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20歳を迎える愛子さま 儀式・祝賀行事は黒田清子さんのティアラで…慎ましさに感嘆の声

2021-11-17 15:51:03 | 日記

日刊ゲンダイデジタル様のホームページより下記の記事をお借りして紹介します。(コピー)です。

 来月1日、20歳を迎える天皇皇后両陛下の長女・愛子さま。ご成年に伴う儀式や祝賀行事は愛子さまの学業を考慮し、1日と5日に行われる。5日には、女性皇族に授与される最高位の勲章、宝冠大綬章が愛子さまに授与され、総理大臣や、衆参両院の議長から祝賀を受けられるが、コロナ禍により飲食を伴う祝宴は行われない。

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 今回、両陛下と愛子さまが決断されたのが、通常、女性皇族が成年を迎える際に製作されるティアラを新調せず、陛下の妹、黒田清子さんのティアラを借用し、5日の儀式に臨まれるというもの。コロナ禍での国民生活を考慮してとのことだという。
ネット上では、ご一家の決断に次のような声で溢れた。

■およそ3000万円のティアラの行方

<このご時世、出費しないという慎ましい性格がにじみ出ていて、国民に寄り添われる姿勢がすばらしいです。でも決して無駄な出費ではないと思う>

<せっかくなので新しいものをとは思いますが、清子さんのものを引き継がれるのも物語があっていいですね>

「通常、女性皇族は成年にあたり、ティアラを新調しますが、およそ3000万円といわれる費用の多くは、皇族活動における公的経費である宮廷費から捻出されていました。そのため、秋篠宮家の眞子さん、佳子さまをはじめ、これまで女性皇族がおつくりになられたティアラは、結婚で皇室を離れる際には国に返却され、国有財産として宮内庁が管理されます。一方、今回、愛子さまがお使いになる黒田清子さんのティアラは、天皇家の方々の私費である内廷費から製作費が出ているため、私物扱いになっています。愛子さまは清子さんのティアラを手直ししたものを身につけられるようです」(皇室ジャーナリスト)

 清子さんからティアラを引き継がれる愛子さまに、感嘆の声が広がっている。


20年間「デパス」を飲み続ける彼女の切実な事情

2021-11-17 15:30:00 | 日記

下記の記事は東洋経済オンラインからの借用(コピー)です。  記事はテキストに変換していますから画像は出ません

医療機関やドラッグストアで普通に手に入る、完全に合法な医薬品。それによって、薬物依存に陥り、生活に大きな問題を抱えてしまう――。その代表例が「デパス」(成分名は「エチゾラム」)と呼ばれる睡眠薬・抗不安薬だ。
メディア関係者と医療者の有志で構成するメディカルジャーナリズム勉強会がスローニュース社の支援のもとに立ち上げた「調査報道チーム」が、全5回にわたる連載で追っている「合法薬物依存」。
※本来複数の製薬企業から同一成分の薬が発売されている際の表記では、成分名のエチゾラムを使うのが一般的である。しかし、服用患者も含め世間一般では簡単に覚えやすい「デパス」でその名が広く知られていることが多い。このため以後はエチゾラムではなく「デパス(エチゾラム)」と表記することをあらかじめお断りしておく。
依存患者に接触
デパス(エチゾラム)を服用し、依存にまで至った患者はどのようになるのか?
調査報道チームは今回、さまざまなルートを使って服用患者に接しようとしたものの、当初はなかなかうまくいかなかった。連載第1回「合法的な薬物依存「デパス」の何とも複雑な事情」(2019年11月29日配信)で国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所薬物依存研究部部長の松本俊彦氏が指摘していたように常用量依存は実態が見えず、服用患者には必ずしも「依存」との自覚があるわけではない。
また、精神疾患領域に精通した記者の1人は「精神トラブルを抱えている人たちは、とりわけ季節の変わり目に心身の変調を起こしやすく接触しにくい」と語っていたが、取材が本格化したのはまさに秋口。
この記者の予言どおり、デパス(エチゾラム)依存の傾向があると思われる服用者に何とか接触し、取材を了承してもらうものの、直前になって本人が体調不良を訴えてキャンセル。その後の連絡に反応なしということが3回立て続けに発生した。
そうしたなか、ようやく取材に応じてくれるという東京都内に住む古宮沙智さん(仮名=50代後半)に会うことができた。路地奥にある沙智さん宅は、室内灯をつけていないこともあり、昼前だというのに薄暗い。沙智さんはその一室に敷いた布団に寝そべり、傍らには夫の嶺二さん(仮名=50代後半)がマスクを着用して同席していた。
「20年ほど前からデパス(エチゾラム)を飲み続けていますよ」
沙智さんは、横になったまま、か細い声でこう応えた。沙智さんはデパス(エチゾラム)を中心に、複数の精神疾患薬を飲み続けている。
以前は千葉県内に両親と住んでいた沙智さん。「子どもの頃から内気な性格で、うつっぽかった」と語る彼女は、物心ついた頃には物に当たったり、大声を出したりとややパニックを起こすこともあった。
成人後は、父が母に対し暴力を振るう「面前DV」も経験。同居する母が脳梗塞で倒れた30代半ばの頃、そのショックがきっかけになり電話帳で探した精神科クリニックを受診し、デパス(エチゾラム)の処方が始まった。
「デパス(エチゾラム)を服用し始めてからもしばらくは寝返りを打てなかったり、自力でトイレにも行けなかったりしたんです。ひどいときには、食事も手づかみでとても人間らしい生活はできていませんでした。だからこそ症状を改善したかったので、お医者さんに言われたとおりに服用していました」
自力でクリニックに行けないときは実兄が薬だけを取りに行っていた。デパス(エチゾラム)の服用は1mg錠を毎食後1回、1日合計3錠。当初はほかの精神疾患薬も併せて服用していたが、自分で薬のことを調べ、デパス(エチゾラム)以外の薬は副作用で記されていた食欲増進や血圧低下が気になり、自己判断で服用を中止してしまった。
デパス(エチゾラム)だけをやめなかったのは、一定の効果があることに加え、このとき、沙智さんが調べた範囲では自身が気になる副作用が表記されていなかったからだという。
「服用すると、力が湧いてくるんです。服用しなければ食事ができませんでした。ただ、服用しすぎると、いつもの時間におつかいのための外出できなくなります。それが(効き目の)バロメーターでした」
デパス(エチゾラム)には効果として筋弛緩作用がある。しかし、沙智さんの場合はその作用の真逆で、服用すると「力が湧く」が、度が過ぎると筋弛緩作用が強すぎて外出もままならなくなったようだ。
「依存する薬」との説明はなし
一方でデパス(エチゾラム)の依存性について医師や薬剤師から説明はあったのだろうか。
「最初の病院では、『依存する薬』とは聞いていません。もともと処方される量も少なかったからでしょうかね。服用しなかったときのものをストックしていて、不安が治まらないときは多めに服用することもありました」
沙智さんは約10年前、夫の嶺二さんと結婚し、現在の自宅に引っ越した。このときに通院先を近くのクリニックに変えた。デパス(エチゾラム)1mg錠は毎食後と就寝前の合計1日4錠分になった。就寝前の分は沙智さんが希望したもので、医師からは希望どおり処方された。ここでも依存性についての指摘はなかった。
ところが徐々に効き目が薄れてきたと感じるようになった。訳もなく漠然と死を望む「希死念慮」が生じ始めた。
「お腹に力が入らなくなったんです。そして、自分を滅ぼしたくなる。服用しないと、滅ぼしちゃう感じです」
デパス(エチゾラム)は薬学的にはベンゾジアゼピン受容体作動薬と称されるグループに属する。実はベンゾジアゼピン受容体作動薬は、長期間服用すると人によっては、薬の効き目が低下する「耐性」が生じることも知られている。その結果、1回に10錠を服用するという状況にすら陥った。いわば完全な乱用である。夫の嶺二さんは当時を振り返る。
「布団の中や下にシートから切り離したデパスの包装が散らばっている状態でした。本人は全部を服用していないというのですが……」
結局、沙智さんはデパス(エチゾラム)の乱用と診断され、精神病院の閉鎖病棟に約3カ月間入院し、デパス(エチゾラム)の離脱が行われた。この離脱は完全に服用を止めるのではなく、用法・用量に定められた1日3錠以内に抑えるのが目的だ。この結果、現在も1mg錠の1日2回合計2錠の服用を続けている。
そして現在はデパス(エチゾラム)も含め、服用している薬は保険調剤薬局で一包化してもらっている。通常、保険調剤薬局で薬を受け取る際は同じ薬が10錠単位などのシート状になったものをもらう人が多いはずだ。
これに対し一包化とは複数の薬を服用する人向けに、錠剤をシートから出して朝昼晩など飲むタイミングに分けて1つの薬包に包装し直す。一般には服用する薬の多い高齢者などで飲み忘れを防ぐために行う対応だが、沙智さんの場合はやや意味が違う。夫の嶺二さんが説明する。
「要はデパスをシートでもらうと1度にたくさん服用してしまう危険があるためです」
その嶺二さんも2018年8月からデパス(エチゾラム)を処方されている。勤務先でトラブルを抱えたことからうつ病になったのがきっかけだ。嶺二さんの場合は0.5mg錠を1日2回服用している。
「妻を見ているので、危険なことはわかっています。注意しながら服用しています」
デパス(エチゾラム)の服用量を減らした沙智さんはかつてのように薬の耐性を感じることはなくなったというが、それでも涙ながらに不満を訴える。
「服用するな」は「死ね」と同じ意味
「今の医師からは『なるべく服用しちゃダメ』と言われますが、急にそう言われても困ります。いきなり減らしたので、服用しないと力が出ないし、死にたいと思ってしまうんです。起きているときはつねにそうです。だから薬を服用して、ボーっとさせるんです。
与えられた薬でコントロールするしかないのですが、デパス(エチゾラム)の服用量を減らした今も普通に生活ができないのがいちばん困ります。実際に苦しんでいる私には、『服用するな』は『死ね』と同じ意味です。患者にとってはありがた迷惑です。だから医師が信用できません。だって、(苦しみを)わかってくれませんから」
デパス(エチゾラム)を10年にわたって服用していたという四国在住の北方直樹さん(40代後半)にも話を聞いた。北方さんがデパス(エチゾラム)を服用し始めたのは大学生の頃だ。
「たまたま交通事故をきっかけに精神に問題を抱え、抗不安薬の処方を開始したのですが、主治医の処方は何回も変わりました。効果が実感できなかったためですが、そうした中で最終的にデパス(エチゾラム)を処方され、自分に合っていると感じました」
処方は1回当たり0.5mg錠、1日3回を基本に、頓服の分も処方されていたという。ちなみに頓服とは1日3回毎食後のような定期的な服用ではなく、あくまで症状があるときなどに一時的に薬を服用することを指す。
北方さんの服用当時は、デパス(エチゾラム)が麻薬及び向精神薬取締法の対象として指定を受ける前だったが、すでに向精神薬指定を受けていたほかの薬も併用していたため30日おきに医療機関を受診した。デパス服用中に接した主治医は2人。いずれの医師からもデパス(エチゾラム)の依存性について聞かされたことはなかったという。
1日3回が基本だったが、時に不安が強くなるなどしたときは頓服分のデパス(エチゾラム)に手を伸ばした。
「正直言って不安が強くて1日に10錠を服用したこともありました。完全なオーバードーズですね。外出時もお守りのように頓服分を持ち歩いていました。持っていないことが不安になるのです。ただ、次の受診日までに足りなくなるということはなかったですね」
その意味では北方さんはいわゆる常用量依存に当たるかもしれない。そして服用から約10年を経て医師の勧めもあって最終的にデパス(エチゾラム)の服用をやめた。このときはまず1回0.5mg錠を朝晩の1日2回に減量した。ただ、念のための頓服分も処方してもらった。
「1日2回の頃は時々頓服分を服用したり、不安が強くなったため夜の服用分を夕方に前倒しで飲んだりしたことなどはありました。それでも約2カ月でさらに1日1回になりました。その際も頓服分は処方されていましたが、1日1回になってから手を付けることはなくなりました。
1日1回も数カ月で終わり、完全にやめられました。ほかの向精神薬を服用していたことや療養に専念するために仕事を辞めるなどの環境的な要因も好影響だったのかもしれません」
その後はデパス(エチゾラム)を服用したいという欲求が出ることもなく、今に至っている。ただ当時のことを振り返って次のように語った。
「今振り返れば、自分はデパスの常用量依存になっていたのかもと思うことがあります」
合法的な医薬品が依存症となる
服用経験者の証言に共通するのは、何らかの精神的な悩みを抱えて医療機関を受診したこと、そしてデパス(エチゾラム)を処方され、それまでになかった確かな「効果」を実感したということだ。しかし服用を続けている間にその実感が薄れていき、薬がないと不安に感じたり、決められた用量を超えて服用したりするようになる。「依存症」が形成される、典型的な流れともいえる。
ちなみに「デパス」という商品名はラテン語で「離れる」を意味する「De」(デ)、「通り過ぎる」を意味する「Pas(パス)」を合わせて「病的状態から離れ通り過ぎる」という意味を込めた商品名。にもかかわらず、少なからぬ服用者が薬から離れられない「依存症」に陥るという皮肉な結果を生んでいる。
そして同時に、「依存性について説明されることはなかった」という証言も共通する。デパス(エチゾラム)の添付文書(薬の効果や注意点などをまとめた文書)に「重要な基本的注意」として依存性が記載されたのは2017年のことだが、それ以前も医療関係者の間では依存性は周知の事実だった。それにもかかわらず、少なくとも「患者本人の記憶に残る形」での説明はなされていなかったことになる。
覚せい剤やアルコールに依存性があることは、広く知られたいわば「常識」ともいえる。しかし医療機関で処方される合法的な医薬品で依存症になってしまうことは、一般的な「常識」とまではいえないだろう。
だからこそ、十分な配慮をもって患者側に伝達されるべき依存のリスクが、なぜ「伝わっていなかった」のか。医療従事者はどのような意識で、薬の処方や説明を行っていたのだろうか。
(取材・執筆:村上和巳/ジャーナリスト、渋井哲也/フリーライター)

追記:私も精神科で何年か前からデパスを不眠のために処方されています。現在も就眠前に睡眠誘導剤と一緒に飲んでいます。医者や薬剤師からこの薬の内容に説明を受けたことはありません。


瀬戸内寂聴「今年99歳。夜中に転倒し入院しても、いまだ書ける喜び」

2021-11-17 13:30:00 | 日記

婦人公論.jp様のホームページより下記の記事をお借りして紹介します。(コピー)です。

作家・瀬戸内寂聴さんが9日、99歳で逝去されました。2021年1月には、読者に向けてメッセージをくださった瀬戸内さん。その言葉一つ一つが胸にしみわたります
 ◆
今も仕事で徹夜をすることがあるという。100歳が目前に迫り、体に不調はあるものの、十分幸せだと感じる理由とは――(構成=篠藤ゆり 撮影=本社写真部)
価値観を変えれば次の道が開ける
世界中で新型コロナウイルスの感染が拡大するという思わぬことが起きた2020年が終わり、2021年を迎えました。

最近の寂庵はとても静かです。出かけることもできないし、人様に「いらっしゃい」とも言えませんから。毎月行っていた法話や写経の会を開くこともできません。それをすればお堂はいつも人でぎゅうぎゅうになるので、まだ当分は難しいでしょう。

そういうわけでいつもは静かな寂庵ですが、秘書の瀬尾まなほが子どもを連れて来た日には、賑やかになります。1歳になったばかりの男の子ですが、本当にかわいいの! 将来、ものすごいイケメンになるんじゃないかしら。

子どもの成長というのは、本当に早い。ついこの前生まれたばかりだと思っていたのに、もう小さな歯が2本生えて、髪の毛も、ふさふさしてきました。一方、私は髪の毛がないので、子どもは最初は不思議そうな表情で私のことを見ていましたよ。でも今はすっかり慣れたようで、仲良く一緒に遊んでいます。

私は若い頃、4歳の娘を置いて婚家を飛び出してきたため、自分の孫を抱く機会がありませんでした。それなのに今、こうして身近にいる赤ん坊と、無心になって戯れているのですから、つくづく人の巡り合わせは不思議なもの。

5月に誕生日を迎えれば、私は99歳になります。もう99年も生きてきたのかと、自分でも驚いてしまいます。
今から100年ほど前、世界中でスペイン風邪という感染症が流行しました。ちょうど私が生まれた頃、日本でも大勢の人が亡くなり、今と同じように、みんな病気に怯えて暮らしていたのです。

スペイン風邪によって恋人を亡くし、失意の時にやさしくしてくれた中国人の留学生と半ばヤケになって結婚したという日本人女性を知っています。その方とは、私が夫とともに北京で暮らしていた時にもまた出会い、いろいろ親切にしていただいたのです。とても思いやりのある旦那様との間に、かわいらしいお嬢さんが2人生まれていました。当時はそんなふうに、感染症がきっかけで、人生が変わった人がずいぶんいたものです。

人の運命というのは、どう動くかわかりません。人生の総決算は、死ぬ瞬間にしかできないのではないでしょうか。どんなに貧しい家に生まれても、チャンスを掴んで成功する人もいれば、恵まれた家庭に生まれても、辛苦を経験する人もいます。

不幸だと思ったできごとが、実は思いがけない幸福への入り口になることだってあるのですから、コロナ禍の間に暮らしを見直し、価値観を変えることで、次の道が開けるかもしれません。 

失ったものを数え出したらきりがない
昨年10月には、夜中に寂庵の廊下で転んでしまい、けっこうひどい怪我をしました。足の先が痛むので杖をついて歩いていたら、杖が滑ってしまったのです。頭から廊下に打ちつけたので一瞬気絶して、気がつくと、全身の痛みで声も出ないほど。

朝になるのを待っていると、出勤してきたまなほが気づいてくれて助けられました。顔もぶつけたので、目の上に大きなたんこぶができ、まぶたも腫れ上がってしまい、ひどいありさまでした。それこそ、化けて出たお岩さんのようなひどい顔!

もともと、脚の血管の詰まりを治す手術を受ける予定があったのですが、転倒のために急遽入院を早めて検査を受けることに。CTを撮ってもらった結果、骨折などはしておらず、脳に異常も見られませんでした。ついでに予定していた脚の血管を拡げる手術も済ませてもらいました。
入院直後はとにかく全身が痛くて、身動きもできない状態。まぶたが腫れているから、読み書きもできません。顔の傷は紫色から青、赤、黒と変色して、目も当てられない。やっと治ってきましたが、鏡を見て「なにかおかしいな」と思ったら、眉毛が片方なくなっているんです。(笑)

リハビリと脚の治療を終え無事退院しましたが、さすがに夜中に一人でいるのは危ないということで、交替でスタッフの誰かが泊まってくれるようになりました。ですから今は、夜も安心して過ごせます。執筆も再開していますし、こうして取材を受けられるくらい元気になりました。

たしかに、まったくつらくなくなったと言えば嘘になります。スタッフはみんな、とてもよくやってくれるけれど、痛みを代わってもらうことはできませんしね。でも私は今、とても幸せですよ。原稿が書けるし、本はいくらでも読めますから。

歳を重ねれば、なにかしら体に悪いところが出てきます。私も90歳頃から、腰椎圧迫骨折や胆のうがんの手術などで、何度も入院しています。もちろん痛みで苦しんでいる時は、「神も仏もあるものか」といった気持ちにもなる。でも快復すると、また心が元気になるのです。

人間、悪いところや失ったもの、手に入らないものを数え出したらきりがありません。逆に、今持っているものに目を向けると、それが幸福につながるはず。

私は今、目が見えて、書くことができるので、それで満足。片方の耳はかなり遠くて補聴器が必要ですし、若い頃のようにさっさと歩けませんから多少は不便を感じるけれど、ちっとも不幸せではないと思います。私にとって、本が読めて原稿が書けるというのは、本当に幸せなことです。
仕事の依頼が元気の源に
ありがたいことに、この歳になっても原稿を依頼してくださる方たちがいます。不思議なことに、注文があるといくらでも書くことが湧いて出てくる。今も締め切りとの闘いです。

退院後も時々、仕事で徹夜をしていますよ。私の原稿を待っていてくださる人がいるというのが、元気の源になっているのかもしれません。

読みたい本も山ほどあります。2020年は三島由紀夫さんが亡くなってちょうど50年たったから、いい機会だと思い、三島さんの本を読み返しました。やっぱり三島さんの作品は面白い。読み出したらやめられなくなり、時間がたつのも忘れてしまいます。気がつくと、一日中読み続けていることも。それで慌てて、夜になってから原稿用紙に向かうことになるのですが。(笑)

私は三島さんとは、一時期かなり密接なおつき合いをしていました。知り合ったのはずいぶん昔で、私がまだ作家としてデビューする前。三島さんの作品に感激してファンレターを送ったら、面白がって返事をくださったのがきっかけです。それから文通が始まり、私が作家になってからはお顔を合わせる機会も増えました。

もし今、三島さんが生きていらしたら、世の中についてどんなふうに思ったか。ちょっと聞いてみたかったですね。三島さんが割腹自殺を遂げた事件から、もう50年。そう思えば、100年なんてあっという間だという気がします。
どうしたら女性が幸せに生きていけるか
『婦人公論』は私よりもちょっとだけお姉さんで、今年創刊105周年を迎えるそうですね。私は、デビュー直後でまだ無名の作家だった頃、「徳島ラジオ商殺し事件」の現地ルポルタージュを書く機会をいただいたことがあり、とても貴重な経験となりました。

この100年ほどの間に、女性の地位は大きく変わりました。私が若い頃は、女は男に従属するしかないし、人権も認められていませんでした。働く場所も、電話交換手くらいしかなかった。

でも今では、自分が働いて家族を養っているというような頼もしい女性がたくさんいますね。秘書のまなほも、普段は子どもを保育園に預けて仕事をしてくれていますが、昔は子どもを預けて働くなんて考えられませんでした。女性が働く環境は、まだ不十分な点はあるかもしれないけど、100年の間に大きく進歩したと思います。

日本よりは男女同権が進んでいるはずのアメリカでも、女性大統領はまだ誕生していませんが、今年カマラ・ハリスさんが歴史上初の女性副大統領に就任します。これをきっかけに、たくさんの女性が後に続くことでしょう。

日本の女性政治家も、決して数は多くありませんが、頑張っている人が少しずつ増えてきています。20年の4月、私の出身地の徳島市で、36歳の内藤佐和子さんが史上最年少で市長に当選しました。徳島県内の長に女性が就くのは初めてのことだとか。やはり皆さん、若い女性の柔軟な発想に期待する気持ちがあるのでしょう。

私は作家になって以来、一番力を入れた仕事は近代女性の伝記でした。田村俊子をはじめ、岡本かの子や『青鞜』の女性たちを次々書きました。伊藤野枝を書いたのは、自分でも誇らしい仕事をしたと思っています。『源氏物語』の現代語訳をしたおかげで、王朝の女性たちの素晴らしい生き方も教えられました。

100年生きてつくづく思うことは、日本の女性の資質の素晴らしさです。その末端に生きた自分はなんと幸福だったかと思います。

瀬戸内寂聴
作家、僧侶
1922年徳島県生まれ。63年『夏の終り』で女流文学賞受賞。73年に得度し、法名寂聴となる。92年『花に問え』で谷崎潤一郎賞、96年『白道』で芸術選奨文部大臣賞、2001年『場所』で野間文芸賞を受賞。06年、文化勲章受章。


インフル流行期は心筋梗塞に注意 ワクチン接種者はリスク低下も

2021-11-17 12:00:00 | 日記

日経グッディ様のホームページより下記の記事をお借りして紹介します。(コピー)です。  記事はテキストに変換していますから画像は出ません

インフルエンザの流行期になると急性心筋梗塞(以下、心筋梗塞)の発症率が上がること、そして、高齢者がインフルエンザの予防接種を受けていると急性心筋梗塞のリスクが下がる可能性があることが、スペインで行われた研究で明らかになりました。

冬に増える心筋梗塞。高齢者がインフルエンザの予防接種を受けていると、そのリスクが低くなる可能性が。(写真=123RF)
冬に増える心筋梗塞。高齢者がインフルエンザの予防接種を受けていると、そのリスクが低くなる可能性が。(写真=123RF)
インフルエンザによって血管のプラークが破れやすくなる?
 以前から、インフルエンザにかかると心筋梗塞を発症するリスクが高まるという報告はありました。ただ、これまでの研究は、種類の異なる心筋梗塞をひとまとめにして分析していました。

 心筋梗塞には、主にタイプ1とタイプ2があります。タイプ1は、いわゆる「アテローム性動脈硬化」(*1)と呼ばれる状態から起きてくるもので、血管の中のプラーク(粥腫;じゅくしゅ)が破綻して血管の中に血栓が形成され、心臓に酸素や栄養を送る血管である冠動脈が閉塞します。一方、タイプ2は、心臓の筋肉への酸素の供給が減る、あるいは酸素の需要が増えることによって生じたミスマッチにより、血液不足(虚血)が生じるものです。

 インフルエンザとの関係においては、インフルエンザウイルスの感染によりプラークが破れやすくなって、タイプ1の心筋梗塞が生じるのではないか、と考えられていますが、一方で、あらゆる呼吸器感染症が、頻脈、低酸素症、全身性の炎症反応を引き起こす可能性があり、それがプラーク破綻なしに心筋壊死を引き起こす、という仮説も提示されていました。

 また、冬にインフルエンザが流行する地域では、インフルエンザのみならず、低温自体も心筋梗塞の発症率を上昇させる可能性があります。

 そこでスペインの研究者たちは、冬期におけるインフルエンザと、タイプ1であることが画像診断により確認された心筋梗塞(以下、心筋梗塞はタイプ1を意味する)の関係を、最低気温を考慮して分析することにしました。さらに、地域社会レベルで、インフルエンザワクチンの接種が心筋梗塞リスクに及ぼす影響も検討しました。

*1 心臓に血液を送る冠動脈の内膜に、コレステロールなどからなる粥状の物質が蓄積されてアテローム(粥状硬化巣)を形成し、厚みを増してプラーク(粥腫)となったもの。これが破綻すると、血管内腔に血栓が形成されて冠動脈が閉塞する。
インフル流行期は心筋梗塞リスクが23%上昇
 著者らは、スペインのマドリードで、2013年6月から2018年6月までの5回のインフルエンザ流行期(9月の終わりとなる第40週から翌年5月半ばとなる20週まで)の心筋梗塞の発症率と、インフルエンザ発症率の一過性の関係を、気温を考慮した上で検討しました。今回は、検査によって確認されたインフルエンザ症例に限定せず、臨床的にインフルエンザと診断できる症状を示していた、インフルエンザ様疾患の患者を対象とし、流行期の1週間あたりの発症率に関するデータを収集しました。心筋梗塞発症者のデータは、患者登録から入手しました。また、週ごとの最低気温の平均値を分析に用いました。

 2013年から2018年までに、心筋梗塞発症者は8240人報告されていました。うち5553人(67.6%)はインフルエンザ流行期に心筋梗塞を発症しており、それらの76.2%は男性で、45.7%は65歳以上でした。

 インフルエンザ流行期の、各週の10万人あたりの心筋梗塞発症率は、男性が1.02、女性は0.29で、15~59歳が0.36、60~64歳は1.24、65歳以上は1.47でした。全体では0.73で、インフルエンザ流行期外の0.57に比べ有意に高くなっていました。年度と月、最低気温を考慮して推定すると、インフルエンザ流行期の心筋梗塞発症リスクは流行期外の1.23倍でした。

 流行期外と比較した流行期の心筋梗塞リスク上昇は、女性では有意(リスク比1.35倍)でしたが、男性では上昇傾向(1.19倍)を示すにとどまりました。また、年齢で層別化すると、15~64歳では流行期外の1.22倍、65歳以上では1.25倍になりました。

 次に、気温の低下と心筋梗塞の関係を検討しました。インフルエンザ発症の影響を考慮して分析したところ、その週の最低気温が1度低下すると、心筋梗塞発症者が2.5%増加することが示されました。

ワクチン接種済みの高齢者は心筋梗塞リスクが低下
 続いて、インフルエンザ予防接種の心筋梗塞リスクへの影響について分析しました。インフルエンザ流行期に心筋梗塞を発症した5553人のうち、発症より15日以上前に予防接種を受けていた、すなわち、接種の効果が現れていたと見なされたのは1299人(23.4%)でした。93人(1.7%)は、接種のタイミングが心筋梗塞発症前の14日以内だったため、分析から除外しました。ワクチン非接種者は4161人(74.9%)でした。

 対象となった集団の、流行期ごとのワクチン接種率は、65歳以上が56~60%で、60~64歳は25~30%、15~59歳は4~6%でした(*2)。

 インフルエンザワクチンの接種を受けた60~64歳の人々と65歳以上の高齢者の流行期の心筋梗塞リスクは、非接種群の0.58倍、0.53倍で、有意に低くなっていました(表1参照)。流行期外でも、これらの人々のリスク低下は有意でした。

表1 ワクチン接種の有無と急性心筋梗塞の発症率
表1 ワクチン接種の有無と急性心筋梗塞の発症率
(J Am Heart Assoc. 2021 Apr 20;10(8):e019608.)
[画像のクリックで拡大表示]
 流行期外でもワクチン接種群に心筋梗塞が少ない理由として、著者らは、「ワクチンが全身の炎症状態に好ましい影響を及ぼして、心筋梗塞につながるアテローム血栓性のイベントを予防するのではないか」という考えを示しています。また、「ワクチンを接種する人は、医療従事者の勧めに従う傾向が高く、心筋梗塞リスクを低減するための指示にも従う可能性がある」という仮説も示しています。例えば処方薬を適切に服用し、禁煙や、食習慣の改善、運動の実施といったライフスタイルの改善を心がけていたなら、季節にかかわらず心筋梗塞リスクの低下が見られても不思議ではありません。
一方で、15~59歳の集団では、非接種者に比べ接種者の方が、流行期の心筋梗塞リスクは有意に高くなっていました。その理由を著者らは、「この年代でワクチンを接種していたのは、もともと心臓病と診断されている患者や、心血管疾患リスクが高いことを指摘されていた人が多かったのではないか」と考えています。

 また、表1を見ると、接種群の60歳以上の人々の心筋梗塞発症率は、インフルエンザ流行期間とそれ以外の間でほぼ同様ですが、非接種群では、インフルエンザ流行期のほうが発症率は高くなっています。非接種群における、流行期外と流行期の心筋梗塞発症率の差は、ワクチンを接種していなかったために生じたインフルエンザの重症化に起因する可能性が考えられました。

 今回の研究結果は、インフルエンザと低温はいずれも心筋梗塞の危険因子であること、インフルエンザの予防接種は、高齢者の心筋梗塞リスクの低下と関係することを示しました。また、ワクチンに心筋梗塞を予防する効果があることが示唆され、心筋梗塞リスクの高い人々に接種を促す必要があることが明らかになりました。

医学ジャーナリスト
大西淳子(おおにしじゅんこ)筑波大学(第二学群・生物学類・医生物学専攻)卒、同大学大学院博士課程(生物科学研究科・生物物理化学専攻)修了。理学博士。公益財団法人エイズ予防財団のリサーチ・レジデントを経てフリーライター、現在に至る。


小室圭さん不合格でも、眞子さんが「米国生活にこだわるワケ」

2021-11-17 11:00:00 | 日記

下記の記事はFRIDAY DIGITALからの借用(コピー)です。

「完全に計算が狂いましたね」
そう語るのは皇室ジャーナリストの男性だ。秋篠宮家の長女・眞子さんと結婚した小室圭さんが米ニューヨーク州の司法試験に不合格だった。
小室さんは米フォーダム大ロースクールを卒業後、7月にニューヨーク州の弁護士試験を受験。その結果が10月29日、同州司法試験委員会のホームページで発表されたが、そこに小室さんの名前はなかった。
試験は9227人が受験し、5791人が合格。全体の合格率は63%、初めて受験した人の合格率は78%だった。また、圭さんが卒業した米フォーダム大ロースクールなど、米国内で法律の勉強をしていた生徒の初回合格率は約87%だった。
小室さんは大学時代を“特待生”待遇で過ごし、米ニューヨーク州の弁護士会が学生を対象にした論文コンペで1位を獲得。優等生イメージが強かっただけに、今回の不合格はマスコミも驚きをもって伝えている。
「まさか本人も落ちるとは思わなかったでしょう。受験生は試験後、必ず自己採点をします。小室さんは先月18日、秋篠宮さまと面会した際に試験の出来について聞かれ『大丈夫です』と答えたといいます。眞子さんとの記者会見でも時折笑みを浮かべるなど、余裕のある様子でした」(同・皇室ジャーナリスト)
小室さんの不合格は妻の眞子さんにも大きな影響を及ぼす。NHKによると、小室さんは日本で勤務していた弁護士事務所の所長・奧野善彦氏に電話し
「今回の試験の結果は不合格でした。大変申し訳ございません」
と報告。来年2月の司法試験に再チャレンジすることを明かしたという。その際、眞子さんも電話に代わり「夫を支えていきます」と宣言したというが…。
「金銭的な心配が常につきまといます。眞子さんは一時金1億5000万円を辞退し、現在は自身の貯金を切り崩して生活しています。渡米まで住んでいる渋谷区のマンションの家賃もウン十万円ですし、ニューヨークに渡れば日本とは別次元の物価の中、家計をやりくりしなければなりません。一部では小室さんが来年2月の試験も不合格だった場合、米国生活を含めた『見直しをするべき』といった声も上がっています」(ワイドショー関係者)
小室さんはすでにニューヨークを拠点とする法律事務所「L」で働いているが、試験に合格すれば年収2300万円、不合格なら600万円程度と雲泥の差がある。加えて、小室さんのビザは来春にも切れる可能性が高いという。
「来年2月の試験も不合格だった場合、小室さんはLをクビになる可能性もあります。そうなれば、ビザの更新にも影響が出かねません」(女性誌記者)
夢の米国生活が束の間で終わってしまう可能性も出てきているが、妻の眞子さんはこだわりを見せている。そもそも小室さんのフォーダム大留学は眞子さんが強烈にバックアップしたもの。結婚会見で眞子さんは
「前倒しして海外に拠点を作って欲しいと私がお願いしました」
と語っている。
「眞子さんは“自由の国”アメリカで暮らしたいという気持ちを長年持っていました。小室さんとの結婚で皇籍を離脱し、まずは最初の関門を突破。お次は海外ということで、小室さんに“お願い”し、渡米の流れを作った。
すでに眞子さんの就職先は見つかっているようです。あとはパスポートを取得して飛び立つだけ。眞子さんの思い描いていた夢がすぐ手の届くところまで来ているのです」(元宮内庁担当記者)
これまでは小室さんに眞子さんが依存し、盲目的になっていると報じられてきたが、実際は逆。前出の元記者は
「仮に小室さんが2度目の試験に不合格でしばらく日本に戻るようなことになっても眞子さんは付いてこないでしょうね。とにかく眞子さんは皇室を出て自由になりたかったのです。そのための方法は現状『結婚』しかないのです」
と話す。眞子さんの方が一枚上手だった、ということか…。