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野々村真、コロナ重症化の恐怖。「俺、もうダメかも」病室からのLINEに、妻・野々村俊恵は

2021-11-07 15:30:00 | 日記

下記の記事は婦人公論.jpからの借用(コピー)です。

新型コロナウイルスによる肺炎が重症化したタレントの野々村真さん。7日間の自宅療養を経て入院し、一時はICU(集中治療室)に。死を覚悟した瞬間もあったという約1ヵ月に及ぶ闘病生活を、妻・俊恵さんと一緒に振り返ります(構成=上田恵子 撮影=言美歩)
ワクチン接種の2日前に感染
真 退院から1ヵ月。おかげさまで、退院直後のやつれた感じは、だいぶなくなりました。
俊恵 退院したばかりの頃は、犬の散歩で200m歩いただけで疲れて引き返してくるし、お米5kgを持つのも一苦労。家族の中で一番非力になっちゃったけど、それでもずいぶん元気になったと思います。
真 肺の機能が戻りきっていないから、動きすぎると疲れるけどね。僕の肺は今、まだ完全には酸素を吸えてない状態なんだって。
俊恵 呼吸器の機能と全身の筋力の回復のために、病院でもらったガイドに沿って毎日エクササイズをしているのよね。
真 唯一の救いは、ご飯が美味しく食べられること。まだ舌の上に膜が一枚ある感じだけど、かなり味覚が戻ってきた。
俊恵 パパが発症したのは7月30日の夜だったね。
真 仕事の関係者に感染者が出て、僕も30日にPCR検査を受けたら陽性。仕事のスケジュールの都合でワクチンを打てていなくて、8月1日に予約を入れていたのに、あと2日というところで感染してしまったんです。
俊恵 私も8月中旬に予約を入れていたから、その時点では未接種。パパはその日、リモートで19時までテレビに生出演していて……。
真 生放送が終わった頃にPCR検査の結果が出て、感染がわかった。
俊恵 マネジャーさんいわく、軽い咳払いをしているという話だったのが、夜になって40度近い熱が出た。幸いだったのが、私はずっと地方の大学に通っている長男のところに行っていて、その夜に帰ってきたので、パパと接触する機会がなかったということ。私は濃厚接触者に該当したけれど、PCR検査を受けて陰性だった。
真 うつらなくて、本当によかったよ。
俊恵 パパは日頃からマスクをきちんとつけて、消毒もマメにしていた。外出だって仕事と犬の散歩以外していなかったのにね。
真 マスクを外したのは収録の本番中だけ。でもそういう仕事なんだから仕方ない。まさか自分が感染するなんてと驚いたけど、基礎疾患もないし、年齢的にも重症化する可能性は低いのかなと思っていたから、その時は家でゆっくり治すしかないな……という感じだった。

翌日呼吸が苦しくなって救急車を呼んだけど
俊恵 その日から自宅でパパの看病が始まった。
真 1階に僕が寝て、ママは2階の子ども部屋に。一切顔を合わさずスマホで会話すると決めたものの、LINEで「飲み物をください」と送るのが精一杯。
俊恵 私は呼ばれたら部屋のドアの前に経口補水液を置いて、パパが触ったドアノブや床を除菌スプレーで消毒する、という作業をひたすら繰り返していました。
真 翌日の31日に呼吸が苦しくなって、パルスオキシメーター(血液中の酸素飽和度を測る機器)で計測したら、標準値が96~99%のところ、僕は91~92%。この数値がマズイというのは知っていたから救急車を呼んでもらったんだけど、来た時には96%に戻っちゃって。
俊恵 その数値は、けっこう上下の変動が激しいんです。
真 そう。救急隊員の方が保健所に相談したら、「80%台にならないと入院できません」と。彼らは「保健所の指示に従うしかないんです、すみません」と謝りながら帰って行かれました。
俊恵 救急隊員の方が帰る際に「どういう状況になったら入院できますか?」と尋ねたら、「何度測ってもメーターが低い数値のままなら肺炎を起こしている可能性があります。その時は僕らを呼んでください」と言われて。でも今となれば、その時点でもう肺炎を起こしかけていたのかも。
医師が帰ったあと一人で泣いた
真 31日に電話で医師と話せて、翌日に往診していただいたんだけど、答えは救急隊員の方と同じで。その時の絶望感といったら……。
俊恵 私も、何もしてあげられないのが本当にもどかしかった。
真 これはママにも初めて言うけど、医師が帰ったあと一人で泣きました。57歳の男が、情けない話だけど。
俊恵 熱に関しては、解熱剤の効果によって3日ほどで一時下がったものの、息ができない状態がずっと続いて、パパはずっとコロナと闘っていた。
真 苦しくて、ほとんど眠れなかったよ。とうとう8月4日にメーターの数値が90%になった。再び救急車を呼んでもらったけど、やっぱり80%台じゃないから搬送できない。数値が1つ足りないだけで命の線引きがされてしまうのが、恐怖でしかなかったな。
俊恵 ところが5日になって、突然保健所から連絡が来て……。
真 「病室が空いたので入院できますが、どうしますか?」と言われて「入院します」と返したら、「準備するものを言いますからメモしてください」って。そんな体力はないから、「妻に電話してください」ってママのスマホの番号を教えたの。
俊恵 私が保健所の方と話したのは、その時が初めて。その日のうちに迎えが来て、荷物を持ったパパが歩いて車の後部座席に乗り込むのを2階の窓から見てた。痩せ細った、ヨボヨボのおじいちゃんみたいな姿が本当にかわいそうで……。しかもパパの部屋を片付けようとしたら、ペットボトルのゴミが分別されていて、ラベルもきちんとはがしてあって。病気の時までちゃんとしなくていいのに……。
真 普段、厳しく言われてますから(笑)。病院に着いてCTスキャンを撮ったら、肺が真っ白だった。すぐに点滴を3本刺されて、鼻からの酸素吸入を開始。その後、口からの酸素吸入も始まって、一日6リットルの酸素を入れるようになったんだ。初日から絶対安静で、トイレにも行けない状態だったな。
「重症者リストに登録されました」と連絡が来た時
俊恵 入院した夜に病院から「肺炎が重症化するかどうか、今夜が峠です」と連絡が来た。「そんなに悪かったの!?」と茫然としました。翌朝になり「容体が安定しました」と電話があってホッとしたのもつかの間、またすぐに「今夜が峠です」と連絡が来るの。「いったい何度、峠が来るの?」と思って、毎日、朝が来るのが怖かった。
真 そこからもう一段悪い状態になったのが11日。自分でも意識が混濁し始めたのがわかった。途切れ途切れに聞こえる声の中に、「ICU」という単語が聞こえて、ストレッチャーでバーッと廊下を運ばれて行った時は、本気で「俺はここで死ぬのかな?」って思ったよ。
俊恵 「重症者リストに登録されました」と連絡が来た時は、目の前が真っ暗になったもの。
真 その頃の酸素供給量は10リットル。ECMO(エクモ=人工肺とポンプを使った治療)を使うかどうかの瀬戸際だったらしい。
俊恵 ICUにいたのは数日で、そのあとICUと一般病棟の中間に位置する「HCU(高度治療室)」に移されたのよね。
真 そう。そのあとも咳をしたりトイレで力んだりしただけで酸素飽和度が90%を切っちゃうし、呼吸も苦しいまま。生き地獄が延々と続いている感じだったよ。正直、こんなに苦しいなら、意識を失ってECMOに繋がれたほうがましだと思ったことも。不謹慎ですよね。でも、それだけ追い詰められて、余裕がなかったんです。自暴自棄にもなったし、「神様、もう一度仕事を頑張りたいんだよ。何とかしてくれないかな」って祈ったりもしました。
俊恵 私は私で「今できることをやらなくちゃ」と思い、家の隅々まで掃除して、消毒して、断捨離をしました。空気清浄機もすべての部屋に設置して。
真 唯一の支えは、家族からのLINEのメッセージだったな。
俊恵 パパから「俺、もうダメかも」なんてメッセージがポツリと来て、何言ってるの! と思ったこともあったけれど……。HCUに移ってから、やっとマメに《既読》がつくようになってきて、私も子どもたちもホッとしたわ。その頃には電話で、少しコミュニケーションを取れるようにもなっていたしね。
真 うん。家族だけでなく、お世話になっている方々から励ましや心配のメールをたくさんいただいて、本当に勇気づけられました。おかげさまで容体は徐々に落ち着いて、PCR検査で2度陰性が出て退院が許可された。24時間態勢で懸命に治療して、寄り添ってくださった医療関係者の方々には、感謝の言葉しかありません。リアルな姿を見てほしくて
俊恵 8月24日に退院。私が車で迎えに行き、一緒に帰りました。
真 家に着いた時は「ああ、生きて帰って来た」と感慨深かった。
俊恵 ソファーの定位置にパパが座って、膝の上に犬が乗って。やっと普通の光景が戻ったね。
真 すぐにマネジャーに退院報告の動画を撮影してもらって、翌日の25日にはYouTubeチャンネルで公開しました。退院当日に撮ったのは、僕のリアルな姿を見て、世間の方々にコロナの恐ろしさを知ってほしかったから。今はそれに加えて、打てる人はぜひワクチンを打っておいたほうがいいですよ、とお伝えしたい。いろいろ事情はあると思いますが、現状ではほかに対策がないから。そして打ったあとも気を緩めず、しっかりと予防策をとっていきましょう。
俊恵 パパも退院後に打ったしね。仕事にも徐々に復帰して。
真 約1ヵ月ぶりにレギュラー番組にリモートで出演した時は、終わった途端、疲れて寝ちゃったけど、仕事は一番のモチベーションになるなとしみじみ思ったよ。10月には再演となるミュージカルも控えている。こんな状況だからこそ、観る人が元気になれるような楽しい舞台にしたい。そのために稽古に励んでいます。
俊恵 仕事に復帰して、生き生きとしているパパを見ると、ああ、本当に命があってよかった、と思う。家族は以前よりも痩せたパパを見て、カッコよくなったね、そのままでいてよ、なんて言っています。(笑)
真 感染する前は70kgあった体重が入院時には64.5kgに落ち、今は66.8kgまで戻った。美味しいご飯のおかげですよ。
俊恵 それは嬉しいけど、体重はそのままキープしてね。(笑)
真 はい、筋トレ頑張ります。(笑)
構成: 上田恵子
撮影: 言美歩
ヘアメイク: 豊田千恵
スタイリング: 小山よし子
出典=『婦人公論』2021年10月26日号
野々村真
タレント・俳優
1964年、東京都生まれ。『笑っていいとも!』(フジテレビ系)の初代・いいとも青年隊としてデビュー。『世界・ふしぎ発見!』(TBS系)、『バイキングMORE』(フジテレビ系)、『アップ!』(メ〜テレ)にレギュラー出演中。23年ぶりに出演のミュージカル『オープニングナイト 桜咲高校ミュージカル部』は10月29日〜11月7日東京・新国立劇場で再演予定
野々村俊恵
タレント
1964年、広島県生まれ。82年に坂上とし恵の芸名でアイドル歌手としてデビュー。10年以上の交際を経て野々村真さんと95年に結婚。一男一女の母であり、タレントとしても活躍中 


顔に出るアルツハイマーの兆候、AIで見抜けるか

2021-11-07 13:30:00 | 日記

下記の記事はビヨンドヘルスからの借用(コピー)です

顔が赤く火照っていれば熱発。青白い顔は貧血。黒ずんでいると肝臓や腎臓疾患。身体の調子は顔に出る。といった話はよく聞く。そして現在、認知機能の低下も顔に出るという研究結果が世間を驚かせている。夫婦二人三脚で同分野の研究を続ける亀山祐美・征史の両氏に話を聞いた。
 数年前に亡くなった筆者の母は晩年アルツハイマーを患った。当時の写真を見ると、元気なころと比べ「なんとなく違う顔」をしているのがわかる。どこがどう違うのか、はっきり言葉で説明するのは難しいのだが──。
 感じたままを羅列すると「表情が乏しい」「黒目が濁っているように思える」「口角のあたりに力がなくなった」といったところか。同じことを姉も感じていたようで、「家族だからわかるんだろうね」と邪気なく笑ったりしたものだった。
 ところが赤の他人でも、いや人間ですらない者にも、この「なんとなく」が判別できるかもしれないという。東京大学医学部附属病院老年病科の亀山祐美特任講師が説明する。
 「私自身、20年くらい物忘れ外来などを担当しています。長く診ている患者さんが何人もいます。年を経て顔は変わっていくものですが、見た目が実年齢以上に老けてくる方も中にはいらっしゃる。まずはこの部分の研究をはじめました」(亀山祐美氏)
見た目年齢と実年齢の乖離
 認知機能低下の疑いで、東京大学医学部附属病院老年病科に入院した124人の患者を対象に、認知症検査の世界基準であるミニメンタルステート検査(MMSE)や、老年期のうつ検査(GDS-15)などいくつかの検査を実施。一方で、彼らの顔写真を医師5人、心理士5人に見せ、その見た目年齢を判断してもらうという実験を試みたのだという。
 「2020年7月に論文として発表したのですが、結果を大雑把にいうと、例えばMMSEの数値が高い、つまり認知症の疑いが低い人は見た目の年齢が実年齢よりも若いということわかったのです」(亀山祐美氏)
 アルツハイマー病の名付け親は、ドイツの精神医アロイス・アルツハイマー博士だ。彼の患者でアウグステ・データーという女性がいた。初めてアルツハイマー病の診断を受けた人として知られる。彼女は50歳で発病し5年後に亡くなるのだがその間に撮られた写真はまるで老婆のように見え、とても50代前半とは思えない。
アウグステ・データー(イラスト制作:クラッチ工房)
 アルツハイマー博士も見た目と実年齢の乖離に問題意識を持っていたからこそ、写真を残したのかもしれない。
AIに認知機能が低下した人の顔を学習させる
 「私は仕事がら毎日のように認知機能が低下した患者さんと接しているので、症状が一定程度進行した方であれば、表情などから認知機能の低下を感じることはできます。しかし、ごく初期の方や軽度認知障害(MCI)の方まではさすがにわかりません」(亀山祐美氏)
 認知症は早期発見、早期介入することができれば、その後の進行を大きく抑制することができる。ただしそのあぶり出しは難しい。
 現在日本に900万人近くいると言われるMCIは、放置すればその半数が認知症に移行するとされる。ただ、自覚症状は少ない。MCIの段階では日常生活を苦なく過ごせる人も多いわけだ。
亀山祐美氏(本人提供)
 「普通に暮らせている人に対して、『今日は何月何日ですか』とか、『ここはどこですか』『100から7を引いてみてください』などの質問をすることは、ともすると相手の心を傷つけてしまうことがあります。また、アルツハイマーの原因といわれるアミロイドβの量を検査するアミロイドPETは非常に高額だし、脳髄液を採取する必要があるので身体への負担も大きい」(亀山祐美氏)
 心も身体も傷つけることなく、しかも簡単に検査することができれば未来は明るい。
夫婦の連携が結実
 見た目と実年齢の乖離に着目している亀山氏は、所属する東大病院・東京大学の倫理委員会を通し、個人情報の取り扱いなどをクリアにした状態で患者の顔写真の収集を続けた。
 「もちろんご本人やご家族の承諾も得たうえで、認知機能が低下した方121人とそうでない方117人の顔写真を採取しました。これらを素材に、画像解析などの技術を使って何かしらの診断ができないだろうかと考えました」(亀山祐美氏)
 ところが話を持ちかけた民間のメーカーからは「数が少なすぎる」と難色を示されたという。
 「そもそも写真データを大学外に持ち出すこと自体が倫理委員会の取り決めに抵触することもわかり、自前でなんとかするしかないと考え始めたところで、夫の征史が『AIのディープラーニング技術を活用できるかもしれない』と発案してくれたのです」(亀山祐美氏)
サンプル数の少なさがネック
 亀山祐美氏の夫征史氏は東京都健康長寿医療センターの放射線診断科の医長だ。ディープラーニングの技術にも詳しい。
 「認知機能が低下してる群が121人で、正常群が117人。合計238人が全サンプル数です。一般にディープラーニングといえは数千、数万の学習が必要だと思われているのですが、少ないサンプルを有効利用してより多くのサンプルを検討したのと同じ効果が得られるデータオーグメンテーションという技術があるのです。それから、『ImageNet(スタンフォード大学が収集・分析したデータ集)』のようなたくさんの物体ですでに学習したモデルを使う、転移学習という手法も使いました。」(亀山征史氏)
亀山征史氏(本人提供)
 多くの動物の中からネコを選び出す工程を考えてみる。ただし、手元にあるネコのデータは100種類だけとする。
 毛がモサモサしていて、耳や目が2つあって、四本脚で歩いて、でも時々二本足で立ったりもする。イヌやトラ、ヒョウなどとそっくりだ。区別するためのデータは多ければ多いほどいい。しかし、手元にあるネコの写真は100枚きり。
 「ごくごく簡単に説明すると、このような場合、写真を大きくしたり縦長にしたり短くしたり、反転させたりすることでデータ量を“水増し”するわけです。こうすることでより多くのデータを検討するのに近い効果が得られる」(亀山征史氏)
正答率は9割以上
 データオーグメンテーションの技術でサンプル数を増やし、これを0から9までの10グループに分け、それぞれを比較検証する交差検証で分析したところ。
    * 陽性(認知機能低下)をきちんと陽性と判断した数値は87.31%
    * 陰性(認知機能低下なし)をきちんと陰性と判断した数値は94.57%
    * 全体から、陰性と陽性を選び出す「正当率」は92.56%
 素人目には十分なように見えるのだが──。
 「論文として成立させるためにはギリギリのサンプル数だと思いますが、そこそこの精度は出ていると考えています。ただ、今回は東大病院にいらっしゃる患者さんだけのサンプルなので、他の病院で撮った写真で当程度の結果になるかはわかりません。今後もサンプル数を増やしていく必要があります」(亀山征史氏)
AIが算出したスコアとMMSEとの関係。AI算出スコアの高い方が認知機能が低い
 そもそも、AIは何を見て陽性と陰性を判断しているのだろうか?
 「その部分に関しては、実はブラックボックスなんです」(亀山征史氏)
ブラックボックスの中身とは?
 認知機能が低下している顔。これをきっちり数値化できれば認知症診断の世界に革命が起こる。しかし、AIの判断がどこを手がかりにしたものなのか、詳しいことはわかっていないのだという。
 「検証するために、顔写真の上半分と下半分とに分けて、同じように検証してしみたところ、下半分のほうが若干正答率が高く出ました」(亀山征史氏)
 「漠然とではありますが、目元を見て判断しているのかな、と感じていたので少し意外な気がしました」(亀山祐美氏)
 なにはともあれ、この技術が確立すれば認知症診療の歴史が大きく前進するのは間違いない。医師が問診中に写真を撮り、それを解析することができれば大の大人に対して「今日は何日ですか」などの質問をする必要もなくなるだろう。
 「健康診断の際に顔写真の撮影を続ければ、去年と今年、10年前と今を比べることもでき、早期発見につながりやすいと考えます」(亀山征史氏)
 早期発見、早期介入が認知症の発症を遅らせる効果があることは確実だ。手がかりは多いに越したことはない。
 「顔写真による認知症診断の分野については、診断をするというよりも、病院受診するきっかけ作りに有用なのではないか」と亀山征史氏は語る。
 AIによる写真解析技術が認知症診断の新たな手がかりとなる日は近い。


眞子さん“個人の意志”を尊重した結婚 今後の皇室全体に及ぼす影響

2021-11-07 11:00:00 | 日記

下記の記事はNEWSポストセブンオンラインからの借用(コピー)です。

夫となった小室圭さんがニューヨーク州の司法試験で不合格となり、早くも渡米生活に暗雲が垂れ込めた眞子さん。結婚関連の儀式も一時金も辞退したその決断が、図らずも皇室の分断を招いている──。
「私のことを思い静かに心配してくださった方々や、事実に基づかない情報に惑わされず私と圭さんを変わらずに応援してくださった方々に、感謝しております」
 10月26日の結婚会見で、眞子さんは真っ直ぐ前を見つめてこう話した。宮内庁担当記者が語る。
「日本国民の象徴としての皇族にあって、『変わらずに応援してくださった方』と限定して感謝を述べた眞子さんの言葉からは、“個人”としての強い意思が感じられました」
 小室圭さんの母・佳代さんの金銭トラブル報道など、激しい逆風に晒されながらも、9年越しの愛を貫いた眞子さん。だが、この結婚は皇族のものとしてはあまりにも異例ずくめだった。
 眞子さんは約1億4000万円の「結婚一時金」を辞退したが、一時金は皇室経済法が〈皇族であった者としての品位保持に充てるため〉に支給すると定めている。結婚で皇族を離脱する女性が辞退するのは、同制度ができて以来初めてのことだ。
 また、女性皇族が結婚する場合、結納にあたる「納采の儀」や結婚の日取りを伝える「告期の儀」など様々な儀式があるが、眞子さんの結婚では行なわれなかった。
 とくに関係者を驚かせたのが、天皇皇后両陛下にお別れの挨拶をする「朝見の儀」が行なわれなかったことだ。
 他の儀式と異なり、朝見の儀は両陛下が直接関わるもの。『女性セブン』(2021年11月4日号)によれば、天皇陛下の「執り行なうべき」との意向を、秋篠宮さまが押し切る形で儀式の不開催が決まったとしている。ベテラン宮内庁担当記者が語る。
「報道が事実だとすれば、天皇家の意向が秋篠宮家には及ばないことを示しています。そして両家の分断は、眞子さんの結婚を機にこれからより深まっていくことが懸念されるのです」
悠仁さまが即位を辞退したら
 秋篠宮家は眞子さんを皇室との縁が深い学習院ではなく、国際基督教大学(ICU)に、悠仁さまはお茶の水女子大学附属中学に進学させた。佳子さまも学習院からICUに転入されている。
 皇族としての多忙な公務を務める一方で、秋篠宮家の子息は慣例にとらわれない自由な教育を受けてきた。
 だが今回、眞子さんの“個人の意思”を秋篠宮家が尊重したことは、今後の皇室に重大な影響を及ぼす可能性がある。宮内庁担当記者が指摘する。
「焦点となるのが、皇位継承順位2位の悠仁さまの将来です。眞子さんの結婚で一連のバッシング報道を目の当たりにした佳子さまが、“皇室を離れたい”という旨の発言をしたと報じられたこともあり、そのことが少なからず弟の悠仁さまにも影響を与えたはずです。
 万が一、将来、悠仁さまが即位の辞退を求めたらどうなるのか。果たしてそのとき、秋篠宮さまはどうご対応されるのか。眞子さんの自由意思が認められたことで、こうしたケースが想定されうる事態になっているのです」
 皇室離脱をめぐっては、過去には“ヒゲの殿下”こと寛仁親王(昭和天皇の甥)が「皇室離脱宣言」をする騒動があった。1982年のことだ。皇室ジャーナリストの神田秀一氏が振り返る。
「あのときは昭和天皇が入江相政侍従長を通じて寛仁殿下を呼び出し、『いい加減なことを言うな』と強く叱責された。以後、殿下は何もおっしゃらなくなった。後に入江さんから『私もドキドキしましたよ』と聞きました」
 当時、寛仁親王が皇室離脱宣言をしたのは、「制約の多い皇族から自由になりたい」と切望したからだと報じられた。
「昭和天皇の言葉を受けて皇室に残ったものの、寛仁殿下の離脱宣言は、自分の意思で皇室を離れた眞子さんにも通じるところがある」(神田氏)
2019年5月に皇嗣となり、皇位継承順位1位になった秋篠宮さま自身、〈兄が80歳のとき、私は70代半ば。それからはできないです〉との発言が朝日新聞(2019年4月20日付)で報じられており、将来、天皇が退位しても秋篠宮さまは高齢を理由に即位を辞退する可能性が指摘されている。
「悠仁さまの他に継承権を持つのは継承順位3位の常陸宮正仁親王(上皇の弟)だけですが、すでに85歳のご高齢です。万一、悠仁さまも特例を求めて即位を辞退すれば、その瞬間に天皇不在という事態が訪れる」(宮内庁担当記者)
 悠仁さまがやがて天皇に即位したとしても、難題は山積みだ。
「将来、悠仁さまに嫁ぐ女性は、“男児を生まなければならない”という強いプレッシャーの中で生きることになります。過去には美智子さま、雅子さまも結婚当初はいわれなきバッシングに晒されましたが、今回の眞子さんの結婚では、小室さん側の事情があったにせよ、家族も含めて配偶者のプライベートがすべて暴かれる怖さも露呈しました。そんな中で、悠仁さまと結婚しようという女性が果たして現われるのでしょうか」(同前)


眞子さんの心労ピークか 夫の不合格、祖父の死去…〝お支え〟できない宮内庁は後悔

2021-11-07 10:30:00 | 日記

下記の記事は東スポWebからの借用(コピー)です。

秋篠宮家の長女・眞子さん(30)に〝不幸〟が相次ぎ、体調を気遣う声が上がっている。
 眞子さんは先月26日に小室圭さん(30)と結婚。晴れて皇籍を離脱し「一般人」となった。その後は渋谷区の賃貸マンションで小室さんと水入らずの新婚生活を過ごしていたが、ここにきて夫婦に暗い影を落とす出来事が相次いでいる。
 まずは小室さんが米ニューヨーク州の司法試験に不合格だったこと。合格率は80%オーバーと言われ、各メディアも合格前提で伝えてきた。小室さんはすでに同州の法律事務所への就職が決まっており、試験合格なら年収は約2300万円に達する見込みだった。
「それが不合格で年収は〝弁護士見習い〟のままで600万円程度になります。来年2月に再受験するそうですが、仕事と勉強の両立は難しく、合格率は初回よりグッと下がります。連続で不合格の場合、仕事をクビになる可能性もあり、夫婦の将来は見通せなくなってしまいました」とは皇室ライター。
 さらに眞子さんの祖父に当たる学習院大名誉教授の川嶋辰彦さんが4日、中皮腫のため亡くなった。享年81。6日には家族葬が執り行われ、眞子さんは夫を伴い、参列。川嶋さんの自宅には秋篠宮ご一家も訪れた。
 帰路についた眞子さんは、タクシーの車内から報道陣に向けて軽く会釈したが、表情は沈んでいた。宮内庁関係者によると、参列者は全員深い悲しみに包まれているという。
 眞子さんは複雑性PTSDと診断されるなど、体調はすぐれない。先月26日の記者会見では心配した妹の佳子さまが、ホテルに駆け付けたほどだ。
「結婚してようやくひと息ついた矢先に、小室さんの不合格、身内に不幸があった。ネットの誹謗中傷も収まる気配がない。宮内庁は眞子さんの心労がピークに達していないか心配していますが、一般人となられた以上、直接的に支えることができず歯がゆい思いをしている」(キー局宮内庁担当ディレクター)
 実は結婚に関するスケジューリングは小室さんが握っていた。帰国日や滞在期間などは米国で働いている小室さんの意向を汲むほかなかったという。前出ディレクターは「密に連絡を取り合うというよりは、宮内庁が小室さんに〝お伺い〟を立てるような感じだったそうだ。結果論だが、もう少し慎重にやるべきだった」と指摘する。
 眞子さんの行く末を危惧しているのは国内メディアだけでなない。中国メディア「テンセント」は今月2日、眞子さんが結婚後初めて秋篠宮邸のある赤坂御用地をひとりで訪れた時の様子について「表情が暗く、小室圭との対立が心配されている」「以前とは別人。結婚後、一度も笑顔を見せていない」などと伝えた。
 記事では圭さんの不合格についても触れ「ご夫婦の間に何か心配なことが起きているのではないか。ご夫婦の関係が懸念される」と深読みした。
 夫婦は早々の試練を乗り越えることができるか――。


小室圭さんのNY州司法試験の“落第”に、現役弁護士「自分の周りでは見た事がない」

2021-11-07 10:00:00 | 日記

下記の記事は週間女性プライムからの借用(コピー)です。


『Kei Komuro』の文字はどこにもなく……。
 先月29日、ニューヨーク州司法試験の合格者が発表されたが、眞子さまの夫となった小室圭さんの名前はそこにはなかった。
「司法試験の発表前は、ニューヨーク州弁護士の平均年収は2000万円以上が期待できるということで、試験に合格し弁護士となり、この高収入で眞子さまを支えていく……と報道されていましたが……」(スポーツ紙記者)
 物価の高さもあるが、2,000万円以上という高収入を得られ、さらには世界的な大都市であるニューヨークを地盤にしているということもあり、“なんだかすごい”と思われがちな『ニューヨーク州司法試験』。しかし、都内の法律事務所の代表弁護士Aさんは、弁護士を志し、日本の司法試験に合格、司法修習生を経て、弁護士となった過程の節々で“ニューヨーク州弁護士(司法試験)”に触れる機会があった。彼は小室さんの“不合格”に、さまざまな思いを馳せる。
「所属している法律事務所が留学資金を全額出してくれたりするから、日本の弁護士がアメリカに渡り、ニューヨーク州弁護士試験を受ける人は少なくないですね」(代表弁護士、以下同)
 そしてその少なくないニューヨーク州弁護士の受験者たちは……。
「これまで十数年、司法修習生時代を含めればもっと長い期間ですが、自分の周りでニューヨーク州の司法試験を落ちた人は、正直これまで見たことないですね」
ニューヨーク州なら受かる、はずが
 今回のニューヨーク州の司法試験は、7月にオンライン形式で行われた。発表によれば、受験者数は9,227人。全体の合格率は63%、初めて受験した人の合格率は78%だった。もちろん小室さんは、現時点で日本の司法試験に合格していたわけではないので、“日本で弁護士として活動していた人が、ニューヨーク州司法試験を受ける”状況とは異なる。
 しかし、日本の司法試験の現場も知る前出の代表弁護士Aさんは、その部分についても……。
「日本の司法試験に落ちて、ニューヨーク州の試験を受ける人もわりといますよ。というよりも、弁護士の予備校がニューヨーク州を勧めるケースも聞きますから。実際に私が通っていた学校でも、学校側から“ニューヨーク州なら受かると思うから”って勧められていた人は何人も見ています。
 もちろん日本人がアメリカの試験を受けるわけですから、言葉の壁はあるとは思います。しかし、数年向こうで仕事をしていたのなら、その点は“ない”と言っていいんじゃないかと思います。そもそもアメリカで法律関係の仕事に就いていたわけですから、言葉ができなければ、仕事にならないはずですから……」
 今年の日本の司法試験は、9月7日に合格者発表がなされた。合格者数は1421人。合格率は41.5%。単純な数字での比較となるが、合格率は確かにニューヨーク州のほうが高い。