日経ウーマン様のホームページより下記の記事をお借りして紹介します。(コピー)です。
遠く離れた実家で、父が孤独死していた――。東京でフリーランスエディターをしている如月サラさんはある日、予想もしなかった知らせを受けます。如月さんは50代独身、ひとりっ子。葬儀、実家の片付け、相続に母の遠距離介護など、ショックに立ち尽くす間もなく突如直面することになった現実をひとりで切り抜けていく日々をリアルにつづります。
お正月が明けて間もない頃、遠く離れた実家で父がひとりで死んでいたのが見つかった。前年の夏、熱中症で倒れた母は認知症と診断され、専門病院に入院していた。私はコロナ禍であることを理由に、それから実家に一度も帰らなかった。父は半年後に、誰にも知られることなくこの世を去った。
母は入院先から高齢者施設に入居し、実家は無人のままになった。ほとんど会話の通じなくなった母をわずかな時間見舞うため、そして実家の整理と保守のために月に1回、往復する日々が始まったが、その疲れ以外にもある不便が生じてきていた。
仕事先で不意に直面 私の「緊急連絡先」は?
父が死んでいたのはコロナ禍の真っ最中。ステイホームを呼びかける風潮で、東京の自宅と実家を往復する以外ほとんど外出する機会はなかったが、春先からほんの少しずつ、得意ジャンルの1つである「旅」の仕事が入り始めた。
あるとき、旅先でSUPヨガの取材をすることになった。SUPとはスタンドアップ・パドルボード(Stand Up Paddleboard)の略称。サーフボードの上に立ち、パドルを使って海や湖などを進むアクティビティのことだ。SUPヨガは、このボードの上で行うヨガのこと。予期せぬ事態が起こる可能性もあるので、体験前に誓約書へのサインや緊急連絡先の記入などが求められる。
川べりでのSUPヨガ取材。この日はあいにく冷たい雨だった
川べりでのSUPヨガ取材。この日はあいにく冷たい雨だった
この記入の際に手が止まってしまったのだ。私に何かが起こったとき、知らせればどうにかしてくれる人はもはや誰もいない。施設に入っている母の部屋には携帯電話が置いてあるが、母は既に電話を受けることもかけることもできない。いったい誰の名を、どの連絡先を書けばいいのだろうか。
取材先という思いがけぬ場所で気づいた事実に、驚くほど動揺した。事情を知る取材仲間がそんな私を見て、自分の家族の連絡先をそっと書いてくれた。これからもきっと、こういう事態に遭遇することがあるだろう。そのときどうすればいいのだろうか。
40歳を超えたとき、初めて賃貸物件の入居を断られた
思い返してみれば、以前にも似たような経験をしていた。それは40歳を超えたときのこと。既に離婚し、独身ひとり暮らしだった私は、住んでいたマンションの隣の敷地に大型の建築物を建てる工事が始まったことをきっかけに引っ越すことにした。
東京の賃貸マンションは、通常、2年ごとに更新料が発生する。家賃の2倍もの更新料を払って同じところに住み続けるより、引っ越して気分を変えるほうがいいと、私は更新のたびに違う場所に転居していた。そのときには既に、東京に出てきて12軒目の家に住んでいたところだった。
転勤の多かった父の仕事の都合で幼い頃から引っ越しが多く、住む場所を変えることに抵抗がなかったことも影響していたと思う。いらないものを捨てて新しい場所に移り住むスタイルが気に入っており、そのときも次に住みたい街で部屋を探し始めた。ところが、ここと決めた場所に申し込みをすると断られてしまったのだ。初めてのことだった。
会社員として既に10年以上勤務しており、ある程度の年収もあった。それでも断られた理由を聞くと、「40歳を超えて独身ひとり暮らしの女性であることと、年金暮らしで遠く離れた場所に住む親御さんでは保証人として不十分だから」と告げられた。そして次々と3件もの賃貸物件の所有者に入居を断られた。
「このままもっと年を取ると、さらに部屋を借りることが難しくなるのではないか。年金暮らしの親しかいない中年独身の私は、東京で暮らしていけなくなるのではないか」と不安に駆られ、購入するつもりなどなかった分譲の中古マンションを慌てて探し、ローンを組んだ。
同世代の独身の友人たちはどうやって住む場所を確保しているのだろう。聞いてみると、「兄弟を保証人にしている」という人が多かった。そうだったのか。私には身元を保証してくれる兄弟姉妹もいないのだと改めて思い知った。
ひとりで老いて死んでいくことはそんなに罪なのか
SUPヨガの取材後、友人たちに、緊急連絡先がなくて困ったという話をすると「互いに緊急連絡先として電話番号を登録しておこう」ということになった。当面の急場はこれでしのげるかもしれないが、私がもっと年を取り、認知能力が落ちて意思決定が難しくなったらどうすればいいのだろうか。早いか遅いかは分からないけれど、いずれ必ず私も死んでしまう。そのときの実家は。東京でローンの残ったマンションは。一緒に住んでいる猫たちは。
私は自分がひとりきりで老いて死ぬことについて、何も考えていなかった。
どんなときも私が元気でいられるのは、この2匹の猫たちのおかげだ
どんなときも私が元気でいられるのは、この2匹の猫たちのおかげだ
少し前にとあるインタビューを受け、その記事がYahoo! に転載されたことがある。50代独身で、猫と暮らして十分満たされており、今後パートナーも特に必要と思っていないという私の発言が掲載されているその記事のコメント欄には、「それは結構だけれど、将来孤独死して周囲の人に迷惑をかけないでくれ」「介護保険を使いまくって若い世代に負担をかける気か」という内容がずらりと並んだ。
そのときはコメントにあまりリアリティーを感じていなかったが、父の孤独死とその後のさまざまな手続き、また、施設に暮らす母の遠距離介護、そして誰もいなくなってしまった実家の保守や整理などを私が一手に担っているという事実を考えた。私には、そんなことをしてくれる人はもはやいないのだ。
ひとりで老いて、死んでいくことはそんなに人様に迷惑をかけることなのだろうか。兄弟も、夫も、子どももおらず生きて、死んでいくのはそんなに罪なのだろうかと考え込むことになった。
「生きているうちは、生きていかなくちゃね」
調査によると、日本の全世帯のうち約半分に65歳以上の人がおり、その中でも65歳以上のひとり暮らし世帯は約3割にのぼる。男女の割合は女性のほうが多く、高齢者ひとり暮らし世帯の7割近くを占めることが分かっている(厚生労働省、2019年国民生活基礎調査より)。ひとり暮らしの人はすべてが独身者というわけではなく、家族と離れて住んでいたり、夫と死に別れたりした人もこの中に入っている。
誰しも将来ひとり暮らしになる可能性があるのだ。
このまま生きのびていくことができれば、いずれ私も高齢者になりこの中に加わることになる。そのときにはもっと数も割合も増えていることだろう。
最近、スーパーのレジでどう支払っていいか分からず、財布から現金を出したりしまったりを繰り返したのち1万円を差し出したり、空港にバッグを置き忘れて飛行機に乗ってしまい、CAに「降りたらこの番号に電話をして確認してください」と何度説明されても理解できない様子の老いた女性を見かけて、明日の私の姿だと思った。
身のうちに修羅を抱えたまま、ほとんど何も話さずじっと窓の外を見つめ続ける母を見舞っていると、生きていくことの意味を考える。私は実家も人生もすべて整理して、誰にも迷惑をかけずきれいに死んでいくことができるのだろうか。大きな問いを抱えたまま、今日も目の前のことに追われてあっという間に1日が暮れてゆく。
「生きているうちは、生きていかなくちゃね」
認知症で入院した当初は自分がそういう状態になってしまったことを嘆き、死にたい死にたいと言っていた母が次第に状況を受け入れ、ぽろりと口にした言葉だ。そう。生きているうちは、なんとか生きていかなくちゃね。自分にそう言い聞かせている。
文・写真/如月サラ