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「こんなに生きるとは」高級老人ホームを追われ生活保護を受けた90歳女性の"後悔"

2021-12-02 15:30:00 | 日記

下記の記事をプレジデントオンライン様のホームページからお借りして紹介します。(コピー)です。

老後の資金は“何歳まで生きるつもり”で用意すればいいのか。ファイナンシャルプランナーの高山一恵さんは「私がキャッシュフロー表を作成するときには、寿命は90歳としています。でも、リアルに受け止めない方が多いんです」という――。
本人女性の平均寿命は87.74歳
日本人女性の平均寿命は世界一位の87.74歳、男性は81.64歳で世界二位。ここ数年、毎年のように過去最高を更新している平均寿命ですが、翻って、今この記事を読んでいるあなたは、自分が長生きすると思いますか。長生きが当たり前になった今でも、自分が90歳まで生きることを想像できる人は多くない気がします。

今回はそんな「寿命の読み違え」によるご相談例を紹介します。

「老後2000万円問題」が話題になったことがありましたね。これは夫65歳、妻60歳から夫婦ともに無職の場合、老後30年の間に2000万円が不足する、というものです。2019年にこの試算をした金融庁がライフプランの最末期の年齢として用いたのも、「夫95歳・妻90歳」でした。

私がお客さんのキャッシュフロー表を作成する際も、寿命は90歳としています。……が、皆さんかなり半信半疑。「日々のハードワークからしてそんなに生きるはずがない」「うちの家系は短命だから」と、リアルに受け止めていない方が多いです。

しかし日本人の4人に1人が90歳以上生きるとも言われている今、「人生100年時代」はかなり現実的な話なんです。


老人ホーム入居中に貯金が底をついた90歳女性
武藤喜久子さん(仮名/78歳)が私のもとに相談に来たのも、まさに「寿命」が原因でした。

彼女には老人ホームに暮らす姉の畠中富さん(仮名/95歳)がいるのですが、そのお姉さんの寿命を読み違えてしまったことで、老人ホームの資金がショートしてしまったのです。

富さんが老人ホームに入ったのは80歳の時のこと。施設の一時金は400万円で、月額料金は30万円。一時金が抑えられているかわりに月額料金が高めに設定されている、高級な部類の老人ホームでした。

富さんのお金は、毎月の年金7万円と2500万円の貯金。当然、年金だけでは老人ホームの月額料金をまかなえないので、残りの23万円を貯金から切り崩して支払っていくことを決め、施設側の審査も無事に通って入居となりました。

しかしその10年後、富さんが90歳の段階で貯金が底をついてしまったのです。

なぜこんなことが起きたのか? そう、答えは「寿命」です。

妹の喜久子さんも富さん自身も、「人生は85歳くらいまでだろう」と予想していました。そして最期くらいはゆったりと気に入った空間で過ごしたい、過ごさせてあげたいという気持ちから、姉妹で話し合い、少し値の張るこの老人ホームへの入居を決めたのです。

この問題、結論から先にお話しすると、富さんは生活保護を申請し、前よりもだいぶグレードの落ちる、月10万円(居住費のほか、食費、日常生活費など込み)の老人ホームへ移ることになりました。
意外と多い「予想外に長生きするケース」
老人ホームの方にお話を聞くと、富さんのように自分や家族が予想外に長生きするケースは非常に多く、途中で資金がショートすることもまま起こるそう。その時皆さん口にされるのが、「こんなに生きるとは思わなかった」。

もちろん施設側も、資金がなくなったからといって急に追い出すようなことはしません。おおむね1~3カ月の猶予をくれるので、たいていは、親族の誰かが不足分を肩代わりするといいます。

ただ富さんの場合、彼女自身には担保にできる家や資産はなく、妹の喜久子さんにも資金力がなく助けることが困難だったため、結果的に生活保護の申請になりました。これによって医療費や介護保険の保険料がかからず、住宅費用の補助も受けられるので、本当に助かったと仰っていました。

富さんと喜久子さん姉妹の例から学べるのは、やはり資金を長めに考えておく、ということに尽きるでしょう。といって、「人生の終盤を狭いところで過ごさせるのは不憫で」と家族が感じるのも当然だと思います。

私もいくつかの老人ホームは見て回ったことがありますが、値段と環境は見事にリンクしています。月20万円以上出せば空間にゆとりがでてきますが、ランクが下がればうなぎの寝床のような部屋のことも。キッチンがあって、すてきなインテリアで、というようなハイグレードな施設を先に見てしまうと、ランクを下げるのはかなり苦しい決断になるだろうなと、個人的にも感じた記憶があります。

現役世代は「非課税の投資」で備える
では、我々現役世代が同じ轍を踏まないためにはどうすればいいのか。今できることをお伝えしていきたいと思います。

まずおすすめしたいのは、iDeCo(個人型確定拠出年金)やつみたてNISAといった非課税の投資です。

私的年金制度として知られるiDeCoは、2022年5月に、大きく制度が改正されます。中でもポイントとなるのは、加入可能年齢の拡大。これまで60歳までだった加入可能年齢が、原則65歳まで拡大されます。国民年金に加入していることが条件で、60歳以降も会社員や公務員として働き続ける方は、老後資産の積み増しが期待できます。

一方、基本的に60歳までしか国民年金に加入できない自営業の方やフリーランスの方もチャンスはあります。国民年金を40年間満額で払っていない方は、60歳から65歳までの間に任意加入が可能です。その場合はiDeCoにも加入できますので、ぜひご確認を。
iDeCoの金融機関選びのヒントは「自分の経済圏」
さらにiDeCoで積み立てたお金は60歳以降、70歳までの間で受け取ることができるのですが、今度の改正で運用期間が75歳まで延長されます。お金に余裕のある方は極力運用期間を長くしてお金を育て、受け取りを後ろ倒しにしていくといいでしょう。

さらにこれまでは企業型確定拠出年金(企業型DC)に加入している方のほとんどはiDeCoに同時加入ができませんでしたが、改定によってこの壁も取り払われることになります。

現在、さまざまな金融機関が参入しているiDeCo。金融機関を選ぶ際には、自分の「経済圏」とリンクさせると、お得になる可能性があります。

たとえば楽天証券では楽天での買い物に使えるポイントが付与されたり、イオン銀行ではイオン銀行のMyステージポイントが付与されたりと、各社がさまざまなサービスを展開しているのです。生活スタイルと合わせて検討してみるといいでしょう。

まずはつみたてNISA、月1万出せるようになったらiDeCoも
ではいつからiDeCoやつみたてNISAをはじめるのがベストでしょうか。

まずiDeCoは60歳まで引き出しができない、という大きな特徴があります。さらに掛け金は5000円から始められますが、毎月手数料がかかります。ネット証券が最安値で、大手の証券会社になると金額が高くなり、その差は年間にすると5000円程度差がついてしまいます。手数料が高ければ高いほど、掛け金が少額の場合、運用効率が悪くなってしまいます。

iDeCoの場合、「月1万円以上投資できるか」をひとつの目安に、スタート時期を検討するのがおすすめです。

一方、つみたてNISAは手数料もかからず、掛け金100円からできていつでも引き出し可能なので、若い方はまずはつみたてNISAからはじめて、余裕ができたタイミングでiDeCoに参入、というのがいいかもしれません。

ちなみに、親世代もつみたてNISAには加入可能ですが、長期にわたってコツコツお金を育てることで効果を発揮する投資のため、やはり「寿命」問題が出てきてしまいます。

両親の老後資金に不安を感じている方がいたら、まずは国のサポート制度や親御さんの暮らす自治体で受けられる行政のサポートを聞き、情報収集しておくことをおすすめします。
年金だけでは老後を安心して暮らせない
先日、非正規雇用の多いロスジェネ世代の独身女性は老後に貧困に陥る可能性が高いという予測が報じられ、大きな話題になっていました(朝日新聞デジタル「ロスジェネ単身女性の老後 半数以上が生活保護レベル 自助手遅れ」)。現役世代は老後の心配が尽きません。だからでしょうか。日本ではよく、「若いうちから老後に備えましょう」といったコラム記事を見かけます。

実際、来年4月から高校の家庭科の授業で「資産形成」の取り扱いが始まります。これまでは無駄遣いをしないといった「家計管理」の範囲でしたが、将来の備えとして役立つ投資の仕方等、踏み込んだ資産形成の話を授業で行うとのこと。

現状の年金制度だけでは老後を安心して暮らすことは難しい。だからこそ、国も積極的に資産形成や授業を通しての認知を後押ししているのでしょう。若い時から少しずつお金の知識をつけ、将来に向けて蓄えていきたいですね。


【医師が解説】50代女性のうつの症状と認知症リスク

2021-12-02 13:30:00 | 日記

下記の記事をハルメクWeb様のホームページからお借りして紹介します。(コピー)です。

40代から発症が増える、うつ病。仕事や人間関係のストレスが原因で、うつになる50代女性は多いものです。そこで、この特集では、うつの原因・予防・治療について、医師がわかりやすく解説します。初回のテーマは「うつの症状と認知症リスク」です。
目次
    1. 更年期以降の女性に多いうつ!50代女性は要注意
    2. 50代うつの原因は人間関係のストレス!認知症リスクも
    3. うつの症状と最先端の診断法をチェック!
    4. うつの予防には「考え過ぎ」を防ぐことが大切!
    5. 取材先:川村則行さんのプロフィール更年期以降の女性に多いうつ!50代女性は要注意
うつ病をはじめとした「気分障害」(躁うつ病も含む)は、男性より女性に多く発症します。年代別に見ると、女性の発症は40代でグンと増え、50代を過ぎても患者数が多い状態が続きます。
「うつ病などの気分障害」の患者数 出典:2017年患者調査(厚生労働省)
うつになると、不安や集中力の低下、不眠などの症状が出てきます。
気持ちが落ち込んだり、やる気が出なかったりするのは、誰にでもあることですが、症状が2週間以上続き、日常生活にも支障が出ているなら「うつ」かもしれません。50代うつの原因は人間関係のストレス!認知症リスクも
「50代以降の女性の場合は、人間関係のストレス、特に子どもや夫など家族の悩みが原因で、うつになる人が多いですね。子どもが独立して巣立った寂しさや、夫と死別して一人暮らしになった孤独感を訴える人もいます」
こう話すのは、うつの治療に詳しい、川村総合診療院院長の川村則行さんです。
うつの症状というと、憂うつな気分や気力の低下などを思い浮かべますが、意外に多いのが、眠れない・疲れやすい・食欲がないといった体の症状とのこと。
「痛みがしつこく続く、耳鳴りやめまいがなかなか治らないという背景に、うつが隠れていることもあります」と川村さん。
また、うつになると頭が思うように働かず、もの忘れも増えるため、「もしや認知症では?」と心配する人もいるといいます。
「もの忘れは、脳の前頭葉の働きが低下するのが原因です。うつが長い間続くと、将来、認知症になるリスクが上がるという報告もありますから、放置せず、受診してきちんと治すことが重要です」うつの症状と最先端の診断法をチェック!
うつには大きく9つの症状があります。まずは今の状況を、以下のチェックリストで確認してみましょう。
    * 気分が落ち込んだり、悲しくなったりする
    * 物事に対して興味がなくなり、楽しめなくなる
    * 疲れやすく、気力がわかない。何をするのもおっくうに感じる
    * 食欲がない、あるいは食べ過ぎてしまう
    * なかなか眠れない、あるいは眠り過ぎてしまう
    * 自分には価値がない、周りに申し訳ないと思ってしまう
    * 頭が思うように回らない、物事に集中できない
    * そわそわして動き回る。あるいは動作や話し方がゆっくりになる
    * 生きていても仕方ない、死にたいと思ってしまう
さて、いくつ当てはまりましたか? 最初の2項目の両方、またはどちらか1つに該当した上で、残りの項目も合わせて、全部で5項目以上に当てはまる状態が2週間以上続いている場合、うつと診断されます。

血液検査でわかる!うつの最先端診断法
こうした症状のチェックや問診に加え、川村さんが診断に用いているのが血液検査。川村さんが独自に開発した診断法で、今、注目されています。
「うつの診断は、現状では医師の主観や経験に頼っているため、誤診も少なくありません。そこで体の病気と同じように血液中の物質を指標にして客観的な診断ができないかと考えました」
うつになると血液中のPEA(リン酸エタノールアミン)という物質が減るため、血液検査でPEA濃度を測定することで、うつを客観的に診断できるそう。さらに、治療効果の確認や薬のやめどきもわかるといいます。
なお、この血液検査は、日本国内では川村さんのクリニックでのみ実施されています(※2020年4月1日からは有料予約診察枠で実施)うつの予防には「考え過ぎ」を防ぐことが大切!
そもそも、なぜうつになるのでしょうか。
「うつの患者さんの脳の中では、神経細胞が炎症によるダメージを受け、神経伝達物質が足りなくなっています」と川村さん。
脳の神経細胞の間で情報のやり取りをしているのが、神経伝達物質。たくさん種類がありますが、うつの症状に関わる神経伝達物質は、セロトニン、ノルアドレナリン、ドーパミンの3つです。セロトニンは気分を安定させ、不安や恐怖を軽くします。ノルアドレナリンは思考力や集中力、意欲に、そしてドーパミンは気分の高揚や幸福感などに関係しています。
これらの神経伝達物質が不足すると、不安や意欲の低下、楽しみの喪失などのうつの症状が現れます。私たちの感情は脳内の物質によって大きく左右されているのです。
出典:Leonard, B. et al.: Differential Effects of Antidepressants,1999, pp. 81-90, Martin Dunitz Ltd, London, 改変
「ストレスを抱えて思い悩んだり、過去のつらい経験を何度も思い出したり、マイナス思考でくよくよしたりしていると、神経伝達物質がどんどん使われて、減っていきます。“考え過ぎ”は、うつにつながるため、要注意です」
取材先:川村則行さんのプロフィール
かわむら・のりゆき。川村総合診療院院長。1961(昭和36)年生まれ。東京大学医学部医学科卒業。同大学院博士課程(細菌学)修了。国立精神・神経センター心身症研究室長などを経て、2011年開業。臨床分子精神医学研究所所長。近著に『うつ病は「田んぼ理論」で治る』(PHP研究所刊)


奇跡の88歳・岸惠子さんが語る「負けて勝ちをとる生き方」

2021-12-02 11:00:00 | 日記

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8月11日に88歳の誕生日を迎えた女優・作家の岸惠子さん。19歳でのデビューから70年近くたった今も、その美しさは健在だ。8月14日、トークショー告知の合同取材会に出席。トークショーは新型コロナウイルスの感染拡大の影響に伴い2021年度に延期となったが、会見の模様から、「私は人生の勝ち組ではない」と語る岸さんの生き方を紹介する―(構成=本誌編集部)
私、自分をめげない人間だと思っているの
88歳になってはじめて公の場に姿を見せた岸恵子さん。米寿と言祝がれる88歳を迎えての決意を問われると「何歳になったからって、決意や目標はありません。私、自分をめげない人間だと思っているの。誰かに頼ったことがない。そんな生き方をしてきましたので、これからもそうするだけ」とキッパリ。

女優として長年にわたり活躍するのみならず、小説『わりなき恋』をはじめ文筆にも才を発揮するが、自身の人生は負け続きだったと言う。転機はフランスでの生活にあった。

映画『君の名は』に出演するなど、人気女優だった岸さんがフランス人の映画監督イヴ・シァンピ氏との結婚のため渡仏したのは1957年、24歳のときのこと。個人的な海外旅行航が禁止されていたなか、「祖国を捨て、二度と帰らない覚悟」で旅立った。そのフランスでの生活では「カルチャーショックなんて簡単な言葉では言い表せないほど非常な強いショック」を受けたという。


「東洋の長いこと鎖国をしていた国に育った私は、ヨーロッパで国境をせめぎあって生きてきた、したたかに強い人たちのなかでは負けてしまうんです」

主張の強いパリの人々の間に、言葉もわからぬままひとり入っていった岸さん。思うように意が通らないことも多かった。今回の会見ではその苦労を語らなかったが、これまでの『婦人公論』のインタビューでは、婚家での苦労やシァンピ監督との離婚、日仏の法律の狭間でひとり娘の日本国籍が得られなかったことなどをつぶさに語っている。
『敵の懐に飛び込め』と『敵をポケットにねじ込め』
しかし、そんな苦労の連続のなかで岸さんが得たものは、「負けてもめげない、負けたなかから何かを学び取る」こと。その収穫こそが「負けて勝ちを取る」の真意だ。「気づいたら、試練に耐えたぶんだけ、したたかな強い女になっていましたね」とやわらかく微笑む。「『敵の懐に飛び込め』という日本のことわざと、『敵をポケットにねじ込め』というフランスの言い回しの“両刀使い”になりました」。離婚後は誰にも頼らず、フランスでひとり娘を育て上げ、バルト三国やイランに出向き、ジャーナリストとしての活動も始めた。

近年も娘の国籍問題やパリの自宅兼事務所のある建物の住民訴訟などの課題を解決するため、パリと日本を行き来してきたが、今年はコロナウイルスにより渡仏を断念。娘と孫たちの来日も見送られており、ひとり暮らしの自宅で執筆に集中する日々だ。

「コロナ前も今も、生きる姿勢に変わりはありません」という岸さんだが、「コロナで私が恐れている唯一のことは、地域主義が進み、国際的な感覚がなくなって、世界中が閉じこもった国ばかりになってしまうこと。それが一番怖いですね」と眉を曇らせる。

 

記者から88歳に見えない元気の秘訣を問われると、「秘訣があるとしたら、自然体で暮らしていること。何かに見栄を張ったり、できないことをやってみようと思ったりしない。自分にできることを誠心誠意やろうと思うだけです」と晴れやかな笑顔を見せた。

出典=WEBオリジナル
岸惠子
岸惠子
女優、作家
1932年、横浜市生まれ。51年『我が家は楽し』で映画デビュー。『君の名は』『雪国』『細雪』など名作に出演。24歳で結婚のために渡仏、四十数年間パリで暮らしながら、日仏を往復して活躍。ジャーナリストの顔も持ち、各地を取材したルポルタージュを発表。2011年フランス共和国政府より芸術文化勲章コマンドールを受勲。


秋篠宮さまが語る“ご家族”…名前を伏せる眞子さんに「あんたどっかで見た顔だね」、紀子さまが私邸の悠仁さまのもとへ“駆けつけた日”

2021-12-02 11:00:00 | 日記

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儀式を終えた悠仁さまは報道陣に……
 「ゆうゆう」と名付けたのは、父、秋篠宮さまだ。今では家族の間で「ゆうちゃん」と言われたり、姉の眞子さまや佳子さまからは「ゆっぴー」と呼ばれ可愛がられている。

 秋篠宮家の長男、悠仁さまはもう5歳。11月3日、東京・元赤坂の赤坂東邸で「着袴(ちゃっこ)の儀」と「深曾木(ふかそぎ)の儀」が無事行われた。これらは5歳を迎える頃に健やかな成長を祝って行われる皇室儀式で、一般家庭の七五三にあたるものだ。平安時代から伝わるもので、特に「深曾木の儀」は主に男子皇族の儀式とされ、秋篠宮さまが行って以来、41年ぶりとなった。

「深曾木の儀」では童形服(どうぎょうふく)姿の悠仁さまが、髪を少し切り取られた後、碁盤の上から飛び降りた。なぜ碁盤かは諸説あり不明だが、秋篠宮ご一家らが儀式を見守った。

 儀式を終えた悠仁さまは、報道陣から「おめでとうございます」と声をかけられると、「ありがとうございます」と答えていた。

 悠仁さまは平成18(2006)年9月6日に秋篠宮ご夫妻の3番目の子供として生まれ、現在はお茶の水女子大学附属幼稚園に通う。皇室に男子が生まれたのは、秋篠宮さま以来、41年ぶりのこと。

 悠仁さまは皇太子さま、秋篠宮さまに次いで皇位継承順位3位。「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」と定めた現行の皇室典範の下では、皇太子ご夫妻の長女、愛子さまにはその資格がなく、このままいけば将来、悠仁さまが天皇となる。皇太子さま、秋篠宮さまの次世代の継承者であるだけに悠仁さまの成長ぶりは国民の関心を集めている。

 私は秋篠宮さまと20年以上、交際を続けている。悠仁さまが生まれてからの5年間も折に触れ、宮さまの「父」としての姿や言葉を見聞きしてきた。悠仁さま5歳に合わせ、その姿を伝えてみたいと思う。

「単語の数が増えてきたように感じます」
 生後3カ月近くの悠仁さまについて、宮さまは「よく眠って、よく泣いて、よく笑って。よくお乳も飲んでいます」と語り、悠仁さまのそばで「エル・コンドル・パサ(コンドルは飛んでいく)」などの曲を鼻歌まじりにギターで弾くことを明かした。1歳を過ぎたころには、「数歩ぐらい、一人で歩くようになりました。行動範囲も広がり、目覚まし時計や玄関のチャイムなどに興味があるようです」と宮さまは話し、紀子さまは、「小さな探検家のように関心を抱く物に手を伸ばして、確かめようとかわいい指でさわったり、関心の対象に向かって勢いよく進んで行ったりする」と話していた。

 悠仁さまが少しずつ言葉を発するようになったのは2歳のころだった。

「単語の数が増えてきたように感じます。まだセンテンスで話すということはないのですが『ごちそうさま』が『ごちそうさまでした』というふうに少しずつ言葉が長くなってきました」

 と宮さまは語っていた。3歳のころになると、三輪車に乗って外で遊んだり、宮邸の庭でカブトムシやカマキリを捕まえて遊ぶなどかなり行動的になった。また、食事や着替えなど身の回りのことも自分でできるまでに成長した。
学習院ではない“異例の選択”
 昨年春に東京都文京区にあるお茶の水女子大学附属幼稚園に入園した。宮さまや兄皇太子さまは学習院幼稚園に進まれただけに、国民からは少なからず異例のことと受け止められた。

 この選択はご夫妻が3年保育(学習院幼稚園は2年保育)を強く望まれたことのほかに、「早い段階から子供たちの社会に入れたらよい」との気持ちからのようだ。

 幼稚園では、庭で友達と虫探しをしたり砂場遊びをしている。室内では木製の線路をつなげて電車ごっこをするなど元気な様子だ。紀子さまは「幼稚園生活を始め、自分がしたこと、うれしかったこと、驚いたことや不思議に思ったことなどを目を輝かせながら話してくれます」と話し、宮さまは「幼稚園をエンジョイしているようなので、私もうれしく思っております」と喜んでいる。


 今年、悠仁さまは幼稚園生活2年目。年中組となったが、昆虫や植物への興味が続いている。夏場は昆虫採集と畑仕事に熱中したようだ。宮邸だけでは飽き足りず、毎週末はご両親と一緒に御所に出掛け、両陛下に挨拶をした後、皇居の森で昆虫採集をした。悠仁さまと紀子さまが虫取りに出掛けている間、宮さまは天皇、皇后両陛下と歓談する。

土にまみれながら野菜の世話をする悠仁さま
 また、宮邸の庭の畑ではニンジンやブロッコリーを栽培。悠仁さまは水撒きをするなど土にまみれながら野菜の世話をした。現在、宮殿の庭にはテンジクネズミ科の体長70センチほどのマーラが2頭いる。池にはコイとアオウオがいる。今年夏になる前に悠仁さまは、宮邸の居間でスズメガの幼虫(約15センチのイモ虫)を見つけ飼育。やがてクロメンガタスズメの成虫に育った。

 生き物や植物が好きなところは宮さまと共通している。それも二人とも、「大きいもの」を好むところがそっくりだ。悠仁さまは、昆虫は何でも好きなようだが、図鑑を見ながら世界最大のガで羽を開くと13、4センチ以上にもなるヨナグニサンにも心ときめかせている。

 恐竜にも興味を持つ悠仁さま。一部の骨しか出土していないが、史上最大といわれる草食恐竜のアルゼンチノサウルスが好きだ。
秋篠宮さまがハラハラする悠仁さまの“行動”
 世界の生き物が紹介されるNHKテレビの「ダーウィンが来た!」を一緒によく見る。また、本を見ながら大きさ比べをする。宮さまと一緒に犬や恐竜同士で大きさを比較して、

「こっちが大きい」

「こっちの方が大きいよ」


 と話し合っている。図鑑などで新しい知識を吸収している悠仁さまは本物に触れてみたいらしく、最近は動物や植物でも「○○が見たい」というのが口癖だ。

「昆虫でも木でも興味があるものの多くは日本にはないものですから、外国に行かないと見られませんね。タイ、ラオス……。マダガスカルもおもしろいですね」

 と、宮さまは早くも悠仁さまと一緒に外国へ調査に出掛ける日々を思い描いている。

 そんな二人は今、超大型犬を自宅で飼いたいと考えている。紀子さまは「小さい犬もかわいいじゃない」と水を向けるが悠仁さまは頑としてきかないらしい。

 ただし、「成犬前でもシェパードほどになり、散歩中に綱を引っ張られて危険なため、自宅で飼育するにしても悠仁がもう少し大きくならないと難しいですね」

 と、宮さまは考えている。

 生き物が好きな二人は、男同士ということもありとても仲良しだ。一緒にお風呂に入り話をしたり、宮さまが両手で「水鉄砲」を作って、それで悠仁さまにお湯をかけたりして遊ぶ。右手の3本指を左手の手のひらで包み込み、指と手のひらの間にお湯を入れて勢いよく飛ばすという仕組みだ。

「成長するにつれ、行動の幅が広がっているように思いますね」と、宮さまは目を細める。たとえば宮さまは木登りは苦手だが、悠仁さまは高い木の上も大丈夫。下から宮さまはハラハラしながら見守り「早く降りて来い」と、いつも心の中で心配している。

 勉強のほうはというと、悠仁さまはひらがなは読めるようになった。漢字はまだ難しいが、画数の多い漢字が好きだ。文字というよりも絵の感覚で親しんでいる。

震災当日、紀子さまは悠仁さまのところへ
 東日本大震災後の秋篠宮ご一家の支援活動は、幼い悠仁さまに少なからず影響を与えているのではなかろうか。

 3月11日、ご夫妻は宮邸の応接室で来客と面談していた。初めはカタカタという小さい揺れがあり、そのうちに大きな揺れを長く感じた。宮さまと訪問客は外に避難。紀子さまは私邸にいる眞子さまと悠仁さまのところへ飛んで行った。私邸にいた眞子さまと悠仁さまは、揺れが収まってから紀子さまと庭に出て様子をみた。都内にいた佳子さまは午後4時ごろに帰宅した。当時、宮邸には宮さまのご家族と十数人の職員がいたがけが人はなかった。

 揺れがおさまったあと、宮さまは電話で両陛下にお見舞いを述べた。宮邸を調べると庭の石灯籠が倒れ、池の水もだいぶ外にこぼれ出ていた。また、宮さまの本棚からは本や資料が崩れ落ちていた。夜中にも余震が続いた。電車が止まるなどしたため帰宅できず宮邸に泊まる職員もいた。
「上からの目線ではいけないのではないのか」
 3月18日、ご夫妻は、いずれも紀子さまが総裁を務める「結核予防会」と「恩賜財団母子愛育会」の幹部から被災地の状況や被災地支援について説明を受けた。3月末にはご夫妻と眞子さま、佳子さまの4人は、外務省国際法局長などから諸外国の震災支援の様子などを説明された。4月7日にご夫妻は東京都江東区の避難所を訪問したのを皮切りに、新潟県や群馬県の避難所を訪れた。5月10日、青森県内の被災地を訪問。引き続き、7月初めにかけて岩手県大槌町や山田町、福島県いわき市、宮城県気仙沼市などの被災地を回った。ご夫妻らが大震災の関連で出掛けた回数は今年10月初めまでに30回近くにのぼる。

 太平洋岸にある岩手県大槌町は、アワビやウニなどの海の幸や豊かな自然に恵まれている。また、貴重な淡水魚「イトヨ」の生息地としても知られている。宮さまは、シンポジウムに出席するため同町を訪れたことがある。また、ご家族も同町を訪問したことがあるなど縁は深い。大震災で大きな被害を受けたが、今年5月末、同町を訪れたとき、以前、宿泊したことのある海沿いの5階建てのホテルが3階まで津波に飲まれていたのを目撃し、驚いたという。

「やはりテレビで見るのと現地で被災状況を目の当たりにするのとでは大きく違います。被災地へ来てみると被害の大きさや深刻さがじつによく分かった」


 と話す。被災者に声をかける際には、津波の恐怖を思い出させてはいけない。宮さまは、どの程度、たずねて良いものか気を配りながら住民たちから話を聞いた。

「励ますという、上からの目線ではいけないのではないのか。支援活動のお手伝いをしたい。なんらかの形で関わらせていただきたいとの気持ちでこれからも携わっていきたい」

 と、宮さまは語る。

地元の人からは、眞子さんに「どっかで見た顔だね」
 震災後、宮さまは子供たちに被災地で支援活動をしなさいと強制はしなかった。ただ、「なんらかの形で支援活動に関われるといいね」と、話していたという。こうした気持ちを汲み取ったのか、この夏、眞子さまと佳子さまは、一人のボランティア学生として被災地入りし、子供たちと一緒に遊んだ。

 眞子さまは、岩手県山田町と大槌町、それに宮城県石巻市を訪れ、夏休みの出前講座のお手伝いをした。皇族としての立場でなく一人の学生として参加し、名前等も伏せたままだった。地元の人からは「どっかで見た顔だね。あんた、こっちの出身かい?」と聞かれたこともあったという。


秋篠宮さま、結婚会見にも不満「娘の夫」との間にある溝

2021-12-02 08:38:28 | 日記

下記の記事を東洋経済様のホームページからお借りして紹介します。(コピー)です。

秋篠宮さまが11月30日、56才の誕生日を迎えられた。それに先立ち開かれた記者会見は、長女・眞子さん(30才)と小室圭さん(30才)の結婚後初の会見となっただけに、どのようなお言葉が述べられるかが注目された。晴れの日から1か月あまり──秋篠宮さまが“娘の夫”に放った言葉の数々は辛辣だった。
「面会していた時間が20分ぐらいでしたので、何か印象に残ることというのは、特に私にはありませんでした」
これは、小室さんと3年2か月ぶりに顔を合わせた際の印象を問われた秋篠宮さまのご感想である。
「秋篠宮さまは、小室さんに強い不信感を抱きつつも、静観の姿勢を貫かれてきた。物議は醸しましたが、すでにふたりは結婚したわけで、“いまさら何も言うまい”というスタンスだろうとみられていました。それだけに、会見で小室さんを突き放すような発言をされたことは衝撃的でした」(宮内庁関係者)
つい1か月前、秋篠宮さまが《これからも、今までの気持を大切にして、二人で自分たちなりの形で、幸せな家庭を築いていってくれることを願っております》とエールを送られていたことを考えると、会見でのお言葉はまるで人が変わられたようだ。
小室夫妻が11月14日にニューヨークへと旅立ってから2週間。クリスマスムード高まる街を解放感にあふれた笑顔で歩くふたりは、幸せのまっただ中にいる。だが、将来に不安がないわけではない。小室さんは、7月に行われたニューヨーク州の司法試験に不合格だったため、現在は法律事務所に法務助手として勤務している。来年2月の試験に合格し弁護士になれなければ、解雇される可能性があるとの報道もある。
一度も小室さんの名前を口にされなかった
 秋篠宮さまが求められていた結婚の条件の1つが、小室さんの母と元婚約者との金銭トラブルの説明と解決だった。

「小室さんは、最後まで“借金ではなく贈与”と繰り返すばかりだったそうです。説明については、28枚の『小室文書』で充分に尽くしたという態度でしたし、結局、結婚後に、どこからか手に入れた約400万円を支払った。秋篠宮さまも目をつむるほかなかったようです」(皇室ジャーナリスト)

 金銭トラブルへの小室さんの対応について、秋篠宮さまは会見で初めて言及した。

「私としては、自分の口からそのことについて話をして、そして質問にも答える、そういう機会があった方がよかったと思っております」

 さらに、「ただ文書を読みあげるだけ」で終わった結婚会見にも「私自身は一方向のものではなくて双方向での会見という形にしてほしかったと思います」と苦言を呈された。共通するのは、あまりに一方的という点だ。秋篠宮さまは、国民の納得を得られる説明を求められたにもかかわらず、小室さんは自分の主張に終始したのだ。秋篠宮さまの憤りは、次の点からも伝わってくる。

「秋篠宮さまは小室さんを『娘の夫』『夫の方』と呼び、ただの一度も名前を口にされることはありませんでした。埋めがたい溝が横たわっていることが感じられました」(前出・皇室ジャーナリスト)

※女性セブン2021年12月16日号
激務をこなしながらの試験勉強はそう簡単ではない。過去の傾向では、ニューヨーク州の司法試験は2回目のチャレンジだと合格率が下がる。だが、小室さんの様子に焦りは感じられない。『女性セブン』前号(2021年12月9日号)で報じた通り、渡米2日後には同僚とパブで乾杯して盛り上がった。週末にはさっそく眞子さんと「摩天楼デート」を楽しんだ。
時間に追われ、せかせかと道を急ぐニューヨークのビジネスマンの間を、イヤホンを耳に装着し、歌を口ずさみながらゆったりと歩いてオフィスに向かう小室さんの様子からは、余裕すら感じられる。