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人生相談:老いた母親に優しくできない私はダメな娘?

2021-12-08 15:30:00 | 日記

下記の記事をハルメクWeb様のホームページからお借りして紹介します。(コピー)です。

 

「50代からの女性のための人生相談」は、専門家がハルメク読者のお悩みに答えるQ&A連載です。今回は55歳女性の「母親に優しくできない」というお悩みに、仏教の教えをわかりやすく説いて「穏やかな心」へ導く住職・名取芳彦さんが回答します。

50代からの女性のための人生相談・16

目次

  1. 55歳女性の「母親に優しくできない」というお悩み
  2. 名取芳彦さんの回答:普通に感謝して接すれば、それでいい
  3. 一緒に過ごした時間・空間、共通の経験を再確認しよう
  4. 子を持って知る親の恩…母と娘の共通項を作る大切な作業
  5. 慈悲の「慈」は相手に楽を与え、「悲」は苦しみを除くこと

55歳女性の「母親に優しくできない」というお悩み

私は一人っ子で、15歳で父が他界してから母と二人で暮らしていました。28歳で結婚してからは主人の両親と同居していますが、最近実母に認知症の症状が見えてきました。

 

母との仲は悪いと言うわけじゃないのですが、私は母に対して好きという感情が昔からあまりないのです。母は、ああしなさい、こうしなさいが多く、苦痛に感じていましたが、それに反発することもなく私は大人になりました。

 

義父母と同居するようになってこんな押し付けのない、自尊心を傷つけない親もいるのかと思うと、こういう育て方をしてもらいたかったなと、いまだに思ってしまいます。

 

お金の苦労は、まったくなく育ててもらいました。89歳で一人で今までがんばってきた母に、感謝と尊敬の気持ちはもちろんありますが、優しくできるときと、嫌味を言いたくなるときがあり、優しくできなかったときは自己嫌悪に陥ります。

 

これから先、これの繰り返しなのかと思うと、自分を責めながら生きていかなきゃならないのでしょうか? できれば、今、まだ母が元気でいるうちに優しく接して生きていきたいです。

 

私には2人の子どもがいますが、義母を見習い、自尊心を大事に育てています。今後のために、アドバイスをいただけたら助かります。よろしくお願いします。

 

(55歳女性・ホカロンさん)

名取芳彦さんの回答:普通に感謝して接すれば、それでいい

実のお母さんを無理に大好きにならなくてもいいでしょうし、優しくできないときの自分をそれほど責めなくてもいいと思います。普通に感謝して接すれば、それでいいですよ。

 

そこで、お母さんに感謝しているあなたが、普通に接するための心構えと優しさについてお伝えします。

自分のことを、母に優しくできないダメな娘だと思うことがあるようですが、「私は、まだまだだ」と思うのは、とても良いことです。お母さんに優しく接するため(結果的に心穏やかに生きるため)の「はじめの一歩」です。ダメな自分に気付くから直していけるのですから。

 

それは、学校のテストと同じ。テストの目的は、良い点数を取ることでなく、できないところを浮き彫りにすることです。できたところはそれ以上勉強しなくてよいことがわかり、できないところがハッキリするので、あとはそこを勉強すればいいのです。

 

あなたの場合も「お母さんに優しくできないことある」とハッキリしたのですから、そこをクリアすれば、100点満点の娘になれます。

一緒に過ごした時間・空間、共通の経験を再確認しよう

優しさは、仏教で言えば慈悲です。慈悲は「相手との共通項に気付くこと(持つこと)」が発生源だと私は考えています。

 

知らない者同士が「その日の天気」を口にするのは、共通の話題によって心の距離が縮まるのを、意識しなくてもわかっているのです。

 

場所が話題になって「私も行ったことがある」と話が盛り上がるのは、共通項に気付いて、優しさの蕾(つぼみ)が膨らむからでしょう。

 

私は「これ、おいしいよ」と家内にすすめられれば、共通項を作るために(優しさを発生させるために)「へぇ!どれどれ」と言って食べます。一緒に食事をするのも、大切な共通項作りだと思います。穀物(禾)を口にしながら、共に過ごす時間が「和」を生み出します。

 

すでに、あなたとお母さんには、数えきれないほどの共通項があるはずです。これまでの人生で、一緒に過ごした時間・空間、共通の経験を再確認することで、優しく接することができるようになります。

 

直接会えなくても大丈夫。電話で話すだけでも「話題」と「時間の共有」という共通項が生まれます。

子を持って知る親の恩…母と娘の共通項を作る大切な作業

子どもの頃に口うるさかったお母さんのことがまだ気になっているようですが、お母さんが口うるさかったのには、それなりの理由があったでしょう。

 

自分も親になった今だからこそ、その理由を考えてあげてみてください。それこそが、口うるさかった当時のお母さんの気持ちを共有して、あなたとお母さんに共通項を作る作業になるからです。

 

「確かに、お母さんは私のことをわかってくれようとしなかった。でも、夫に先立たれて、思春期真っただ中の一人娘の私をどう育てればいいのか悩んでいたお母さんの気持ちを、私もわかろうとしなかった」と、互いに“相手の気持ちをわかろうとしなかった”という共通項に気付けるかもしれません。

慈悲の「慈」は相手に楽を与え、「悲」は苦しみを除くこと

さて、仏教で説く慈悲の「慈」は相手に楽を与えること、「悲」は相手の苦しみを除くことです。

 

あなたがしてきた子育ては、おいしいご飯を作ったり旅行に連れて行ったりして子どもたちに楽を与え、病気になれば医者に連れて行って薬を飲ませ、子どものつらい気持ちに寄り添う・苦しみを除くなど、慈悲の実践そのものだったでしょう。

 

実は、お母さんへの接し方も、子育てと同じなのです。お母さんにとって何が楽なのかを考えて、それを提供し、どんなことで苦しんでいるのかを推し量って、それを取り除いてあげればいいと思います。

 

何で楽を与えられるかわからないなら、お母さんの誕生日やあなたの誕生日に「生んでくれてありがとう」とごちそうするのもいいでしょう。

 

認知症の症状が見えてきたお母さんにとっては、おっしゃることを受け入れて(同意しなくてもいいのです)、否定の言葉を返さずに接するだけでも、楽を与え、苦を除くことになります。

子どもは親を越えることで成長すると言われます。子どもの頃にお母さんから自尊心を傷付けられたあなたは、義理の両親と出会うことで、我が子の自尊心を大切にする人になりました。

 

その点で、あなたはお母さんを越えたのです。お母さんより、ひと回り人間的に大きくなったのですから、大きな心で接してあげてみてはいかがでしょうか。

回答者プロフィール:名取芳彦さん

なとり・ほうげん 1958(昭和33)年、東京都生まれ。元結不動・密蔵院住職。真言宗豊山派布教研究所研究員。豊山流大師講(ご詠歌)詠匠。写仏、ご詠歌、法話・読経、講演などを通し幅広い布教活動を行う。


空室だらけなのには理由がある…老人ホーム選びのプロが教える「地雷施設」の見分け方

2021-12-08 13:30:00 | 日記

下記の記事をプレジデントオンライン様のホームページからお借りして紹介します。(コピー)です。

 

「老人ホーム」はなにを基準に選べばいいのか。老人ホームコンサルタントの小嶋勝利さんは「空室の多いホームは難ありである可能性が高い。また質の高い老人ホームほど、職員教育に力を入れている。組織図をみて、職員教育の専門部署の有無を確認するといい」という――。

※本稿は、小嶋勝利『間違いだらけの老人ホーム選び』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

写真=iStock.com/SvetaZi

※写真はイメージです

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いつでも空室を抱えているホームはダメ

老人ホームには二つあり、それは、相性が良いホームと悪いホームです。これが私の持論です。しかしながら多く人は、そうは言っても「相性だけでなく、客観的に良いホームはあるはずだ」と考えるのではないでしょうか。では、その「良いホーム」とは何か。その解説をしていきましょう。

入居率、入居維持率の双方が高いホームは、一般論として「良いホーム」と考えて問題はないと、私は考えています。逆に、何時までたっても、空室ばかりのホーム、いつでも多くの空室を抱えているホーム。このようなホームは、悪いホーム、ダメなホーム、と言ってよいはずです。

老人ホームの入居基準、受け入れ態勢は、きわめて曖昧で、介護看護職員に大きく左右されます。そうである以上、次のようなことが言えます。

能力の高いホーム長や施設長、介護職員や看護職員が働いているホームは、どのような状態の入居者でも受け入れることができるので、その結果、空室は少なくなります。

逆に、空室がなかなか埋まらない老人ホームは、配置されている職員の質が低いため、“多少難あり”という入居者の受け入れを拒絶してしまいます。空室が多いホームは問題アリのホームなのです。

 

良いホームは受け入れる前提で検討してくれる

良いホームとは空室がないホーム、という理解でかまいません。したがって、良いホームに自分の親を入居させたいと考えているならば、空室のないホームを探して入居させるということになります。

空室のないホームは、空室待ちのホームです。空室があったからといって、これ幸いと急いで入居することはお勧めできません。

多少、考慮しなければならないことは、入居希望者の身体状態の評価について時として、医療と介護の立場の違いによって、議論が起こることです。この人に入ってもらっていいのかどうか、判断が割れるケースがあるのです。

私の経験で言うなら、ダメなホームは、入居を断る方向で双方が調整に入り、良いホームは、多少難のある入居者ではあっても、どうすれば自分たちのホームで受け入れることが可能なのかを考える、という違いがあるということです。

組織図に職員教育の専門部署があるか確認しよう

もう一つ、良いホームの条件を記しておきます。

ほとんどの人が、ホーム選び時に際してほぼ無視していることですが、良い老人ホームは、職員教育に力を入れています。

ちなみに、ホームに対して「職員教育に力を入れていますか?」と聞けば、「もちろん、力を入れています」と、どのホームも回答します。しかし、私が知る限りはその逆で、多くのホームは「職員教育」に力を入れていません。正確に言うと、「職員教育どころではない」というのが本音だと思います。

外から見て、どんなホームが職員教育を熱心にやっているのかといえば、ホームや会社の組織図が確認でき、「教育部」「指導部」のような専門部署があるかどうかです。

さらに、その部署が、どこにあるかも重要です。教育に熱心なホームでは、社長など経営者の直下に置いているケースもあります。これは、「介護職員の教育は、社長である自分が直接、関わっていく」という強い意志の表れです。

もちろん、絵に描いた餅であることも少なくはないため、ちゃんと機能しているかどうかの確認は必要ですが、それは、施設長やホーム長をはじめとする現場職員と話をすれば、おおむね判断することができるはずです。

写真=iStock.com/byryo

※写真はイメージです

 

老人ホームにおける職員教育が重要なワケ

私が老人ホームにおいて、なぜ「教育部」という組織の存在が重要だと言っているのか、おわかりになりますでしょうか?

多くの老人ホームの場合、老人ホーム内で介護や看護業務を実施しています。そして、その介護と看護業務を実施している者が現場職員です。当たり前のことです。

つまり、現場職員は、ホーム内で提供される介護看護業務の「質」そのものだと言っても過言ではありません。現場職員の質が高ければ、そこで提供されているサービスの質も高い、という当たり前の事実がここにあります。

介護サービスの質を上げるには、介護職員の質を上げるこが何よりの大切、ということになるのです。そして、それを日夜、指導、教育をしている組織が恒常的に存在しているとことが重要になるのです。

空室待ち物件にアプローチする2つの方法

空室のないホームはよいホーム。それでは、どのようにして、空室のないホームに入居をすればよいのでしょうか。方法は2つあります。

1つは、事前に予約をしておく方法です。「空室が発生したら連絡ください。必ずホームに入りますから」と言っておけばよいのです。もちろん、この場合の「空室が出たら」とは、死亡退去のことを指します。つまり、今、入居している誰かが亡くなって空室が出たら連絡をもらう形です。もちろん、多くのケースでは、在宅でそのホームの空室を待つことができないでしょうから、自宅で待機するのではなく、他の場所で待機することになります。

老人ホームの入居者の中には、最終的には「特養ホーム」に行きたいという希望を持つ人が多くいます。つまり、特養ホームの待機場所として、老人ホームに入居しているのです。理由は明確。価格が安いからです。その人が退所した場合にも空室ができます。

事前予約で良いホームに入るためには、当然、当該ホームのことをよく理解しておくことが重要です。そのために実践しなければならないことは、ホームの見学とホーム長、施設長、さらには介護や看護職員との面談です。

しかも、何度も見学や面談をするべきです。中には、当該ホームにボランティアとしてかかわり、ホーム内のことを理解する努力をしている方もいます。介護職員、看護職員など、どのような人たちなのか? ここの評価が一番重要になります。

もう1つの方法として、友の会のような会員組織に入会するというパターンがあります。これは予約ではなく、当該老人ホームのファンクラブに入会するというイメージです。一定の時間をかけて、入居予定のホームのことを理解していくことができます。

そして、一番大切なことは、この2つの行動は、要介護状態になる前から準備をしなければならないという点です。老人ホームに親を捨てるという考えであれば、難しいでしょう。親と一緒に老人ホームのこと、介護のこと、を考えていくことが、重要なのです。

このような労力に値するホームは、自身の予算に見合ったホームであるということは当然の話です。現実的なレベルで考えていかなければなりません。

 

老人ホーム選びで口コミは訳に立たない

例を挙げて説明します。ある人の口コミです。

「Aホームは、ひどいホームです。介護職員はたくさんいるにもかかわらず、近くで着替えをしている入居者がいても無視。よく見ると、その入居者は手が不自由で、必死の形相で洋服の着替えに悪戦苦闘しています。気の毒に見えました。しかし、介護職員は、そんな入居者のことなどおかまいなしで、反対側の入居者とたわいもない話を笑顔でしています。何度もチラチラ見ているので、着替えで困っているということは認識していたはずです。ひどい介護職員です。こんなホームに親を入れると大変です」

こういう口コミだったとしましょう。

介護に対する知識と教養を持っていない人が、この文面を見れば、「ひどい介護職員」だと考えるはずです。しかし、私はこう考えます。このホームは自立支援が売りのホームです。特に、このホームの自立支援は、残存機能を維持していくことに力を入れています。本人が、あきらめない限り、このホームでは残存機能をフルに使うことを「良」としています。したがって、手伝うことはしません。手伝うケースは、本人がギブアップした時だけです。

もし、こういう情報や知識が事前に知っていたら、この口コミの評価はどう変わるでしょうか? 何度もチラチラ見ていたということは、気にかけて様子を伺っていたとのでしょう。つまり、私のような専門家からすればそのホームは、ひどいホームとかひどい介護職員という評価にはなりません。むしろ、自立支援に真剣に取り組んでいるホームということになります。口コミを信じてしまうと、本当の姿が見えなくなることが多いのです。

体験入居やショートステイはいつもと違う営業モード

体験入居も、あてにはなりません。老人ホームでは「まずは体験入居をしてみてはどうでしょうか?」という提案をしています。その提案に対し、多くの入居相談者は「なるほど」と共感し、体験入居に進みます。そして「このホームでいいんじゃない」という結論に至り、入居を決めてしまいます。

小嶋勝利『間違いだらけの老人ホーム選び』(プレジデント社)

また、体験入居とほぼ同じ意味合いで「ショートステイ」というものがあります。ショートステイとは、数日から1週間程度を目安に、当該ホームにステイすること。体験入居と違うところは、料金体系です。

体験入居やショートステイは、ホーム側からすれば営業目的です。不快な思いをさせないよう、気を使います。実は、多くの職員には歓迎されていないのです。この制度や仕組みを前向きには受け止めていません。理由は手間がかるからです。職員は、可能な限り業務を平準化している為、いつもと違うことに対する違和感は、かなりのストレスになります。

さらに、体験入居者、ショートステイ入居者に対する支援で労働比重が重くなるため、本入居で何カ月間も住んでいる入居者に対する支援が手薄になってしまいます。体験入居の時はすぐきてくれたのに、本入居になったとたん、ナースコールを鳴らしても、忙しければ「待たされる」という現象が起きます。

だから、体験入居などでホームの介護実態を知ることは、無意味なことだと私は考えています。

小嶋 勝利(こじま・かつとし)

老人ホームコンサルタント

神奈川県生まれ。長年、大小さまざまな老人ホームに介護職員や施設管理者として勤務後、有料老人ホームのコンサルティング会社AFSONを設立。介護施設紹介センター大手「みんかい」の経営スタッフとして活躍中。(株)ASFON TRUST NETWORK常務取締役。公益社団法人全国有料老人ホーム協会業務アドバイザー。著書に『誰も書かなかった老人ホーム』『老人ホーム リアルな暮らし』(共に祥伝社)、『老人ホームの金と探し方』(日経BP)、『もはや老人はいらない!』(ビジネス社)など。


上沼恵美子、「夫源病」で別居した夫に「私を励まして」とメールを。届いた返信は偉そうだったけど、胸に響いた 2021年11月30日 芸能 人間関係 話題 インタビュー 上沼恵美子。

2021-12-08 12:00:00 | 日記

下記の記事を婦人公論.jp様のホームページからお借りして紹介します。(コピー)です。

 

27年間続いた『上沼恵美子のおしゃべりクッキング』が来春終了というニュースが流れた上沼恵美子さん。仕事も人生も一段落の時期かと思いきや、長年「ネタ」であった夫との別居、ライフワークとして取り組んできた『快傑えみちゃんねる』の突然の終了と、コロナ下で大きな変化を経験することに。今、その心中に去来する思いとは──(構成=社納葉子 撮影=霜越春樹)

歳をとるのは寂しいことだけど

人生100年と言われる時代になりました。人生が長くなり、ハッピーハッピーと皆さんおっしゃるけど、逆に生きるのがものすごく難しい時代になったと思います。生きるとは修業であり、勉強であり、苦しみであり……。

もちろん楽しみもありますけど、楽しむにも体力や気力が必要なんですよ。年齢とともに、体力も気力もやる気もなくなる。それも当たり前なんです。だから「100歳までいきいきと」なんて無理。どこかで諦める。私、集中力はあまりないんですけど、今、「諦める」集中力が必要やなと思っています。

私も年が明けたら67歳という年齢になり、今までできていたことができなくなってきました。血糖値が高い、血圧も高い。だから甘いものを食べてはいけない。抑え込まれることが多くて、楽しみは減る一方。

 

でもよく考えたら、ある程度のことは経験してきたわけです。私の場合は旅行好きな夫につきあって、海外は行き倒しました。エッフェル塔は3回も4回も見たんですよ。初めて見たのは19歳の時、海外旅行も初めてでした。「うわあ」と鳥肌立ちましたね。

もうあんな感受性はありません。感受性がなくなると、人生の楽しみの80%がなくなったような気がします。今やエッフェル塔も通天閣も変わりません。クリスマスにウキウキしたり、年末年始が楽しみというのも、子どもの頃や恋人時代の一瞬だけですよね。

「たまに会う」という生活の知恵

私は結婚が22歳と早く、そこから女の人生が始まりました。23歳で母になり、姑や小姑がいて、いろいろあって、仕事をまた始めて、ほかのタレントさんにいびられたこともありました。

荒波だらけの人生を生きてきて、気がついたらこの歳になっていて。「うそ!」と思いますもん。目はかすんでくる。耳はまだ聞こえてるつもりなんですけど、この前、夫に「君の声は大きくなった」と言われました。「テレビの音も大きいね。耳が悪いんじゃないのか。耳鼻科へ行ってこい」と言われたので行きました。異常なし。夫に腹立ちました。

言いたいのは、歳をとるのは寂しいことだけど仕方ないということ。歳をとることを自分なりに集中して分析してみる。「歳をとるのに不公平はないんだ」と受け止めましょう、ということです。

 

私に対しては相変わらず偉そうな夫ですが、彼も歳をとりました。テレビ局を定年まで勤めましたが、もう少し働くのかと思ったら61歳で辞めてきましたからね。「辞めるかもしれないよ」とは聞かされましたが、「辞めてきた」と言われた時にはびっくりしました。

それでも勤め上げたわけですから家族でお祝いしました。一番高いステーキハウスで上等なワインを抜いて、「お父さん、お疲れさまでした」と。2人の息子は気が利かないので、私が「お父さんに手紙を書きなさいよ」と仕込んでおきました。それを受け取った彼は「後で読む」と言いながら目をウルウルさせて。

で、彼がステーキを食べながら息子たちに「お父さんは70歳でこの世を去る」と言うたんです。「それまでは好きなことをします」と。私は「どこか体の調子が悪いんかな。それにしても9年て、中途半端な」と思いつつ、「彼は70歳で死ぬ」とどこかで信じていました……でも、死ぬもんですか! 来年75歳ですが、ストレスがないからそれはもう健康で。かかりつけのお医者さんで検査をすると、何もかもが正常の数値だそうです。何やかやと飲む薬の量も私の3分の1ですね。

別居は水くさくなりますね

ただ、大きな変化がひとつありました。別居です。実は6年ほど前、離婚しようと思ったんです。子どもたちも、「いいよ」と言ってくれました。2人ともすでに独立して、もう「おっちゃん」の年齢ですからね。

弁護士に相談するくらい本気だったんですけど、いざとなるといろいろ《邪魔くさく》なってしまって。45年近く一緒にいますと、名義変更とか、財産の振り分けが大変なんです。ほとんど私のものですけど(笑)、別れるとなったらちゃんと分けないと。夫が離婚後に野垂れ死にしたとなったら嫌ですから。結局、離婚ではなく、私が持っていたマンションに移ってもらうことにしました。

うちに帰ってくるのは週末です。その日は食事も作ってますよ。この間も久しぶりにてんぷらを揚げました。「美味しい」とも言いませんが、何か嬉しそうに食べてました。

 

ただ、別居は水くさくなりますね。日頃の様子を全部見ているわけではないので、細かな体調の変化などはわかりません。一方で、40年間言わなかった「ありがとう」を私に言うようになりました。日曜日の朝、ごはんを作ると「ああ、どうもありがとう」「ごちそうさま」と言って出て行きます。今まで言わなかったことを、別居と年月と水くささが言わせるんだなと思います。

今はものすごくいい距離感です。家から車で10分という距離もさることながら、週に1、2度帰ってきて、食事をしてマンションに戻っていく。そのペースが今の私たちにはちょうどいい。相変わらず、掃除ひとつしませんが、汚れたらお掃除の業者に入ってもらえばいい。「たまに会う」というのは生活の知恵ですね。私のストレスはぐんと減りました。

横並びから向かい合って

私はどうやら「夫源病」だったらしいです。ある日、家で安藤優子さんの番組を観てたら、「上沼恵美子さんの症状をみると、確実に夫源病ですね」とお医者さんが言うてはるんですよ。夫と気が合わないというのは常日頃ネタにしてましたから、勝手に診断してくれたんでしょう。

確かにその頃、めまいが出たりして体調はよくなかったんです。思わずテレビに向かって「そうですか」と言いました。体調不良の原因が夫だと医学的に認められたわけですよ。夫は不愉快な顔をしてましたけど。

うちだけじゃないと思うんです。世間にも「夫源病」の妻は多いんじゃないでしょうか。じゃあその病はどこから来るんだろうと考えました。妻であるということは、ごはんを作らなあかんとか、そんなことだけではありません。

 

子どもを育てたり、近所とトラブルがあったら闘ったりと、夫婦が一体となって闘うものや守るものがあったわけです。その時はお互いに「あんたしかおらへん」「おまえだけやで」と、好き嫌いを超えた使命感で結束している。ところが子どもは大人になります。結婚して、独立していきます。

すると、今まで横に並んでいた人が、自分と向かい合って座ることになる。その時が勝負。ここからが夫源病の始まり。正面から彼を見た時、「誰やねん、この人」と思うんですよ。もちろん知ってますけど、違うんだなあ。出会った頃、若かった頃、子どもたちが小さかった頃の夫とは全然違うんです。

離婚をやめたのは、邪魔くさいのが最大の理由

男の人って、社会的な責任がなくなると目が変わりますね。ま、端正な顔は変わらないんですけど(笑)、目がとろりんとして輝きが衰えてくる。本人には言うてませんけど、あらためて夫と向き合った時、そんなふうに感じました。

それから、よう笑うようになりましたね。若い頃は嫁さんが面白いことを言うてもクスリとも笑わない、ニヒルな人だったんです。「くだらないことを言って」という顔をして、それがまたセクシーだったんですよ。

今はしょうもないことを言うたら、「はっはっはっ」と普通のおっさんみたいに笑うようになりました。それはいいことです。でも嬉しさの後に切なさが来ますね。「ああ、歳とったなあ」と。

 

別居を公にする気はなかったんですが、週刊誌が取材に来たので自分から月刊誌に手記という形で話しました。「(別居するぐらいなら)なんで離婚しなかったんですか」と言われますけど、先ほど申し上げた通り、邪魔くさいのが最大の理由。それでとりあえず別居したところ、距離感が予想外に心地よくて。

和歌山県の白浜にある別荘に夫婦で行ったり、2人の間を犬がころころ歩いてたりする様子を見ていると、「これが楽かなあ」という気になりました。夫は何も言いませんけど、結婚生活45年、言葉に出さなくともわかるキャリアがあるんです。

夫婦関係を見直す出来事も

夫との別居が公になった後、「上沼さんやからできる」と何人もの方から言われました。それは仕方ないです。そのぶん、私は働いてきました。ご褒美やと思ってます。でも自分のほうが皆さんより偉いなんて思ってません。はっきり言って、タレントなんてそう忙しくないんです。休憩や移動の時間が長くて、収録時間はたかが知れてます。パートで働きながら家事育児をやっている人のほうがずっと偉いですよ。

別居という、形の上での大きな変化がありましたが、それとは別に夫婦関係を見直す出来事もありました。昭和22年生まれの夫は団塊の世代。「妻を褒めたら死ぬ」ぐらいに考えてるふしがあって、これまで一度も褒めたり労われたりしたことはなかったし、私もとっくに諦めてたんです。

ところが、コロナ禍でテレビやラジオの収録現場が一変、お客さんやゲストをスタジオに呼べなくなりました。人とじかに触れ合えない、お客さんの生の反応を感じられない現場は私にとって本当につらいものでした。

 

ある時、どうしても気持ちが上がらない仕事があって、とうとう夫に「私を励ましてくれませんか」とメールしたんです。詳しいことは書きませんでしたが、それだけで察したんでしょう。

「君の仕事は得ですよ。たくさんのファンが讃えてくれる。視聴率がよければ花が贈られてくる。僕たちサラリーマンは何十年と勤めても褒められることはまずありません。ほかの仕事だって同じ。ぜいたくを言ってはいけないよ」という返信がありました。

寄り添ってくれる時も偉そうですが(笑)、胸に響きましたね。夫は元テレビマンで、鋭い取材もしてきた人なんですが、その名残りを感じることもできました。思い切って頼ってみてよかったと思います。

構成: 社納葉子

撮影: 霜越春樹

 

出典=『婦人公論』2021年11月24日号

上沼恵美子

タレント

1955年兵庫県生まれ。72年に姉妹漫才コンビ「海原千里・万里」の千里としてデビュー。77年に結婚後、芸能界を引退して専業主婦に。翌年、「上沼恵美子」として復帰。以来、関西を中心に『上沼恵美子のおしゃべりクッキング』をはじめ数多くのテレビ・ラジオ番組の司会を務める

 

 


眞子さん「儀式ナシ婚」に、海外メディアが報じた“小室家のせい”

2021-12-08 11:00:00 | 日記

下記の記事をFRIDAY DIGITAL様のホームページからお借りして紹介します。(コピー)です。

11月30日付けの英デイリーメール紙が、秋篠宮殿下の誕生日会見を受け

《秋篠宮殿下ご自身が娘の眞子内親王が、夫の(親族の)金銭をめぐるスキャンダルのために伝統的な結婚式の儀式を行うべきではないと決定したことを明らかにした》

と報じた。さらに世論調査では80%の国民が儀式のない皇族の結婚に反対していると書かれている。

それは本来であれば女性皇族が結婚する際に行う、一般の結納に当たる「納采の儀」など三つの儀式を秋篠宮殿下が「私の判断で行わなかった」と明言されたことを指している。さらに

「最後の最後まで、眞子さんが記者会見を双方向にしたかったが複雑なPTSDのために困難だった」

「夫が話す機会があればもっと良かった」

と、秋篠宮さまが話した内容がそのまま報じられた。

同紙は先日、ニューヨークに移住したばかりの眞子さんと小室圭さんの生活する様子を写真付きでスクープしたばかり。海外メディアも非常に2人に関心を持っているようだ。

さらに報道やインターネットの誹謗中傷などに苦言を呈されたことも報じている。

「秋篠宮殿下は、眞子さまについては皇族としてしっかり務めたことを強調されましたが、小室さんに関しては会見のお話を聞いているとやはり心を開いておられないと感じました。小室さんの名前も出さず“夫の方”とか“娘の夫”などという表現をされましたからね。

口に出すのも嫌だったのか、世間を刺激することを避けたかったのか分かりませんが、とりあえず質問に答えないわけにはいかないので、ああいった形になったのでしょう」(皇室ジャーナリスト)

結婚のタイミングについては、眞子さんがこだわった30歳になるまでという期日は数日過ぎたが、秋篠宮殿下の誕生日までにはご結婚が成立し、さらに渡米まで済ませた。やはり誕生日会見で秋篠宮殿下が話すことになるので、それまでにはすべてを終わらせることが必須条件だったのだろう。

「最後までご納得されていない状況の中、眞子さんの結婚は止めることはできなかったのでしょう。結婚後も眞子さんは赤坂御用地に戻られたりしていますので、家族間でそこまで仲が悪くなったということはないはずです。

やはり納得できないのは、小室さんに対してということだと思います。小室さんのトラブルに付随して、母である美智子上皇后陛下がおっしゃってもないことが一部で報じられ、秋篠宮家以外の皇室にも影響が出たと遺憾の言葉を秋篠宮さまは述べられました」(全国紙記者)

秋篠宮さまの今の思い、そして皇室が納得していない中でプリンセスは嫁いでしまったということが、改めて世界で報道されてしまった。海外から日本の伝統ある皇室はどのように見られているのだろうか――。

 


愛子さまが美容に興味 皇室の不文律の中で「映えるメイク」を探究

2021-12-08 09:07:48 | 日記

 

 

グレーのジャケットに黒のプリーツスカートというシックな装い。髪の毛はアップにして、微笑む口元からは真っ白な歯がのぞく──。12月1日、20歳の誕生日を迎えた愛子さま。

「成年という節目を無事に迎えることができたことを嬉しく思います」

そんなコメントと共に近影が公開された愛子さまに対し、ネット上ではその大人びた風貌に感嘆の声が上がった。全国紙の宮内庁担当記者が語る。

「“年を重ねるごとに雅子さまに似てきた”という声は宮内庁の中からも聞こえてきます。洗練されたファッションや髪型も雅子さまと雰囲気が似てきました。雅子さまには専属の美容師がおり、愛子さまも担当しているそうです。長いお付き合いなので、愛子さまにお似合いのヘアメイクもよく理解されていたのでしょう。成年の記念にふさわしい素敵な装いになりました」

近年は、愛子さまご自身も美容に興味を持っているという。

「国産の高級美容ブランド『サンナホル』のシャンプーを愛子さまがご利用されているというのはよく知られています。また、大学に進学してからはリップを引いて、薄くメイクを楽しまれる日も増えました。

皇室のメイクは『国産ブランド』『髪の毛は染めない』『化粧は控えめ』という不文律がありますが、愛子さまもその流れの中で、ご自身なりに“映えるメイク”を探究されているようです」(別の宮内庁担当記者)

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今年の1月には、愛子さまがパールのネックレスとイヤリングを初めてつけられたことも報じられた。

「雅子さまには付き合いの深い服飾デザイナーもいて、アクセサリーやバッグなどの助言をもらっているそうですから、愛子さまが望めばそうした方々からファッションを勉強する機会はあるでしょう」(同前)

成年皇族として、これから様々な公務に臨まれる愛子さま。気品ある佇まいは、行く先々で多くの人々を魅了するだろう。