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中村メイコさん流「軽やかに老いる」ヒント…“断捨離”の極意は大切なものから処分する

2021-11-21 15:30:00 | 日記

日刊ゲンダイデジタル様のホームページより下記の記事をお借りして紹介します。(コピー)です。

 女優の中村メイコさん(87)の著書「大事なものから捨てなさい」(講談社)が話題だ。老いの常識にとらわれず、軽やかに生きるヒントが満載で同世代の高齢者はもちろん、断捨離を進めて欲しいと願う子供世代からも支持されている。そんな中村の固定概念にとらわれない生き方のヒントを聞いた。
 ◇  ◇  ◇
 断捨離は大事なものからがメイコ流だ。

「子供の頃、エノケン(榎本健一)さんに頂いたお人形を処分したあたりが断捨離のきっかけでしょうか。2歳でオムツをしながら芸能界で仕事していた私を可愛がってくださったのがエノケンさんで、毎日頂いたお人形を抱いて仕事に行っていたほど大切にしていました。でも、子供たちには思い出の価値はわからないし、ましてや私が残していったら処分に困る。そこで人形は思い切って処分しました。処分してみて気づくのは、大切なものから処分すると、その先の断捨離が進むということ。逆を言うと、それができないといつまでも片付かないんです」

 スターばかりのお宝写真も処分した。

「いちばん切なかったのは江利チエミさんと高倉健さんの結婚式の写真でしたね。『来世で一緒になりなさいね。あなたたちお似合いだったわよ』って話しかけながら、ハサミで細かく切って処分しました。家族が一番困るのは思い出と思い出の品。心の中に記憶されていると思う、割り切りが必要です」

自宅も断捨離
近著「大事なものから捨てなさい」(講談社刊)/(C)日刊ゲンダイ
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 家も一軒家からマンションに。

「子供たちも巣立ち、客間も不要、何より年金暮らしには維持費がかかりすぎるので、思い切って家もコンパクトにしました。女優は環境に合わせて演じるので、自宅もセットと考え“家に合わせ”て断捨離しました。ついつい、大きくなった家、増えた荷物を維持することに頭が凝り固まってしまいがちですが『家(のサイズ)に合わせる』という逆転の発想でコンパクトにするのも一案です」

 クローゼットからあふれるほどの服も処分した。

「服は似合いそうな人に差し上げたりして、相当処分しました。おかげで把握できていない服はなくなり、洋服もクローゼットの中でのびのびしているように見えます。身辺整理をして本当に良かったと思います」

 加齢とともにオシャレも進化。選ぶ服にパステルカラーが増えたそう。

「昔は紺やグレーが好きでしたが、加齢で肌がくすんだ上にベージュを着ると表情も肌もより沈むので、赤やピンクなどのパステルカラーや明るい色を着るようになりました。白髪は明るい色と相性がいいし、おばあさんだとすぐ分かるから若作りにもならない。神様ってどこか気を使ってくださるのね(笑い)」

 親友の黒柳徹子とは断捨離の概念も異なる。

「私の場合は残された子供たちに迷惑にならないように処分するのがエチケット。でも独身の徹子さんは『捨てないわ、全部倉庫にとってあるの』とおっしゃる。老後も一くくりではないし、世間のあるべき姿に合わせる必要はないと思います」

「私は病院で死にたい」
中村メイコさん(C)日刊ゲンダイ
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 美空ひばりをはじめ、同世代のスターを見送ってきた。

「みなさんあっちの世界に行っちゃって、飲みたいと思える人がいなくなりました。でも、毎日お酒は欠かさない。楽しくお酒を飲めることが一番のサプリです」

 介護は夫婦内で完結するのが基本、という意見には否定的だ。

「夫はもともと“妻には俺のパンツを洗って欲しくない”タイプで、今でも私が夫の前を裸で歩くこともないし、夫もパンツ一枚で歩き回ることもありません。私に豊かな胸があったら違うのかもしれませんが、そういう越えてはいけない“夫婦の38度線”が死ぬまであってもいい。ウチは将来どちらかが介護状態になったら、夫(妻)にシモの世話はしてもらいたくない。糖尿病の姑と同居し、介護する側も経験しましたが、そこはプロの手をお借りする。費用もかさむけれど、別でやりくりすればいい。お金をかけるべき優先順位は夫婦で決めてもいいと思うんです」

 一昨年、転倒して関節を骨折。今も歩行はスムーズとは言えないが、意外なギフトもあったとか。

「私が不自由になって初めて夫がご飯を作ってくれるようになりました。『君はこんな楽しいことやってたのか』って言うから“そうでもないのよ”と思いながらも『そうね』って持ち上げた。そしたら、結婚して60年以上自分が台所に立つなんて思わなかった人が変わるんだから。ホント、ケガの功名ね(笑い)」

■「両親の墓と神津家と分骨してもらうつもり」

 死も選択できる時代になり、在宅死を望む人も増えている。

「家をセットとして考えた時、住み慣れた家に病人が横たわって、酸素吸入器が運ばれ、白衣の看護師が通ったら違和感がある。死を迎えるシーンだったら、やっぱり病院の方がしっくりくる。だから私は病院で死にたいと思うんです」

 世の妻たちには「夫の家の墓は嫌、死んでまで親戚づきあいはしたくない」という意見も多い。

「結婚を許してくれた義父に対する敬意と感謝を込めて、夫が父に『メイコが亡くなったらお義父さんの元にお返しします』と約束しているので、両親の墓と神津家と分骨してもらうつもりです。家にこだわる必要もないし、分骨も悪くない。亡くなったらより軽やかでいいんじゃないかしら」

 女優歴85年、今後の展望は?

「私は体験から演技に生かすのがいいとは思っていないんです。若い人があえて老け役を演じるから見られるのであって、本当におばあさんが舞台に出てきたら気の毒で観客は拍手できません。人生って生きてゆくことと夢の差がいっぱいあるんですよ(笑い)。幸い、私は声のお仕事を頂くことが多いので、声のお仕事をやりたいですね。昔、上等なフランス製のレースのカーテンっていう役を頂いたことがあって、どんな声で、どんなエレガントな言葉で表現しようかしらと考えてワクワクしました。これからもそんなすてきな役を演じてみたいですね」

(聞き手=岩渕景子/日刊ゲンダイ)

▽中村メイコ 1934年、東京都生まれ。作家の中村正常と元新劇女優の母のもとに生まれ、2歳で芸能界デビュー。1957年に作曲家の神津善行氏と結婚し、神津ファミリーとして親しまれている。

 


岸本葉子「父を見送り、老後を考え〈暮らし替え〉を決めた。ヒートショック対策に壁や床の断熱対策も」

2021-11-21 13:30:00 | 日記

婦人公論.jp様のホームページより下記の記事をお借りして紹介します。(コピー)です。

30代の頃から、居心地のいい空間を手に入れるために試行錯誤を重ねてきたエッセイストの岸本葉子さん。還暦という人生の節目を迎えた今、岸本さんが考える老いと暮らしの心持ちとは(構成=丸山あかね イラスト=松尾ミユキ)
50代後半に暮らし替え適齢期を迎えて
私は36歳でマンションを購入し、これで老後の住まいは万全だと思っていました。でも、どうやらその考えは甘かったようです。
たとえば、家を購入した時の大きな決め手の一つとなったのはリビングの大きな窓でした。年を重ねて家から出なくなっても室内に光を取り込めるし、開放感があるし、と考えていたのですが、実際には外の気温の影響を受けやすく、特に冬の寒さが予想以上に厳しくて……。
30代は重ね着で、40代はホットカーペットでなんとか。でも50代に入ったらごまかしがきかなくなってきて、自分の急速な体の変化こそが最大の予期せぬ出来事でした。
高齢者にはヒートショックが危険と聞くにつけ老後に不安を抱くようになり、還暦を控えた一昨年、壁や床の断熱対策も含めたフルリフォームに踏み切りました。
家を購入した当時は、結婚した時のことも想定して2LDKの間取りを選択したのですが、おひとりさまのまま老後に突入することがほぼ確定しまして(笑)。いつしか部屋数はいらない、ならば廊下もなくして部屋を広く使いたいといった具合に、フレキシブルな発想で自分にとって快適な住まいを作りたいと夢見るようになっていました。
さらに、約5年間にわたる父の介護を通して、寝室とトイレは近いほうがいいとか、トイレと洗面所の壁を取り払ってケアする人のスぺースを確保したい、といった我が家の改善点が浮き彫りに。
とはいえ、父の介護中は精神的にも体力的にもいっぱいいっぱいでした。父を見送り、これからは自分の老後について真剣に考えようと気持ちを切り替えた50代後半が、私の暮らし替え適齢期だったのでしょう。
リフォームのために断捨離を決行
わが家の場合はリフォームという手段を選びましたが、お金をかけなくても、たとえばトイレの隣の部屋を寝室にするなど、工夫と労力を惜しまなければ、今より快適な住まいにすることは可能だと思います。
いずれにしても、自分が何に不便を感じているのかを洗い出すことが先決です。モノの出し入れがしづらいとか、動線が悪いとか。そのうえで解決策を考える。モノを処分することで解決するケースもあるでしょう。
私もリフォームに際して大量にモノを処分しました。工事中は仮住まいをしていたのですが、「コレは2度の引っ越し代をかけてまで持っていたいモノなのか?」と自問自答しながら断捨離を決行。服や本は簡単に決断できたので、不用品はリサイクルショップへ。
問題はお気に入りの家具でした。なかでも亡き両親との思い出の品であるコーヒーテーブルは、手放すなんてとんでもないという感じだったのです。でもリフォームプランを立てるなかで、収納を広げるなら、あるいはベランダへ続く動線を確保するには手放すしかないという選択を迫られ、断腸の思いで処分したのですが……。なんと、やってみたら全然大丈夫でした。
思い出はモノに宿るのではなく自分のなかに保存されているのだと確信し、手放すことのできた自分が誇らしく思えたほどです。手放して後悔しているモノは一つもありません。

おひとりさま 終の棲家 終活すべての写真を見る
新陳代謝のいい暮らしを目指す
断捨離第2弾はコロナによる自粛中に行いました。弾みがついて段ボール箱に詰めていた大量の写真や、親から受け継いだ食器なども整理することに。
「思い込みでとってあるモノ」はどこの家にもあるのではないでしょうか。たとえばお客様用の座布団くらいは用意していないと、と親から刷り込まれていたけれど、もはやお客様を家にお招きする体力はないよね? など自分に問うて、思い込みを外してみてはいかがでしょうか。
ただ私は、基本的にはダウンサイジングしつつ、今を楽しむことに主軸を置いています。自粛中も、生活空間を豊かに彩りたいとお気に入りの画家の作品を購入しましたし、ネットショッピングで「素敵!」とトキメキを覚えたクッションも買いました。
つまり目指しているのは、不要なモノを手放し、必要なモノを新たに迎え入れる新陳代謝のいい暮らし。私たちの細胞は常に生まれ変わっているのに、モノだけ息の根を止めてしまうのは人間の生理に反しているのでは? と言い訳をしながら欲しいモノは買ってしまう(笑)。そうして買ったモノは、もったいないなどと言っていないで旬のうちに味わい尽くそうと決めているのです。
私にとって家はシンプルであることと、ホッとできる空間であることのバランスが大切なのですが、その比率は移り変わっていくもの。年齢や体調と相談しながら家も心も風通しよくをモットーに、ストレスのない質の高い暮らしを心がけていきたいと思っています。

出典=『婦人公論』2021年8月24日号
岸本葉子
エッセイスト
1961年神奈川県生まれ。東京大学教養学部卒業。会社勤務、中国留学を経て本格的に執筆活動を開始。 


「死ぬのが怖い」 患者の苦悩、向き合うケア広がる

2021-11-21 12:00:00 | 日記

下記の記事は日経ヘルスアップからの借用(コピー)です

欧米の病院や福祉施設では宗教者らが常駐し、患者や家族に寄り添って心の問題をケアする。病院に宗教者が入るのを忌避する傾向があった日本でも多死社会を迎え、こうした「スピリチュアルケア」が広がってきた。スピリチュアルケア師や臨床宗教師の育成が進み患者や家族を支えている。
あそかビハーラ病院では毎夕、臨床宗教師らが読経や法話をする。患者や家族は自由参加(京都府城陽市)
「この患者さんは眠ったまま亡くなることに不安があるようだ」「僧侶さんの方が話しやすいかもしれない」。京都府城陽市で浄土真宗本願寺派(西本願寺)の一般財団法人が運営するあそかビハーラ病院。末期がん患者らが入院する緩和ケア病棟では毎日、医師、看護師、管理栄養士らに僧侶も加わって患者の状態や様子、家族の要望などの情報を交換するカンファレンスを開いている。
人は重病など危機に直面すると「生きる意味はどこにあるのか」「なぜこんな目にあうのか」というスピリチュアルペインに見舞われる。大嶋健三郎院長は「患者の悩みに医療者だけでは立ち向かえない。死生観や宗教観がしっかりした人材が必要」と話す。
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病院には僧侶3人が常駐し、患者の散歩や食事に付き合いながら話をする。通常は僧衣を着用せず、僧侶から宗教の話をすることはない。その一人、花岡尚樹・ビハーラ室長は「患者のそばにいて会話や傾聴を通して支えるのがケア。その中で『死ぬのが怖い』などの言葉が出たときに宗教者として受け止める」と話す。毎夕、院内のホールで僧侶が念仏を唱え法話をする。患者も家族も自由参加で、布教はしない。
江戸時代はお寺が教育、医療、癒やしの役割も担い檀家や門徒の「老・病・死」の悩みに向き合っていた。今や葬式仏教といわれ、癒やしにつながる葬儀さえ簡素化が進む。一方で病気を治す場である病院で亡くなる人が8割を超え、患者や家族は満足なみとりができず、医師や看護師も心がすり減っていく。
日本では2005年の福知山線脱線事故などをきっかけに、スピリチュアルケアに関心が高まり、臨床スピリチュアルケア協会や日本スピリチュアルケア学会が設立された。11年の東日本大震災では仏教、キリスト教など宗教者が被災者のケアに当たり、医療者の意識も変わってきた。
岐阜県大垣市の沼口医院は臨床宗教師が駐在するメディカルシェアハウス「アミターバ」を運営している。月水金曜日の午後は地域住民にも開放して「カフェ・デ・モンク」を開く。入居者の山口一美さん(75)は亡くなった夫の思い出や「なぜ自分がリウマチで苦しまねばならないのか」といった悩みを担当宗教師の隠一哉さんに打ち明ける。「困ったことやうれしかったこと、何でも話ができる」と、山口さん。
沼口諭理事長は生家がお寺で医師でも僧侶でもある。地域包括ケアが進んで在宅のみとりに立ち会う機会が増え、「医師も看護師も多忙な一般の病院で本当にケアができるのか」と考えるようになった。カフェ・デ・モンクを宗教師の活動拠点とし、在宅の患者や家族から希望があれば宗教師を派遣している。
臨床仏教研究所(東京・中央)は臨床仏教師の育成などに力を入れている。同研究所の神仁研究主幹は「本来は老・病・死の苦しみに寄りそうのが仏教」と話す。東京慈恵医大病院(東京・港)では神氏ら僧侶3人が緩和ケア診療部のスタッフとして医師とともに回診や個別面談をしている。
「地縁や血縁の共同性が薄れ、ケアする新たな場が求められるようになっている」。上智大学グリーフケア研究所の島薗進所長は指摘する。うつ、引きこもり、自死などスピリチュアルケアが必要な分野は広がっており、「将来はスピリチュアルケアの場があるのが当たり前になるだろう」と島薗所長は予測する。
◇  ◇  ◇
講座やシンポ 人材育成進む
スピリチュアルケアを支える人材育成は着実に進んでいる。日本スピリチュアルケア学会は2013年からスピリチュアルケア師の認定を始め381人を認定済み。医師、看護師、介護士、サラリーマン、主婦ら宗教的背景がなくても講座を受けて認定されている。
臨床仏教研究所は講座やシンポジウムを開き臨床仏教師を15人認定した。16年には仏教、キリスト教、神道など宗教や宗派を超えた日本臨床宗教師会が発足し、181人の臨床宗教師を認定した。東北大、上智大、龍谷大など大学も人材育成に積極的になっている。
あそかビハーラ病院のような常駐はまだ少なく、週に1回程度、臨床宗教師らが訪問するケースが多い。人材を配置しても、保険の加算にならないことなどが影響しているようだ。
(編集委員 宮内禎一)


小室圭さん解決金「振込人名義」の謎…“立て替え疑惑”に代理人が回答

2021-11-21 11:02:28 | 日記

女性自身様のホームページより下記の記事をお借りして紹介します。(コピー)です。

小室圭さんの母親の金銭トラブルについて、元婚約者・X氏の代理人が18日、X氏が解決金を受け取ったことを明らかにした。

 

409万3,000円が11月15日付で入金されていたといい、振込人の名義は小室圭さんではなく「ベンゴシ ウエシバ」だったという。

 

元婚約者が解決金を受けとったことにより、およそ4年間にわたり国民の関心事となっていた小室さんの母親の金銭トラブルは解決をみたといえるだろう。

 

とはいえ、12日に話し合いが行われてから週末をはさんで6日後の公表となり、振込人の名義についてTwitter上では《なぜ弁護士名義?》《つまりは弁護士事務所に借りたって事なのかな?》などと憶測を呼ぶことになっている。

 

その疑問を小室圭さんの代理人・上芝直史弁護士にぶつけてみたところ、事実関係について以下のように答えた。

 

「先方から解決金の振込先となる口座の連絡を受けてすぐ、先週末には提示された額の振り込み手続きを行いました。振り込みに使った口座は、『ベンゴシ ウエシバ アズカリキン』というもので、当事者から預かったお金を扱うために業務で使っているものです」

 

小室さん夫妻が羽田からニューヨークに向けて旅立った14日までには、X氏の口座への入金手続きは行われていたという。また“当事者”はこの場合、小室さんの母親になるが、少なくとも上芝氏が代わりに用意した金銭ではないということだ。


秋篠宮家への逆風再び…悠仁さま「超進学校」への入学は“特別扱い”なのか

2021-11-21 11:00:00 | 日記

日刊ゲンダイデジタル様のホームページより下記の記事をお借りして紹介します。(コピー)です。

小室圭さんの母・佳代さんの金銭トラブルで揺れた、長女・眞子さんの結婚に決着がついた秋篠宮家。皇嗣である父・秋篠宮さまに続き、皇位継承第2位の立場にあるのが、長男の悠仁さま。来春、高校進学を控えている悠仁さまが現在、在学中のお茶の水女子大学附属中学校は、高校から女子校になるため、悠仁さまは他校に進学する見通しだ。しかしここ最近、週刊誌を中心に、最有力候補と言われる超進学校への入学が“特別扱い”ではないかとの指摘が出ている。

「これまで進学先として候補に上がっているのが、学習院高等科、東京農業大学第一高校、そして、筑波大学附属高校の3校です。秋篠宮家のこれまでの慣習にとらわれない自由な教育方針により“学習院離れ”が進み、2人の姉も国際基督教大学を卒業され、眞子さんはそこで小室さんと出会っています。学習院は警備などあらゆる面で皇族をお迎えする体制ができている最もふさわしい学校ですが、今さら学習院に進学することは考えられません」(皇室ジャーナリスト)
東農大は秋篠宮さまが客員教授を務められ、紀子さまの実弟が准教授であり、2年前に悠仁さまは秋篠宮さまと文化祭に来られたことから東農大一高が候補として上がっていた。だが23区の西部、世田谷区に学校があるため、赤坂御所からの通学が現実的ではないと言われている。

「最有力なのが筑波大附属高。現在通うお茶の水女子大附属に近く、4年前には両校間で『提携校進学制度』が新設され、若干名ですがそれぞれの中学、高校に無試験で入学が可能になりました。本来、中学入学段階で悠仁さまはこの制度を利用して筑波大附属中に入学するということでしたが、当時ちょうど、小室家の金銭トラブルへの批判がエスカレートしていた時で、さらなる批判を避けるために断念されたと言われています」(前出・皇室ジャーナリスト)

 筑波大附属高は東大や京大をはじめ、国公立の医学部などに入学する生徒が多い超進学校として知られる。同高に無試験入学できるこの制度がタイミング的に悠仁さまのために設けられたのではという声が上がっており、それが特別扱いと言われる所以のようだ。
■この3年で毎年2名が筑波大附属高に進学

「お茶の水女子大附属も筑波大附属と同程度の超難関校として知られていますが、それは女子に限った話です。男子は中学で学校を出ないといけないという理由などから、お茶大附属中の偏差値は男子と女子では雲泥の差があります。首都圏模試の偏差値で女子72に対して53と、男子はいわゆる中堅校レベルなのです」(都内のベテラン塾講師)

 平成30年(2018年)度から令和2年(2020年)度までで、お茶大附属中から筑波大附属高へは毎年2名の男子が進学しているという。

「仮にお茶大附属中の多くの男子生徒が筑波大附属高に入学できたとしても、優れた生徒が多い中で授業についていけるのかが懸念されると思います。これまでお茶大附属中を卒業した男子生徒の進学先を見ると、必ずしも全員が全員、進学校に入学している訳ではなく、中堅校に入学している生徒もかなりの割合でいます。無理に入学させて落ちこぼれるおそれがないとも限らないでしょう」(前出の塾講師)
しかし、前出の皇室ジャーナリストはこう話す。

「悠仁さまは昆虫や植物への関心が高く、東農大一高がふさわしいのではと言われていましたが、一般入試でも十分に難関校に進学できるレベルと聞いています。いずれの学校にも進学は可能だと思いますが、将来天皇になる可能性が高い方なので、こうした批判に惑わされずにご自身が最もふさわしい学校を選ばれるのではないでしょうか」

 秋篠宮家は落ち着いたかに見られた逆風に、再びさらされ始めている。