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「認知症の発症リスクは40%下げられる」世界的医学誌に論文 専門家が勧める「五感トレーニング」とは

2021-12-12 15:30:00 | 日記

下記の記事をデイリー新潮オンライン様のホームページからお借りして紹介します。(コピー)です。

 

新時代の到来である。認知症は「不治の病」――。そう言われていたのも今は昔。世界五大医学誌に掲載された論文が昨年改訂され、なんと発症リスクは40%も下げられることが明らかに。認知症予防の第一人者が、自らも実践する「五感トレーニング」を解説する。

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「認知症を防げるわけがない。認知症の予防だなんて不謹慎だ!」

私が医師になった1980年代、認知症はタブー視されていました。実際、私が学生の頃の教科書には、認知症は治らない病気と書かれていました。そのためか、言葉は非常に悪いのですが、認知症になった人は「気狂い」扱いされていたのです。

認知症をあれこれ言うのは禁忌。そうした空気が変わってきたのは、20年ほど前、認知症薬の「アリセプト」が出てきた頃からだと思います。以降、学術的なエビデンスを伴った認知症研究が進み、「認知症は予防や対処ができる」という認識が広がっていったのです。

その流れを決定づけたのが2017年、最も権威のある世界五大医学誌のひとつ「Lancet」に、英国ロンドン大学の教授らが「生活習慣などを改善することで認知症の発症リスクを35%下げられる」という研究論文を発表したことでした。そして現在も、認知症に関する研究は日進月歩で進んでいて、20年には先の論文が改訂され、認知症の発症リスクは40%まで下げられることが明らかになっています。

2025年に認知症患者は約700万人に

 

スマホを見たら「休む」(他の写真を見る

〈こう解説するのは、鳥取大学医学部教授で日本認知症予防学会理事長を務める浦上克哉氏だ。浦上教授は17年に、鳥取県と共同で「とっとり方式認知症予防プログラム」を開発。このプログラムの有効性を実証する論文が発表され、注目を集めた。

これまでに認知症専門医として診察してきた患者の数は、実に13万人以上。まさに斯界の第一人者である。〉

「たかが40%」と思う人もいるかもしれません。しかし私は、これはとても大きな数字だと考えています。

厚生労働省の資料によれば、日本では2025年に認知症の人が約700万人になると予測されています。これは高齢者の5人に1人が認知症になることを意味します。しかし、先の「Lancet」論文に基づけば、700万人の40%、つまり280万人が認知症を発症しなくて済み、高齢者の8人に1人まで認知症の人を減らせることになる。やはりこれは社会的に非常に大きなことだと思うのです。

もちろん、何もせずに40%減らせるわけではありません。「Lancet」論文には、「12の認知症リスク因子」がこう紹介されています。

(1)難聴

(2)社会的孤立

(3)抑うつ

(4)喫煙

(5)大気汚染

(6)高血圧

(7)糖尿病

(8)肥満

(9)運動不足

(10)頭部外傷

(11)過剰飲酒

(12)教育歴(知的好奇心の低さ)

 

リスク因子を排除する三つの習慣

これらのリスク因子を取り除くことができれば、「40%」を実現できるのです。そしてこの12の因子は、「三つの習慣」に気を配ることで排除が可能になります。それは次の三つです。

A 運動

B 知的好奇心

C コミュニケーション

Cのコミュニケーションを上手くできれば社会的孤立(2)や抑うつ(3)は改善されますし、Aの適切な運動を行っていれば肥満(8)や足腰の衰えによる頭部外傷(10)を防げるといった具合に、12の因子を減殺できるわけです。

こうした予防対策は、ついさっき言ったことを忘れてしまうといった記憶障害や、今日が何月何日だか分からない見当識障害などの症状が見られるMCI(軽度認知障害)の人にとりわけ有効です。MCIは、すでに認知症になった人と違い、まだ元に戻れるリバーシブルな状態。しかし同時に、何も対策をとらないでいると認知症を発症する可能性が高くなります。

MCIになると、例えば「今日はあそこに行って、あれをして……」と計画を立てて行動することに支障が生じるようになります。どこかに行こうとしても忘れてしまい、目的地と反対方向の電車に乗り、2~3時間で済むはずの用事に丸1日かかってしまったという人がよくいます。すると、家にいたほうが楽だということで出不精になる。出掛けなければ外部からの刺激が減り、よりMCIが進行し、ますます出不精になって……という悪循環にはまってしまうのです。

 

 

運動、そしてグレープフルーツが有効なワケは……(他の写真を見る

難聴対策が重要

そうならないためには、やはりMCIやそうなる前の段階で、放置せずにしっかりと予防対策を行い、それ以上の症状に進ませないことが極めて重要です。

では、三つの習慣に気をつけるにあたり必要なことは何でしょうか。それは五感を衰えさせないことです。例えば、視覚が衰えれば知的好奇心を満たす読書のような趣味はしにくくなってしまいますし、聴覚が衰えれば円滑なコミュニケーションが難しくなります。

MCIになった時に、最初に衰える五感は何かといえば、意外にも嗅覚です。加齢に伴う嗅覚の衰えにより、嗅神経は記憶を司る海馬や情動を司る扁桃体と繋がっているため、これらへの刺激が少なくなり、その結果、海馬や扁桃体が弱まって記憶障害などが進行してしまうのです。

嗅覚は、「におい比べ」などによって鍛えることができます。例えば、みかん、ゆず、グレープフルーツの三つの柑橘系果物を用意し、目をつぶった状態で嗅ぎ分ける。これはまだ健常な人が嗅覚の衰えをチェックするのにも適した方法です。また、ローズマリーカンファー(樟脳(しょうのう))やレモンの香りが、認知機能の回復に最も効果があることも分かっています。

そして、「Lancet」論文で12のリスク因子が明らかにされて以降、現在、認知症予防において最も注目されているのが難聴(聴力低下)対策です。それまで、認知症の専門家の間でも難聴対策はそれほど重要視されていませんでした。実際、聴力は視力に比べて軽視されている印象がありませんか? 人間は感覚の8割を視覚に頼っているといわれています。そのため、視力が低下してくれば眼鏡などで矯正するのが当たり前になっています。

 

「休める」「使う」

一方、聴力はどうでしょうか。加齢とともに耳が遠くなるのはごく自然なことであると同時に致し方ないこととして、放置する傾向が強いのではないでしょうか。事実、眼鏡と違い、補聴器はかなり耳が遠くなってからするものという認識が強いように感じます。

しかし、「Lancet」論文で難聴は12の認知症リスク因子のひとつであることが分かりました。目と同等に、耳の衰えにも気をつける必要があるわけです。聴力の低下は、その現象自体が喜ばしい事態ではありませんが、それに留まらず、三つの習慣のひとつであるコミュニケーションを妨げます。聴力が低下すると人の言葉が聞きとりにくくなるので会話の輪に入りづらくなる。会話が億劫になれば他人との接触も面倒くさくなり社会的孤立に陥る。つまり、12のリスク因子のひとつである難聴(1)が、もうひとつのリスク因子である社会的孤立(2)を招いてしまうのです。したがって、認知症を防ぐためには早め早めに補聴器をつけることをお勧めします。

このように認知症予防にとって重要な聴力は40代から衰え始めます。まず高音から聞こえづらくなり、60代になるとそれに低音が加わり、生活音も聞こえにくくなってしまう。そして、75歳以上になると約7割の人が難聴になるといわれています。

このことから分かるように、聴力の衰えを防ぐためには補聴器以前の対策も重要になります。ポイントは耳を「休める」ことと同時に「使う」こと。どちらかだけでなく、両方をともに実践することが大切です。今の若い人たちはイヤホンで大音量の音楽を聴いたりしていますが、これは「耳の将来」を考えると非常に危険だと思います。たまには耳栓をし、完全に音をシャットアウトして耳を休ませることが必要でしょう。

悪口がよく聞き取れる理由

使うトレーニングとしては、本の音読などが効果的です。自分の声を自分で聞くとともに、口を動かすことでその周りの筋肉を動かす複合的な効果も期待できます。他には、散歩中の音の聞き分けトレーニングも有効です。普段は聞き流してしまう何気ない音を、それが鳥の鳴き声なのか、猫の鳴き声なのかを意識的に聞き分けることで聴力の低下を防ぐことができます。

ちなみに、耳が遠い高齢者でも、自分の悪口だけはなぜかよく聞き取れるという話をよく聞きませんか? これは気のせいではないと私は思っています。先ほど触れたように、聴力の衰えは高音から始まり、徐々に低音に広がっていきます。そして、悪口はだいたいヒソヒソ声で話すため、声のトーンが低くなる。そのため、高齢者でも低音の悪口が聞こえてしまうのでしょう。

さて、視覚も聴覚と同じで、休めることと使うことの両方が大切です。テレビやスマートフォンをずっと見て使うだけでなく、遠くのものを見て目を休ませる。また、聴覚と同じように、意識的に見分けることにも効果があります。外出の時に花の色の違いに注意したり、友だちの髪型の変化や服の違いを意識するのもいいでしょう。

運動、知的好奇心、コミュニケーションという三つの習慣は、聴覚や視覚に頼るところが大きい。つまり、聴覚や視覚が衰えてしまうと、認知症予防対策を始めることさえ難しくなってしまう。したがって、聴覚と視覚のトレーニングは極めて重要なのです。

私自身も、三つの習慣を意識して生活しています。

運動する時間はなかなかとれていませんが、例えば目的地の最寄りではなく、少し離れた駐車場に車を駐めてそこから少し歩く。エレベーターやエスカレーターは使わない。知的好奇心とコミュニケーションは、研究や臨床を続けているので何とかなっていますが、その他にはアロマを嗅いだりして嗅覚を衰えさせないようにしています。

対策は「長距離走」

私が実践していることは、いずれも些細なことだと思われるかもしれませんが、それでいいのです。なぜなら、認知症予防は20年、30年継続する「長距離走」だからです。続けられなければ意味がありません。実際、65歳以上の方にとって過度な運動はむしろ健康に悪いといわれています。過度な有酸素運動によって筋肉が分解されて筋肉量が減ってしまい、足元がおぼつかなくなったりして危険な転倒などにつながりかねないからです。転んで頭を打ってしまえば頭部外傷(10)となり、逆にリスク因子を増やしてしまいます。骨折して寝たきりになってしまっては本末転倒です。

長距離走である認知症予防は、本来は40代から50代で始めることが望ましい。日本人に一番多いアルツハイマー型認知症は、脳の中にアミロイドβタンパクというタンパク質が溜まることで発症します。このアミロイドβタンパクが溜まり始めるのは、認知症発症の20~30年前です。そして、MCIが最も発症しやすいのは65歳から75歳。つまり、遡って考えると40代から認知症予防を始めても全く早くはないのです。

とはいえ、40代で認知症予防をしようという人はそういないのが現実でしょう。まだ「我が事」として考えにくい。そういう人は、自分が認知症予防を始めることで、その体験を自分の親の認知症予防や、早期発見に役立たせることができると考えるのがいいのではないでしょうか。

いずれにしても、40代、50代への認知症予防啓発が、高齢化に歯止めがかからない日本にとって、とても重要になってくると思います。アミロイドβタンパクが溜まり始めているという意味では、40代、50代の人にとって認知症は他人事ではなく我が事なのです。もちろん、60代、70代、あるいはそれ以上の高齢者にとっても、三つの習慣を意識することが、認知症予防と症状の進行を遅らせることにつながるのは言うまでもありません。

コロナによる悪影響

ここまで認知症予防について説明してきましたが、改めてそもそも認知症とは何なのかを考えてみたいと思います。

私は、認知症とは人間特有の病気であり、人間らしい活動が困難になる病気だと考えています。三つの習慣である知的好奇心やコミュニケーションは、まさに人間の活動を象徴するものです。それが困難になるのが認知症です。「食べる」「寝る」といった本能的、動物的な行動は、意外と最後までできるもの。そうした動物的行動ではなく、人間的活動を充実させることが、そのまま認知症予防対策につながっていくのです。

とりわけ、コミュニケーションこそが最も人間らしい活動といえると思います。ところが、コロナ禍によりコミュニケーションをはじめ、運動も知的好奇心を向上させることも難しくなっています。この疫禍によって認知症の症状が進行してしまう人が多いのではないかと危惧しています。

しかし、超高齢社会である日本は「認知症先進国」であると考えることもできます。コロナ禍だからこそ、みんなで些細なことの継続である認知症予防の実績を積み上げ、その成果を世界に発信していければと考えています。

浦上克哉(うらかみかつや)

鳥取大学医学部教授・日本認知症予防学会理事長。1956年生まれ。鳥取大学医学部卒業。同大学の脳神経内科勤務等を経て、2011年に日本認知症予防学会を設立。認知症予防の第一人者として、NHKの「あさイチ」等、多くのメディアに登場している。


「時給高いから上京」の21歳女性を襲った"想定外"

2021-12-12 13:30:00 | 日記

下記の記事を東洋経済様のホームページからお借りして紹介します。(コピー)です。

「手元にお金がなくて(家賃が)払えない状況です。(中略)仕事がなくなり、探していますがなかなか見つからないのと交通費がなくて動けないです」

9月下旬、市民団体などでつくるネットワーク「新型コロナ災害緊急アクション」に1通のメールが届いた。送り主は東京都内に住むユイさん(仮名、21)。

同ネットワークはコロナ禍における生活困窮者の支援を目的に2020年3月、約40の団体が集まって発足した。メールフォームを通して助けを求めてきた人たちのところに、スタッフたちが直接出向く駆けつけ支援を続けている。

この日の日中、事務局長の瀬戸大作さんは、1人で自治体の窓口に行ったところ「まだ若いんだから働けるでしょう」と追い返されたという人の生活保護申請にあらためて同行、さらに自治体議員らを対象にした研修の講師をこなした後、自家用車でユイさんのもとへ向かった。

時刻は夜9時を回っている。瀬戸さんがハンドルを握りながらつぶやく。

「(ユイさんのケースは)家があるからまだ大丈夫だな」

駆けつけ支援の対象は20代、30代が大半
同アクションの駆けつけ支援の対象は、大半が20代、30代の若者だと、瀬戸さんは言う。彼ら、彼女たちの多くは仕事も住まいも失った状態まで追い詰められ、ようやくSOSのメールを発信する。「もう何日も食べていない」と話す人も珍しくない。

ユイさんからのメールには、携帯は料金未納で通話ができないとあった。所持金は1000円を切っており、家賃を1カ月分滞納、消費者金融からの借金もあるという。それでも路上に放り出されていないだけ、そのほかのSOSと比べると切迫度はまだ低いというわけだ。

30分ほどでメールに書かれていた住所に到着。そこは急な坂道の途中にある住宅街の一角だった。路肩に車を止め、ハザードランプを付けて待つこと数分。薄暗い小路の陰から1人の女性が現れた。ユイさんだ。

瀬戸さんはユイさんを助手席に招き入れると、メモを手に困窮状態に陥った経緯や現在の暮らしぶりなどについて聞き取っていく。
ユイさんは沖縄出身。高校卒業後、東京で働き始めた。その理由を「物価はあまり変わらないのに、時給はけっこう違う。同じ仕事なら東京のほうがいいなと思ったんです」と説明する。2021年度の最低賃金は、沖縄が820円なのに対し、東京は1041円。たしかに200円以上の差がある。

東京では雑貨店やコンビニ、清掃、飲食店などで働いた。いずれも時給制の非正規雇用。ほとんどが最低賃金水準で、手取りは月18万円ほどだった。最初は家賃約7万円のアパートで暮らしていたが、やりくりが厳しく同5万円のシェアハウスへと引っ越したのだという。

コロナ禍でアルバイトのシフトが削減された
そして個人経営の居酒屋で働いていたときに新型コロナウイルスの感染拡大に遭遇。シフトが削減され、2021年に入ってからは月収10万円の月が続いていた。この間、休業手当が支払われたのは正社員だけ。アルバイトだったユイさんは「そんなものなのかな」と思っただけで、とくに抗議や交渉はしなかったという。このころから、消費者金融にお金を借りては生活費にあてた。現在借金額は約50万円になる。

今夏、ついに居酒屋が閉店。複数の派遣会社に登録したものの、安定した収入が得られる仕事は見つからなかった。沖縄の両親もコロナ禍の打撃を受けており、援助は望めない。最近はご飯をおかゆにして量を増やし、空腹をごまかしているという。

そつなく答えているようにも聞こえるが、ユイさんの声には抑揚がない。瀬戸さんの質問に対する反応も遅い。車内に差し込む街灯の明かりに浮かんだ横顔にはほとんど表情がなかった。

「独りの部屋で、このままどこまで落ちていくんだろうと思うと、眠れなくて頭痛がして……。コロナ前の暮らしに戻りたい」

ひととおり話を聞いた瀬戸さんが生活保護の申請を提案した。ユイさんがためらいがちに「私の年でも受けられるんでしょうか」と尋ねる。

駆けつけ支援で出会う若者の多くが生活保護の利用を「周りに知られたくない」「まだ諦めたくない」などという理由で拒絶する。そんなとき、瀬戸さんは「生活保護は国民の権利。上手に利用して、上手に卒業すればいいんだよ」と説明する。

車内で30分ほど話し合った後、ユイさんは生活保護の申請を決めた。
ところが、その数日後、今度はシェアハウスの運営会社からユイさんのもとに「明日までに家賃の入金がない場合、強制解約をする」という旨のメールが届く。

契約上、シェアハウスは一般の賃貸アパートに比べて借主の立場が弱いことが多い。1カ月でも家賃を滞納すると、強制退去になるケースも珍しくない。実際、ユイさんの相談の前後も、同アクションにはシェアハウスからの追い出しなどをめぐるSOSが相次いでいた。

瀬戸さんは「安易な追い出しをするようなシェアハウスへの入居は勧めない」という。しかし、低賃金の非正規雇用の仕事に就いている若者にとって、敷金礼金が安いシェアハウスの魅力は大きい。いずれにしてもユイさんにとっては一難去ってまた一難である。

じわじわと追い詰められていくパターンが目立つ
新型コロナ災害緊急アクションの駆けつけ支援は、これまでに700件を超えた。そのうちコロナ解雇やコロナ切りに遭った事例は意外に少ない。

むしろユイさんのように初職から非正規雇用で、貯金をする余裕もない中で、コロナ禍によってさらに収入が減少。休業手当や福祉制度に関する知識も乏しいまま、最悪消費者金融やヤミ金からの借金を重ね、じわじわと追い詰められていくというパターンが目立つ。

住まいにしても、賃貸アパートでの1人暮らしをしている人は少数派。シェアハウスや寮付き派遣、友人とのルームシェアのほか、あるいはもともとネットカフェ暮らしだったという人も少なくない。駆けつけ支援は、こうした若者たちがコロナ禍のずっと前からぎりぎりの生活を強いられてきたことを浮き彫りにしたともいえる。

路上生活を続ける中、所持金が100円を切ったところで新型コロナ災害緊急アクションに助けを求めたソウタさん(仮名、23)も、もとは派遣労働者だった。

倉庫内作業の仕事が中心で、「希望しても、フルタイムで入れないこともあったので」毎月の手取りは13万円ほど。アパートを借りられる賃金水準ではなかったので、友人の家に間借りしていた。

ところが、コロナ禍によりただでさえ少なかった収入は半減。タイミングの悪いことに、同じころ、その友人が地元の地方都市に戻ることになり、住まいも失ってしまった。

ソウタさんの両親はすでに亡くなっているという。頼れる親戚もいない。友人宅を出た後は、ネットカフェ暮らしをしながら、日雇いの仕事で食いつなぐ日々。「建設現場とか、イベントスタッフとか、交通誘導とか、いろいろな仕事をやりました」。
あるとき、横浜で深夜の仕事を終え、駅前で始発電車を待っていると、「住むところがないなら、うちの施設に入りませんか」と声をかけられた。

施設まで連れていかれて説明を聞いたところ、生活保護を利用することが条件のうえ、自分の手元に残るのは毎月1万円であることがわかったので、あわてて逃げ出した。後になって、そこは生活保護費のほとんどをピンハネする悪質な無料低額宿泊所といわれる施設であることがわかった。

しかし、不安定な日雇いの収入だけではネットカフェ暮らしも続けられない。夏以降は路上で寝起きすることが増え、公園の水道水しか口にできない日もあった。

公園内のベンチは中央に突起物などがあり、横になって休むことができない造りになっていることも、自身がホームレスになって初めて知った。ソウタさんは「死んでしまいたいと何度も思いました」と振り返る。

切羽詰まった様子で携帯を操作
取材で話を聞いた日も、ソウタさんは待ち合わせをしたファミレス前の路上で切羽詰まった様子で携帯を操作していた。


携帯で日払いの仕事がないか探すソウタさん。取材の待ち合わせ前も後も、切羽詰まった様子で携帯を操作していた(筆者撮影)
何をしているのかと尋ねると、「日雇い派遣の仕事を探している」と言う。しかし、究極の不安定雇用である日雇い派遣は2012年に原則禁止されている。私がそう伝えると、「じゃあ派遣じゃなくて、アルバイトかな」と首をかしげた。

実はこの日の早朝も、ソウタさんは日雇いの仕事を入れていた。倉庫からの搬出作業で、指定されたとおり、朝7時に「品川シーサイド駅」に行った。ところが、そこで担当者から「予定の人数に達したので今日の仕事はなくなりました」と告げられてしまう。集合していた10人ほどの人たちは、黙ったまま三々五々に散っていたという。

「日雇いの仕事で必要な人数よりも多めに募集することはよくあること」とソウタさんが教えてくれた。いわゆるドタキャンに備えた“保険”である。しかし、雇用保険にも入っていないソウタさんには「あぶれ手当」も支給されない。ソウタさんは交通費を節約するため、品川から私との待ち合わせ場所まで3時間かけて歩いてきたという。

ソウタさんはフルキャストやインディードといった求人サイトに登録しているほか、「タイミー」「シェアフル」などのバイトアプリをダウンロードして日雇いの仕事を探している。

条件に合った仕事があると、電話やメールで紹介されるのだという。日雇い派遣そのものに見えるし、ソウタさんも「日雇い派遣だと思っていた」と言うが、契約上はアルバイトという扱いらしい。
ソウタさんによると、日雇いの仕事は、募集要項には「有り」と書かれていた交通費が支払われなかったり、「制服支給」とあるのに現場で買い取りを強制されたりといった問題も多い。

「都合のいいように扱われている気がします」

ソウタさんに将来の希望を尋ねるとこんな答えが返ってきた。

「今日どうしよう、明日どうしようと考えなくてすむ暮らしがしたい」

瀬戸さんによると、緊急事態宣言が解除された10月以降、駆けつけ支援の件数は減少傾向にある。しかし、若者たちの多くは再び派遣や飲食店のアルバイトといった不安定な仕事に戻っていったにすぎない。

「コロナ災害で底が抜けてしまった社会は簡単には修復されない」

瀬戸さんはそう指摘する。コロナ禍で可視化された問題が、理由もはっきりしない新規感染者数の減少によって再び覆い隠されつつあるにすぎないというわけだ。

「甘いものを食べるの、久しぶりなんです」
冒頭で紹介したユイさんはどうなったのか。

駆けつけ支援の後、福祉事務所にも、シェアハウスの管理会社にも瀬戸さんが同行、交渉した。それにより、生活保護の利用が決まり、住まいからの追い出しもかろうじてまぬがれた。借金についても近く弁護士と相談することが決まっている。

ユイさんは「後は仕事を見つけるだけ。景気に左右されない事務職。できれば契約社員がいいです」と語る。


一時はその日の食べるものにも事欠いたユイさん。取材で話を聞いたとき、ケーキとカフェオレを「甘いものを食べるのは久しぶりです」とおいしそうに平らげた(筆者撮影)
ユイさんには後日、取材で話を聞くために喫茶店で会った。

好きなものを頼んでくださいと伝えると、チーズケーキとカフェオレを注文。カフェオレにガムシロップを2つ入れるとあっという間に平らげ、「甘いもの食べるの、久しぶりなんです」と笑った。

夜の住宅街で初めて会ったときとは別人のように豊かな表情だった。一方で20歳そこそこの若者が甘いものさえ満足に食べられない現実を思う。それこそが、今そこにあるリアルである。
藤田 和恵 : ジャーナリスト


出戻り45歳娘に家を乗っ取られ、気付けばお手伝いさん扱いに<いつまでも甘えてくる娘にうんざり

2021-12-12 12:00:00 | 日記

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大人になれば親子の距離感は変わるもの。かつての守り守られる関係は、親の老いとともにどのようなパワーバランスの変化を見せるのでしょうか。今回は75歳のシズエさんのもとへ、娘のマキさんが二人の子どもを連れて戻ってきたというお話。リタイアして夫婦でのんびり老後を過ごすつもりだったシズエさんでしたが、気が付けば娘の「お手伝いさん」化していて―ー。(取材・文=島内晴美)
戻ってきた娘がいつの間にか一家のボスに
年をとったせいか、このごろ「こんなはずじゃなかったのに」と思うことが多くなったというシズエさん(75歳・仮名=以下同)。15年前、離婚して子ども2人を抱え転がり込んできた娘のマキさん(45歳)が、いつの間にか一家のボスになっているのが、なんだか釈然としない。

「娘が下の子を妊娠中に、彼女の夫が浮気したんです。夫婦で歯科医院を開業したばかりだったのに。娘の怒りは激しくて、3歳の長男と生まれたばかりの次男を連れて実家に帰ってきました」

何とかマキさんを応援したくて、庭に1LKの離れを建て、3人が気兼ねなく暮らせるように母は奮闘した。自身も薬剤師として医療機関で働いていたシズエさんは、歯科医の娘の勤務先を探し、幼い孫たちが寂しくないよう仕事をセーブしながら面倒をみた。


「派遣の歯科医として仕事も順調に入り、収入も上がった娘でしたが、実家の家計を助ける気はないみたいで、生活費もほとんどこちら持ち。もちろん、家賃を払うという発想もないようでした」

夫は年金暮らしだったが、シズエさん自身は仕事を続けていたので、経済的に困るということはない。しかし、親に面倒をみてもらうのが当たり前、と思っている娘に少しずつ不満が高まった。
とうとう家を乗っ取られ
「夫が『マキはいつまで家にいるつもりなんだ?』と私に聞くので、娘に尋ねてみたら、『彼氏ができたら再婚して出ていくわよ』と言う。仮住まいのつもりだから、自分の収入にはできるだけ手をつけず、子どもたちに不自由な思いをさせたくないから教育費も貯めたいと」

独身だったマキさんの兄は、妹が実家に帰ってきて以来寄りつかなくなった。

「孫たちが小学校の高学年になると、子ども部屋が必要だからと言われ、娘家族に母屋を明け渡し、私たち夫婦が離れに引っ越すことになっちゃって。夫は『とうとう家を乗っ取られたな』と愚痴ってましたね。母屋のリフォーム代は娘が自分で出すというので、まあしょうがないかなと思ってしまったんです」


75歳になったシズエさんは、仕事を完全にリタイアすることにした。すると娘は、「これからは子どもたちの食事の支度は全部お任せするわ」と宣言。自分は仕事に没頭したいのだとか。

「毎日孫たちのスケジュールを渡されて、塾に行くまでに軽食の準備、帰ってきたら夜食、夏休み中は朝、昼、晩のおさんどん。完全に娘のアシスタントかお手伝いさん扱いです。80歳になる夫は我関せず。やっと義母と実母を看取ったと思ったら、この年でもう一度子育てなんて、なんだかツイてない人生だなあって思う」
こうなったら長生きするしかない
リタイアしてのんびり老後を過ごすはずが、どこでどう間違ったのかしらと嘆くシズエさん。

娘に言わせると、「子どものころは、お母さんは仕事、仕事で、私はずいぶん放っておかれた。気にかけるのはお兄ちゃんばっかりで、私のことなんてかまってくれなかったでしょ」ということらしい。思い当たる節がないわけではない。

「そのツケをこの年で払わされてるということ? 冗談じゃないとは思うものの、孫たちのことは気にかかるし、面倒をみてやりたいとも思います。彼らが自立するまであと何年かのお勤めだとは思うけど、そのあとも元気でいられるかしらと不安です」


娘はすっかり落ち着き、再婚して家を出ていくと言わなくなった。

「もうこうなったら、夫婦で長生きして娘の世話になるのを楽しみにするしかないわ」と語るシズエさん。とにかく、少しでも長く動ける体でいようと健康に気をつけている。


愛子さまの成年行事に見る「小室劇場の後始末」

2021-12-12 11:00:00 | 日記

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12月1日に二十歳になられた天皇、皇后両陛下の長女・愛子さまの成年行事が5日、行われた。愛子さまは皇居・宮中三殿を参拝し、陛下から勲章「宝冠大綬章」を受け取った。

午後には仙洞仮御所(港区)の上皇ご夫妻の元を来訪。沿道には愛子さまの姿を一目見ようと多くの人が集まった。

皇室にとっては“久しぶり”のおめでたい話題。秋篠宮家の長女・眞子さんと小室圭さんの結婚も本来ならば、国民に祝福されるはずだった。

「結果的に秋篠宮夫妻が眞子さまの熱量に折れて、結婚をお認めになられましたが、半ば〝諦め〟のようなものもあったと思います。結婚から渡米まで異例のスピードで進んでいったのは、12月1日に愛子さまが成人になられるため、それまでに区切りをつけたかったという側面もあると思います」(皇室ジャーナリスト)

それでも“小室劇場”の影響はすべて取り除けなかった。愛子さまで話題となったのはティアラだ。女性皇族は専用のティアラを作るが、国民がコロナ禍に苦しんでいる状況を鑑み、叔母にあたる黒田清子さんから借用した。

「表向きはコロナを理由にしていますが、眞子さんをめぐる一連の騒動で宮延費の使い道に関心が集まってしまったことも大きいですね。源泉は我々の税金で『そんなところに使うな』という議論が出てきてしまった。従来では考えられないことです。そうした国民感情にも配慮したのだと思います」(同・皇室ジャーナリスト)

ティアラは宮廷費から支出され、競争入札で新調される。ちなみに眞子さんの時は「和光」製で、佳子さまは「ミキモト」製で、それぞれ約2800万円だった。

愛子さまの成年行事も本来は誕生日当日の1日に行われてもよかった。しかし、前日に秋篠宮さまが誕生日を迎えられ、会見の内容が解禁に。案の定、眞子さんの結婚に話が及び、小室さんを「夫のほう」「娘の夫」と名指しを避けたことで、再び物議を醸した。

「ワイドショーは再び皇室報道一色になった。愛子さまの成年行事を誕生日から4日後にしたのは、ひと呼吸置く狙いもあったのではないか」(全国紙記者)

愛子さまの会見は年明けか、大学が春休みに入る3月に延びた。インターバルを設けたことで、宮内庁は“小室騒動”の余韻を完全に消し去りたい考えだ。すでにテレビ各社には米国で生活する小室夫妻のプライベートについて“取材NG”が通達されているが、今後も2人の動静報告は必要最小限にとどめられるという。

「宮内庁にとっては、言い方は悪いですが、小室騒動は目覚めの悪い夢のようなもの。愛子さんが成人になられたのを機に、再び皇室の栄華をお支えするためのスタートを切ったわけです」(同・全国紙記者)

もう1つ、余波を受けたのが「女性宮家」の問題だ。安定継承を目的としたもので「女系天皇」「女性天皇」の是非が俎上に乗った。

ところが、小室さんの出現とともに、議論は一旦、棚上げに。明治天皇の玄孫で政治評論家の竹田恒泰氏は6月、自身のユーチューブチャンネルで小室さんを「KK」と表現した上で

「KKが現れたから女性宮家の話が吹っ飛んだ。女性宮家をするってことは、すなわちKKが皇族になる。KKの子供が将来天皇になる。こんなもの通るわけないっしょ」

「KKの破壊力すげー。よくぶっ壊してくれたよ」

と持論を展開。今月の放送のテレビ番組でも

「小室圭さんが出てきたおかげで女性宮家(の議論が)止まったけれども、あの方が出てこなかったら進んでましたからね」

と述べた。

ひとまず終幕した“小室劇場”だが、愛子さましかり、女性宮家の問題しかり、しばらくは「後処理」に追われることになりそうだ。


働きバチのあまりに儚い一生を私たちも笑えない

2021-12-12 08:30:00 | 日記

下記の記事を東洋経済様のホームページからお借りして紹介します。(コピー)です。

 

生き物たちはみな、最期のその時まで命を燃やして生きている──。

数カ月も絶食して卵を守り続け孵化(ふか)を見届け死んでゆくタコの母、成虫としては数時間しか生きられないカゲロウなど生き物たちの奮闘と哀切を描いた『文庫 生き物の死にざま』が刊行された。同書からミツバチの章を抜粋する。

 

一生かけてスプーン1杯の蜂蜜を集める

ミツバチは、その一生をかけて、働きづめに働いて、やっとスプーン1杯の蜂蜜を集めるのだという。

何という憐れな生涯なのだろう。

働きバチは働くために生まれてきた。

ミツバチの世界は階級社会である。ミツバチの巣には1匹の女王バチと数万匹もの働きバチがいる。女王バチから生まれた働きバチはすべてメスのハチである。この数万の働きバチたちは、自らは子孫を残す機能を持っておらず、集団のために働き、そして死んでいくのである。

ミツバチの世界では、たくさん生まれたハチの幼虫の中から、女王になるハチが選ばれる。その選抜の過程など詳しいことはわかっていないが、選ばれた幼虫はロイヤルゼリーという特別な餌を与えられて育つことによって体長12~14ミリメートルの働きバチよりも体の大きな体長15~20ミリメートルほどの女王バチとなる。そして、女王は卵を産み子孫を増やしていくのである。

働きバチにとって、巣の中にいる大勢の仲間は同じ女王バチから生まれた姉妹である。姉妹は親から遺伝子を引き継いでいるから、仲間を守ることが、自分の遺伝子を守ることになる。そのため、彼女たちは巣の仲間のために働くのである。

そして、姉妹の中から女王バチが選ばれれば、そこから生まれる次の世代は、働きバチにとっては姪っ子になる。自らは子孫を残せなくても、自分の遺伝子は受け継がれていくのだ。

ロイヤルゼリーを餌として与えられる女王バチが数年生きるのに対して、働きバチの寿命はわずか1カ月余りである。この間に、働きバチたちは、働けるだけ働くのである。

働きバチというと、花から花へと移動して蜜を集める印象が強いが、働きバチの仕事はそれだけではない。

成虫になった働きバチに与えられる最初の仕事は、内勤である。

働きバチは最初のうちは、巣の中の清掃や幼虫の子守りを行う。

やがて働きバチは巣を作ったり、集められた蜜を管理するなど、責任のある仕事をまかされるようになる。この頃が、働きバチのキャリアにとってもっとも輝かしいときなのだろうか。

働き盛りも過ぎて終わりが近づくようになると……

ミドルを過ぎたミツバチたちに与えられるのは、危険の多い仕事である。

初めにまかされるのが、巣の外で蜜を守る護衛係である。ミツバチにとって巣の外は危険極まりない場所である。出入り口とはいえ、巣の外に出ることは緊張を伴う仕事だろう。

そして、働きバチのキャリアの最後の最後に与えられる仕事こそが、花を回って蜜を集める外勤の仕事なのである。

働きバチの寿命は1カ月余り。その生涯の後半、2週間が花を回る期間である。

まだ見ぬ世界への飛翔。しかし、巣の外には危険があふれている。クモやカエルなど、ミツバチを狙う天敵はうじゃうじゃいるし、強い風に吹かれるかもしれないし、雨に打ちつけられるかもしれない。

蜜を集める仕事は、常に死と隣り合わせの仕事だ。いつ命を落とすやもしれない。一度、巣を離れれば無事に戻ってこられる保証など何もないのだ。

働きバチたちは、そんな危険な世界へと、決死の覚悟で飛び立っていく。

戻ってくるものもいれば、戻ってこられないものもいる。それがミツバチたちの日常だ。

そんな過酷な仕事を、とても経験の浅いハチにまかせるわけにはいかない。このときこそ、経験豊かなベテランのハチの力の見せどころなのだ。老い先の長くないハチだからこそ、巣のためにできることがある。最後のご奉公として、仲間のために、次の世代のために、危険な任務を担うのである。

老いたミツバチはかいがいしく花から花へと飛び回り、蜜や花粉を集めれば、巣に持ち帰る。そして、再び、危険な下界へと飛び立つ。

これを休むことなく来る日も来る日も繰り返すのである。

働きバチの寿命はわずか1カ月余り。

目まぐるしく働き続けた毎日も、やがて終わりを告げる。

女王バチは1日数千個の卵を産む

危険を覚悟で飛び立った働きバチは、どこか遠くで命が尽きる。それはお花畑かもしれないし、そうではないかもしれない。

ミツバチの巣は何万もの働きバチで構成されている。毎日、おびただしい数の働きバチが、どこかで命を落としていることだろう。しかし、それでいいのだ。女王バチは、1日に数千個もの卵を産む。そしておびただしい数の新しい働きバチたちが、デビューしてくるのである。

1匹のミツバチは、働きづめに働いて、やっとスプーン1杯の蜂蜜を集める。

そういえば、労働時間が長く、休みなく働く日本のサラリーマンは、世界の人々から「働き蜂」と揶揄(やゆ)されていた。

そんな日本のサラリーマンの生涯収入は平均2億5000万円。億単位のお金だからものすごい金額に思えるが、札束にしてみれば事務机の上に簡単に置けてしまう。大きなボストンバッグに入れれば持ち運べてしまうサイズだ。

われわれも一生、働いてみても、ミツバチの集めたスプーン1杯の蜜を笑うことはできないのだ。

稲垣 栄洋 : 静岡大学農学部教授