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実母との同居体験談!遠慮がないからこそモメる

2021-11-15 15:30:00 | 日記

ハルメクWeb様のホームページより下記の記事をお借りして紹介します。(コピー)です。

50代で実母と同居した女性の体験談を紹介します。実母との同居は、義母より遠慮がない分トラブルも激しくなる傾向があるようです。

実母との同居体験談
実母との同居体験談!遠慮がないからこそモメる
目次
実母と同居を始めた結果、激しいバトルが待っていた
子も巣立って平和に暮らしてきたのに……
母親と暮らすのは実に38年ぶりで不安は的中
娘をアゴでこき使う実母にイライラ
2年経過し、それぞれのペースをつかんで暮らす
実母と同居を始めた結果、激しいバトルが待っていた
実母との同居体験談1

嫁姑は他人だから理解し合えなくても当然。だからこそ「どうせなら自分の娘と同居したい」と思う母親世代は少なくないだろう。だが娘も50代ともなると、「今さら実母と同居するのはつらい」という声もあがる。実母は、義母より遠慮がない分、バトルも激しくなる傾向があるようだ。

子も巣立って平和に暮らしてきたのに……
実母との同居体験談2

東京郊外に暮らすユミさん(58歳)は、同い年の男性と結婚して30年。28歳の娘は都心の会社に通いきれず一人暮らしをしている。25歳の息子は同居しているものの、不規則な仕事のため帰って来たり来なかったり。

「みんな大人になったので、好きなように暮らしていますね。夫も夕飯がいらないことも多いし、すっかりラクになりました」

ユミさんは家で洋裁関係の仕事を続けている。若い頃、家では作業がしにくいだろうと、夫が庭に小さな工房小屋を作ってくれた。家族を送り出すとその「小屋」にこもるのが日課だった。

「娘がいなくなって部屋はあいたんですが、やはり小屋にこもった方が仕事がしやすいんですよ」

夫とは大きなケンカをしたこともなく、ずっと友達感覚で平和に暮らしてきた。

「ところが2年前、私の父が亡くなって母が一人になってしまった。兄夫婦が同居を始めたんですが、母は義姉と折り合いが悪くてうつ状態になって……。夫が、かわいそうだからここへ来てもらえばいい、と言ってくれたんです」

母親と暮らすのは実に38年ぶりで不安は的中
実母との同居体験談3


ユミさんはためらった。彼女は大学進学してから一人暮らしだったため、母と暮らすのは実に38年ぶり。いくら実母でも、今さらスムーズに生活できるとは思えなかった。

「私自身、母に対してはあまりいい感情を持っていなかったんです。だから義姉が折り合いが悪いというのもよくわかった。母はちょっと特殊な人で……。まあ、平たく言えば支配欲が強い。しかもその裏に自分が一番でないとイヤというワガママなお嬢さんみたいな性質が見え隠れするから、周りが振り回されるんです」

それでも母を見捨てるわけにもいかないと情にほだされたのが運の尽きだった。2階の娘の部屋をと思ったが、母もその時点で83歳。階段を使うのはつらいだろうとリビングの隣にあった小部屋を片付けて母の部屋にした。

「母はやってくるなり、『ここが私の部屋?狭いわね』って。最初に言うセリフがそれかと、がっくりきました。リビングは好きに使っていいからととりなしましたが、イヤな予感がしましたね」

それ以降、ユミさんはストレスフルな日々を送らざるを得なくなる。

娘をアゴでこき使う実母にイライラ
実母との同居体験談4

引っ越してきたその晩、母はユミさんの料理を食べて、「料理はあまりしないの?」と言い放った。どうやら味つけが気に入らなかったらしい。さらに、「私は朝ご飯は7時半。パンとサラダと卵料理でいいから」と言った。

「うちは朝食はそれぞれ勝手に作って食べるんですよ。母には、元気なんだから自分でやってと言いました。すると親に向かってどうとかこうとかぐちゃぐちゃ文句を言い出した。これには夫も、その日祖母を迎えようと帰ってきていた娘もドン引き状態。みんなそそくさと自室に引き揚げました。『うちで暮らすなら、うちのルールにのっとって生活してほしいんだけど』と母に穏やかに言ったら、『親をないがしろにするのね、へえ』と嫌味」

今思えば、母は兄一家に追い出されたという負い目があったのかもしれないとユミさんは言う。だから「置いてもらう」のではなく「来てやった」という体面を保ちたかったのではないだろうか、と。

「私に対して高飛車に出ることで、自分の存在価値を認めてほしいと思っていたのかもしれません。当時はそこまで思い至らないから、かわいくない年寄りだと心の中で思っていました」

ユミさんが「小屋」で仕事をしていても、勝手にドアを開けて「お昼ご飯はまだ?」と言う。お茶くらい自分でいれればいいのに、ユミさんがいれるまで待っている。仕事に集中して昼食を取り忘れることもあったのに、母がうるさくて気持ちが乱れた。

足腰も丈夫で元気な母は、落ち着くと地域のサークルなどに顔を出すようになった。

「母が家にいない時間があるとホッとしました。ところがあの性格ですから、あちこちでケンカしてくるみたいで……。帰ってくると人の悪口ばかり。聞いているとうんざりしてくるので、『お母さんにも悪いところがあるんじゃないの』と言ったら、抗議のハンスト。食べないんですよ。夫が心配して医者に行こうと声をかけたくらい。私が言うことを聞かないから、すねているだけなんですけどね。この年になっても親に支配されるなんてまっぴらですよね」

元気な母を預かってくれるのは高級な老人ホームだけだ。そんなお金はどこにもない。ユミさんは時間をかけて、どうしたら母が希望するような生活を送れるか話し合っていこうとしたが母はそれを拒絶。

2年経過し、それぞれのペースをつかんで暮らす
実母との同居体験談5

「あれから2年、最近、ようやく私も母に慣れてきたところですね。母も自分の朝食くらいは作るようになりました。サークル活動も、今はあまりケンカしなくなったみたい(笑)。夕飯は私が作ったものがイヤなら自分で作ってと突き放しています。たまには一緒にお茶くらい飲まないとかわいそうかなと思って、そういう時間をとるんですが、やっぱり最後は『おまえはもっと優しい子だと思っていたのに』と言われてムカッとくる。そんなことの繰り返しです」

老いて子のいいなりになる親を見るのもせつないが、老いてなお子を支配してくる母と一緒に暮らすのも大変である。

38年ぶりの同居生活、「本音を言えばしたくなかった。別に暮らしていた方が母には優しくできたと思います」とユミさんは言う。それでも今さら別居はできない。いつまでこんな暮らしが続くのだろうとユミさんは顔を曇らせた。


NY入り眞子さん「元皇族」の肩書が狙われる…詐欺行為の標的になる恐れ

2021-11-15 13:48:49 | 日記

東スポ様のホームページより下記の記事をお借りして紹介します。(コピー)です。

 秋篠宮ご夫妻の長女眞子さん(30)は14日、夫の小室圭さん(30)と羽田空港から民間機で米国へ出発し、同日夜(米東部時間14日午前)にニューヨークに到着した。夫婦で同地を拠点に新生活を始める。結婚で皇室を離れた元皇族が海外に居住するのは異例のこと。婚約発表から結婚に至るまで約4年。やっとの思いでこぎつけた結婚だったが、2人に立ちはだかる“壁”はまだありそうだ。悪意ある人物が近づき、詐欺まがいの行為の標的になる恐れも。専門家は「利用されないように気を付けてほしい」と指摘する。

 14日の東京・羽田空港は晴天に恵まれ、多くの人々が2人の出発を見送った。多数のSPに囲まれて小室さんとともに空港内に現れた眞子さんは報道陣から名前を呼ばれると軽く会釈をして飛行機に乗り込んだ。

 約12時間半のフライトを終え到着した米ニューヨークのケネディ国際空港ターミナルでは、関係者に囲まれながら足早に歩き、数回会釈して無言で進んだ。ターミナルの外では、迎えのワゴン車に乗り込む際に、眞子さんは笑顔で頭を下げた。

 結婚には、小室家の金銭トラブルを巡る批判があり、眞子さんは複雑性心的外傷後ストレス障害(複雑性PTSD)と診断された。先月行われた結婚会見では「私が圭さんに海外に拠点を作ってほしいとお願いした」と語り、渡米への切実な思いを明かしていた。

 関係者によると、2人は既に現地に新居を確保した。ついに夢を実現させると思いきや、立ちはだかる壁があるという。

 東京家族ラボ主宰・池内ひろ美氏は「結婚はゴールではなく、スタートです。2人にとって重要なのはこれからの生活です」と念を押す。

 物価の高いニューヨークで暮らすには、小室さんが弁護士資格を取得して年収約2000万円を稼ぐことは重要なポイントだった。だが、7月に行われた米ニューヨーク州の弁護士試験は不合格。生活基盤の安定に大きく影響するため、これには宮内庁関係者も「想定外」と驚いていた。来年2月に再挑戦する方向だ。

 一方、一部報道では、ニューヨークの大手弁護士事務所は優秀な人材を集めるため、無資格のアシスタントにも1年目の弁護士に近い給与を支払うこともあるという。ただし、かなりの激務で勉強時間が取れない。合格するためには、仕事をセーブする必要があり、収入は落ちる。さらに、一般的には2回落ちると解雇になる。

 こうした背景から池内氏は「ニューヨークでは、2人にお金がないということを知った人が善意の気持ちをもって金銭的な支援をしてくれるということもあり得ると思います。そのため、生活費の心配はそこまで深刻ではないと思います。しかし、お金がないことを利用するかのようにして、あらゆる人々が近寄ってきて財団を立ち上げる話などを持ち掛けてくるのではないでしょうか」と指摘する。

 眞子さんは小室さんと結婚したことで一般人となったが、海外では日本の「プリンセス眞子」として見られている。

 そのため池内氏は「日本のプリンセスが立ち上げた財団というネームバリューを獲得することができるので、それを狙って近づく人もいると思います」と危惧する。

 日本にいれば十分な警備態勢も整うが、ニューヨークではそういうわけにもいかない。そのため、比較的簡単に小室夫妻に近づくことができるというのも懸念点の一つだ。

「例えば、1000万円などのお金を払って眞子さんに赤坂御用地内の敷地や建物の間取りを書いてもらおうと考える人も出てくるのではないでしょうか。それを何に利用するかは想像しきれませんが、そういったよからぬ発想で近づく人もいると思います。ニューヨークには世界中の人が住んでいますから、十分に警戒する必要もあります」(池内氏)

 元皇族の肩書に目をつけた詐欺まがいの行為に巻き込まれる恐れも。2人が健康で安全に暮らせることを願いたい。


自宅で家族が息を引き取った時、どうすればいいのか

2021-11-15 13:30:00 | 日記

日刊ゲンダイヘルスケアデジタル様のホームページより下記の記事をお借りして紹介します。(コピー)です。

それまで入院していた患者さんが在宅医療へと切り替える最大の理由は、「最期は自宅で過ごしたい/過ごさせたい」という患者さん、ご家族の切実な思いがあるから。一方で、ご家族が一番に心配されるのは、「最期の迎え方」です。

 末期がんの患者さんでは、大抵の場合、そう長くない余命を宣告されています。ご家族もそれを覚悟しているわけですが、いざ在宅医療が始まると、患者さんは元気を取り戻し、宣告されていた余命を大幅に過ぎる方も珍しくありません。そんな時、ご家族は、いったんした覚悟が緩み、小さな安堵と共に先に延ばされた不安がないまぜとなる気持ちを抱えるものです。果たして看取りの時に、タイミング良く在宅医師は私たちの傍らにいてくれるのか? 死亡診断は?そのように不安を募らせるのではないでしょうか。

 これまでもさまざまな看取りのケースに立ち会い、ご家族と患者さんとのこれまでの関係や思いを垣間見ることがありました。あるご家族はこれまであった患者さんとのわだかまりの気持ちを清算し、あるご家族は改めての感謝の気持ちやいとしい気持ちを確かめ合う。そんな在宅医療ならではの看取りのケースをご紹介したいと思います。
その患者さんは、急性リンパ性白血病と外傷性くも膜下出血を患う85歳男性。一軒家の1階に患者さん、2階に息子さんが住んでいました。

 在宅医療は、その息子さんからの申し出によりスタートしたのでした。息子さんから伺った話によると、奥さん(息子さんにとっては母親)へのDVがあり、そのために別居。

 息子さんは独身で、ひとつ屋根の下に住んではいるものの、交流はなく電気がついているかどうかで生存確認をする程度。しかし病気のことを知り、「一人で孤独に死んでいくのはかわいそう」「これで最後かもしれないから」という気持ちが芽生え、母親や結婚している姉へも呼びかけ、ご家族が再び気持ちをひとつにして、患者さんの残された時間を見守ることになったといいます。

 そうして在宅医療を開始しておおよそ2カ月後、患者さんは旅立たれました。短い残された時間の中、患者さんにまだ食欲がある頃には、孫たち(お姉さんの子供)も訪れ、かつて家族がひとつ屋根の下に暮らしていた時、夕ご飯によく食べたギョーザをみんなで召し上がったそうです。
その最期の時は突然訪れました。その日は朝からヘルパーさんが訪問していました。まだ薄いながらも意識のあった患者さんでしたが、その1時間後、2階から息子さんが下りてきた時にはすでに呼吸が止まっていたといいます。

 在宅医療のスタート当初、看取りを心配する息子さんに、ご家族はそばにいてあげるだけでいいこと、患者さんがご家族の存在を感じられるだけでいいこと。最期の時、必ずしも医師がいなくても大丈夫。慌てず見守りながら私たちに連絡してもらえればいいことなどを伝えていたため、パニックにならず私たちの到着を待って、静かにその旅立ちを家族と一緒に確認することができました。在宅医療ではご家族の思いの数だけ看取りがあるといえるのです。

下山祐人
あけぼの診療所院長
2004年、東京医大医学部卒業。17年に在宅医療をメインとするクリニック「あけぼの診療所」開業。新宿を拠点に16キロ圏内を中心に訪問診療を行う。


恋愛未経験32歳男性が新婚生活で知った妻の正体

2021-11-15 12:00:00 | 日記

東洋経済様のホームページより下記の記事をお借りして紹介します。(コピー)です。

結婚相談所の入会面談にやってくる人のなかに、「これまで恋愛をしてこなかった」「異性とつきあった経験はゼロ」という人たちが、かなりの割合でいる。“若者が恋愛をしなくなった時代“といわれるようになって久しいが、今は恋愛未経験な30代、40代が結婚を現実として捉え、結婚相談所の門を叩いてくるのだ。
仲人として、婚活現場に関わる筆者が、婚活者に焦点を当てて、苦労や成功体験をリアルな声と共にお届けしていく連載。今回は、『恋愛経験ゼロ。相談所で結婚したものの、わずか3カ月で離婚になった32歳男性』が、新たに婚活をスタートさせた経緯を綴る。
男子校育ち、恋愛経験ゼロのハンサムボーイ
スラッとした長身でハンサムなよしゆき(32歳、仮名)が、入会面談にやってきた。有名私大を卒業後、上場企業に勤め、年収も平均以上。一見モテそうなタイプなのだが、開口一番にこんなことを言った。

「昨年、結婚相談所で出会った女性と結婚をしたんですが、3カ月で離婚になりました。相談所に入るまで、僕はまったく恋愛経験がなくて。けど、結婚後は彼女の体に指一本触れさせてもらえなくて、離婚になった。すごく落ち込んだんですが、このまま一生独身でいるのも嫌だし、もう一度、婚活して結婚したいんです」

そして、これまでの経緯を語り出した。


この連載の一覧はこちら
「中高が私立の男子校で、大学も工学部だったので、女性がほとんどいない環境で育ちました。女性とまったく縁のないまま、気がつけば29歳になっていました」

30歳を目前に周りを見渡すと、幼なじみや学生時代の友人たちの数名は結婚をし、なかには子どもを授かって父親になった者もいた。

「そういう人たちは学生時代から彼女がいたし、男女の関係になることも学生の頃に経験済みでした。周りに後れはとっていたけれど、いつかは自分も自然の流れに任せていたら彼女ができるだろうと思っていたんですね。でも、まったく女性との接点がなくて。というか、友達から合コンとかに誘われても、僕は体質的にお酒が飲めないし、知らない女性を目の前にして楽しい話をする自信もなかった。ほかの男たちは気に入った子とLINE交換しているのに、自分はできなかったらどうしようと、恥をかくのが嫌で参加もできなかったんです」

こうして歳を重ねていくほど、女性と付き合うことのハードルが上がっていった。

「このままだと一生女性と付き合えないし、結婚できないのではないかと思い、結婚相談所に入ったんです」
相談所に登録している女性は、結婚願望がある人たち。それに、仲人が結婚までの道筋を引いてくれるので、女性経験のない自分でもなんとかなるのではないかと思ったのだという。

「入会するときに、仲人さんから『あなたの条件なら、お見合いはいくらでも組めますよ』と言われて、半信半疑でした。でも、本当にお見合いは切れることなく組めたので、自分でも驚いてしまった。ただ、女性と1対1でお茶を飲むのも、話をするのも、生まれて初めての経験だったので、最初はお見合いしても断られ続けました」

5人の婚活女性に立て続けに断られ…
5人立て続けに断られたときには、心底落ち込んだ。だが、この連載や、ほかの婚活サイトのコラムを読んだりしながら、自分には何が足りないのかをいろいろと考えたという。

「どんなふうに話を振ったらいいのかとか、なんの話題を選べばいいのかとか、相槌の方法とか、自分なりに研究したんです。それでも繰り返していけばだんだん慣れていくもので、5回を過ぎたあたりから、お見合いでもあまり緊張しなくなったし、交際希望がもらえるようになりました」

まったく野球をしたことがない人がバッターボックスに立っても、球は打てない。しかし、立ち続けているうちにバットに球がかするようになり、だんだんと当たるようになる。何事も経験が大事だ。また男女は相性あってのことなので、会い続けていくうちに、お互いのことを気にいる相手が出てくる。

「交際希望ももらえるようにはなったんですが、そこから1、2度食事をすると断られることが多くて、そこからも苦戦していました。そして、1年たった頃に、結婚までたどり着けた女性に出会えたんです」

それが、みさえ(32歳、仮名)で、1つ年上の女性だった。

「ヘンな先入観があって、年上は絶対に嫌だったんです。年下がよかった。でも、年下だとこっちがリードしようと気負ってしまうし、試しに年上の人とも会ってみようかと。向こうからの申し込みだったので、承諾して、お見合いをしました」

お見合いの後に交際になったら、年下女性と付き合っていたときよりも、ずっと楽だった。

これまでデートでは、店はすべてよしゆきが決めていたのだが、みさえは、「ここに行きたい」「あそこに行きたい」と店を指定してくる。それはチェーン店系列ではなく、小洒落たお店が多かったので、それなりに値段はするのだが、自分で決めなくてよいのが楽だった。

「『なんでこんなにお店をたくさん知っているの?』と聞いたら、『母が美味しいものを食べるのが好きで、よく一緒に食べ歩いている』と言っていました」

そして、デートを重ねていくうちに、とんとん拍子に交際は前に進んでいった。お見合いから2カ月後には真剣交際に入り、その2カ月後には、よしゆきがみさえにプロポーズ。2人は成婚退会をした。

退会後には両家に挨拶をし、結婚式はコロナが落ち着いてからすることにして、住む家を決めたりと、準備を進めていった。

「この時点で手は繋いでいたんですけど、それ以上のことはしていなかったんです。ビルの最上階の夜景のきれいなレストランでプロポーズし、駅まで向かう帰り道に、暗がりの路地でキスしようとしたら、「恥ずかしいから」と拒否られた。映画とかドラマでは、道端や公園でキスしてますけど、確かに誰が見ているかわからない場所でするのはどうかなと思い直して、結局その日はそのまま駅で別れました」
コロナもあって、新婚旅行もしないまま2人の新婚生活はスタートした。

家は、2人の職場に通いやすい所に2LDKを借りたのだが、「リビングを共有スペースにして、2部屋はそれそれの部屋にしたい」というのが、みさえの提案だった。

一緒の部屋で寝たのは最初の1週間だけ
「それぞれの部屋は好きに使うのだけれど、寝るのは僕の部屋で一緒にということになっていたんです。ベッドは場所を取るから、布団を2組買いました。越した日の夜、部屋を暗くしてから、僕が彼女の体に触れようとしたら、『今日は引っ越しで疲れたから、もう寝たい』と言って、くるりと背中を向けてしまった。無理やりすることもできないし、確かにその日は僕も疲れていたので、おとなしく寝ました」

ところが、そんな状態が1週間続いた。さらにみさえは「隣に人が寝ていると落ち着かないし、寝不足だと昼間仕事に集中できないから、別々で寝たい」と言い出し、自分の部屋に布団を敷いて1人で寝るようになった。

「その日から寝室が別になったんです。仲のいい男友達にそのことを話したら、『それはおかしいだろう。大丈夫なのか? 新婚なのに』って言われたんですよね」

もう1つ、気になることがあった。毎晩、1時間コースの長電話を、母親としていたのだ。

「夕食を終えると自分の部屋にこもって、ずっと話をしている。それが終わるとお風呂に入って、また自分の部屋に戻り、今度はゲームをしている。自分の考えていた新婚生活とは、程遠い日々になりました」

そんな生活が1カ月続き、さすがによしゆきの鬱憤も溜まってきた。そこで、ある夜、強い口調で言った。

「これじゃあ、夫婦というより共同生活者じゃないか! 結婚したんだから僕は子どもが欲しい。一緒に寝たり、エッチしたりするのは、夫婦のコミュニケーションだよね。そういうことについてどう考えているの?」

今まで語気を荒らげることがなかったよしゆきに、みさえはびっくりしたのか、少し戸惑いながら言った。

「そういうことは、ちょっと恥ずかしいっていうか。まだ2人の生活に慣れていないし、だんだんと慣れてきたら、そういうことも考えられるようになると思うから……」

ケンカをするのはよしゆきの本意ではなかったし、それ以上の言い争いはせずに自分の部屋に戻り、結局、その夜もこれまで通り別々の部屋で寝た。そこからも、みさえの母親への毎日の電話と夫婦別寝室は変わることなく、1カ月が過ぎた。

そして、がまんにがまんを重ねてきたよしゆきの怒りが、とうとう爆発した。

「そんな勝手な生活ばかりしていて、どうして僕と結婚したんだよ!」

夕食の洗いものを終え、自分の部屋に戻っていこうとするみさえの肩を掴んで、よしゆきは自分でも驚くほど大きな声で怒鳴りつけてしまった。するとみさえはブルブル震えだし、わんわんと大声で泣き出して、いったん部屋に入ると、小荷物を持って出て行ってしまった。

結局、その夜は帰ってこず、実家にいたことが深夜になってわかった。

そこからは「離婚したい」の一点張り。話し合いにもならず、1カ月後に離婚となり、3カ月の短い結婚生活は幕を閉じた。
ここまで話すと、よしゆきは言った。

「結婚生活らしいことをまったく経験せずに、バツイチになってしまったんです。今思い返せば、“彼女はなんで僕と結婚しようと思ったのかな“って。コロナじゃなかったら、旅行とかにも行ったんでしょうけど、結婚式も、旅行も、コロナが落ち着いてからと考えていたので、まずは入籍をした。それで、一緒に暮らしてみてから、こんなはずじゃなかったということの連続で」

「結婚相談所での出会いは、“目的が結婚“とはっきりしているからいいなと思ったんですけど、お付き合いをしている時間も短いし、相手を見誤ると、とんでもないことになると学びました」

仲人の経験からいえば、結婚相手を決めるときに大事なのは、付き合った期間の長さではない。

付き合った時間の短さが問題ではない
すでに成婚退会した女性なのだが、最初の結婚は29歳のとき。社内恋愛で4年ほど付き合った男性だったが、入籍3日後にDV夫に変貌し、離婚調停を経て離婚。彼女は36歳で再婚を決意し、半年間活動をした後に現在の夫に出会い、3カ月の交際期間を経て成婚。あれから4年経つが、子どもにも恵まれ、幸せに暮らしている。

私の相談所の、お見合いからプロポーズまで最短記録は2週間だ。男性、女性ともに私の会員で、成婚退会して1年後には妊娠がわかった。そのときの子どもは今は3歳。こちらも親子で仲良く暮らしている。

そうかと思えば、婚活アプリやイベント業者主催の婚活パーティで知り合い、結婚の話まで出ていた相手が実は既婚者だったという女性が入会面談に来たこともある。

私はこんな話をしてから、よしゆきに言った。

「婚活で大事なのは相手を見極める目。目利きができるかどうかです。最初の結婚は失敗したかもしれないけれど、そこで学んだことも多いはずですよね。それを糧にして、次は幸せな結婚ができる相手を選んでいきましょう。婚活はいっときのこと、でも結婚は一生のことですから、結婚できそうなお相手が現れたら、その方を多方面から見ていくことが大事なんですよ。つらい婚活から1日も早く卒業したくて、結婚できる相手と結婚してしまうと、失敗につながったりするんです」

その目利きのサポートをしていくのが、仲人の仕事だと私は思っている。よしゆきの婚活をこれからも見守っていきたい。


愛子さま「成年行事」が誕生日に行われず4日後になる「異例の対応」

2021-11-15 11:01:56 | 日記

NEWSポストセブン様のホームページより下記の記事をお借りして紹介します。(コピー)です。

「緊急事態宣言が解除され、天皇家長女の愛子さまが通われている学習院大学の授業もオンラインと対面の“ハイブリッド”で進められるようになりました。しかし、愛子さまはオンラインのみで授業を受けられています。決して皇室にコロナを持ち込むまいと、11月3日の2年ぶりの学園祭にも参加されなかったほどです。最近は体を動かすため、御所でバドミントンやバレーボールなどで汗を流されているようです」(学習院関係者)

 その愛子さまが、12月1日に20才の誕生日を迎え、成年皇族になられる。前例に則れば、愛子さまは誕生日当日に「成年行事」に臨まれる。しかし、その日程が5日の日曜日にずれ込んだ。

「理由は、1日が平日なので学業を優先させたいというものでした。本来であれば、誕生日当日に宮中三殿を参拝され、宮殿で天皇陛下から『宝冠大綬章』と呼ばれる勲章を授けられます。その後、勲章をつけたドレス姿で両陛下にご挨拶し、上皇后ご夫妻にも成年皇族となったご報告をする流れでした。こうした行事を、授業のある平日に行うのは難しいという判断です。しかしこれは、前例を踏まえれば、表向きのものだと思いますね」(宮内庁関係者)

 黒田清子さん(紀宮さま)が成年になったときは、昭和天皇の喪中で特別な行事は簡略化されたものの、午前中に大学で授業を受け、午後に勲一等宝冠章を受けたのち皇太后にも挨拶した。成年時、小室眞子さんと秋篠宮家次女の佳子さまも誕生日当日に行事をされていた。なぜ異例の対応になったのか。

「11月30日の秋篠宮さまの誕生日会見の翌日、というのは避けたかったのでしょう。会見では、紆余曲折があった眞子さんの結婚について触れることは避けられません。結婚会見、圭さんの弁護士試験不合格などトピックが多いですからね。秋篠宮家のネガティブな話題に注目が集まる最中に、愛子さまの成年行事はできないと判断したのでしょう」(前出・宮内庁関係者)

 宮内庁幹部らが腐心してきたのは、「火種を天皇家に持ち込まないこと」「あくまで秋篠宮家の問題であって、天皇ご一家には無関係」という線引きを徹底することだった。今回も、秋篠宮さまの会見が再び火を付けるであろう小室夫妻への逆風の中では、愛子さまの慶事は行われるべきではない──そうした判断が働いたものとみられる。
 しかし、この選択には新たな誤解を生むリスクがあると、皇室記者は語る。

「眞子さんが、ご結婚に際して慣例を踏襲しなかったように、愛子さままでが“公より私”を優先させたと取られかねません。そのリスクを取ってまでも延期したのは、愛子さまの20才の誕生日は、ご本人だけでなく、皇室全体にとって大きな局面だからです。だからこそ、延期を両陛下も了解されたのでしょう」

 愛子さまが成人され、祝福ムードが高まり、その後、公務を立派に行われる姿を国民が目にする機会が増えれば、何に火が付くか。「愛子天皇待望論」だ。女性宮家創設、女性天皇、女系天皇に関する議論が、再び動こうとしているのだ。