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がんになったら1年で100万円以上必要?「がん治療とお金」の真実を専門家2人が解説

2021-12-07 15:30:00 | 日記

下記の記事をダイアモンドオンライン様のホームページからお借りして紹介します。(コピー)です。

 

同じがんでもかかるお金の額は大きく異なる
左右するのは進行度と「価値観」

「がんと診断された。仕事は、治療はどうしよう?そもそも、がんの治療ってどのくらいお金がかかるのかな」

診断を受けてまず患者が考えるのが「お金」の問題。これまでの連載で述べてきたように、がんは個別性が高い病気だ。同じがん種と進行度でも、本人が感じる苦痛や生活への影響度は全く異なる。治療費についてもそれは同様である。

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「がん治療にかかるお金」はざっくり以下のように分かれる。

まず病院に支払う「医療費」だ。手術費や入院費、それに抗がん剤治療などの薬剤費といったものがこれに相当する。

金額はがんの部位と進行度、そして「価値観」で上下する。「進行するほど入院・抗がん剤投与の期間も長期化するし、再発ごとに治療費がかかる。また人工肛門や乳房全摘を避けたいなど、個人の治療の選択で医療費は大きく変わる」と、自らもがん治療を体験し、がん患者や病院からのマネー相談を受けているファイナンシャルプランナーの黒田尚子氏は言う。

これらの医療費は保険適用で、一定の限度額以上は個人の支払い負担がなくなる高額療養費制度の対象となる。しかし安心するのは早計だ。高額療養費の対象にならないものもある上に、がん治療にかかるのは「医療費」だけではない。

「五大がんで保険適用の標準治療を行う前提だと、1回の罹患の目安は年間100万円だが、それで収まるとは限らない」(黒田氏)

なぜなのか。そしてこれらの出費に対して、どのように備えればいいのか。次ページから見ていこう。

がん治療で忘れがちなのが、食事や差額ベッド代など、病院に払う「医療費以外」のお金。入院が長引くと高額になりがちだ。保険適用外の先進医療の技術費もここに含まれる。そして、この費用には医療費にはかからなかった消費税も加算される。

そして、病院以外に支払うお金もある。例えば抗がん剤治療で脱毛した場合のウィッグや、手術・治療の後遺症でむくみが出た場合の医療用サポーター。遠方の病院に通う場合は宿泊費も含めた交通費。さらに、入院や療養中に家事や育児を外注するための費用。休職中に給料が減る場合の家族の生活費、などだ。

カーディフ生命保険の調査によると、がんになった人が実際に費やしたお金は平均で126万円だった。ところが、「闘病中にもしあれば安心できた金額」は364万円に跳ね上がる。治療して病原を取り除き命が助かりさえすればよし、とするのではなく、闘病中の収入減を補い、生活の質も保ちつつ社会生活に復帰するまでをトータルで考えた場合、かかる費用は、どうしても人の価値観により差が大きくなるからだ。

高額療養費でカバーされない
高額医療費がじわじわ増加中

また、最近のがん医療費は高額化が進んでいる。医療の進化で進行がんでも延命期間が長くなり、治療期間が延びる一方で、最新医療の導入で薬価や治療費も上がっているからだ。

「一定の限度額以上は支払いを免除される高額療養費制度があるから大丈夫でしょう?」と思うかもしれない。だが、実は高額療養費制度を「すり抜ける」治療も最近増えている。下の図は「オプジーボ」などの新薬が保険適用されたことで話題となった、分子標的薬の服薬者を対象にした調査結果だ。

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これによると1カ月の医療費負担が5万円未満の人が全体の47%いるが「これは一般的な収入の人なら高額療養費が適用にならない金額」(黒田氏)という。さらに同調査では、1年以上継続して服薬している人が40%に及ぶという結果も出ている。つまり1年以上月5万円近くの出費が続く人も出ているわけだ。

治療費高騰は深刻な影響を生んでいる。厚生労働省の平成30年度患者体験調査報告書によると、費用の負担が原因で、がんの治療内容を変更・断念したことがある人は全体の4.9%で前回の2.7%から増加した。さらにそのうち69.1%は、保険診療範囲内での治療を諦めている。

再発や転移を繰り返したり、さまざまな治療法を試したりしていると治療費はどんどんかさむ。その結果、食費を削ったり本来の受診時期を患者の独断で延ばしたりするなどの例も増えているという。

ちなみに、前出の分子標的薬の服薬者の40%は保険に非加入だった。なんらかの備えで対応しないと治療が始まってから困ったことになりかねない。では、どのように備えればいいのだろうか。

がん治療費の捻出は公的支援+企業福利厚生
それに私的保険の3本柱が基本

最初に、がん治療費の捻出は公的支援、企業福利厚生、それに私的保険の3本柱が基本だと頭に入れよう。

順序としてはまずは、活用できる公的支援をフルに利用することから始まる。加入している健康保険の傷病手当金、障害年金、それに前出の高額療養費制度が代表例である。ただ「高額療養費の1カ月の限度額は、がん種や進行度ではなく個人の年収で決まる。全く同じ治療を受けている人でも負担額が大きく異なることがある」(がんライフアドバイザー協会代表理事の川崎由華氏)ので、自分の状況をしっかり確認することが必要だ。

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そして、会社員であれば必ず利用するべきなのがその会社独自の支援制度だ。本特集#2『伊藤忠・岡藤会長に“最強のがん対策制度”実現を決意させた「1通のメール」の中身』で紹介したような企業健康組合による追加給付の制度や、#5『がんサバイバーのカルビー常務が「社員のがん対策は経営戦略」と断言する理由』のカルビーのようにGLTD(団体長期障害所得補償保険)に加入している企業なども多いからだ。こういった福利厚生を利用するためにも、がんと診断されても会社を性急に辞めるべきではない。また、あらかじめこのような支援制度がある会社を選んで入社するという手もあるだろう。

がんへの備えでは最も一般的ながん保険にも落とし穴がある。というのも、がんは罹患するまで、自分がどんな手術・どんな治療を行うか予想がつかないからだ。その中で「働き続けたいから通院で服薬の抗がん剤を選んだのに、加入している保険は入院しなければ抗がん剤に対して給付金が下りないタイプだった、などのケースはままある」(川崎氏)。また、保険加入時に存在しなかった先進医療には基本的には対応できない。

多種多様な特約でアピールするいろいろな商品があるがん保険。だがこれらの特約がいざというときに通用しない可能性がある、という点では「診断給付金の額だけに注目して選ぶのは一つの方法」と川崎氏は言う。保険金は一括で先払いされ、その用途は問われないため医療費以外のところにも使える。また、闘病中で体力が落ちているときに、いちいち必要書類をそろえて何度も保険金の請求作業を行う労力も省ける。

いずれにしても、三つの手段をしっかり確認した上で、準備をしておくのが賢明といえる。ちなみに、企業の福利厚生メニューや保険商品の付帯メニューとして、患者のマネー回りの相談に無料で応じるサービスを提供するティーペックなどの企業もある。

がんと診断された後は、団体信用保険付きの住宅ローンなどの各種ローンが新たに組めないほか、一部の例外を除いて生命・医療保険の新規契約ができないなど、ことマネー回りに関してはできなくなってしまうことが多い。治療費はなんとか捻出できてもその後の人生で必要になるお金が調達できなくなる、などのことも想定しなければならない。とにかくさまざまな手段で、備えることが必要である。

 


作家・精神科医の帚木蓬生 白血病になって意識した「解決できない事態に耐える力」を身に付ける方法

2021-12-07 13:30:00 | 日記

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『閉鎖病棟』などの小説で知られる、作家で精神科医の帚木蓬生さん。世の中に立ちこめる不安な空気に押しつぶされないためにも、ある「能力」を身につけることの重要性を説きます。自分らしく生きることにもつながるその力とはーー(構成・撮影=樋田敦子)

「ネガティブ・ケイパビリティ」という考え方

コロナ禍による生活の変化は、私のクリニックを訪れる患者さんの心や体にもさまざまな影響をおよぼしました。孤独や不安を訴えたり、気分が落ち込んでやる気が出なくなる、いわゆる「抑うつ状態」に陥ったりする人が増えたと感じます。

特に中高年の女性たちは、移動を制限されたことによって、介護施設にいる親と面会できなかったり、子どもや孫、友人と会う機会を失ったりして、「寂しい」と口にする人が少なくありません。抱えている思いを話す相手がいなければ、不安は消えないのです。

こうした出口の見えない非常事態のときこそ、医師として「ネガティブ・ケイパビリティ」という考え方を、みなさんにぜひ知ってほしいと考えています。

 

私がこの言葉と出会ったのは、今から35年ほど前。精神科医になって5、6年目のことです。偶然、雑誌に掲載されていた論文を目にしました。当時私は、統合失調症の患者さんを抱えていたのですが、治療してもなかなかよくならず、自分の無力さに失望する毎日だったのです。

ネガティブ・ケイパビリティとは、「どうにも答えの出ない、対処できない事態に耐える力」という意味です。この概念は、もともとイギリスの詩人、ジョン・キーツが19世紀に言及していて、その後、イギリスの精神分析の権威、ウィルフレッド・R・ビオンが発展させました。解決できない事柄の理由を性急に求めず、《中ぶらりんの状態を持ちこたえる》という考え方です。

本来「ケイパビリティ(capabil-ity)」とは、才能や解決処理能力などポジティブなものを指す言葉ですが、この場合はまったく逆で、答えを出さないことに重きを置いています。

人間の脳はもともと「知りたい、わかりたい」という性質を持っているため、わけのわからないものに直面すると脳が苛立ち、とりあえず意味づけをして理解しようとするのです。その「わかりたい」という欲望を制御しながら、結論が出ないまま持ちこたえる力こそが、ネガティブ・ケイパビリティなのです。

どうしたら患者さんによりよい治療ができるのかと悩み、答えを急いでいた私にとっては、ありがたい概念でした。症状が思うように改善しなくても医師として寄り添っていけば、結論を出さなくても悪い方向にはいかない。そう考えられるようになったのです。

60歳で白血病に。治るか治らないかは半々

この概念は、60歳のときに急性骨髄性白血病と診断された私自身の人生においても、大きな助けとなりました。当時の私は、勤務先の病院を辞めて独立したばかり。どうやってクリニックを維持していくのか。代わりにやってくれる医師を手配できるのか……。いっそのこと閉めてしまおうか、などといろいろ悩みました。

まさに解決策が出ない「中ぶらりん」の状態のまま半年間、無菌のクリーン・ルームで過ごすことに。そのときネガティブ・ケイパビリティを意識したのです。

白血病になってしまった事実は変えられない。受け入れるしかない。主治医には、治るか治らないかは半々と言われたけれども、その中ぶらりんに耐えて、明るく最後まで生きていくように気持ちは変えられるはずだ。治るほうに賭けようと思ったのです。

 

そして悟ったのは、今日という日は私に残された人生の第一日だということ。めげてなんていられない。

さっそく妻に頼んで、消毒したパソコンや資料を病室に持ち込み、執筆に没頭。そうして2冊の小説『水神』『ソルハ』を書き上げることができました。あれこれ思い悩まず、忙しくしていた結果だったのでしょう。いまは定期検診に行くだけで、再発の気配もなく病状は落ち着いています。

おもに精神科の現場で用いられるネガティブ・ケイパビリティの考え方ですが、不安や困難に押しつぶされないための「生きる力」とも言えるでしょう。先ほど述べたように、脳には「わかろう」とする性質があるため、読者のみなさんが実践するのは容易ではないかもしれませんが、この力を身につけるためのヒントをお教えしたいと思います。

ネガティブ・ケイパビリティの力を身につけるための3つのヒント

【ヒント1】手っ取り早く答えを求めない

私たちは早く物事を解決しようとするあまり、すぐに手の届くものに頼りがちです。問題解決のためのマニュアルを鵜みにしない、ハウツーものにはまらないことが大事。この新型コロナの感染拡大で、世の中は答えの出ない、中ぶらりんの状態です。

 

「コロナなんか怖くない」「ワクチンなんて打たなくていい」という言説もSNSを中心に飛び交いました。スマホで情報を調べる癖のついた人々は、中ぶらりんに耐えられなくなって、重箱の隅をつつくように詳細な情報を求めてしまいがちです。

 

でも、それでわかったつもりになってはいけないと思います。大多数の意見は得てして眉唾のこともあるので、簡単に賛同してしまうのではなく、少数派になってもいいから、自分の意見を貫いてみる。少数派には真実が宿りやすいのです。

 

【ヒント2】考えないで置いておく

 

働かない息子の将来が心配、姑のあの言動が許せない、酒飲みの夫とは今後どうしたら……など、みなさんさまざまな悩みを抱えていることでしょう。小さな脳みそを働かせて早く解決したいと動くけれど、カッカした状態で考えても、うまくはいきません。

 

コロナ禍の混乱だけではなく、身の回りで起こる問題に直面したとき、焦るのがいちばんよくないので、大きな流れに身を任せる、考えないで置いておく、というアプローチも必要なのです。そうするといつの間にか事態が改善しているということもあります。

 

【ヒント3】日頃から芸術に触れる

芸術や創作活動には、これといった正解やゴールがありません。ずっと中ぶらりんの状態。これはネガティブ・ケイパビリティにも通じるところがあります。

 

ですから芸事を始めてみるのはいかがでしょう。昔好きだったピアノや書道をもう一度やってみる。絵を描いたり小説を書いてみるのでもいい。絵や写真を見て、「なんとなくいいなあ」と思うことがあるでしょう。昨今はそうした柔らかな感性を失いがちなので、今後の人生を豊かにするためにも芸術に触れるのはおすすめです。

これらの3つを意識しておくと、小さなことに思い煩うことなく中ぶらりんの状態を耐える能力が徐々に養われていき、柔軟な生き方ができると思います。

弱った心に効く「目薬」「日薬」「口薬」

とはいえ、どうしても落ち込んだり気分が滅入ったりしてしまう人もいるでしょう。クリニックを訪れる中高年女性に多いメンタルの不調としては、「ひょっとしてどこかに悪い病気が隠れているのではないか」という病気不安症があります。ほかに、めまいや体のしびれなどに悩まされ、診断して病気が見つからなくても自分は重い病気ではないかと不安を訴える身体症状症なども。また、不眠の訴えも尽きません。

こうした患者さんと向き合うとき、私はネガティブ・ケイパビリティの考え方とともに大切にしていることがあります。それは3つの「薬」です。

いつもあなたのことを見ているけれど、こんなに問題を抱えながら本当によくやっていますね、という「目薬」。状況を見守り、必要に応じてサポートしていく方法です。

 

2つめは、人間の小さな脳みそでいくら考えても答えが出ないことがある、それは日々が解決してくれるという「日薬」。時間をかけて何とかしていくうちに、何とかなります。

3つめは、「がんばって」とは決して言わずに、「めげずに、よくここまで来ましたね」と声をかける「口薬」です。こう言うと患者さんは安心するみたいですね。

さらに、日々の暮らしを忙しくすることをすすめます。一通り新聞を読み、日記をつけ、町内会の役職を引き受けるなど、忙しくして暇を作らないことは大事です。悩む時間がないから、忙しい人は病気を口にしません。

悩みや不安があっても焦らず、悩めばいい。ハラハラ、ドキドキの状態もまた楽しんでみてはどうでしょうか。大局に任せれば、自然と出口が見えてきます。

出典=『婦人公論』2021年11月24日号

帚木蓬生

作家・精神科医

1947年福岡県生まれ。東京大学文学部仏文科卒業後、TBSに勤務。2年で退社し九州大学医学部入学。卒業後は精神科医として依存症などに取り組む。作家としても活動し『、三たびの海峡』『閉鎖病棟』『ネガティブ・ケイパビリティ答えの出ない事態に耐える力』など著書多数


三浦百恵さんが取り組む「W介護」と「還暦ピラティス」生活

2021-12-07 12:00:00 | 日記

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時の流れは早いもの。人気絶頂だった’80年10月にファイナルコンサートで芸能界を引退し、その翌月に三浦友和(66才)と結婚した三浦百恵さんが、1月17日、60回目の誕生日を迎えた。

ピラティスに向かう百恵さん。背筋が伸び姿勢の良さがうかがえる。

これで森昌子、桜田淳子とともに“中3トリオ”は、みんな還暦を迎えたことになる。

「自宅にはたくさんのプレゼントや花束が贈られてきたそうですが、盛大なパーティーなどはせず、友和さんとふたりで映画デートを楽しんだそうです。百恵さんは引退後、主婦として2人の子供の母親として過ごしてきた。ここ数年は、同じ敷地内の別棟に住む友和さんのご両親の介護に忙しく、友和さんは感謝しきりです。だから休みの日は家事や介護ストレスを少しでも和らげようと、外食や映画、お芝居に百恵さんを連れていく。誕生日も“いつもの休日”のように、夫婦水入らずで過ごしたようです」(三浦家の知人)

結婚から38年たっても、ふたりのおしどり夫婦ぶりはまったく変わらないようだ。

芸能界を引退後は、表舞台から完全に姿を消した百恵さん。往年のファンとしては、現在の姿が気になるところだが、還暦を迎えてなお、彼女の“美貌”と“オーラ”は健在のようだ。

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誕生日の翌日、黒いパンツに黒いダウンコートをはおった百恵さんが向かったのは、都内にあるピラティスのスタジオだった。

ピラティスとは「心と体の調和」をテーマに、自分の呼吸に集中しながらインナーマッスルを鍛え、理想の体づくりを目指していくもので、ヨガと並んで中高年女性の間で大人気のエクササイズの1つだ。 「ダイエットはもちろんのこと、体のゆがみを矯正することで姿勢が美しくなるし、筋力もアップするのでけがの予防にもなるそうです。百恵さんはパーソナルトレーナーをつけて、マシンなども使って本格的に取り組まれているようです」(同じスタジオに通う客)

長男の三浦祐太朗(34才)は歌手として、次男の三浦貴大(33才)は俳優として、共に芸能界で活躍中。ファンとしては百恵さんとの親子共演も期待したいところだが、「本人は芸能界に復帰する気持ちはまったくないようです」(前出・知人)とのこと。


「なぜ女性天皇を検討しないのか」今の「皇室典範」が抱える構造的な"欠陥"

2021-12-07 11:00:00 | 日記

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現在、天皇陛下の次の世代で、皇位継承権を持っているのは、秋篠宮家の長男、悠仁さまだけだ。神道学者で皇室研究者の高森明勅さんは「現在の皇位継承にかかわる制度は、“構造的”な欠陥を抱えている。それをそのまま放置すれば、やがて皇位継承者が不在になるのは避けられない」と説く――。

※本稿は、高森明勅『「女性天皇」の成立』(幻冬舎新書)の一部を再編集したものです。

「立皇嗣宣明の儀」でお言葉を述べられる天皇陛下=2020年11月8日、皇居・宮殿「松の間」

 

「女性・女系天皇、議論せず」

令和2年(2020年)2月16日付「読売新聞」の1面トップに「女性・女系天皇 議論せず/政府方針 皇位継承順位 維持/立皇嗣りつこうしの礼後に確認」というスクープ記事が載って、皇位継承の行方に不安を抱く人たちを驚かせた。この記事の一部を紹介すると、次の通り。

 

「政府は、皇位継承のあり方をめぐる議論で女性・女系天皇を対象としない方針を固めた。男系男子が皇位を継ぐ皇室制度を維持する。秋篠宮さまが継承順位一位の皇嗣となられたことを広く示す『立皇嗣の礼』が行われる4月下旬以降、こうした考えを確認する見通しだ」

「政府はこれまで、非公式に学識経験者らに接触し、それぞれの意見を聞き取ってきた。これを踏まえ、女性・女系天皇を実現するための法整備は見送ることにした。公の場で議論を行うための有識者懇談会も設けない方向だ」

「性別にかかわらず天皇の直系子孫の長子(第一子)を優先した場合……秋篠宮さまの皇嗣(皇位継承順位が第1位)としての地位見直しにつながるだけでなく、悠仁ひさひとさまが天皇につけない可能性も出てくる。そうなれば、『皇室の安定性を損ないかねない』(政府関係者)と判断した」

 

なぜこのタイミングで新聞に出たのか

 

この記事のポイントは3点。

 

その1は、政府の方針として、皇位継承をめぐる制度改正を検討する際に、“女性天皇・女系天皇”の可能性はあらかじめ排除するということ。

 

その2は、この問題をオープンに討議する諮問機関(有識者懇談会?)を設けないということ。

 

その3は、今の制度のもとでの皇位継承の順位(第1位=秋篠宮殿下、第2位=悠仁親王殿下、第3位=常陸宮ひたちのみや殿下)は変更しないということ。

 

こうした方針を「立皇嗣の礼」挙行後に「確認する見通し」なのに、何故このタイミングで(いわば未確認のはずの)情報が早々と新聞に流れたのか。おそらく、政界や世論の反応を探ろうとする政府サイドの意図的なリークと考えるのが、自然だろう。

 

政府が「非公式に学識経験者らに接触し」ていた事実は、この報道が出る前から私はつかんでいた。と言うのは、“接触”を受けた「学識経験者」の当事者(複数)から、婉曲にその事実を伝えられていたからだ。ちなみに私自身への接触はなかったが。

明治の皇室典範にあって今の皇室典範にないもの

この記事が、皇位継承のあり方に関心をもつ人々を驚かせたのは何故か。

 

政府は、上皇陛下のご譲位を可能にした皇室典範特例法の附帯決議によって、「安定的な皇位継承を確保するための諸課題」について検討することを“約束”させられていた。にもかかわらず、そのためには決して避けて通ることができないはずの「女性・女系天皇」という“課題”を、議論の対象から外してしまった。これはすなわち、附帯決議への“ゼロ回答”以外の何ものでもないからだ。

 

皇位継承の行方を不安定なものにしてしまっている原因とは何か。現在の皇室典範がかかえる「構造的」な欠陥が原因だ。

 

では、その構造的欠陥とは何か。それは、明治の皇室典範では“セット”で制度化されていた、①正妻以外の女性(側室)のお子様(非嫡出子)やその子孫(非嫡系)であっても、皇位継承資格を認めることと、②皇位継承資格を「男系の男子」というかつて例を見ない極めて“窮屈”な条件に縛ること、という2つのルールのうち、①を除外しながら、②“だけ”を採用していることだ。

 

 

「男系の男子」をどう確保するのか

たったお一方だけの天皇の正妻(皇后)から代々、必ずお一方以上の男子がお生まれになることを期待するのは、無理だ。

 

そこで以前、「男尊女卑」(男性を尊重し、女性は男性に従うものとして見下すこと)の考え方が社会に広く行き渡っていた時代には、「男系の男子」を確保するために側室の存在が公然と認められ、制度化さえされていた。

 

側室のお子様も、継承順位の点で嫡出子の後ろに回されていたものの、継承資格が与えられていた事実がある。これは当時の価値観に照らして、特に非難されるべきことではなかった。

 

しかし、現代においてそのようなルールが許されるはずはない。現に、昭和22年(1947年)に制定された今の皇室典範では、非嫡出子(および非嫡系)には継承資格を認めていない(第6条)。ならば、側室の存在と非嫡出子の継承可能性を前提としてこそ可能だった、「男系の男子」という継承資格の“縛り”も一緒に解除するのが当然だった。しかし、それは見送られていた。

 

これこそが今の典範の「構造的」欠陥だ。

 

従って、附帯決議で約束した通り皇位の安定継承を本気で目指すのであれば、「男系の男子」という縛りの見直し、つまり「女性・女系天皇」の可能性を視野に入れた議論が欠かせないはずだ。しかし、それを「対象としない方針」であれば、まさにゼロ回答と言わざるをえない。

 

国民の代表機関である国会との約束であり、しかも極めて重要な皇位継承にかかわる課題に対し、あまりにも不誠実な政府の対応ぶりだった。

「立皇嗣の礼」の2つの不審点

先の記事に「『立皇嗣の礼』が行われる4月下旬以降、こうした考えを確認する見通し」とあった。しかし、新型コロナウイルス感染症の感染拡大の影響により儀式の挙行が延期され、実際に行われたのは同年11月8日だったことは周知の通り。

 

改めて振り返ると、この「立皇嗣の礼」については2つの不審点が残っている。

 

1つは、そもそもこのような前代未聞の儀式を行うべき必然性があったのか、ということ。

 

もう1つは、この儀式が天皇陛下のご即位に伴う“一連の儀式”と位置づけられたことだ。

 

これらについては、一般にその奇妙さがほとんど気づかれていないと思うので、少し触れてみたい。

 

まず「立皇嗣の礼」それ自体の不可解さについて。

 

これについて考える場合、「皇嗣」と「皇太子」の違いをきちんと整理しておく必要がある。

 

 

「皇嗣」と「皇太子」の決定的な違い

「皇嗣」は“(その時点で)皇位継承順位が第一位の皇族”を一般的に意味する。これに対して、その皇嗣が“天皇のお子様(皇子)”である場合、特に「皇太子」という称号をもたれることになる(皇室典範第8条。お孫様なら「皇太孫こうたいそん」)。

 

具体例をあげて説明しよう。今の天皇陛下の場合、平成時代は「皇太子」でいらっしゃった。上皇陛下(当時は天皇)のお子様で、もちろん皇位継承順位は第1位。だから「皇太子」。皇太子は“次の天皇になられることが確定したお立場”だ。その事実を内外に広く宣明するために行われるのが、近代以降の「立太子りつたいしの礼」である(前近代の場合は、この儀式によって皇太子のお立場が固まった)。ちなみに、天皇陛下の立太子の礼は平成3年(1992年)2月23日、満31歳のお誕生日当日に行われている。上皇陛下の時は昭和27年(1952年)11月10日、「成年式」(加冠かかんの儀ぎ)に引き続いて挙行された。

 

誤解してはならないのは、皇太子の場合、お生まれになった瞬間、又は父宮が即位された瞬間に、次の天皇になられることが「確定」する。儀式はただ、その既定の事実を“宣明”するまでのこと。前近代とは儀式の意味合いが異なっている。

 

ところが、皇太子・皇太孫つまり「直系の皇嗣」ではない、「傍系の皇嗣」の場合はどうか。儀式の“前”に、すでに皇嗣のお立場になっておられる点では、皇太子と事情は変わらない。しかし、次の天皇になられることが必ずしも“確定していない”という点で、大きく異なっている。これはどういうことか。

「立皇嗣の礼」がなかった秩父宮

これも実例で説明しよう。昭和天皇の弟宮だった秩父ちちぶの宮みやの例を取り上げる。

 

高森明勅『「女性天皇」の成立』(幻冬舎新書)高森明勅『「女性天皇」の成立』(幻冬舎新書)

秩父宮は大正天皇の第2皇子として明治35年(1902年)6月25日にお生まれになった。お名前は雍仁やすひと親王。「大正」から「昭和」への改元当時、昭和天皇には皇位継承資格をもたない女子(照宮てるのみや成子しげこ内親王)しかおられなかった。そこで、昭和天皇のご即位に伴い「皇嗣」になられた。現在の秋篠宮殿下とちょうど同じパターンだ。

 

その後も、昭和天皇のお子様は女子が続いた(第2皇女・久宮ひさのみや祐子さちこ内親王、第3皇女・孝宮たかのみや和子かずこ内親王、第4皇女・順宮よりのみや厚子あつこ内親王)。この間、ほぼ8年間、秩父宮は皇嗣であり続けておられた。しかし、「立皇嗣の礼」などは行っておられない。それは何故か。傍系の皇嗣の場合、皇太子(皇太孫)と違って、次の天皇であることが“確定”したお立場ではないからだ。

 

実際、昭和8年(1933年)12月23日に昭和天皇の第1皇子(つまり「皇太子」)として上皇陛下がお生まれになった瞬間に、その時まで皇嗣であられた秩父宮の皇位継承順位は、皇太子の次の“第2位”に変更された。そのため、もはや「皇嗣」ではなくなられたのであった。

 

 

非礼で不敬な儀式だった

このように、傍系の皇嗣は継承順位の変動がありうるお立場だ。その点で皇太子とはまるで違う。ならば、「立太子の礼」を挙行する理由はあっても、「立皇嗣の礼」を行わなければならない必然性はないだろう。従来、このような儀式が行われなかったのは、その意味ではごく当たり前のことだった。むしろ、令和の時代に前代未聞の立皇嗣の礼が行われたことの方が不可解なのである。

 

なお、映像をご覧になった人であればすぐ理解できるように、この儀式の主役はもちろん天皇陛下ご自身だ。陛下が、秋篠宮殿下が皇嗣であられる事実を内外に宣明されることが、この儀式の主眼だ。秋篠宮殿下が主役の行事と勘違いしている人もいたようなので、念のために付言しておく。

 

ただし、これは憲法上の“国事行為”。なので、「内閣の助言と承認」によって行われ、「内閣が、その責任を負ふ」(第3条)べきものだ。内閣の意思によって行われ、天皇陛下や秋篠宮殿下ご自身のお考えとは直接、関係がない。

 

そこで少し立ち止まって考えてみると、立皇嗣の礼というのは、単に前代未聞というだけでなく、客観的には天皇・皇后両陛下が今後、決して「直系の皇嗣」には恵まれられない、という見立てを前提にしなければ行えないはずの行事であることに思い至る。実はかなり非礼で不敬な儀式だったことになろう。

 

高森 明勅(たかもり・あきのり)

神道学者、皇室研究者

1957年、岡山県生まれ。国学院大学文学部卒、同大学院博士課程単位取得。皇位継承儀礼の研究から出発し、日本史全体に関心を持ち現代の問題にも発言。『皇室典範に関する有識者会議』のヒアリングに応じる。拓殖大学客員教授などを歴任。現在、日本文化総合研究所代表。


愛子さま 大学でもスーパープリンセス!知られざるキャンパスライフ

2021-12-07 09:00:26 | 日記

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12月1日、20歳の誕生日を迎え、成年皇族となられた愛子さま。宮中三殿へのご参拝や、ティアラを付けローブデコルテをお召しになっての両陛下へのご挨拶など、主な成年行事は誕生日当日ではなく12月5日に行われた。

 

宮内庁によると、このご日程となったのは、誕生日当日は平日であり、愛子さまの大学の授業があるからとのことだった。学業優先の姿勢を、いち早く示された形となった。

 

愛子さまは現在、学習院大学文学部日本語日本文学科の2年生。ご入学直前に深刻化したコロナ禍の影響で、一度も大学で講義を受けられていないが、現在はどのような学生生活を送られているのだろうか。

 

「愛子さまは、学習院幼稚園時代から名簿などには敬宮(としのみや)愛子と記されていて、お友だちからは敬ちゃん、愛ちゃんと呼ばれています。それは大学生になってもお変わりありません」

 

と明かすのは、学習院の生徒。愛子さまは、皇族というよりも同級生の一人としてご友人たちとお付き合いされてきたのだ。

■TPOに合わせてお召し替えを

 

授業をオンラインで受けられるなか、学習院大学の目白キャンパスに登校されたのは新入生のガイダンスに出席された昨年の10月24日のみ。登校時には、グレーのスカートに紺のジャケットを合わせたややかしこまった装いで報道陣の取材をお受けになった。愛子さまは、「大学では新しい知識を得たときに感じられる喜びを大切にしながら、様々なことに取り組んでいければと思っております」と、マスクをされていても笑顔とわかる表情で学生生活の抱負を語っていらした。

 

その後、ガイダンスに出席された際には、紺のジャケットではなく淡いブルーのカーディガンにお召し替え。学生らしいカジュアルな装いで臨まれた。

 

「ガイダンス会場では、学生は1席ごとに空けスペースをとって座りました。愛子さまもほかの新入生と同じ列に並んで着席し、周辺に座っていた何人かの同級生と話をされていました。記念撮影に応じたり、初対面の人には『お名前はなんと言いますか?』などと話しかけて交流するなど、フレンドリーに接されていました」(前出・学習院生)

 

学生たちにも心を配られながら、交流を楽しまれていた愛子さま。愛子さまが通われている日本語日本文学科は2年生になると日本文学系と教育系に分かれる。学部のHPの説明を見ると、〈本学科では、古代から現代に至る日本語・日本文学を中心とする日本の文化(日本語日本文学系)、及び日本語教育(日本語教育系)に関心のある学生を受け入れ、研究と教育を行っています〉とある。愛子さまは日本文学系を選択されたという。

課題からもわかるスーパープリンセスぶり

 

授業はオンラインでも、課題やレポートの提出に真剣に取り組まれているようで、愛子さまの“スーパープリンセス”ぶりが発揮されているそう。

 

「愛子さまが提出したレポートが、授業のなかで教授に取り上げられることも少なくないです。内容は論理的で新しい視点も盛り込まれていますし、素晴らしいとしか言いようがありません。その上、文章から謙虚なところもうかがえるのです。真面目な生徒の間でも『愛子さまの課題のレポートはすごいね』と話題になることもあります」(前出・学習院生)

 

こうしたところにも、誠実でまじめな一面がうかがえる。また、勉強にかける時間が長く、コロナ禍で外出も完全にお控えになっているため、時間のあるときには、職員たちとバレーボールやバドミントンなどをされ、軽い運動を心がけているという。

 

「新型コロナウイルスの感染拡大が終息し、みなさまが普段通りの生活や活動ができるようになることを心より願っております」

 

昨年10月、こう話されていた愛子さま。1日も早く、大学に自由に通い、新しいご友人たちと過ごせる日が来ることを願いたい。