皆さんのお役に立てば幸いです

色々の無料ホームページからお役に立て様な記事を探して掲載します。主に健康・くらしです。

“二十歳”の愛子さま あす “ロングドレス”デビュー 成年皇族行事でお披露目

2021-12-04 18:44:35 | 日記

下記の記事をプライムオンライン様のホームページからお借りして紹介します。(コピー)です。

 

成年皇族行事は一日がかり 祝宴・茶会はなし

天皇皇后両陛下の長女・愛子さまは、1日、20歳の誕生日を迎え、5日、成年皇族としての主な行事に臨まれる。

11月14日 御所内庭にて

この記事の画像(28枚)

午前中は、まず、皇室の祖先などをまつる皇居内の宮中三殿を参拝し、成年皇族の仲間入りをしたことを報告される。その後、『ローブ・モンタント』と呼ばれるロングドレスを身につけ、宮殿で陛下から、女性皇族に贈られる最高位の勲章=宝冠大綬章を受け取られる。

午後には、『ローブ・デコルテ』と呼ばれるロングドレスに着替え、勲章やティアラなどを身につけ、ご両親である天皇皇后両陛下に挨拶をされる。そして、この最も格式の高い装いのまま、祖父母である上皇ご夫妻のお住まいを訪ねて成年となった報告をされる。

2011年、成年皇族となった眞子さんの「ローブ・デコルテ姿」

さらに、再び宮殿に戻って、両陛下と共に皇族方や岸田総理をはじめとする三権の長などからお祝いの挨拶を受けられる。5日は朝から夕方まで、一日がかりで様々な行事に臨まれることになる。

天皇の娘の内親王が成人を迎えるのは、上皇ご夫妻の長女で陛下の妹の黒田清子さん以来30年ぶり。今回の行事は清子さんの時を参考に行われるが、コロナ禍につき、飲食を伴う祝宴や茶会などは実施されない。

愛子さまにとって、5日の行事は、”ロングドレス”デビューとなる。

 

広告

 

最も格式の高い『ローブ・デコルテ』姿に注目

愛子さまにとって、”ロングドレス”デビューとなる、5日の行事。宮中三殿への参拝は、長袖で露出がなく、淡い色味のドレス『ご参拝服』を着用される。『ローブ・モンタント』は女性皇族が歌会始などの皇室行事で着用する、胸元の開いていない長袖のロングドレスだ。

そして『ローブ・デコルテ』は、女性皇族の最高の正装。胸元や背中が大きくカットされていることが多く、「新年祝賀の儀」や宮中晩餐会などで勲章やティアラなどと共に着用されるロングドレスだ。あす、愛子さまが取材の場面で着用されるのは『ローブ・デコルテ』。愛子さまの『ローブ・デコルテ』姿に注目が集まる。

2014年、成年皇族となられた佳子さまの「ローブ・デコルテ」姿。

 

広告

 

公務デューは元日 記者会見は来春の見通し

”二十歳”を迎えられた際、報道機関に寄せた感想の中で、愛子さまは、「成年皇族の一員として、一つ一つのお務めに真摯に向き合い、できる限り両陛下をお助けしていきたい」と抱負を語られていた。

新年祝賀の儀(2019年)

愛子さまの”公務デュー”は、元日の「新年祝賀の儀」になる見通し。新年祝賀の儀は、天皇陛下の国事行為。陛下が皇后さまと共に皇族方や三権の長、各国大使などから新年の挨拶を受けられる儀式だ。愛子さまは、正装姿で、この儀式に臨まれる。

一方、成年皇族にとって恒例の”記者会見”については、オンライン授業や課題提出で忙しい現状を考慮し、「成年になったことを感じながら落ち着いて回答を考えることができる時期」として、大学が春休みになる3月中旬に行われる予定だ。

愛子さまの公務デューは「新年祝賀の儀」となる見通しだ


妻がいてくれて本当によかった…子供を持たなくても心底そう思うようになったワケ

2021-12-04 15:30:00 | 日記

下記の記事をプレジデントオンライン様のホームページよりお借りして紹介します。(コピー)です。

人生において「結婚」はどれだけ重要なのか。編集者・ライターの中川淳一郎さんは「コロナ騒動を通じて、『妻がいてくれることのありがたさ』を痛切に感じた。考えの合うパートナーと生活を長く共にすることは、危機のときの備えになる」という――。

妻がいてくれることのありがたさ
人生を楽に生きるには、いかにして考えの合う配偶者/パートナーを見つけるかが重要──先日9回目の結婚記念日を迎えた折に、つくづくそう思った。

人生はひとりでもなんとかなるものだが、配偶者や家族がいれば日々の暮らしはもっと楽しくなる。いやまぁ、時には家族間で衝突することもあるし、ひとりで暮らしているときには発生しなかった面倒事にも対応しなければならないから、善しあしはある。ただ、それでも配偶者がいてくれて、私はよかったと痛切に感じているのだ。

以前、この連載でも触れたように、私が昨年来のコロナ騒動を通じて得た大きな収穫のひとつは「妻がいてくれることのありがたさ」である。「結婚生活って、いいものだな」と改めて実感したことは、理不尽でバカげたことばかりのコロナ騒動において、ほぼ唯一のよい経験だった。

仮に私が結婚しておらず、ひとりで暮らしていたとしたら、果たしてどうなっていたか。私は憤懣やるかたない日々に押し潰され、廃人になっていたかもしれない。以前から認識していたことではあるが、コロナ騒動を経て「考えが合う配偶者/パートナー」に出会えるかどうかでその後の人生は大きく変わる、という思いを強くした。

周囲に既婚者が増えると、付き合い方も変わる
20代は未婚の人も多く、既婚者に比べて時間もカネも比較的自由に使えるので、独身の友人どうしでいろいろとつるむことが可能だ。だが、30代も半ばを過ぎるころになると、家庭を持つ同世代の人間が周囲に増えてくる。家事を分担したり、育児に手を取られたりして、20代のときほど安易に友人とつるめなくなるのが一般的だ。

たとえば、未婚でパートナーもいない人間と既婚者との間で「来週飲まない?」「いいね!」なんて約束を交わしていても、当日になって既婚者から「子どもが急に熱を出した! ゴメン、家で看病しなきゃならないから、今日は行けない!」なんて連絡が入ったりすることは決して珍しくない。週末は週末で「家族サービスしなきゃ」「配偶者から『買い出しに付き合え』と言われている」「子どもの習い事がある」など、既婚者は家庭に関わる事柄で何かと忙しいものだ。

ただ、こうなってしまうのもやむを得ないことである。家庭を持つ人々は、家族を最優先するのが当然だからだ。配偶者や子どもはいちばん大事な存在なわけだから、そこをないがしろにするわけにはいかない。
こんな時代だからこそ、パートナーを見つけて共に暮らしてみよう
そうした既婚の友人たちの振る舞いを見て、「家族がいる人間は大変だな」と同情したり、「あいつもマイホームパパか。寂しいな」と付き合いの悪さを嘆いたりするものの、「そろそろ自分も家庭を築くか」「誰かと一緒に暮らすのも、悪くなさそうだな」という気持ちになる単身者も少なからずいるだろう。

そういう気持ちを抱いたなら、私は「『一緒に暮らしてもいいな』と思えるパートナーを探してみては?」「すでにパートナーがいるなら、結婚を真剣に考えてもいいタイミングが来たのかもしれない」と、前向きに検討してみることを強く勧めたい。こんなご時世を乗り切るには、自分のそばで共に歩んでくれる人が不可欠だと、私自身が痛切に思っているからだ。

コロナ騒動以降、理不尽なこと、筋が通らないこと、違和感しか抱けないことが格段に増えた。経済的に苦しくなった人もいるだろう。社会は集団ヒステリー的になり、誰しも多かれ少なかれ、精神的に疲弊してしまったに違いない。そんなとき、自分を支えてくれるのはいつもそばにいてくれる存在──端的には、配偶者である。子どもや親、本当に親しい友人が心の支えになることもあるだろうが、信頼できる配偶者(および、それに準じるパートナー)という存在はやはり特別だ。

配偶者を選ぶとき、絶対にチェックしておきたい5条件
そこでここからは、生活を共にするパートナーを決める際にぜひ留意しておきたいポイントを、私なりに整理していこうと思う

なお、本稿では基本的に「結婚」「配偶者」という画一的な表現を用いて話を進めるが、私がいちばんに伝えたいのは「生活を長く共にする相手を選ぶ際に、自分なりの判断基準を持っておくと後々リスクヘッジができるかもしれないよ」ということである。どのような人生、ライフスタイルを選択するかは個々人の判断であり、ましてやここで多様性やらLGBTQやらの議論を持ち出したいわけでもない。あくまで便宜上の表現であることを含み置きいただきたい。

私は、配偶者を決める場面において、以下の5点を重視すべきだと考えている。

【1】「耐えられないもの・嫌いなもの」のレベルが同じ
【2】相手が「不快」と感じる物事を知っており、その理由も理解している。そのうえで、自分は自分の道を歩く。相手もそれを否定しない
【3】食の嗜好が合う
【4】人生の重要事項について率直に話し合い、意識をすり合わせておくことができる
【5】趣味は一概に同じでなくても構わない。相手の趣味は互いに尊重する

それでは、上から順に見ていこう。
耐えられないもの」について擦り合わせおくことの重要性
【1】の「『耐えられないもの・嫌いなもの』のレベルが同じ」は、挙げたなかでも最重要ポイントだと考えている。私はとにかく部屋が汚い。恐らく何らかの気質的な理由、精神的な理由が絡んでいると思うのだが、どうしても「片づけられない」のだ。そして、まったく片づいていない乱雑な部屋を見ても、あまり気にならない。

昔の嫁姑問題を描いたドラマや漫画などを見ると、和服姿の姑が障子のへりのあたりを指でなぞり、こんもりと付いた指先のホコリをフッと吹いて飛ばす、といったシーンが登場したりする。この描写は、嫁の掃除が雑であることを示しており、嫁は障子のへりぐらい多少ホコリがたまっていても気にしないタイプであることがわかる。

ほこりを指でなぞって見せる女性写真=iStock.com/KatarzynaBialasiewicz※写真はイメージです
そして姑は「息子にふさわしい伴侶なのか、わが山田家という名家にふさわしい嫁なのか、私が厳しく見極めなくては!」などと気負い込んで“嫁いびり”を加速させ、何かにつけて揚げ足を取るようになる……というのも、これまたよくある展開である。

その後、妻は夫に「お義母さんの指摘が細か過ぎてもう耐えられない。この家から出て、あなたと2人だけで暮らしたい」と泣きつくものの、夫は「おふくろだってキミのこと考えて言っているんだよ。頼むから我慢してくれ。わが家では障子のへりにホコリが積もっていない状態が当たり前なんだ。なっなっ、ウチに嫁いだ以上、そのくらいのことは受け入れて、おふくろとうまくやってくれよ」なんてことを言う。

夫は一見優しい理解者のように見えながら、結局、母親の肩を持ってばかり。かくして妻は「私のことを理解しないこんな夫、捨ててやる!」と離婚に向かって突っ走っていく……。

嫁姑問題のような衝突は、夫婦間でも起こり得る
一体なんの話をしているかわからないかもしれないが、似たような状況は「嫁・姑」だけでなく「夫・妻」でも発生すると言いたかったのだ。「昭和の茶番劇」「時代遅れのモラハラ姑」と一笑に付すのは簡単だが、嫁姑問題のようなドロドロとした価値観の衝突は、現代においてもアングルを変えて残り続けている。

たとえば、きれい好きの夫が仕事から疲れて帰ってきたとき、専業主婦の妻が家のなかを乱雑な状態で放置していたとする。夫もしばらくは我慢していたが、ついに限界がきて、こんなことを口にしてしまう。

「オレが毎日、仕事で疲れ切って帰宅しているというのに、お前は最低限の掃除さえしてない。オレは汚い部屋が耐えられないんだよ。家ってのは、もっとも安心してくつろげる場所であるべきだろ。なのに何だよ、この散らかりっぷりは! こんな部屋、いるだけで気がめいるし、まったく落ち着かない。日中、時間あっただろ? せめてダイニングくらいはきれいにしておいてほしかったよ」
「汚い部屋」の基準がズレていることで起こる不幸
そして妻は翌日「自分基準」で部屋を掃除しておくのだが、夫はそれでもまだ文句がある。

「おいおい、何でテーブルの下にモノがあるんだ? オレは床にモノが放置されているのが大嫌いなんだ。片付けって、視界に入らないようにすればそれで終わりってわけじゃないからな!」

ここまでくると、妻もキレる寸前であろう。「この男は私にいちゃもんをつけたいだけなのではないか」「そんなに汚いのが気になるのであれば、自分でやればいいでしょ?」「私が『そこまで丁寧にやる必要ナシ』と考える掃除まで要求されるのは理不尽」「いくら自分は会社で仕事をしているからといって、掃除をすべて私に押し付けて、毎日完璧にこなせと要求してくるなんて、コイツは鬼か」といった調子で、夫に対するさまざまな悪感情が渦巻くに違いない。

「耐えられないもの・嫌いなもの」のレベルが異なると、かような衝突が起こってしまうのだ。きれい好きの夫は「オレはカネを稼いできているのだから、家にいるお前はせめて掃除くらいちゃんとしろ」と思うのだが、妻は部屋が雑然としていてもまったく気にならないし、とにかく掃除が苦痛で仕方がない。そうして妻は「きれい好きってウザすぎる!」「もう耐えられない。離婚したい!」となり、2人の結婚生活は終わりを告げることになる。

さまつな事柄も放置すればケンカのタネになる
こうして“きれい好き男”にこりごりした女性は、これから交際する相手を選ぶ際に「部屋を片付けなくても文句を言わない男」「マメに掃除をしなくても不機嫌にならない男」という条件を加えることになるのだ。当然ながら、これは男性の場合も同じである。過去に“きれい好き女”からさまざまな苦痛を与えられた経験を持つ男性は、二度とそんな女性とは付き合わないとかたく心に決めている。そんな2人が出会えば、距離は急速に縮まるだろう。生活を共にすることになっても、「汚い部屋が気にならない」という点で価値観が一致しているので、余計な衝突は起きない。これにて円満カップルの誕生である。

この手のもめ事は他にも数多く起こり得る。「箸の使い方が汚い」「店員に横柄」「見栄のためにブランド品を買う」「無添加食材しか受け付けない」など、カップルのあいだではさまざまな考え方の相違が見られるものだ。

「箸の使い方」程度であればひとまずスルーするか、「正しく持てるほうが行儀よく見えて、好感度も上がるだろうから、人生で得するかもしれないよ」と矯正を促すことができるかもしれない。ただ、他の3点については生まれ持った気質や、成長過程で親や周囲の人々から継承し、性根に染みついてしまった価値観も多分に影響していると思われるので、意識を変えるのはなかなか難しそうだ。

こうした「一見さまつなことかもしれないが、互いの認識がズレていると徐々にストレスがたまっていく事柄」については、配偶者やパートナーを選ぶとき、過剰なくらい目を向けておくほうがいい。交際時期に「ん? 何だか気持ち悪い」「妙な感じがする」などと違和感を少しでも覚えたときは要注意だ。いまは大した問題ではないように見えても、一緒に生活するようになると、その違和感はどんどん大きくなっていく可能性がある。とくに「耐えられないもの・嫌いなもの」に関する価値観のズレは、生活を共にするようになると確実に衝突のタネになるので、ぜひ擦り合わせておきたい。
互いに容認する姿勢が大切。でも、限界はある
次は「【2】相手が「不快」と感じる物事を知っており、その理由も理解している。そのうえで、自分は自分の道を歩く。相手もそれを否定しない」について。【1】を補足するような項目だが、要は「相手が『イヤだな、苦手だな』と思うことはできるだけしないよう心がけるが、お互いあまり神経質にならず、容認する気持ちを忘れない」ということだ。

先ほど挙げた「箸の使い方」あたりは、この【2】で回収できるかもしれない。だが、「汚さの許容範囲」については神経質になる人も多いようで、大きくズレていると結婚生活はイバラの道になるだろう。妥協案として思い付くのは「あなたの書斎だけは汚くてもいいけど、他の部屋はきれいにするよう心がけて」と協力をあおぐことくらいか。

続いて「【3】食の嗜好が合う」だが、何しろ日々の暮らしは1日2回~3回の食事によってまわっているのだから、その好みが配偶者と大きく異なっていたらやはりストレスになる。また、人生における貴重な非日常体験であり、特別な時間となる「旅行」でも「食」は非常に重要な要素だ。つまり、食の嗜好が合わないと旅行が格段につまらないものになってしまうのである。

正直、もし私の配偶者がヴィーガンだったりしたら、毎日が苦痛で仕方ないだろう。豚肉が大好きで、日々ラーメンや生姜焼き、トンカツ、チャンポンなどを食べることを至福としてきた男が、豚肉を食べられない女と一緒の生活をするようになったら……想像するだけで震えがくる。

食べものの恨みは想像以上に恐ろしい
豚肉は、安価な動物性たんぱくであり、幅広い料理で活用されている食材だから、これを封じられたら相当なストレスだ。夫婦で別々のメニューを用意するにしても、それはそれで手間がかかるし、なんというか……家族としての一体感が失われてしまうように思う。「豚しゃぶ屋」「豚骨ラーメン屋」「トンカツ屋」など、豚料理メインの店で一緒に外食をする、という選択肢が失われてしまうのも痛い。

こんな男が豚肉を食べられない妻と結婚したとしよう。臨終を迎えたときに「お爺さん、最後に言いたいことは?」なんて聞かれたら、「あぁ、腹いっぱいトンカツを食いたかったぁ~」などと、コントみたいな発言を本気で残してしまうかもしれない。それほどまでに食べものの恨みは恐ろしいのである。

あと「辛いものが好き」「しょっぱいものが好き」「甘いものが好き」「酒が好き/酒が飲めない」といった食の嗜好についても、夫婦の平穏でくつろげる食卓を実現するためにぜひ擦り合わせておきたい。ただ、酒については、相手が飲めなくても大した問題にはならないカップルは多いのではないか。「酒は飲めないけど、酒席の雰囲気が好きだし、酒の肴も好き」という下戸は案外多い。さらに酒を飲んだ後はシラフのパートナーに運転を任せて、道中や帰宅してから感謝を伝えるといったことも可能だ。むしろ夫婦そろって酒好きで、どちらも記憶がなくなるまで飲んでしまう、みたいな夫婦よりもメリットは大きいかもしれない。
「子どもの有無」や「親の介護」などデリケートな事柄ほど率直に
「【4】人生の重要事項について率直に話し合い、意識を擦り合わせておくことができる」に関することでいうと、われわれ夫婦は結婚前の同棲段階で「子どもは持たない」という重要な決定をした。

「子どもの有無」「年収が低下しても許容し、相手を追い詰めない」「実家の親はできるかぎり、自分たちで介護する。何でも業者任せにしない」「子どもは大学まで行かせる」「絶対に都会に住む」「将来的には田舎で暮らしたい」など、人生設計に絡む重要事項については、多少聞きづらいことであってもあらかじめ意識を擦り合わせておこう。相談は、早ければ早いほどいい。早いうちに決めておくほうが、年を重ねた後に「そんな考えだったとは知らなかった」などともめずに済む。

われわれ夫婦は「子どもは持たない」「生活する場所は東京にこだわらない」と早い段階で決めていたため、いま暮らしている佐賀県唐津市への移転もすんなり進められた。子どもがいないので気兼ねなく仕事を整理できたし、さまざまな準備もフットワークよく進められた。要するに、私たちは「子どもがいる暮らしより、2人で過ごす時間を大切にする人生」を選択したということだ。そのおかげで、自由気ままに移転を決断できたのである。

子どもを持たない人生を選んだことに、後悔は一切ない。それは、妻も同じである。現在30代後半の妻に対して「まだ産もうと思えば産める年齢だし、1人くらいは産んでみたら?」などと助言する人もいるのだが、彼女は「いや~、これから産むのは大変ですよ。もういらないです」と何の含みもなく返している。私も「仮に来年子どもが生まれたとして、その子が成人するとき、オレは69歳ですよ。そこまで働き続ける気力はないです」と答えている。

デリケートな事柄だからこそ、早い段階で率直に意見を交わし、考えを一致させておいてよかったと思う。おかげでいま、われわれ夫婦の関係性はとても安定しているし、一緒に過ごしていてすこぶる快適なのである。

「趣味」は違っても大きな問題にはならない
さて、ここまでは「2人の価値観をできるだけ一致させておくほうがよい」事柄について書いてきたが、「【5】趣味は一概に同じでなくても構わない。相手の趣味は互いに尊重する」は少し毛色が異なる。趣味は互いに束縛しあってまで楽しむようなものではない。「あなたはコレが好き。私はソレが好き」でも別に関係は悪化しないから、同じ趣味にこだわる必要はないのだ。

たとえば、鉄道好きと飛行機好きが結婚したとしても、日ごろはソロ活動で楽しめばいいし、旅に出たときは同じ時間を共有しながら、それぞれの興味を満たすことだってできるだろう。漫画好きとゲーム好きも同様で、2人で同じベッドの上に寝転んだり、一緒に移動したりしながら、各々の趣味に没頭すればいいだけだ。もちろん、同じ作品が好きで一緒に「聖地巡礼」などをするのもいいだろうが、趣味というものは思想や主義主張より圧倒的に軽いものなので、違っていても仲違いをするほどの障害にはつながらない。
相手の趣味に余計な口を挟まず、むやみに批評もしない
むしろ趣味に関連して気をつけたいのは「一致するか、しないか」ということではなく、相手の趣味に余計な口を挟んだり、自分には魅力が理解できないからといって不用意に批判したりしないこと──つまりは、相手の趣味を尊重する姿勢である。

たとえば「競馬やパチンコにハマり過ぎてカネを失う」「配偶者に黙って生活費に手を付け、高価なフィギュアを買い集める」「手芸の材料が溢れかえり、リビングや廊下など共有空間にも山と積まれる」「早朝のゴルフに間に合うよう、いつも相手に『起こしてくれ』と要求する(うっかり寝過ごしたら、キレる)」など、家庭全体に迷惑が及んだり、配偶者に無理を強いたりするのは当然論外であり、いくらでも文句を言って構わない。ただ、そうした状況に陥らないのであれば、互いの趣味については「あ、やってるな」とたまに横目で見つつも放置し、鷹揚に構えておくほうが確実にうまくいく。

迷う気持ちがあるなら、まずは一步踏み出してみる
配偶者との良好な関係は、人生の活力になる。日々の暮らしが安定すれば心身も充実して、仕事にも全力で取り組めるようになるし、ちょっとくらい人間関係でトラブルがあっても大きなダメージを受けずに済むはずだ。

「自分はひとりで生きると覚悟を決めている」「以前、結婚(同棲)していたこともあるが、イヤなことばかりでこりごりした。今後、パートナーを持つつもりはない」など、生き方や考え方が人それぞれであることは重々承知している。私も「絶対に結婚せよ!」「結婚しない人は損な人生を送ることになるぞ!」などと脅すつもりはないし、「結婚すれば、みんな幸せになれる!」と手放しで礼賛したいわけでもない。

ただ「どうしようかな」と少しでも迷う気持ちがあるのであれば、ちょっとだけやる気を出して、同棲や結婚を現実的に考えてみてはどうだろう。「幸せや喜びが2倍になりますよ!」などと浮ついたことは言うつもりもないが、「こういう人生の楽しみ方もあったのか」「面倒なこともあるけど、なかなか面白くもあるな」とこれまで知り得なかった世界を見ることができるのは確かだ。

このバカげた世界において、たったひとりでも自分を根っこの部分から理解し、受け入れてくれる人が存在するということは、それだけで大きなよりどころになる。

【まとめ】今回の「俺がもっとも言いたいこと」
・理不尽なことばかりのコロナ騒動で疲弊した自分を支えてくれたのは、配偶者だった。改めて「結婚してよかった」と実感できたのは、コロナ騒動における唯一の収穫だ。
・「パートナーと結婚してもいいな」「相手を見つけて、同棲してみようかな」と少しでも考えるのであれば、ぜひ前向きに取り組みたい。共に暮らす人の存在は、あなたをさまざまな場面で支えてくれる。
・ただし、相手を選ぶ際に注意しておきたいポイントはある。とくに「『耐えられないもの・嫌いなもの』のレベルが同じ」かどうかは影響が大きいので、絶対に擦り合わせておきたい。


高齢者をがんや心疾患に仕立て必要ない手術まで…終末期医療に残る深い闇

2021-12-04 13:30:00 | 日記

下記の記事をヨミドクター様のホームページからお借りして紹介します。(コピー)です。

さる11月9日、横浜地裁で、入院患者3人を殺害したなどとして死刑が求刑されていた元看護師の久保木愛弓被告(34)に、無期懲役の判決が言い渡されました。メディアは当初、求刑通りの死刑を予測していましたが、無期懲役になったことで、疑問視する声が上がりました。なぜなら、被告の元看護師に、精神的な衰弱・異常はなく、「完全な責任能力がある」と認められていたこと、さらに判例から言って「3人以上の殺人は死刑」が通例だったからです。横浜地検は22日に判決を不服として控訴し、これを受けて弁護側も控訴しました。

旧大口病院で起きたこと
 事件が起きたのは、2016年9月。病院の4階病棟で、約3か月の間に48人もの患者が死亡していたことが発覚したのです。久保木容疑者が逮捕されたのは、それから2年後。当初から関与を疑われていましたが、逮捕された後に「20人くらいやった」と自白したというので、社会に衝撃を与えました。立件・起訴されたのが3人だけだったのは、この3人を除いて、遺体はすべて火葬されてしまっていたため、証拠として鑑定できる血液が残っていなかったからでした。

 彼女の犯行は、患者の点滴袋に消毒液「ヂアミトール」(界面活性剤)を注射器で混入するという、じつに単純なものでした。しかし、これで患者は簡単に死んでしまいます。なぜ、彼女はこんなことをしたのでしょうか? 供述によると、「自分が担当の日に患者が死ぬと、遺族にいちいち説明する必要があった。それが嫌だった」とのことですから、驚くしかありません。

看取りが主要な役割のひとつに
 事件の舞台になった横浜市の旧大口病院は、多くの終末期の患者を集めていました。一口に病院と言っても、高度な手術を行っている病院から、回復の見込みのない高齢者の医療を収入の柱としている病院までさまざまです。がんの終末期ケアに特化したホスピスもありますが、通常医療の範囲で見取りを引き受ける病院もあります。高齢者が多い多死時代を迎えて、旧大口病院と同じように終末期の患者を受け入れる病棟などを持つ病院は少なくありません。そして、こうした病院に送り込まれる高齢者は、年々、増え続けているのです。

 旧大口病院で起こったことは、殺人事件という特異な事例です。しかし、日本の終末期医療を見渡すと、今も根深い問題が多く残っています。
終末期の患者が病院の儲けのネタになっている

 回復が難しい高齢者を受け入れる病院は、「老人病院」とも言われました。患者の多くがベッドに寝たきりで、体にはチューブがつながれている人もいます。直接、胃から栄養を摂取できるようにする「胃ろう」や、静脈にカテーテルを通して栄養を送る「IVH」などの方法で生かされています。この状態の感じ方は人それぞれだと思いますが、中には「生き地獄」だと言って、「早く死なせてほしい」という訴えを私は何度も聞いたことがあります。

 実はかつて私も、こうした老人病院のチェーンを経営していたことがあるので、事情はよくわかります。生活するには介護が必要で、自宅でお世話をするのが大変な高齢者などを引き受けます。こうした高齢者の中には家族にお荷物扱いされている方も少なくないので、ケアに関してはあまり要望や苦情が出ません。そこで、死期が近づいたら延命のために思い切り濃厚な治療を行えば病院の収入は上がります。

生活保護者は病院のドル箱
 なかには、職員に福祉事務所などを回らせて、家族がいない一人きりの患者を集めているところもあります。病気を抱えた生活保護受給者は、病院にとっては最高の「ドル箱」です。すべて公費で賄えるからです。終末期医療と言えば聞こえはいいですが、死亡時の診療報酬の審査は緩い傾向があって、終末期医療ビジネスが成立する経済的な環境や家族の事情があるのです。かつて摘発された例では、必要がないのに、がんや心疾患などに仕立て上げ、手術までしていたところがあります。

 本人が望むケアや死に方を実現するには、本人とそれを支える家族、医療スタッフのコミュニケーションが大切です。その話し合いを「人生会議」と呼んで、厚生労働省も推奨しています。しかし、現実には、そうした理想とはかけ離れた終末期の現場もあるのです。終末期医療が依然として病院の金儲もうけのネタにされてはいないか……そこが気になるのです。

親を入院させておけば、年金でおつりが来る
 長く医者をやっていると、日本の終末期医療は間違っていると痛感してきました。75歳以上なら、原則的には医療費の9割は保険が適用されますから、患者側の負担は1割で済みます。となると、入院させておけば年金でおつりが来るケースも少なくありません。

 多くの高齢者を看取っている病院グループの理事長が話していました。「『できるだけ長く生かしてあげてください』なんて言うご家族は、親の年金をあてにしていることも多いですね。逆にそうでないご家族からは、『本人がつらくないように、楽に逝かせて下さい』と言われます」

 年金の支給日は、月の半ばの15日です。そのため、家族から「15日までは死なせないでくれ」と頼まれたという話もよく聞きます。
病院を姥捨山にしてはいけない

 患者の気持ちに寄り添った終末期医療を、誠意を持って本人や家族と相談しながら進めているような病院で、「遺族への説明が負担だ」と言って殺人を起こすような 看護師が見過ごされるでしょうか。旧大口病院事件は、特異な犯罪者が引き起こした事件で、ご遺族の心情は察するに余りあります。ですが、その背景には、日本の終末期医療提供体制の問題があるように思えてなりません。

 1983年のカンヌ映画祭でパルムドールに輝いた映画「楢山節考」は、貧しさゆえに口減らしのために高齢の親を山に捨てる姥捨山をテーマにした作品です。主演した坂本スミ子さんは、今年1月に84歳で亡くなりました。

 私も来年は75歳の後期高齢者。間違っても、現代の“姥捨山”には入れられないよう、家族には話をしておかなければいけません。その上で、その時が来たら、潔くこの世を去るつもりです。 (富家孝 医師)

富家 孝(ふけ・たかし)
医師、ジャーナリスト。医師の紹介などを手がける「ラ・クイリマ」代表取締役。1947年、大阪府生まれ。東京慈恵会医大卒。新日本プロレス・リングドクター、医療コンサルタントを務める。著書は「『死に方』格差社会」など65冊以上。「医者に嫌われる医者」を自認し、患者目線で医療に関する問題をわかりやすく指摘し続けている。


〈201人のリアルな声〉明るい老後に必要なのは「一に健康、二にお金、三に友人」! 老後の厳しい現実も

2021-12-04 12:00:00 | 日記

下記の記事を婦人公論.jp様のホームページからお借りして紹介します。(コピー)です。

「頑張ってきた分、最後はのんびり過ごしたい」という人もいれば、「自由になる時間が増えるのだから、人生これから」と考える人も。201人の読者のホンネを聞きました(イラスト=カワムラナツミ)

Q1 理想の「老後ライフ」を教えてください(複数回答可)

1位 健康的な暮らしができる(104人)
2位 十分な貯蓄があり、経済的に困らない(91人)
3位 趣味や勉強、ボランティア活動などに打ち込む(73人)
4位 終の棲家がある(50人)
5位 両親・義父母を見送る(42人)
6位 これまでできなかったことに挑戦する(38人)
7位 子どもの養育にお金がかからない(27人)
8位 友人と頻繁に連絡を取り合う(26人)

<こんな答えも>

・ひとりでの穏やかな暮らし(82歳・主婦)
・老人ホームで過ごす(61歳・主婦)
・夫婦の時間を楽しむ(58歳・主婦)
・子らの将来を心配しなくていい(74歳・主婦)
Q2 「老後」はいつ訪れるものだと思いますか

●働かなくてもゆとりを持って生活できるのが老後(74歳・家庭教師)

●思うように動けなくなり、家事ができなくなったら(80歳・主婦)

●夫を見送って(85歳・死別)

●ひとりで規則正しい生活が送れている限り、まだ老後ではない(78歳・死別)

●仕事を「趣味」に変えられた日(79歳・主婦)

●孫の誕生(52歳・パート)

●年金を受給して、老後を過ごしている感覚が出てきた(66歳・主婦)

●子ども夫婦との同居(60歳・パート)

●90代の老親の介護が終わり、24時間を自分のために使えるようになれば(60歳・主婦)

●「もう若くない自分」「ムリがきかない自分」を自覚したとき(54歳・パート)

●夫の定年退職(67歳・主婦)

Q3 老後の現実を教えてください

すべての写真を見る
【なかなか厳しい】

●当たり前にできたことができなくなった。物をよく落とす (79歳・主婦)

●私がひとりで奄美大島に移り住むことに、娘が反対している (85歳・死別)

●結婚21年目に長男が離婚。弁護士費用などを、なけなしの貯蓄から援助することに (73歳・主婦)

●自営なので覚悟はしていたが、国民年金だけの家庭は生活が苦しい(73歳・自営業)

●2人の姪に老後のことを託していたのに、2人とも若くして亡くなってしまった (89歳・年金受給中)

●足を痛めて以来、買い物も近くまでしか行けず、出かける気力も失せて、毎日を十分楽しめない (79歳・死別)

●いまは私が介護しているが、夫の認知症がこれ以上進行したら、施設に入れなければならないだろう。そのお金の工面のことを考えると悩ましい (78歳・主婦)

●老後にさほど高い理想を持っていなかった私だが、8年前に夫が認知症に。日々暴言を受けているうちに耳鳴りが止まらなくなった (75歳・主婦)

●15年に及ぶ義母の介護が終わった直後、長男の妻が44歳の若さで他界。いまは長男と孫の面倒を見ている(71歳・主婦)
【だいたい想像通り】

●同居していた両親を見送り、朝から新聞を読めるのが嬉しい (71歳・主婦)

●歳を重ねたまわりの人を見ながら80年近く生きてきたので、まあこんなものだろうと思う (79歳・年金受給中)


●50代から夫と娘と話し合い、老後計画を進めてきた。いまはすばらしいサービス付高齢者住宅にいる (86歳・死別)

●切り詰めながらもなんとか年金で暮らせます (73歳・主婦)

【思った以上で満足!】

●親の老後と比べると、私たちは年齢のわりに元気で自立できているし、長生きしている。ありがたい (83歳・死別)

●夫の介護のため、娘が月に一度、家事や金銭面で助けにきてくれる。夫も優しくなった。娘の夫にも感謝 (77歳・パート)

●子どもたちは共働き夫婦なので孫の世話を頼まれる。でも、「ばあば」と呼ばれるのが幸せ (61歳・死別)

Q4 「明るい老後」にはなにが欠かせないと思いますか

●一に健康、二にお金、三に友人(74歳・家庭教師)

●会話が弾む頭の回転(83歳・死別)

●まわりの人との適度な距離感。近すぎれば揉めるし、遠すぎると孤独に。これまでの人間関係が、老後にはね返ってくる(56歳・パート)

●趣味などの楽しみを持って生きてきたか(87歳・福祉職)

●決断力(83歳・死別)

●お金がなくても、楽しめる性格(83歳・死別)

●家のこと、買い物などの当たり前のことができる体(79歳・死別)

●家族以外のコミュニティ(60歳・パート)

●夫や子どもへ感謝する(81歳・死別)

●社会参加をして、常に人と接していること(82歳・主婦)

●自由な時間(61歳・パート)

●回答者数 201人 ●平均年齢 63.7歳
イラスト: カワムラナツミ
出典=『婦人公論』2021年11月9日号


小室眞子さん・圭さんの新婚生活は「放送禁止」 テレビで報じられなくなった理由

2021-12-04 11:00:00 | 日記

下記の記事を週間女性プライム様のホームページからお借りして紹介します。(コピー)です。

 ふたりがニューヨークに旅立ったことで“小室狂想曲”もようやく落ちついたかにみえたが……。

 小室圭さんの母親の「借金トラブル」が報じられてからの数年間、眞子さんの結婚という慶事だった話題がゴシップに姿を変え、皇室ニュースに興味がなかった層をも巻き込んでの“一大ムーブメント”になったことには論を俟(ま)たない。

 元々“皇室ネタ”は人気があり、テレビ・新聞・週刊誌のキラーコンテンツ、いわゆる“ドル箱”であった。それにスキャンダル要素が加わったわけだから、これほど強いものはないだろう。ふたりの一挙手一投足に多額の税金が使われているということも国民感情を大きく動かした。毎週のように週刊誌はその話題を取り上げ、ワイドショーも軒並み視聴率を上げることに。

 メディアにとってまさに“K・Kバブル”が続いていたわけだが、それも“結婚”と“金銭トラブルの解決”でついに終焉を迎えたという。出国の様子は最後の大花火とばかりにテレビ各局がこぞって報じたものだった。

 NYに旅立ったあとのふたりは──。

報じる“大義名分”
 週刊誌の読者の中にいる“皇室ファン”には「衝撃的な写真が見たい」と思うような意見はそれほど多くない。「セレブ生活」なのか、あるいは「庶民的な暮らしぶり」なのか、皇室を離れた後の日常生活を垣間見ることができればそれで満足なのだという。読者の興味に応えるのが週刊誌の性。先日も『女性セブン』(12月9日号)がNYでの暮らしぶりを写真つきで報じている。

 10分程度で歩けるメインストリートを40分もかけて仲睦まじそうに歩いているカラーの鮮明写真から察せられるのは、労を厭(いと)わない“現地取材”というやつだ。さらに、今では現地のパパラッチと契約して写真を撮らせるメディアもあるという。


荷物を抱えて周囲をキョロキョロ、《迷子》と報じられた小室眞子さん(『デイリーメール』オンライン公式HPより)
 しかし、一方のテレビ。情報番組のディレクターは出国したふたりについて、このように嘆く。

「大義名分がなくなりました」

 ふたりを報道する理由がなくなったというのだ。
映像ではあまりに“ゲスく映る”
「小室夫妻を取り上げると、間違いなく数字(視聴率)は上がりました。世間はそれだけ注目していたと見ていいでしょう。しかし、上からは“あまり無闇に扱うな”とのお達しがくるんですよ。日常を追いかけ回すような取材はやはりテレビではやりずらい部分があります。紙媒体と違って、彼らの生活を追うようなシーンは映像だとあまりに直接的というか、“ゲスく映る”という側面がテレビにはありますね」(前出・情報番組ディレクター)

 9月に小室さんが帰国する直前に、FNNの海外支局のスタッフがNYで彼を直撃取材するさまを放送し、大きな反響を得た。だが、彼と並走するかのようなかたちでマイクを差し出す女性レポーターの様子はなかなか刺激が強く、それに対する批判も少なくなかった。

 また、視聴者の意見が大きく反映されるというのもワイドショー制作現場のリアルなのだという。

「ネットの反応を見ていると“やりすぎじゃないか”とか、“結婚して一般人になったのだからこれ以上追いかけまわすのはやめたら”という報道に対する批判的な声も多くなっていて、局側としても自制しようとなっています」(別の情報番組スタッフ)

 今後、ワイドショーが小室夫妻を取り上げることはなくなるのだろうか。

「どの番組もそういう流れにはなるでしょうね。見逃し配信などが注目されるバラエティーやドラマなど違って、ワイドショーは今でも視聴率という指標で測られるので、取り上げられないのは痛いですが、この先しばらくはないでしょう。あるとすれば何か“トラブル”が起きたときですかね。いま考えられるのは小室さんが来年2月に2度目の弁護士試験を受けるタイミング。その結果次第で彼らの生活はどう変わるか、みなさん興味があると思うので」(テレビ局ディレクター)

 テレビのK・Kバブルはいま、弾けたといっていいだろう。

<芸能ジャーナリスト・佐々木博之> ◎元フライデー記者。現在も週刊誌等で取材活動を続けており、テレビ・ラジオ番組などでコメンテーターとしても活躍中。