などもってのほかです」
秋篠宮家の長女で10月26日に小室圭さんと入籍した眞子さんは、結婚会見後、秋篠宮邸を出て東京都渋谷区のマンションで小室さんと仮住まいしていた。マンションの周囲や移動時には警視庁の警備がピッタリとつき、買い物も秋篠宮家が私的に雇用する職員が代行。ただ、こうした厚遇はニューヨークでは期待できないものとみられている。警察関係者が話す。

「上皇・上皇后両陛下の長女で天皇陛下の妹に当たる黒田清子さんには、現在も必要に応じて警視庁の警備がついていますが、それはあくまでも国内でのことです。米国では日本の警察に何の権限もありません。拳銃の携行などもってのほかです。

世界第3位の経済大国である日本の元プリンセスだと知れば、強盗や誘拐犯に狙われる危険性も十分に考えられます。新型コロナウイルスの感染が再拡大している米国ではアジア人差別も続いているとされ、暴漢に襲われる恐れもあるので、やはり警備は必要なはずです。

しかし、日本の警察には手も足も出せません。結局、警備はニューヨーク市警など米国側の警察当局に任せるほかはないというのが現実です。松野博一官房長官は10月18日の記者会見で眞子さんの結婚について『末永いご多幸をお祈り申し上げたい』と述べていますし、すでに外交ルートを通じて米国側に話は通っているはずです」

「今回警察庁が動くことはありません」
小室さんは7月に受けたニューヨーク州の司法試験に不合格となったことで、来年2月に再受験しなければならない。しかも現地で就職が決まった法律事務所では、弁護士ならば年収2000万円以上も期待できたが、現在の「弁護士の助手」という立場の場合、年収は600万円程度と言われており、現状では自腹で民間のボディーガードを雇うことは困難だろう。

「天皇陛下が学習院大学を卒業されてから英オックスフォード大学マートンコレッジに留学された際には、ロンドン警視庁の私服警察官が隣室に寝泊まりして警護していたうえに、警察庁から在英日本大使館にキャリア警察官僚が1等書記官として派遣され、警護兼相談相手を務めました。

これは天皇陛下が現役の皇族であり、将来の天皇だったからこその措置です。皇籍を離脱した眞子さんとは立場が全く違います。ですので、今回警察庁が動くことはありません。ただ、在ニューヨーク日本国総領事館では、すでに眞子さんの担当者が指名されているという噂も耳にします。そもそも総領事館の主な仕事の一つは在留邦人の保護ですので、警護はできないまでも日本の元プリンセスの保護も仕事であることには変わりはないわけです」(同前)
家族葬に圭さんが秋篠宮ご一家と一緒に参加した違和感
秋篠宮妃紀子さまの父で眞子さんの祖父・川嶋辰彦さんが11月4日、81歳で亡くなった。秋篠宮さまは7日間、喪に服され、次女の佳子さまと長男の悠仁さまは30日間の、紀子さまは90日間の服喪期間に入られている。皇族の服喪の規定について、皇室担当記者が説明する。

「天皇・皇族の服喪期間は、大日本帝国憲法と旧皇室典範のもとで規定されていた皇室服喪令の条文に基づいて決められていました。戦後もこれに準拠するかたちで服喪は行われてきましたが、この皇室服喪令では『皇族は同族または華族でない親族のためには、喪に服さない』とあり、その条文に準拠すれば、民間人の川嶋辰彦さんのためには秋篠宮ご夫妻や佳子さま、悠仁さまは喪に服されないことになってしまいます。

なぜこんな条文になっていたのかというと、戦前は皇室の妃は皇族か華族から選ぶのが慣例だったことが原因です。民間人から妃を選ぶことが想定されていなかった以上、妃の両親や祖父母が民間人であることは想定外なので、民間人のためには喪に服さないというわけです。

この慣例を打ち破られたのが、民間出身の美智子上皇后陛下の存在だったわけです。上皇后陛下の父・正田英三郎さんが1999年6月に亡くなった際、上皇后さまが90日間、天皇陛下と秋篠宮さま、降嫁前の黒田清子さんが30日間、喪に服されることになりました。こうしたことが先例となって、皇后陛下も母方の祖父・江頭豊さんが2006年9月に亡くなった際には30日間、喪に服されています。紀子さまのケースはこの延長線上にあるというわけです」

11月6日、東京都内にある川嶋辰彦さん宅で親族のみの家族葬が行なわれた。この家族葬には秋篠宮ご一家のほか、眞子さんと圭さんも参列した。

「この家族葬はあくまでも川嶋家の家族葬ということですから、川嶋辰彦さんの孫の夫として圭さんが参加するのは当然のことでしょう。ただ、秋篠宮さまは2018年と2020年の誕生日会見で『いわゆる婚約に当たる納采の儀というのを行うことはできません』『結婚と婚約は違います』と重ねて述べられています。納采の儀は一般で言う結納に当たる儀式です。

つまり秋篠宮さまは憲法で認められた婚姻の自由は認めるが、両家共同で行う結納はできないとはっきり意志表示されたわけで、秋篠宮家は小室家と一線を画すと表明されていたのに、家族葬に圭さんが秋篠宮ご一家と一緒に参加していたのにはさすがに違和感を覚えました。圭さんは遠慮すべきだったと感じた人も、少なくはないのではないでしょうか」(同前)

紆余曲折の末、ついに眞子さんを嫁として送り出した秋篠宮さまは、今月30日、56歳の誕生日を迎えられる。誕生日会見では何を語られるのだろうか。


小室眞子さん圭さん「NYで弾ける笑顔」自由と責任を手に入れた瞬間

2021-11-26 09:06:42 | 日記

NEWSポストセブン様のホームページより下記の記事をお借りして紹介します。(コピー)です。

「太陽の光を追って私たちは旧世界を後にした」──アメリカ大陸を“発見”したコロンブスの言葉をなぞるように、小室圭さん(30才)、眞子さん(30才)夫妻は皇室と日本という“旧世界”を捨て、自由の国・アメリカへと渡った。

 11月中旬、渡米後初めて迎えた週末にふたりはニューヨークの街を揃って散策。道中、小室さんが人差し指を立て口をとがらせながら何やら話すと、隣を歩く眞子さんが思わず吹き出す。ふたりは顔を見合わせると、ついには爆笑した。渡米前は周囲をがっちりガードしていた大勢の警護もここにはいない。まさにふたりだけの自由を満喫している、そんな姿が見て取れた。

 思えば、こうしたごく普通のデートは実に5年ぶりになる。2016年10月、『週刊女性』が電車内で寄り添うふたりの様子をスクープして以降、交際相手の存在が露見したことで当時は皇族だった眞子さんに注目が集まり、表立ったデートは自粛していたようだ。翌2017年9月の婚約内定後も、結婚に向けた行事が延期され、さらに小室さんが留学のため渡米。新型コロナウイルスの流行もあり、日米で離れて暮らすふたりはデートはもちろん、直接会うことすら叶わなかった。

「その間、小室さんのお母様と元婚約者の間の金銭トラブルに端を発し、様々な疑惑が報じられ続けました。今回、金銭トラブルが一応の解決を見せ、おふたりは婚約内定から4年もの歳月を経て晴れて結婚。眞子さんは皇族から“一般人”となったわけです。元皇族ということで日本では結婚後も一挙手一投足が注目を集めていました」(皇室ライター)

 冒頭に見せたふたりの弾ける笑顔、それは自由を手に入れた証明と言えるかもしれない。一方で、自由には責任が付いて回ることも知っているはずだ。眞子さんは結婚に伴い支給される1億4000万円と見られる一時金を辞退した。現在、法律事務員の小室さんの年収は600万円ほどとされ、月額60万円という超高級マンションの家賃は生活を圧迫しかねない。今後、ニューヨークで生き抜いていくためには、夫婦で力を合わせてしっかりと稼いでいかなくてはならない。
小室さんは来年2月の弁護士試験に合格すれば、年収は2000万円ほどになると報じられている。いまは仕事をしながら試験対策に励み、眞子さんがそれを支える日々だ。眞子さんには1億円とも言われる貯金があると報じられており、また、彼女も働けば世帯収入が上がり、物価の高いニューヨークでラクに暮らすことも可能だ。

 平成から令和にかけ、皇室を揺るがせた結婚であり、今後の皇族のあり方にも大きな影響を与えたと言われている。多くのハードルを越えてきたふたりだからこそ、異国の地での困難もきっと乗り越えられるはずだ。