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オミクロン株、3回目ワクチン、後遺症…新型コロナ情報

2021-12-20 19:24:38 | 日記

下記の記事は日経ウーマン様のホームページからお借りして紹介します。(コピー)です。

 

第6波はオミクロン株? 今までのウイルスとの違い

夏以降、新型コロナウイルスの感染者数も減少し、少しは日常生活を取り戻しつつあるなか、新たな変異ウイルスが登場した。南アフリカ政府が新たな変異ウイルスと発表してほんの数日で瞬く間に世界で感染が確認され、日本国内でも早々に感染者が見つかっている。

オミクロン株と名づけられた変異ウイルスは、細胞内に侵入するカギとなる、ウイルス表面のスパイクたんぱく部分に30の変異がある。そのため従来のワクチンで効くのか心配されているが、ワクチンを供給するファイザー社は、「3回目のワクチン接種で高い効果が得られることが確認された。もし必要な場合は、ワクチンを再設計し、100日以内には供給することもできる」と発表。モデルナ社は、オミクロン株で現行のワクチンの有効性を検証中で、効果が低い場合は新たなワクチン開発を検討。塩野義製薬も、同変異ウイルスに対する追加接種用ワクチンの開発を検討している。

現時点では、オミクロン株は感染力は強いものの、感染しても軽症で済んだという人が多いよう。「たとえ国内でオミクロン株の流行が拡大しなくても、遅かれ早かれ第6波は来ると考えておいたほうがいい。各国の状況を見ても、ワクチン接種で感染者数が収まった後に感染者が急増している。引き続き感染対策を」と東京理科大学生命医科学研究所の久保允人教授はいう。

英国ではワクチン接種後も感染が拡大

早くにワクチン接種が始まり、一旦流行が抑まったかに見えた英国では、6/11~7/11の「UEFA EURO 2020(2021)」(サッカー欧州選手権)直後に感染者が急激に増え、 7/19に規制を解除。その後感染者が増大した。ただし、死亡者数は低く横ばいで、「感染するけど重症化はしない」というワクチンの効果が見られているという。(データ: 英国政府による情報サイトGOV.UKより)

女性に多い後遺症 記憶力の低下や脱毛が長引く人も

国際医療研究センター国際感染症センターの調査によると、新型コロナウイルス感染症の後遺症は、女性ほど倦怠(けんたい)感や味覚・嗅覚障害、脱毛が多い傾向にあったという。

女性のほうが後遺症が残りやすい

回答者の多くは軽症者で、女性と若者、やせ型に後遺症が出現しやすいことが明らかに。数字は男性有症者数との比較。(データ: 国際医療研究センター発表資料より)

(※この記事は2021年12月初旬時点の情報です)


人生100年時代!知っておくべき「女性の老化」の特徴

2021-12-20 15:30:00 | 日記

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人生100年と考えると、女性の場合、ちょうど中心にくる50歳前後の閉経が大きなターニングポイントに。今からどういった考え方で、何をすべきかという“健康戦略”を紹介していきます。2回目の今回は、女性の老化は、男性とはどう違うのかということについて、データをもとに解説します。

人生100年時代、女性にとって意識したいのは、健康寿命を伸ばすこと。「そのための対策は、60代、70代から始めるのではなく、より若いころから心がけたい」と話すのは横浜労災病院産婦人科部長の茶木修さんだ。その最も大きな節目は、50歳前後の閉経だ。

東京都健康長寿医療センター研究部長の大渕修一さんは「女性の健康寿命に影響する最大の要因は“足腰の衰え”であることがわかってきた」と指摘する。

例えば、要介護になった原因を男性と比較したところ、変形性ひざ関節症など関節疾患は男性の約3.3倍に、骨粗鬆症など骨折転倒は約1.6倍に及んだ(データ4 次ページ参照)。

こうした女性の足腰の衰えの大きな原因に、閉経期に起こる骨密度の急激な低下や関節の弱まりがある。そこで、茶木さんは「閉経前に一度、骨密度を測定し、閉経後の経過を見ておくといい」という。特に母親が骨粗鬆症の場合、娘は注意が必要だという。骨密度の推移を見て、「骨密度低下に女性ホルモンが大きく影響している人の場合は、ホルモン補充療法で早めに骨粗鬆症の対策をすることも可能だ」と茶木さんは話す。

もう一つ重要なのは、筋肉量の維持だ。大渕さんは「筋肉は、弱くなった関節をサポートしてくれる。筋肉量を維持するため、早いうちから運動習慣をつけたい。運動は認知機能低下の予防にもつながる」と話す。

閉経期には血圧が上がったり、脂質異常症になりやすかったりするが、運動は、血管ケアにも役立つ。まずは運動で、いつまでも動ける体の土台づくりを!

100歳まで元気でいるには? 女性の老化に関わる5つのデータ

女性の体を守ってくれていた女性ホルモンは、閉経期を境に激減する。それが男性との大きな違い。この「大きく変化する体」に合わせ、生活習慣を変えることが健康の秘訣だ。

【DATA1】男女ともに平均寿命はどんどん伸びている

データ:グラフも数値も厚生労働省の「平成28年簡易生命表」より

2016年の男性の平均寿命は80.98歳、女性の平均寿命は87.14歳。50年間で女性は15歳近く伸びている。まだまだ伸び続ける可能性があり、16年生まれの女性が90歳まで生きる割合は49.9%と推測されている。

【DATA2】女性は男性より介護が必要な期間が長い

データ:2018年3月9日、厚生労働省発表データ

介護を受けたり寝たきりになったりせずに日常生活を送れる年齢を示す「健康寿命」は、男性72.14歳、女性74.79歳。平均寿命から健康寿命を引いた年数は、介護を必要とする“不健康期間”。実は、女性は男性より長い。

【DATA3】閉経後には男性よりも女性ホルモンが減ってしまう

データ:J Clin Endocrinol Metab;86,3555-3561,2001

閉経による女性ホルモン低下は急激だ。しかも「閉経後の女性の女性ホルモン値(エストラジオール値)は、男性よりも低くなってしまう。このことが閉経後の女性にさまざまな体の変化をもたらす」と茶木さんは指摘する。グラフは年代ごとの値を表したデータだ。

【DATA4】男性よりも骨関節疾患で要介護になる

データ:平成28年国民生活基礎調査より大渕さんが分析

どのような原因で要介護になったのかについて大渕さんが男女で解析したところ、女性は男性と比較して関節疾患によるものが3.3倍、骨折転倒によるものが1.6倍となった。一方、脳卒中などは男性のほうが2倍多い。

【DATA5】閉経後に脂質異常症や高血圧になりやすくなる

データ:平成28年国民生活基礎調査より女性のデータを集計

女性ホルモンは、血管をしなやかに保つ働きがある。だから、閉経後の女性は、血圧が高めになりやすい。また「肝臓の脂質代謝が変化して悪玉コレステロール(LDLコレステロール)の数値が高くなりやすい。糖尿病も発症しやすくなる」と茶木さんは説明する。

だから、骨を守る対策が重要!

閉経による女性ホルモン低下の影響を最も受けやすく、健康寿命に関わるのが骨。骨を守ることが第一だ。また、しなやかな血管を守る生活習慣も心がけたい。

次回は、今から始めよう!人生100年時代のための3つの健康習慣【3】を紹介する。

茶木 修さん

横浜労災病院 産婦人科部長 医学博士

横浜市立大学医学部卒業。産婦人科医の立場から骨粗鬆症の治療や研究を行う。「女性の骨密度には、若いころのダイエット経験も影響する。若い年代から、骨の健康維持を意識しておくことが大切」。

大渕修一さん

東京都健康長寿医療センター 高齢者健康増進事業支援室 研究部長 医学博士

国立療養所東京病院附属リハビリテーション学院卒業。米国ジョージア州立大学大学院保健学研究科修了。毎年、板橋区の約1000人の高齢者を調査。「女性は尿もれがあると、外出しなくなり、足腰にも影響する」。


元不登校の青年 親に言えなかった学校での出来事

2021-12-20 13:30:00 | 日記

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「あなた生きているだけで幸せ」という親の言葉、第三者に認められたことが生きる希望に。親が人生を楽しむことも子どもの救いになる  * 子育て・教育
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不登校の子の居場所についてリポートする本連載。今回は中学1年生の時から1年半の不登校を経験し、現在25歳の浅見直輝さんに、居場所を求めていた当時の思いや、不登校に悩む親子に向けたこれからの活動について聞きました。高校進学後、偏差値43から猛勉強を経て早稲田大学へ進学した浅見さんは、TEDにスピーカーとして登壇したり、数千名の不登校親子に向けた講演を行うなど、積極的な社会活動を行っています。親からは見えにくい、不登校生の心の中はどのようだったのでしょうか。上下2本に分けてお送りします。

学校が学ぶ場所ではなく傷つく場所になった
 子どもが学校に行きたくないという様子を見せたら、大人はまずそこに必ず理由があるだろうと考えます。その理由を子どもに確かめて、親が介入するべき原因があるならそれを解決して無事に学校に通ってほしい。そう思うのは親として当たり前の感情でしょう。
 ところが、学校に行けない理由を明確に話してくれる子どもはあまりいません。取材時、不登校時代の話をしっかりと語ってくれた浅見さんでも、当時はそうだったのだそうです。親に理由を言えない心理とはどういうものなのでしょうか。
 「それは僕にとって学校が学ぶ場所ではなくて、傷つく場所になったことがとても大きく影響していたと思います。子どもが学校に行かなくなると、大人は『どうして学校に行かないの?』と思い、子どもに問います。でも、当時の12歳だった子どもの僕にとっては『傷つく場所に行く理由がどこにあるの?』といことだったのです」
 浅見さんにとって、なぜ学校が傷つく場所になったのか。発端は、中学一年前期の理科の授業にさかのぼります。
 浅見さんが通っていた首都圏近郊の公立中学はやんちゃな生徒も多く入学する学校。浅見さんは、入学してからしばらくはそんな彼らの標的にならないよう、どこかビクビクしながら学校に通っていたそうです。そんなある日、理科の授業中に事件が起こりました。クラスのやんちゃ者たちが、ひとつ間違えば大きな事故につながるいたずらをしでかし、理科の先生を怒らせたのです。
 そのことはすぐ、厳しい担任教師の耳に入り、帰りの会で「ちょっとでも迷惑を掛けたと思うやつは手を挙げろ!」とカンカンに。渋々手を挙げたやんちゃ者たちは、帰りの会が終わったら生徒指導室に来るよう命じられ、一件落着……となるはずだったのですが、そこからまさかの展開が浅見さんを襲ったのです。
「おまえは一番の卑怯者だ!」という担任の言葉に耳を疑った
 教室で帰りの支度をしていた浅見さんにやんちゃ者たちは「おまえもやっていただろ」と言いがかりをつけてきます。もちろん、浅見さんは一切関わっていません。浅見さんは、彼らの標的となったのです。
 「心の中では『何も関係ないのに』と叫んでいたものの、学校にはヒエラルキー的なカーストがあります。もしここで逆らえば、やんちゃ軍団に目を付けられて、この先の中学校生活の中でもっと嫌な目に遭うかもしれない、そんな予測も頭に浮かびました。結局、僕は何も言い返せず彼らと一緒に生徒指導室に行ったわけですが、そこで先生から耳を疑うような言葉を浴びました。『おまえだけはみんなの前で手を挙げずに、後からコソコソと来やがって。おまえが一番の卑怯者だ!』」
 浅見さんは、生徒指導室で担任からの罵声を集中的に浴びせられ、やんちゃ生徒にも先生にも標的にされて、苦しい気持ちでいっぱいでした。
 「今思うと、担任の先生は日々の業務量が多過ぎて生徒と向き合うゆとりがなかったのかもしれないし、教師として生徒を厳しく律するべきだと考えた結果だったのかもしれません。僕にとっては理不尽な結果でしたが、弁明したところで担任に信じてもらうことは難しそうだったし、『僕じゃありません』と言えば、後からやんちゃ者たちに『チクっただろ!』と言われるのは目に見えていました。
 心のどこかで担任に『分かってほしい』と思う気持ちはあったと思いますが、悔しさもむなしさも心の中に封印するしかなく、1年半にわたる僕の不登校はこの事件をきっかけに始まりました」
親に理由を言えないのは、拒絶されるのが怖いから
 学校を休んで一人ぼっちで家にいる浅見さんの心には、「クラスの人になんて言われているのだろう、みんなに悪口を言われているかもしれない」と、ネガティブな考えが次々と浮かんできます。学校や教室がさらに怖くなっていき、「学校に僕の居場所はないんだ」と思うようになっていました。孤独で、自分には一人も味方がいない、世界中が敵だと思っていたそうです。
 「あまりにも僕が変わってしまったので、親は僕が傷付いていることに気づいていたと思います。今振り返ってみると、僕は一人で抱え込んでいた苦しさを親や周囲の人に気付いてほしかったのかもしれません。とはいえ、親に心配をかけたくないのもあり、そこに至った理由はどうしても周囲に伝えることができませんでした。
 親からすると、『どうして学校に行けない理由を話してくれないのだろう』と思うかもしれません。子どもにとって親は一番身近な大人です。親に『自分を認めて欲しい』という気持ちは、誰しもが持っています。親に学校であった事を話して、もし反発されたり批判されたりしたら……。ただでさえ深く傷つき、親が最後の頼みの綱なのに、その親にも拒絶や否定をされることは絶望的に悲しいことです。だから、そうなることを恐れて、親に話すことができなかったのです」
仲良し家族が、僕の不登校によって暗闇の中へ
 学校に行かなくなった浅見さんは、すべてを拒絶するようになり、自暴自棄になっていきました。「子どもの僕にとって一番苦しいのは、親を傷つけてしまうことでした。親が悲しむ原因のすべては、僕が学校に行かないことにある。そう思うと、罪悪感がどんどん膨らんでいきました」
 浅見さんの家は通学路沿いにあり、登下校時には外から同級生の声が聞こえてきます。そうなると学校を連想せざるを得なくなり、つらい気持ちが湧き上がってきます。学校に行かないとダメだと思うものの、浅見さんにとって学校は傷つく場所になっているので、行くことができません。すると、親が悲しむ。親の悲しい表情を見るのはつらいので、自分が学校に行くしかない。でも、怖くてやっぱり行けない。そして親も落ち込み、自分もさらに落ち込む。その悪循環にはまっていた、と浅見さんは当時を振り返ります。
 「以前は親子の会話がたくさんあったし、休日の度に皆で出掛けるなど、とても仲がいい家族でした。けれど僕の不登校が始まってからは、家族も暗闇の中に陥り、いつからか両親がけんかをしている光景を目にするようになりました。両親のけんかの声が聞こえてくるたび、僕は自分を責めました。当時の僕は、『自分が生きているだけで、周りの人がどんどん苦しんでいく、僕がこの世の中からいなくなったほうが家族のためになる』と、心の底から思っていました。
「もう一度生きてみよう」と思うことができた、母の言葉
 ある日のこと、浅見さんは生きることへのつらさに耐え切れず内服薬を摂取し過ぎて、ひと晩中嘔吐が止まらなくなります。5分おきに台所の流しに駆け込み、苦しんで横になっている浅見さんの背中をずっとさすってくれたのが、お母さんでした。流しに行くときも、そっとついて来てくれました。
 「このときの感覚は、今でもはっきりと覚えています。その時僕は初めて、『お母さんは何があっても僕の味方をしてくれる』と心から感じました。。
 また、不登校の間、母に『直輝が生きてくれているだけで、お父さんとお母さんは幸せだよ』と言われたこともあります。心の中では、その言葉を聞いてとてもうれしく感じました。ところが、僕は『思ってもねえことを言うな、くそ!』と返してしまったんです」
 これまで2000名以上の親子に出会ってきた浅見さんは、不登校児の中にはうれしいと感じているのに暴言を吐いてしまう「あまのじゃくな子」が多いように感じているそうです。「実際、僕自身もそうでした。しかし、『もう一度生きてみよう、生きていてもいいんだ』とそう思えるようになったのは母のこの一言がきっかけでした」
 「直輝が生きているだけで幸せだよ」という言葉は、25歳となった今でも浅見さんの勇気の源となっているそうです。
親も子も冷静な判断ができないとき、第三者の存在はとても重要
 不登校を続けていた浅見さんが、自分以外の人に心を開くきっかけになったのは、教育支援センターの女性相談員Sさんとの出会いです。
 「それまでの間に出会った大人は、僕が学校に行っていないことを知ると『なんで学校に行かないの?』とか、『どうしたら通えるようになる?』などと言って、原因を突き止めようとする人が多数でした。
 その場しのぎで僕が『学校に行く』と言えば喜ぶし、『やっぱり行けない』と言うと怒られたり、諭されるのです。ところが、Sさんは違いました。相談室での会話中、僕が『学校、行ってなくて』と言うと、Sさんはこう言いました。
 『へえ、そうなんだ。でさ、きのうの巨人対阪神戦、見た?』。 僕が『……あ、はい、見ました』と答えると、Sさんは『そっか、直輝くんは野球が好きなんだね! すごい試合だったよね! 直輝くんはどっちを応援してたの?』こう続けました」
 たった数十秒の会話でしたが、浅見さんは大きな衝撃を受けたといいます。Sさんは浅見さんが学校に行ってようが、行っていまいが、態度がなんら変わらない人でした。学校に通っていても通っていなくても、浅見さん自身と会話をして、どんなことを好きなのか、何に興味があるのかを見てくれました。浅見さんは、自分の存在そのものを認めてくれたような気がして、心の底からうれしくなったと思い返します。
 「子どもはみんな自分のことを認めてほしいと思っているので、一人でもそういう人に出会えると心が大きく変わっていきます。生きる希望が湧いてくるんです」
 そしてSさんと出会った教育支援センターは、浅見さんだけでなく、家族にとっても大きな支えになっていきました。「子どもが学校に行けず苦しんでいたら、親だって苦しい。苦しいのは、子どもだけではないはずです。また、当事者であればあるほど冷静な判断ができなくなるので、家族を支えるためにも親以外の第三者の存在はとても重要だと思います」と浅見さんは外部支援の存在意義について話します。
 「ちなみに後から聞いたのですが、両親は僕に何度も優しい声掛けをしてくれていたそうです。でも、僕は気付いてすらいなかった。子どもはなかなか親に心を開けないですし、親に認めてもらいたいと思いながら、なぜか親の愛を拒否してしまうこともあります。そういう意味でも第三者による家族の支えはとても大事だと思います」
楽しそうな母の姿を見て、心が楽になった
 学校に通わず心を閉ざす子どもと、どうすれば会話できるようになるだろう? どうすれば子どもが外に出られるようになるだろう? と悩む親に向けて、浅見さんは「子どもの好きなことを起点にするのが特に重要な鍵だ」と話します。
 「ゲームでもなんでも構いません。その子が興味を持っていること、好きなことに親も興味を持ち、それに向き合ってくれたら、子どもはすごくうれしい。そこから途絶えていた親子の会話が再スタートした例をいくつも知っています。
 好きなことをエサにして何か別のことをさせるのではなくて、親御さん自身が一緒になって子どもが好きなことに興味を持ってくれることがポイントです。僕の場合も、一緒になって興味を持ってくれる姿勢が本当にうれしかったです。親が、自分の存在を肯定してくれたような感覚になるんです。」
 親子で楽しむだけでなく、親自身が人生を楽しむことも大切にし、親が笑顔でいてほしいと浅見さんは話します。それは浅見さんが、お母さんから学んだことなのだそう。「母は、あるときからやけに外出するようになりました。それは『直輝を笑顔にするには、まずは自分が笑顔にならないといけない』と思ったことがきっかけで、好きなアーティストのライブなどに行っていたようです。母がそんなふうに考えて、行動に移してからは、確かに家の中の空気が大きく変わっていきました。表情が柔らかくなっていく母を見て、僕もまた心が楽になっていったんです」
 子どもが苦しい思いをしているのは親にとってつらいことですが、逆もそうです。親が苦しい表情をしているのは、子どもにとって一番苦しいこと。苦しみをお互いに感じ合い、負のスパイラルにとらわれてしまいます。しかし、親が元気になることが、子どもが元気になる鍵になるのでしょう。
 「母が何かを楽しんで、母自身の心が元気になることが僕にとっては一番励みになり、元気になる鍵でした。親が元気じゃないのに子どもを元気にするのは難しいことです。今、悩んでいるお母さんやお父さんはぜひ心から何かを楽しんでください。これは親自身の想像をはるかに超えるほど、子どもにとって、とても大きいことです。
 僕の母の場合も、わが子が不登校なのに、笑顔になるなんて難しいことだったと思います。しかし、その、難しいながらも元気になろうとしている母の姿からも、僕は勇気をもらいました。親の笑顔は子どもにとって最大の幸せだと思います」
取材・文/小山まゆみ


デマが事実として炎上ネタに…池袋暴走事故の加害者家族が伝えられなかった本当のこと

2021-12-20 12:00:00 | 日記

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殺人事件などの凶悪犯罪では、被害者家族には公的なサポートが広がりつつある。一方、加害者家族の場合はどうか。長年にわたり加害者家族を支援し、『家族間殺人』(幻冬舎新書)を書いた阿部恭子さんに聞いた――。
「重大事件の容疑者家族は保護できない」

――阿部さんは、犯罪加害者の家族支援のひとつに報道対応をあげていましたが、具体的にはどんなサポートを行うのですか?

私たちが報道対応を本格的に実践したのが、「野田市小学4年女児虐待事件」からです。

2019年1月下旬、千葉県野田市のアパートで、父親から凄惨せいさんな虐待を受けた小学4年生の女児が亡くなりました。前年にも東京都目黒区で、少女の虐待死事件が起きていたために、社会的な注目を集めて報道が過熱しました。そして世間は、被害者に同情し、加害者、そして加害者家族を激しく糾弾しました。

事件の報道後、私は、父親の妹、つまり女児の叔母から連絡をもらいました。警察に相談しても「重大事件の容疑者家族は保護できない」と言われ、連日、自宅に詰めかける報道陣への対処に苦慮しているというのです。

しかも家族は、逮捕された女児の父親との面会も認められず、事態を把握できないまま報道陣から身を隠すような生活を余儀なくされていました。

私たちが千葉県柏市で会見をセッティングしたのは、事件から1年ほどが過ぎた2020年2月のことです。裁判員裁判に向け、加害者家族に対して報道陣が再び殺到すると予想されました。そこで、私がメディアの窓口になって情報を提供する代わりに、加害者家族への取材を控えてもらうようお願いしたのです。

メディアスクラムを組まれ日常生活が送れなくなる
事件後、家族は住み慣れた町を離れました。相談者や彼女の幼い子どもたちも、ようやく新たな環境に慣れはじめた時期です。報道陣による執拗しつような取材で、再び転居を強いられることがないようにサポートを必要としていたのです。

事件後に加害者家族が転居するケースは少なくありません。メディアスクラムのなかでは、高齢の家族が通院することも、子どもが通学することも、買い物に出かけることもできなくなります。

隣近所の人から面と向かって非難されなくても、申し訳なさから肩身の狭い思いをする人もいます。事件を境に、当たり前だった日常を送れなくなってしまうのです。
玄関に張り紙を貼りメディア対応の窓口になる
――記者会見以外には、どんな報道対応がありますか?

逮捕直後から支援が行えるのなら加害者家族には、あらかじめ私の名刺を多めにわたしておきます。報道陣から取材を受けたら、窓口は私だと名刺をわたして伝えてもらうようにしています。加害者の家族が自宅から身を隠している場合は、玄関に私の連絡先を書いた張り紙を貼ってもらいます。

とくに重要なのは誤報の訂正です。SNSの普及で間違った情報でもどんどん拡散されてしまう。野田の事件でも、殺された女児の父親が、妹(相談者)をいじめていたというデマが広まっていました。それなのに、犯罪加害者の家族には訂正するすべがない。

私たちはSNSで間違った情報が広まるたび「SNSでこういう話が出ていますが、これは誤報です」と記者会見やメディアなどを通じて、間違いを指摘しています。

加害者家族の多くは生活を建て直すために転居を強いられます。しかしSNSで拡散されれば、何度転居しても、かつての犯罪が掘り起こされ、逃げ場すら奪われて、社会復帰すらままなりません。

――SNSへの書き込みについては、「加害者に対する社会的制裁だ」と容認する風潮があります。

それも大きな問題ですね。ネット上に残った誤報は、デジタル・タトゥーとして何世代にもわたり、家族の名誉を傷つけてしまいます。誤報はSNSだけの問題ではありません。捜査段階で間違った情報が流れることもある。メディアは警察発表をそのまま使うから、間違った情報が“事実”として定着してしまう。

「高級フレンチ」ではなく「普通の洋食屋」だった
最近では、2人が死亡し、9人が負傷した「池袋暴走事故」がそうです。

事故後、車を運転していた飯塚幸三氏が逮捕されなかったのは、旧通産省工業技術院の元院長という「上級国民」だからとされ、世間から激しいバッシングを受けました。たとえば飯塚氏は事故発生直後、「救急車が到着する前に息子に携帯電話をかけていた」と報道されました。でも、事実は違うんです。

――どういうことですか?

息子さんが飯塚氏から電話を受けたのは事故の55分後です。警察発表をもとにメディアが「事故直後に息子に電話した」と報じた結果、飯塚氏が息子に揉み消しを依頼したというデマに変わってしまいました。

さらに、「フレンチレストランを予約していて、遅れないように急いでいた」とも報じられました。メディアは「上級国民」を強調したかったのでしょう。でも、そのお店は「フレンチ」というイメージにはそぐわないような普通の洋食屋で、飯塚氏は懇意にしていたので遅れてもかまわない状況でした。

事故当時は、飯塚氏の家族が何を語ったとしてもバッシングが加熱するだけ。沈黙するしかありませんでした。飯塚氏と家族は、世間からの激しいバッシングにさらされました。でも、彼一人を極悪人として攻撃しても、決して社会はよくなりません。
デマを訂正することで加害者家族の未来を守る
重大事件の家族をサポートする過程で、私は間違った情報を訂正していく意味に改めて気づきました。この活動は、飯塚氏の家族を支えるだけでなく、犯罪加害者の子どもたちの将来のためにもなるんだ、と。

――どういうことでしょう。

阿部恭子『家族間殺人』(幻冬舎新書)阿部恭子『家族間殺人』(幻冬舎新書)
犯罪加害者となった人物に、幼い子どもがいるとします。いつかその子が成長したとき、自分の親について、親の事件について調べると思うんです。そのとき目に入ってくるのが、事実を無視した記事や、感情的なコメントばかりだったらどう受け止めるでしょうか。きっと大きなショックを受けるはずです。

でも、そのなかに少数だとしても、事実に基づいた記事や、家族の思いなどが残されていれば、少しは救われるのではないか。私は、そんな子に、世の中は間違った情報を垂れ流す人ばかりではないと知ってほしい。いい意味でのデジタル・タトゥーもあるんじゃないか、と思うんです。

「加害者側の言い分や主張なんて信じるな」「罪を犯したのだから制裁を受けるのが当たり前だ」……。

私たちの活動や姿勢に対して、そうした批判もあります。実は、私はそうした意見もあるべきだと思っているんです。情報を取捨選択して判断していくのは、一人一人の市民です。だからこそ、知りえた事実を残していく。それも加害者遺族の支援として必要だと考えています。(第3回に続く)

(聞き手・構成=山川徹)

阿部 恭子(あべ・きょうこ)
NPO法人World Open Heart理事長
東北大学大学院法学研究科博士課程前期修了(法学修士)。2008年大学院在籍中に、社会的差別と自殺の調査・研究を目的とした任意団体World Open Heartを設立。宮城県仙台市を拠点として、全国で初めて犯罪加害者家族を対象とした各種相談業務や同行支援などの直接的支援と啓発活動を開始、全国の加害者家族からの相談に対応している。


愛子さまは沿道の声に涙ぐまれ…ティアラを渡した黒田清子さんが“ほっとした表情”を浮かべた理由

2021-12-20 11:00:00 | 日記

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愛子さまはご成年行事の合間に涙ぐまれ…ティアラ借用を快諾した黒田清子さんが“ほっとした表情”を浮かべた瞬間(佐藤 あさ子/文藝春秋)

12月1日、天皇皇后両陛下の長女・愛子さまは20歳の誕生日を迎えられた。日曜日の12月5日には、主な成年行事に臨まれ、愛子さまは美しいローブ・デコルテ姿を披露された。

 

アップにセットされた御髪には紀宮さま(現・黒田清子さん)から借用されたティアラが煌めき、シャープで細めなデザインのネックレスや、上質なシルクで仕立てられた潔いホワイトのローブ・デコルテがとてもよくお似合いだった。全体的にシンプルな装いが若々しさを引き立てていたように思う。

女性皇族方はドレスをお召しになる時、万が一、裾を踏んで体勢を崩すことがないように用心されるという。愛子さまは事前にしっかりと練習されたのだろう、一歩一歩慎重に歩みを進めるお姿は初々しかった。

随所に“雅子さま流”のエッセンスが

特に、愛子さまの身長を生かしたIラインを演出するローブ・デコルテのデザインや、テーラードカラージャケットのマニッシュさ、ドレスとジャケットでリンクするような地模様など、雅子さま流のエッセンスが随所に散りばめられている。

雅子さまは皇后陛下として母として、晴れの日の愛子さまのお召し物に相当力を注いでおられたのではないかと拝察している。雅子さまと愛子さまの親しいご関係があってこそ、よくご相談されて作り上げられたスタイルだったのだろう。

愛子さまの立居振る舞いは両陛下そっくり

岸田文雄首相ら三権の長から祝賀を受けられる愛子さまのお姿や、愛子さまがご成年に当たってのご感想として綴られた文章に接して、ご成年の節目を心からお祝いした人は多かったのではないだろうか。お小さい頃からのご様子を報道などを通じて拝見しているだけに、国民にとっても“東宮家のお子様”であった愛子さまは特別な存在なのだとあらためて実感した。

長年、愛子さまのご成長を見守ってきた宮内庁関係者はこう話す。

「愛子さまは気品あふれるお姿で、ご立派になられました。しばらくは学業を優先されてお出ましの機会が限られるでしょうが、愛子さまが公務をなさるというと今後は非常に注目されることになるでしょう。祝賀を受けられるご様子を拝見して、背筋を伸ばされた姿勢やお辞儀が美しく、立居振る舞いは両陛下そっくりだと思います。陛下もさぞお喜びのことでしょう。

東宮妃時代から雅子さまはご療養を続けられ、愛子さまには一時ご登校の問題などもおありでした。そういった苦しい時代がありましたが、天皇陛下は弱音一つおっしゃらずにお二人を支えてこられました。陛下のぶれないご姿勢が、愛子さまのご成長に結実したものと思います」

 

愛子さまは涙ぐまれたようなご様子で……

この日、取材をしていて心に残る場面は多かった。中でも、ローブ・デコルテをお召しになった愛子さまが上皇さまと美智子さまにあいさつをされるため、お住まいである仙洞仮御所(旧高輪皇族邸)を訪れられたご様子を感慨深く拝見した。

愛子さまのお姿を一目見ようと仙洞仮御所前にはたくさんの人が集まり、時間を追うごとに列は長くなっていった。愛子さまを乗せたセンチュリーが通過する時、車内は薄暗かったにもかかわらず、一際輝くティアラの存在感に圧倒された。白い手袋をお召しになった愛子さまは手をお顔の近くまであげて、小刻みに振り、集まった人々の祝意に応えられているようだった。

仙洞仮御所に40分ほど滞在された後、お発ちになる愛子さまは満面の笑みを浮かべられていた。乾門から皇居へお帰りになろうとする愛子さまに、沿道の人々が「愛子さまー、おめでとうございます」と次々に声を掛けると、愛子さまは感極まった表情を浮かべられ、涙ぐまれたようなご様子だったという。

「元皇族として天皇皇后両陛下をお支えしていく」

愛子さまのご成年をお祝いするため、秋篠宮さまや佳子さまをはじめとする皇族方が次々と皇居へ向かわれるなか、三笠宮妃百合子さまがお出ましになったことには驚いた。98歳というご年齢を感じさせない気迫で、ドレスとお帽子をお召しになり、真っ直ぐ前を向いておられた。

高円宮家の三女・守谷絢子さんは、結婚式後に「皇族の一員に生まれるということは、天皇皇后両陛下をお支えすることだと教わりながら育ちました。今日をもって私は皇族を離れますが、元皇族として天皇皇后両陛下をお支えしていくということに変わりはございません」と話したが、天皇ご一家との関わりを大切に思われていることが伝わってくる。この日、愛子さまのご成年をお祝いされた方々にも同じような思いが共有されているのではないだろうか。

 

ティアラ借用を快諾した黒田清子さんも祝賀に

黒田清子さんも、夫の慶樹さんとともに皇居を訪れた。愛子さまはドレスを新調された一方で、コロナ禍による国民生活などへの影響を考慮され、今回ティアラを新たに作ることは見送られた経緯がある。

「天皇の娘として、同じ立場で成人を迎えた経験を持つ陛下の妹の黒田清子さんに相談したところ、清子さんは快諾し、愛子さまは深く感謝しながらティアラを借りて行事に臨まれることになった」(FNNプライムオンライン、11月21日)という。

黒田清子さんがほっとした表情を浮かべた瞬間

もう一つ、忘れがたい場面がある。黒田清子さん夫妻が皇居を後にする時のことだ。慶樹さんが車を運転し、清子さんは助手席に座っていた。清子さんはいつも穏やかな表情で感情をあらわにしない方だが、それでもこの日は充足感に満ち、ほっとしたような表情を浮かべていた。お帽子にパールのような装飾がほどこされ、気品が漂う装いだった。

「黒田清子さんと愛子さまは、叔母と姪という立場でお会いになる機会がありました。黒田清子さんにとって、“天皇陛下のご長女”というご自分と同じ立場である愛子さまへの思いはひとしおのようで、やはり同じ内親王とはいえ、秋篠宮家のご姉妹とはまた違った見方をされていたのではないでしょうか。だからこそ、愛子さまからティアラ借用のご相談があった時、快諾されたのだと思います。

黒田清子さんは内親王として上皇后陛下を支え続け、愛子さまも雅子さまをお支えになる存在になっていくのではないでしょうか」(前出・宮内庁関係者)

2022年、愛子さまは成年皇族として元旦の新年祝賀の儀に初めて臨まれることになる。1月2日の新年一般参賀は2年連続の中止が発表され、ビデオメッセージが検討されているようだ。コロナ禍であることは変わらないが、学業に専念される傍らで愛子さまはどのような公的な活動をなさるのだろうか。注目が集まる愛子さまの記者会見は来年3月中旬頃に行われる予定だという。